55 魔王城攻略戦・終結
2017.9.19
MP回復魔法の名称を【マナエッセンス】から【マナヒール】へ、オークの現地語翻訳を【豚鬼】から【獣鬼】へと変更しました。
――その瞬間、魔王城の外に出ていたニーナたちは、唯一その「世界の変化」を目にしていた。
「うっ……!?」
突如その身を襲った嫌悪感――あまりにも馬鹿げた大きさの、魔力。ニーナたちはその魔力の渦に感覚を揺さぶられ、一瞬にして魔力酔いを引き起こす。魔法使いのこの感覚は、虫が大きな光により平衡感覚を失うのに似ているのかもしれない。
目が回るような不快感に思わず蹲った彼女たちは、何が起きたのか確認しようと顔を上げ――そして、それを見た。
「な……!?」
夜が近い事を報せる、夕焼け空。――それが、一瞬にして黒く染まっていくのを。
まるで時計の針を無理やり進めたかのように、世界が夜になったのだ。
「な、何が……」
突然の天変地異を、声も無く見上げる。
そこに浮かぶ星々の光が、魔王城最上階、そこへと向けて流れ星のように集まっていく。一連の現象は、まるでこの世の光という光が全てそこに集められたかのようだった。――それとも、それは星々の光が貪られている光景なのか。
「――師匠?」
予感があった。それは魔王城最上階へと1人乗り込んで行った、ハネットが起こした現象であると。こんな神話のような規模の魔法は、あの魔法使いにしか扱えないだろう。
直後、世界を蝕む異変が消え、夕焼け空がそこに戻り――入れ替わるように、魔王城が揺れ始める。
魔王城全体からギシギシという不安感を煽る音が響き、揺れる屋内に陣取っていた連合軍から悲鳴が聞こえる。
恐らく魔王との戦いが始まったのだろう。だがあの白き大魔法使いがこれだけの魔力を用いて戦うというのだ。一瞬で片が付く筈である。
……しかし、その予想は外れる。
5秒経っても、10秒経っても、揺れは一向に収まることがない。
「――!! くっ、ルルさん、ティアさん、走ります!!」
「え……!?」
悪寒に震える体に鞭打ち、第一階層入り口を目指す。
最精鋭のみが集められているだけあって、連合軍の面々は初めて体験する地揺れの中でも、腰を抜かすことなく迅速に負傷者を運び出す作業を始めていた。
外に出た魔法使いのほとんどが、充満するあまりの魔力に我慢できずに吐いている。ニーナたちが耐えていられるのは、彼らより魔法使いとしての実力が数段上だからだろう。
ニーナは入り口から出てくる兵士たちの波の前で止まり、しばらくしてガイゼル将軍が出てくるのを確認すると真っ直ぐに彼に向かう。
天井から降って来た砂を払っていた彼は、ニーナたち3人に気付くとすぐに口を開いた。
「け、賢者様、これは……」
「恐らく師匠の魔力です。そして、対峙しているのは魔王――」
「こ、これが……。彼の実力もそうですが、ではそれと対峙している魔王も――」
そう。戦いが続いているという事は、魔王がこれだけの魔力を発しているハネットを前に、未だ生き残っているという事だ。
どちらも想像を絶する強者。つまりは魔王も想像を絶する化け物であった事を意味する。
桁が違い過ぎるため推測になるが、そのまま挑んでいれば、勇者ですら勝てなかった可能性も高い。そして出陣する前のハネットのあの様子を思えば、恐らくはハネットにとっても予想外の強さであった筈だ。ニーナですら、あの魔法使いがここまで本気で相手をしているのは見たことが無い。
「魔族が殲滅された以上、ここの重要度は既に低い……。賢者様は急ぎ上に向かい、彼と勇者にご助力下さい。ですが、これほどの戦い……もしも無理そうなら――」
「ええ、一旦帰還します。情報を持ち帰るために」
ガイゼル将軍は即座に判断し、同じ速度でニーナも頷く。そしてルルとティアを振り返った。
「2人は残って下さい。ルルさんは負傷者の治療を。ティアさんは帰還してくる魔族たちへの警戒と対応を頼みます」
ルルとティアは飛行の魔法が属する無属性魔法への適性を持たない。2人とも極めて重要な戦力なので連れて行きたい所ではあるが、ここは速度を優先すべき場面だとニーナは判断する。
幸いにもルルは腕利きの光魔法使い、ティアは感知能力に優れるエルフだ。この場に残っても出来ることはいくらでもある。
「わ、分かった」
「は、はい」
2人が頷いたのを確認し、ニーナは【飛行の魔法】を発動させるとそのまま魔王城へと突入する。ニーナ自身もガイゼル将軍たちも、魔王城が崩落した際の危険などは考えていない。この大質量の倒壊に巻き込まれても、土の賢者たるニーナ・クラリカならば平気で生還してみせるだろう。
飛行により階段の段差を無視しながら、ニーナは恐るべき速度で最上階を目指す。階を跨ぎ巨大な扉からフロアに飛び込み、また上への階段を目指す。
それを繰り返し目的地へと近付くほどに、叩き付けられるプレッシャーが跳ね上がって行く。流石のニーナでもこの中で嫌な汗を止める事は出来ない。また、第1階層以外に外と繋がる場所が無い魔王城内には討伐した魔族の死骸がそのまま放置されており、酷い悪臭が籠っていた。魔力酔いとの相乗効果で不快感は限界に届きつつある。ここが戦場である事を否応なく認識させられる。
揺れに対する本能的恐怖もあり、その中をたった1人孤独に突き進むのは精神的に大きな負担となった。当然、その程度で止まる少女であれば賢者の座など与えられてはいないのだが。
