60 そして『私たち』は出逢う
2017.11.14 3章ラストです。※3日更新はここまでとさせて頂きます。
豪華絢爛たる宮殿のとある一室に、1人の女の姿があった。
その一室の広さは聖剣が安置される王国の玉座の間すら上回り、どの一辺を見ても数十メートルという規模を誇る。石造りの空間には見上げるような超巨大な円柱が整然と並べられ、その圧倒的自重を支えていた。
これだけの巨大建築物となると、建築にどれだけの労力がかかっているのか想像もつかない。その上ただ広いだけでなく、異国情緒溢れる彫り物と素材を生かした華やかな空間デザインによって、輝かんばかりに飾り立てられている。
その風景が映り込むほどに磨き抜かれた大理石の床に、玉座に腰掛ける女の姿が浮かぶ。
色艶のよい黒い髪を頭の後ろで束ねた、年の頃は30歳前後といった女だ。浅黒い肌と布面積の小さいアジアンテイストな服装が、この土地の気候を表していた。
女は座り慣れた玉座にて真顔で頬杖をついているだけだったが、そこに物憂げな気配がある事は見る者が見れば分かる。
「――どうかされましたか、陛下」
その「見る者」に含まれる厳めしい雰囲気を放つ男が、顔の印象には似合わぬ声音で女を思い遣るように声をかける。
思案の底に至り虚空を眺めていた女は、その視線を男に向けた。
――最初に認識する事になるのは、その「大きさ」だ。
身の丈は2メートルにも届こうかという高さがあり、鍛え抜かれた肉体は女と同じ種族である事が疑わしいほどの厚みというものを備えている。
その岩塊のような体は冷たい輝きを放つ漆黒の全身鎧に覆われており、その背には同じ色の金属により練り上げられた戦斧――バルディッシュが抜き身のまま下げられている。
この星半分の覇者たる女に直接口を利くなど許されない行為であるが……この男は、数少ないそれが許される立場にあった。
「雷鳴」――アルヴァー・グリンガム。
あの勇者と同じく【変異者】にして、帝国側の武力の象徴として恐れられる男である。
ならば、その「雷鳴」が敬いをもって話しかける人間など、この世には1人しかいないだろう。
――その女こそは、エールラ・オ・ブラッドレイ・アウストラーデ。
大陸のその半分を支配下に置く女帝――アウストラーデ帝国最初にして現皇帝である。
「ねえ、アルヴァー。あなた、例の勇者と戦ったら勝てると思う?」
アルヴァーの質問には答えず、女帝は一方的に言葉を返す。
アルヴァーはこれでも戦場からたった今帰還し、休む暇も無くその報告に来たところであったのだが……その労いも配慮への感謝も女帝からは感じられない。女帝からすれば「雷鳴」が無傷で帰還するのは確定事項であって、確認を取るまでもない。
ある意味肩書きに似合った傲慢な態度だ。
それにこういったやり取りは2人の間では日常茶飯事なのか、アルヴァーは特に気にする風もなく聞かれた事への答えを淡々と述べた。
「噂の『閃光』さえ出させなければ、いかようにも。あれは『素人』ですので」
アルヴァーの中には驕りも嘲りも一切無い。ただ事実を述べているのみだと、その気負うことのない態度が物語っている。
「閃光」の勇者――ユンには、剣技はともかく経験というものが無い。その不足したものを、この「雷鳴」は持ち合わせていた。
「そう……。それじゃあ、ニーナ・クラリカとなら?」
「……状況によります。私の射程圏内なら敗北は有り得ませんが……私は遠距離への攻撃手段を持っておりません。その上、向こうも先々代の王国勇者に匹敵するような魔法使いですから、距離を確保されれば負けるでしょう」
「そう……」
女帝は物憂げに息を漏らす。その事実こそが女帝の心の内を淀ませているのかと、アルヴァーはすかさずにフォローを入れる。
「……ですが、帝国には四魔将もおります。件の土の賢者をそちらに預ければ、私は勇者との一騎打ちに臨めます。そうなれば、兵の数はこちらの方が圧倒的に多いのですから、魔族さえ滅んでくれれば問題無く勝てるのでは?」
「そう。そこなのよ」
女帝は重々しいため息をつくと、アルヴァーの早合点を暗に否定する。
