ヴィンセントの帰還
棺の蓋を開けて体を起こした時、まず感じたのは熱だった。妙に暑い屋敷の中、黒いカーテンがかかった部屋は、随分前に見覚えがある。天蓋付きのベッドは黒檀でこしらえた最高級品で、ビロードの絨毯は今でも手入れが行き届いている。色の濃い、マホガニーのドア、ピカピカに磨かれている真鍮のドアノブを回すと、重厚なデスクと高価なソファセットが目に入る。
(あぁ、ここはインドの屋敷か)
寝ぼけているのかと自分で笑ってしまいそうになった。その部屋を出、廊下を渡って階段を下りていく。すると、3階の階段を降りようとした時、パッタリと見知らぬ少年と出くわした。
その少年、サイラスは栗毛色の髪で緑色の瞳をしているが、肌の色は伽羅色で、彫りの深いエキゾチックな顔立ちをした美少年だった。サイラスは少し驚いた様子でヴィンセントを見ていたが、ポンと手を叩いた。
「わかった! ヴィンセント様だ!」
「お前は?」
「ママ達がずっと待ってたんだよ。ちょうど帰ってきたところだから」
「ママ?」
サイラスはヴィンセントの質問は一切無視して、ぐいぐいと袖を引っ張って階下に連れて行こうとしている。躾のなっていない小僧だと思いながらも、ヴィンセントは引っ張られるままに階下に降りて行った。
階下に降りると、仕事が終わって帰宅したばかりのシャンティがいて、シャンティはヴィンセントに気付くと、涙目になって近づいてきた。
「ヴィンセント様……お待ちしておりました」
「待たせて悪かった。お前、老けたな」
「45年ですよ? 私ももう65歳になってしまいました。もうおばあちゃんです」
「そうか」
挨拶を済ませると、シャンティはサイラスにメリッサ達を呼んでくるように言いつけて、自分は電話を始めた。シャンティの電話が終わるころにはメリッサ達もやってきて、電話を切ったと同時にミナとアンジェロがやってきた。
ボニーとクライドが懐かしがってハグをしてきて、メリッサが嬉しそうに笑って歓待のキスをする。3人がヴィンセントの帰還を喜んでいる傍で、ミナとアンジェロは少し居心地が悪そうに佇んでいる。
ミナとアンジェロは、兄アイザックを殺した仇だ。だから彼らと最後に会ったときは、「さっさと失せろ」と冷たい態度を取った。だから二人は所在無さげにしているのだろう。
だが、ミナがいる。アイザックと無理心中で殺されたミナが復活している。ヴィンセントにとっては過去の確執よりも、その事の方が重大だった。
「ミナ」
声を掛けると、ミナは少し戸惑いながらも返事をした。それに小さく苦笑しながら続けた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
「お前も、おかえり」
「ただいま……」
感極まって泣き出してしまったミナを、アンジェロが抱きしめた。おかしなことに、人間であるはずのアンジェロも全く老けていない。その事は不思議に思ったが、アンジェロにも声を掛けた。
「よく復活させてくれた」
「それだけが望みでしたから」
「感謝する」
アンジェロは許されたとは思わない。アイザックの事とミナの事は別件だからだ。だがアンジェロはヴィンセントに深く礼を取った。
ふと、ヴィンセントは不穏な空気を感じた。見ると、ボニーがアンジェロ達を鋭く睨みつけ、クライドは逆に見ようとはせず、二人ともアンジェロ達に向かって怒りを露わにしている。その様子をメリッサが複雑そうにしてみていた。
以前はみんな仲が良かったはずだ。不思議に思ってその場を少し離れ、近くにいたサイラスを呼んだ。
「おい小僧」
「小僧って……」
ヴィンセントは名前を聞いていないので呼びようがない。サイラスは不服そうだったが、小さく息を吐いた。
「なに?」
「何故アイツらは険悪なのだ?」
「あー……」
どうやらサイラスは事情を知っているらしく、教えてくれた。発端は15年前だ。当時4歳だったサイラスは、たまたまその会話を聞いていた。
この時アンジェロとミナがインドに来ていた。ボニーとクライドが妊娠したと聞いたのでやって来たのだ。てっきり妊娠のお祝いをしてもらえると思っていたボニーとクライドに、ミナとアンジェロはこう言った。
「お腹の子どもは災いをもたらします。気の毒ですが、堕してください」
堕胎を勧められたことにボニーとクライドは激怒し、二人に絶交を言い渡した。それ以降夫婦は会っておらず、シャンティが会う時は屋敷の外や、アメリカを訪問したりしていた。
サイラスとしても、ミナとアンジェロの言い分は酷いと思った。いくら何でも、言っていいことと悪いことがある、そのくらいサイラスにだってわかるのに、二人は酷な事を要求したのだ。
だが、その話を聞いてヴィンセントは顔色を変え、すごい剣幕でサイラスの肩を掴んだ。
「ボニーとクライドには子どもがいるのか!?」
「え? うん、まだ帰ってきてないけど……」
サイラスの返答を聞いて、ヴィンセントは思い悩むように頭を抱え、その姿勢のまま言った。
「素直にミナとアンジェロの言う通りにしていればよかったというのに……」
「え? どういうこと?」