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54 邂逅【vs勇者】-2

2017.9.13

見直しも推敲も全くできてませんがこれ以上伸びるとやばいので一旦上げます。お待たせして申し訳ありません。

3万字超えてますが前半は丸々いらない話なので実質1万5千字ですね(白目)。5週間かけて過去最低クオリティかも……。





 ――【白光(びゃっこう)】。

 ユンは磔にした魔王へとその追撃を叩き込む。

 ユン自身の――人間の扱う【戦技(わざ)】ではなく、聖剣自体が発する【精霊魔法】であるそれは、他の攻撃手段と比べて桁違いの攻撃力を持っている。

 だが、ユンは次の瞬間起きた――いや、起きなかった現象に目を見開く。

 肝心の、魔力の爆発が、発生しない。

 本来ならば白い光が敵を内部から焼き尽くすのだが、それが発生しないのだ。

 しかし聖剣からはいつも通り1割ほどの魔力が消失し、確かな手応えもあった。発動しなかった訳ではない筈なのだが――。

 そこで聖剣が、反撃のように飛んでくる魔法を感知する。

 この効果範囲は【風刃の魔法(エアスラッシュ)】だ。風魔法は目に見えないため、戦士からすれば回避が難しい。だがそれも聖剣を持つユンには関係の無い話である。

 ――しかし、ここでユンはあえてそれを避けず、装備の防御力に任せてそのまま受けた。

 連合各国から寄せ集められた国宝級の装備の数々がその威力を減衰させ、ユンに耐えられる程度まで衝撃を抑える。普段なら【白光(びゃっこう)】一撃で勝敗は決するが、この魔王にはそんな常識は通用しない気がしたのだ。故に、もう一撃――いや、魔王が倒れるまで攻撃を加え続ける必要がある。ユンは無理やり作り出した時間を使い、更なる追撃を叩き込もうとし――

 不意に魔王が動く。

 魔王は空いている右腕でその純白のマントを翻し、あろうことかユンを懐に抱きかかえようとした。その滑らかな動きからは【白光(びゃっこう)】によるダメージなど些かも感じられない。 


「っ!!」


 やっと生み出せた有利な状況ではあったが、それの維持よりも、敵を招き入れるというその異常な行動への警戒から離脱を選ぶ。

 飛び退くユンと、拘束を解かれ着地する魔王。

 マントがマジックアイテムだったのか、それともその裏に凶器を隠していたのか。とにかく、なんらかの攻撃を回避したつもりだった。だが聖剣を通して伝わる魔王の気配からは、「口惜しさ」が感じられない。それどころか「安堵」すら漂う程だ。

 ――まさか、ただの演技(ふり)

 ユンの方を遠ざける為の――壁を背にしたあの状況下から抜け出す為のハッタリ。それにまんまと乗せられてしまったらしい。

 後悔が襲うが、それは敵の方が異常だったのだと心の中で言い聞かせる。敵があんな行動を取って来た時の対処法など、王国騎士長と王国戦士長からの教えにすら無かったのだから。

 魔王の精神状態に向けていた意識を、魔王その物へと向け直す。そこで気付いた。


(……血が、出ていない……?)


 魔王の穿たれた肩口。そこからは貴族のような白い肌と痛々しい赤い肉が覗くが、不思議な事にその傷口からはいつまで経っても血が流れ出ない。引き抜いた聖剣の刃を見れば、そこにも血の付着は見られなかった。

 先程の【白光(びゃっこう)】と同じだ。いつもの弾けるような光も、その余波も、なぜか出なかった。まるでどこかに()()されてしまったかのように。

 他の魔族たちは斬れば血が出る。これはこの男特有の魔法、または能力だろう。与えたダメージを視覚で判断できないのは地味に困る。そういった戦術的な意味で使用している魔法なのだろうか。先程のマントによるブラフの件を思えば、この男がそういった頭を使った戦いを好んでいる、または慣れている可能性は高い。

 ただ、見た目に反映されないので分かりにくいだけで、回避を続けている事から恐らくダメージ自体は入っているのだと思われるが……。

 そこで聖剣が、敵の魔法の行使を捉えた。


「なっ――」


 そうして起きた現象に、ユンたちの背筋に冷たい物が流れた。

 ユンが魔王の肩に穿った筈の穴。

 それが4人の目の前で、一瞬にして塞がったからだ。


(光の魔法を……!)


 どうやら魔王は、あのセムヤザと同じく光魔法を使うらしい。それも、防御ではなく治癒の魔法を。

 ……であれば、敵を一撃で即死させない限り、こちらに勝利は無いという事だ。

 ポーションとは違い、魔法には無詠唱という技術がある。一時的にどれだけの重傷を負わせようが、敵は瞬時にそれを癒してくるだろう。……そして、こちらの光魔法使いであるルーチェはそれを封じられてしまっているのだ。

 圧倒的なまでに不利な状況だと再認識する。


(……一体、何者なんだ)


 仲間割れの直後に乱入されたのが想定外だったのか、聖剣はこの戦いが始まって以来、常に敵の「焦り」と「困惑」を伝えてきている。

 ――だが、困惑しているのは自分たちも同じだった。

 扉を開ければそこにいたのは人間で。

 目が合ってしまったから不意打ちを仕掛け。

 それも避けられてしまったから通常の戦闘が開始され。

 想定を覆され、なし崩し的に始まった戦いには確かに困惑があったのだ。

 そのくせ、一刀を重ねる度に、恐ろしい速度で魔王の方の「困惑」の気配が小さく――1つ1つ()()されていくのが分かる。

 長引けば長引くほど、こちらには不利。

 そういう類いの敵なのだと、戦乱の中を2年間に渡って走り抜けてきた今のユンならば分かる。

 ここからは魔力の消費を考えず、戦技を惜しみなく用いて速攻を仕掛けた方がいいかもしれない。敵が精神的動揺を抱えている内に。


(それでも――この人に勝てるかどうかは、分からないけど……)


 それ程にまで――反則と言っていい程に、この魔王は強かった。

 ユンは攻略の糸口を探す為、魔王から目を逸らす事無く考察を始める。

 真っ先に目につくのは、高い身体能力を持ちながら、魔法を同時に操っている事だ。

 それは魔族に共通する大きな特徴だが、人間であるはずのこの男も、その特徴をしっかりと持っているのだった。


(ドワーフの魔法戦士に似てるけど……多分、違う)


 山人族(ドワーフ)は古くから(ヒト)族と共に在り、現在では物資、技術と土地を分け合う完全な共生関係にある。そのため、人族同士の国家間戦争などが起きた際、同じ「国の一員」として戦列に加わる者も珍しくない。

 そんな山人族(ドワーフ)の戦士の中には、なんと魔法を扱う者が多い。山人族(ドワーフ)は高い身体能力を有していながら、魔法への適性も併せ持つという稀有な種族なのだ。

 これが「山人族(ドワーフ)の魔法戦士」と呼ばれる者たち。

 剣と魔法を同時に扱う者、それ自体は既にいるのだ。

 ――だが、この男のそれは、彼らの物とは似ているようで別物である。

 山人族(ドワーフ)の魔法戦士は、せいぜい火を出し敵を牽制する、土の盾や壁を一瞬にして築き上げるなど、火と土の下位魔法を絡め手として2~3扱う程度だ。それだけでもただの戦士とは別次元の強さを誇るのだが……言ってしまえば剣と魔法は両方扱えるが、それぞれが別々の技術として分かれているのだ。彼らは魔法を使う時には魔法を使い、剣を使う時には剣を使う。これ自体はどうやら魔族たちであっても変わらないらしい。……奴等はそれぞれの規模が桁外れなだけで。

 しかしこの男の場合、その2つが完全に()()している。

 接近戦の為に魔法を用い、魔法を活かす為に武術を組み込む。そしてその上で回復を行い、ユンの攻撃への回避率が着々と上がっている事から、探知魔法を用いた分析まで行っていると思われる。

 はっきり言って、人間の戦い方ではない。群れを形成しそれぞれの得意分野を持ち寄る事で、弱点を消しつつ総合力を高めて挑むのが我々人間の戦い方だ。弱点を克服するのではなく、誰かの得意で穴埋めするのだ。

 それに比べてこの男は――攻撃、防御、移動、支援、癒し。必要となる全ての役割を、1人でこなしてしまっている。

 故に男が持つのは、「強者の技法」。「異質」そのもの。

 戦場を「個人」で駆け抜ける為の技術。この男から感じるのは、それだ。

 まるで()()()()()()()()()()()()()()とばかりに、神から全ての能力を与えられているかのような――。

 大げさに言えば、勇者、賢者、王の仕事を1人でやろうというのに等しい。それは言うなれば、「完璧な個」になろうという事。

 ――もしや、それこそ神と呼ばれるモノでも目指すつもりか。それが魔族の戦う理由なのだろうか。


「…………」


 脱線しそうな思考を振り払う。今はこの戦い、その勝敗に関わる部分だけを考えるべきだ。


(そもそも、なんで僕の動きについて来れるんだ……。本当に、人間?)


 身体能力が高いと言っても、限度がある。

 邂逅の際、敵が2つほど魔法を行使したのを感じたので、恐らくは強化魔法込みでのものなのだろうが……だとしても、勇者である自分と互角とはどういう事か。

 桁違いなのは速度と力だけではない。――シャルムンクとエドヴァルドの剣が、弾かれていた。


「シャル……」


「ああ――剣が、通らない。感触は皮膚と筋肉の弾力なのに、だ」


 背後のシャルムンクが、緊張により汗だくになった顔で呟く。

 つまりこの男は、鎧で防いだ訳でも、防御魔法で防いだ訳でもない。

 ――ただ単純に、魔法銅(オリハルコン)の剣より丈夫な肉体を持っているのだ。

 その頑丈さは下手をすればユンすらも上回る。他の魔族たちのような化け物が、何らかの方法で人間に擬態している可能性もあるだろう。

 高い「身体能力」に、魔法を打ち消す魔法、帝国式の催眠ではなく実際に幻影を発生させる魔法など、聞いた事も無い「未知の魔法」。

 そして何より、その未知の魔法から生まれる「未知の戦法」。

 2年前、まだ何も知らなかった頃、盗賊は方向性によっては魔物より恐ろしいかもしれないと考えた事を思い出す。

 今だから言える。世間知らずの素人考えながら、あの予想はまさに正しい物であると。

 「力」を覆す別種の「力」。――それが「知性」だ。

 そして目の前の敵は――そんな人間の恐ろしさと魔族の強さを、兼ね備えている。

 ジンの選択は正しかった。この敵はあのセムヤザよりも更に1つ上の次元にあり、ただでさえ勝てるかどうか怪しい相手だ。あの場であのまま無駄に魔力を消費していれば、確実に勝てなかっただろう。

 ……それとも、もしもジンがこの場にいれば、即座に撤退を指示していただろうか。

 なにしろ――

 ――この男は、これで全く本気を出していないと言うのだから。


(僕やルーチェと同じ、魔法使いの格好なのに……!)


