おまけ 勇者様御一行魔神の集落観光ツアー-3
2018.1.19
2018.2.15 ユンとルーチェの温泉での会話を加筆・修正。
結局ユンが推した事もあり、一行はまず最初にハネットが言っていた「温泉」とやらに行ってみる事にした。
「風呂屋」というのは初めて聞くが、名前から考えるに風呂を貸す店か何かなのだろう。たしかに観光する前に旅の汗は流しておきたい。
それに商人に評判が良かったという事は、それなりに安いに違いない。
普通は金を払ったって入れないのがこの世界での風呂というものだ。そもそも人が入れるぐらい大量の湯を沸かせるような施設が一部都市の高級宿ぐらいにしかないのである。せっかくあるなら少しぐらいの散財は覚悟してでも行く価値がある。
6属性の魔法を操るルーチェがいるので風呂ぐらいいつでも入れそうなものだが、残念な事にルーチェは水を沸かすのに必要な火の魔法適性をピンポイントで持っていないため不可能なのだった。
荷物を部屋に置き、少宮殿を出て表の道路に戻る。
普段なら部屋に荷物を置いて出掛けるなんて不用心な真似は絶対しないが、あの魔人形に守られているこの集落で盗難が起きることは無いだろう。
ただ、一番邪魔になる装備一式を置いて行けないのが少々難儀ではある。
王国からの借り物である上に、価値が桁外れなので流石に万が一があると困るのだった。
ユンたちは道に出ると、少宮殿――ハネットの屋敷の隣という立地に建っている、謎の2軒の家屋に目をやった。
「ふう、こっちは普通の家だね」
「いや、普通じゃないから。目を覚ますのよ、ユン」
平屋かつ部屋数2~3部屋ぐらいの小さな家なので隣を見た後だと霞むだけで、こちらの家屋も現地の常識からすれば大きく外れた技術力で作られている。
外から見た限り、この2軒の家屋は構造が双子のように一致している。
3階の窓から見た整然とした景色の事もあるし、この集落では家屋の建築において何らかの規格が設けられているのかもしれない。
ちなみにこの2軒はニーナとルルの家である。
「凄腕の山人族でも住んでるのかな」
「ここにいるといくらでも新技術が盗め……いけない。こういうのも良くないのかしら?」
「どうなんだろうな。あの魔人形、マジで結構緩いんじゃないか。なんかどうでもよくなってきたんだが」
「貴方そんなこと言って油断して襲われたりしないでよ」
それ以外には特に目立った物も無く、5人は引き続き道路を南に下って行く。
しばらくすると左右の森が開け、とても大きな広場に出た。
「わぁ~……!」
一番最初に感じた他との違いは、匂いだった。
普通人が――動物が住む場所というのは、諸々の事情により僅かに臭う。しかしここでは爽やかな花の香りのみが風で運ばれて来るのだ。深呼吸すれば、体の中から浄化されていくようだ。
続いて目に飛び込む風景もまた素晴らしく、広場の地面は黒いアスファルトからカラフルなレンガに変わっていた。
3色ぐらいのレンガを組み合わせてパターンが作られており、地面に綺麗なグラデーションが生まれていて目に楽しい。その外周にはこの爽やかな香りの発生源らしき花壇が設けられており、見た事もない色とりどりの花々で瑞々しく飾られている。
広さについては100m×100mぐらいはあるだろう。見た目を重視した光景がこの規模で広がっているのはなかなかに壮観で見ものである。
また特筆すべきはゴミが1つも落ちていない所だ。これだけで余所では味わえない清潔感があり、また治安も非常に良い事が一目で分かる。
魔神の住まう地。それに期待を抱いて訪れる客人たちを出迎えるに相応しい光景だった。
「すっごく綺麗なところだね、ルーチェ!」
「いや、ちょっと待って。それよりも、あの真ん中の魔石は何――!?」
ルーチェは美しさなんてものより、広場の中央にデンと鎮座する超巨大な魔石の碑に目を奪われていた。
どう考えてもおかしいだろう。なんだあれは。人間サイズのダイヤモンドか。
「うわっ、マジだ。なんだあれ」
「あんなに大きな魔石が存在するのか……凄いな」
まさか見上げるほどに巨大な魔石をこの目で拝む日が来るとは。
一行は中央まで足を運び、しばらくこの魔石の碑を眺めた。
もちろん金額的な意味での価値が一番気になる所だが、これほどの超巨大鉱石となると、生成された経緯や自然の神秘についても考えさせられる。これだけで観光資源としては十二分の価値がある。
「他の街にあったら半日で削り取られて売られちまうだろうな」
