おまけ 勇者様御一行魔神の集落観光ツアー-1
2017.12.26 1回グルメ回が書いてみたかった。
時系列的には少し後の話(4章中盤ぐらい)になります。
「地上は暗くなってきた頃かな……。――みんなー! そろそろ降りよーう!」
仲間たちへと一声かけ、ユンは手にしていた手綱を引く。
乗り手の指示を理解した翼竜は短く唸り、ゆっくりと高度を落とし始めた。
翼竜の姿は飛竜に似ている。地上の人々を怖がらせないよう超高高度を飛んでいるため、実際の日暮れよりもいくらか暗くなるのが遅いのだった。
「分かったー!」
仲間たちはいつも通りと言った様子でそれに追従する。
――現在、勇者一行は翼竜の背に乗り、街道沿いに空の旅路を進んでいた。
魔族が出現したとの報告を受け、東領に赴いていたのだ。今回も役目を無事に果たし、今は王都へと帰還中である。
東領の端から西領の端まで大陸を半横断する事になるが、翼竜の移動速度ならばこれも字面ほどの距離ではない。もちろんそれでも10日前後はかかってしまうが、普通ならば年単位の時間がかかる移動である。
地上に降りた一行は慣れた動きで素早く野営の準備に入る。
近くに村や街があればそこで宿でも取るのだが、生憎と現在地は行くにも戻るにも中途半端な距離であった。
土を掘って即席のかまどを作り、夕食の準備を始める。
現地では普通は朝と昼過ぎの2食なのだが、戦いを生業にする以上は不測の事態に備えて常に腹を満たしておく必要がある。これはシャルムンクとジンの現実派コンビが口を揃えて言うので、旅の最初期からユンたちは1日3食で生活する事にしていた。
シャルムンクが周辺で摘んだ野草と干し肉で簡単な調理を始め、エドヴァルドが焚き火でチーズの断面を炙る。
ユンはその間に食料用の鞄からパンを取り出し、聖剣――ではなく、調理用のナイフで人数分スライスする。
パンと言っても、保存性を高める為カチカチに焼き締められた黒パンだった。結構な力仕事であり、ルーチェに任せても刃が通らなかったりする。
ちなみに保存性を高めてあるのは、旅の携帯食向けに作られている物だから……という訳ではない。これに限らず、現地の市場に出回っているものは大抵の場合こうなのだ。
これは1度にまとめ焼きする事で焼く回数を減らし、薪を節約するためだ。大量に焼くせいで消費に日数がかかるので、貯蔵期間を考え保存性を高める必要があるのである。
正直姉任せだったユンもあまり家事が出来る方ではないが、中位貴族の令嬢かつ王国魔法使い長をやっていたようなルーチェほどではない。普段は万能だがこの一時のみ戦力外となるルーチェは大人しく隅に座っており、ジンは火に寄ってくるタイプの魔物を警戒し周辺に目をやっている。
ジンに至っては立場上、毒を仕込む可能性を考慮し食事の準備に参加する事を許されていなかった。既にある程度の信頼関係を築いてしまった仲間たちからすれば、建て前的なものではあるが。
シャルムンクがスープを煮込む傍らで、ユンとエドヴァルドは黙々と材料を炙る。岩のようなパンと石のようなチーズであっても、一手間加える事で遥かにマシになるのだ。パンは炙ればほんのりと香ばしさを持ち、チーズはとろけて風味と油分を補ってくれる。味気ない携帯食に満足感を持たせる旅の知恵であった。
チーズの断面を溶けた端から削り落とすようにし、温め直したパンに乗せていく。人数分のその作業を終えた頃にはスープの方も完成していた。
今日の献立はハーブ香る干し肉のスープと、黒パンのチーズトーストだ。悪く言えば塩のスープと固いパンである。
「あー、えっと。そういえばさ……」
スープでふやかし中のパンを匙でツンツンとつつきながら、ユンが何か思い出したように口を開く。
「ん? どうかした?」
「うん、実はちょっと提案があって……。えーっと、あのさ。帰る途中の話なんだけど、もし良かったら――」
ユンは珍しく迷うような仕草を見せたが、意を決したように口を開いた。
「――お師匠様とニーナさんたちが住んでるって場所、行ってみない? ……なんて」
ユンが迷った理由が分かった。その内容に、仲間たちは眉を顰めて顔を見合わせてしまう。
「お師匠様って……」
「……あの魔法使い殿か」
魔王城でのあの戦いを思い出しているのだろう。仲間たちの顔に苦いものが浮かぶ。
「だ、ダメかな。たしか、この街道を真っ直ぐ行けば、途中にある筈なんだけど……」
「いいんじゃねーの?」
