おまけ 勇者様御一行魔神の集落観光ツアー-4
2018.2.16 はい3万字
温泉でさっぱりとした一行は、従業員からレストラン――食堂がある事を聞き、それならばと今度は空腹を満たす事にした。
時刻は既に14時ごろ。1日2食の現地ではちょうど昼飯時である。夕食を抜く代わりに、昼食を少し遅くしてバランスを取るのだ。
不意の戦闘に備えてしっかり3食取っているユンたちからすれば、少し遅い昼食であり、久しぶりのまともな時間での食事でもある。
「こっちで合ってる?」
「くんくん……合ってる合ってる」
この集落の道は碁盤の目のように規則的であり、単純だ。教えられた通りに進み、ユンの超人的な嗅覚で答え合わせすれば、至極簡単にその食堂は見つかった。
――外観は清潔感の演出として白いペンキで塗られており、窓も扉もガラス製。
入り口の上には現地で一般的な棒から吊るタイプの看板ではなく、横に長く大きい、珍しい形の看板が直接打ち付けられている。
白い建物に映えるよう緑で塗られたその看板には、皿と匙の絵が描かれている。こちらは王国で食事処を表す、広く一般的な絵である。
ユンが嗅ぎ取っていたものか、肉を焼いたような香ばしい匂いが外まで届いており、ユンたちの胃袋が本格的に抗議を始めた。食事処というのはどうしてこう美味そうな匂いがするのだろう。
「……た、高そう」
期待の表情を浮かべる一行の中、唯一ユンだけが尻込みした様子を見せた。
現地の基準で評価すれば、見た目はいかにもな高級店である。平民のほとんどが外観だけで立ち寄るのを躊躇するレベルだろう。
だが、それはあくまで現地の常識で考えた場合だ。実際にはあの温泉のこともあって、外観だけで高いか安いか判断する事はできない。
「ああ? 別に高くたっていいじゃねーか。いい加減慣れろよ」
ユンの呟きにジンは呆れたように返した。
ルーチェとエドヴァルドという2人の貴族を抱える一行は、高い店に入ることなど別に珍しくもない。
そもそも王国魔法使い長、最上位傭兵、近衛騎士筆頭という、下手な下級貴族より富豪なメンバーが集まっている。どれだけの高級店に入ろうが、飲食店の支払い程度で困ることは無い。
2年経っても未だに小市民な感覚から抜け出せないでいるユンであった。
「そもそも王都の高級店どころか宮廷料理だって何度も食ってるだろうが。何を今更」
「わ、分かってるけど、怖いものは怖いのっ!」
ユンはぷんすか言いながらやけくそ気味に扉に手をかけた。勢いで行くことにしたらしい。
「す、すいませ――」
途中までの勢いに反し、おずおずと扉を開けると――吊り下げられていた鈴が、小さな声の代わりにチリンチリンと鳴った。
それが呼び鈴なのだろう。厨房か何かに引っ込んでいた給仕が、音を聞きつけてすぐに出てくる。
「はいはーい! いらっしゃいま……わぁ~!」
出てきたのは、子供だった。
くりくりと大きな目に、鼻の頭に健康的なそばかすを浮かべた10歳ちょっとぐらいの可愛い少女だ。
ユンに似た肩口ぐらいまでの赤髪を可愛らしいレースの三角巾で押さえており、制服なのか、中央広場のあの店員が付けていたのと似たような前掛け――こちらは白くてフリル付きだが――をしている。かなり上等な作りの服で、かつデザインにはどこか清潔感がある。
子供が働いているのは現地の価値観的には珍しい事でもないが、このような上等な店で出てくる事は流石に無い。
なんとなく人懐っこそうな雰囲気を持つ少女は、驚いているユンたちを出迎えると同時、その格好に目を輝かせた。
「お姉ちゃんたち、もしかして外から来た人っ!?」
「う、うん。そうだよ。観光に来たんだ」
そういえば自分たちが最初の観光客なんだったか。それ以外は商人が数組来ただけだと言うし、集落の住民以外が客として来るのが珍しいのだろう。
それに騎士や戦士、魔法使いの格好をした自分たちは基本的に子供受けするのだ。勇者の肩書きまで名乗った日には、子供の波で歩けなくなるぐらいである。
「そうなんだ! すっごく良い所でしょ、ここ!」
「うん、そうだね。とっても綺麗な所だと思うよ」
「綺麗なだけじゃなくて、他にもいっぱい良いところがあるんだよっ! 凄いの!」
「そうなんだ~っ」
なにこの可愛い生き物。
年端もいかない女の子と、背伸びした立派なお仕着せのギャップが凶悪な威力を生んでいる。その上愛想まで良く、のびのびとした子供らしい魅力にユンとルーチェは一瞬でメロメロになってしまう。
これこそ看板娘というものに相応しいだろう。狙っているのだとしたら恐ろしい経営手腕である。
「どうでもいいけどさっさと座らせてくんねーか」
「ちょっと、ジン!」
子供相手でも容赦のないジンの言い方にルーチェが目を吊り上げる。
「あっ! そ、そうでした! ごめんなさい!」
「別にいいけどよ。――嬢ちゃん、そんなんじゃあの魔神に叱られちまうかもしれねーぞ? へっへっへ」
ジンは意地悪そうな笑みで少女をからかう。
少女はこれにムッとした表情を浮かべた。
「ハネット様はそんな事で怒ったりしないよっ!」
「――あの人は『まあいいか』しか言わない」
先程少女が出てきた方から、別の声がした。
皿洗いでもしていたのか、そちらから同じ格好の少女が前掛けで手を拭きながら出てきたところだった。
金色の髪をもう少し長く伸ばしているが、こちらの少女も先に出てきた少女と歳は同じぐらいだろう。
登場した同僚に、赤髪の少女は手をブンブン振って自分の興奮を伝える。
「あっ、クロエ! ほらほら、外から来たお客さんだって!」
「――ノルン、案内が先でしょ」
「あっ!」
金髪の少女は赤髪の少女をたしなめる。
こちらはどちらかと言えば落ち着いた性格をしているようだ。
「……私が案内しとくから、水とお手拭き持ってきて」
「分かったー!」
赤髪の少女は金髪の少女の指示に素直に従い、ぴゅ~っと奥に駆けて行った。
付き合いが長いのか、2人の間にはその関係性にすっかり慣れた雰囲気がある。
「お客さん、こっち」
幼ないながらもクールな雰囲気を持つ金髪の少女は、赤髪の少女に代わって5人を席に案内する。……と言っても、ユンたち以外に客はいない。5人で座れる大きめな席に案内しただけだ。
温泉に続いてまたしても貸し切りである。ただし朝か夕方がピークの温泉とは違い、この時間帯はまさに食堂が最も賑わう時間帯の筈なのだが。
「全っ然、人いねーな」
「ジンっ!」
「……別に人気が無い訳じゃない。ここでは1日3食だから、昼の時間がズレてる。みんなもう食べちゃっただけ」
この集落では、ユンたちと同じく……というより、現代ニホンと同じく1日3食が基本なのだ。
そのため昼のラッシュが起こるのは昼過ぎではなく昼ピッタリであり、午後2時ごろとなる現在のこの時間帯は、ちょうど客足が遠のく暇な時間なのであった。
「ふーん、こんな辺境なのに豪勢なことだな」
ユンたちが1日3食で行動しているのは、戦いに従事しており、かつ国の支援を受ける身だからだ。
食事を1食増やすということは、食費と資源の消費が1.5倍になるということ。貴族や金持ちはともかく、平民が同じことをやるのは難しい。
食料が大して貴重でもなく、時間にも困っていないこの集落だからこそ出来る贅沢である。
「……これ、お品書きです」
「お品書き?」
「出せる料理が全部書いてある」
金髪の少女は革の表紙で閉じられた、それ自体が無駄に高級そうなメニュー表を人数分並べた。
現地では文字を読める人間の方が少ないので、普通は何が出せるのか口頭説明しながら注文を取るのだが……ここでは自分で決めろという事らしい。
文字が読めない者には不便だなとエドヴァルドなどは思ったが、メニュー表を開いてみれば、それは杞憂だとすぐに分かった。
「――うわっ! なにこれ!」
好奇心から真っ先に手に取ったユンが、中を見て驚く。
そこには料理ごとに1枚1枚、ちゃんと「写真」が添えられていた。
「これ、絵?」
「す、凄いわね……まるで本物みたいだわ……」
ルーチェは興味深そうにしげしげと眺める。どうすれば再現できるだろうかと観察しているのだろう。
この辺りは個性なのか、その間に一通りパラパラとめくっていたエドヴァルドが疑問を口にした。
「――見たことのない料理が多いな」
地味に世界中の料理を食べている一行だが、写真に載っている料理はスープや炒め物のような単純なものを除いて珍しいものばかりだ。
ただし不味そうなものは1つも無い。むしろ具材は贅沢に盛られ、明らかに塩とハーブ以外の調味料も使われている辺り、かなり上等な部類である。
「……ここの料理は全部、あの人の国の料理」
「魔神の国の料理ってか。おもしれえ」
その辺りで店の奥から慌ただしい足音が聞こえてきた。
赤髪の少女のものかと思ったが、足音は2つ。1人分増えている。
「いいい、いらっしゃいませ! おおお客様!」
今度こそ大人の給仕が出てきた。ガチガチに緊張した様子でお盆を持つのは、ユンと同じぐらい年齢の若い女だ。三角巾の下から2本の三つ編みがちょこんと出ている。
後ろに赤髪の少女もいるところを見るに、外からの客だと聞いて念のため大人が様子を見にきたのだろう。厨房に駆け込むなり一大事のように報告する少女の姿が目に浮かぶようだ。
「おおお、お水とお手拭きをお持ちしましたっ!」
三つ編みの給仕はカタカタとお盆を震わせながら言う。金髪の少女が隣で「大丈夫かこいつ」という具合に眉をひそめていた。
ここまで緊張しているのは自分たちが外からの客だからか、それとも武装しているからか。先の子供たちは普通にしているので、この給仕は単純に接客が苦手なのかもしれない。
それはさておき、その小動物のような給仕の言葉に5人は顔を見合わせる。
「水なんて頼んでないが――」
「あっ! お、お水は無料で、全部のお客さんに出させて貰ってます! おおおかわりもご自由にどうぞっ!」
三つ編みの給仕は水の注がれたコップと丸めた布巾を人数分並べていった。それに追従し、赤髪の少女もおかわり用のピッチャーを机の真ん中に置く。
この集落で水が使い放題だというのは本当らしい。まああの規模の風呂を銅貨1枚で沸かしているのだから、この程度の水ならたしかにタダなのかもしれないが。
「気前のいい話じゃねーか。ちょうど喉も渇いてたところだ」
「へー、氷まで」
