57 祝宴
2017.10.24
予想を超える長さに、結局もう1回だけ分割する事にしました。中編です。
数刻後の夜。
そこでは帰還した一同を労うため、国王が祝宴の準備を急がせていた。
彼らは歴史に残るであろう偉業を成し遂げた者たちだ。国を挙げて賞賛すべき英雄であり、その辺りをおざなりにする訳にはいかない。
莫大な予算をかけ、領土中を戦勝パレードで練り歩いても足りないぐらいだ。
……が、そんなあるべき「普通の姿」は、当然ながら「普通の時」にしか用意できない。
忘れてはならないのは、この王都が襲撃を受けた直後であるという事だ。
王宮内だけで見ても、物資、働き手、両者不足している状況にある。
また帰ってきたのが夕刻というギリギリの時間帯である。日没と共に眠るこの世界では、それは就寝一歩手前の時間帯だ。多くの部署が仕事を片付けた後だったし、客人を招待するにも遅すぎた。
平時ならばともかく、現状で求められるであろう水準を満たすのは物理的に不可能だった。正直言って、ハネットを招いたあの晩餐会のような大々的な物は開けない。
結果的に規模は小さく、参加者は当人たちのみという、「王宮で開かれる祝宴」としてはあまりにもお粗末な物にならざるを得ない。近所の酒場を貸し切りにするだけで似たような規模の物を再現できるだろう。
――それでも、あの「王宮」が可能な限りの贅を尽くした物である。
広い会場に、これでもかと用意された豪勢な料理に酒。光の魔具により夜だというのに部屋は明るく、食器に椅子、テーブルクロスから絨毯に至るまで、およそ目に付く一切の部分に妥協が無い。その他では用意できない、「質」という物があるのだ。
それはきらびやかな「貴族の空間」。実力のみで集められ、平民も多い兵士たちにとっては十分すぎるイベントである筈だった。
ならば、あとは国王がこう宣言するだけでいい。
“戦友たちと安らぎの中語らえるよう、ささやかな宴を用意している。今回は身内だけの気軽な席だ。ゆっくりと楽しんでくれ”
――と。
数の少なさと規模の小ささを、「国王からの気遣い」であると表現したのだ。
実際、帰還したばかりで心身ともに疲れている兵士たちにはこれぐらいの方が仰々しくなくて嬉しい。
それに常識的に考えれば、「今回は」という事は「次回」があるという事。あくまでこれは「本番」ではなく、純粋に自分たちの疲れを癒やす為に開いてくれた「おまけ」なのだろうと捉えた。兵士たちからすれば祝宴が2回に増えたようなものだ。
状況を逆手に取り、迅速な対応と臣下への思いやりを両方示す一手である。それと同時に本格的な物を準備するまでの1日分の時間稼ぎにもなっている。
こうして何もかも足りないながらも、誰も不満に思う事の無い和やかな祝宴が始まった。
……その裏では最低限しか残されていない使用人たちが悲鳴を上げていたかもしれないが。
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「はい。それでは皆さん、グラスを持ってー」
なぜかあの晩餐会の時と同じく、ハネットが壇上で乾杯前の余興を行っていた。
参加者たちの酒盃には湧き出るように食前酒が満たされ、その光景に多くの驚きの声が上がる。
「そんじゃ、かんぱーい。いえーい」
「あ、ちょ」
ハネットがそのまま乾杯の音頭まで取ってしまった。
主催者の国王が慌てて割って入ろうとするが、ハネットに釣られて乾杯してしまった会場の空気を見て諦めた。言おうと思っていたいくつかの言葉は閉会の時に回すしかない。
兵士たちもその国王の様子に、どうやらこの場は本当に無礼講らしいと理解する。恐る恐る口にしたハネットの酒の異様な美味さに食欲を刺激されたのもあり、会場の雰囲気に気後れして我慢していた豪華な料理に群がり始めた。
ハネットはそんな和気あいあいとした会場を見つめ、続いて自分の手にあるグラスを眺めると、それを適当な机に置いた。ハネットは酒が飲めないのである。
「――帰るか」
「ちょっと待ってくれ、ハネット殿ッ」
そのまま流れるように出口に向かい始めたハネットを、国王が間一髪で引き止める。
「あん?」
「ほら、昼間は交渉の途中だっただろう? あれについて――」
「ああ、それか」
