アレックス、弟子になる
50年ほど前、イタリアに委託していた組織が壊滅に追いやられた。その組織の名はイタリア陸軍不把握体・特殊機構体強硬対策特別執行部対特殊機構体特別捜査課。通称SMART。かつてアンジェロ達が所属していた部隊だ。
アンジェロ達の裏切りと、ミナとヴィンセントによって壊滅に追い込まれたその部隊の壊滅を見て、ヴァチカンはイタリアに頼ることをやめ、自分たちで新たに部隊を組織した。表面上ヴァチカンは武力を持っていないから、武装勢力を持つことなど誰も気付かない。
そうして組織されたのが、ヴァチカン教皇庁直属対反キリスト教勢力及び不把握体・特殊機構体殲滅省――通称シカリウス――だった。その省庁は外部からは完全に秘匿されていて、その組織の存在はヴァチカン内でも知られていない。
レスターとビビアンは、二人とも同じ教会で育った。その教会の神父はシカリウスの暗殺者の一人だったので、二人とも幼いころから戦う術を叩きこまれて育ってきた。
神の教えと、信徒を守るために育った二人は、いまやシカリウスで最も優秀な暗殺者コンビと言われている。
カトリックに敵対する者は、相手が人間だろうが化物だろうが、容赦なく殺してきた。彼らにとってカトリック信徒以外は、生きる価値のない生物だったから、何の躊躇もない。まさしく彼らは、狂信者だった。
レスターから話を聞いて、アレックスは唸った。
「SMARTの話は俺も色々聞いてた。因果だね」
「なんでお前が知ってるんだ? 一般人が知るわけないのに」
「サイラスがアメリカで世話になってる夫婦。その夫婦がSMARTを壊滅に追い込んだ元凶なんだ」
「本当か? そりゃまた……因縁を感じるな」
レスターはあまりSMARTの事をよく知らなかった。というのも、SMART側はその内部情報を、一切ヴァチカンに公開していなかったからだ。何人いて、誰がいて、どのように活動しているのか、ヴァチカンにはまったく知らされずに、ただ成功の報告だけが届いていた。
だから、アレックスからSMARTの、アンジェロ達の事について話を聞いて、レスターは本当に驚いていた。
「人体実験によって作られた超能力者だって!?」
「うん。だから彼らは、非人道的な組織のやり方に反発して、裏切って吸血鬼に味方した。最終的には、組織自体を壊滅させた」
「なるほどなぁ。そりゃ隠すに決まってるよな。そんな非人道的なことしてるってばれたら、大問題だ。とくにヴァチカンは、そう言う事は許さない」
神によって万物が作り出されていると信じる教会にとって、人間が人間を作るなど、悪魔の所業だ。ヴァチカンに知れたら、その存在を許すはずがない。
ヴァチカン側がこの事実を知ったのか、そうでないのかは不明だが、結局組織壊滅以降は、SMARTの事については、一切の情報が閉ざされていた。
知ったところでどうなるわけでもないが、レスターとしては組織の前身が何故壊滅するに至ったのか、単純に興味はあった。だからアレックスの話を聞いて、少し満足そうにして頷いた。
「そうなのか。そんで、お前の両親も、組織を壊滅させた吸血鬼一族の、仲間だったってわけだな」
「うん」
SMARTが壊滅したのはもう、47年だか48年だか、そんなにも前の事だ。レスターだってまだ生まれてもいない昔の出来事が、今になって絡み合う。神の導きというのは、本当に神秘に満ちているものだ。
今度はアレックスが尋ねた。レスター達がオーストラリアのシンプソン砂漠、このオアシスにやってきた理由だ。
どうやらこの教会の神父が突然失踪し、無残な遺体で発見されたらしい。レスター達には、後任が来るまで代理を務めつつ、その真相を突き止めろとの命令が出ていたのだった。
普通に考えたら単純に殺人事件で片付く話だと思ったが、どうやら神父の遺体からは、全身から血が抜き取られていたらしい。それで警察も頭を捻り、教会のシスターがヴァチカンに相談してきたようだった。
アレックスが納得していると、レスターが覗き込んでいた。
「お前、吸血鬼がいるとかいないとか、わかるんだろ?」
「うん、確かに俺が砂漠を歩いてる時、この辺りから吸血鬼の気配はしてた。でも、俺が寝てる間に既に移動してたみたいで、この辺にはいない」
「場所は?」
「ずっと北の方」
アレックスには、アンジェロのダウジングのようにハッキリ居場所がわかるわけではなく、なんとなくぼんやりと、あっちかな位にわかる程度だ。それでも本人を見れば、人間かそうでないかはハッキリ区別できる。
これはレスターにとっては大きな戦力だった。つくづく神の導きに感謝するという物だ。
話を聞いてみれば、元々護衛だったレヴィから格闘術は習っていたらしく、元々の身体能力が高いので、中々期待できそうだ。