氷魔法があるため夏場に氷が存在すること自体は珍しくない。5人の場合はルーチェが作ってくれる事もあるため更に感動が薄い。
ただ、「水屋」の件と同じで、魔法使いに依存した氷の入手は自然を利用したそれより遥かに金がかかるものだ。それを考えれば、このサービスがどれだけ他で真似するのが難しいものかは言うまでもない。これも魔神の集落故という訳だ。
ジンは遠慮なく氷水を1杯あおり、喉を鳴らす。
夏の風呂上がりに冷えた水だ。気だるく火照った体に染み渡るようで、実に美味い。
「こちらは?」
「あっ、そそそれは手を拭いたりとか、色々……えっと、お好きに使って下さい! 何枚でもありますッ!」
「いや、何枚もはいらねーだろ」
丸めた布巾の方は1度蒸してから冷ましてあるらしい。それで手を拭くとさっぱりとして心地良い。
温泉に入ったばかりなので現地の衛生観だとそれほど汚くはないのだが、せっかくなので一応拭いておく一行である。
「……ふむ、手が拭けるのは良いな」
エドヴァルドやルーチェなどは、水よりもこちらのサービスの方が気に入ったようだった。
「えっと、そ、それじゃあ脇に控えてますので、注文が決まったらお呼び下さいっ! ……あああえっと、ごゆっくりどうじょ――!?」
三つ編みの給仕は最後の最後にしっかりとセリフを噛み、逃げるように壁際へ移動した。5歳は年下の赤髪の少女にからかわれて涙目になっている。
もしかしたら普段は厨房に立っていて、接客はしていないのかもしれない。それだとなぜ他の大人ではなく彼女が出てきたのか謎だが。席の数を見た限り、従業員がこの3人だけという事はあるまいに。
「そんじゃ決めるかぁ」
一息つき、5人は再びメニューを開く。
あの魔神の国の料理と聞いては、腰を据えてかからねばなるまい。それぞれがいつもより若干真剣な様子で注文を考える。
「――やっす!?」
内容より先に値段に目をやったらしいジンが叫んだ。
他のメンバーもそれに釣られて目についたメニューの値段を見る。やはりここも見た目に比べて安いのか。
“カレーライス……銅貨1枚”
「安ッ!」
思わずユンたちも2度見してしまった。「銅貨1枚」、またこれだ。
1番高いものでも銅貨2枚ときた。しかも、全てがサラダなどの付け合せを含めた、セットメニューとしての価格である。
「……温泉でも思ったが、採算が取れないのではないかね?」
エドヴァルドが三つ編みの店員に尋ねる。
「あー、えっと……。ここではハネット様がお給金を決めていらっしゃって――」
彼女が語った、この集落の物価が異様なまでに安い理由。それはこうだ。
――そもそもの原因は、この集落の「給料制」というシステムにある。
普通の街では住民が税を納めるが、この集落ではなぜか、領主であるハネットの方が給金という形で「住民に生活資金を援助」する事で生活しているらしい。
それは夢のような話だが、問題はその給金の額にあった。
給金の額は月に銅貨40枚前後。意外にも平民の一般的収入の範疇を出ない。
そのため、この集落の中でだけで見た場合、銅貨1枚以上だと逆に「高い」という現象が起きるのだ。
食料品などは特に顕著で、銅貨1枚以上になってしまうと、もはや住民たちは生活していけない。この食堂の料理が単品ではなく全てセットになっているのも、銅貨1枚でしっかり食べられるようにという配慮なのだとか。
(給金――)
ルーチェはその説明に眉をひそめる。
聞けば給金が支払われる代わり、各店舗の売上は店主ではなく、ハネットに帰属するらしい。要するにどれだけ稼いでも住民の収入は給金のみであり、一律なのだ。
ただ、それは別にハネットが私腹を肥やすため、という訳ではない。そもそも「魔神」からすれば、銅貨や銀貨などどれだけ集まろうがはした金でしかないのだという。実際、儲けがいらないからこそ銅貨1枚という明らかな赤字経営が可能なのだろう。
聞いた限り、ルーチェには住民が「店の従業員」として働いているというより、もっと大きな括りで――「集落の住民」という名の「住み込みの仕事」をさせられている、という感覚の方が近いように感じられた。
――要するに、この集落はハネットが作った「箱庭」なのだ。
住民とは箱庭を「本物の街っぽく見せる」ために雇われ配置されている「駒」に過ぎない。
理由については、「暇だから」と本人がよく言っているらしい。「暇つぶしに理想の街でも作るか」。……大貴族の道楽が極まったような話である。
どうせ資金が有り余っているなら、給金の額の方を上げればいいのにとルーチェは思ったが、ハネットはそれに気付いていないのだろうか?
「今までと違って交易をするから、流石に色々と考え直さないといけないって、準備を進めてる所なんですけど……」
「けど?」
「――あの人が、『めんどくさい』って」
「ああ……」
金髪の少女の補足に、一行は遠い目をした。それでもう大体分かる。
「賢者様やボッツさん……ああえっと、ここで商人をやってる方が、手の空いた時に話し合って下さるんですが……あの、お2人とも、とても忙しい方なので……」
「お師匠さんは暇そうにしてたのにな」
「だから『めんどくさい』なんだろ」
まあとにかく、この集落では上等なサービスが安く受けられるのだ。
部外者である5人にとってはまさにそこだけが重要な部分。値段の心配が無くなった一行は、意気揚々と注文を決めにかかる。
――さて、この食堂のメニューだが、載っている料理の数はそこまで多くない。
ハネットの一存により、「現地人にも明らかにウケる」であろうメニューしか出さない事にしているからだ。
なにしろ、皆言ってしまえば外国人である上に、世界自体がまだ食文化の発展していない時代だ。
ハネットは好みの分かれやすい発酵食品の類いや、繊細さを売りにした和食などを容赦なく除外した。
とにかく万人受けしそうな「分かりやすい味」のものばかりを厳選したのだった。
ユンたちは写真を見ながら、気になった料理の説明文を見ていく。
ちなみにこの料理の説明文は、「現地人でも分かり易いように」とハネットに頼まれ、ニーナが考えたものである。
「――牛? 牛料理を出すのか!」
何かの料理の説明文を読んだらしいジンが驚く。
基本的に現地での牛という動物は、その力の強さを利用して畑を耕したり、運搬に利用するための農耕用の家畜であり、食用ではない。感覚的には馬車を引く馬を食べると言っているようなものだ。
もちろん肉自体が貴重な食材なので、年老いたり怪我で立てなくなったものは最後には潰して食べるが……文字通り死ぬほど労働させられた動物の肉が、美味い筈もない。
牛の肉と言えば、基本的には固くて筋張った上に臭いという下等な肉だ。普通、料理屋で出る肉と言えば豚とか羊とかである。
「牛……流石にひき肉だろ?」
下等な肉の食べ方として筆頭にくるのがひき肉料理だ。どんな不味い肉もミンチにしてしまえば訳が分からなくなってマシになる。
まあ肉が出てくるだけで、屋台や安い食堂では十分なご馳走なのだが。牛を潰す時だって、村では小さなお祭り騒ぎになるぐらいだ。それぐらい肉というのは貴重である。
でもわざわざここで牛なんて頼む奴いるか? せっかく珍しい料理があるのに、という顔をするシャルムンクに、ジンはチッチッチ、と指を振ってみせた。
「馬っ鹿お前、あの魔神が食ってるかもしれねーモンだぞ? 普通のひき肉料理や牛料理な訳があるめえ。他の見ても美味そうなもんしか載ってねーだろうが」
「ふむ……」
ジンの説に興味深げに頷いたのは、シャルムンクではなくエドヴァルドだ。
たしかに、「魔神の国の料理」とわざわざ店員がのたまうぐらいには、その他の料理と違いがあるのだろう。言っていたのが子供なので根拠としては微妙だが。
「『ハンバーグ&サイコロ』ってのだと、ひき肉料理もそのままのも、両方食えるみたいだな」
ジンはすっかり牛料理に挑戦する気になっているらしい。
その様子に、エドヴァルドも1つ頷いた。
「お前が牛を頼むなら、私は魚に挑戦してみるか」
「おっ、いいねぇ」
牛よりも更に怪しいのが、明らかに内陸で、用水路ぐらいしか川もない癖に載っている魚料理である。
遠いどこかの港辺りから運んでいるとしたら、水魔法や氷魔法で限界まで長持ちさせても、絶対に鮮度が落ちている筈だ。流石に食堂の食材集めに、魔神自らが転移の魔法を一々使うとも思えない。
だが、この集落ならもしかしたら……という期待がどこかにある。
(お手並み拝見といこう――)
エドヴァルドは普段落ち着いているが、こう見えて意外とチャレンジャーなところがある。食事の際にこうして攻めた注文をするのは珍しくなかったりする。
●シーフードフライ定食
魚介類にパンくずを纏わせ、高温の油で香ばしく揚げたもの。
「――これにするか」
エドヴァルドは2つだけある魚料理の内、見た目が豪華でボリュームもありそうなフライ定食の方を頼む。
魚料理が2つしかないのは、住民のほとんどが森から出たことのないエルフであり、魚料理より肉料理の方が人気だからである。こちらともう片方の「魚の塩焼き定食」は、漁村出身の元奴隷組ほんの2~3人のためだけに載せられているメニューだった。
ちなみに漁村であっても魚を生で食べる事は無かったそうで、どちらも火を通したメニューである。
「シャルムンクさんは傭兵の癖に冒険しねーの?」
「普段してるのに食事でまでする必要あるのかよ。馬鹿と道楽貴族は勝手にやってろ」
保守派のシャルムンクは無難に豚か羊料理から選ぶ事にする。
ジンの煽りを適当に受け流しながらペラペラとめくるが、どうやらこのメニューには羊料理の方はほとんど載っていないようだ。
必然的にシャルムンクは豚料理を探していく。
●カツドン
厚切りの豚と溶き卵の煮込みを米に乗せた「ドンブリ料理」の1つ。
(米かぁ。腹にしっかり溜まるから、案外パンよりいいんだよな……)
米は大陸南の方に行くと、パンに代わって主食になる穀物だ。
シャルムンクはこれをパンより腹持ちがいいという点で優秀だと評価している。
それに卵と言えば、昔どこかの賢者が発見したという「食べると健康になれる食材」の1つだ。そのせいで需要が高くなり、養鶏技術の進んでいない現地では供給が追いつかず、比較的高級になった食材でもある。豚も厚切りと書いてあるし、これは中々良さそうだ。
最上位傭兵らしく、常にパフォーマンス優先で考えるシャルムンクである。
(ん……?)