しばらくして、唐突に揺れが収まる。恐らく戦いに決着が着いたのだろう。それもこの嫌な圧力が消えていない事から、勝ったのはハネットであると推測できた。その圧力もすぐに消える。
――が、不思議な事に、ほんの少しの間を置いて再び魔力を感じ始めた。
今度の物は確実にハネットの発する物だと理解できた。感覚が普段の修行中に彼から感じる物と全く同じだったからだ。本人的にはある程度手を抜いているのであろう、そんな気楽な。
ニーナはそこで何が起きているのかを考える。
――分からない。それが素直に出した結論。
簡単に思い付くのは、第三者の参入、または魔王との戦いの再開、その2つだ。
魔王を倒した直後に、生き残っていた将の魔族か何かが仇を討つべく喧嘩を売ったか。
――または、魔王を半殺しに留め、ここからはジワジワ嬲り殺しにするつもりか。
そこが難しい所なのだ。あのハネットという青年の行動には「理屈」が無い。
それがどんなに不合理で面倒臭い事でも、「気分」によってはやる。そこには善悪すら関係無い。腹が立ったなら拷問だってやってみせるだろう。事実、それに似たような殺され方をした将の魔族もいた。
「!?」
ハネットの物と思われる魔力が、再び強くなる。先ほどに比べればその圧力は僅かだが、それでも常識的な魔法使いの魔力量ではない。揺れも時折入るようになる。
ニーナは困惑を更に強める。
蓋を開けてみるまで、何をしているかは分からない。
ハネットという人間が「常識」という物から乖離している事を、ニーナ・クラリカは知っている。彼に好意を持ってはいるが、自分という個人が持っている評価と彼が実際にどういう人間かは無関係だとも思っている。彼は聖人でもなければ悪魔でもない。――もっと別の、何かだ。
最上階一歩手前。魔王城49階層。
ガイゼル将軍の話では、ここで勇者が戦っている筈なのだが――。
「!!」
フロアに飛び込んだニーナは、攻略組の対峙している敵を見て驚く。
――将の魔族、セムヤザ。
かつて駆け出しとはいえ勇者であったユンと、賢者である自分が2人掛かりでやっと退けたという、因縁の相手である。
十分驚愕に値する状況だが、ニーナは視線を動かし、更に大きな点に気付く。
「!? ――ユンさんは!?」
勇者が、いない。その仲間たちも。
そこにいた攻略組の人数は10人。そのどれもが各国のそれぞれの分野で頂点に位置するような猛者たちであるが、その内、真にユンの仲間と言える人間はただ1人、元盗賊のジンだけだった。
「!? その声、賢者の嬢ちゃんか!!」
ジンはニーナの声に意識を向けながらも、セムヤザの放った【風爪の魔法】を身を捻って躱している。
恐らくは勘で避けているのだろう。相変わらずこの男も規格外な男だ。
「なっ――貴様は!!」
「上だ!! 上に行ってくれ!! ユンの奴が先に行ってる!!」
セムヤザを含め、ニーナの突然の登場に驚く面々。ジンだけがそれを気にすることなく、即座に状況と最善の行動を説明する。
上に、ユンが。
それを聞き、ニーナは顔を青ざめさせる。最悪の事態、その可能性を即座に理解した故に。
――第三者の、参入。
「~~~~っ!?」
なぜ、そんなことに。
ハネットは明らかに人間だし、ハネットの方も相手が勇者だと気付いた筈。
そうなっているとしたら、そもそも戦いになっている経緯が分からないのだが……それでも、なぜかその可能性はとても高そうに思えた。主にハネットの性格的に。
確認に行くべきか、先にセムヤザ討伐に協力すべきか。
ニーナは2秒考える。そして優先すべき事柄に答えを出した。
「――すいません、みなさん!」
ジンたちを見捨て、先へ急ぐ。もしも予想通りの状況だとすれば、上階の両者が現在発している気配はあまりにも不味すぎる。ハネットだけでなく、勇者側と思われる気配が放つ魔力も尋常ではない。恐らく本気の殺し合いになってしまっている。
戦場を大きく横切り最後の螺旋階段へと向かうニーナに、セムヤザが焦燥を露わにする。
「き、貴様まで――待て!! 行くな!!」
「てめえだよ、それは!!」
攻略組がニーナへの手出しを阻んでくれる。ニーナは最上階前の大空洞を飛行で一気にショートカットし、開け放たれた巨大な扉に数秒で到着する。
その扉は下手をすれば十数トンはあろう。強度を思えばニーナの魔法でも破壊できるとは思えない。ユンが開けっ放しで戦闘を開始していなければ、ニーナはそもそも入ってくる事が出来なかったのだ。
ニーナは安全のため一旦中を窺い、そこで起きていた信じられない光景を目にし、迷わず中へと突入した――。
◆
――で、ニーナの説教が始まりますと。
「なんでこんな事になっているのか――説明して貰えますね?」
あえて床に降りたのだろう。コツコツと床を鳴らしながら、ニーナがゆっくりと近付いてくる。その威圧感で察する。あ、これ怒ってるな、と。
「はい先生! こいつらが先に攻撃してきたんです!!」
「!?」
先手を取る。ニーナのその反応は、レーダーで近付いて来るのに気付いた時から予想していたのだ。
突然のニーナの登場、そしてそのニーナが魔王だと思っていた俺と会話している事に、勇者たちは状況を飲み込めず呆けた顔を晒している。頭の回転の悪い奴らめ。このまま俺が有利になるように主導権をもぎ取ってやる。
「ほう――。それは貴重な意見ですが、師匠はその前にその防御の魔法を解いて下さい」
「あ、はい」
【ゴッドブレス】を消す。障壁を叩く格好のままニーナに顔を向けていた勇者が「うわぁ!」とか言ってこけかける。
主導権争いの相手は勇者だけじゃなかった。そしてニーナに頭で勝てる筈もない。