「そう考えると治安が良いって凄い事だな」
「……即処刑になるのは治安が良いと言えるのか?」
ぐるりと回って隅々まで観察してきたルーチェが、興奮した様子で帰ってくる。
「凄いわ! これ、ただの置物じゃないみたい。――魔具。魔具なのよ!」
「何……!?」
先程ワイバーンたちの侵入を阻害した、モンスター避けの結界。その発生源がこの石碑である。
「何の魔具なのかは分からないけど、今も稼働しているみたい」
「……大丈夫なのか? こんなんで魔法使ったら世界を滅ぼせるんじゃないのか」
この規模の魔石に魔具化を施すとは、その技術力と豪胆さにはたしかに舌を巻く他ない。
だがそれよりも怖いのは、この規模の魔石を使って、どんな魔法を行使し続けているのかという事だ。何しろ普通の杖数千本分の大きさの魔石である。
ルーチェは興奮しているようだが、男たちはただひたすらに不気味に思った。
もしかしたら知らず知らずの内に、世界は魔法的な攻撃を受けていたりするのではないか。
「たしかにそれは怖いけど……でも、本当に凄いわ。何がどうなってるのか、全然分からないんだもの」
この石碑はザ・ワールドのシステムによって作り出された拠点施設の一部なので、正確に言えばマジックアイテムではない。そのためルーチェがその構造を読み解けないのも無理はなかった。
「ねえねえ、ほら、あそこ!」
既に石碑から興味を失ったらしいユンが会話を遮る。
ほんの2年前までただの村人だったユンには、この魔石の凄さがまだよく理解できないらしい。彼女からすれば、ただの綺麗な石碑以上の価値がないのだろう。
そのユンが指差している方を見れば、広場の南側に大きな建物が建っていた。よく見ればこの集落の住民なのか、何人かが出入りしている。
「人がいるな」
「あそこで温泉の場所、聞いてみようよ」
ユンの提案に頷き、5人はその大きな建物に向かう。
建物は大きくはあるが一階建てで、巨大というより横に広いと言うのが正しい。
「……あん? もしかしてアレ、店なのか?」
何の施設かと思い近付いてみれば、表まではみ出す商品棚からするに、商店か何かであるらしい。
「でっか!」
「すごーい! 市場が丸ごと入ってるみたいだねっ!」
都市には各地に支店を持っていたり、2~3階建てぐらいの大商店も存在しているが、1店舗単独でこれほどの大きさを持つ店というのは見た事が無い。
「へえ、ぱっと見、道具に服に食いもんに……」
「雑貨屋……みたいな感じか?」
「生活に必要なものは何でも扱ってるみたいね。奥にも何軒か建物があるけど……お店って感じじゃないし、ここで集落中の買い物客を捌いているのかしら」
感心しながら近寄ると、店内から買い物を終えたらしき人影が出てきた。
金色の髪からは、ウサギのように長い耳が横に伸びている。――エルフだ。
エルフの女性はユンたちを見て一瞬驚いたような顔をすると、逃げるように去って行った。
「すげえ、マジでいた」
「……なんで逃げたんだ?」
4人の視線がユンに集まる。こういう時こそ聖剣の読心能力は役にたつ。
「うーん……なんか、警戒されたみたい」
ユンは「怖がらせちゃったのかな……」と呟きながら、居たたまれなさそうな顔をした。
まあ自分たちは重装備だし、よそ者が警戒されるのは閉鎖的な村なんかではよくある。他の4人はその程度に考える。
だがエルフの内心をダイレクトに感じ取ったユンは、それ以上の「恐怖」と「嫌悪」が存在したように思えて気になった。
「――おう、らっしゃい! 外からのお客さんか?」
店内から元気そうな男の声がかかる。
店員なのか、30代ぐらいのガッシリした体格の男が表に出てきた。
非常に清潔そうな身なりをしており、その上から作業用の前掛けのようなものをしている。
「あ、はい。今着いた所で……」
「そうか。――あー、森人族なんだが、まだ人間慣れしてなくてな」
先程の場面を見ていたのだろう。男はエルフの女が去っていった方を見ながら言った。
「俺みたいに毎日会わなきゃなんねえ相手だったら、嫌でも慣れるしかねえんだけどな……。外の人間と馴れ合うにはもうちょい時間がかかるだろう。気にしねえでやってくれ」
――エルフは人間慣れしていない。いや、あの反応を見れば、実際にははっきりと恐れているのだろう。
たしかに普通に考えればそうだ。彼らとの歴史はドワーフとの歴史と大きく違う。
見た事のあるエルフがハネットと共に行動していたティアとルルという特殊な2人だった為、その辺りの当然の反応をすっかり失念してしまっていた。