 ――そう。敵は確実に魔法使いの筈なのだ。だというのに、未だ攻撃として放った魔法は先程の【風刃の魔法(エアスラッシュ)】、その一撃のみ。

 もちろん格好だけで言うのならば、ユンのように戦士――または魔法使いでありながら、弱点を補う為にあえて魔法使いの装備をしている可能性もある。

 だが、そう断定するには、まさにその「装備」がおかしいのだ。


(――戦士が、あんな恐ろしい杖を持っている筈がない)


 最初に手にしていたあの魔杖。あれを見せられてこの男を戦士だと思う者は1人もいまい。

 戦士として見ればあの強大な魔力は明らかな過剰であるし、鈍器としても使える長杖(スタッフ)戦棍(メイス)ならばともかく、50cm以下という短い短杖(ロッド)を主武装にする戦士も考えにくい。それに敵は邂逅した際に明らかに部下との戦闘直後であり、そしてその手には使用したであろう武器としてあの杖を持っていたのだ。

 敵は間違いなく魔法使いだ。そしてあの魔杖をいつの間にか()()()()()()()()()()いる事から、恐らく何らかの理由で手加減しているのだと思われた。

 それにこの、聖剣から感じる敵の感情。

 そこには「困惑」もあれば「焦り」もあるが――「恐怖」だけは、一切無いのだ。

 自分が負けるとは露程も思っていない。

 2年間、様々な人の感情を感じ取って来たユンには分かる。

 ――これは、「余裕」だ。

 敵の心理状態には余裕がある。どちらかと言えば、「自分の思った通りの勝ち方が出来ない」という傲慢な感情で苛立って――「焦って」いるのではないだろうか。

 敵がその気になれば、いつでも戦況はひっくり返る。

 あくまでも、敵の謎の「手加減」によって自分たちは生かされているのだ。

 だが、だからこそ、言える事がある。


(――それは、こっちも同じだ)


 本気を出していないのは、魔王だけではなかった。

 ユンも同じく、とっておきを――「奥の手」を1つ、隠しているのだ。

 この絶対強者たる魔王を、一撃で倒す事も可能な、そんな奥の手を。

 ――それは、ユンに勇者としてのとある「二つ名」を与えた技。

 ひとたび使用すれば、飛竜(ドラゴン)だろうが将の魔族だろうが塵も残らないと言われた、究極の戦技。

 自分の魔力と聖剣の魔力。2つを足したあの技さえ解放すれば……そして回避などを許さず、直撃させる事が出来れば、この男にすら勝てる筈だ。


(あれを使えば、きっと勝てる。――でも)


 しかし、向こうが何らかの理由で手加減をしているように、こちらにもそれを使えない理由があった。

 ユンの奥の手たるその技は、分類上は――というより、他の人間が使った場合には「単体攻撃」である。

 ――だが、自分の超常の身体能力に聖剣の超常の魔力を上乗せして放たれるそれは、周辺の地形すら変貌させる破壊を産んでしまうのだ。

 それは伝説に謳われるほどの聖剣、そのよく切れる刃で作られた諸刃の剣。

 本来ならば討伐対象と1対1の状況下になるよう投入された、そんな憂いの無い戦場でしか使用できない、極限まで威力に特化した無差別破壊攻撃なのである。


(使ったら、きっとみんなは――)


 ユンの意識は、聖剣から伝わる背後の3人に向けられる。

 結局の所、ここまでの道中と何も変わらない。

 仲間が避難することも隠れることも出来ない屋内というこの地形は、最後までユンを苦しめる。それは、強すぎるが故に。

 必殺であるその技は――使えば敵も、そしてその余波により仲間すらも屠るだろう。


(――なら、このままで勝ってみせる)


 勇者(ユン)は覚悟を胸に、即座により困難な道を選ぶ。


(装備は凄い。でも今ので穴は開いた。体も貫けた。ここから正確に同じ場所を突いていけば――)


 不可能を可能にしてこそ、奇跡を起こしてしまえるからこその「勇者」だ。

 こと彼女に限って、そんな当たり前(ぜつぼう)は障害にすらなりはしない。

 ――だが。

 魔族を悪魔の一種だとすれば――それは、ただ存在するだけで人間を苦しめるのだろう。

 魔王が肩に開いた穴を、そっと撫でる。

 それだけで――ユンが穿った筈の装備は、元通りに修復されていた。


「!?」


 魔法。いや、魔法ではない。今の現象からは魔力を一切感じなかった。もちろん魔法だったとしても、衣服や装備を修復する魔法など聞いた事もないが。

 ユン達の顔色が更に青ざめる。ここに来て、とびきりの懸念材料が更に増えた。

 思い出すのは、セムヤザが自身の攻撃では負傷を負わなかった謎の現象。

 人類が未だ発見すらしていない、「何らかの概念」。一部の魔族たちが備える、身体能力でもなく、魔法でもない――第3の力。

 この男の技能にそういった何かが追加される事が、たった今確定したのだ。

 だが、変化はそれだけでは終わらない。

 魔王の気配が、突如変わった。


「……え」


 先程まで敵の中にあったのは、「焦り」と「困惑」。

 だが、今は違う。

 ――混沌。

 あまりにも複雑すぎて……ユンにはそれがどんな感情なのか、読み取れなかった。

 怒りでもあり、歓喜でもあり、悲しみでもあり、諦めでもある。

 聖剣がこんなイメージを捉えたのは初めてだった。まるで「矛盾」という概念が形を持ったかのような、そんな支離滅裂な何かが男の中では渦巻いている。

 そして。

 その混沌の王たる男は――4人の前で、初めてその口を開いたのだ。


「――ふーん。いや、本当に驚いたな。どうやら全員、俺と同い年ぐらいに見えるが」


 その声は、ごく普通の人間の物だった。

 ユンと近しい10代後半という見た目に似合った、酒焼けも煙草焼けもしていない、若い声だ。

 見た目通りの年齢なのか、それとも魔法で姿を偽っているのか。謎は深まるばかりだ。

 終始無言からの突然の意志疎通。困惑を強くした4人に構わず、魔王は言葉を続けている。


「お前たちレベル(ぐらい)の若者は――昔はどうだか知らないが、少なくとも今の俺の故郷には絶対にいないな。別に戦いに限った話じゃなく、それ程にまで『本気で生きている人間』がいないという意味でだ」


 「年齢」、「故郷」。降って湧いた魔王の情報に、ユンたちは耳を傾ける。


「おかげでとうとう確信が持てた。――やはり俺たち【プレイヤー】より、お前たち【現地人】は『人間として上』なんだ。経験、知恵、技術、精神、覚悟……。生ぬるい『現代』で育った俺たちは、そのどれもを持ち合わせていない。……ああ。人によっては、きっとこういうのを軟弱になったと言うんだろうな。――だがな、俺はこうも思うんだ」


 それはどこまでも魔族らしい、一方的な語り口だった。

 会話ではなく、独り言なのだ。この男もセムヤザと同じく、こちらが内容を理解するそもそもの必要を感じていない。


「――『()()としては、俺たちの方が上』だ。……決まってるだろう? 何千年分も進化しているんだから。分かるか?」


 魔王が笑った。そこには目を剥くような狂気も、身を震わせるような闇も無い。

 ただ、純然たる事実を……自然の法則を語っているのみなのだと、弟子に教える師のように、優しく微笑んだのだ。


「――()()()なんだよ、俺たちは。お前達の努力も正義も信念も、営みさえも……時の流れの前には、ちっぽけな物だ。それをそろそろ、()()共に教えてやろう」


 ――邪悪。

 言いながら、魔王の中で渦巻く混沌には1つの方向性が与えられ、濁流は1本の川となる。

 邂逅した際のあの純粋さ。それがここに復活していた。純度100%の、強烈な悪意が。

 ――いいや。それはもはや「悪意」ではなく、「敵意」だ。

 ここに来て、魔王は初めて殺気と呼ばれる物を放ち始める。その桁が違い過ぎる威圧感に、世界その物が軋みを上げていた。

 同じ魔法使いとして感じる物があるのか、ルーチェの足が震え出した事を聖剣が捉える。――いや、震えているのはこの聖剣も同じだ。この聖剣から伝わってくる感情――仲間達や魔王の物ではなく、「聖剣自身」から送られてくるイメージは、最初から現在まで「逃げろ」という物に一貫されている。

 ……世界規模の災厄を斬り伏せる存在が、このたった1人の男を前に、最初から膝を屈しているのだ。

 震える聖剣。その先のルーチェから感じるのは、泣き出しそうな程の不安。今にも逃げ出したいだろうにそれを行動にも口にも出さないのは、彼女にそれだけの覚悟と責任感が備わっているからだろう。

 シャルムンクの中には敵との邂逅以来、経験から来る撤退するべきだという思いと、同じく経験から来るこの状況では戦うしかないという思いとがぶつかっている。勝てるとは思えないが、ここでこの怪物を野放しにするという手も無いと判断しているようだ。

 そして、この敵に最も強い心で挑んでいるのは、どうやらエドヴァルドであるようだった。民と要人を守る存在たる騎士であり、その中でも特別に誰かの盾になる事に誇りを持つ彼にとって、目の前に危険が迫る事は、それだけ戦うべき理由が大きくなるという事でもあるのだ。


「さて、戦いを再開……する前に。そういえば、その前にお前たちに聞いておかなければならない事があるんだが……」


 魔王はその殺気とは裏腹に、やけに人間らしく頭を掻いた。見た目や仕草だけならその辺にいる少年と変わらない。

 初めて会話らしい物を始めたその内容に――ユンたちは知らず、意識を誘導されてしまう。

 そう――ユンのその手に、聖剣が無ければ。

 敵は会話に見せかけ、何か、とびっきりの企みを行おうとしている。

 聖剣の警告のおかげで目の前のそれらが「演技」であることに気付けたユンは、体の陰に隠した手信号で仲間たちに指示を出す。

 出した指示は「警戒」、「ゆっくり」、「散開」の3つ。

 それを見た仲間達が、魔王の話に耳を傾けつつ、さりげなく互いから距離を取るのを感じる。これで敵が何をしてきても、少なくとも全員が巻き込まれる恐れはない。

 魔王の中に、僅かな苛立ち。

 どうやら自らの企みが看破されたことに気付いたらしいが――どういう訳か、すぐに霧散した。まるで、「まあいいか」とでも言わんばかりの動きの無い心理状態だった。

 気にせず会話を続ける魔王は、中央――ユンを見て尋ねる。

 

「お前は結局……噂の勇者、でいいんだよな?」


 ……これは、素直に肯定してもいいのだろうか。

 質問の意味は分かるが、その目的が分からない。

 ユンは警戒からどう答えるのが最良かを考えるが、考えようにも持っている情報が少なすぎた。

 結局、咄嗟に嘘などが思いつかなかったユンは、首を縦に振る事にする。


「――そ、そうだ!」

「そうか。まあそうだろうな。なら聞きたいんだが――」


 魔王は腕を組み、リラックスしたように片足に重心を預けた。知り合いとの雑談中であるかのような気軽な態度は、まるで隙だらけだ。だが。


「――お前、誰に喧嘩売ったか分かってんのか、おい」


 その瞬間、ユンはあまりにも濃密な死の気配に包まれた。


「!!」


 聖剣がユンにだけ伝わる大絶叫を上げる。魔王から自分までの直線上、その空間を真っ直ぐ穿つかのような範囲で攻撃してくる魔法を予知する。

 だが、何かを――特に攻撃を仕掛けてくるのは予想済みだ。聖剣が予知した範囲から、仲間たちは完全に外れている。あとは自分が自慢の速度を以って回避すれば――


「――!?」


 しかし、ユンは即座にそれが慢心だったと悟る。

 予測されたその弾速が、あまりにも速過ぎるのだ。

 ――間に合わない!!