しかもニーナは今の一言で、何がどうなってこうなったかを大体察してしまったらしい。すなわち――
「――わざと素性を明かさなかったんですね? その攻撃とやらを受けてから現在まで、いくらでも説明の機会はあった筈ですが」
「戦闘で必死だったから覚えてない」
完全にバレてます。
主導権争いは早々に諦め、知らぬ存ぜぬ戦法に切り替える。むしろ逃げに入った俺は誰にも止められない。
「あんなにやる気のない――貴方からすればですが、あんなにやる気のない魔力を発しておいて、必死だった訳が無いでしょう」
「ほう、証拠も無いくせに面白い事を言う。人の心を読む魔法でも使えるようになったのか? お前のそれはあくまで予想。言いがかりに過ぎないと思うんだが?」
「………………」
ニーナが絶対零度の視線で俺を射抜く。だがまともな人間ならともかく、俺には効かん。
「し、『師匠』……?」
勇者パーティーの魔法使いがぽつりと呟く。俺への追及を諦めたニーナが眉間を押してそちらに応えた。
「……彼は大魔法使い。私の新しい魔法の師です。私たちは魔王討伐に協力しようと来ていたのです」
「えぇっ!?」
勇者パーティーの面々が驚愕の反応を示す。その中で勇者だけが「やっぱり……」と呟いているのを目ざとく見つける。
あと「魔王を先に討伐しに」ではなく「魔王討伐に協力しに」と説明した辺り、ニーナの方にも若干後ろめたさが見える。
「そ、そんな……じゃあ、魔王は!?」
「もう倒した」
「さっきの好きに殺せばどうとかってのは!?」
「個人の感想」
勇者たちが色々な意味でポカーンとした。
ニーナは面倒くさそうな……いや「面倒なことになった」という表情で更なる詳しい説明を求める。まさかの「これどうなってんの」会議第二回である。
「それで、実際には何があったんですか」
「あ――」
「――そいつらが俺の顔を見るなり、急に攻撃してきたんだ。俺は何もしてなかった。喋ってすらいない、ただ立っていただけでだぞ? しかも超殺す気だったね~、あれは」
先手を取れる所では取っておく。ニーナが勇者たちに事実確認の意味を込めて視線を向けた。
「あ、う……」
反論しない、いや出来ない勇者たち。なぜなら俺の証言が完全に事実だからだ。
俺の方は所詮心の中での企てなので証明の仕様が無い。だが実際に行動を起こしてしまっているこいつらは弁明の余地無し。俺と同じように知らぬ存ぜぬで通すのが唯一の道だが、仮にも「勇者」という正義の肩書きを背負っているこいつらにそれは出来まい。
勇者たちのその反応に事実であると悟ったニーナは、その視線に責めるような色を滲ませる。
「――なぜ、そんな事を?」
その視線は俺以外には絶大な効果を持つらしい。詰問に対し仲間たちは思わず目を逸らし、代わりに勇者へと視線を送る。責任を押し付けているようにも見えるが、それも仕方がないだろう。だって一番最初に俺に手を出したのがこいつなんだから。
「う、その…………ま、魔王と勘違いして……首とか持ってたし……」
ニーナはその言葉に室内の惨状を見回し、続いてその隅に転がる魔王の首を捉え、全てを悟ったように溜め息を漏らした。
「魔王にしか見えないような状況だった、という訳ですか。要するにこれ、師匠の日頃の行いじゃないですか」
「本当にそうか? 俺は世の為人の為、魔王を迅速に討伐しただけじゃないか。首だって、討伐を証明する為には必要なものだろう。どこにもおかしい点は無い。それをこいつらが見た目で決めつけて先走ったのがここにある全てさ。本来だったら相手が人の姿をしている時点で確認ぐらいは取るべきだ。仮にも人を守る勇者様ならな」
「うぅぅ……」
「………………」
俺が不幸な争いをあえて回避しようとしなかったのは事実だが、例えそうだとしても、先に手を出したのが向こうである以上は向こうが悪い。司法の発達した現代ならともかく、この現地世界ではそんな所だろう。そこにあえて現代的な倫理観を振りかざし、ついでにニーナの小さな嘘を逆手に取ってやればこの通り。
だから俺は正体を黙っていたのである。――最終的に、こいつらから搾り取れるだけ搾り取るために。
俺の理論武装と勇者たちの完全敗北を察したニーナは、どこか投げやりに頭を振った。
「……保身に長けた貴方の事です。どう転んでも言い逃れできる状況になっているのでしょう。……ああ、せめてジンさんがいればここまで一方的になる事も無かったでしょうに……運の悪い……」
「あっ!! そ、そうだ、ジン――!!」
勇者が急に声を上げる。仲間たちもそれではっとした表情を浮かべた。
続いて勇者はニーナに視線を送り、少しだけ迷って――俺を見る。
「――す、すいませんでした!! 突然斬りかかったりして!!」
勇者は俺の前に来て、いきなり大きく頭を下げた。
「僕はどうなっても構いません! でもその前に、1つだけどうしてもお願いがあるんです! ――下に強い敵がいて、ジンがそれとまだ戦っているんです! どうか、お師匠様のその力を貸して下さい!」
「ユン!?」
それは、必死の懇願だった。
勇者のそのどこまでもへりくだった態度と身を切るような言葉に、仲間たちが声を上げる。
自身の不利益よりも仲間の無事を想うその願いには、少女の根底に「献身」が根付いている事を表している。
俺はそのどこまでも真っ直ぐで、それ故に気高く美しい願いの言葉に、とある1つの感想を抱いた。
(―――ボクっ子って、1作品に1キャラまでじゃないのか!?)