滞在中に誰かに声をかける時は人間を選んだ方がいいかもしれない。
「そうなんですか……」
「何はともあれ、大魔法使いの里にようこそだ。嬢ちゃんたち、商人……には見えねーな。護衛かなんかで来たのかい?」
男はユンたちの装備を眺めてそう尋ねた。装備的にも人数的にも傭兵団に見えるのだろう。
まさかこの面子でただの観光とは思うまい。
「あ、いや、実は僕たち、観光で……」
「なんだ、そうなのかい。じゃあ自由に見てってくんな。この店ではハネット様が作ったもんや森人族の工芸品なんかを売ってるんだぜ」
男は自慢げに店の売りを説明する。
魔神とエルフ作った品を置いている店など世界中にこの店のみだろう。確かに特級のラインナップだ。
非常に興味を惹かれるが、長居するならその前に風呂には入っておきたい。
それに温泉とやらがどれぐらいの料金設定なのかが分からないので、やはり買い物は後に控えた方がいいだろう。
「あう、す、すいません。それが僕たち、今温泉の場所を探してて……」
ユンは申し訳なさそうに訪れた目的を説明する。こんな金持ちそうな格好をしていながら買い物もせずに帰るとは思わないだろう。
本当は客の1人でも捕まえて道を尋ねるつもりだったのだが、店の広さに反して客が2~3人しかいない。一番近くにいる客に近寄る前に店員に捕まるのも無理はない。
「あー温泉か。それならあっちの道を進んで右手側にあるぜ。表で布を大量に干してるから見りゃ分かる筈だ」
しかし男は特に落胆する様子も見せず、親切に道まで教えてくれた。
ユンたちの顔で言いたい事を察したのか、男は鼻の下をこすった。
「へっ、まあ気にすんな。――いい服来てる癖に冷やかして帰る客ってのはな、うちの店では滅茶苦茶縁起の良い客なんだよ」
気を遣ってくれたのだろうか。口は悪いが良い奴だなと一行は男の性格を評価する。
ただユンだけは本気で言っているのが分かったので、変なジンクスもあったものだなと思っていた。
「ありがとうございますっ。あの、後で絶対見に来るんで!」
「おう、待ってるぜい」
5人は男に見送られながら、説明された道――広場から西側に伸びる道へと向かう。
「どういう経緯でここに店を開いてんだ?」
「たしかに」
エルフがいるのもそうだが、なぜここの住民は魔神の集落に住む事になったのだろう。全く想像が及ばない。
それと昼過ぎ――1日2食が基本のこの世界では昼飯時の最も混む時間帯だと言うのに、びっくりするぐらい人がいない。
ハネットが村でも街でもなく「集落」と呼んでいるのに疑問を抱いていたが、もしかしたら規模はともかく本当に人口が少ないのかもしれない。
結局広場では誰ともすれ違わず、5人は西側への道へ帰ってきた。
この西側の道の入り口には両サイドに建物が建っていた。ユンたちには何の施設か分からないが、それぞれ左手側が学校、右手側が診療所である。
先程受けた説明からすると、この診療所がある右手側を見ていけば途中に温泉がある筈だ。
住民の居住区が南西のブロックとなっているため、この西側の道沿い、そして先程の店がある南側の道沿いにはこういった生活に必要な施設が集中しているのだった。
居住区と繋がるこの道は家と道路との出入りを考えたのか、道を飾る花壇は取り払われ、代わりに等間隔に観葉樹が植えられていた。レンガで綺麗に整備された地面に所々穴が設けられており、そこから背の高い木が生えているのだ。
ニホンでは当たり前の道に沿って真っ直ぐに木が並ぶ光景だが、木で埋め尽くされた山道か、それとも逆に木が1本も無い都市部かという世界で生きるユンたちには、この融合は少し新鮮に映った。
元々は生活のために自然を破壊して作るのが人間の拠点だ。そこに快適に暮らせる程度の自然を再び取り込むという発想は、この時代にはまだ存在していない。
「本当に綺麗なところだね……」
「ええ……」
だが、それが美しく、そして暮らしやすい空間である事は見れば本能が理解する。
ユンとルーチェはため息をつくように呟きながら、右手側に広がる「林」に目をやる。
診療所を超えた道の右手側にはむき出しの、しかししっかりと平坦に均された地面が続いていた。そしてそこにはランダムに見えて均等な間隔となるよう植えられた大きな木々が伸びている。
その太い幹を見上げていけば、葉の隙間から少しずつ零れる日差しが柔らかく空間を照らしていた。
それは、人に安らぎを与えるよう人工的に作られた「公園」である。