 直撃すると悟ったユンは、即座に聖剣の防御魔法を展開した。


「【聖方陣(せいほうじん)】――ッ!!」


 光の壁が、球体状にユンを包み込み――

 ――ほぼ同時。その上を、更なる極光が吹き抜ける。


「~~~っ!!」


 視界が閃光に塗り潰される。ユンはその眩しさからか死の恐怖からか、とにかく反射的に目を瞑る。同じように悲鳴も必死で噛み殺した。

 空気を焼く轟音の中、ユンの人並み外れたその聴覚が、自分の名を叫ぶ仲間達の声と――魔王の呟きを拾った。


“――不意打ちは俺の専売特許だ”


 光の奔流から3秒ほどが経過し、視界が開ける。

 ユンが魔王の姿を捉え直すと同時、魔王も未だ健在であるユンを捉えた。


「――はぁ!? ()()()……!?」


 魔王が驚愕から思わず停止するのと同時、ユンも自分の後ろを振り向いた。

 いや、振り向かざるを得なかったのだ。聖剣から送られてきた、背後の様子。それを知ってしまっては。


「なっ……」


 薄ら寒いものが背中を撫でる。

 自分の攻撃でもやっと傷が付くかどうかという、常識外の堅牢さを誇った漆黒の壁。――その壁に今、穴が穿たれていた。

 人間1人が丸ごと収まる大きさの中に、ユンの【聖方陣(せいほうじん)】が盾になった部分だけ円形に壁が残り、縁を溶解させた三日月型の穴がぽっかりと浮かぶ。薄暗い室内に、久方ぶりに見た外の景色――夕焼け空が顔を覗かせる。

 魔法に対する備え? 国宝級の装備の数々? ……そんなものに意味など無い。聖剣の防御魔法がなければ、塵一つ残さず死んでいただろう。ニーナ・クラリカやセムヤザどころの話ではない。聖剣すら凌駕する威力の魔法など、見たことも聞いたこともない。先程の【風刃の魔法(エアスラッシュ)】は、完全な「お遊び」だったのだ。

 徹底的に破壊された室内に思わず目をやる。この惨状は確かにこの男が作り出した物だ。自分達がやって来る直前、この室内ではどんな戦いが繰り広げられていたというのか。

 4人の思考が状況にやっと追い付き……そして凍りつく。

 ――まずい。

 先に向こうが本気を出し始めた。

 他の3人が怯む中、聖剣に選ばれた強き者、ユンだけは動く。

 敵の攻撃力は目に余る。防戦に出ても絶対に凌ぎ切れない。

 自分達にはもはや、倒される前に倒す、それしか道は残されていないのだ。

 幸いにも、敵は完全に自分を殺す気で来た。ならばそれに失敗した今、確実に追撃を仕掛けてくるだろう。こちらがどう動くかとは関係なく、反射的に。

 思わず動き始めてしまった敵の意識は攻撃に集中し、咄嗟に回避に移れない。その意識の隙間に滑り込めば、こちらのカウンターが完璧に決まる筈。

 魔王の本気の不意打ち。それを防ぐことに成功した今この瞬間だけは、こちらに分があるのだ。

 最短、最速で踏み込んで来たユンを見て、魔王は――

 ――しかし、それに一切の執着を見せず、代わりにエドヴァルドの方を見た。


「――え?」


 その瞬間、魔王の背中に、「翼」が生えるのをユンは見た。

 直後、エドヴァルドの姿が掻き消え――入れ替わるように、その場所に魔王が現れる。


「は? ――ぐあ!?」

「きゃっ!?」

 

 一拍遅れて、謎の衝撃波がフロア中を駆け回った。シャルムンクとルーチェがそれに吹き飛ぶ。

 衝撃波はそのまま轟音となり玉座の間に轟く。それと同時、遠くの壁に「何か」が叩き付けられたような硬質な音がする。

 ――エドヴァルドだった。


「まず1人」


 魔王が呟く先で、盾を構えた格好のまま潰れたハエのように壁に張り付いたエドヴァルドは、2秒ほどかけてズルズルと床に落ち、横に倒れた。

 顔を上げたシャルムンクとルーチェは、それを茫然と眺める。何が起きたのか分からない。

 一連の謎の現象。その一部始終を捉えられたのは――ユンだけだ。

 起きた現象は不可解な物でも、その過程には何の難しい点も無かった。

 光の翼を生やした魔王は、エドヴァルドへと、ただ真っ直ぐに飛んだ。そして、型も何もない、素人同然の正拳突きを放ったのだった。

 ――ただし、先程までの倍以上の速度で、だ。

 エドヴァルドの構えていた、魔法銅(オリハルコン)製の大盾。

 元から物理的に最高クラスの堅牢さを誇るそれに、更に防御の魔法で魔具化を施したというその盾は、現在世界に存在する中では最強の盾である。

 それが、ひしゃげる。

 溶けた飴細工でも殴り付けたかのように、拳によってぐにゃりとその形を変えた。

 余人からでは完全に同時としか思えない――というよりその瞬間を知覚できないほどの速度でもって、エドヴァルドは殴られたのだ。

 ()()()()()()()()()()ユンに、それを止める手段は無かった。

 敵の不意打ちを逆手に取ったカウンター。そして、そのカウンターを逆手に取った不意打ち。ただし、そのやり取りが理解できたのは魔王とユンの2人だけ。

 エドヴァルドが、消えた。そして入れ替わるようにして、魔王がそこに現れた。

 他の2人からは、そうとしか見えなかったのだ。


「が――げは――」


 内臓が破裂したのか、エドヴァルドは口から血の塊を吐く。それでも離さない魔法銅(オリハルコン)の盾は――その下の鎧ごと、その姿をぐちゃぐちゃに変貌させていた。


「エド――ッ!?」


 一瞬茫然とした後、ルーチェが悲鳴にも似た声を上げる。

 その細い首へと向けて、遠く離れた魔王は右手を一閃した。


「伏せてッ!!」


 聖剣の予知にユンが叫ぶ。

 立ち上がりかけたシャルムンクと、エドヴァルドに駆け寄ろうとしていたルーチェは、反射的にその指示に従う。どんな状況でもユンの指示通りに動く。そのように訓練してあった。

 地面に張り付いた3人の真上を、光の刃が通過していく。

 フロアの中央付近にいた魔王。その右手から伸びた光の剣が、薙ぎ払うようにぐるりと部屋を一周したのだ。

 魔王が狙ったのはルーチェだけではなかった。ユンを含めて残った3人。その全てを同時に巻き込む動きだった。

 恐らく本来は近接魔法である筈のそれは、半径40メートルはあるフロアの壁まで平然と届いた。

 円形の壁に、コンパスで輪を描くかのように赤熱した跡が残る。

 壁の穴、倒れた仲間、赤く光る線。

 想像を超えている。

 ユンは自分以外の生存率が、ガリガリと音を立てて削られていくのを感じた。


「――【無敵化】だけじゃない。……お前、まさか敵の魔法とその範囲を事前に察知してるのか?」


 また1つ、魔王の中の困惑が解消された。

 一歩一歩、確かめるようにして――「終わり」が近付いてきている。


「未来予知の真似事とは……ったく、そりゃとんだチート(はんそく)だ。【隠密】が効かないのは――お前達には【レーダー】が無いから分からないか」


「エド! エド!! 【治癒の魔法(ヒール)】!!」


「おっと」


「……っ!」


 ルーチェがエドヴァルドに【治癒の魔法(ヒール)】をかけようとし、またも魔王に邪魔されたようだった。

 反則はどっちだ。ルーチェは魔王を睨み、ポーションで回復させるべくエドヴァルドへと直接駆け寄って行く。

 ユンとシャルムンクは時間を稼ぐ為、2人の盾になるようにして立ち塞がる。目を細め、観察するように静かに魔王が2人を見つめる。だがそれも一瞬、先程と同じく目にも止まらぬスピードで動いた。


「――――ッ!!」


 反応出来たのはユンだけだ。速度に任せて真っ直ぐ突っ込んできた所を斬り払う。

 しかし既に、敵の速度はユンのそれすらも超えていた。

 ユンの斬撃、その目前で慣性を無視して直角に曲がる。あの飛行魔法を利用した回避法とは違う、直線的で単純な動き。今の敵のそれは、文字通りにただ空中を飛び回るだけの飛行魔法だ。その速度が尋常でないだけで。 