まさか、ルルに続いて2人目が出てくるとは。先ほどの自分語りを聞いた時から気になっていたのだが、どうやら本当にボクっ子らしい。
「世界」を舞台にしたこのゲームだ。その辺りもリアルなんだろうか。確かに現実だったら人生でボクっ子に複数人出会っても不思議ではない。
……順番がおかしいような気もするが、続いて内容に対する疑問が浮かんでくる。
「『ジン』?」
「僕たちの仲間です! 僕を先に行かせるために、勝てっこないのに残ってくれて――」
本当は5人パーティーだったのか。ニーナの先程の発言から考えるに、俺と似たような保身に長けたタイプなんだろうか。それにしては行動が熱いというか、それっぽくないのだが。
ニーナを見ると、俺の視線に真剣な眼差しで頷いた。願いを聞いてやって欲しいという意味だろう。
……俺に頼む前に一瞬ニーナを見てしまったのは、恐らくそちらの方が頼みやすい相手だったから。だが成功率を考えれば、たとえ嫌でも俺に頼む方が確実なのはその身をもって知っている。
それほどまでに、助けたいということだ。
「ふーん……」
レーダーで下の階層を見る。そこでは魔王との戦いが始まる前と同じように、複数の緑の点と1つの赤い点がわちゃわちゃしていた。この赤い点が強い敵とやらだろう。
「……まず最初に、こいつを返す。動いてキモいし」
「えっ」
不安そうな顔をしている勇者に聖剣を返してやる。刃側を素手で掴み柄を向けてやると、おっかなびっくりそれを受け取った。
「あ、あの……」
「受けてやってもいいぞ」
国王への請求に追加しとくから。
そんな俺の思惑を知らない勇者は一瞬茫然とした後、あからさまに顔を綻ばせた。
「ほ――ほんとですかっ!?」
花が咲いたようとはこういう事か。その表情の変化に思わず目を奪われる。
(こいつ、見た目は美人系だが中身は元気系なのか。現実だとスーパーモテるタイプだな)
善良なる価値観、明るい性格、そして美形と、性別は女だが、不思議と一般的な「勇者」のイメージに沿う奴だった。
これで甲冑姿の男だったら何の違和感も無いだろう。人間の性格は育った環境で変わると言うが、世界を救うような環境に置かれると人はこうなるのだろうか。
喜びを表現しているのかピョンと飛び跳ねる勇者から、興味をその仲間たちへと移す。
――期待、疑い、そして恐怖。そういった複雑な感情がその瞳に浮かんでいる。まあ今の今まで殺し合いをしていた相手が協力するなんて言っても安心出来ないだろう。逆になんで勇者はこんな感じなんだ。
「ああ。それじゃあまずは――範囲拡大化Ⅱ、【エクスヒール】。範囲拡大化Ⅱ、【エクスマナヒール】。ついでに【修繕】」
友好の印として勇者パーティーに回復をかけてやる。中位の回復魔法なので全快しただろう。
魔法の発動に一瞬警戒したようだが、体を覆った光の波動と疲労が抜けた事で回復魔法だと理解したらしい。特にダメージから回復しきっていなかった騎士は反応が顕著だ。ぶっ壊れた盾と鎧も元に戻る。
範囲拡大化、MPの回復、巻き戻したように直る装備。
突っ込みどころの多さに勇者たちが絶句している。ここ数日でこの反応にも慣れてしまった。
さっさと下に降りるかと思ったところで、勇者が話しかけてきた。
「あ、あの! ありがとうございますっ! ……それとあの、遅くなりましたけど……僕、勇者のユンっていいます! よろしくお願いしますっ」
「そうか」
どうでもいいけどな。そう思ったが、即座に利用できると思い直す。
自己紹介というのは一種の儀式だ。名前を教え合えば知り合いになったような気分になる。こいつらの心理に俺が敵でない事を刷り込む機会でもあるだろう。
こういう小さな工作によって、人の意識は簡単に変える事が出来るのだ。
黙っている魔法使いたちに視線を向けると、自分達も自己紹介を要求されている事に気付き、おずおずと口を開いた。
「……も、元王国魔法使い長、ルーチェ・ハーゲンです」
「さ、最上位傭兵、シャルムンク……」
「…………近衛騎士、エドヴァルド・フレンツです。魔法使い殿」
勇者の仲間に選ばれるぐらいだから、多分凄いんだろう。横にいる賢者に匹敵するとは思えないが。
各々から疑念の色は消えないが、これの効果が出るのは少し時間を置いてからだ。今はこれでいい。
「光魔法使い、ハネットだ。特技は不意打ち、裏切り、騙し討ち。よろしくな」
「…………」
冗談のように聞こえる本当の自己紹介をしておく。反応に困った様子の引き攣り顔を見せる勇者たちの後ろで、ニーナだけが呆れていた。
目的を達成した俺は既にそんな反応には興味がなく、【アイテムマグネット】で魔王の首とその装備を回収する。首と引き裂かれた鎧がゴロゴロと転がって来た。首は片手に、装備の方はアイテムボックスに適当に放り込んでおく。
「――それじゃ、落ちるから気を付けろよ」
「落ちる?」
「【地形操作】」
直後、床が崩れ落ちる。
戦闘状態が解除された今なら【地形操作】が使用可能になる。螺旋階段を走って降りるより、よほど早く下層に着くだろう。
中央から広がるようにして、床だった物がガラガラと崩落していく。次の瞬間には自分達も空中に投げ出されている。
「ッ~~~~!?」
突然の落下にみんな声にならない悲鳴を上げている。命綱も無いのでバンジージャンプというよりは崖から蹴り落とされた気分だろう。
「範囲最縮小化、【ジャッジメント】」
大空洞を落下しながら、49階層の天井に穴を穿つ。先ほどの最上階以外はそんなに丈夫な作りでもないので、威力強化までは必要ない。ちなみにレーダーで真下に人がいないのは一応確認している。
仮にも勇者一行と賢者だ。着地についてはそれぞれがなんとかするだろう。俺はさっさと作った穴に飛び込んだ。
◆
――音が遠くなり、視界がぼやける。
「いい加減に潰れろ、羽虫がッ!!」