前向きな返事をしたのは、唯一ハネットとの戦闘に居合わせなかったジンである。
命がけで仲間たちを庇った結果の幸運なのだが、ルーチェは構わずジトっとした視線を向ける。だがジンも慣れたもので、その程度は全く意に介さない。
「それってあの『魔神』が魔法で作ったとかいう集落の事だろ? しかも森人族がわんさかいるとかいう。正直、俺も興味あるぜ」
「む……」
「うっ……!」
ジンの言葉に、無言の否定を見せていたメンバーも僅かに揺れる。特に元魔法使い長であるルーチェは顕著だ。その好奇心は本来ならばジンよりもよほど大きいだろう。
「……そうだな。俺も別にいいかな」
続いて賛成の意を示したのはシャルムンクだ。
「えっと、いいの?」
「ああ。まああの戦いはアレだったが……その後は祝宴でも王都凱旋でも何もして来なかったし、言うほど危険でもないんじゃないかな」
魔王城での戦いでは一方的に死闘を演じる事になったが、それ以降はびっくりするぐらいハネットはこちらに対して反応を見せない。
――まさしく、一方的な存在なのだ。
ハネットからすれば、殺し合った自分たちですら有象無象の1つにすぎないのだと、既に一同はなんとなく理解していた。
また傭兵という世界に身を置くシャルムンクにとって、仲の険悪な者と共同依頼を行うぐらいの事は日常茶飯事であり、その辺りの切り替えにも慣れていた。
「に、ニーナさんにも会えるかもよ?」
「うぐぐ……」
窺うように挟み込まれたユンからの追い打ちに、ルーチェが深く悩む様子を見せた。
その2人のやり取りに、エドヴァルドはため息をついて初めて口を挟んだ。
「――はぁ。行ってみればいいじゃないか。何かあったらお前たちが逃げるぐらいの時間は稼いでやる」
「エド……」
あの戦いで唯一大怪我を負ったエドヴァルドが賛成してしまえば、ルーチェも文句を言う事はできない。
――いや、言わなくてよくなる。
「……ごめんなさい」
「……構わん」
騎士の気遣いを察したルーチェはエドヴァルドに一言謝る。エドヴァルドは対して気にする風もなく頷いた。
「……じゃあ、行ってみるか?」
「……行ってみちゃう?」
しばらく目で探り合っていたユンたちは、場の結論を悟ると形だけ消極的に頷いた。
かくして、勇者一行による魔神の集落観光計画が立てられたのである。
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それから街道沿いに2日ほどかけ、ユンたちはハネットの集落――その北に存在する、あの小さな村を発見した。
そのまま村まで飛ぶのではなく、街道の途中、それも少し逸れた場所で降りる。住民たちを驚かせないよう、日頃から翼竜はなるべく目視出来ない距離にとめる事にしていた。
「あ。あの村、家が木で出来てるね。開拓村なんだ」
街道を歩きながら、村の外観を見たユンがそう口にする。
基本的に王国の家屋は石やレンガ造りの物が多い。
この世界のこの時代、木造建築は地震の起きない大陸内部ではただ耐久性が低く火事のリスクが高い建築様式と見られており、あまり好まれていない。
その中で木造建築をしているのは大抵の場合、森を切り拓いて出来た開拓村だ。
木材が大量に出るので、いくらかをそのまま開拓拠点の建材へと回すのである。その拠点が解体されず更に流用され村となったのが開拓村だ。
周辺がすっかり平野と化しているのを見るに、恐らく入植が行われたのは遥か昔の事なのだろう。実際、人類の生存域を広げようと開拓が盛んに行われていた数百年前ぐらいまでは、王国でも木造建築が主流だったらしい。賢者が登場し石造り化が進んだ現在では、こういった領土の片隅にある田舎ぐらいでしか見ない光景である。
「たしかユンのご実家も開拓村なのよね」
「そう! だから木の家を見るとなんだか懐かしいんだ。まだ2年しか経ってないのにね」
世界中を飛び回り様々な街を見て回ったが、ユンは開拓村に寄った際にだけ妙にソワソワとした気持ちになる。
同じ木造建築とはいっても、気候も違えば細かい造りにも違いがある。それでも、不思議と胸を締め付けるような雰囲気に満ちているのだ。
「なんだか、もう凄く昔の事みたい……」
故郷の村での生活を思い出す。
思えば、随分と変わってしまったものだ。薪割りや畑仕事をしていたのが遠い昔のように思える。いつの間にか、戦いに身を置いていた期間の方が長いような錯覚すら覚えた。