ほとんどカツドンに決めかけていたシャルムンクだが、そこで1つ下に書いてあったメニュー名に目が行った。
何やら、「親子」がどうとか書かれていたように見えたのだが……。
●親子ドン
鶏肉と溶き卵の煮込みを米に乗せた「ドンブリ料理」の1つ。
(ははぁ、なるほど)
鶏とその卵を使っているので親子という訳だ。面白いような、ちょっと残酷なような名前である。
(鶏か。鶏っていうのもアリだな)
シャルムンクはせっかくなので、こちらを頼んでみる事に決めた。土産話の良いネタになりそうだ。
「私も無難に麺料理でいいわ……」
男たちが言い合う横で、ルーチェは早々に見慣れたパスタに狙いを定めていた。
パスタは3種類あったが、その中からルーチェは秒速で「カルボナーラ」という黄色いソースのものを選ぶ。というのも、他の2種は写真と説明文からいまいち頼む気になれなかったのだ。
まず最初に載っている「ミートソース」なる赤いソースのパスタだが、使われているのが牛のひき肉にトマトである。
牛のひき肉なんて先ほどの会話に出てきた下等とされる食材と調理法のダブルパンチであるし、次のトマトなどもっとありえない。
(南茄子――たしか南茄子って、毒がある筈じゃ……?)
トマトは帝国の一部山脈に自生する植物で、現地ではその赤い実に毒があるとされていた。
実はこれは旧時代の現実世界でも同様で、時代的に低品質の金属食器を使っている場合、その鉛がトマトの酸で溶け出し、鉛中毒を引き起こす事があるため誤解されていたのだ。
木製食器を使う平民ならばそのような事も無かったのだろうが、遥か南の彼方からわざわざ大金を払って輸入・栽培するような者は大抵の場合貴族か大商人であり、結果は語るまでもない。
とりあえず、これは絶対にない。
ということで続いて「ペペロンチーノ」という2つめのパスタを見てみるが、こちらは見た目が油で和えただけの簡素なパスタにしか見えず、平民はともかく貴族のルーチェからすると微妙である。
ただ、説明文に「エルフ向け」と書かれているのだけは気になるが。辛い味付けのパスタらしいが、エルフは辛いものが好きなのだろうか?
●パスタ・カルボナーラ
卵と乾酪のまろやかな風味に、少量の胡椒を効かせた麺料理。
それに比べてこの「カルボナーラ」は食べ慣れた素材だけで構成されている上、最後の胡椒に至っては、通常敵対国である帝国からしか入手できないという希少なスパイスである。
牛がある一方で、胡椒のような超高級品があるのは謎だ。というか胡椒や卵など高級品が普通に使われているが、このパスタは王都で売ろうとしたら一体いくらになってしまうのだろうか。
とりあえず王国民ならほとんどの人間がこの3種の中からカルボナーラを選ぶだろう。そんな味付けであり、選択である。
最後に残ったユンであるが、ザ・平民感覚のユンからすると、このメニュー表に載っている料理は全てがご馳走と呼ぶべき料理であり、「どれも食べたい」という意味で悩みに悩みまくっていた。
これが高級店ならば一番安いものをサッと頼むのだが、困ったことに全ての料理が平民向けの値段設定なのだ。もしかしたら人生の――といっても勇者になってからの2年間だが――注文で一番悩んでいるかもしれない。
「おいユン、まだかよ」
「うああ、ごめんね、ちょっと待って……」
とりあえず適当なところを1品頼み、あとでお腹が減っていたら追加で何か頼もう。そんな作戦を立て、ユンはぱっと目に付く料理を探した。
メニューを2枚ほどめくったところで、かくしてその写真が目に飛び込んでくる。
見た目的にとても目立つ、黄色い楕円に赤いソースのかかった料理だ。
「おむ……らいす」
説明には、炒めた米料理を焼いた卵で包んだ料理だと書かれている。黄色いのは卵のせいか。
見た目が可愛らしく、ユンは第一印象でこの料理を注文する事に決めた。
ユンはナイフとフォークを使う食事だと稀に皿を壊してしまう事があり、実は無意識下でそういった料理を避ける癖があるのだが、匙だけで食べられそうなこれはその条件にも合致していた。
「は、はい! 決まりましたっ!」
「あーい、ちゅうもーん」
ジンが三つ編みの給仕を呼ぶ。
パタパタと駆け寄った三つ編みの給仕は、ポケットから長方形の板のようなものを取り出した。
板には白色の薄いものが留められている。羊皮紙――にしては、やけに薄い。
「え? これですか? 植物紙? っていうやつらしいです」
「――植物紙!? それ、植物紙なの!?」
「ひぇ!?」
三つ編みの給仕の言葉に、ルーチェが過剰な驚きを示す。
植物紙といえば、この大陸北の国々では高級品である。それを注文を取るために使うというのか。覚えていればいいだけだろうに。
「え? え? で、でも、木があればいくらでも作れるって、ハネット様が言ってましたけど……」
もちろん木があれば作る事は可能だろう。だがそれは、技術と職人が揃っていた場合の話だ。
帝国の方には古くから植物紙を使用していた歴史を持ち、高品質のものを安価に製造できる一部植民地もあるらしいが……羊皮紙の方が発展した大陸北側では、未だ再現するために試行錯誤を続けている段階である。
そもそも、かつての過剰な開拓のせいで木材自体がそこそこ貴重なのだが……。
「というか、君は文字が書けるのか」
棒のようなもので注文を書き取る構えに入っているその姿に、エドヴァルドが素朴な驚きを見せる。
「あ、はい。ここに住んでる人はみんな……。賢者様が教えてくださるので……」
「えーーーーっ!?」
「ふぇぇ!?」
――あの「土の賢者」が、平民1人1人に文字を教えているというのか。
ルーチェはふらりと体を傾かせた。突っ込み所が多すぎて困るが、とりあえず、それは賢者の使い方じゃないと言いたい。もしや弟子であることを良いことに、あの魔神からパシリのように扱き使われているのではないだろうな。……ちなみに、あながち間違っていない。
見れば後ろで赤髪の少女が同じ板を満面の笑みでアピールしている。自分も文字が書けると自慢したいのだろう。
「ここだけ文明度の均衡が崩壊してるな……」
「ああ……」
そんなやり取りがあり、少し遅くなってしまったが……三つ編みの給仕は全員分の注文をしっかりと取り、厨房に帰る前に思い出したように尋ねた。
「あっ……お飲み物はどうされますか?」
「ん?」
水があるので誰も頼まなかったのだが……言われてみれば、普通に飲み物を頼んでもいいのか。
「じゃあせっかくだから、酒でも頼もうかな。いつものでいいよな?」
「ああ。とりあえず、麦酒を1人に葡萄酒を2人で頼む」
エールを飲むのがシャルムンク、ワインを飲むのがエドヴァルドとルーチェだ。基本的にこれは固定なので、仲間内では「いつもの」で通じてしまう。
「あの……麦酒と葡萄酒は少しだけ高いんですけど、いいですか……?」
「高い? どれぐらいかしら」
「1本で銅貨2枚です……」
「あ、うん……。構わないわ……」
それは高いとは言わない。
「おっと、俺はちゃんと何があるのか見てから決めるぜ」
ジンが再びメニューを開き、飲み物のページを探す。
少しして、すぐに「ん?」という疑問の声を上げた。
●コーラ
魔神の果実水。麦酒のように泡の出る果実水。
「――はい、これはもう決まりましたわ。嬢ちゃん。この魔神の果実水とかいう怪しいもん、くれ」
「あっ、は、はい。『こーら』ですね?」
ついでにユンが橙のしぼり汁を頼み、給仕たちは奥へ引っ込んでいった。
ちなみに果汁百パーセントのものがジュース、果汁を水で割り、甘味料などで味付けしたものがエードに分類される。エードで有名なのはレモネードなどである。
「魔神の果実水?」
「麦酒みたいに泡の出る果実水なんだってよ」
「ふーん……。泡が出るって、酒精があるんじゃないのか?」
ジンは非常時に戦闘能力が低下するのを恐れ、基本的に王都の外――というより王宮の外では酒を飲まない事にしている。
「まあ、ここは下手すりゃ王都より安全そうだからな。それならそれだ」
「……それもそうか」
そんなことを言っている間にも、早速少女たちが飲み物を用意して帰ってきた。
透明なガラスの盃に注がれたユンのオレンジジュースも見事なものだが、それよりも驚いたのは、酒がガラス瓶で出てきたことだ。
「なんとも平気で硝子を使うものね……」
「割れるかもとか考えないのかね?」
普通は木樽に入っているものだ。魔神はよほどガラス細工が好きと見える。筋力に優れるこの世界の戦士たちには辛いところだ。
エールの瓶を受け取ったシャルムンクは驚いたような声を上げる。
「うわっ! こいつも冷えてるぞ!」
「あら、ほんと……」
氷水にでも漬けていたのだろうか。握った手にはひんやりと冷気が伝わり、瓶には水滴が生まれ始めていた。
「ハネット様の国では、お酒は冷やして飲むんだって!」
「そうなの……」
とにかくなんでもガラスにして、なんでも冷やして飲むらしい。まあ独特と言えば独特だ。なんとなく文化的背景を感じる。
ユンのジュースグラスとは少しだけ形が違う、丸っこいのに脚だけ長い不思議なグラスにルーチェは自分の分のワインを注いだ。
そのままグラスに口をつけようとし、直前でルーチェは驚いたように目を開いた。同じくその格好で止まっていたエドヴァルドに声をかける。
「エド」
「ああ。……段違いに香り高いな」
自分たちの見知ったワインとは、匂いが違ったのである。
この時点でグラスから立ち上る芳香が遥かに強く、香しい。この辺りは材料のブドウがワイン用に品種改良され続けたことで出た違いだろう。
「うわ、全然味が違う」
「ふむ……酒精も随分強い」
醸造技術が拙く、どちらかと言うとまだブドウジュースに近かったこの時代のワインに比べ、随分と甘みが抑えられスッキリしている。甘くないのは糖分がより効率よく分解されたからであり、当然転化した分だけアルコールが強いという事でもある。