「くっ――!!」
魔法を勘で避け、懐に飛び込んだところで蹴りが飛んで来た。
当たれば無事では済まない。俺は剣で受けるのすら危ういと読み、全力で回避を選ぶ。
敵とすれ違うようにして、斜め前に向かって跳ぶ。目の前をごう、という音を立てながら赤い影が通り過ぎた。その風圧に冷や汗が増す。
ギリギリ回避に成功はしたが、残念ながらまだ終わりではない。十中八九、追撃が飛んでくるだろう。着地と同時に真横に飛ぶ。次の瞬間には黒い刃が突き立った。ほらな。
「―――ッ」
跳びながら敵を振り返る。見れば公国のレナなんちゃらとかいう女騎士が抑えてくれていた。ありゃいい女だ。潔癖そうな所が玉にきずだが、その分屈服させればさぞ男として気分がいいだろう――などと、いつもの癖で馬鹿なことを考える。
糞ったれ。いいじゃねえか。馬鹿なことでも考えてなきゃ、精神的に参っちまうんだ。
なにしろ、本当の意味でこの戦いには終わりがない。敵は強く、上に行った仲間たちも戻ってくる確証は無い。あの化け物賢者が向かったおかげで、少しでも戦局が傾くといいんだが。
忘れていた呼吸を意識的に再開させる。世界に色が戻ってくる。それと同時に、噴き出す汗の熱を久々に感じる。
(ったく、視界が狭くなる訳だ……)
――ここは、魔王城49階層。味方は9人、敵は1人。
ただし、敵の方が百倍強い。いや、この俺様が――「雑種」のジン様が勝てない相手だ。一千倍ぐらい強いかもしれない。
「【魔鋭剣】――ッ」
他の奴らに注意が向いた隙に、死角から魔法銅の短剣を叩き込む。「カキン」なんて音と一緒に手が痺れる。この通り、奴の憎たらしい赤い体には攻撃が通らない。本当にごきげんな日だ。
一瞬でも休んだせいで集中が鈍ったのか、飛んでくる肘鉄を避け切れなかった。
受けた剣は魔法銅製だからともかく、先程の予想通り俺の体の方が持たない。こういうのは本来エドの仕事だ。
腕に激痛が走ったと思ったら、すぐに感覚が無くなった。同時に地面の感覚も消える。どうやら吹っ飛んだらしい。
「ぐっ!!」
硬い床に叩き付けられる。衝撃を減らすため、わざと勢いを殺さず自分から転がる。心配する声が上がらない辺り、他の奴らも俺と似たような状況なのだろう。
上半身だけ起き上がり、痛みの代わりに熱を持ったような左腕を見る。――デブに勢いよく座られた椅子の足みたいに、肘と手首の辺りで2か所へし折れていた。関節が2つ増えたと思えばスリもし易くなるかも。
腕に感覚が戻ってくる前に魔法薬を使う。腰の小物入れから最後の上位魔法薬を取り出し、一息で飲む。何度も経験しているせいか、この辺りは流れ作業だ。豪華な装備を貰えるのはいいが、それを使う機会が多いのがこの仕事の難点だな。
いっそのこと、もう休んでしまおうか。そんな選択肢が過ぎる。
こいつの魔法の威力は桁違いだ。ここでこのまま寝ていれば、次の瞬間には痛みを感じる間もなく楽に死ねるだろう。それはとても魅力的に思えた。何より、疲れた。
だというのに不思議なもんで、俺の右手は短剣を握る。いつもそうだ。先に死んだあれやこれやの顔が浮かぶと、気付いたら生き残っている。
それを繰り返してここまで来た。なら、最後まで続けるのもいいだろう。俺の人生にはそれしかなかった。だからこそその生き方は捨てられない。何も持たない人間は、たった1つ手に入れた物に縋るしかない。
「ぐぅぅぅ……!!」
右手では短剣を構え、代わりに動くようになった左腕で体重を支える。気怠い体を叩き起こす。
気合いで膝を立てようとした時――光が瞬いた。
「!?」
眩しさに目を細める。セムヤザの野郎の魔法。最初はそう思ったが、光が消えると共にそれが間違いだと気付く。
天井に開いた穴。真っ赤に溶解したようなそれを、敵味方含めてその場の全員がポカンと眺めていたからだ。当然、俺もその1人。
「――なんだ、【クリムゾンリッチ】じゃねーか。アンデッドは初だな」
穴から飛び降りてきた人影。熱に対する耐性でもあるのか、ドロドロに溶けた床に平気で着地したその男に誰もが目を奪われる。
――白。
汚れ一つ、傷一つ無い純白の生地に、それを飾るは黄金と宝石。
ユンと一緒に世界中を回り、上から10人に入る世界のお偉いさん方には全員会ったが、これほどの服と装備に身を包んだ奴は見た事が無い。
俺の貧相な審美眼じゃ価値の高さも分からないような、そんな凄いとしか表現しようのない男だった。
「…………誰?」
白い男が空いている方の手――もう片方には魔族の物と見られる首を持っている――をかざすと、無詠唱魔法でも使ったのか、溶けた床が一瞬にして冷え固まる。その上から、どこか聞いたことのある悲鳴がいくつか近付いてきた。
「――【衝撃緩和の魔法】!!」
続いて落ちてきた人影。3人ほどのそれが、床にぶつかる直前で見えない膜にでも包まれたように一瞬止まり――そして、反動で跳ねる。
「おわぁ!!」
ガチャガチャーと床に転げ出る様はどこか間抜けで、極限状態にあるこの場には相応しくない。飛行の魔法による物か、少し遅れて2人の人影もゆっくりと穴から床に降り立つ。
降りてきた計6人の人影。その1人と、目が合った。
「ユン――!?」
「ジン!! よかった、生きてた……!!」
白い男と一緒に降って来たのは、俺の仲間たちと賢者の嬢ちゃんだった。
なぜ階段からじゃなく、降ってきたのか。あれは誰なのか。というか魔王はどうなったのか。
訳が分からなすぎて呆けていると、ユンが一瞬にして俺の側に来ていた。俺より早く走れる人間はこいつぐらいだろう。
「ゆ、ユン、あれは?」
「あの人はニーナさんのお師匠様だよ! ほら、前に王都で噂になってた人! 僕らが行った時には、もうあの人が1人で魔王を倒した後だったの」
「はあ!?」
突っ込みどころが多過ぎる。