もう数カ月して秋になれば、さぞかし紅葉が綺麗だろう。その頃になったらまたこのメンバーで来てみたいとユンは思う。
(あっ……でも、その頃には僕ってもう勇者じゃないかもしれないのか)
魔族の残党狩りがあとどれぐらいで終わるかは分からない。もしかしたら半年、いや1年以上かかってしまうかもしれない。
だが、この所魔族が出現する頻度は劇的に下がってきている。逆に一瞬で終わるような予感すらしてしまう程に。
とても良いことなのだが、こうしてふと仲間たちの事を想うと寂しくもある。
役目が終われば、この5人は再び他人として生きていくのだ。
ジン以外はまず間違いなく元の生活に戻るのだろうが、そうなれば皆相応の地位に着く人物たちだ。もうこうして5人で歩く事は無いに違いない。
(全部終わった後、か……僕はどうしようかな――)
ユンは近い未来について、漠然と思いを馳せる。
故郷に帰ろうという所まではぼんやりと考えている。だが、帰ってからどうするか、という部分になると途端に思い付くことが無くなってしまうのだった。
また家の手伝いでもしながら生きるか。
以前はひたすらそれでも良かった筈なのだが……世界中を見て回った今は、少し物足りなく思えてしまう。
かと言ってそれよりやりたい事も特にない。ユンにはそもそもこれと言った趣味すら無いのだ。活発的な印象に反して、実際には空虚な人間なのである。ユンにとって人生とは「いかに生きるか」ではなく、「いかに誰かのためになるか」というものだったのだから。
――いい加減、変な生き方をしてきたツケが回ってきたか。
ユンはもう18だもんなと、姉が結婚した年齢と並んでしまった事に頭を掻いた。案外剣を振り回している方が自分には合っているのかもしれない。
「……変ね。結構人いそうじゃない」
ルーチェの声に意識を戻せば、道の左側――居住区の方には家屋がずらりと並んでいた。
3階から見えた場所だろう。横一列に綺麗に並ぶ家屋は2種類に分かれており、それぞれ切り株のような一風変わった木造住宅と、あの小宮殿の隣にあった家屋と同じものとがある。
「空き家なんじゃないか?」
「そうかもね」
全ての家に人が住んでいたとしたら、数百人近くになる。それこそ集落と言っておきながら、あの北の村より人口で勝ってしまうだろう。
(――ん? 水の音?)
ユンの耳が前方からのそれを捉える。水流が弱いのかとても静かだが、確かに流れる水の音だ。
居住区から音のした方――再び右側に目を向ければ、発生源はすぐそこにあった。
道路の脇に、石組みの枠でしっかりと整備された用水路――川が現れたのだ。
底まで40~50cmぐらいだろうか。透明な清水がサラサラと流れる、鏡面のような浅く綺麗な川である。
「あれ? ルーチェ、川あったよ」
ユンはルーチェの方に振り返って言う。
たしかここに着く前、川も無いのに森があるのはおかしいというような事を言っていた筈だ。
「……いや、おかしいでしょ。なんで川があるのよ」
ルーチェは意味が分からないという風に言う。なんでどことも繋がっていないのに川が突然現れるのだ。
逆に川の成り立ちなど理解していないユンは、ここに川があるのが何故おかしいのかと、首を捻るルーチェに対し逆に首を捻った。
そりゃ、川がここにあるんだから、川はここにあるんだろう。
この世界の大多数の一般人にとって、川は生まれるものではなく、そこにあるものである。
「わ、見て見て、凄い魚!」
そんなことより、とでも付きそうな勢いでユンは川を指差した。
4人が目を向ければ、川の中を2匹の巨大な魚がゆったりと泳いできた所だった。
片方は赤と白の斑模様、もう片方は鮮やかな黄色一色。
ニホン人なら誰もが見慣れた大型淡水魚――コイ。その中でも観賞用に極限まで品種改良された、ニシキゴイである。
「うっわ、これコイの仲間か? でかぁ……!」
ハネットが見栄えの為にと適当に買ってきて適当に放流したコイなのだが、買ってきたのが成魚だったためにどちらも80cm近くあった。
飼育専門プレイヤーに養殖され、丸々と立派に育ったコイだ。
間近で見る大型生物というのは、どこか男心――というより、子供心をくすぐるロマンがある。集落の住民たちからも一定の人気を集める2匹である。
「まあ、綺麗ね」
「まるで南の海の魚のようだな」
意外にもルーチェとエドヴァルドの2人がこのコイの登場に喜んだ。
清水に浮かぶ鮮やかな色合いが美しく、また2匹で寄り添うように泳ぐ姿が愛らしい。
