62 PSYCHO LOVE〈2〉
2019.1.1
◆
――『 』という人間は、変な奴だった。
忘れもしない。
奴と最初に出会ったのは、小学2年生の時だ。
……というのも、単に俺がこちらに引っ越してきたのがその時期だからなのだが。
最寄りのコンビニまでキロメートル単位、舗装されていない農道に、田んぼと山。
そして2階建てより高い建物が存在しない、背の低い街。
あの時はあまりにもド田舎なので驚いたものだ。
――ああ、『テレビの中の世界』に来てしまった。
きっとここの子供たちとは打ち解けられないだろうな、と思った気がする。
親の仕事で引っ越しが多かった俺は、子供ながらに新しい人間関係を築くのが面倒になっていたのだ。
1回目は大層泣いたが、2回目からは友達になるだけの時間すら無い。
うちは片親で、なんとなくこの件に関して文句を言うのが悪いことなのも理解していた。
――労力に見合わない。
だから順当にいって、『孤独』と友達になることにした。
静かに授業を受け、知りもしない登下校班に混ざって静かに帰る。
……そんな日々を1週間ほど過ごした時だった。
あいつが話しかけてきたのは。
「――ねーねー、クラタくん。今からみんなでゲームするから、ボクんち来ない?」
それはもう、びっくりするぐらい突然だった。
下校の準備をしていると、机の前に誰かが立った。
名前は知らなかったが、顔はよく覚えていた。
教室のどこかでいつも笑っているやつだ。
俺とは違っていつも人に囲まれていた、『孤独』とは無縁そうなやつ。
クラスに1人はいる、良い意味で目立つやつ。
――ああ、そうだ。
この俺が、あいつとの出会いを忘れる訳がない。
俺に限った話ではなく、大抵の人間にとって奴との出会いは印象深いものだろう。
――奴という人間は、色鮮やかだ。
繰り返す灰色の日常の中で、奴にだけ『色』が付いている。
「え……?」
「――ほら、みんなもう先に行ってるよ」
「え、いや、ちょっ……」
自分で尋ねる形にしたくせに、そいつは俺に有無を言わせず強引に連行し始めた。
説明も何も無かった。
あれよあれよと言う間に、気付けば廊下に引きずり出されていたのだけ覚えている。
「で、でも、決められた通学路で帰れって……」
「ふーん、それが最初に来るってことは、用事とかは無いんでしょ?」
「え? あ、うん……」
「じゃー良かった。それと大丈夫。あれって先生に見つかっても、結局バレないんだよ。とりあえず固まって歩いてれば同じ班に見えるんだろうね」
ああ、今思えばこの時から簡単にルールを破るやつだった。
人の都合を考えないところも同じだ。
「な、なあ! お前、名前何って言うの……!」
――こいつは覚えておかないとヤバイ。
色々な意味でそう思った。
群れの中心にいるのには理由があるのだと、子供の俺は本能的に悟ったのである。
「ん? ボク? ボクは――」
そいつは俺に振り返って、にっこりと笑ってみせた。
「 ――『 』 」
それが、『 』との出会い。
やけに人懐っこい笑顔をした奴だった。
---
――『 』という人間は、変な奴だった。
やけに育ちが良さそうな口調をしていて人当たりも良いのに、それとは相反してクソガキだった。
イタズラ、ルール破りは当たり前。
いつも何か仕出かしては担任に大目玉を食らっていた。
しかも巻き込まれた仲間が大泣きする中、当の本人だけはピンピンしているのだ。
根本的に大人を舐めていた気がする。
――ただまあ、そんな悪い友人のおかげで、俺にはまた『繋がり』が出来ていた。
こうして30歳超えてもまだ続いているぐらいには、強い繋がりが。
「――あ、そうだ。クラタくんの家ってどこになったの?」
「え。多分『つるたに』ってとこ」
「あー、『鶴谷』かー。リョウゾーくんとユーサクくんってのが同じなんだー。じゃあ5時ぐらいになったら2人と一緒に帰ってね」
「え?」
「5時に出れば暗くなる前に鶴谷に着けるよ。――ほら、あれがボクの家」
「うわー、でっかい家だなぁ」
あいつが指差した家は、2階建てで横に広く、部屋数は6か7ぐらいはあっただろう。
駐車場には車が2台入る車庫があり、それとは別で庭と裏庭まであった。
というか、自分が引っ越した小さなアパートと同じぐらいの大きさがあるように見える。
「えー? そうかなぁ。みんな同じぐらいじゃない?」
言われて周囲を見てみれば、たしかに近所の家はどこもそんな感じだった。
田舎スゲーと思ったのを覚えている。
「あー、でもね、ボクの家は特別なんだ。だってボクの家はおじいちゃんが自分で建てた家なんだよ。ボクのおじいちゃんは大工の『トーリョー』なんだ」
「えー!」
「この辺の家は、全部おじいちゃんが作った家なんだって」
「へえぇぇ! すっげ~!」
幼いあいつは、祖父のことをそう自慢げに語って聞かせた。
どうりで他の家と似ている訳だ。
――連れて行かれたあいつの家は、子供たちのたまり場だった。
最初、中に入ったら10人ぐらい来ていて驚いた記憶がある。
家が近い奴も、遠い奴も、暇な奴は基本的にあいつの家に集まっていたのだった。
今思えば、俺たちにとっては秘密基地の代わりみたいなもんだったのかもしれない。
「じゃー、最初の対戦はボクとクラタくんね」
「えっ」
そんな感じでいきなりコントローラーを渡された。
俺は初めて触ったゲームだったんだが……あいつがあまりに弱くて、勝っちゃったんだよな。