とりあえず何から言えばいいのだろう。……ああ、そうだ。
「……別に美形じゃねーじゃん」
「もう、馬鹿!」
極度の緊張状態から解放されたからか、思わず軽口が出てしまった。言ってる場合じゃないのは分かっているのだが。
茫然と見守る俺達の前で、賢者の師匠とかいう白い男とセムヤザが対峙している。
セムヤザは白い男がぶら下げる首を見て、なぜか大きな驚愕を示した。しかしすぐに何かに納得したような、そんな静かな呟きを漏らす。
「そうか――そういう事だったのか、ルシフェル。――終わったのだな」
これまでの苛烈さが嘘のような、そんな静けさをセムヤザから感じる。
だが、それも一瞬のこと。
フードから覗く奴の眼窩に、燃えるような火が灯る。
――戦いが、始まる。
あの化け物賢者の師匠で、魔王を1人で倒したとか言うぐらいだ。さぞかし強いのだろう。――だが、今のセムヤザから感じるのは決死の覚悟だ。死を受け入れた者が、最後に見せる究極の輝き。そういったものがそこにはある。
奴に縛りがあったこれまでのようにはいくまい。守るべき王を失ったのだ。ここからは範囲魔法も平気で使ってくるだろう。
並々ならぬ魔力をその身に滾らせながら、セムヤザが言う。
「我は四天王が一人、セムヤザ!! 魔王様を打倒せし者よ、その力、この私が――」
「【福音の魔法】」
その瞬間、白い男の上空からセムヤザへ向け、光が降り注いだ。
雨上がりに雲の切れ間から光が覗く事がある。「天使の梯子」とか言われるその光景を再現したかのようなその光は、どこか暖かく、そして神聖な雰囲気を宿している。
かなり上位の光の魔法であろうそれを受けたセムヤザは――消滅した。
「なっ――!?」
一撃だった。光の直撃した上半身が文字通り消し飛び、残り火が燃え滓を伝わっていくように、残った部分も蝕んでいった。
あとには灰すら残らず、鼠色の外套だけが残る。
「光魔法使いの俺にアンデッドはな。魔王より相性悪いよ、お前」
――何の慈悲も無かった。
恐ろしいほどにあっけなく、セムヤザは滅んでしまった。
あれだけ苦汁を舐めさせられたというのに、少し可哀想になるぐらい、あっさりと。
全ての理屈を、圧倒的暴力で覆す存在。それが魔族。
目の前にいるのは、それを、そんな魔族たちを、更に大きな力で叩き潰してみせる存在。
化け物を超える化け物。もっとやばい何かが、そこにはいた。
◆
「ううむ……本当に大した腕だ……」
第1階層入り口のすぐ外、そこで怪我人の治療をしていくルルを眺めながら、ガイゼル将軍は呟いた。
怪我人の中には四肢を失った者もいる。だが最上位傭兵だという彼女がひとたび回復魔法をかけてやれば、縫いとめていた傷は塞がり、失った腕が生え、瞳には活力が戻る。このレベルの光魔法になると教会が神の御業だと教えるのも分かる。
神官ならば確実に枢機卿クラスだ。それがどこの勢力にも所属せずフリーに動いているとは朗報以外の何物でもない。権力闘争のしがらみなど気にせず、金さえあればどんな怪我でも治すことが可能になった。
「そうですね、将軍。それに向こうも――」
副官が目を向けたのはティアの方だ。彼女は現在、ニーナの指示に従い周囲の警戒を行っている。
探知の魔法を使っている訳でもないのに、目に見える範囲ぐらいなら手に取るように状況が分かるというのだから驚きだ。これがヒト近親種最強と謳われるエルフの能力か。
2人とも先程の魔力の渦の中では辛そうにしていたが、しばらく前にそれが消えてからは精力的に動いてくれている。
「どうにかして、我が国に引き込めないものか……」
「……難しいでしょう。他の国の者たちも同じことを考えているでしょうし、その上彼女達の裏には賢者様がいらっしゃいます。策を弄しても上手く躱されてしまうでしょう。それに……」
「ああ。あの青年だな」
土の賢者、ニーナ・クラリカの魔法の師だという男、ハネット。
彼女たちとの詳しい関係は不明だが、もしもあの青年が彼女たちを侍らせていた場合には、横取りしようとしたこちらに対しどんな反応を返してくるかが分からない。
「やはり、とりあえずは一旦持ち帰って検討するしかないか」
「そうでしょうね」
「……どちらも森人族だな?」
「片方は半森人族ですけどね。……趣味なんでしょうか? ……!?」
かなり遠いので勘違いかもしれないが、いつの間にかティアがこちらを振り返っている気がする。
まさか、今の会話すら聞こえているのか。
ガイゼル将軍と副官は誤魔化そうと、笑顔を浮かべてそちらに手を振る。
ティアは2人をじっと見ていたように思うが、しばらくすると動いたのが分かったので、恐らく元の方向へ向き直ったのだろう。
滅多な事を言うものではないな、と2人はこの場での警戒レベルを数段引き上げた。
「ふぅ……。――!?」
同時に胸を撫で下ろしていると、安堵も束の間、第1階層の壊れた入り口から何かを焼くような音が聞こえてきた。続いて、床に巨大な石か何かでも叩き付けたような轟音も。
ガイゼル将軍たちが慌ててそちらに向かうと、足元に勢いよく何かが転がってきた。
「うお!?」
見れば、それは巨大な生首であった。肌の色が黒く、角が生えているという違いはあるが、獣鬼と呼ばれる亜人に似ていた。
「魔王の首だ」
聞こえた声に顔を上げる。首を投げた張本人なのだろう、件の白き魔法使い、ハネットが歩いて来る。
その後ろには溶解したように穴の開いた天井があり、真下の床には溶岩の飛び散ったような跡と、蜘蛛の巣のようなひび割れが入っている。まさか、先程の音は落ちてきた音だったのか。
「ま、魔王の……!? まさか、もう討伐されたのか!?」
「ああ。最初から最後まで余裕だったぜ」
大嘘である。だが誰も見ていない上に時間自体は10分ほどしか経過していないので信じる他ない。
