大事な人様の息子さん
この日は孤児院にお世話になることになって、メリッサは与えられた部屋でくつろいでいた。ノックの音がするので返事を返すと、ドアを開けて入って来たのは、ヴィンセントだった。思わず首をめぐらせたメリッサに、今日もやっぱりヴィンセントは溜息を吐いている。
「珍しいわね? あなたが私にお説教だなんて」
普段はメリッサがヴィンセントにお説教する事の方が、圧倒的に多かった。本当に驚いている様子のメリッサの顔を見て、ヴィンセントは小さく苦笑した。
「たまにはな。私とて、お前に文句を言いたいことくらいあるぞ」
「サイラスの事かしら?」
「そうだ」
メリッサに勧められて、ヴィンセントはメリッサの隣に腰かけた。ヴィンセントと同じ目線になると、メリッサは目を合わせて柔らかく笑った。
「私はサイラスが好きよ。可愛いもの」
「……お前な、美少年と見れば、誰でも彼でも手を出すのはやめろ。シャンティの息子だぞ」
メリッサは元々お貴族様で、生前もたくさん若い愛人を囲っていたので、実は結構貞操観念は緩いのである。ちなみにヴィンセントの事は、家族のように愛してはいるが、おっさんだから好みじゃないのだ。
ヴィンセントの物言いに、メリッサは不服そうに眉を寄せる。
「私にだってそれくらいの分別はあるわ。心配しなくても、サイラスにはまだなんにもしてないわよ」
「まだってお前な……」
「大体、私が言っているのは、そういうことじゃないわ」
では何だ、とヴィンセントが首を捻るのを見て、メリッサが微笑んで続けた。
「小さい頃から見てきたせいかしら。可愛いのよ、あの子が。甘えん坊なところも、臆病なところも、自分の才能に苦しんでいるところも、私の事が大好きなところもね」
最後辺りでちょっと悪戯っぽくメリッサが笑ったのを見て、ヴィンセントはやれやれと息を吐く。
「小僧が大事か」
「そうね。それに心配でもあるわ」
「レヴィの事か」
「レヴィの事、アレックスの事、シャンティの事、ボニーの事、クライドの事、自分の事……ああ見えて色々悩んでいるのよ。サイラスは成長するにつれて、自分の考えていることを、隠すようになってしまったわ。本当は情緒不安定な事が多くて、苦しんでいるのに、それを表に出すのは恥ずかしいことだと、どこかで覚えてきたのでしょう。普通の人間ならそれでもいいかもしれないけれど、サイラスはギフテッドだから、心配なの」
サイラスは生まれて数か月で流暢に話し始めた。幼い頃からあらゆる本を読んで、広く深く学ぶのが好きだった。勉強は好きで、サイラスはいつでも知識に飢えていた。
特に科学と数学が好きだった。楽しい。論理的に考える事も好きだ。パズルなどは山のようにやった。学校では誰も追いつけない。天才だと言われた。変わっていると言われた。それでもメリッサ達の方が、よっぽど変わっているから、まだマシだった。
その才能の代わりに徹底的に欠落した、環境に対応する能力。サイラスは自分でも世間離れしているというのはわかっている。だから世界に弾かれないように、サイラスは誰よりも世界を理解しようとして、なかなか理解できない。なかなか普通の友達が出来なくて、馴染めなかった。だからサイラスの周りに集まる友達は、変わったヒトばかり。
OE・過度激動という。精神が環境に過敏に反応し過ぎて、知能と共に精神も、身体年齢を凌駕してしまう。なんとか社会と自分を融合させようと葛藤する。それを繰り返して徐々に融合はしていっているが、世界の価値観はサイラスの価値観とはそぐわない。だけど知識として世界を頭に入れておけば、普通の振りは出来る。その知識を習得することも、並大抵の労力ではなかったし、今でも足りないのはわかっている。
多少の出来事では、人間は変われない。人を変えるほどの強烈な出来事、その時の感情。それで人は変わる。それほどの感情を常に味わう精神過敏な状態を、OEと言う。
だから、世界は常にサイラスに変化を求め、サイラスはそれに対応しなければならなかった。今回の出来事など、サイラスにとっては絶望や悲しみすらも凌駕した、衝撃的な体験だったはずだ。それは、常人には想像もつかない程の。
物憂げに溜息を零して、メリッサが続けた。
「サイラスは、4歳の頃に両親を亡くしているの。あの子は天才だったせいで、その事もはっきりと覚えているわ。事故相手どころか、相手の弁護士のことまでね。サイラスは、家族を失うのが怖いのよ。なのにアレックスに裏切られて、レヴィがいなくなって……サイラスはシャンティを置いて、家を出られるような子じゃなかったわ。大人になったらシャンティの会社を継ぐんだって、子どもの頃から言っていたわ。あの子の努力は全て、経営者としてちゃんとやっていく為のものだったのに、それを全て捨てたのよ」
あの時サイラスはヴィンセントに聞いた。自分はどうしたらいいか、と。ヴィンセントにとっては、自分がどうしたいかなど、決めるのは簡単な事だ。だが、サイラスには違ったのだ。彼にとっては、その選択、その行動が、それまでの人生を捨て去ることになり、違う人生を歩む選択になる。
サイラスにとっては、環境が変化するという事は、本当に重大なことだったから、ヴィンセントの意見を聞きたかったのだ。
その事に考えが至って、ヴィンセントはソファに深く背を預けて、メリッサを見た。
「わかった。急激な環境の変化は望ましくないという事だな」
「そうね。だから、私がついていてあげたいの。シャンティとレヴィを除いて、あの子の事を一番理解しているのは、私だから」
「そうか。では、小僧を頼む。くれぐれも……」
「わかってるわ、失礼ね。人様の家で人様の息子に、何かしたりはしないわ」
メリッサがちょっと怒りながら遮ってくるので、ヴィンセントはつい苦笑して、笑いながら謝罪すると、メリッサの部屋を後にした。