「なに、あの魔法!?」


「移動速度を強化する魔法――? それとも全く新しい別の飛行の魔法なのか!?」


 視認すら難しいような速度で魔王がフロアを飛ぶ。先ほどまで一体どれだけ手を抜いていたのかと、意味も無く叫びたくなる気持ちに駆られる。


「――【竜剣閃(りゅうけんせん)】!!」

「【竜剣閃(りゅうけんせん)】――!!」


 遠距離攻撃で撃ち落とそうとした2人の声が重なる。

 ユンは辛うじて魔王に狙いを付け、シャルムンクは数で補う。

 魔王はユンの攻撃を容易く躱し、その先に偶然飛んできたシャルムンクの攻撃数発も躱す。

 翼の残光が尾を引き空中に複雑な線が描かれるが、シャルムンクの目にはその軌跡しか捉えられない。


「っ!!」 


 横か縦、または斜めでしかなかったその模様が、突如「点」となる。再び接近してきた魔王に、ユンは再びカウンターを狙う。

 真っ直ぐ突っ込んできた魔王に、真っ直ぐに突きを見舞う。魔王はそれを避けようとし――最初と同じように、避け切れず掠った。


「チッ――敏捷上げてもまだ駄目か」


 即座に後退した魔王から舌打ちが聞こえる。

 ついに速度ですら超えられてしまったが、それでも騎士長から授かり、そして自分の努力により育てたこの剣技は肉体の性能差を埋めていた。


「【旋風剣(せんぷうけん)】――ッ!!」


 追撃に使用したのは横薙ぎの一閃。

 刃は魔力で編んだ風を纏い、剣の射程を遥かに超える広範囲を薙ぎ払う。勇者であるユンのそれは、先程の魔王の光の刃と同じく壁まで届くだろう。

 ――だが、魔王はそれを見て鼻で笑った。

 そして、横薙ぎの一閃、その下と床の間に滑り込むようにして高速接近してきた。


「なっ――!?」


 魔王の体と共に、その右腕が跳ね上がる。ユンの顎を狙ったアッパーだ。

 ユンはのけぞってそれを躱す。聖剣の空間把握は敵の次の動きを予測するのに役に立つ。

 刹那の時間で躱されたやり取りに、豪風が吹き荒れる。シャルムンクは巻き込まれないよう、しかしエドヴァルドとルーチェの盾になれる位置に後退する。


「【牙狼斬(がろうざん)】――ッ!!」


 敵が射程内にいる今が好機。ユンはのけぞった反動で後ろに1歩下がりつつ、下から斜め上へとフルスイングで斬り上げる、威力特化の単体攻撃戦技を使う。

 完璧な流れだった筈なのに――魔王は、またしても避けてみせた。今度は斬り上げに合わせるように、体をコマのように回転させて逃れてみせたのだ。

 その上、回転して戻って来た左手。その左手が、黒い靄のような物で覆われている。

 その黒い靄に対し、聖剣が異常な警告を発した。突き出されたその腕から逃れるように、ユンは大きく飛び退いた。

 素手で敵を掴むという非常に使()()()()()()な魔法だが、一体どのような効果を持つ魔法だったのだろう。聖剣があれほどの警告を発した以上、命に関わるような類いの物であった筈だが――。


「―――」

「あっ!?」


 ユンが離れた瞬間、魔王は待っていたと言わんばかりに視線をシャルムンクへと向けた。

 そちらへと、【風刃の魔法(エアスラッシュ)】――いや、違う。刃が1枚ではなく、3枚だ。セムヤザが使っていた魔法と同じ物。それを2発分飛ばした。

 ユンは着地と同時に踏み込み、一瞬でシャルムンクへと迫る。感知能力の無いシャルムンクにとって、魔法の回避方法は敵の詠唱に合わせて飛び退く、これしかない。全ての魔法を無詠唱で行うこの敵には為す術が無いのだ。


「がッ――!?」


 ユンは未だあらぬ方向を見ているシャルムンクに心の中で謝りながら、魔法の範囲外――10メートル以上――まで突き飛ばした。シャルムンクは突然身を襲った衝撃に一瞬だけ目を剥いたが、それをしたのがユンだと分かると即座に理解の色を示し、受け身に入る。

 「慣れている」とでも言うような、そんな最上位傭兵らしい一面を見せたシャルムンクと入れ代わりに魔法の前へ飛び出たユンは、その場で小さく飛び上がった。そして――

 聖剣から感じられる魔法の軌道。さいの目に迫る6枚の刃、その刃と刃の隙間をきりもみしながら正確に通り抜けてみせる。

 ユンが難なく行ったそれは、当然、神業の類いである。スロー再生にすれば超能力(スーパーパワー)物アクション映画のワンシーンとしてそのまま使えるだろう。


「やっぱり『視えてる』みたいだな。――それにしても、()()()()()()だ」


 魔王が僅かに目を細める。そのまま踏み込んで来た。

 同じやり取りを繰り返す様は、何かを検証しようとしているような不穏さがある。


「せやぁッ――、【氷雨突(ひさめづ)き】!!」


 迎撃として初手に斬撃。続いて神速の5連撃を繰り出す戦技。

 前者はまたしても掠り、後者はまたしても避けられた。


「くっ……伏せて!!」


 ユンの短い指示に、ルーチェがエドヴァルドの上に覆いかぶさり、シャルムンクも身を伏せる。


「【千刃衝波(せんじんしょうは)】――ッ!!」


 ユンはついに範囲攻撃の1つを放つ。

 仲間達は全員が自分の背後にいる。この位置関係ならば、周囲への影響が最小限の物に限り使用できるだろう。

 単体攻撃かつ遠距離攻撃である【竜剣閃(りゅうけんせん)】、それの範囲攻撃版に近い【戦技(わざ)】。ユンの放った幾重もの魔力の斬撃、それが空間を埋めるように魔王へと殺到する。

 ――が、それに対して魔王が取った行動は、シンプルだった。

 左斜め後ろに、3歩分下がる。

 それだけで、先程ユンが行った回避と同じように、斬撃の方が男を避けていったのだ。

 魔王は表情一つ変えない。まるで最初からそこがこの技の「安全地帯」だと知っていたかのように、当然の顔をしている。


「そんなっ――!?」


「なるほど、『勇者』――『魔族の掃除屋』って訳だ。見えたぞ、お前の『弱点』」


 また一つ、「困惑」が消えた。もはや魔王の中には「焦り」すら無くなっていた。


「【咢裂(あぎとざ)き】!!」


 3歩分下がっていた魔王に、横からシャルムンクが不意打ちを仕掛ける。上下2連続の斬撃で敵を両断する戦技を放った。しかし、そこには既に魔王はいない。残光のみを残し後退している。


「くそッ!!」


 飛んで来たユンからの【竜剣閃(りゅうけんせん)】を魔王は苦もなく躱す。撃ち落とそうとする2人と、なんら問題なくそれを躱す魔王。2度目となるそのやり取りの後、魔王は再びユンを狙う。

 通常攻撃は当たるが、戦技は避けられる。他の敵とはまるで真逆だ。

 そして、ユンとシャルムンクが並んだ場合はユンから片付けにくる傾向がある。これはシャルムンクに魔王を害するだけの力が無いため優先度が低いことと、近くにいるユンのフォローが邪魔で狙うこと自体が面倒な為だろう。

 早期に決着を着けるために魔力の使用を解禁したが、戦技自体が効かないのであればそれはただの無駄遣いだ。ユンは大きな隙を除いて、ここからの迎撃は斬撃、もしくは刺突の通常攻撃に絞る事にする。

 ユンの動体視力でなければ捉える事すら出来ない速度で接近する魔王。ユンはその鼻面に大きく斬撃を合わせようとし――


「――【千刃衝波(せんじんしょうは)】!!」


 それよりも早く、シャルムンクの攻撃が魔王にヒットした。

 目で追う事は出来ない。だが、軌跡のおかげでどう飛んだのかは分かる。これまでの光の軌跡から敵の飛行パターンを予測し、その移動先に戦技を放ったのだ。あとは速度の問題だが、それによる低い命中率は範囲攻撃を使うことで補っていた。

 

「――お前が地味に一番うぜえ」


 予想外の攻撃に、魔王が明らかな不快感を示す。ただし、ダメージを受けた様子は無い。

 シャルムンクが危ないと思い、横槍を入れる。だが魔王は意外にもあっさりと退いた。そして変わらず蛇行したような軌跡を描く。

 その軌跡が、ピタリと途絶える。


(まずい!!)


 聖剣から送られてくる感覚には、変わらず目の前を飛び続けている魔王の姿がある。だが実際にはその姿は見えない。

 透明になる魔法。

 そうとしか考えられない。そしてそれはユンにはともかく、シャルムンクには致命的過ぎる魔法だった。

 シャルムンクがその異変に気付いた頃には、その体は既に真横に跳ね飛ばされていた。


「がっ――!?」


 黒い戦士はありえないような滞空時間を経てから床を転がる。そこに魔王は容赦なく追い打ちの魔法をかけた。【魔矢の魔法(マジックアロー)】と呼ばれる、敵を追尾する無属性の魔法だ。倒れて動けない所に更に避けられない追尾魔法を仕掛けるという殺意の高さに、シャルムンクの買った不興が窺える。


「シャル――ッ!!」


 盾になろうとしたユンの鼻先に、閃光が走る。魔王の右手から伸びた、「白い鞭」。ユンの進行方向へと叩きつけられたそれが、床を容易く溶解させた。

 それを察知し、結果として歩みを止めたユンは悟る。こちらの魔法の察知能力。それを逆手に取った足止めの一手なのだと。

 この敵には、勝てない。

 ユンの脳裏にその答えが浮かぶと同時、【魔矢の魔法(マジックアロー)】がシャルムンクに届いた。

 ――そして、変形した大盾に弾かれる。


「……ふむ。惜しいな」

 

 冷静に呟く魔王。その視線の先に――復活した、エドヴァルドが立っている。


「エド!!」

 

 ユンは喜びから歓声を上げるが、シャルムンクを庇うように立つエドヴァルドが満身創痍である事に気付く。受けたダメージが大き過ぎたのか、ポーションでは完全に回復しきれていないらしい。顔面は蒼白で、口からは呻き声が漏れる。【魔矢の魔法(マジックアロー)】を防ぎ切れたのは奇跡だろう。

 その後ろで、ルーチェが今度はシャルムンクを介抱する。


「――させるとでも?」


 魔王が3人へと向けて飛ぶ。


「――そっちもね!!」


 魔王の神速を、ユンの神速が阻む。

 3人を庇うように、ユンが一番前に出る。

 無駄な努力を。魔王の嘲笑からそう聞こえてくるようだった。

 ――それでも、まだ誰も失っていない。

 この絶対の敵を前にして、自分達は最低限喰らい付けている。

 そこに、背後からエドヴァルドの重々しい声がかかった。


「ユン――駄目だ。こいつには、勝てない……」


 あの不屈の騎士とは思えぬセリフに、ユンは一瞬我が耳を疑う。

 いや、それも仕方がないかもしれない。敵がこれほどの強敵とあっては。

 その盾がひしゃげると共に、彼の心も折れたのだろうか。

 ユンは悲しい目をして――そしてそれを、続く言葉に、見開いた。


「だから、ユン――使()()