「……それもあと少しよ。きっと、もうすぐ帰れるわ」
「……うん」
ルーチェの言葉にユンは小さく頷く。その様子はどこか実感が無いようにも見える。
ルーチェは妹を見守る姉のように小さく微笑むと、あえて軽い口調で愚痴を零してみせた。
「まあ、たった2年で終わるとは私も思わなかったけど」
「……あはは、そうだね。ルーチェなんて魔法使い長、辞めたんだもんね」
「本当よ。おかげで今から返り咲く事も可能でしょうけど……」
10年単位で、または道中での死すら覚悟して参加した戦いだったが、終わってみれば予想外に短い旅路であった。
戦場での2年間と考えると長いが、一般的な期間として見ると2年など一瞬の出来事だ。この程度ならば、皆元通りの役職と生活にそのまま戻る事が可能だろう。そしてそれは、解放が約束された今ならばユンも同じなのである。
「――うん、そうだね」
ユンはルーチェの言葉に、感慨深げにもう1度頷く。そして気合を入れ直すように顔を上げた。
「……よーし! あともうちょっと、頑張るぞぉー! でもその前に、今は休憩だ――っ!」
ユンはいつも通りの太陽のような笑顔を浮かべ、くるりと回る。その勢いのまま、街道をスキップで駆けて行った。そう言えば、今日は夏らしくカラッと晴れている。ユンの好きそうな絶好の散歩日和である。
ルーチェたちは苦笑と安堵を浮かべながら、その後ろをついて行った。
村の外観がユン以外のメンバーにもはっきり捉えられるぐらいに来ると、畑が道の脇を埋め始めた。
そこから少し進むと、白髪交じりの男――村人の1人が汗を滲ませながら農作業に勤しんでいた。村の規模と年齢に比べ、健康状態が随分と良いように見える。
「あっ。この村で合ってるかどうか、聞いてみよっか」
「そうね」
ユンは言うが早いか、大きく手を振りながらその村人の下へ歩いていく。
「すいませーん!」
ユンの声に気付いた村人がこちらを振り返り――そして、ぎょっとした目を向けた。
ユンたちの格好は、この世界においては最上位クラスの重装備である。一介の村人が警戒心を抱くのも無理はない。ユンが少し遠めの内から声をかけたのも、怖がらせないようにするためだ。
前に似たシチュエーションで嫌な事でもあったのか、今にも逃げ出しそうな雰囲気を放つ村人に、敵意が無い事をアピールしながらゆっくり近付く。
「あのー、すいません。僕たちお師――ハネット様に会いに来たんです。この近くに住んでるって聞いたんですけど……」
「あ、ああ、それなら向こうに行くための道が作ってある――ありますよ」
村人はユンたちの格好とハネットに会いに来たという言葉から身分差を察したのか、話し方を丁寧なものに直した。同時に村の南側を手で示す。
勇者であるユンの顔を知らないという事は、この村は魔族に襲撃された事が無いという事だ。それはとても喜ばしい事であり、ユンはもちろん他の仲間たちも特に何も言わず一般人として対等に接する。
「ハネット様ご本人が魔法で作られた道です。黒いから見たら分かると思います」
「黒い?」
「ええ、黒い石が敷いてあるんです。あー、えっと、失礼しますが、騎士様たちはここまで歩きで……?」
村人はユンたちの足元に目をやりながら言う。物好きな旅人とかならばともかく、武装した金持ちそうな一団が馬にも乗らず街道を往くなど、さぞかし奇怪に映っている事だろう。
ユンは翼竜の存在をなんと説明したものか迷ったが、結局いい言葉が思いつかなったので話を合わせる事にした。
「あ、あー、えっと……はい。まあ、そうです」
「それなら行く前に、ここで水ぐらい汲んどいた方がいいと思います。ハネット様の所までは割と遠いんで」
村人は親切にもアドバイスをしてくれる。普段ならば身分の高い者の相手など早々に切り上げにかかるだろうが、見た目はともかく中身が村人そのままのユンとは話し易いようだった。
「そうなんですか。どれぐらい遠いんですか?」
「いやぁ、歩きだと1刻以上はかかっちまいますね……。村に入って道沿いに南に行けば、その黒い道があります。そこからは本当に真っ直ぐ行くだけです」
「なるほど! ありがとうございますっ。じゃあちょっと行ってみます」
親切な村人に礼を言い、ユンたちは教えられた通りに村に向かう。
「1刻か。翼竜で行った方が良さそうだな」
「そうだね」