ガイゼル将軍たちが目を白黒させている間に、同じ穴を通ってニーナも現れる。
「あれ、お前こっちから来たのか」
「師匠を1人にすると何をしでかすか分かりませんので」
ニーナはニーナで溶解した天井の熱など感じないかのように涼しい顔をしている。やはりこの2人は規格外だとガイゼル将軍は唾を飲み込んだ。
「ゆ、ユン殿や他の者たちは……」
「ご安心ください。中にいた魔族は全滅しています。しばらくすれば戻ってきますから」
どうやら戦いは終わったらしい。魔王城攻略作戦の終結、という事でいいのだろう。
だが部下たちにそれを宣言する前に、ガイゼル将軍はこの作戦の最高責任者として確かめておかなければならない事がある。
「――すまないが、一応確認しておきたい。それが魔王の首だという証拠は?」
「ふむ。オリハルコン製の剣か何かあるか?」
頷いてみせたハネットの言葉に、ガイゼル将軍は少し考える。
「いや、魔法銅製の武器は全て上の勇者たちに持たせている。魔法銀製の物ならここにあるが……」
そう言ってガイゼル将軍は懐から短剣を取り出す。それは将軍の地位を表す特別な物であり、王国の将軍が持つ物とは施されている意匠が異なる。
ハネットは「それでいい」と頷き、なんの遠慮もなく鞘から短剣を引き抜いた。そして、一切の躊躇なく魔王の首にその刃を突き立てる。
――その結果、対象の皮膚の硬さに負けたかのように、刃の方がぐにゃりと折れた。
「あ゛あ゛あ゛――!!」
副官が悲鳴を上げる。権威の象徴になんという事を。しかも他人の。
ハネットの後ろからニーナが気の毒そうな視線を送る。
「うるさいな。ちゃんと直すって。――【修繕】」
ハネットが短剣を振ると、手品のようにその刃先が元に戻る。ガイゼル将軍は一連の流れに唖然とすることしかできない。
「ま、この通りだ。オリハルコン製の武器でやっても同じ結果になるだろう。少なくとも、その他の魔族とは一線を画す個体なのは明白だ」
「た、確かに……」
ガイゼル将軍は返された短剣の刃先を指で確かめ、強度に異常が無い事を確認する。続いて転がる首の皮膚に刃が通らないのを確認し、神妙に頷いた。
その視線の先には、その魔法銅製の武器すら通らないという肉体に刻まれている、損壊の跡。この魔族の肉体の強度は下手をすれば魔法鉄に匹敵しているのかもしれない。一体、この魔法使いはどのような魔法を用いてこれを行ったというのか。
「うむ……とにかく、戦いは終わったようだ」
「そうだな。さて、じゃあ帰り支度を始めるか。とりあえず戦死者の蘇生からだな」
「……は?」
聞き間違いかと首を傾げるガイゼル将軍たちを無視し、ハネットは外へと出て行く。お目付け役のようにニーナが後に続いた。
そんなニーナの先ほど言っていた言葉が過ぎり、勝手に行動させると何をしでかすか分からないと予感したガイゼル将軍は、慌てて魔王の首を掴む。
(重っ――!?)
首だけのくせに150kg近くある。軍人でなければ持ち上げる事すらできなかっただろう。まさか本当に魔法鉄で作った偽物ではないだろうな。それならそれで目が飛び出るような値段になるかもしれないが。
ガイゼル将軍が思わぬ肉体労働に汗を流しながら追いつくと、ハネットは負傷者の手当てをしているルルに話しかける所だった。
「ルル」
「あ。今の音、やっぱりハネットだったんだ。おかえり」
「ただいま。戦死者の遺体ってどこにある?」
「向こうがそうだよ。……あの、ハネットは大丈夫だった?」
「ああ、今回も余裕」
「ふふ、そっか。よかった」
2人の親しげなやり取りに「やはり検討が先だな」などと思いつつ、自分も久しぶりに妻に会いたくなったグスタフ将軍である。
ハネットはルルが指し示した方へと歩いて行くと、そこに担ぎ出されていた戦死者の遺体を見渡し、指を1つ鳴らした。
無詠唱で魔法を発動したのか、直後に周囲一帯が光に包まれる。見た目的に光魔法だろう。このタイミングだと、神官が葬儀などでよく使う不死者化を防ぐ浄化魔法だろうか。それにしては見たことのない光だが。
(待て――戦死者の、『蘇生』だと?)
脳裏に先程のハネットの言葉が蘇ると同時、戦死者の遺体が動き出した。周囲の兵たちが即座に武器を取るが、それをニーナの言葉が遮る。
「――不死者ではありません。復活の魔法により、蘇ったのです」
驚愕のあまり、危うく魔王の首を落とす所だった。
復活の魔法。そんな物が実在すると言うのか。
俄には信じがたいが、目の前で起き上がった兵士たちは周囲を見回し、状況を把握しようとしている。理性が残っている証拠だ。どう見ても愚鈍な動く死体とは違う。
「師匠、人を蘇生する時は、一言周りに言ってからにして下さい」
「えー、この数日で何回目だよ。いい加減めんどいんだが。普段仲間が死んだ時だって、何も言わずに蘇生するのがデフォだし」
「仲間死んでるんですか?」
――人を蘇らせる光魔法使い。
神光教会の総本山、バルドゼオン公国の責任者であるレナ・メイリー・エーデルシュタインは攻略組であった為にこの場にいないが、その部下などの他の者たちはそれを見てしまった筈だ。
そちらに目を向ければ、バルドゼオン公国の精鋭たちはやはり誰よりも大きく驚愕を示している。まず間違いなく、この件は本国に報告されるだろう。
(教会が動くか……。これは、荒れるな)
ガイゼル将軍は、事態がより複雑化していくのを感じていた。
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――それからすっかり陽が落ち、辺りが薄暗くなってきた頃。
場所は魔王城から2kmほど離れた小高い丘。作戦開始時に鬨を上げた、あの丘である。
ユンたちの帰還と共に魔王の首が掲げられ、作戦の成功が正式に宣言された後、撤収準備を終えた連合軍の面々はそこに集められていた。