 息を飲む。エドヴァルドが何を使えと言っているのか。それを察して。

 ――奥の手。

 ユンの使用出来る究極の戦技。使えば自分たちを巻き込むそれを、この場で使えと言っているのだ。


「で、でも……!」


「ごふっ……いい。使うんだ。お前が守るべきは、見知った私たちではない――」


 滲む血を吐き出しながら、エドヴァルドはユンを見る。その、何よりも尊い輝きを持つ、瞳の奥を。


「――『見知らぬどこかの誰か』。そうだろう……?」


「――――っ」


 その騎士は――心から真の仲間である彼は、ユンの胸に最も深く突き刺さるであろう言い方を知っていた。

 ユンの目的に最も沿うものであるその選択が……どれだけユン自身を傷付けるものであるかも、知っていて。

 ――それでも。


「――それでも、守らねばならない物がある。それが、騎士なんだ」


 覚悟があり、信念がある。

 ユンは自分を真っ直ぐに見つめた迷いなき瞳に、その言葉の真の意味を理解する。

 その願いは、ユンの願いを肯定しつつも、決してユンの為ではない。

 ――それは、誰よりも自分自身の「誇り」の為に。

 騎士の誇りは――遊びではない。

 エドヴァルドはそのひしゃげた盾に、この大地に生きる全ての人々の命を背負っていた。

 その誇りを守る為に、手を汚せと。そうユンに言っているのだ。

 弱き人々を守る為、仲間(じぶん)を殺すという罪を犯せと。

 自分の犠牲を対価に――ユンにも犠牲になれと言っているのだ。


「エド……」


 ユンは助けを求めるように、もう1人の男――シャルムンクへと視線を送った。

 元はと言えば、彼は金で雇われた身だ。命を賭してまで戦い続ける理由が無い。

 だが、1人の騎士が真に騎士であるように、1人の傭兵は真に傭兵であった。


「ユン――戦いは、『数』で見ろ。たった3人の犠牲でこの化け物を倒せるなら――こんなに凄い戦果は無い」


 普段は眠たげな目を、戦いの時だけ鋭く輝かせる猫のような男。

 その男――シャルムンクは、この場における誰よりもプロフェッショナルだった。


「傭兵はな――死ぬのが当たり前なんだよ」


 戦士と言うより、まるで、軍人。王宮の侍女長とも似たその静かな気迫に、ユンは気圧(けお)される。

 こと仕事に関する事柄において、シャルムンクが妥協する事など有り得なかったのだ。

 なぜならば、彼はそんな傭兵たちの中の頂点――最上位傭兵に選ばれるような、そんな男なのだから。


「ユン――これは、お前の『仕事』だ。俺の仕事は――『俺よりもっと仕事の出来る女』がやればいい。……傭兵の依頼ってのはな、いつだって実力のある奴が指名されるのさ」


 最後だけ、いつものように苦笑を零した。

 ……そんな事はない。自分がシャルムンクに勝っているのは身体能力のみだ。経験も、技術も、知識も、他には何も勝っている所なんてない。実戦経験豊富なシャルムンクが見守っていてくれなければ、自分たちは旅の最中に全滅していただろう。


「う……うぅ……」


 ユンはもはや言葉すらなく、最後に残ったルーチェを見る。


「ユン……」


 ――2人の男たちと違い、ルーチェだけは、泣いてしまいそうな顔をしていた。

 揺れるその瞳に、ユンの胸が、呼吸を忘れるほどに締め付けられる。

 出会った時から、いつだって強く在った人。友達のようであり、同時にもう1人の姉のようにも思っていた、頼りになる女性。

 その人は今――死を恐れて、震えていた。


「る、ルーチェ……」


 逃げてと。思わず手を伸ばしたユンだったが――そこに、音量の調整できない声が響く。


「ユン――!」

「!」


 ルーチェの膝は笑っている。だが、強く握り締めた杖に体重を預け――それでもこの場に、立っていた。


「す、少し考えれば、分かる事よ――私たち3人は、助からないかもしれない。でも、早く戦いが終われば――下のジンだけは、助かるかもしれないわ」


「!!」


 ルーチェはいつもの毅然とした表情を浮かべようとし、失敗している。だがその内容は、まさに王国魔法使い長らしい冷静な意見だった。

 シャルムンクの「戦いは数で見ろ」という言葉にも似ている。その2つは、どこまでも現実的な意見であるが故に。

 恐らくこの敵には、ユンの奥の手を使わなければ勝てない。それはつまり、どうあっても自分たち3人は死ぬという事。そして出し渋ってユンまで死ねば、時間稼ぎをしているジンを助けに行く者もいなくなり、結果5人全員が死ぬだろう。

 それならば、自分たち3人を確実な生贄に、ジンと、そしてユンの2人が生き残る可能性を選ぶべきだと。

 目の前の女性は、まだうら若き20歳の乙女であると共に――あの賢者、ニーナ・クラリカに次ぐとまで言われる知者である。

 揺れるユンの心、その背中を押してやるべく、ルーチェは無理に作り笑いを浮かべた――いや、浮かべようとした。


「いつか言ったでしょう、ユン? ――私たちは、同じ、国を守る者だって」


 ルーチェの瞳から、ついに涙が零れ落ちた。

 ユンは同じく、瞳から熱い物を流しかけ――それだけは、食い縛って耐えた。

 騎士が騎士で、傭兵が傭兵で、魔法使い長が魔法使い長だったように。

 ここにいる勇者は――世界の誰よりも、勇者であった。

 自らの痛みに、涙を流す――そんな弱さは、あの日、この剣を取った日に、捨ててきたのだ。

 ユンは胸に刻んだそれを思い出す。

 自分は女でも、男でも――そしてもう、怪物ですらない。

 ――(つるぎ)

 勇者とはもはや、聖剣その物なのである。

 どこかの誰かを守る為、あの日、自らの人間性を差し出した。

 ならばもはや、その白銀は振り下ろされるのみ。それを、思い出したのだ。


「 僕は――勇者だ(たたかう) 」


 そうだよね、と。無理やりに微笑んでみせる少女に、仲間たちは最後の笑みを返した。

 勇者は魔王を振り向く。その姿は――いや、魂は、既に人間のそれではない。

 勇者はその最後の戦いにおいて、「真の勇者」と化していた。

 絶望を斬り払うもの。

 ――そのためならば、どんなものでも斬り払う者へと。

 ついに最後の人間らしさすらも、捨てた。仲間すら斬れる今の彼女に、もはや斬れないものなど存在しない。

 そんな、勇者とその仲間たちのやり取りを、魔王は――


「ふーん。色々あるんだな」


 まるで見世物でも見物するかのように、眺めていた。

 遠くから見ている分には興味深いと。だから今の会話を邪魔する事もなかったのだと。

 ――ふざけるな。

 僅かに歪められたその微笑を貫くべく、ユンは聖剣を構えた。

 ユンが最初に習った――「刺突」の、構えに。

 魔王はそれを見て、一瞬驚いたような表情を浮かべた。そして次に、信じられないという風に(わら)う。


「おいおい……犠牲がどうのとかご大層な別れ話を始めたから、どんなやばい技を使ってくるのかと思ったら……馬鹿の一つ覚えじゃないか」


 魔王は勇者を嘲笑う。しかし勇者はそれに嫌悪も憤怒も抱かない。

 そう。なぜならば、それがまさに魔王の言う通りだったから。

 これは、「ただの刺突」だ。

 真っ直ぐに踏み込み、真っ直ぐに突く。

 ただそれだけの技なのである。

 ただ、それだけの技で――

 山すら削り、海を割ることが出来る。

 飛竜(ドラゴン)すら上回る生物、魔族の掃討という名の【レベリング】と【変異者】の血は、彼女を2年という短い期間で恐るべき怪物に鍛え上げた。

 もはや現在のユンは、おとぎ話の光景を再現できるほどの存在と化しているのである。


(この一撃に、全てを、込めて――!!)


 ユンの呼び声に、聖剣は内に秘めた全ての魔力を解放する。刀身から溢れる青白い輝きが強まっていき、七色へ、そして完全な白へと姿を変える。

 聖剣の魔力と、勇者の魔力。その全てを搾り取り、それでもまだ足りないと言うように、周囲の空間からすら力を集め始めた。


「――――」


 その異様な光景に、魔王が目を細める。予想外の何かが来ると、確かにこれまでとは違う物が来ると、警戒を始めたようだった。

 だがその視線を塞ぐように――仲間たちが、立ち塞がる。


「――うおおぉぉぉおおおおおおおッ!!」 


 血の混じる怒声を吐きながら、大盾の騎士が突進する。体当たりを敢行するそれを盾にするように、傭兵も続いた。


(【飛行の魔法(フローティング)】!! 【光の全強化の魔法ライトリーンフォース・オール】!! 【光防の魔法(ライトプロテクション)】――!!)


 魔法使い長はここに来て、初めて無詠唱による魔法の発動を行う。

 魔法の無詠唱化には5倍もの魔力を要する。無駄に使用してしまうと、ここぞという時に魔力不足で使えない可能性が出てくる。だから今まで使わなかった。

 ――そう。彼女はこの展開を、最初から予想していたのだ。

 セムヤザとの戦いの最中に感じた悪寒。同じ魔法使いとして、ここに待つものが――それがどれだけ桁の違う存在かを理解してしまった時から。

 流石の魔王も心の中で唱えられた魔法に反応する事は出来ないらしい。

 強化と防御の魔法を十分に重ね掛けされた前衛が、己の人生、その最後の輝きを賭して怪物へと喰らい付く。


「チッ――! 雑魚は引っ込んでろ!!」


 魔王は迫る騎士へと拳を振るった。今度こそ壁の染みに変えてやると、その大盾ごと破壊する暴力の塊を叩き付ける。


「【全能力強化ぜんのうりょくきょうか】!! 【天使(てんし)羽衣(はごろも)】!! 【城壁(じょうへき)たて】――ッ!!」


「なにっ!?」


 その拳が、ひしゃげた盾に弾かれた。

 一度は敗北した大盾が、揺るぎなくそびえる城壁のように、その悪意を拒絶する。

 ここにいるのはただの騎士ではない。いずれおとぎ話に加わる勇者の仲間。つまりは最強の騎士の1人である。あのような卑怯な不意打ちでもない限り、その絶対の防御は貫けない。