「例の天変地異の犯人が分かったわ」
それは、アルヴァーが求めた最初の質問に対する答え。
一見迂遠にも思えるやり取りを挟んだ事で、至極分かりやすく状況を説明した。
「――王国に、『魔神』と呼ばれる、4人目の強者が現れたそうよ」
◆
稀代の覇王が勢力図の変化を知ったその日より、時は僅かに巻き戻る。
場所は、女帝のいた宮殿――帝城とは打って変わり、凪いだように風雅な美しさを有した庭園の中。
細部に高い技術力が伺える木造建築に、龍の意匠を施された瓦屋根。
日本庭園というよりどこか中国庭園を思わせるその建物は、広大な面積を占める池の上に建てられていた。
よく管理されているのであろう池には情緒を醸し出す蓮が咲いており、その下を雅な柄の鯉がゆったりと泳いでいる。
その空間を包む空気は静謐に満たされており、人間の話し声はもちろんの事、水流が無いため水の音すらもしない。
ひとたびそこに立ち入れば、きっと外界とは時の流れからして違うような錯覚に陥るだろう。
帝城のような分かりやすい華美さではないが、そこには洗練された、そしてかかっているであろう手間は桁違いに多いと理解できる真の贅沢さがあるのだ。
全てが完璧な状態に維持された、極上の世界。
――その聖域に、その少女は存在していた。
まるで深い山奥のような静けさを保っていながら、そこには1人の少女が従者まで伴った状態でずっと座っていたのだ。
水上の縁側にて、丸いガーデンテーブルに用意されたお茶を静かに嗜んでいる少女。
その少女は、あまりにも可憐だった。
女性らしく長く伸ばされた黒髪は、まるで濡らしたような艶を持ち――豊満な胸元は、否応なしに男の視線を釘付けにする。
その色気を匂わす印象とは裏腹に、その身長は存外低めで、顔立ちについてもどこか幼い。透き通るような白い肌は一瞬で溶ける雪のような儚さを連想させ、その絶妙な食い違いは男の心を劣情で掻き乱すだろう。
烏羽のような妖艶な黒と、そのコントラストにより更に映える無垢な白。
それはニホンで言えば雪国の出身を想起させる色合いだが――それを否定するように、瞳だけが濃い瑠璃色を有していた。
その華奢な身体を包むのは、髪と同じように黒い着物。
――それは、この世界に存在しない筈の「和服」に近い。
少女は従者の淹れた茶に音も無く口をつける。
洗練された所作には一分の隙も見当たらない。まるで機械のように精密な動作だった。
――声をかける事さえ憚られる美しさ。
まるでその少女すらもがこの完璧な空間の一部であるかのような溶け込みだった。
若い娘で揃えられた従者たちは、その少女の後ろで身じろぎすらせず硬直を維持している。その堂に入った姿からは、この光景が幾度となく繰り返されてきた「日常」の一部である事が理解できた。
息すらも潜めたくなるような、その静寂の中――
――何の前兆も無く、声だけが突然生まれた。
「姫様。――ルシフェルの反応が、消えたそうです」
足音も、そしてその姿すら表すことなく「声」は告げる。
「まあ……」
その声の報告に、姫様と呼ばれた少女は花が咲くような微笑みを浮かべる。
それは見るもの全てにため息をつかせてしまうような――そんな圧倒的愛らしさだった。
「それで、ムラサキ……。――ご尊名は?」
「はっ。かの方の名を――『ハネット』様というそうです」
「――ハネット、様」
少女は手にしていたカップを静かに置く。
――恐ろしい事に、陶器の擦れ合う硬質な音すら立たせずに。
「――では、出立の用意を」
「はっ」
忽然と介入した声は、同じように忽然と気配を消す。
声に指示を出した少女は、自らもその役目を果たす為、立ち上がった。
「ついに、努めを果たせる時が来ましたね――」
少女は誰もを魅了する魔力をもって微笑む。
空より青いその瞳に――井戸底のような、仄暗さを宿し。
『第3章 ~邂逅~』 完。
これにて第3章終了です。本当にありがとうございました。
この後はおまけ話を2~3話ほど挟んで、ついに(やっと)初サイコ回が来ます。