だが暗殺者はただ強ければいいという物ではない。静かに、完璧に、一撃で、美しく、スマートに! これが暗殺における芸術という物だ。
というわけで、アレックスはレスターから、暗殺術をレクチャーされる事になった。レスターは愛用のナイフを握って、アレックスにもナイフを持たせた。アレックスは身体能力が高いので、レスターを傷付けやしないかと不安になったが、彼は余裕の表情でかかってこいと言う。
レスターは柔らかく、リラックスした状態で脱力し、指先でナイフを弄んでいる。それを見て、アレックスは少しやけっぱちになって、右手に握ったナイフを突きだした。
アレックスのスピードにレスターは一瞬目を剥いたが、右手を掴んで下方に引き寄せ、アレックスがバランスを崩したところで足を払い、アレックスを仰向けに倒した。
アレックスには何が起きたのかわからず、仰向けになったままぱちくりと瞬きをしてレスターを見た。その表情が可笑しかったのか、レスターは笑ってレスターはアレックスを引っ張り起した。
「もう一度」
「うん」
今度は右手を振りかぶって斬りつけた。すると、レスターは振り下ろされる右腕の流れに沿って、アレックスの腕を掴んで捻り、更に足を払われた。アレックスは一回転して、やっぱり仰向けに引き倒されて驚いた。
「レスターすごい! 人間なのにこんなに強いなんて!」
「突っ込むしか能がない、力任せの化け物よりゃ、よっぽど強いぜ? これはロシアの軍隊格闘技、システマってんだ。スペツナズが強いのは、この格闘技のせいさ。システマは、自分の体の動きをコントロールできなきゃ使えない。筋肉や関節の構造、体の動きの原理をマスターして応用する」
「難しそうだね……」
「センスがありゃ、体で覚える。自分の体の動きをじっくり観察して、体感するんだ。体の重心はどこか、どういう時に力が入るか、姿勢や呼吸はどうなっているか」
「わかった」
それからレスターによる訓練を受けて、その夜。アレックスの案内によって、3人は吸血鬼がいると思しき町へやってきた。最初にいた集落から100kmほど離れたところにある、オアシスを拠点にした街だ。
段々と吸血鬼の気配が強くなってきて、アレックスはその気配の増幅とともに、闘争心が高揚して焦るように道案内し始めた。
ある飲み屋の前で車を止めると、その瞬間に走り出そうとしたが、アレックスの首根っこをレスターが掴んで止めた。
「殺す、止めないで」
「ダメダメ、今日は見学」
「やだ、俺が殺す」
「こんな人目の多いところで殺られちゃ、俺達がたまんねぇよ」
「そうよ。アレックス、今日は我慢の子よ」
二人がどんなになだめすかしても、アレックスの殺意は抑えが利かなかった。仕方なしに二人はアレックスをガッチリ拘束して、店の中に入った。
そのお店は普通の飲み屋で、いくつかのテーブルとカウンターに客が座って酒を飲んでいる。アレックスはすぐにカウンターに腰かける、一人の男を睨んだ。
「あいつ、あいつだ」
アレックスの目が、紫色の輪郭だけを残して、白く変色している。文字通り目の色を変えたアレックスを見て、レスター達は確信した。裏の路地に回ったレスターがアレックスを押さえている間に、ビビアンがその男に声を掛けて、男を連れてやってきた。
ビビアンは男を誘惑したらしく、レスターとアレックスの所に連れて来られて不服そうだ。
「何の用だ?」
「神父を殺したのはお前だな?」
その質問を受けると、吸血鬼の男は嫌らしく笑った。
「サツか? 俺を捕まえるのは無理だ。お前らも殺してやる!」
男が笑いながら口を開くと、鋭い牙が並んだ腔内が覗けた。そのまま口を開いて、レスターに尖った爪を突き立てようと襲い掛かる。
レスターはアレックスをビビアンに預けると、柔らかい動作でナイフを取り出した。そして襲い掛かる吸血鬼の顔面に回し蹴りをし、その勢いのまま姿勢を低くして回し蹴りで足を払い、レスターの上に倒れ込もうとする吸血鬼の心臓を刺突した。
吸血鬼が死亡し、灰になって崩れ去る。それと同時に殺意が潮の様に引いて行った。殺意に支配されながらも、アレックスはしっかりレスターを見ていた。
「……すごい」
「おう、正気に戻ったか。お前は殺意のコントロールも必要だなぁ。滝に打たれて精神統一でもしなサイ」
「……ハイ」
レスターは、見た目はただの中年オヤジなのに、自分よりも化物よりも強い。鍛えれば自分だってもっと強くなれる。アレックスはボニーとクライドの間から生まれたから、彼ら以上に強くなることはないだろうと思っていた。
だけど、レスターについて行けば、きっともっと強くなれる。そうしたらミナやヴィンセントにも対抗できるかもしれない。
そう考えて、アレックスはレスター達について行こうと決めた。