「シャル!!」


「ああ!! 【魔鋭剣(まえいけん)】、【全能力強化ぜんのうりょくきょうか】、【疾風(しっぷう)加護(かご)】!! 【奥義・迅雷(じんらい)】ッ!!」


 魔法銅(オリハルコン)の両手剣を魔力で更に強化して繰り出す、二連撃。しかしその発生は、完全な同時。

 肉体の限界を超えた動作は、反動として鎧の内を引き裂いていく。

 最上位傭兵シャルムンクの隠し持つ切り札、上位戦技の1つである。


「【奥義】だと……!?」


 拳を弾かれ魔王がのけぞったタイミングで、騎士を追い越すようにして飛び出た傭兵がそれを叩き込む。


「――だが、無駄だ!」


 弾かれた右拳。それとは逆の左手のみで、恐るべき魔王はその2連撃を全て受け流してみせる。あまりの速度に腕がブレて見える。

 そこへ背後から、数十メートルという大きさに達する巨大な氷の砲弾が飛んで来た。王国魔法使い長の誇る、最強の魔法だ。


「ハッ――!!」


 鼻で笑う魔王はそちらを振り向きもしない。圧倒的な運動エネルギーを誇る筈のその砲弾は、魔王に触れるより早く、見えない壁に阻まれるが如く砕け散った。

 全力中の全力。大陸最強クラスの3人がそれだけやっても、この魔王にはまだ届かない。

 だが、それでいい。自分たちなど、所詮前座だ。

 真の最強が放つ一撃。それが魔王を貫く瞬間まで、ほんの数秒時間稼ぎが出来ればいい。――例えただそれだけの役目を果たすのが、あまりにも難しい敵であっても。


「うおおおおおおお!!」

「はあああああああ!!」

「ああああああああ!!」


 しかし、その3人は、最後の最後に奇跡を起こした。

 まるで自らが、勇者の仲間ではなく、勇者その物となったかのように――

 その不可能を、可能にしてみせたのだ。


「チィィィ――ッ!!」


 魔王は3人の「連携」を前に、完全にやり込められていた。

 大陸最強クラスの面々。それが3人も集まり、更に熟練の傭兵団のような最高の連携を取ってみせた事で、自称「人間として劣る」魔王を完封していた。

 ここに来て、3人は初めて本気を見せたのだ。

 能ある鷹は爪を隠す。

 ここぞという時まで能力を秘匿するのは戦いに身を置く者にとっての常識だ。

 だが――

 もっと凶悪な能力を、見せなかった者がいる。


「――【即死の魔法(バニッシュ)】」


 魔王は目の前の3人を無視し、魔力を溜め続けるユンの方へ向けて指を鳴らした。

 その瞬間、ユンの首元に装備されていた宝玉が、砕け散る。


「―――!!」


 その宝玉は、この世界における秘宝中の秘宝。ある意味では聖剣すら上回る程の価値と効果を持つマジックアイテム。

 ――【身代わりの宝玉】。

 死を肩代わりする玉石。

 装備者が致死のダメージを受けた際、1つにつき1回だけそれを無効化するという、究極の防御系魔具だった。

 それが砕けたという事は、致死のダメージを受けたという事。

 魔王の余裕も頷ける。敵は文字通り、いつでも自分を殺せたのだ。


「!?」


 魔王は健在なユンに目を見開く。想像していた何かが起きない、という顔で。

 そしてもう一度指を鳴らす。


「【即死の魔法(バニッシュ)】! ……【即死の魔法(バニッシュ)】、【即死の魔法(バニッシュ)】、【即死の魔法(バニッシュ)】――!!」


 全身からバツバツという石の砕ける音がする。

 連合各国から集められた【身代わりの宝玉】は全部で6つ。それが、こうもあっさりと――訳も分からぬまま、残り1つまで減らされるとは。

 だが、ユンは怯まない。魔王を見据えたまま、それを倒すに足るだけの力を蓄え続ける。


「即死対策――!?」


 魔王が憎々しげにそう漏らす。だが、その目が語っていた。――無限ではない筈だ、と。


「【即死の魔法(バニッシュ)】――ッ!!」


 最後の宝玉が砕け散る。あと1回で、ユンたちの敗北は決定する。

 ――しかし、魔王は本気を出すのが、遅すぎた。

 それかユンにではなく、他の3人にその魔法を使っていれば、結果は違ったかもしれない。

 魔王がユンの想定外の対策にかかりきりになり、無駄に過ごしたその数秒。

 その数秒で――ユンの準備は、整った。


「――みんな!!」


 勇者の合図で、それまでの喰らい付きが嘘のように、3人は一斉に飛び退いた。


「!?」


 移動する時間すら惜しいという風に、魔王の目の前で一列に並ぶ。

 大盾の騎士、エドヴァルド・フレンツが先頭に構え、その背中を最上位傭兵、シャルムンクが支え、そして王国魔法使い長、ルーチェ・ハーゲンが魔法による障壁を張る。

 それは、本来いるべき1人を除いた物ではあったが――4人が誇る、最強の防御陣形である。


(【氷壁の魔法(アイスウォール)】!!)


 魔法銅(オリハルコン)の大盾、魔法の障壁、そしてそれを更に覆うようにして氷の壁が出現する。3人とて、生存を完全に諦めた訳ではないのだ。――それが百に一つほどの可能性であっても、やらないよりはマシだろう。

 直後、聖剣の輝きが膨れ上がる。

 漆黒の玉座の間を、純白が塗り替えた。


「――――!」


 魔王は3人から視線を戻す。優先順位を正しく認識した証である。

 その視線の先にいるのは、今この場において最も危険な存在。

 ――「勇者」だ。


「【即死の(バニッ)――」


 魔王がその一撃を発動させるより早く――ユンの姿が、掻き消えた。


「――は?」


 別に特別なことはしていない。ユンはただ、魔王の視界から外れるようにして横に飛び退いただけだ。

 ――その動きを、魔王は目で追う事ができなかったが。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……ッ!!」


 解放を待たずして暴発しそうな魔力の渦に、たった1つ逃げ道となる方向性を与える事で、爆発的な加速と威力を生み出す。

 今の自分に出来る、何もかも。

 後の事など一切考えず、全ての魔力を注ぎきったそれを――解放する。


「【全能力強化ぜんのうりょくきょうか】!! 【全能力大強化ぜんのうりょくだいきょうか】!! 【疾風(しっぷう)加護(かご)】!! 【巨人(きょじん)(つい)】!! 【魔鋭剣(まえいけん)】――!!」


 速度と威力。可能な限りの全ての強化を叩き込んだそれで、ユンはどんな困難も一刀の下に叩き伏せて来た。

 それは簡単な理屈である。

 ――誰も避けられない速度で踏み込み、誰も防げない威力で貫く。

 故に、彼女が本気を出すその戦いは、それがどんな相手であっても必ず一撃で片が付く。

 帝国の「雷鳴」と同じく、人々がユンに与えた二つ名は―――




「 ―――【閃光剣(せんこうけん)】ッ!! 」




挿絵(By みてみん)




 ――「閃光」の勇者、ユン。

 それが歴代最強の勇者として、彼女を指す名だった。

 自らを光の矢と化し、直線上の全てを貫く。

 まるで時間が停止したかのように、魔王を含めた全ての物が動きを止める。

 しかしそれとは反対に、ユンの目に見える風景は背中側へと吹き飛んでいく。


(届けぇぇぇぇぇッ―――!!)


 音も景色も、全てを遥か後方に置き去りにしたその中で、ユンは魂からの咆哮を上げる。

 ユンはこの日、この瞬間。恐らくは、この一刀を振るう為に――運命に選ばれたのだ。

 仲間達の犠牲と――そして、自分の背負うこの罪が、どこかの誰かを救うを信じて。

 あまりの速度に反応すら出来ず、()()()の魔王へと、その必殺の一撃が迫る。

 ――そうして。

 世界が過ぎ去っていく視界の中。

 ユンは確かに、それを見た。


「―――【幸王の光の剣(クラウ・ソラス)】」


 魔王の口が、「詠唱のような物」を紡ぐのを。



 ――流れ星が、瞬いた。



 そして。

 魔王の脳天を狙った一撃。

 その刃は――確かに魔王を貫いた。







挿絵(By みてみん)




挿絵(By みてみん)



「――はい、これで詰み」



 ――だが、貫いたのは、脳天ではなく魔王の左手。

 それが聖剣と目標の間に、割り込んでいた。

 ありえない。

 自分の速度は、確かに魔王の反応できる領域を超えた物だった。

 その証拠に、魔王の視線は自分の動きに追いついてなどいなかった。

 ――手だけが、跳ね上がるようにして勝手に動いたのだ。まるで、見えない糸にでも導かれるように。


「油断したら強い奴が、警戒したら弱い奴が……。ま、世の中ってそんなもんか」


「な、なん…………痛く、ないのか……?」


 手を貫かれていながら平然としている魔王に、茫然とするユンは思わず場違いな言葉を発した。

 いや、それもあながちおかしな質問ではない。

 ――なぜ、防いだ腕が爆ぜなかったのか。

 敵のこれまでの防御力を考えれば、これだけの威力の戦技を受け、その肉体が木端微塵に吹き飛ばないのはおかしい。聖剣の通常時の刃でも通る事と、辻褄が合わない。本来ならば左腕を吹き飛ばし、その先にある頭も、そこから繋がる上半身も、全てを肉塊へと変えている筈の威力なのだ。

 だからユンの発したその言葉には、なぜ無事なのかという意味も込められている。

 だがそれを魔王は、言葉の通りに受け取り――しかし、また違う意味の嘲笑を浮かべた。


「当たり前だろ。痛かったらそんな【ゲーム】誰もやらねえよ」


 魔王は聖剣を受け止めた左手を更に深く突き刺すと、そのまま鍔を固く掴んだ。

 その恐怖の接触に、聖剣がこれまでで最も大きく怯える。

 ――まずい。逃れなくては。

 茫然としていた思考が、本能により叩き起こされる。


「くっ――!!」


 全力で引き剥しにかかるが――聖剣が魔法の行使を感じ取り、そしてピクリとも動かなくなった。


「きょ、強化魔法――!?」


 ユンはこれまで、魔王は強化魔法を既に使った状態だと思っていた。

 だが、違った。恐るべきことに、魔王は素の身体能力で、勇者の自分と互角だったのだ。


「その通り。光魔法使いの本領発揮って訳だ。そして持続回復魔法を使えば――ほら。この広がる負傷(スリップダメージ)も相殺できる」


 相変わらず出血しない肉に挟まれる刀身。その刀身が、更にガッチリと締め付けられた。手の平にあいた穴。それが、塞がろうとしているのだ。


「ユン!!」


 聞こえた声に、ユンははっと顔を上げる。


「みんな!?」


 ルーチェ、シャルムンク、エドヴァルド。

 3人は、未だ健在だったのだ。というよりも、その様子にはそもそも爆風に煽られた形跡が見当たらない。


「なるほど。エフェクト(しょうげきは)については【無敵化】してれば通常通りキャンセルされ(しょうしつす)るのか。その【無敵化無効】の詳しい効果は【ダメージ(ふしょう)貫通】だけだったという訳だ」


 同じくそちらを見た魔王が何らかの考察をする。

 ユンには何も理解が出来ない。一体、何がどうなっているのか。何もかもが意味不明な結果となったようにしか思えなかった。

 まるで()()()()()()()()()()()()かのような、そんな違和感がこの状況には満たされている。


「――うん? そう難しい顔をするなよ。全員生き残ったなら良かったじゃないか? 実に都合のいい展開さ。色んな意味でな」


 魔王の様子は先程3人に攻められていた時とは一変しており、冷静そのもの。聖剣から伝わる心理状態も、凪いだように静かだ。

 それでユンは、1つだけ、この状況が生まれた根本的なからくりについてを理解した。


「まさか――僕たちを、嵌めたのか……!」


「――ああ、そうだよ。面白いぐらい想定通りに動いてくれたな」


 全ては、演技だったのだ。

 魔王は心底楽しいという風に笑った。全ては終わっている。今更気付いても遅いと。

 だが、そこに邪悪なものは無かった。不思議なことに、その笑みと感情は悪戯が成功した子供のような、無邪気なものに感じられた。


「お前らみたいな雑魚共が、この俺に届いたとでも? ――んな訳ねえだろ。【レベル30】や【79】がどう頑張った所で、【1300】と互角になんざ戦えるかよ。それが通るなら【ガチ勢】が無双してねえだろ」