華美でありながら悠然と泳ぐ様は、実に貴族ウケする優雅さである。
「勝手に食ったら怒られんのかな」
「ちょっと、やめてよ!」
二重の意味で嫌な事を口にするジンにルーチェが苦言を呈す。ゴーレムが動いたらどうするのだ。
「ん? ……あ。おい、あれじゃないか?」
顔を上げたシャルムンクが川の向こうを顎でしゃくった。見れば大量の白い布――バスタオルと、青い小さな布――ボディタオルを表で干す建物がある。
店主が言っていた説明からするに、ここが温泉なのだろう。
5人は短い石橋を渡り、洗濯用のロープに忙しそうにタオルを吊るしている女に話しかけた。
「あの~! ここって、温泉っていう所ですか?」
「あっ、そうですよ。……お客さん?」
従業員らしき女はタオルの向こうから顔を出し、続いてユンたちの格好を見て首を傾げた。
「はい、一応……。えっと、お風呂? に入れる場所なのかな? って……」
「ああはい、そうですよ。そこから中に入って、右が女性、左が男性になってます」
「なるほど……」
男女に分かれている――つまり浴槽は1つを使い回す形ではなく、複数用意されているのだろう。
思っていたよりもかなり大規模な施設のようだ。
「詳しい事は中にいるのが説明しますんで。どうぞ入ってって下さい。利用料はお1人様につき銅貨1枚です」
「やっっっすぅ――!?」
叫んだのはジンだけだったが、驚愕したのは全員である。
最低額の貨幣1枚で入れる風呂などありえないだろう。安いにも程がある。平民でも普通に入れる額だ。
それは商人たちだって満足するに違いない。自分たち全員から集めたって銅貨5枚。水代と薪代、どちらか片方にすら足りない筈である。
従業員らしき女は先に来たという商人たちの反応で慣れているのか、僅かに苦笑するのみで説明する。
「ここでは水と火は使い放題なんで」
「何――!?」
人が住む多くの地において、水は有料である。
なぜなら、水という物は基本的に1度沸かさなければ飲めないからだ。
例外は泉の湧き水や溜めた雨水ぐらいだが、当然その供給量は河川や湖といった主要の水源に比べて微々たるものである。
これは現実世界でも同様で、生で飲めるほど綺麗な清水が自然界に溢れているのはニホンという国の大きな特徴だったりする。
また、あの固いパンにしてもそうだが、現地では薪――つまり燃料問題の方はもっと深刻だ。
何しろかつての開拓時代の影響で、安全な森という森は既に伐採されてしまっている。
手に入れようとすれば魔物のテリトリー下にある比較的危険な森、または先程の北の村のような辺境まで出向かねばならず、薪を含めて木材自体がそこそこ貴重なのである。
植林すれば済む話だが、この世界はまだ発展途上にある。
例えばニホンの山に建材に適した杉ばかりが生えているのは、旧時代――大仏や寺院が各地に建設された時代に、一度木という木が刈り尽くされたせいだ。植林を始めるのが遅すぎて、本来あった雑多な森はほとんど消滅したのである。
自然が多い印象のあるニホンですら、実際には本物の「自然」はとうの昔に滅んでいる。
また、動物についてはもっと分かり易く、無責任な乱獲とそれによる絶滅を繰り返し、旧時代の終わり頃にやっと保護という概念が世界に普及し始めた例もある。
終わりを目前にして初めて植林が始まったように、経験の足りていないこの現地では未だ刈り尽くすばかりで産む事が重要視されていなかった。
これらの理由から現地では薪が、そしてそれを必要とする水が貴重である。
そこで活躍するのが、真水を生み出せる水の魔法適性を持つ魔法使い、通称「水屋」だ。
なにしろ確実に飲める水なので薪も要らず、術者の方から来てくれるので水運びの苦労も必要としない。
ただ、水屋は魔力を消費する関係で1日の生産量が限られている。そのため独占するべくすぐに金持ちに囲い込まれてしまうので、結局のところ一般人には水は貴重なままだったりする。
――それが、この集落では使い放題。
ド田舎で水が使い放題とかならまだしも、火まで使い放題というのはちょっとありえない。
「一体どこからそれだけの資源を……」
「あ、えっと……ハネット様がお作りになった魔具から……」
いや、魔法で作った水と火、それも魔具を利用するならむしろ高いだろ。5人は心の中で突っ込んだ。
この女性は理解していないようだが、魔具には「込められた魔力を使い果たすまで」という使用限界が存在する。基本的には使い捨てなのだ。