正直完全に別物レベルなので一概にどちらが美味いとは言えないが、それでもこれはこれで新しい酒として確立した楽しみ方ができそうだった。
「おお……こっちも全然違うぞ」
エールを飲んでみたシャルムンクが目をぱちくりさせながら言う。
味の違いの原因は添加されている香味剤にある。現地では複数のハーブを配合したものを香味剤として添加しているのだが、この店のエール――すなわち、ビールに使われている香味剤は世に有名な「ホップ」である。ちなみに完全に「ラガー」なのだが、「エール」と称して出している。
ホップを添加したビールはスッキリした苦味と口当たりが爽やかな事を特徴としており、現地のビールに比べると雑味が少なく、シンプルで分かりやすい味をしている。
ちなみにホップには雑菌の繁殖を抑え、ビールの保存性を高める効果まである。
「粗悪品をマシにする為に冷やすのかと思ったけど……これ、明らかに上等なものよね」
ルーチェの読みはまさに正解だったりするのだが、その辺りはニホンの変な部分である。生憎と酒を飲まないハネットは、「ビールは冷やして飲むもの」というイメージから適当にニホン風に冷やして提供していた。
ただ、単純に今が夏なので、シャルムンクからの評判はそこまで悪くなかった。帝国辺りの一部南国では冷えた飲食物を避ける傾向があるので、水共々ウケが悪いかもしれない。
――さて、問題はジンの前に置かれた、魔神のエードとやらである。
「黒っ!」
茶色というよりもはや黒に近いようなその色に、さすがのジンも警戒を見せる。
説明の通り、ガラス越しに泡が沸き立っているのが分かるが――。
「いや、出すぎだろ」
シャルムンクのエールと見比べても、湧き出る泡の勢いが段違いである。というか表面でパチパチと弾けている。
「【酸弾の魔法】だ……」
「おいやめろや」
ユンがよりにもよって酸で生物を溶かすという凶悪な水魔法に例える。
ジンは眉間に皺を寄せ、普段毒を調べる時にやるように、とりあえず匂いを嗅いでみる。
「―――」
割としっかりとした香りが付いている。若干レモンにも似た爽やかな柑橘系の香りだが、どうやら実際には複数のハーブやスパイスを複雑に調合して作った香りであるようだ。
『雑種』としての技能の1つが、その内の数種類を特定することにさりげなく成功する。少なくともその中には、真っ当な香辛料しか存在していなかった。
(――ふん。まあこの感じだと大丈夫か。持ってきたガキ共も普通にしてやがるし)
ジンのグラスには、ユンのオレンジジュースと同じく葦のわらに似た細長い管が刺さっている。
ジンはそれを使って試しに少しだけ口に含み、味をみてみることにした。
「―――ッ!?」
ストローを通じ口に入った瞬間、麦酒などより遥かに強い炭酸の刺激を感じ、思わず顔をしかめる。
しかし、舌が痛いとたまらず飲み下した瞬間、不自然な位にスッとその不快感が消えていった。
後にはほどよい甘みが残り、先ほど感じた柑橘系の香りが爽やかに鼻に抜ける。
不思議ともうひと口、もうひと口と飲み続けたくなる中毒性がある。コーラは現地においても、いや、現地だからこそ嗜好品として優れていた。
「おわっ、なんじゃこりゃ。案外美味いぞ」
「えー、うそぉ」
「マジだって。最初は口の中でも泡が出るんでびっくりしたが……」
「うーん、そう聞くとちょっと面白そう……」
料理を作りに行ったのか、三つ編みの給仕は再び奥へと引っ込んでいった。
去り際に子供たちにこの場を任せることを迷ったようだったが、ここまでの様子から、ユンたちなら下手な事はしないだろうと信用してくれたらしい。もしかしたらゴーレムに守られている安心感もあるのかもしれない。
「――ねえねえ、お姉ちゃんたちは傭兵さんなのっ?」
ずっとそれが尋ねたかったのか、大人の監視の目が無くなった途端、赤髪の少女が好奇心に目を輝かせ机に迫る。
「え? う、うん、似たようなものかな。魔ぞ――魔物とか、倒してるよ」
「そうなの!? お姉ちゃん女の人なのに、凄いね!」
「あはは……」
この5人の中で――というより、世界の中でもぶっちぎりで強いのがこのお姉ちゃんな訳だが。
勇者の給仕をしていたなどと知れば、あの三つ編みの少女が卒倒してしまいそうなので黙っておくが……かと言ってどう反応すればいいかも分からず、ユンは曖昧に笑うことしかできない。
「貴女の方こそ、どういう経緯でここで働いているの?」
ルーチェが機転を利かせ、自然な流れで話題を変えた。
気になっていたものの、尋ねるのも悪いかと思い、黙っていたのだが……赤髪の少女は、むしろよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに胸を張って説明した。
「私たち、みんなでゼルムスの物乞い通りにいたんだけど、ハネット様が『おうちとお仕事あげる』って言って、拾ってくれたの!」
その「みんな」とやらの1人だと言いたいのか、赤髪の少女は金髪の少女を引っ張ってきながら言った。
引きずられてきた金髪の少女は迷惑そうな顔をしている。
「―――! うそ、ほんとに?」
思わぬ美談にルーチェは目を丸くする。
この平和そうな少女たちが浮浪児だった事も驚きだが、それよりもあの人物がそんな聖人君子のような施しを与えるのが想像できない。
あれで案外、真っ当な光魔法使いのような部分があるのだろうか。
「ほんとだよ! ここにいるのは私たちと、もともと奴隷だった人とかなの。最近は森人族の人の方が多くなっちゃったけど」
「奴隷……」
浮浪者と奴隷が集まる街。
それだけ聞くとまるで流刑地か何かのようだが、その実状は一体どうなっているのか。
「えーっと……ここの人たちはそれをどう思っているの? ハネット様のこととか、どう思う?」
「もちろん、みんなすっっっごく、感謝してるよ! たぶん、出て行った人たちも感謝してるんじゃないかなぁ。森人族の人たちは……まだよく分かんないけど」
「出て行った人?」
「ここに来て最初の日に、ハネット様が故郷に帰りたいっていう奴隷の人たちは魔法で送ってあげたの」
「はぁ――!?」
買った奴隷を即日解放したというのか。
金に困っていないというより、あり過ぎて困っているのではないか。
――うさんくせえ。
浮浪者と奴隷に家と職を与え、引き裂かれた者には叶う筈のなかった再会を果たさせる。
あまりにも行いに現実味というものが無い。理想という言葉は、現実と遠いからこそそう定義されるのだ。
世界規模の組織である教会にすら実現できない在り方を、個人で示そうなど――狂人の戯言だ。
この世界は、おとぎ話の世界ではない。
そんな極善の域に至った人物が、偶然それを実現できるほどの力を持っていた? ――そんな奇跡は、ユンだけで十分だ。
奇跡は2度も3度も起こらないからこそ奇跡なのだ。似たようなのが都合よく2人も存在してたまるか。
「そっかぁ……やっぱり凄いや。戦って救う僕たちとは、別のやり方で人を救ってるんだね……!」
しかし、当の本人であるユンは、赤髪の少女の熱が伝染したように頬を高潮させてしまっていた。
ジンが小さく鼻で笑ったのをルーチェは見る。珍しく意見が合ったようだった。
なるほど、たしかにそれがもし本当に善意の施しなのだとすれば、それは素晴らしい事だ。この集落は人類にとっての理想郷、楽園と言っても良いだろう。
だが――
(――「箱庭」)
もしくは、流刑地。魔神の「おもちゃ箱」とも言えるか。
そこに社会の爪弾き者だけを集めて――一体、「何」をしようというのか。
ユンや子供のような純粋な者ならただ善意の行いだと信じるのかもしれないが、まともな教養を持つ人間なら、普通は一番最初に疑いを抱いてしまう話である。
「ねえ、貴女はどう思ってるの?」
ルーチェはそこでもう1人の子供――金髪の少女の方に声をかける。
この少女にはどちらかと言うと、ハネットという人間に対し否定的な雰囲気がある。
金髪の少女は自分に話を振られると思っていなかったのか、一瞬意外そうな顔をしたが――その顔を、すぐに歪めてみせた。
「――あの人は、みんなが思ってるような人じゃない」
実感が込もった言葉だった。まさか本当に否定的な意見が飛び出すとは思わず、ルーチェは少々面食らう。
「もう、クロエったらまたそんな事言って……」
「また?」
「クロエはハネット様のこと怖いの」
金髪の少女は若干顔色を悪くさせながらぽつりと理由を言う。
「――初めて会った時、殺されかけた」
思わぬ所で仲間に出会った。
彼女も自分たちと同じで、出会い方が最悪だったパターンなのだ。
「あ、あれは私たちが悪いよ!」
「わ、分かってるけど……」
「……? 貴女たち、何かしたの?」
赤髪の少女まで様子が変わったのを見て、ルーチェは聞かずにいられなかった。
「クロエはハネット様とニーナ様のお金を盗ろうとしたの」
うわぁ。
よく生きていたなと5人は思った。「魔神」と「土の賢者」から同時に窃盗しようなど、世界で唯一なのではないか。
金髪の少女はここで初めて子供らしい反応を見せた。赤髪の少女の言葉に拗ねてしまったのだ。
「み、みんなだって私の盗ったお金で生きてきた癖に――!」
「だ、だから『私たち』って言ってるじゃん!」
喧嘩になりそうな2人を、ユンとルーチェが慌ててなだめる。
涙目になってしまった金髪の少女は鼻をすすった。まあこのやり取りを見れば、この子たちが苦労して生きてきた事は容易に想像できる。
――もしかしたら、三つ編みの給仕との自分たちへの反応の違いは、そこに理由があるのかもしれない。あの三つ編みの給仕が過剰に怖がっているのではなく、この子供たちが物怖じしないのだ。