とりあえずその黒い道とやらを確かめ、場所と方角を覚えてまた翼竜で辿っていく事にする。村人はああ言ってくれたが、翼竜ならすぐに着く距離なので水の補給まではしなくていいだろう。水や薪は貴重な生活資源であり、タダではない。
一旦村に入り、広い道伝いに途中で南へと曲がる。小さな村と言っても、ユンの村に比べれば倍の人口はありそうだった。
そういえば故郷では羊を飼っていたのだが、この村ではとんと見ない。恐らくこの村の近くには魔物でも出るのだろう。
羊は狭い範囲で飼うと放牧地の草を根絶やしにしてしまうので、広範囲に散らばるように定期的に移動させながら飼わねばならない。だが魔物が存在するこの世界では、ユンの村のように生息域からズレた地域でないとそれが出来ないのであった。今思えばあの村は辺境ながらも平和があった。
少しして村から出ると、同じ幅のまましばらく農道が続いていた。
轍があるので馬車が通ったのだろう。村人しか使わない農道を馬車が通るのはおかしい。耳の早い商人たちは、既に噂の「魔神」との交易を始めているらしかった。このまま往来が増えるようなら、この村にも治安維持のため衛兵辺りが派遣されるかもしれない。
「わ、本当に黒い道だ」
農道を少し行った先に続いていたのは、アスファルトで舗装された道路だった。ハネットが集落を作った最初期に勝手に設置していったものだ。
ユンたちは感触を確かめてみるように上を歩き、ルーチェはしゃがみ込みアスファルトに指を這わせる。
「石を細かく砕いて……黒い……石膏のようなもので再び固めてある? でも……」
ルーチェは立ち上がり、舗装路を2~3回しっかりと踏みつけ耐久性を確かめる。
「それにしてはやけに丈夫ね。それにこれなら水はけも良さそう。表面に適度な抵抗があって滑らないし」
「馬車で走ると揺れなくて快適そうだよねっ!」
「ああ、それは確かに」
見ればつなぎ目の無い黒い線は地平線まで真っ直ぐに続いている。
石畳と違い、凹凸が無いのは道として大きな魅力だった。特に馬車というものは酷く揺れる。乗っているだけで尻や腰を痛めるのはよくある話だ。言い出しっぺのユンには関係ないだろうが。
「うーん、本人が魔法で作ったと言ってたわよね……。【地形操作の魔法】の更に上の魔法かしら」
「まあいいじゃん! それより早く行ってみようよ!」
その場で調査を始めそうなルーチェを引っ張り、ユンは来た道を戻った。道中でこれならば、目的地はさぞ常識破りな場所に違いない。
噂に聞く魔神の集落は、既に面白そうな気配に溢れていた。
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翼竜の背に乗り、黒い道路をひたすら南へと辿る。
北の村からハネットの集落までは7~8kmほどの距離があるが、その程度の距離は翼竜なら有って無いようなものである。
恐ろしいぐらいに真っ直ぐ引かれた黒い道。空から見るとその技術力の高さと異様さがよく分かる。
【マップ】で到着地点の北の村を目印にしながら引いた物なので当然なのだが、これを人の手で再現しようとすると完璧な測量が必要になってくる。先程までの街道もそうだが、道とは普通、蛇の体のようにゆるやかなうねりを見せるものなのだ。これについては土地の所有権や他建築物との干渉など、別の理由から現代ニホンでも同じであるので理解し易い感覚だろう。
ユンたちはどこまでも続く完全な直線の姿に感心していたが、ルーチェだけはその先――遠くに見える山脈、それが真ん中をスプーンで抉られたかのような異常な形をしているのが気になっていた。
「あそこ! 小屋がある!」
しばらく続いた黒い道路。その脇に小さな小屋が設置されているのをユンが見つける。ついでに門番のように2人分の人影が道を挟むようにして立っていた。
恐らくだが、ハネットが用意した関所のようなものではないだろうか。だとすれば一旦降りて、ちゃんと通行の許可を取った方がいいだろう。
ルーチェが仲間たちにそう言おうとした瞬間、突然翼竜が暴れ始めた。
――キュオオオン……
「きゃっ、な、何!?」
翼竜がそれ以上の進行を嫌がり、勝手に旋回してしまう。
突然の異変に驚く一同だったが、聖剣を持つユンだけはその理由が分かっていた。
「み、みんな待って! 1回、降りた方がいい!」
「! どうしたんだ!?」
「あっ、いや、なんか――『壁』がある……!」
「壁……!?」