手間代を含めても、量が膨大な普通の水や薪の方が安くつくのが道理である。
――まあ、もちろん生産系スキルをカンストさせているハネットの制作アイテムに限界がある筈も無い。
ハネットが作ったマジックアイテムは半永久的に決められた効果を発動させ続ける。蛇口は無限に水を吐き出し続け、コンロはいつまでも炎を吹き出す。
事実この温泉は決められた温度のお湯が出続けるよう設定された蛇口とシャワー、そして浴槽だけの施設であり、利用料は従業員の給料さえ賄える額であればいいのである。
「えっと……よく分かりませんけど、本当に値段は銅貨1枚ですよ?」
「はぁ。ま、ならいいか。安いなら願ったり叶ったりだしよ」
たしかにそうだ。ジンの言う通り、これは予想外ではあるが、いい意味での物だ。
5人は気を取り直し、女性に案内された通り、入り口のガラス戸へ向かう。
右が女、左が男という話だったが、それぞれ女側に赤の暖簾が、男側には青の暖簾が下げられている。トイレの看板もそうだが、この集落では女を赤で、男は青で表現するようだ。
「じゃあまた後で」
「ああ」
男たちと一旦別れ、ユンとルーチェは赤い暖簾の方のガラス戸を開ける。
外からの覗き防止のためか、入り口の通路は「コ」の字を描くように入り組んだ形になっていた。
「いらっしゃいませ~」
通路から大きめの部屋に出ると、カウンター越しに若い女の従業員がユンたちを迎えた。
部屋の様子で真っ先に目に入るのは、壁際に佇む1体のゴーレムだ。関所にいたものよりは数段小さく弱そうなゴーレムだが、防犯のためにいるのだろう。
他には反対の壁際に設置されたたくさんの棚。関所で説明されたトイレの絵が描かれた扉。それに表に干されていた2色のタオルと同じものが隅に積まれているぐらいか。
カウンターの隣には湯気で曇ったガラス戸があるので、あの先が風呂なのだろう。
「わぁ、外からのお客さんですか?」
「あっ、はい! 今着いた所で……」
「へぇ~。あ、じゃあ靴はそこで脱いでから上がって下さいね」
女はユンたちの足元を目線で示しながら言った。
部屋の床はユンたちが立っている入り口よりも一段高くなっており、木製のすのこを1枚挟む事で昇り降りしやすい程度の段差が作ってある。
よくある和風の玄関を模した作りだ。
靴を脱げと言われるのは普通なら不思議に思う所だが、風呂で服を脱ぐのは当たり前なので、この時のユンたちは特に気にせず従った。
段差に腰を下ろし、戦闘と旅のために固く結ばれていたブーツの紐を解いていく。
「あ、脱いだ靴はそのままそこに置いといて下さい。どうせここには盗る人とかいないんで」
ユンが勇者などと毛ほども思っていない女は軽い口調で補足する。
靴を置いておけと言うが、ユンたち以外の靴は見受けられない。
「あの、もしかして今来てるの、僕たちだけですか?」
「ああ、今はちょうど、みーんな仕事してる時間なんで。お客さんたち、貸し切りですねぇ」
仕事の時間。
それで誰もいなかったのかと、ユンたちはここまでの閑散とした様子に納得する。畑にでも出ているのだろう。
ブーツを脱いで部屋に上がり、銅貨2枚を先払いする。
「はい、たしかに。それじゃあお風呂はこの先です。服はそこの棚に脱いでいって下さい。さっきも言いましたけど、盗んだりする人はいないんで大丈夫です。というか、私がいるのはそういうの監視するためでもあるんで、安心して任せて下さい」
なるほど、ただの案内ではなく、監視員としての役目も負っているのか。
ここで着替えろという事は裸を晒す事になる訳だが、男の方の部屋には男の従業員がいるのかもしれない。
「そっちに積んである布は自由に使って下さい。ただ最後に回収するんで、破ったり大きく汚したりはしないように。青い方はザラザラしてて、擦るとよく垢が落ちるんですよー」
「へ~」
ユンたちは積まれたタオルの山からバスタオルとボディタオルをとりあえず1枚ずつ取り、壁際の棚に向かう。
着替えや荷物を置くための棚なのだろうが、これが結構な数だった。
確実に30人分ぐらいはある。もしかしたら本当にかなり大きな施設なのかもしれない。
ユンたちは適当に棚を決めそこに貴重品を置くと、まずは装備を外す作業に入る。武器や防具やらは棚に入らないので、上に置かせて貰う事にした。
魔法使いのためマントとローブを脱ぐだけで済むルーチェと、剣士とはいえ軽装のユン。着替えにかかる時間はさほど変わらない。