彼女たちにとって、「危険」というものはもっと身近な存在なのかもしれない。
「あー、えーっと、それで、その後はどうなったの?」
ルーチェは話をどんどん進めることで険悪な空気を誤魔化しにかかる。
「ずびっ……あの人に捕まって、それで殺されそうになった。……あれは、本気で私を殺そうとしてた」
金髪の少女はその時のことを思い出したのか、顔を青くさせた。
「――あの目は、今までの怖い大人たちとも違った。私のこと、本当に人間だと――生き物だと、思ってなかった。だって――だって、『面倒臭そう』だった。石ころをどけるみたいに、人を――」
ハネットとの出会いは、彼女の心に相当な打撃を与えたらしい。体が小刻みに震え、冷や汗まで浮かばせていた。
その異様な怖がりように、ルーチェも魔王城での邂逅を思い出す。あの、自分たちに向けられた冷たい目を――。
「で、でも! その後クロエの話を聞いて、やっぱり可哀想だって面倒見てくれることになったんだよね? それでクロエも思い直して私たちに――」
金髪の少女のトラウマを抉るこの話題は彼女たちの中でも割とタブーなのか、赤髪の少女も若干顔色を伺っている。
それでも恩人であるハネットの事を貶める訳にいかなかったのか、赤髪の少女はやんわりとフォローに繋げようとする。
「……行かなかったら殺されるかと思っただけ」
「…………」
気まずい沈黙が訪れる。
赤髪の少女も何も言えなくなったのか、目を泳がせてしまっていた。
「でも……」
しかし、そこで金髪の少女は迷うように顔を上げた。
「でも――少なくとも、あの人が悪いことしてるのは見たことが無い」
あの時悪かったのは自分だし、と金髪の少女は補足する。実際ここでは誰もが良い暮らしをして、幸せそうにしているとも。
「もしかしたら……本当はいい人なのかも。……分かんないけど」
分からない。
結局、それが結論であるように思えた。
自由な人間とは得てしてそうだが、何を考えているのか理解し難いものだ。
――なぜなら、「自由」とは「社会から逸脱している」という意味であり、「普通ではない」という事だからだ。
少なくとも、ハネットという人間が常人に理解不能な場所にいることは間違いない。――良いか悪いかという方向性は置いておいて。
世界はまだ、あれが善人であるのか悪人であるのか、判断できるだけの情報を持たないのだ。というより、やった事だけ見れば、善性の方が遥かに勝っているのが現状である。
だからこの少女も、あの人物を恐れていながら、否定するほどの根拠を持たず半信半疑の様子なのだ。色々と不審な点はあるが、やはり現時点で結論を出せる問題ではなさそうだ。
この集落を見れば、今すぐ何かが起こるという訳でもないだろう。ルーチェはそう思い、とりあえずこの懸念を一旦保留することにした。
……というより、実は金髪の少女にこれ以上領主かつ雇い主の悪口を言わせるのは良くないことだと気付いたのだ。
今更ながら、これは少々危険な話題だった。
彼女たちはあくまでも、この箱庭の楽園に「住まわせて貰っている」立場なのだ。今後はエルフの事だけでなく、その辺りの人間側の事情も考慮した方がいいだろう。
――あの恐ろしい大魔法使いが、どこかで聞いているとも分からないから。
ルーチェはそんな想像に一人、ぶるりと背筋を震わせた。
◆
「――それでね、早く結婚しろってうるさいのよ。もう王都に帰ると手紙がどっさり。私の結婚と世界の危機と、どっちが大切だと思ってるのかしら」
「あはは、ルーチェもこの2年で変わったよね」
「そう?」
一行はしばしの間、酒を片手に歓談していた。身体能力に優れる男たちは平気な顔をしているが、魔法使いのルーチェは普段より酒精の強いワインに少しだけ顔を赤くしていた。
ちなみにユンは未だにジュースしか飲めない。体のおかげで酒に弱いなんて事は全くないが、単純に酒の美味さが理解できないのだ。
料理が完成しつつあるのだろう。少し前から食欲を刺激する良い匂いが客席まで漂ってきている。
ほどなくして三つ編みの給仕を含めた先ほどの3人が、ワゴンで料理を運んできた。
「おまたせいたしましたっ!」
赤髪の少女の元気いっぱいな挨拶と共に、料理が並べられていく。
使う食器は複数用意されたものから好きなものを選んでいいらしい。
「おおー」
一番最初に机に置かれたのは、ジンの料理である。ちなみに実は怖そうな客順に置かれている。
それは焼肉料理ということだったが、木皿の上に鉄板ごと乗せて出すという面白い趣向で提供されていた。黒い鉄板の上では肉がジュウジュウと音を立てており、まさに出来たての臨場感が味わえる。
初めてそれを見る多くの客と同じように、5人は感嘆の声を上げた。音と香りで期待値が無理やり引っ張り上げられるようだ。
ジンは目の前に並べられていく自分のセットに視線を落とす。
鉄板の上には大きな肉団子のような楕円形のひき肉料理と、一口大にカットされた厚切りの肉たちが並べられている。その横には小さな鉄のカップに茶色いソースが注がれていた。
付け合わせとして、スライスしたタマネギとモヤシにコーン、ニンジン、くし切りの芋らしきものなどが綺麗に盛り付けられている。見た目にまで気を遣う辺りは高級店のやり口である。
ジンはユンたちを待つことなど一切なく、早速といった様子で料理と一緒に置かれた籠からフォークだけ取り、厚切り肉のひと切れ目に突き刺した。
「さーて、見た目は相当美味そうだが――」
思わず忘れてしまいそうになるが、これは牛の肉である。
ふりかけられている黒い粒は、粗く挽いた胡椒だろうか。ひき肉料理の方にはかかっていないので、ソースはそちらに使うのかもしれない。
ジンは鉄板に染み出した熱々の脂をぐいっと再び肉で絡め取り、恐れることなく口に持っていった。
「―――!」
噛んだ瞬間、赤身が切れていくムチムチとした食感が口の中に返ってくる。
固いなんて事は全くない。それどころか弾力と柔らかさの中間にある、ほどよい食感だ。
しかもどういう訳か、この肉からは他の家畜にある獣独特の臭みまで感じられないようだった。おかげで口に入った瞬間から受ける印象が全く違う。
これはただひたすらに肉の良い部分だけを与えてくれる、新しい別の食べ物だ。
(おいおい、マジで美味ぇじゃねーか!)
噛む度に肉本来の味が溢れ出す。見た目では分からなかったが塩も振ってあるらしく、それが牛の味を更に際立たせている。時折仄かに胡椒が香るのも最高だ。
ジンはふた切れ目を追加で口に突っ込みつつ、同時にもう片方の手をパンに伸ばした。
ニホンによくある丸く柔らかいロール系のパンではなく、フランスパンに寄せて作った、長く固めのパンである。それが4分の1ずつぐらいにカットされ、バスケットに入れて提供されていた。
実はニホンのパンというのは独自の進化を遂げており、その他の国々に比べて非常に柔らかいことで知られる。まるでケーキのようだというのはよくある感想だ。
しかし、それは何も良い意味とは限らない。パンを伝統的主食としている文化圏から見れば、逆に柔らかすぎるという点で不満が出る事も多いのだ。ニホン人にも分かり易く言えば、「白米が食べたい」と言っておかゆが出てくるようなものだろう。
この王国などはまさにそのパン食の文化圏であり、このレストランで出されるパンも「主食」としてのパフォーマンスを重視している。
――すなわち、炭水化物を噛み締める充足感と、満たされる満足感である。
ジンは口の中で肉の味を楽しみながら、蓋をするように豪快にパンに齧りつく。むしりと噛み千切り、肉と一緒にもさもさと貪るのが男の食事というものだ。睨んでくるエドヴァルドなど知らん。
(うほぉ~、こりゃこっちもかなり上等なやつだぞ)
重力で曲がるようなニホンのパンに比べれば固いというだけで、現地の基準から見るとこのパンも十分に柔らかい部類に入る。王宮で出てくるパンと同じぐらいの品質があるだろう。
(てことはひき肉も味を誤魔化すためじゃなく、単純にそういう料理って訳だ)
先ほどの冷えたエールと同じなのだろう。文化の違いという訳だ。
ジンはパンを片手にもっきゅもっきゅと口を動かしながら、肉団子の方にフォークを動かす。
楕円の肉を割ってみようとフォークを突き刺すと、そこから湧き出るように肉汁が溢れてきた。
「もごご……!(おお……!)」
ジンは咀嚼スピードを倍ほどに早めながら、フォークで器用に肉を断ち割る。中までしっかり火が通り灰色になった断面から、滲み出るようにして肉汁が広がった。鉄板がジュワっと音を立てる。
ごくりと口の中のものを飲み込むと同時、ソースをかけるのも忘れてすぐにそれを投入する。
「んんん……!」
先ほどより更に柔らかい食感で、なおかつホロリと崩れるようだ。奥歯の方で噛み締めれば、熱々の肉汁から濃厚な肉の旨味が溢れ出す。
なるほど、これは「下等な肉料理」ではなく、「ひき肉料理」と改めて呼ぶべき一品だ。
どちらかと言えば、噛み締める度に一緒に崩れていくこちらの方が、パンと食べるには合っているかもしれない。ならば――。
ジンは楕円からフォークでもう2割ほど削り取り、それに忘れていたソースをひと匙分ほどかける。
――そして、それを今度は付け合せの野菜たちと共に、千切ったパンに乗せて食べてみる事にした。期せずしてハンバーガーに近いものを作り出したジンである。
「んふっ……ほっほ!」
この選択は大正解だ。
パンに染み込む肉汁とソースの塩気。そこに油でサッと絡めるように炒められた玉ネギとモヤシが、シャキシャキとした食感を与えていた。
ついでに乗り切らなかった芋を追うように後から放り込めば、ホクホクとした熱さと癖の無いコクが口いっぱいに広がる。はて、食べ慣れない味だが、これは何の芋だろうか。