ハネットは国王の話を手の平を向けて遮るという暴挙に出る。この国どころか世界中を探してもこんな真似が出来るのはハネットぐらいだろう。
「悪いが、あれの続きは明日にしてくれ。――実はもう1人、連れて来たい奴を思いついたんでな」
「……ほう。それは一体?」
「ふふふ。それは明日になってからのお楽しみという奴だよ」
交渉の席に参加させたい者。
それが何者なのかは分からないが、途轍もなく嫌な予感がする。
思いついたという事は、今日の時点で交渉していれば会わずに済んだということだろう。
もしやこの男には時間を与えれば与えるだけ事態が悪化していくのではないだろうか。
「そっ、そうか……。で、では明日、改めて会談の席を設けるとしよう」
「うむ。そうしてくれたまえ」
「そういえばハネット様。ハネット様が向かわれた直後に、空が『夜』になったのですが――」
国王の隣に控えていた宰相がすかさず会話を繋げる。ハネットがふらりと消えてしまう前に、いくつか消化しておかなくてはならない事がある。
「そうです、師匠。私も気になっていたのですが、あの夜になった魔法は結局何だったのですか?」
宰相の質問に便乗するように、近くにいたニーナも興味深げな視線を向けた。
「夜……? ――うげぇっ! そうか! 【星墜し】の装備エフェ――」
そこでハネットは慌てて自分の口を押さえた。目が右へ左へと泳いでいる。
どうやらこの話題は彼にとって何かしらの不都合があるらしい。ハネットの思わぬ反応に、国王、宰相、ニーナの3人が密かに眼光を鋭くさせる。
「そっ……それって、あのー、あれか? 夜になるっつーか、ほら、太陽光とか光とかが全部どっかに集まっていく感じの……」
「……ええ、そうです。あれはやはりハネット様が?」
「あー、い、いや、魔法。魔王との戦いで使った魔法? の余波みたいなもんでな、うん。まあ一瞬暗くなるだけで、害は無いから安心してくれ」
あからさまに何かを隠している。
「――師匠、魔王城から王都まで届く範囲の魔法など、尋常ではありませんよ。下手したら世界中を巻き込んでいるかもしれません。やはりそんな魔法を使わなくてはならないぐらい、魔王は強かったのですか?」
「えっ――!?」
その話題こそが最も不都合のある部分だったのか、ハネットはグリンと顔を逸らした。
「……いえ、別にそんな事はありません。超余裕で倒しましたとも、ええ。……いえ、もちろんわたくしが強すぎるだけで、貴方達では勝てないぐらいには強かったと思いますが」
「なんで敬語なんですか」
まさか奮発して払った700円に首を締められる事になるとは――!
ハネットは質問攻めに会いながら、心の中でそう思った。
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ハネットが国王たちに質問攻めにされている裏では、作戦部隊の参加者たちが久しぶりのまともな料理――それも極上の物に舌鼓を打っていた。
何しろ出来が素晴らしい上に、40人という少人数である為に相対的に量まで多い。皆戦いの疲れを忘れたかのように、この祝宴を楽しんでいた。
「あ、ユン。あそこにあるの、前に美味しいって言ってた鳥の料理じゃない?」
「え、うそっ。どこどこ?」
ユンとルーチェの2人は慣れた様子でのんびりと会場を回っていた。
ちなみにユンの片手には酒ではなく柑橘系の果実を搾ったジュースが握られている。庶民舌かつ子供舌のユンは、食べ物も飲み物も分かりやすい味の方が好きだった。
――それからしばらくして皆の空腹も満たされた頃。
各々が好きに集まり歓談を始めているが、やはりその中でも特に多く話題になっているのは謎の魔法使い、ハネットについてだった。
「ああちょいと、勇者様方」
ユンとルーチェはその内の1つのグループに呼び止められた。皆酔っているのか顔が赤い。
「お二人はあの魔法使いの事、どう思いますか? どうにも規模が大きすぎるというか、胡散臭ぇように思うんですわ」
「ちょ、ちょっと……聞こえたらどうするんですか」
男たちはハネットをただの魔法使いと思っているのかもしれないが、ハネットは身体能力においてもユンを上回っているのである。当然その聴覚も相応のものであると予想できた。
ルーチェとユンは慌ててハネットの方を盗み見る。