ユンは聖剣を棚の上に置くと、まず魔法ダメージを低減させる効果が施されたミスリル製の胸当てを外した。
胸当ての下からは胸を隠すだけの、ほとんど下着と変わらないぐらいの面積しかない紫色の服が現れる。腰巻きを脱いだ下も同様の布面積だ。
見た目は破廉恥だが、これでも世界有数の対魔法用装備である。王国に古くから伝わる古代遺物の1つで、どういう仕組みなのか、引っ張ると伸びる素材で出来ていた。
現地では他に見る事の出来ない珍しいものだが――現代人から見れば、それは完全にスポーツ用スパッツの上下だった。
ちなみにこれは弱点を消し勇者をより盤石な状態で送り出すべく強制的に選ばれたものであり、最初これを着て外に出ろと言われたユンはあまりの羞恥プレイに故郷に逃亡しかけたというエピソードがある。
胸を覆う上の服を脱ぐと、その下からは下着ではなく、さらしでガチガチに固定された胸が出てきた。
戦闘中に揺れて邪魔になるため、ユンにはこちらの方が都合が良いのである。それも納得と言うべきか、その胸は押し潰されている筈なのに、なお存在感を主張している。
「ふぅ……」
解きやすいよう結んであった端の部分を引っ張ると、豊かな双丘が露わになった。
隣にいたルーチェは思わずそちらを横目で窺う。
大きさはもとより、何よりも形が良い。ユンの体はどのパーツを見ても「美形」なのだ。
普通生物の体は重力を24時間受け続ける影響で徐々に歪んでいくものだが、ユンの場合は戦士型の変異者である影響なのか、それがほとんど無い。
劣化の無い、人間の生まれたままの美しさを保っているのだ。
――均整の取れた体は瑞々しくしなやかで、そして女性らしさに溢れている。
同性であっても自然と目が惹き付けられてしまうようなプロポーションだ。
「あ、あの、ルーチェ……」
「えっ」
「あんまり見ちゃ、やだ……」
バスタオルで前を隠しながら、ユンは身を捩った。
聖剣を離しているからバレないだろうと思って少しまじまじと見すぎたらしい。
「あっ、ご、ごめんなさい」
「もぉー……」
そんな一幕に顔を赤くしつつ、着替え終わったユンたちは浴室へと向かう。
「あ、浴槽に浸かる前に体は洗って下さいねー」
最後に女からそんな指示を受け、2人はガラス戸を開けた。
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「ほわぁぁぁ……」
一通り体を洗い終わり、ユンたちはゆっくりとお湯に浸かる。
現地人に合わせて低めに設定されたお湯の温度はちょうど良く、2人は体を包む温もりに恍惚のため息を漏らした。
タイル張りの浴槽は想像を超えた途轍もなく大きな物で、浴室自体も王宮の浴堂など優に超えた広さを持つ。
その上お湯だけでなく石鹸まで使い放題だったのだが、本当にこれでなぜ銅貨1枚なのだろうか。
お湯の温もりと開放感を楽しみながら、2人はしばしの時間のんびりと過ごす。
(浮いてる……)
何がとは言わないが、平均サイズのルーチェは心の中で慄いていた。
現地には2人以上で入れる浴槽などまず存在していないので、人と風呂に入る機会というのがまず無い。
ルーチェであってもユンと一緒にこうして湯に浸かるのは初めての事だ。
裸を見るぐらいの事は水浴びや着替えのせいで多々あるが、これについては新事実である。
そんな羨むような体を持つ本人だが、タオルでクラゲを作って遊んでいた。
どうやら潰すより、どれだけ大きく浮かべられるかが重要らしい。
――大人な見た目とは裏腹に、中身はまだ子供のようだ。
そんなユンのギャップに苦笑していたルーチェだったが、今日起こった少女の変化をふと思い出した。
「ねえ、ユン……」
「んー?」
「結局、あの人のこと好きなの?」
「なっ……!?」
クラゲが潰れる。
せっかく女だけになったのでストレートに聞いてみたのだが、ユンはルーチェが相手でも酷く動揺した様子を見せた。
「えぇ……えっと……あー……あぅ」
何かを言おうとしては、また口を閉じる。
それを何度か繰り返している。
「わ――わかんないっ……!」
ユンは散々目を彷徨わせてから絞り出すようにそれだけ言うと、隠れるように頭までお湯に潜った。
吐いた泡がブクブクと上る。
「……そっか、分かんないか」
私は分かったけどね、とルーチェはお湯から飛び出す赤いお団子を見ながら思う。
まあ、こういう反応を見る限りではもはや一目瞭然なのだが。
――それにしても、勇者がよりにもよって元敵と恋に落ちるとは。
(この子も大概おとぎ話の住人よね……)