まあそれは置いておいて、とにかくジンの中にあった「最強のサンドイッチ」が更新された瞬間である。
最初のひと口以降、それはまさに「かき込む」という表現が相応しい食べっぷりだった。何しろ、まだ他のメンバーの料理は並びきってもいないのだ。
水分を欲したジンは、ここでコーラを流し込んだ。
その瞬間、口の中で肉の油分が洗い流され、目の覚めるような爽快感が脳をパチパチと刺激した。
まるで肉のしつこさが、このひと口でリセットされてしまったかのようだ。
「っかぁ~……!」
なんだ、この染み込むような清涼感は。
ジンは酒精の強い酒を飲んだ時のように、思わず喉を鳴らした。
肉とパンを貪り、喉の渇いた所にこれを流し込む。これはまさに無敵の組み合わせだった。
「美味いのか……」
ジンは料理を次々突っ込みながら、首だけでコクコクと頷いた。
ユンとの出会いによって価値観が寛容になったエドヴァルドである。庶民の食べるものだからと馬鹿にするようなことは無かった。ジンのこの様子だと、本当に美味いのだろう。
これは魚の方にも期待が高まる。エドヴァルドはフォークとナイフを手に取り、自分の料理に向き直った。
中央に置かれた白い皿に乗っているのがメインの魚介料理とやらだろう。こんがりとした狐色の塊から、赤い尻尾が飛び出している。
盛り付け自体は華やかで、その点は貴族の好みに合うものだが……この料理単体で見ると、オガくずをまぶしたようでもある。説明文にパンくずと書かれていたので、それを気にするような事は無いが。
この狐色の料理は形や大きさからするに、中身は3種類に分かれているらしい。
真ん中にそびえる長い物は、赤い尻尾が出ているのでエビだろう。その両脇には四角い物が1つと、小さな楕円形の物が2つ。エビの物には白いソースが、2つある物にはくし切りの黄色い柑橘類が添えられている。
柑橘類はデザートだろうかと見ていると、三つ編みの給仕がその視線に気付いて説明した。
「あっ、この黄色い実は汁を絞ってかけて下さい」
「そうか。承知した」
意外と細かいところに気がつく給仕である。……やはり適当に見えて、実は真面目に考えられた人事なのだろうか。
メイン料理の後ろには千切りにしたキャベツが山盛りにされ、練ったような白い何かに赤や黄色の野菜が混ぜられたもの、そして緑のヘタが付いた2つの小さな赤い実も付いていた。
エドヴァルドは最後の赤い実に目をやり眉を寄せると、先ほどのジンと同じく三つ編みの給仕に声をかけた。
「すまない。これは……もしかして、南茄子ではないか?」
「え? は、はい。も、もしかして、南茄子はお嫌いでしたか?」
「いや、嫌いというか……南茄子には、毒があるだろう」
「え?」
「ん?」
エドヴァルドの言葉に、三つ編みの給仕は目を丸くした。
「南茄子に毒……ですか?」
「うむ……そう言われているのだが……」
「え? えぇ!? そ、そうなんですか? でも、ハネット様はそんなこと1度も――」
繰り返しになるが、トマトに毒があると思われているのは、鉛を含む金属食器を使っているからだ。
しかし、この集落で使用されている食器はハネットが作った合成素材の軽量耐熱皿か、エルフの作った木製食器だけである。トマトで具合を悪くしたなどという話はこの数ヶ月で1度も聞いたことが無い。
「すまないが、下げてく――」
「あっ、待って、エド!」
トマトを片付けさせようとしたエドヴァルドを、横からルーチェが止めた。
ちなみに一連の会話で配膳も止まっており、ジンの食いっぷりから既にスプーンを持って待機していたユンが恨めしそうな視線を送っている。
「どうした?」
「食べなくてもいいから、そのままにしておいて」
「なに……?」
奇怪なことを言い出したルーチェだが、その表情は真剣そのものだ。
「今のその子の反応で気付いたんだけど――これ、もしかしたら食べられる品種なんじゃない?」
「―――!」
なるほど、その可能性はある。何しろここは転移の魔法を使いこなす、あの魔神の集落だ。未だ世界に知られていないようなものがあっても不思議ではない。
もしもこれが、帝国もまだ知らぬ毒を持たない品種のトマトであった場合――王国内で増やし、独占する事が出来れば途轍もない利益である。
……まあ、実際にはそもそもトマトに毒は無いのだが。
「え、えーっと、そ、そうなのかな……? と、とりあえず、私たちは食べてお腹を壊した事はありませんけど……」
「……そうか。それならいいんだ。すまなかったね」
「ええ、気にしないでちょうだいね」
「は、はぁ」
王国に仕える2人は朗らかにすら見える態度で頭を下げた。思いきり持って帰るつもりである。
さて、とエドヴァルドは気を取り直し、ナイフとフォークを握り直した。
貴族らしく作法に則り、左から順に手を付けていくことにする。一番左にあるのは四角い揚げ物だ。エドヴァルドは静かにフォークを刺し、4分の1ほどの場所にナイフを通した。揚げた衣のサクサクという感触が返ってくる。
(む……これは、鮭か)
断面から覗いたのは、綺麗なピンク色をした魚の切り身だ。出てきたのがよく見知った魚で僅かに安堵する。
エドヴァルドは控えめな大きさに切ったそれを、優雅に口へと運んだ。
「――ふむ」
皮がサクッと潰れ、その中で鮭の身がホクホクと崩れていく。
なるほど、2つの食感が両者を引き立て合う、素晴らしい調理法だ。この料理は単純に美味い。
一見菓子作りに用いそうな調理法だが、パンくずも侮れないものである。
(それに鮭も新鮮なようだ。下手をすれば我が家で用意できるものより上かもしれんな……)
西の港から王都まで魚を運ぶと、どうしても質が落ちてしまう。しかしこの鮭の身は、じゅわりと脂が溢れるぐらいに良質だ。
これはもしや、本当に転移の魔法でも使っているのだろうか。……あの人物だと、そこまで否定できないのが怖いところである。
(この玉菜がちょうどいいな)
何気なく食べたキャベツの美味さに感動する。
フライの油っ気に、ドレッシングでさっぱり味付けされた千切りキャベツが最高に合うのだ。衣のサクサク、ザクザクした食感から瑞々しいシャキシャキした食感に変わる様も、どこか心地よい変化だ。
というかドレッシングがやたらと美味い。現地では野菜に酢や塩を振るのが一般的だが、このサラダには贅沢にも複数の調味料が使われているようだ。このサラダ単体でもフォークが止まらぬ逸品である。
もちろんそんな無作法はしないが、エドヴァルドはこの名わき役たるサラダを心の中で評価した。
「さて……」
サーモンのフライをサラダとパンで楽しんだエドヴァルドは、一番目立っていたエビのフライへと移る。
先端を輪切りにすると、肉厚の身がぴっちりと中を埋めていた。結構な太さがあるが、衣でかさ増ししていた訳ではないようだ。
中腹にかけられていた白いソースをナイフで綺麗にひと塗りし、手慣れた所作で口に持っていく。
「むっ――!」
美味い。これには思わず声が漏れてしまった。
さっくりとした衣の下からプリプリの剥き身が踊り出し、噛み締めるごとに香りと旨味が広がっていく。
そしてそれを引き締める、この白いソース。
食欲を駆り立てるハーブの香りと刻んだ漬物か何かの食感。非常に濃厚でメインのフライにも当たり負けせず、むしろ酸味が良いアクセントとなっていた。
これこそ「魔神のソース」とか名付けて広めれば流行しそうだ。色も白いし。
(はて、白いと言えば、こちらの方もだが――)
エドヴァルドはキャベツの千切りと共に皿に添えられている、白い塊に目をやった。
こちらはソースと言うより、一見すると何かの粉を水で練ったような料理に見えるが――。
(混ぜられているのは薄切りの人参と、まだ青い瓜に――黄色いのは、南黍の実だな)
トウモロコシもトマトと同じく、帝国の作物である。
具材と配置から考えるに、これもサラダの一種という事だろうか。
まあ不味いということはあるまい。知らず知らずの内にそんな信頼をこの店に抱いてしまっているエドヴァルドは、その塊をフォークで掬った。ねっとりというより、しっとりした感触がする。
(……? これは―――まさか、南芋か……!?)
口に入れ、その正体に気付いたエドヴァルドは驚いた。これもまた帝国領で採れる芋である。
だがエドヴァルドが驚いたのは、遠い異国の食材ばかりが使われているからではない。
――ジャガイモは、帝国において輸出に厳重な禁止令が出されている作物なのだ。
理由はジャガイモの並外れた「生産性の良さ」にある。
ジャガイモは痩せた土地や寒冷地でも平気で育つという異様な生命力を持ち、その上収量まで多いという非常に優れた作物である。
そして何よりも、米や小麦と違い、地中に埋まっているため戦争で畑が荒らされても収穫が可能なのである。
年中侵略戦争に明け暮れている帝国には、まさに最適の主食となりうるのだ。
この数多くの利点は逆に言えば、敵に渡った場合に同じだけの利益を与えてしまうという意味でもある。そのため、何よりもこの王国にだけは絶対に渡らないよう目を光らせている作物なのである。
――そんな作物が、この店ではポテトサラダになって出てきていた。
(食べられる南茄子どころの話ではなくなってきたぞ……)
ジャガイモこそ本当に毒を持つ植物であるが、その強靭性に目を付けた女帝の政策により徹底的な研究が行われ、極力日光に当てず、芽と緑色になった皮さえ除けば食べられる事がここ数年で判明していた。
食器の方に問題があるトマトについては流石に難航しているらしい。それか、ジャガイモに比べて躍起になって研究するほどの魅力がトマトには無かったのかもしれない。