ユンの自分でも不思議といった様子の声音に、仲間たちは進行方向の空間を見る。しかし壁なんて物はどこにも無い。それは変異者であるユンの目から見ても変わらない。
しかし聖剣から流れ込んでくる感覚は、そこに張られている【モンスター避け】の結界の存在を確かに捉えていた。翼竜たちは動物的な勘からか、それに激突する直前に気付いたのだった。
どちらにしろこの様子では、この先を翼竜で進むのは不可能だ。ユンたちは素直に翼竜たちを下降させてやり、黒い道路の脇に降り立った。
「ったく、なんだってんだ」
翼竜を落ち着かせながらジンが悪態を吐く。状況を確認するため、ルーチェや他のメンバーもいち早くやって来た。
「さっき、壁があるって言った?」
「いや、それがどうも……なんか、この先に見えない壁があるっぽいんだよね……」
「見えない壁……?」
ユンの説明にルーチェたちは道の先を見る。
「それもなんかの魔法か? 進めないようになってるのか?」
「交易を始めようと言うのに、そんな真似をするかしら……って、ユン!」
相談するルーチェたちを置いて、ユンは1人道を歩いていく。
途中何かに触れるように手を突き出すと、不思議そうに首を傾げた。
「あれ? やっぱり、普通に通れそう……」
恐らくはそこに見えない壁とやらがあるのだろう。ユンは確かめるようにその周辺を行ったり来たりしている。ルーチェが慌てて追いかけユンの袖を引っ張った。
「ちょっと! 何かあったらどうするの!」
「あはは、ごめんごめん。でも聖剣から嫌な感じがしなかったから、もしかしたらと思って……」
「で、どうなんだ。結局大丈夫そうなのか?」
ジンの問いに、ユンは曖昧な肯定を見せた。
「うーん、多分だけど、そうなんじゃないかな。聖剣が反応しないし、通れるし。別に変わった事も起きないよ」
「翼竜が嫌がる見えない壁ねぇ……。一体なんなんだ?」
とりあえず、ユンの現状から見ても直ちに何か起こるという訳ではなさそうだった。
ルーチェだけは最後まで警戒していたが、他の4人が何事もなく通り抜けたのを見て覚悟を決めたようだった。そもそもユン以外にはそこに境い目がある事すら分からないので、半信半疑なのもあるだろう。
翼竜たちをその場に残し少し歩くと、先程ユンが言っていた小屋とやらが近付いてきた。
そしてその手前に、道を挟むようにして2つの人影が立っている。
「――魔人形?」
見張りに立つ衛兵か何かだと思っていたのだが、それはなんと人間ではなく、魔人形であるらしかった。
角度によっては紫にも見える謎の黒い金属で出来たその魔人形は、磨き抜かれたように光沢あるその体躯を更に金の装飾で覆っていた。足は人間と同じく2本だが、腕については4本生えており、禍々しい太刀と薙刀をそれぞれ2本ずつ握っている。これほど見事な魔人形はこの5人ですら見たことが無い。それだけ迫力と美しさの両方に溢れた姿だった。
「え? ちょっと待って……あの魔人形――」
道を守るように佇むその魔人形を見て、ユンが初めて警戒するような雰囲気を漏らした。顔には緊張したような色が浮かんでおり、4人に向かって「止まれ」のハンドサインまで出していた。
仲間たちはそのサインに反射的に歩みを止めると、ユンと同じく魔人形を警戒する。
視界の端で仲間たちに見られながら、冷や汗を流すユンは呻くように呟いた。
「――あれ、多分僕と同じぐらい、強い……」
「な……!?」
仲間たちの間に衝撃が走る。
ユンと同等。それはすなわち、あの魔人形たちが将の魔族より強力な存在だという事だ。同時に人類の最強戦力と並ぶ脅威だという事でもある。これ1体で戦争の在り方が変わってしまう代物である。
だがそんな事よりも、今はその化け物が目の前に存在している事の方が問題だ。
もしも襲ってきた場合、間違いなく逃走の一手という事になるだろうが……幸いな事に、危険すぎる2体の魔人形は仁王立ちのままピクリともしない。命令が無い時の魔人形らしく、今は石像と化しているらしかった。
「……おい、あそこの看板」
「え?」
ジンが器用にも魔人形たちから視線を外さずに言う。それで他の4人も気付く。
圧倒的に目立つ魔人形に目を奪われてしまっていたが、その少し手前に大きな看板が立てられている。手書きらしきその看板には、大陸共通文字でこう書かれていた。
“――この看板より先は、魔法使いハネットの支配下にある。敵意を持ち侵入した場合、この先の魔人形がその首を刎ねるだろう”
「ええ……」
――悪人は罪を犯す前に死刑!
