第10次十字軍 4
だが、葡萄の槍が吸血鬼に突き刺さることはなかった。その槍先は全て黒い何かに切断されてしまって、先端が消えてなくなっていた。サイラスがほっと息を吐く隣にヴィンセントが立って、手をかざしている。
「あぁっ、良かった! 上手くいったんだね」
「あぁ、これは実に使い勝手がいい」
槍の向こう側にぽっかりと見える、黒い何か。あれは光すらも存在しない、ヴィンセントが作り出した亜空間。ミナは重力の荷重でブラックホールを作ることが出来るが、ヴィンセントは更に重力をコントロールし、現存するミンコフスキー空間に時空の歪みを生じさせ亜空間を作り出した。更にその亜空間とミンコフスキー空間との間にズレを生じて、空間断裂を起こした。
そもそも、亜空間の中は相対性理論が通用しない空間で、光すらも存在せず、光子を含めた全ての物質が極小化していき、やがて消滅する。亜空間の中に入ったらおしまい。入らなくてもおしまい。
ただでさえ最強と言われるヴィンセントに、更にチートな能力を与えてしまったのは、天才サイラスあってこそだ。空間の構築に至るまでの理論を説明するのには骨が折れたが、成功して何よりである。
まだ習得したばかりの能力なので、敵だけを亜空間に飲み込むなど都合のいい使い方は出来ないし、空間を渡ることもできない。アンジェロの空間転移も、同じ空間操作の能力のはずだが、アンジェロが空間転移の理論を把握していないので、空間転移はサイラスも考え中だ。まだまだ空間操作は発展途上の能力だが、空間を操作できるというのは、神レベルのアドバンテージであることは間違いない。
ヴィンセントが槍を断ち切り、葡萄の蔦を凍らせた後、一気に高温で乾燥させる。すると、葡萄はカサカサと崩れ始め、捕まえた吸血鬼と葡萄の自重でどさりと崩れ落ち、茶色の粉塵を巻き上げた。解放された吸血鬼たちが逃げ出し、目を覚ました虎少年が深精を抱えて、粉塵に紛れて泡を食って逃げる。その粉塵の向こう側にいた、アレックスと視線がぶつかった。
「ミナさんに教えてもらったんだ。ヴァンパイア式フリーズドライ製法だって。面白いよね」
「ばっかみたい。何それ」
「強制相転移と解放空間における電子衝突を、なんの装置もなく実現できるって事が、どんだけスゴイ事なのかわかんねーの?」
「……前からそうだけど、俺にはサイラスの言ってることはチンプンカンプンだよ。だけど」
アレックスが、サイラスとヴィンセントを、昏い瞳で見つめた。
「思えばサイラスは昔からそうだったね。表舞台じゃ何もできないけど、舞台裏を牛耳ってる。サイラスが吸血鬼のトレーナーになるのは、相当厄介だってのはわかったよ。だけど実戦では、ペンは剣に勝てない」
アレックスの方から再び葡萄の蔦が延びてくる。それをヴィンセントが片っ端から破壊していき、α班を初めとした吸血鬼たちも銃撃する。だが、サイラスはおかしなことに気が付く。
吸血鬼たちが散々に攻撃しているはずなのに、アレックスは傷一つ負っていない。その事に気付いてヴィンセントに伝えると、彼は既に気付いていたようで、一つ頷いた。
そして、バスカヴィルと名付けられた黒犬を、アレックスに向かって放った。すると、バスカヴィルはすぅっとアレックスを通り抜けてしまった。その事にサイラスたちが驚いていると、「……やはり」と耳元でオモヒカネが呟いた。
「オモヒカネ? 何か知ってるのか?」
「ヴィンセント、おぬしもおかしいと思わなんだか?」
「あぁ、あの力は」
オモヒカネの質問にヴィンセントが答えようとした時、地面からせり上がってきた葡萄の根が、吸血鬼を突き刺そうとするのを、ヴィンセントが慌てて防御した。
それに怯えて焦燥しながらも、サイラスはオモヒカネを掴んで引っ張り出した。
「鷲掴みはやめろと言っておるじゃろ。わしゃ仮にも神じゃぞ?」
「そんなことより、アレどういうことなんだよ。アレックスのあの力なに!? 神様ってあんなコトまで出来るのかよ!」
サイラスの質問に、オモヒカネは大きな瑠璃色の瞳を閉じて、やれやれと言った風に頭を振る。
「そんなわけがあるか。神が一個の人間に、あれほどの力を与えるはずがないじゃろ。世界のバランスを管理するのも神の仕事。一人の人間に強大な力を与える、そんなことをしては、バランスが崩れる」
「じゃぁ、あれは?」
「わからぬか? ヴィンセントがアレックスに怯えておらんではないか」
そう言われて気付いた。ヴィンセント達は初めてオモヒカネに会った時、姿を見ただけで後ずさりして、明らかにおびえた様子だった。なのに、アレックスに対しては、そんな態度は見せていない。驚きはしていたが、怯えた様子などまるっきり見当たらない。
「てことは……あれは神の力じゃないの?」
「違うのう」
そう言ったオモヒカネは、瑠璃色の瞳に悲哀を湛えていた。そんな感情が窺えることが不思議でサイラスが尋ねると、オモヒカネは残念そうな声色で言った。