 言っている意味は相変わらず分からない。だが、これだけは分かる。

 ――奇跡は、圧倒的な力によって、叩き潰された。

 目の前にいるのは、理不尽の化身。

 まさに勇者の冒険、その最後に立ち塞がるに相応しい――現実そのものだったのだ。


「わざと、互角のふりをしてた……? ――な、なんの為に……?」


 そこだ。そこが分からない。

 敵が強大で、そして大幅に手加減をしていたのは理解した。だがそれは何の為なのだ。

 ユンの質問に対し、魔王は「そこが一番面白い」とばかりに心の中で「愉悦」を跳ねさせた。


「答えは簡単。一番良い嫌がらせになるからだ。――『奥の手』を使わせた上で、更にそれを叩き潰すってのは」


 魔王の黒い瞳に、驚愕の表情を浮かべる自分の顔が映る。

 自分が聖剣の力で敵の余裕を知っていたように、敵も自分の閃光剣(よゆう)に気付いていたのだ。


「――『奥の手を隠してます』って顔に書いてあったんでな。負けてはいないが、勝てもしない。そういうじれったい状況にしてやれば、使ってくるだろうと思ったよ。……分かるか? お前には戦闘技術はあるのに、戦略性が微塵も無い。――お前、魔族ばっかで『人間』と戦った事ねえだろ」


 そう。それが「閃光の勇者」、ユンの弱点。

 敵は魔族。そもそもが策を弄する必要の無い「上位種」たち。その戦いは力任せで、それを知恵でどうにかするならともかく、更に圧倒的な力で捻じ伏せるような戦い方をしていれば、おのずと不得手は育まれる。

 漆黒の瞳が冷たく見据える。

 ハッタリ、隠匿、虚偽に機転。ユンにはそういった駆け引きの類いが一切無いのだと。


「そりゃ畜生相手には必要ないさ。だが人間相手なら必須スキル(ぎのう)だ。たまには俺みたいに盗賊退治でもしとくんだったな。……ああ、その上、お前は【経験値(せいちょうそくど)】数倍だっけか。過程すっ飛ばして最強になれば、そりゃポンコツにもなる。まさに【チート使い】の末路だ」


 種としての存続の危機にある中、同じ人類間で争いが起きる訳もない。ユンは最初から最後まで、ずっと魔族とだけ戦って来た。盗賊退治や暴徒鎮圧にかまけている時間などありはしない。

 たとえこの先戦争が起こり、そこに投入されたとしても……歴代勇者最強などと言われるユンには、もう策を学ぶ必要も無い。――彼女自身が、既に「上位種」と化しているのだから。力任せにその剣を振るえば、それだけで全ての片が付くだろう。

 ――極端な戦闘力を持つが、極端に戦略性に欠ける。

 それが魔族と戦う事を義務付けられた勇者――今代勇者が必ず持つであろう、弱点である。


「ついでに言えば、使ってくるのが【閃光剣(せんこうけん)】だって事にも気付いてたぞ。残念だが、刺突系の戦技はクラツキの十八番(おはこ)なんでな。構えを見た瞬間からあれが来るのは分かってた。……ぶっちゃけ予想より速いし痛いしでビビったが。MP(まりょく)半分吹っ飛ばした上に、虎の子の【上位スキル】まで使わせたのだけは褒めてやる。――さてと」


「かはっ――!?」


 魔王が空いた右手で、ユンの首を掴む。

 その指を片手で掴み返すが、1ミリも引き剥せない。完全にユンの筋力を上回っている。

 魔王は完全に詰み状態のユンへと、薄ら寒い笑顔を向けた。



「――それにしても、俺の前で『閃光』を名乗るたぁ、いい度胸じゃねえか。あぁ?」



 あの黒い靄の魔法。

 今あれを使われれば、死ぬ。

 恐らく聖剣とユンの感情は今、完全に一致しているに違いない。

 魔王はその右手と左手、その両方で平等に死を突き付けていた

 絶体絶命の状況に、脳が過去に無い速度で回転を始める。

 抜け出す方法がいくつも浮かび、全て無駄――いや、無駄()()()と棄却されていく。

 ――だが、そんな中で。

 たった1つ、まだ試していない手があった。

 生存本能が導き出した、最善の手。それは――


 ――「対話」であった。


「ど、どうして――どうしてお前たち魔族は、生き物を殺すんだ――!」


 理由。相手を知るには、それが必要だった。

 敵は少なくとも外見上は人間に見える。もしかしたら言葉、もしくは交渉で解決できるかもしれない。……その可能性は途轍もなく低いだろうが、それでも他の魔族たちに比べれば高いだろうし、正直それと戦って勝てる可能性とどっちが上かと尋ねられれば、ユンは間違いなく前者を選ぶ。

 仲間たちもそれに行き着いたのか、不用意に近寄らず、成り行きを見守り始めた。

 ユンの問いに、魔王はきょとんと目を丸くし――そして、笑った。


「ああ、なんだなんだ、そういう事だったのか! お前達から見たらそう見えたって訳だ。ははは」


 魔王の中で、ついに最後の「困惑」が解消された。何もかもを悟った。これはそういう者の発する感覚だ。

 自分達から見れば、というのはどういう意味だろう。魔族の視点からすれば、あれは虐殺とは違う意味を持つ行動だという事だろうか。


「な、何がおかしい! 何が分かったって言うんだ!」


「うん? いや気にするな。分かった所でお前らが俺に喧嘩売った事実に変わりはない。――にしても、また随分と『人間らしい』疑問だな。まあ答えてやってもいいぞ」


 魔王は対話に乗って来た。この時点でやはり、他の魔族たちに比べれば幾分か組みし易い相手だと言える。

 ――だが、そんなユンの甘い考えは即座に否定される事になる。


「――それが、『正しい』事だからさ」


「……え?」


 何と言ったのか。

 咄嗟に理解できなかった、いや受け入れられなかったユンは聞き返す。


「お前達は、『動物』と『植物』の違いって奴を知ってるか?」


 しかしそこに返って来たのは、突然の話題の転換。

 それに付いていけないのはもちろんだが、その問いの意味自体も分からない。動物と植物は違うに決まっている。言ってしまえば何から何まで別の物だ。それがこの世界に生きるユンたちの常識だ。


「簡単に言えば――それは、『生き方』の違いだ。生命維持に必要なエネルギー(かつりょく)をどこに求めたか。そこだな」


 理解できぬユンは眉を顰める。

 ――前提条件として、植物は生きてなどいない。

 枯れる事はあっても、それは自分たちの「死」と同一の物ではない。

 命は動物にだけ宿る、尊いものだ。それを草木に見出すとは狂人の戯言だった。


「植物は光合成により自らエネルギーを『作り出す』事を手段とし――そして動物は、移動する事で他者の作ったエネルギーを『奪い取る』事を手段とした。……ここまで来たら分からないか?」


 白い男は語る。

 それは「(ひと)(ごと)」であり――「他人事(ひとごと)」だった。


「俺たち動物はな――殺す事こそが生きる方法、その物なんだよ。考えずに呼吸をしているんだ、考えずに殺せばいいじゃないか。エネルギーの話をしといてなんだが、この際糧にするかもどうでもいいだろう。星のスペースには限りがある。1人殺せば1人分空く。それもまた生きる道だ。植物ですら日の光を奪い合っている。殺して増えて、そして死ぬ。俺たちの在りようは、どんなに飾ってもそれ以上にはならないさ。それが自然な――そう。神の定めた、『正しい』姿なんだから。それに沿うのが気持ちいいのは当然の事だ。被造物(おれたち)はそういう風に創造(プログラム)されてるんだから」


 対話の答えは、絶望的なまでの「ズレ」だった。

 ――『違う』。なんだ、こいつは。

 人を獣か何かと同列に扱い、息をするのと殺す事は同じ意味だと、奪う事が神の法だと語ってみせた。

 この男は、人ではなかった。

 人の皮を被った、何か。

 精神性が、まともな人間のそれではない。対話など出来る訳がなかった。


「さて、質問には答えてやった。悪いが時間が無い。これで満足――」


「……だ」


「ん?」


 ユンがぽつりと零す。不穏なものを感じジリジリと近付き始めていた仲間たちに気を取られ、聞き取れなかった魔王は再び意識をそちらへ戻す。


「――僕には、家族がいるんだ。お父さんに、お母さん……そして、お姉ちゃん。僕は男に生まれてこなかった。それでも僕を僕として愛してくれた、そんなみんなが大好きで……大切で……」


 声は小さく、話も纏まっていない。

 唐突で独りよがりな自分語りは、魔王のそれにも通じるものがあるかもしれない。


「――そんなみんなと引き離されてから、空を見ては村と家の事を考えた。この同じ空の下に、みんなはいる。そう縋った。だから晴れた日の散歩が好きになったんだ。でも――」


 ――だが、その内にあるものには、決定的なまでの差がある。

 その内で静かに鍛えられた、白銀の差が。


「――あの焼けた空を見た時、僕は自分の間違いに気付いたんだ。――あの空の下には、3人だけじゃなく、もっとたくさんの人がいたって。普段は見えないし、気にしてもいないけど……でも、そこには確かに、誰かがいるんだ! そしてその誰かにも大好きで、大切な人たちがいた! ――それが『命』だ!! お前たちがそんな勝手な理屈で殺した、命なんだ!! 殺す為に生きてた訳でも、死ぬ為に生きてた訳でもない!!」