恐ろしいぐらいに容赦の無い警告文だった。同時に妙なハネットらしさがあり納得もする。
「すげーな。振るい落とし方が豪快すぎるだろ」
「……大丈夫なのか?」
別に敵意がある訳ではないのだが、あまりにも危険過ぎるため尻込みしてしまう。
それに入り口でこれなら中はどんな世界になってしまっているのか。何しろ関所の監視に勇者を2人つけるような場所である。どんな場所だ。
「えっと……これは、どうしようか」
沈黙が訪れる。5人は顔を見合わせた後、なんとなく周囲を見回した。何かが状況を変えてくれないかという現実逃避である。
しかし当然の事ながら、道路と看板、そして魔人形を除けば周囲に存在するのは小屋のみである。順当に小屋へと視線を向けた一同は、そこで思わず息を飲む事になった。
人が10人ほど入れる大きさの小屋なのだが、なんとその全面、腰から上の高さがガラス張りになっているのだ。しかもそのガラスの精度が尋常ではない。色は完全な透明で、表面は寸分の狂いも無く上から下、右から左に至るまで真っ平ら。陽の光をキラキラと反射させていなければ、そこに何も無いと勘違いしてしまいそうだった。ただの小屋だが、技術力の桁が1つ違う次元にある建築物だとひと目で分かってしまったのだ。
だが、驚いていたのは何もユンたちだけではない。
「――あっ」
そのガラスの向こう、金髪の男と目が合う。
王都の下級騎士に似た見た目の軽装鎧に身を包む、働き盛りと言った年頃の男だった。
男は小屋からガラス越しにずっとこちらを伺っていたらしい。「目が合ってしまったからには……」とでも言いたげに、途轍もなく嫌そうな雰囲気を纏わせ外へ出てきた。
「――お、お前たちは何者だ」
男はお粗末な構えながらも抜刀しており、明らかに自分たちを敵として見なしているのが分かる。
それもその筈。男からすれば、自分たちは突然飛竜で飛来してきた武装集団だ。
これまで出て来なかったのも警戒故だろう。魔人形と看板を見て、あわよくば逃げ帰るのを期待していたと言った所か。
「あっ、す、すいません! 僕たちは敵じゃなくて……」
戦闘力では遥かに格下の相手だが、5人は恐れるように一斉に両手を上げてみせた。目の前の男が怖いのではなく、その後ろにいるであろうハネットが怖いのだ。あの魔法使いの治める土地で問題を起こせば、どんな事になるのか想像もつかない。
「――わ、我々に戦う意思はありません。この先、ハネット様が住まう場所までの通行の許可を求めます」
仲間たちを代表し、ルーチェが落ち着いて返答する。
男は眉を顰めたまま、ユンたちの遥か後ろに視線をやった。
「……あの魔物は何だ」
「あれは翼竜です。飼い慣らした飛竜の仲間で、馬より遥かに早く移動できます」
「飛竜を飼い慣らす……!?」
先程の村でユンが説明に困った理由だが、翼竜の存在はあまり一般人には知られていない。男も翼竜というものを初めて見聞きしたようだった。
だが翼竜に暴れる様子が無いのを見て、嘘ではないとある程度の納得はしたらしい。警戒心が遠くの翼竜から、再びユンたち近くにいる人間の方に向いたのが分かった。
「突然飛来した無作法をお許し下さい。本当はもう少し穏便に降りる予定だったのですが、上空でなぜか翼竜が暴れ出してしまい……」
「……ああ。この先魔物の類いは一切通れないようになっているからな……」
「……?」
男は判断が付かない様子で、油断なく魔人形たちを盾にしたままユンたちを見ている。
「……さっき、通行の許可を求めると言ったな。お前たちの身分と目的は?」
「我々は勇者ユンとその仲間です。ハネット様とは顔見知りですので、お取り次ぎ頂ければ証明は可能です」
「……え!? ゆ、勇者――さま?」
男は目を見開き驚いたようだった。続いて目が泳ぐ。今度は勇者に剣を向けているかもしれない現状に向こうが慌てているらしい。
だがそれも一瞬のことで、男はすぐに毅然とした雰囲気を取り戻す。エドヴァルドだけはそれが騎士の目である事に気付いた。男は勇者よりも主であるハネットの立場を優先させたという事だ。
「――分かった。では魔法でハネット様に聞いてみる。そのまま動くなよ」
「魔法で……?」
男はユンたちから視線を外さず、小屋の中へと帰って行った。ガラス張りなので中にいてもお互いの姿が見えている。
男は机の下から1本の巻物を取り出すと、その封を解いた。その瞬間、巻物が青く燃え上がる。
「!?」
謎の現象に仲間たちと一緒に驚いていたユンだったが、同時にその優れた聴覚が小屋の中の男の独り言を拾う。
「――ハネット様、ギルです。今いいですか? ……はい。あの、勇者とその仲間を名乗る者たちが通りたいと……あ、ええ、はい。人数は5人。女2人に男3人、翼竜?とかいう飛竜に乗ってやってきて……あ、はい。分かりました。え? ……ああ、なるほど。そうですね。はい。はい。分かりました。聞いてみます。それでは――」