ちなみにこの集落で暮らす住人は全員が王国民――王国領で暮らすという意味ではエルフも同じ――であり、帝国の植物であるトマト、ジャガイモ、そしてトウモロコシなどは存在自体をここに移住してから初めて知った作物である。
ジャガイモに毒があるという話はハネットから何かの拍子に聞いていたが、トマトに毒があるなどという話は聞いたことすらない訳だ。
(これがどれだけ危険なものかは……知らないのだろうな。この娘たちは)
エドヴァルドはこれを隠すこともなく平気で提供してきた事実に、改めてこの集落が異常な環境にある事を理解した。
自分たちよりも先に来たという商人たちは、一体どれだけの利益を得たことやら。……まあ、今頃あの有能なる国王に首を締め上げられている可能性も高いが。
(一応帰ったら報告だけしておくか――)
騎士らしい真面目なところを持つエドヴァルドである。休みにきた先で仕事を増やしている。
(まあそれはともかく、最後はこいつだな)
エドヴァルドはいよいよ最後、2つ並んだ楕円形のフライに手をつける事にする。
(たしか汁を絞るのだったか――)
三つ編みの給仕に説明された通り、黄色い柑橘類を指で搾って果汁をかける。
最初に渡されていたおしぼりがこういう所で役に立つ。指についた汁を舐めるような無作法はジンのやることだ。
結局、2年注意してもこいつに食事の作法は身に付かなかったな、とエドヴァルドは僅かに笑った。
楕円のフライを割ってみると、どうやらそれは剥き身の貝か何かであるようだった。このサイズからするに、カキだろう。
断面からカキの透明な汁が零れるのを見て、エドヴァルドは内心慌ててフォークを動かす。これを皿にくれてやるのは少々もったいない。
旨味たっぷりのカキに歯を立てれば、プリッとした感触と共に貝のエキスが溢れ出す。このジューシーさはエビとサーモンという先の2つには無いものだ。
2度、3度と噛みしめれば、身のクリーミーさがどんどん前面に出てくるようだ。そこにレモンの爽やかな酸味と香りがプラスされ、先ほどの白いソースとはまた違った美味さだった。
「――ふ」
エドヴァルドは満足そうに笑みを零した。宮廷作法が身に染みついた彼にとっては、最大の賛辞と同等の反応である。
「――これが『ドンブリ料理』ってやつか」
シャルムンクの前に用意された親子丼とやらには、なぜか蓋がされていた。
陶器にも似た質感の白い丼には水色で縞模様が描かれており、まあ見た目はたしかに綺麗である。どちらかと言えばエドヴァルドやルーチェの方が喜びそうだが。
「ふーん……」
大した感慨もないシャルムンクは、とりあえず丼の蓋をパカッと取った。
すると中に閉じ込められていた湯気が蠱惑的に立ち昇り、芳醇な出汁の香りがシャルムンクの鼻腔と胃袋を同時に刺激した。
「おお……っ!」
まるで隠されていた財宝のように、金色の料理が姿を現す。
黄色と白の、とろけるような卵の海。その中にはひと口大に切られた鶏肉がゴロゴロと転がっており、真ん中には黄金色と相反するような緑の三つ葉が綺麗に飾りつけられていた。
蓋を開けた瞬間から、シャルムンクはこの料理に釘付けになる。和食のほとんどを切り捨てた癖に、この辺りの演出力だけちゃっかり使うハネットである。
(卵が若干生っぽいけど……でも、凄く美味そうだ。特にこの匂いが――)
卵を生で食べるのはニホン人ぐらいのものである。
この店では生卵を忌避する現地人たちの心情を慮り、少し強めに火を入れている。これがなかったらシャルムンクは食べるのを断念していたかもしれない。
立ち上る出汁の香りにすっかり食欲を刺激されたシャルムンクは、待ちきれないようにスプーンを取った。
シャルムンクと同じく、この集落の住民たちも丼料理はスプーンで食べる。というより、箸を使っているのはハネットだけだ。唯一箸の利便性に目をつけたニーナが少し練習しているぐらいである。
ちなみにシャルムンクが最初に頼もうとしていたカツ丼だが、カツ丼というものは歴としたニホン料理で、「挟む」ができる箸で食べないと、カツが大きすぎて口に運び辛かったりする。
そのためこの店で出しているカツ丼のカツは縦だけでなく、真ん中辺りで横にも1回切ってある。スプーンで運んだ時にちょうど一口サイズになるのだ。
金色の海にスプーンを突き入れ持ち上げてみれば、下には白い米の層が隠れていた。この卵も、言ってみれば蓋のようなものなのかもしれない。
和食とは結局のところ「いかに米を食べるか」であり、それが全てだ。あくまで料理のメインは米であり、基本的にそれ以外は米を食うための「おかず」なのである。
(こういうのを異国情緒って言うのかな)
なんとなく文化の違いを感じる料理だ。やはりあの魔神は見た目通り、帝国に近い場所を故郷としているのだろうか。
(ま、大丈夫かな。最悪ルーチェに治してもらおう)
シャルムンクは卵に少々気後れしながら、この帝国風の料理を思い切って口に入れた。
そして直後に、全てを許してしまったように頬を緩める。
若鶏を使っているのか、鶏肉は肉厚でぷりっとしている。煮込まれた玉ネギは甘くなり、そこに塩気と風味を付加された卵が濃厚にとろけ、米を包んだ。
(――美味い!)
鶏肉から溢れた肉汁とつゆが、熱々の米に染み込む。卵がふんわりと、そしてねっとりとそれを口の中で覆っていく。
シャルムンクは丼を左手で持ち上げ、2杯目、3杯目とスプーンを口へ持っていく。
「――うん。うん」
これはいい。美味いのはもちろん、この料理はまさに「飯を食っている」という感じがする。
何より宮廷料理のように肩肘張っていない辺りが気に入った。主食に料理を乗せて完成というこの料理は、どこか庶民的だ。そしてそれを堂々と出してくるこの店の気取らない雰囲気も良い。
米を掻き込む喜びを知ってしまったシャルムンクだった。
「――こちら、『かるぼなーら』! です!」
「ふふ、ありがとう」
ルーチェの前にも大きめの白い皿が置かれる。注文していたパスタだ。
見慣れた幅広の麺は若干黄色が強く出ており、粘性の高そうなクリーム色のソースが絡められている。胡椒の黒色が際立ち、炭を散りばめたようだ。
ついでに、メニューの説明には書かれていなかったが、厚切りのベーコンを細く切ったものがサプライズのように存在していた。その程度は貴族のルーチェには大した出来事ではないが――
「良い香り……」
湯気と共に、ルーチェの知っている「パスタ」が放つとは思えぬ、強い香りが漂ってくる。とても芳しく、しかし刺激的ではない、まろやかな優しい香りだ。
ルーチェはスプーンとフォークで軽くパスタを混ぜ、黒胡椒を全体にまんべんなく行き渡らせた。そして慣れたようにクルクルとフォークを回し、麺を絡ませる。その上品な所作からは、伯爵令嬢としての気品が滲み出ている。
「―――!」
口にして最初に感じるのは、こってりとした乳製品の旨味だ。
卵と生クリームの優しいまろやかさとチーズの濃厚な風味がパスタに絡み、ベーコンから滲み出す塩っ気がその旨味を際立たせている。
パスタは普段食べているものよりもコシがあり、まるで別物のようにモチモチとしていた。これは使われている小麦の品種と、生地に卵を練りこんでいるかどうかの違いである。
最後に胡椒のピリッとした刺激がどこか爽やかに一口をまとめた。
思わず「やられた」という感想が出てきて笑顔になる。
(こんなの、美味しくない訳がないじゃない)
あらゆる美味とされる食材を合体させたような料理だが、その上で過剰にならない程度――無理のない数で種類が抑えられているのが良い。
しっかりと研究し、最低限の要るものだけが厳選されているということなのだろう。あと一つでも何か食材を加えてしまうと、蛇足になりそうな感がある。
豪華なように見えて、実際にはシンプルかつどこか上品な一皿なのだ。
ほら、無難に選んだって、ちゃんと美味しいものとは出会えるのよ。
ルーチェは男たちを尻目に、至極平和に美味なる料理に舌鼓を打った。
「――お、お待たせしましたっ。『おむらいす』です……!」
「わーい!」
三つ編みの給仕が一番最後に、ユンの前にその料理を置いた。
最後だったのは前述の通り、「怖そうな順」に置かれているからである。言い方を悪くすれば、ユンが一番舐められているという意味である。もちろん本人は見ての通り気付いていない。
ちなみに誰も食事前に挨拶や祈りを捧げていないが、それは神光教に「食事の祈り」というものが無いからである。
神光教で祈りを捧げるのは、食事の時ではなく、治療の時だ。
ユンは待ってましたとばかりに持っていたスプーンを構えた。
そして、止まる。
(――きっ、綺麗すぎて、崩すのが勿体ない……!)
綺麗なレモン色をした生地は見事な楕円を形成しており、その上には赤いソースで可愛らしいギザギザ模様が描かれていた。
昔ながらのシンプルなオムライスだが、同時に飾り気が無い分、見た目に明確に調理者の腕が出る。
現時点では売り物にできるクオリティのものが、ハネットとこの食堂の「店長」にしか作れないという一品だ。
「どっ……どうしました……?」
オムライスを前に急に止まってしまったユンを見て、三つ編みの「給仕」は恐る恐る尋ねた。喉がごくりと鳴っている。
「あっ、いや! な、なんでもないです! ただ、綺麗だから食べるのが勿体なくて……。えへへ……」
「えっ……。あ、えっと、あの、ありがとうございます……。えへへ……」
謎の共鳴を見せる村娘コンビだった。
このままこうしている訳にもいかない。何よりも、ジンたちの食いっぷりを見て、すっかりお腹が減ってしまっているのだ。ユンはオムライスに向き直り、スプーンを構え直した。
オムライスは米料理にジャンル分けされたため、スープとサラダだけでパンはついてこない。白い皿の上にはオムライスと、添えられたパセリだけが乗っている。
(木が生えてる……!)