あの青年のどこにそんなに惹かれたのだろうか。
たしかにこれまでの様子を見れば、思っているほど危険でない事は分かる。だが、信用までできる相手とは思えない。
言うなれば、ジンの立場に似ているだろう。
信頼はしていても、心を許していいとまでは断言できない。
そういう不穏さがあの青年にはあるように思う。
「ぷはっ!」
ザバッと音がし、赤くなったユンが顔を出した。
「る、ルーチェこそ、どうなのさ」
どうやら反撃を思いついたらしい。
ユンはじとっと睨むようにルーチェに尋ね返した。
「私?」
「ほ、ほら。――エドとか、どうなの」
エドヴァルド・フレンツ。
仲間の1人にして、元筆頭近衛騎士。
物静かだが、その実誰よりも誇りに熱く生きており、そしてパーティーを見守る大人の頼りがいに溢れた男だ。
ルーチェとは格の近い中位貴族の出身で、戦闘時の相性から組む事が多い相手でもある。
「――まあ可能性としては一番高いわよね」
「えっ……」
ルーチェはユンの反撃をあっさりと肯定してみせる。
自分と同じように慌てる様でも期待していたのか、ユンは戸惑った声を漏らした。
「家柄もほとんど同じだし、気心も知れてるしね」
「…………」
ユンは一瞬、ルーチェがそれほどにエドヴァルドを愛しているのかと思った。
だが、違う。
――そこにあるのは、貴族と平民との結婚観の違いだ。
ルーチェにとって、結婚相手とは愛ではなく、「相応しいかどうか」で選ぶものなのだろう。
平民だってもちろん打算で相手を選ぶが、もう少し本人の意見が尊重される。
淡々と話すルーチェに、ユンは黙り込むしかない。
「というか、私については実績が実績だからね。史上最年少での魔法使い長就任に、勇者の旅への同行。もしかしたら叙爵とかで私を初代当主にして新しく家が興るかも。そうなったらまた難しいわね」
「そ、そっか……」
「ええ。だから――」
ルーチェはユンに微笑んで言った。
「――ユン。貴女は縛られないで済む立場を、もっと喜んでもいいのよ。自分の自由を本当の意味で受け入れられた時……きっと貴女も、胸を張って人を好きだと言えるようになるわ」
「…………」
2年間を姉代わりとして過ごした女は、少女に優しくそう説いた。
今ここに旅は終わり、それぞれの新しい人生が始まろうとしている。
その新たな物語で、せめてユンぐらいは勇者以外の生き方を見つけてほしかった。
だって、初めから縛られていた自分たちと違い、ユンは元々平民だったのだ。
ユンと自分たちでは、立場が違う。
だから、旅が終わりさえすれば、ユンには普通の人生を送る権利があるのだ。
勇者としてではなく――ユンとして、ただ愛しただけという理由で相手を選ぶような権利が。
貸し切りの浴室に、静寂が続いた。
聞こえるのは動きに合わせたお湯の音と、天井から滴る水滴の音のみだ。
「……さっきね」
「ん?」
少女がポツリと零した呟き。
それはとても静かで、直後に反響した水滴の音にすらかき消された。
しかし、それでも込められていた心は、大きかった。
「お師匠様があの部屋を出ようとした時……最後に、僕と話してたでしょ……?」
「うん……」
「あれね……僕が何か言いたそうにしてたから、話しかけてくれたんだ……」
「…………」
ユンは語る。
誰もが目を向ける悪いところではなく――その人の持つ、小さな気遣いを。
「――本当は、いい人だよ」
優しくしてくれたから。
それはなんてありきたりで、つまらない理由だろう。
――だが、それこそが全ての答えだ。
「……そう。そうなの……」
「……うん」
――おとぎ話の住人。
「勇者」であるこの少女に寄り添える者は……想像を絶するほどに、少なかったのかもしれない。
(相応しい相手、か――)
空いた穴を塞ぐのに、その大きさに匹敵する何かが必要なのは道理。
ならば勇者が味わうであろう孤独を埋められるのは、それに匹敵する何かを持つ存在だけ。
――誰からも理解されぬ、孤独。
この少女とあの青年は、どこか深い部分で共鳴する部分があるのかもしれない。
(――本当に、難しい話ね)
もしかしたら――少女のその恋慕は、必然だったのだろうか。
勇者と魔王との出会いが、必然であることのように。
もしも、心からの乾きを癒やしてくれるのなら――
――例えその相手が悪魔であっても、人は依存せずにはいられないだろうから。
結局パート4まで伸びます。
このパート3単体でも半分ボツにして削ったのに1万4千字ある不思議。




