実験開始から3ヶ月 目標達成
あの日からサイラスはメリッサに夢中になった。残忍な思惑に囚われるよりも、肉欲に囚われていた方が、年頃の少年としては余程健全だ。思惑通りになったと思ってメリッサは安心していたが、メリッサの考えは甘かった。
確かにサイラスはメリッサに夢中になっていたが、研究の事も忘れていたわけではない。メリッサが考えていることを、サイラスは敏感に気付いてしまった。だからと言って、やっと手に入れたメリッサを手放す気はなかったし、研究を中断する気もなかった。
映画と同じように準備を始める。心電図モニター、脳波計、開眼器、目薬、催吐剤、炭酸リチウム、残酷な映像。それらの準備を済ませ、アレックスに機器を装着して、薬品を注射する。
殺人、親殺し、拷問、強制収容所の残酷な映像を、瞬きも出来ない状態で、アレックスは延々と見続ける。
一緒に見る羽目になったサイラスも吐き気を催す映像ばかりだが、催吐剤と炭酸リチウムを注射されたアレックスは、猛烈な吐き気と、絶望的な気分に支配されて、嗚咽を繰り返しながら呻いている。
最初は映像に対する反応の薄かったアレックスが、映像を見ていると気分が悪くなると言って、映像を止めるように懇願し始めた。薬物によって体に起きている症状と、目にしている光景がリンクし始めた。本当に映画の様になるのかはわからないが、もしかしたら目的を達成できるかもしれない。メリッサには嘘をつくことになるし、その事は心苦しくあるが、目的を達成できるなら、何でもする。
サイラスがそう考えて、懇願するアレックスを無視して、なおも映像を流し続けていると、突然部屋のドアが開いた。
ドアを開けて入って来たのは、初老の女性だった。その女性はサイラスに対して、責めるような目を向けた。
「メリッサを裏切る罪悪を抱えるくらいなら、そんな事はやめなさい」
「……アンジェラさん、心を読むのはやめてよ」
アンジェロの妹であるアンジェラが、サイラスの心を読んで忠告してきた。正確にはアンジェラは心を読んでいるのではなく、勝手に流れてくるのであって、ある意味では彼女にとっても迷惑千万な能力だ。だが、今のアンジェラにとっては、必要なものだった。
「私は兄さんと義姉さんから、貴方の事を頼まれてるの。子どもの悪戯を大人が叱るのは、当然の義務よ。メリッサが大事なら、裏切っちゃダメよ。きっと後悔する」
「言いたいことはわかるよ。でも、行き詰ってるんだ。子ども扱いしないで。俺だって色々考えてるんだ」
「少し行き詰ったくらいで、短絡的な行動に出ること自体が、子どもだと言ってるの。仮にその実験が成功したとしても、貴方が失う物は多いわよ」
アンジェラの言葉に、サイラスは俯いた。わかっている。きっとメリッサの信頼を失う。彼女自身も失う。アレックスも恨むだろうし、こういう手段を取ったサイラスを、シャンティが許すだろうか。レヴィが許すだろうか。
サイラスが考え込んだのを見て、アンジェラがアレックスに近づいて、映像を止めて開眼器を外した。アレックスが喘ぎながら、アンジェラに礼を言っているのを見て、自分の考えはやはり間違いなのだと、サイラスは俯いた。
「貴方の気持ちは理解できる。貴方に起きた出来事は、本当に理不尽。だからって、貴方が理不尽な行いをしていい理由にはならない」
「……そうだね」
サイラスには、この心を覆い尽くしている激しい悲しみや憎悪を、どう処理すればいいのかが分からなかった。
アレックスから殺意を消すことが目標であることは変わらないが、その実験に乗じて、アレックスに復讐しようとしていた。それをアンジェラには見抜かれている。アンジェラが正しい。サイラスは道を踏み外そうとしている。
落ち込むサイラスの肩に、アンジェラが優しく腕を回した。
「そう落ち込まないで。私も力を貸すから。私の能力だって、少しは役に立つかも」
「どうやって?」
「私は最強の超能力者の妹よ。これでも精神感応型の中では、最強って呼ばれてたんだから」
確かにそう紹介されたのを思い出した。彼女は精神感応のエキスパートだ。テレパシーも出来るし、サイコメトリックも出来るし、心も読めるし、およそ脳が支配している事象については、彼女に不可能な事はなかった。
サイラスの瞳が輝きを取り戻したのを見て、アンジェラは愉快そうに笑った。
「どうするの? どうするの?」
「そうねぇ。アレックスから、母親の記憶を消してみる?」
「えっ!? そんなことできるの!? あ、でも、それしたらボニー様が悲しむ! 殺意だけ消せないの?」
「そうね、やってみようか」
頷いたアンジェラが、アレックスの頭頂部に手を置いて、静かに目を閉じた。サイラスには何が起きているのかわからなかったが、その頃アンジェラはアレックスの精神世界の中にいた。
アレックスの精神世界は、一面が炎の海だった。激しい業火が荒れ狂い、アンジェラの精神を飲み込もうと襲い掛かってくる。
(これが、アレックスの殺意……)
炎から伝わってくるのは、熱だけではない。激しい殺意がその空間には満ちていて、アンジェラの精神を蝕んでいく。奥に進めば進むほど、その炎の勢いは強くなり、ついにアンジェラはアレックスから手を離した。
はぁはぁと肩で息をするアンジェラを、心配になって覗き込んだ。
「大丈夫?」