 荒野を突き進むが如く、声は次第に大きくなる。

 心をそのまま形にすれば、言葉は自然と理屈を超える。

 自らの命運を握る、魔王の右腕。

 その手首を、強く掴み返す。その意志を表すかのように、指が食い込む。

 この現実にだけは、負けないと。


「――僕は、勇者だ!! その命を守る機会を、神様から与えて貰った!! お前たちは間違ってる!! それを証明する為にも――」


 ユンは剣のような真っ直ぐさで、目の前の敵を睨む。

 その華奢な背中に――どこかの誰かの、未来を背負って。


「――僕達は、負ける訳にはいかないんだッ!!」


 絶望を斬り払うもの。その伝説の魅力は、不屈なる者の輝き。

 例えそこに、どれだけの力の差があろうとも。

 心の力で、全てを跳ね除けてみせる。

 どんな逆境も、彼女のその歩みを止める事はできない。

 なぜなら彼女が――勇者だから。

 その伝説の最後を飾るであろう宿敵。

 ――魔王。

 真の白銀、その輝きを見せつけられた男は、1つの反応を返した。


「――あっそ」


 ――世界が穢れていくのが分かった。

 なるほど、魔族に王という物がいるのならば、それはこんな感じだろう。

 この男と魔族たちは、根底にある「価値観」が同じだ。

 ――どちらもこの現実を、別世界の出来事(ひとごと)としか思っていない。

 ユンの言葉は湖面に一石を投じるが如く波紋を生むものであった筈だが、魔王の心にはさざ波すら起こらない。まるで湖面ではなく、大岩に投げた小石が弾かれたかのようだ。

 この男は、前提条件その物をひっくり返す存在。この男はこの世界を――「侵食」しているのだ。


「もう一度言うが、時間が無いんだ。――とりあえずこいつは貰うぞ」


 ユンに何の興味も示さない魔王は、流れ作業のようにその手から聖剣を奪い取ろうとした。

 ――させる訳がない。

 突き刺した左手で聖剣を絡め取ろうとする魔王に、ユンは両手で柄を握り抵抗する。首に魔王の指がめり込もうが、絶対に放すつもりはない。だが――



――【タイムストップ】。



「……えっ?」


 目の前からは魔王の姿が。そしてその両手からは、聖剣の姿が消失していた。

 フロア中央。忽然と姿を消した魔王は、いつの間にかそこにいる。そして、その手の聖剣も。

 聖剣の加護を2年ぶりに失った事で、一瞬暗闇に放り込まれたような感覚になる。


「即死対策はしてても、時間対策はしてないのか。意味あるのか、それ」


 何が起きた。

 ユンは聖剣をきつく握り締めていた。いくら相手が身体能力で上回る魔王でも、聖剣を抜き取った一瞬、その瞬間に感触を感じないなど、ありえない。

 それに、その動きを目で追えなかった事もおかしい。ユンの動体視力を以ってしても、今の移動は、消失から出現までが()()()()()に見えた。

 であれば――その現象の正体は。


「て――転移!?」


 仲間達の声も重なる。

 伝説の、転移の魔法。やはり真っ先に浮かぶのはそれだ。

 距離の概念を無にする魔法など、普段ならば夢物語だと笑う所だが……相手がこの魔王であることと、最近、「実際にそれを使うという人物」の噂を聞いたせいで、可能性はかなり高く思えた。

 ――そう。今より3か月ほど前、転移の魔法を扱う大魔法使いが王都には現れているのだ。

 あの土の賢者、ニーナ・クラリカすらもが弟子入りを求めた、そんな超常の魔法使いが。



「………………ん?」



 ――唐突に、何かが組み合わさった気がした。

 ユンの脳裏に、この部屋に入ってから起きた様々な事、様々な言葉がフラッシュバックする。

 それらのピースが急速に組み立てられ、形を作る。

 それは、1つの仮説だ。


「ユン! 大丈夫か!」


 聖剣を奪われたユンに、仲間達がすかさず駆け寄ってくる。


「ね、ねえエド、あの――」


「まさか転移の魔法まで使うとは……化け物め」


「いや、あの――」


「その上こっちは聖剣を奪われた。状況はこれまでに輪をかけて絶望的だ」


「うんシャル、そうだけどあの――」


「ユン! 大丈夫!? 何かされてない!?」


「いや、あのそれより、あの人もしかして――」


 仲間達はまだ気付いていないらしい。ルーチェなどを差し置いて、偶然にも自分が最初に気付いたというのだろうか。

 そう考えると自信が無くなってくる。ユンも確信がある訳ではない。先ほどの会話の件もある。ユンの仮説通りの人物だとすれば、噂から考えていたイメージとは印象が噛み合わない。

 ――だが、どう見ても人間の青年にしか見えず。

 魔族と争った形跡があり。

 ユンが攻撃を当てるまで、なぜか手加減をしてくれていて。

 そして転移の魔法が使える。


「えぇ……? これ……、えぇ……?」


 悩むユンだったが、その目の前で、盛大に震える聖剣を気持ち悪そうに眺めていた魔王が、不意にそれを振り上げた。


「!?」


「【鑑定の魔法(アプレイザル)】」


 思わずユンもそちらに意識が向くが、白い男が使ったのはただの鑑定魔法だった。

 だが聖剣はどういう訳か鑑定魔法を弾き返す。当然これまで通り無駄に終わると思っていたが、そうでもなかった。


「え~っと、なになに? 名前は……『契約剣』?」


「!?」


「『精霊王の』――って、【精霊魔法】じゃねえか! チートだと思ったら同じもんだったのか」


 ――聖剣の鑑定に、成功している。

 遥か古より人類と共にありながら、その一切が謎に包まれている古代人工遺物(アーティファクト)。その秘密が、紐解かれていく。


「うわ~、特殊効果付き過ぎだろ。【無敵化】、【無敵化貫通】はもちろん、【意志ある道具インテリジェンスアイテム】で単独で魔法の使用が可、更にはそれを行う為の独自の【MPゲージ(まりょくちょぞう)】まで持つとは……。こりゃNPC(おまえ)たちが聖剣だと崇めるのも分か――」


 白い男は、そこで唐突に言葉を切った。

 ――()()()()()()()()()()を思いついたという顔で。

 上に掲げた聖剣、そちらへ向けられていた視線が自分たちへと戻ってきた時。

 ユンは聖剣が無くとも――その内の、邪悪な思考が読み取れた。



「―――これ。ぶっ壊したら、面白そうだな」



 その言葉を発すると同時、何かを感じ取ったのか聖剣が一際大きく暴れる。

 肉食獣に捕まった小動物のように、目前の死から逃れるべくがむしゃらに抵抗を行っている。


「なっ――!?」


 聖剣とは――人類の希望、その物だ。

 竜がおり、魔法があり、種族があり、戦に病、飢えもあるこの世界で――人類が現在まで存続しているのは、偏にこの聖剣に守護されていたからだ。

 聖剣に見守られていなければ、人間のようなひ弱な種族は今頃滅びていただろう。

 この聖剣が存在するからこそ、人々は未来を憂う事なく、安心して次の世代に命を託す事が出来る。

 聖剣とは、絶望を――いつか来る滅びの不安、それを斬り払うものなのだ。

 それを、破壊されてしまったら。


「や、やめろ――ッ!!」


 刀身を静かに撫でる男を見て、ユンたちは走り出す。男のその動作は、無駄な足掻きを行う哀れな者の首筋に、刃を這わせる様を幻視させた。

 先ほどの【閃光剣(せんこうけん)】により、聖剣には魔力が残されていない。【精霊魔法】はもちろんの事、【変形】する事すらできないだろう。その手からの脱出は不可能だ。

 男の下まで辿り着き、4人は必死でその手から聖剣を剥ぎ取ろうと努力する。

 ユンが腕を掴み全力で引っ張るが、公園の銅像を動かそうとしている子供のようにしか見えない。

 動かすことが不可能ならば破壊するしかないと考えるのは当然の流れ。男2人は剣で、ルーチェは魔法で、ユンは素手で男への攻撃を開始する。

 乱打、乱打、乱打。

 だが白い男は顔色一つ変えない。それどころか、この悪魔のような男はこの局面に来て初めて「本気」を出すのだ。


「【不可侵なる加護の魔法(ゴッドブレス)】」


「ぐぁ――っ!?」


 白い男を中心にして球体状に展開された、薄緑色に輝く光の障壁。それが4人を弾き飛ばす。

 術者から5メートルほどの空間を守るその範囲は、単体防御と言うには広く、範囲防御と言うには狭い。誰も見た事のない、未知の防御魔法であった。


「さて、どうやって壊すのが演出的に映えるかな?」


「くそっ!! 【牙狼斬(がろうざん)】!!」


 シャルムンクがその障壁に戦技を叩き込み、そして呆気なく弾かれる。


「シャル!! 剣貸して!!」


「!! 分かった!!」


 シャルムンクは魔法銅(オリハルコン)製の剣をユンへと放り投げ、流れるように自分は予備の片手剣を抜く。

 1秒すら惜しいとばかりに空中の剣を掴んだユンが、そのまま壁を斬りつける。同じ武器なら当然使用者の攻撃力が高い方が威力は大きくなる。そしてユンの身体能力ならば、通常攻撃でもシャルムンクの戦技の威力を上回る。

 1発、2発、5発、10発、20発――。

 他の戦士の【氷雨突(ひさめづ)き】に該当しそうな速度で連撃を叩き込むが、恐るべき障壁にはヒビの1つすら入らない。

 先ほどセムヤザが上位魔法と思われる光の防御魔法を使用していたが、この魔法はそれすらも上回っているように思われた。

 まるでこの男の言うように、神がこの男の全てを肯定しているかのような理不尽さがある。


「【牙狼斬(がろうざん)】ッ!! 【牙狼斬(がろうざん)】ッ!!」


「【水刃の魔法(ウォータースラッシュ)】!! 【氷柱の魔法(アイスピラー)】!!」


「くそっ!! くそぉ――っ!!」


「聖剣――『聖剣』ねぇ。くくく、まさかこんなに早く機会が来るとは――」


 そのあまりにも場違いな白い男の様子を見ていると、まるでこの障壁を隔てて内と外とが完全な別世界であるかのような錯覚に陥る。「別次元」という言葉に代表されるように、どうしようもない実力差は、ある意味それほどの隔絶をもたらすのかもしれない。


「――よし決まった。お前達に、今から真に聖剣と呼ばれるべきもの、その輝きを見せてやろう。――威力最強化、範囲最縮小化」


 白い男が左手に聖剣を持ち、そこに振りかぶるようにして右手を構える。

 瞬間、物理的圧力すら伴うような、膨大な魔力が玉座の間に滲み出した。そのあまりの魔力密度に、男の右腕が陽炎のように揺らめいて見える。


「やめろ……、やめろぉ……!」


 その馬鹿げた魔力は山を削り、海を割り――そして、この大地すらをも両断するだろう。

 おかしい。ありえない。

 こんな魔法が、あってはならない。

 ――こんな理不尽(げんじつ)が、あってはならない。


「やめろぉぉぉぉぉぉ――ッ!!」


 男はユンたちの叫びに一際大きく口を歪め――

 ――なんの慈悲もなく、その右腕を振り下ろした。


「【星を断つ神の(スターブレー)】――」




「――待ってください、師匠!!」




 玉座の間に、突如割って入った声。

 揺るがぬ深い海のように凛として、しかしどこか幼さの残る美しいその声に、白い男がピタリと止まった。

 絶望の化身を止めた救世主のその声に、ユンたちは一斉に目を向ける。

 戦闘開始時にユンが押し開け、そのまま開けっ放しにされていた巨大な扉。その狭間に立つ、小さな人影の正体は――。


「―――賢者様……?」


 土の賢者、ニーナ・クラリカ。

 弱き者を救うのは――いつだって、その人だ。


「チッ……間に合わなかったか」





未来の自分が上手く修正するのに期待。

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