「ねえハネット、ボクあっちでお酒でも貰ってくるね。なんか珍しい葡萄で作った高級な葡萄酒があるらしいよ」
「…………ルルちゃん、お酒はやめようよ。ほら、あっちにルルちゃんが好きな羊の料理があるよ」
「もう食べたよ。それにお腹いっぱいだから、料理はもういいかな」
「よし分かった。ティア。今この瞬間からお前をルルの監督役に任命し、全責任を譲渡する。だからこいつが酔ってなんかしたらその時は全部お前のせいだ。俺は逃げる」
「えっ」
……どうやら聞こえてはいないようだ。ユンたちは人知れず胸を撫で下ろした。
「あー、いや、胡散臭いって言っても……あの人が物凄く強いのは見た通りだし……」
「あのアホみたいな魔法ですか……」
ユンたちがハネットと戦い、そして惨敗した事はまだ誰も知らない。だが魔王城を消滅させた最後の魔法だけでもその脅威は十二分に理解できる筈だ。
「大体復活の魔法とかもおかしいだろ?」
「もしかしてありゃ幻術の類いで、俺達は今も夢を見てるんじゃないのか?」
「む。言われてみれば、なんだか少し頭がふらふらするような……」
「そりゃ酒のせいだよっ! うはは」
酔った男たちは勝手に盛り上がっている。ユンとルーチェはどうやってお暇しようかと困ったように顔を見合わせた。
「いやぁ、最後の魔法はそうでしたけど、俺はやっぱりずっと一緒に戦ってた勇者様が凄えと思うなぁ。蟻んこみたいに次から次に現れる魔族どもを、バッタバッタとなぎ倒して行くんだもんよぉ」
比較的若い兵士がそう声を上げる。それでも18のユンに比べれば遥かに歳上だ。シャルムンクやジンのように若くして最精鋭に数えられるような者はほんの一握りである。ユンは恐縮したように頭と両手を振った。
「い、いや。僕なんて聖剣が凄いだけで、大した事ないですから……」
ユンは本気でそう思っている。今日ハネットにも言われた事だが、技量だけを見れば自分は目の前にいる戦士たちの誰よりも低い場所にいる。
しかし、そんなことは他からすれば大した意味を持っていない。
「何言ってんですかぁ! 俺なんて危ない所を何回助けて貰ったか!」
「そうですよ、勇者様。あんたは強いだけじゃねえ。勇者の名に恥じない行いができる人だ」
戦いは命のやり取りであり、皆必死だ。それぞれが自分の敵にかかりきりになっているその中で、助けてくれた人がいるのだ。技量など、命を救われたその事実の前ではどうでもいいことだ。
「そうそう! それにきっと勇者様が天才だから聖剣に選ばれたんですよぉ!」
「あの5体ぐらいに不意打ちされた時のを見たかよ!」
「ああ、あの一撃で5体全部薙ぎ払ったやつな!」
そもそも、百歩譲ってそれが武器の性能による強さだとしても、実際それで最強ならば何の問題も無いのだ。戦士である以上、重要なのは「強さ」という部分のみなのだから。
ユンは誰よりも強く、そして誰よりも多くの魔族を屠った。長らく戦場にその身を置いてきた精鋭たちに言わせれば、それが全てだ。
「あ、あはは……」
酔っぱらいたちの勢いにユンは尻込みしてしまう。
基本的にユンはとても貧しい村の出である。酒が振る舞われる機会など年に数度の祝いの席ぐらいしか無く、それについても村中で分ければそれほど量が確保できる訳でもない。そのため、これ程までに泥酔した人間を相手にする機会という物がほとんど無いのであった。
「あの、皆さんそれぐらいで……」
見かねたルーチェがやんわりと間に入ってくれるが、すっかり出来上がっている兵士たちには宮廷魔法使いの言葉もBGMと化しているらしい。
いつもよりしつこい賞賛に辟易とし始めてきたユンだが、そこに更に新たな声がかけられる。
「おうおうおう、なんだぁ。おめえら、今頃ユンの凄さに気付いたのかぁ~?」
「ジ、ジン?」
声の主は仲間の1人、ジンであった。他の者たちと同じく泥酔しているのか、迷惑そうなシャルムンクに支えられるようにしてなんとか立っている状態だ。
「ど、どうしたのジン。あなたが酔うほど飲むなんて」
ルーチェが驚いたように言う。
意外な事に、このジンという男は酩酊するほど酒を摂取する事が滅多に無いのだ。咄嗟の時に判断力が鈍っていると生き残れないからだと言う。
普段は粗野な振る舞いが目立つが、その実仲間の中でも最も自制の効くところがあるのだった。