他の誰でもない、この作戦の最終目標である魔王の討伐を果たしたハネットによる指示だ。ガイゼル将軍を含め、誰もがその指示に従った。
――だが正直、連合軍の面々のその心中は複雑だ。
というのもよくよく考えてみれば、連合軍という立場からしたら今回の件はハネットに手柄を横取りされたような物。全50階層の内49階層まで攻略したのも、1週間傷付きながら戦ったのも、全て自分たちだ。戦いが勝利で終わり、作戦も成功ということで一度は喜んだが、冷静になって考えてみれば理不尽な話である。
しかし先頭に立って戦ったユンと、生ける伝説たるガイゼル将軍、そして土の賢者たるニーナ・クラリカが黙っているのだ。自分たちが先に文句を言うのも違うだろう。
それに戦友や祖国の重要戦力を蘇らせて貰った点もある。結果、彼らの胸中は大きな不満と大きな感謝の間で揺れ動いているのだ。生き返った者たちに至っては全てが半信半疑である。
「――うん。ここならよく見えるだろう」
並ぶ面々より少し前に立つハネットが呟く。その視線の先には変わらずそびえ立つ魔王城があった。
「ハネット殿。そろそろ、ここに我らを集めた目的を聞かせて貰えるだろうか?」
「うん? なに、せっかく頑張って戦ってたんだ。最後に1つ、良い景色でも見させてやろうと思ってな」
――馬鹿にしているのか。
その言葉で、兵士たちの感情の天秤がマイナス方向に大きく傾いた。聖剣の力によって周囲の感情が読み取れるユンなどは生きた心地がしなかったぐらいだ。
ガイゼル将軍が、流石に少し剣呑な物を含ませた視線でハネットに返す。
「……良い景色、か」
「ああ。――人生に一度見れるか見れないかの、特別な、な」
ハネットのその含みのある言い方に、何人かは嫌な予感を覚える。
ハネットの性格をよく知るニーナ、ルル、ティアの3人。そして今回の件でその一端を覗いた勇者たち5人。そしてガイゼル将軍のような聡い者たちだ。
また何かをしでかすつもりなのかと彼らが警戒心を募らせる中、ハネットは連合軍の面々に向かって口を開いた。
「――さて、諸君。突然だが、魔族などという獣の墓標にするには――あの魔王城は、些か立派過ぎるとは思わんかね?」
突然の演技がかったセリフに、連合軍の面々は顔を見合わせる。ガイゼル将軍もその1人だったが、視線を巡らせた先でニーナとユンの2人が何かを悟った様子で顔を青ざめさせているのを見て、只事ではないと理解する。
続いてニーナの方もガイゼル将軍に顔を向け、ブンブンと頭を振ってみせた。ガイゼル将軍はその意味を察し、連合軍の面々に頷くよう視線で促す。
「――お、思います。魔法使い殿」
副官が将軍の意図を汲み、そう発言する。後ろの者達も上官たちのその様子に何か不穏な物を感じ、消極的ながらも頷き始める。
ハネットは一同のその反応に満足そうに頷くと、魔王城へと振り返り、背中を見せた。
「そうだろう、そうだろう。では――『F1』」
呟くと同時、空中から引きずり出すかのように、ズルリと異形の杖を取り出す。
暗褐色の木材で出来たねじれたような本体に、特大サイズの魔石が7つも埋め込まれた巨大な長杖。
その杖が持つ武器としてのあまりの迫力に、多くの者が息を飲んだ。
「【魔法遅延発動化】――」
両手をゆっくりと広げ、その詠唱は始まった。空に紫色の魔法陣が浮かぶが、不思議な事に通常と違っていつまでも消える様子が無い。
ニーナたちに続き、魔法使いたちも一斉に何が起こるのかを理解した。一度経験した事で多少の耐性が出来たのか、倒れるほどの者こそいないが――この尋常でない魔力は、先程感じた、あの魔力だ。
「【魔法三重発動化】、威力最強化、範囲拡大化Ⅱ――」
生物としての本能的恐怖が体を走る。聖剣は震え、ワイバーンは怯えたように蹲る。
そして――
「 【天地滅ぼす終末の魔法】 」
――瞬間、世界が悲鳴を上げた。
ここまで届くバキバキという音と共に、あの摩天楼たる魔王城がその輪郭を崩壊させていく。
しかしその大質量の瓦礫は、まるでその場から重力が失われたかのように空中に浮かんだままだった。
そう、崩れたのは魔王城だけではない。
重力が、音が、形が、色が、空気が、全てが――ありとあらゆる物理的な物が、崩壊していく。
これは「魔王城」がではなく――「空間その物」が崩壊しているのだ。
形という名の容器を失ったエネルギーが、放電という形で周囲に発散される。
光すらもねじ曲がり、崩壊する魔王城を中心に虫食いのように闇が広がって行く。
――つんざくような音が、空気を揺らした。
引き千切られ、押し潰され、部位欠損を起こした世界が、絶叫を上げているのである。
……しかし、その絶叫もまた、「不都合」の1つとして【システム】に押さえつけられる。
十数秒もすれば、何も無かったかのように世界は平穏を取り戻すだろう。空間をくり抜いたというのに、それにより起こり得るありとあらゆる物理的不都合を、有耶無耶にして。
まるで最初からそこには何も存在していなかったかのように、世界は「調教」されるのだ。
世界を奴隷にする力。
次元操作技術とは、つまるところ、それだ。
「………………」
空と大地が溶けて行く。
その様子を、誰もが口を開けて見ていた。
感じられるのは音と姿だけ。
衝撃も何も無い。ただ、崩れて行く。魔王城も、空間も、常識も。
全てが曖昧になっていく感覚の中、1つだけ分かる事がある。
「――じゃ、帰るか。いい記念になっただろう? ニホンだったら写真に撮ってSNSにでも上げてる所だ」
――この男にだけは、逆らってはいけないと。
一撃で万の敵を殲滅し、生死すら操り、人の築き上げた文明など、一瞬にして無に帰してしまう。
その場にいた誰もが理解した。
この男こそは、「魔王」をも超える存在――。
「『魔神』……」
崩れゆく世界を見て、ガイゼル将軍は呟いた。