そのまま集まったメンバーでトーナメントを組み、急遽勝ち抜き戦が開かれた。
すぐに帰る時間になってしまったのがやけに印象に残っている。
……この時やった対戦ゲームが原因で、後に格闘技オタクになるとは思っていなかったな。
帰りは先に紹介されていたリョウゾーとユーサクの2人に道を教えてもらいながら帰った。
何も聞かなかったあいつと違って、2人は引っ越す前のことや好き嫌いなど、色々なことを尋ねてきた。
ほんの2時間ぐらいだったが、俺はその間に、友達と言うほどではなくとも『一緒にゲームする奴』ぐらいにはなっていたんだと思う。
都会っ子の俺では話が合わないと思っていたが、ゲームは世界のどこでやっても同じらしかった。
一応、毎日ゲームばかりやっていた訳でもない。
あいつはたまに、思いついたように俺たちを外へ連れ出した。
川にメダカを取りに行くとか言い出したり、今日は山にカブトムシを取りに行くとか言い出したり。
そのせいか、あいつの家はいつも生き物だらけだった。
翌日見たら同じケージの中身が別の生き物に変わっていたことまである。
――野山での遊びは、それこそテレビやゲームの中でしか体験できない筈のイベントだった。
子供なんて単純なもので、その頃には俺はもう『ゲーム仲間』から『みんなの友達』の1人になっていた。
授業が終わり、帰りの挨拶から先はもう俺たちの時間だった。
平日も休日も関係なかった。
みんなで毎日あいつの家に入り浸った。
今思い返しても、あいつらと居た時期ほど遊び呆けた記憶は無い。
偶然というのはあるもので、ここに居たいと願った途端にピタリと親の異動も起きなくなった。
おかげで、『孤独』とは友達になる時間も無かった。
気付けば俺には、再び居場所というものが出来ていたのだ。
……だから、俺はあいつには結構真面目に感謝していたりする。
恩を感じていると言ってもいいだろう。
(――まあだからと言って、それとこれとは話が別な訳だが)
犯罪とあっては完全に自業自得だし、庇うような証言をする気は無かった。
というか事態が大きすぎて、流石にそんな度胸が湧かない。
(というか、俺の助けなんて無くても自力でどうにかしちまうだろうしな……)
あいつはいつだってそうだ。
何事も適当に見えて、実際は誰よりも計算尽くで動く、慎重な男。
だからあれが行動に移ったということは、既に結果が決まっているということなのだ。
そこに規模なんてものは関係ない。
それに――
(――何も言わなかったのには、きっと意味がある)
そう、『俺には思いつかないだけで』。
だから俺は、あいつの思惑通りに知らぬ存ぜぬで通すだけだ。
せめて奴の計画が、狂ってしまわないように。
――なあ、『 』。
俺がこう考えることも、どうせ予想済みなんだろう?
---
――『 』という人間は、凄い奴だった。
集団を管理できることには理由がある。
奴はまわりが1つの事をやる間に、いつも10ぐらいの事をやってのけた。
そして事も無げにこう言うのだ。
暇だ、と。
子供ながらに天才というのはいるもんなんだなと思った。
その他大勢が10の工程をもって1つを成し遂げるのに対し、奴は1の工程でそのまま1の成果を挙げる事ができた。
だから人が1つの事をやる間に、10の事が出来る訳だ。
客観的に見れば、どちらも等しく1の手間でしかない。
だから、あいつは暇なのだろう。
他人から見れば十分過ぎる成果でも、本人から見ればたった1つ用事を片付けただけ。
――『 』という人間は、いつも暇潰しのために生きていた。
そうでなければ、周囲と足並みが揃わないから。
要するに奴は、迷わないのだ。
その過程に、余分な工程が一切無い。
人は普通、迷うものだ。
1つの選択を迫られた時、常に2つ以上ある選択肢にどちらを選ぶか悩んでしまう。
だが、どうにも奴には、それが無いらしい。
奴には選択肢が常に1つしか見えていない。
最善以外の選択肢が、そもそも見えていないのだ。
だから、まるでゴールまでのラインでも引いてあるかのように、迷いなく正解の道を選んでいく。選べて、しまう。
なぜそんな事が出来るのか、尋ねてみたことがある。
そして、またしても奴はこう言うのだ。
さあ、と。
どうやら、天才という物の自分への認識も、そういう物らしい。
心臓が勝手に動いているように。
天才にとって、能力とは『勝手にそこにあるもの』なのだ。
ああ、そうだ。
奴の話ならいくらでも出てくる。
たとえば、初めてやったゲームの時。
――あれは今思えば、俺を色んな奴と遊ばせるために、わざと負けたのではないか。
たとえば、ゲームの合間に連れて行かれた外での遊び。
――あれは今思えば、子供の俺に、遊びを通して田舎の常識を教えようとしたのではないか。
学校の中、みんなの会話の中、たまに混ざれずにいた俺を見て――。
流石に考え過ぎだろうか。
当時8歳の子供に出来る気遣いではないかもしれない。
……だが、奴ならあるいは、と。
子供の中に1人だけ大人が混じっているような、そんな非現実的な説得力がある奴だったから。
――そう。
奴は最高に、『非現実的』な奴だった。
あいつは俺たちと視点が違った。
あいつは俺たちと空気が違った。
周囲の子供たちとは、いつだって隔絶していた。
大人になったら、きっとそさぞかし凄い人物になっているのだろうな。
『 』は、自然と周囲にそう思わせる男だった。