「両親への殺意が強すぎて消せない。アレックスにとっての殺意は、アレックスそのものみたい。だから、アレを消そうとしたら、アレックスがアレックスでなくなっちゃうわ」
「そっか……」
ボニーと自分の望みをかなえるなら、アレックスに精神崩壊されても困る。殺意を消すことが出来ないのならば、殺意を残したまま、ボニーが生き残れる手段を考えなければならない。
一体どうすれば、アレックスはボニーを殺さずに済むのか。
「ボニー様を敵だと認識できないようにすることは可能?」
「恐らく無理ね。殺気も言ったでしょう。あれは「両親への殺意」なの」
「ボニー様が標的であることは変えられないって事?」
「そう言う事」
そうなれば、アンジェラの言った、ボニーの記憶を消すことに縋るしかなさそうだが、それだとボニーの望みが絶たれる。
どうしたらいいのだろうかと、アンジェラの顔を見ながら考えていた。アンジェロと同じ、金髪に琥珀色の瞳。きょうだいだから、顔の系統もどことなく似ている。
ふと、アンジェロの言っていたことを思い出した。確かアンジェロは、ヴィンセントはきっと、秘密裏にアレックスが殺害されていればラッキーくらいには考えている、そう言っていた。それを思い出した瞬間、閃いた。
「殺意の対象を増やすことは出来る?」
「可能よ」
アレックスの心を先読みしたアンジェラが、しばし思案した後、頷いた。
「いい方法とは思えないけど、悪くはないかも。兄さんの所に行こうか」
「うん」
アンジェラとサイラスはアレックスを連れて、アンジェロの所に行った。そしてアンジェロの超おススメ物件だという、オーストラリア中央部、1万平方キロメートルにも及ぶシンプソン砂漠のど真ん中に来ていた。
砂嵐が吹き荒れ、強烈な日光が照射される砂漠のど真ん中。連れてこられたアレックスは、不安そうにサイラスを見た。
「何をするつもり?」
「お前をもっと自由にしてやるんだよ」
そう言ったサイラスが、アンジェラに頷いた。アンジェラが再びアレックスの頭に手を置いて、彼の精神世界の中に入る。そしてその殺意の対象を上書きして出てきた。
何をされたのか未だにわからず、困惑した様子のアレックスを、サイラスたちはそのままシンプソン砂漠に置き去りにして、アメリカに戻った。
アメリカに戻ったサイラスは電話を掛けた。相手はベトナムの屋敷にいるヴィンセントだ。実験をしていることは話していて、時々メリッサやミナが経過を伝えていたようだが、サイラスから電話をかけるのは初めてだった。
「ヴィンセント様、実験は失敗した」
「そうか。アレックスはどうした?」
「アンジェロさんに頼んで、シンプソン砂漠に置いてきた。まぁ、ベトナムやアメリカに行く手段はゼロじゃないから、その内来るかもしれないけど、多分途中で誰かに殺されるね」
「どういうことだ?」
不思議そうにするヴィンセントに、サイラスは必死に愉悦を隠しながら続けた。
「実験が失敗した影響でね、アレックスはボニー様だけじゃなくて、吸血鬼全てを殺害したいと思うようになっちゃった。だから、出会う吸血鬼には片っ端から襲いかかると思うんだよ。うっかりヴィンセント様やミナさんみたいな強い人を襲ったら、返り討ちに遭う可能性もあるよね」
サイラスがそう言うと、電話口からは息の漏れるような音が聞こえて、続けてヴィンセントが大爆笑し始めた。少しサイラスは驚いたが、ヴィンセントは笑いながら「そうか、ご苦労」とだけ言って、電話を切ってしまった。
首を傾げながら携帯電話を仕舞うサイラスの横で、アンジェラが苦笑している。
「どうやら、わざと実験を失敗させたって、伯爵にはバレバレみたい」
「やっぱりかぁ。あの人本当に外道だなぁ」
「実行するあなたも中々外道よ」
「いーじゃん。直接俺らが何かするってわけじゃないんだし」
サイラスは直接は何もしていない。ただ、アレックスが誰かに殺される理由を作っただけだ。
それに、殺意を消すことが不可能ならば仕方がない。ボニーだけでなく、全ての吸血鬼を殺したいと思うのであれば、アレックスだって親殺しの罪悪に、必要以上に悩まされることはないだろう。完全に詭弁だが、アレックスに嘘を吐いたことにはならない。
いつかどこかで、誰かがアレックスを殺すだろう。サイラスとヴィンセントの望みどおりに。
殺意を抱く相手がボニーだけでなくなって、親子の反逆に悩む必要もなくなった。ボニーとアレックスの望みどおりに。
その為に見ず知らずの吸血鬼が命を落とすかもしれないが、そんな事は知ったことではない。
100点満点とはいかないが、サイラスは目標を達成できたことに、喜びをかみしめていた。
■登場人物紹介
アンジェラ・インザーギ
65歳。アンジェロの生物学上の妹。アンジェロと同じ遺伝子プールから作られたきょうだい。最強の超能力者として生まれたアンジェロの妹なだけに、精神感応型の超能力者の中では最強と呼ばれ、アンジェロとアンジェラは「エンジェルシリーズ」として、組織内では絶大な支持を受けていた。
しかしアンジェロはアンジェラの能力をコピーできず、アンジェラの能力がアンジェロには通用しない。きょうだい間で能力を打ち消し合ってしまう事に気付いた時点で、エンジェルシリーズの製造はアンジェラが最後となった。
アンジェラはアンジェロの親友と結婚し、カリブ海の孤島で診療所を開業し、医師として働いている。その子どもも、両親が超能力者の為、いくつかその能力を引き継いで活躍している。