男は小屋から出てくると、まず真っ先に頭を下げた。
「ハネット様から許可が出ました。多分本物だろうという事で……。あの、すいませんでした、勇者様」
「あっ、いや、僕たちも悪かったし……」
「ええ、職務を全うされたのですから。頭をお上げ下さい。あのそれより、今のは……?」
「ああ……燃えたやつですか。あれはハネット様がお作りになった魔具です。使うと遠く離れた人と会話できます」
男は申し訳なさそうに頭を上げつつルーチェの問いに答える。その強力無比なる効果を聞いて口をあんぐりと開くルーチェだったが、その口から次いで質問攻めが飛び出す前に男が話を進め始めた。
「あの、悪いんですけど、この集落にはハネット様の魔物避けの魔法がかけられているんで、その翼竜とやらはここから先には進めません。あれをどうするか、ハネット様は皆様に判断を委ねると言ってますが……どうされますか? 世話がいるならこちらで用意しても良いって話ですが」
男の言葉に、ユンたちは納得いったように顔を見合わせる。
「ああー……さっきの壁がそうなのかな?」
「そ、そうね……多分」
魔物避けの魔法ってなんだ。意味が分からない。
ルーチェは入る前からの怒涛の驚きに頬をひくつかせながら答える。
「わ、翼竜については躾がしてあるので、2~3日程度なら放置しても大丈夫です。我々も明日には帰るつもりなので、あのまま置いていっても構いませんか?」
「……ええ、どうぞ」
言葉とは裏腹に、ユンの聖剣は男の内に浮かんだ否定的な感情を捉える。
1日中翼竜が徘徊する近くで過ごす事になる男からすれば、たまったものじゃないだろう。ユンは聖剣がハネットの事を怖がっていた時の事を思い出し、なんとなく男がかわいそうになった。それ以外に選択肢も無いので仕方ないが。
「あ、あはは、まあ翼竜は暴れたりしないんで……」
「ああ、いえ……。……んんっ。それでは、この先を通行するにあたって注意事項があるので、それだけ説明させて下さい」
「あ、はい」
男は仕事モードの雰囲気を作るとその説明とやらを始めた。
「まず、ここでは騙しや盗み、人殺しとか、とにかく悪事の類いは厳禁です。これは犯罪だからって言うより、やった場合に命の保証が出来ないからです」
「……あの魔人形ですか?」
「はい。あれは魔物や悪人が集落の中に入ると、勝手にすっ飛んで行くんです。あ、実際にやってなくても、頭の中で企んだだけで駄目なんで」
「あ、頭の中でも?」
「なんか、敵意や悪意を持ってるかどうかで敵を見分けてるらしいです。ですんで心の中で悪いこと考えたらもう駄目だとか。あれはこの先大量にいるんで気をつけて下さいね」
それで納得がいった。
例えばこの男だが、ユンが勇者と知った上で言葉遣いがこれだという事は、あまりちゃんとした教育を受けていないのが伺える。先程の弱そうな構えの件もそうだが、その辺の村人に適当な装備だけ与えたような雰囲気があったのだ。衛兵としても審査官としても不適切である。しかし、こんな化け物魔人形が警備しているのだ。実際に誰でも良かったのだろう。
ただ、エドヴァルドだけは先程の芯の通った態度を思い出し、中々悪くない人選をするものだと評価していた。少なくとも賄賂になびいたりはしなさそうだ。したら隣の魔人形に首を刎ねられるのかもしれないが。
「あと用を足す時なんですけど、この集落だと場所が決められてるんです。小屋とか店の中とかにこの赤と青の絵が描かれてる時があるんで、目印にしてください。ちなみに赤が女用、青が男用です。それ以外の場所――例えば林の中とかでも、用を足すのは禁止ですから」
男は看板に見本として描かれている2つの絵を指差して言った。
片方は青色を背景に白で丸と逆三角が描かれた絵。もう片方は赤色を背景に丸と三角が描かれた絵だ。
なるほど、男と女の体格差を上手いこと表現した絵である。
「万が一やっても別に魔人形が動く訳じゃありませんが……ハネット様が怒ります」
それはつまりもっと危険だという事だ。5人はこのルールをしっかりと胸に刻んでおくことにした。
「それで中に入ってからの事なんですが、一番最初にハネット様のお屋敷に寄って下さい。そこで来訪の理由なんかを尋ねられるので、正直に答えて下さいね」
小さな村などに滞在する際は、村長に顔ぐらい見せておくものだ。ここではその暗黙の了解が規則として明言されているらしい。
ユンたちは頷き了承の姿勢を示した。
「このまま真っ直ぐ進み、最初に見える大きな白い建物がハネット様のお屋敷です。さっき連絡したので行けば会えると思います。――では、説明は以上です。ここには通行料とかは無いんで、どうぞお進み下さい」
「えっ……」
男が道の先を示しながら脇に退ける。つまりは、魔人形2体の間を空けたのだった。
――結局、ここは通るのか。