……しかし、それが今はこの有様である。隣のシャルムンクも肩をすくめてみせた。
「あったぼうよぉ。こんな大仕事が終わった日ぐらい、酒の1つも飲まぁ。せっかく安全な王宮の中まで飛んでこれたんだしなぁ。んな事よりお前ら、ユンの話だけどよぉ~」
ジンは周りの男たちに言い聞かせるように語り始めた。
「――俺はなぁ、お前らなんかよりず~っと前から、こいつはやる奴だと思ってたんだぜぇ。セムヤザの野郎と始めて戦ったあの夜からなぁ~」
ジンの口から溢れたその発言に、ユンたち旅の仲間はぎょっとした。
ジンの褒め言葉など、もしかしたら出会ってから今日までで初めて聞いたかもしれない。いつもからかわれているユンなどは、思わず自分の耳を疑ってしまった程だ。
「いいかぁおめえら。こいつはなぁ、あの夜が初陣だったのよぉ。まだ剣もまともに振れないような素人がぁ、いきなり魔族の大群に襲われちまったんだぁ。普通なら怖くて人任せにするか、隠れてる事しか出来ねぇだろうよ。俺の時だってそうだったぁ。……けどなぁ、こいつは違えんだ。こいつはそんな中で、自分で剣を取る事を選びやがった。こいつが聖剣持って走ってきた時、その時に俺は思ったんだよぉ。やっぱ勇者に選ばれる奴は、ものが違うんだなぁ、ってよぉ」
初耳だった。まさかジンがあの夜、そんなことを思っていたとは。
普段から軽口ばかり言っている男だが、これだけ口が軽いのも珍しい。どうやら本気で浮かれてしまっているようだ。
「ジン……」
「――こいつはなぁ、俺らとは根本的に出来が違うんだ。聖剣に選ばれんのも当然だ。生まれながらの勇者様ってやつなんだろうよぉ」
あの夜を経験した仲間たちにしか伝わらないこれまでの話と違い、その言葉には多くの者が頷いていた。
ユンという少女には、人を惹き付ける何かがある。
それは勇者を間近に見た者なら全員が認めるところだ。
(……あれ? なんか……)
普段ならば絶対に聞けないであろう、仲間からの素直な評価。そして自身を認めてくれる言葉の数々。
恥ずかしいような、嬉しいような、そんな照れくさい感情が湧き上がる。
――そう。
普通なら、その筈なのだ。
しかし、ユンはこの時、自分でも意外な程に感情が動かなかった事に気付いた。
――何かが、足りない。
胸の奥に、どこかそんな気持ち悪さが――そんな、「物足りなさ」があるような気がした。
「……よっしゃあ! おめえら、酒を持てぇい!」
「えっ」
自分の中に生まれた思わぬ感情にユンが戸惑っていると、その原因である酔っぱらいが思いつきで酒盃をかかげる。同じく酔っぱらいである周囲もノリよく応じた。
「――閃光の勇者様に、かんぱぁーいっ!」
「かんぱーい!」
大量の視線と酒盃がユンに向けられる。
どう反応したらいいのか分からないユンを置き去りに、勝手に楽しそうな一同は豪快に酒を煽っている。
自分で言っておきながら限界が近いのか、ジンの飲む速度は非常に遅い。しかし飲み干すまで酒盃から口を離す気は無いらしい。
「おい……ジン、いい加減にしとけって――」
「おえええええ」
「うわぁーーーっ!」
言っている側から足元に嘔吐され、シャルムンクはジンを容赦なく突き飛ばした。ジンは床にべちゃりと潰れると、絨毯の柔らかさが気持ち良かったのかそのまま寝息を立て始めた。
ジンの一連の醜態に周りの男たちは腹を抱えて爆笑している。
「うわぁ……」
珍しく可愛げがあると思ったらこれである。
ドン引きするユンの耳に、先程から遠くで他人のふりをしていたエドヴァルドの「酷いな……」という至極妥当な評価が届く。基本的にジンの心配をする人間はいない。
光魔法が使えるルーチェは貧乏くじを引いた気分で仕方なく介抱し始めた。
「まったくもう、いくらなんでも飲み過ぎよ。……そうだ、ユン。そういえばあなたも顔が赤いわ。ちょっと外に出て風にでも当たってきたら?」
「え? ――あっ、ああ! そ、そうだね! そうするよ!」
酒を口にしていないので酔っている筈も無いのだが、ルーチェはユンを見てそう言った。そのさりげない助け舟に便乗し、ユンは一旦席を離れる事にする。
男たちもジンの方に意識が向いたらしく、比較的スムーズに脱出する事ができた。
外へ繋がるテラスへと、ユンはそそくさと歩いて行く。
――その後姿を、じっと見ている者がいた事には、気付かずに。