よく考えるとパセリというものは小ぢんまりとしているのに、皿の上にあるとどうしてそんな印象になるのだろう。
まあ実際、こうしてオムライスの横に添えられていると、黄色い山に生えた木のように見えなくもない。
この綺麗な仕上がりに、最初のひと匙を入れる。それは注文した自分にだけ与えられた、特別な作業だ。
そう考え直したユンは、スプーンで黄色い皮にそっと触れる。力を入れれば、そのままふわりと先端が通った。
「わぁ……」
中からは、綺麗なオレンジに色付いた米が出てきた。
炒めてあるという事だが、具には緑色の豆や刻んだ玉ネギ、それに同じく小さく刻んだ何かの肉も入っているようだ。
ユンは先ほどの葛藤も忘れ、逸る気持ちのままにそれを口へと運んだ。
「ん~~~っ……!」
しばし味を確かめるように口を動かしていたユンは、まるで花が咲くように笑みの色を強くしていく。
食べてみると、卵はそこまで存在感がない。というより、あの赤いソースの甘酸っぱさが何よりも最初に来る。
どこかしょっぱいようでもあるそのソースは風味豊かで、しかし無駄に後を引いたりしない。濃厚かと思いきや、いつの間にかさっぱりとした後味に変化している。
中の米料理は美しい見た目とは裏腹に、意外と味付けがしっかりしており、炒めた玉ネギが全体的な味を柔らかくまとめていた。
スライスされたキノコが香りとクニュクニュとした独特の食感をプラスし、濃い味の中で緑の豆が適度に素朴さを醸し出してくれる。
この中身単体で、一つの料理のような完成度がある。
「お――美味しい! これ、とっても美味しいよっ!」
ユンの素直な感想に、三つ編みの給仕はやっと安心したような表情を浮かべた。
ユンは機嫌良さげにオムライスを食べる。今にも小踊りしそうなぐらいだ。
ちなみに先程まで毒があるとか言っていたトマトを大量に使った料理である。
「――う~ん! ふふふっ」
見ているこっちが「ごちそうさま」と言ってしまいそうな笑顔だ。こういう時のユンは実際の年齢より更に下に見える。
そんなユンの様子に、三つ編みの給仕は微笑ましいものを見るように目を細めた。人間としての魅力に溢れるユンは、同性でもどこか惹かれる部分がある。
5人がここの食事を楽しむ姿を、店側の3人は静かに眺めていた。実に料理人冥利に尽きる光景である。
「あー、美味しかった!」
オムライスのセットを完食したユンは、机の端に退けていたメニューをもう一度開いた。
大食いの男たちは量が足りなかったのか、既におかわりを注文している。ユンは先ほどのオムライスで満足していたが、なんとなく暇だったのでもう少し見物しておこうと思っただけだ。それとも、飲み物の1杯ぐらい頼んでおこうか。
「――ねえ、見て見て、ユン」
隣で同じくメニューを眺めていたルーチェが、後ろの方のページを開いてユンに見せてくる。
そこには、「甘味」と書かれていた。
~甘味~
食後に一息つきたいあなたへ。
「甘い物!」
「ふふふ」
素晴らしい提案だった。既にすっかり乗り気のユンは、ルーチェと肩を並べてそのページを物色する。
デザートの載ったこのページには、なぜか写真が付いていないものがいくつかあった。
その中の1つが、これだ。
●ソフトクリーム
雲。急いで食べないと溶けて雨になる。
「………………雲?」
「え……これ本当? 本当に雲なの? あのモクモクの?」
「まさか……。でも……」
魔神の国では雲を食べるのか。
2人はいつも翼竜の背中から間近に見上げる雲を思い浮かべるが――あれを食べる光景など、想像もつかない。
「雨になっちゃうんだって……!」
「面白そうね」
2人は興味から、この「雲」とやらを頼んでみる事にした。
「ふふ、とっても美味しいですよ」
注文を取った時に三つ編みの給仕がそう悪戯っぽく笑ったのが気になる。
もしかしたら写真を付けていないのはわざとだろうか。何か意図的なものを感じる。
雲とやらは用意するのに時間を必要としないのか、注文からすぐに金髪の少女がそれを持ってくる。
「――『そふとくりーむ』です」
少女の両手に1つずつ持たれたそれは、まさしく空に浮かぶ雲のような純白色をしていた。
美しいガラスの容器に乗せられており、形は巻き貝のように捻れている。垂れるようにぐにゃりと曲がった頂点が、その柔らかさを表していた。
「雲だー!」
たしかに雲としか言いようのない見た目である。
ルーチェはともかく、この時点でユンは本当に雲だと信じてしまっている。
「お姉ちゃん、早く食べないと溶けちゃうんだよっ!」
赤髪の少女がいつまでも雲を眺めているユンたちを見て、教えてくれる。言われてみれば、既に外側から溶け始めているようだった。
ユンたちは籠から新しいスプーンを取り、いそいそと先端を掬った。抵抗を感じないぐらい、柔らかい。
「~~~~~っ!? ――うまーい!」
ひと口食べるなり、ユンは感動に目を輝かせた。
白い塊は氷のように冷たく、舌の上で体温に触れると、本当に雨になってしまったように溶けていった。
それはこれまでに食べたどんな物よりもまろやかで、とろけるように甘い。そして何よりも乳の優しい味わいがした。
「ふわぁぁぁ、なにこれ、なにこれ!」
「信じられない……まさに神の国の食べ物だわ……」
ルーチェもうっとりと頬に手を当てて呟く。
どの時代でも女の子というのは同じなのか、これには先ほどまでの料理すら霞むような喜びようであった。
「そんなに美味ぇのか? 俺にもくれよ」
「あっ――!?」
ジンが無駄に高い敏捷力とスリの技を活かし、ユンのソフトクリームを横から掠め取った。しかも、フォークに乗せられる限界レベルにたっぷりと。
もしも聖剣に選ばれたのがジンだったら、ユンの中に一瞬殺意すら湧き上がったのが分かっただろう。
「うおっ……!? たしかに、こりゃ美味ぇ!」
「ちょっと! 食べたいなら自分で新しく頼んでよ!」
「わーるかったってー。へっへっ」
「ぐぬぬぬ……!」
ユンは悔しさに拳を握りしめた。ゴーレムに見張られていなければ殴っている場面だ。
それを見てルーチェはジンから守るようにしてソフトクリームを隠し、エドヴァルドは呆れた表情でため息をつく。
それは昼下がりの、とても平和な一幕だった。
◆
「―――あー美味かった。俺、ここに住もうかなぁ……」
膨れた腹を満足そうに上から撫でながら、ジンは呟くように言った。
「そういえば、ジンも解放されるんだもんね」
ジンは元々は死罪を免れない大罪人である。それがただ実力という一点を見込まれ、恩赦を対価にユンの旅に協力しているのだ。
ユンが全ての魔族を討伐しお役御免となった暁には、ユンと同じく、ジンも晴れて解放される訳だ。
「お前みたいなやべーのが野に放たれるのかと思うと、心配だよ俺は」
「おいおい、俺だって随分丸くなっただろ?」
「……それを自分で言う辺りが不安なのだ、お前は」
一同はため息をつく。名実共に現在は仲間という関係だが、事実この男がろくでなしなのは間違いない。
世界を救ったという功績があまりにも大きすぎるため、罪が帳消しになっても確かに不思議ではないが……監視の1人ぐらいつけておく方が良いのではないだろうか。
「つーか、ユン。お前はどうするんだよ。結局マジで故郷の村とやらに帰るのか?」
ジンはユンに話を振った。
ユンが同じ境遇になったのは、つい最近のことだ。
最初から解放されることが決まっていた自分と違って、まだ身の振り方を考えていないかもしれない。そう思ったのだった。
事実それは当たっていて、ユンは未だ今後について漠然とした答えしか出していない。
すなわち、とりあえず元の生活に戻る。これだ。
(でも、そっか。別の所に住むっていう選択肢もあるのか……)
ジンの言う通り、その点で考えればここはかなり良い場所だ。
食事も美味ければ犯罪も無い。一日中のどかな空気が流れる平和な土地である。
だが――。
「――うん。帰るかな」
ユンはそれが決定事項であるように頷いた。
勇者として旅立つ前、ユンにとって一番大切なものは家族だった。
ハネットはユンのことを、「自身の価値」より「他者の価値」に重きを置く異常者だと評価した。
その比重は今もなお、変わっていない。
「それより、僕ちょっと厠に……」
「あ、それなら私も」
ユンとルーチェは説明されたトイレを探しに席を立った。
キョロキョロと店内を見渡し、見覚えのある赤と青の看板がかかっている廊下の奥に消えていく。
「――意外だぜ。お師匠さんに気があるみたいだから、少しぐらい悩むかと思ったんだがな」
男だけとなった机で、ジンは素直に驚いたように言った。
シャルムンクがそんなジンを、更に意外そうに見る。
「……ジン、お前はそれでいいのか?」
「は?」
「あー、もうすぐ最後だから聞くが――」
シャルムンクは頭を掻きながら尋ねた。
「――お前こそ、本当はユンに気があるんじゃないのか」
言ってから、シャルムンクは気まずそうに目を逸した。
エドヴァルドはただ沈黙している。
ジンはシャルムンクの邪推を鼻で笑った。
「馬鹿言え、あいつはいくらなんでも子供過ぎる。まあ身体の方はともかく……あれじゃ、流石に女としては見れねえ。あいつは女っつーより、妹みたいな―――」
そこで、ジンは不意に黙り込んだ。同時にドロリとした不穏な空気が突然場に流れる。
それはこの男が「雑種」と呼ばれ世界から恐れられた事を十二分に理解させる、不吉な気配だった。
「……いや。すまねえ、今のは忘れてくれ」
「ああ……」
「…………」
どれほど深い関係の相手であろうが、踏み込んではならない領域というのがある。
――「妹」。
ジンの口から初めて語られた単語。それがジンにとって、気軽に口に出してはならないほどの重さを持つものなのだろう。
――それこそ、ユンにとっての「家族」と同じように。
男たちの間に会話は無い。
しばらくして、やたらテンションの高くなったユンたちが席に帰ってきた。
「凄いよ、ここの厠! 中が超綺麗で、仕掛けを動かすと勝手に水が――」
「大変よ! 紙! また紙だったの! 中に紙が――」
どうやらトイレも独特の造りになっていたらしい。2人はいかに凄かったかを熱心に語っている。
あの話題以来、静かに何かを考え込んでいた様子のジンが、そんな2人に――いや、ユンに向かって口を開いた。
「――ユン。お前もしもこの先、あの男に本気になっちまった時は――絶対に掴んで離すなよ」
「えっ? ……な、何言ってんの!? 急に!」
ユンの顔がボッと赤くなる。
しかしこれまでと違い、ジンにからかうような雰囲気が無い。
「――こっちは珍しく真面目に話してんだ。……いいから聞け」
ジンの真剣な様子に、流石にユンも態度を改めようとする。
顔は赤く、戸惑うように目が泳いでいるが……少なくとも、それ以上口を挟みはしなかった。
「お前には聖剣があるから、もしかしたら俺よりもよく分かってるのかもしれねーが……一応言っとくぞ。――あの男は、多分『俺ら』と同類だ」
ジンがハネットという男について、初めて言及した瞬間だった。
ジンはかつてないほど静かに語る。
「ただ、俺と違って、あの男には『執着』ってもんがねえ。……多分、求めた物が同じでも、俺とは原因になってるもんが逆なんだ。そういや、公国にも似たような男がいたが――」
ジンはユンを真っ直ぐ見て言った。
「――そのうちフラッと消えちまう。あれは、そういう目だ。……ユン。今のままだと、後悔するぞ」
ユンは何と答えるか、迷うような様子を見せたが……結局、耐えきれないように顔を背けた。
「そ、そんな事、急に言われても……分かんないよっ!」
その勢いのまま、ユンは逃げるように外へと走っていってしまった。
分からない。たしかにジンの言葉は抽象的で、他の3人にも意味はよく分からなかった。
だが、ユンのそれは、どちらかと言えば自分の気持が分からない、という風だった。
「……ったく。この歳になるまで色恋沙汰に無縁とは、故郷の村とやらでどんな生活してたんだか」
ジンはため息をつき、いつも通りのダラけた雰囲気に戻った。
椅子に体重を深く預け、呟くように言う。
「ある意味歪んじまってるな。――力があれば良いってもんでもないのかね」
求めるものがあり、その求めたものを持つ者がいる。
しかし、そこに持つ者故の苦悩があるというのなら。
――人には、本当の意味で幸せになれる日は来ないのかもしれない。
異様に長くなりましたが、遂に完です。
今後ユンたちは別行動となり出番が激減するので、その分が最初に来たと思って下さい。……グルメ回書きたかっただけなのになんでこうなった?
次回は中学生のハネットがザ・ワールドを初プレイした時のお話です。おまけ話はそれ含めてあと2つのストーリーで終わりです。