「つ、通行許可証もありますが……見せますか?」
ルーチェがなんとか回避できないかと、遠回しに自分たちに危険が無い事をアピールする。
「ああ、いえ……ここでは通行許可証は必要ありません。何しろ――」
男は魔人形に目をやる。
「――悪い奴は、入ってきようが無いんで」
魔人形たちは審査官の役割もきちんと果たしているようだった。つまり、この先に進むにはこの儀式を避けて通る事は出来ないのだ。
これは相当に勇気の要る話であった。普段なら最悪の場合戦えばいいと思う所だが、今回はユンのおかげで戦っても勝てない相手である事を先に知ってしまった。悪事を働いた訳でもないのに審問にかけられたような恐怖がある。
だいたい心の中に悪意があればアウトという話だったが、人間誰しも後ろめたい事の1つや2つはあるものだ。自分は含むところの無い清廉な人物だと胸を張って言えるだろうか。
「…………」
結果、一行の足はピタリと止まる。多く一般的な心の機微として、自分の内面に意識を向ければ向けるほどに自信が無くなるようだった。
誰も歩き出そうとしないユンたちを見て、男は短く苦笑した。
「あー、まあ、そんなに構えず。意外とゆるいんで、大丈夫ですよ。殴るぐらいまでなら平気ですし」
そう言って男は魔人形をゴツンと殴ってみせる。確かに微動だにしない。反応するのは一定以上の悪意がある場合のみであるようだ。
「ちなみに、今までに引っかかった者は……?」
「いや、いませんね。というのも、本当に悪い事考えてたっぽい奴らはビビって帰っちゃうんで」
「なるほど……」
聞いた限りでは自分たちなら大丈夫そうではある。
「じゃ、じゃあ、僕から……!」
さすがは勇者と言うべきか、こういう時に真っ先に動くのはユンである。
ユンは心臓をドキドキさせながら魔人形たちの前まで来る。動いた場合迎撃した方がいいかと聖剣に手を伸ばしかけるが、それが敵意と取られて反応されては本末転倒であると気付く。
ユンは覚悟を決めると目をきつく瞑り、胸の前で両手を握ったまま「えいっ!」という掛け声と共にピョンと跳び込んだ。
魔人形たちは――動かない。
「おおー……!」
その様子を固唾を飲んで見守っていた4人からなぜか拍手が飛んだ。
「………! ほわーっ! やった! 怖かった! うわーっ!」
ユンは薄目を開けて恐る恐る現状を確認し、続いて興奮した童女のようにその場で飛び跳ねている。
その一連の流れを監視役の男は特に感慨もなさ気に見ている。男からしたら人が通る度に起こる恒例のイベントであるようだった。
「じゃ、じゃあ、私も行くわ……!」
怖いことは早く終わらせたかったのか、青い顔のルーチェが2番手を希望する。魔法使いとしてそちらの方が精神的安堵があるのか、なぜか【飛行の魔法】で浮かびながら恐る恐る間をすり抜けた。そして意味も無くきゃっきゃと言いながらユンと抱き合う。審判の門からいつの間にかホラーアトラクションになっていた。
「うっわ、これ怖いな……」
「…………」
続いてシャルムンクが無事通り、エドヴァルドもいい加減慣れたように通り抜ける。そして――
「――まあ、問題は俺だわな」
ジンが最後まで残った。この男を悪人と言わなければ誰を悪人と呼ぶのだろう。そんな男である。
ちなみに本人を含めて5人中5人が「もしかしたら死ぬかも」と思っている。
「だ、大丈夫だよ! ジンはもう悪い事なんてしないよね?」
「…………」
「なんで黙るの!?」
一度罪を犯す事に慣れてしまった者は、何度でも過ちを繰り返すものだ。自分がもう悪人でないかと聞かれると疑問しか残らない。頷けと言われても、狙いやすい財布でもあれば手が勝手に動いてしまうかもしれない。
ジンの葛藤を察したのか、仲間たちが思い思いのアドバイスを送る。
「そうだ。我々ではなく、自分に誓ってみればどうだ。金欠で酒を節制する時のようにだ」
「よーし、俺は少なくともこの中では悪い事はしねえ。盗みもしなけりゃ喧嘩もしねえ――」
必死である。
その様子を男が不思議そうに見ている。まさか勇者の仲間に盗賊がいるとは思わないだろう。
「よっしゃ、ルーチェの奴でも通れたんだ。今の俺なら行けるッ!」
「ちょっと、どういう意味よ!」
「うおおおおお――ッ!」
ジンは勢いに任せる作戦に出たようだ。助走をつけて思いっきり駆け込む。
その結果――
――魔人形たちは、反応しなかった。
「うおおおおああああ、あっぶねえええ!」
「やったぁー! ジン!」
「フォー! あの世で見てっか馬鹿共ー! 俺はやったぞぉー!」
はしゃぐ一行を「勇者とその仲間たちって仲良いんだなぁ……」と男だけが見ていた。
――ともあれ、これで無事魔神の集落への到着である。
ユンたちはギルに見送られながら、教えられた通りハネットの屋敷を目指して先へと進んだ。
やがて「真実の口」的な観光名所に?