「人間が神に見まう事は稀じゃと言ったな。それでも人間が神に出会ったと言うことはある。その時人間が出会った神は、妖怪や動物霊などが神に成りすましていることが多いのじゃ」
「じゃぁ、あれは、悪霊の仕業ってこと?」
「それより、もっと悪いものじゃ」
オモヒカネに何が見えているのかはわからない。だがオモヒカネは、アレックスを見て、明らかに毛を逆立てている。
「あれは、偽りの神。地獄の悪魔の一つ柱、偽神・プセウドテイ」
「悪魔……」
なんという皮肉だろう。神に誓いを立てた人間が、悪魔に憑りつかれるなんて。きっと悪魔は、レスターを失ったアレックスの心の隙間に入り込んだのだ。それをヴァチカンの人間たちが気付いているのかはわからない。
だけど、神父の受けた神の啓示を、本当は悪魔だと言って聞くだろうか。自分達にとって都合のいい啓示を、悪魔の囁きだから耳を傾けるなと言って、素直に聞いてくれるだろうか。
アレックスの力が何であれ、結局戦いは避けられないだろう。だけどきっと、結末は変わる。悪魔の目的が何なのかはわからないが、恐らく吸血鬼も人間もただでは済まない。最悪どちらも全滅させられる。悪魔の存在を信じるなら、それくらいしてきてもおかしくなさそうだ。
そう考えていると、ヴィンセントが言った。
「あれが何であれ、目的は変わらない。吸血鬼は誰も殺させない。奴らを全滅させれば、それで済むことだ。こちらが勝てばいい」
ヴィンセントの考えはいつだってシンプルだ。勝てばオールOK。これは実力とそれに伴う自信があるからこそ出来ることだ。
ヴィンセントのシンプルな考えに、サイラスは少し励まされた気分になってアレックスを見た。オモヒカネも色々思うところはあるだろうし、サイラス自身もアレックスに対して思うところはある。レスターの事や、アンジェロを恨んでいるであろうこと、悪魔に魂を売り渡してしまった事、父親の事。色々思うところはあるけれども、どんなに考えや感情を巡らせても、この戦い勝つという段階は必ず踏まなければならない。
そう決意を新たにして、無線に呟く。
「レオさん、クリスさん、空を壊して。γ(ガンマ)隊、出撃」
無線の直後、吸血鬼の攻撃が緩んだせいで再び集まったヘリが、烈火の勢いで討ち落とされ始め、スイッチが入った瞬間、後方のシカリウスの部隊たちが、まとめて地雷で爆破される。
吸血鬼の行動範囲以外、全てが地雷原と化した城の庭の中。身動きが取れなくなったシカリウスの集団に、レオナルドが撃って操縦不能になり、クリスティアーノがボレーシュートを撃ちかましたヘリが何基も狙い落とされる。
地面には地雷。空からはヘリが墜落してくる。森の中ではβ隊が木々の上を飛び移って、地雷を避けながら攻撃してくる。そして城の中に隠れていたγ隊が、地雷を起動させ城の天守閣や最上階などの高所から、迫撃砲や機銃での一斉掃討による絨毯攻撃を仕掛ける。
わざと誘い込まれて、一網打尽にする気だったとシカリウスが気付いた時にはもう遅い。アレックスの能力はヴィンセントが封じることが可能だ。人間の物量に対抗できるほどの能力を、吸血鬼たちが有している。
「戦う者にとっては、剣はペンより強いだろうね。だけど俺は戦わないから、やっぱりペンが強いと思うよ」
サイラスは勝ち誇った顔でアレックスにそう言う。するとアレックスは、予想に反して笑った。
「本当なら、サイラスのペンはインク切れだね。君よりウチの長官の方が、狡猾さに長けてるみたいだ」
サイラスが訝っていると、ヴィンセントがハッとしてレオナルドに攻撃をやめさせ、千里眼で偵察を初めさせた。少しすると、レオナルドは一点を見つめて顔色を青ざめさせ、そしてアレックスを汚物を見るようにした目でにらんでいた。
「レオさん?」
「魔法使いの家を襲うなんて、汚ねぇことしやがる」
「アンジェロさんの孤児院を!? 子どもがいるのに、なんてことを!」
無関係の、ただの人間の子どもが30人も暮らしている、孤児院「魔法使いの家」。一応アンジェロも、勿論子どもたちもカトリック信者だというのに。アンジェロがレスターの仇とはいえ、そんな所に人殺しを向かわせているなんて、人間のやることではない。
信じられないという目をして睨むサイラスに、アレックスは笑った。
「知ってるって、言ってなかった? ヴァチカンは絶滅主義だって。化け物も、人造人間も、それに味方する人間も、滅ぼさなきゃいけないんだよ」
こんなにも、ほとばしるほどの怒りを感じたのは、生まれて初めてかもしれない。激しい怒りが湧き上がって、怒りのあまりどうしたらよいのかわからない。
アンジェロは、世界を敵に回してでも、孤児院を守るのだと言っていた。ひとがそれほど大事に思う物を、無関係の子どもの命を、ただそこにいるというだけで奪おうとするなんて。
「そんなことを許す神なんて、死んじまえばいいんだ! 偽物の神に踊らされやがって! お前らみたいな無能は、全員死ね!」
サイラスの怒りに共鳴するかのように、怒りを露わにしたヴィンセントが拳を握ると、激しい地鳴りが轟いた。




