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52 勇者-6

2017.7.28 ユン編ラストです。




 ―――王宮中庭。

 そこで戦っているグスタフ将軍たちは今、窮地に立たされていた。


「くっ―――!!」


 そこには新たに2体の魔族が加わっており、彼らを囲む魔族の数は7体にもなっていた。

 人数的にはほぼ互角だが、グスタフ将軍と騎士たちには魔族と1対1で渡り合うほどの力は無い。

 もし1人でも負傷者が出れば、その時点で敗北は決するだろう。

 そしてそれはつまり、時間の問題という事だ。


「クソッ、こりゃもう終わりか―――?」


 ジンが迫る結果に悪態を吐く。

 賭けは失敗した。自分たちは、今日ここで死ぬ。


 ―――いや。恐らくは、逃げていても同じだっただろう。


 魔族は、強い。強過ぎる。

 人類は、こいつらには勝てない。

 世界は、終わりだ。


 ……それでも剣を振っているのは、何故だろう。


 ジンは笑う。

 決まっている。それは、生きる為。

 ただ生きる為。その為に、人は――自分は、武器を取るのだ。


 ジンがただ自分の為、双刀を握る手に力を込めると―――


 そこに、声がした。



「みんな―――ッ!!」



 その声に、全員が振り返る。

 既に人などいない筈の、王宮奥側から駆けてくる、その人物は―――


「ゆ、ユン殿―――!?」


 そう、ユンだ。

 そこにいてはいけない筈の少女は、肩ほどまでの赤い髪と長いワンピースをなびかせ、吹き抜ける疾風のようにこちらへと向かってくる。

 その手には、聖剣。

 彼女がこの時間帯、持っていない筈の物。

 まさかこの中を1人で取りに戻ったのかと、グスタフ将軍は目を剥いた。


「獲物ガ増エタカ!」


 ユンの声に魔族たちも振り返る。笑ったのか、口角の皮膚を吊り上げた1体が、走り寄る彼女へと腕を振り上げた。


「拙い――!!」


 シャルムンクが叫ぶ。ユンは参戦しようとしているようだが、その動きは直線的過ぎる。初めて見たその速度には驚いたが、動きが素人のそれなのだ。その軌道で突っ込むのは、シャルムンクからすればみすみす死ににいくような物だ。

 先程とは違う、しかし同じく絶望的な未来を予想したシャルムンクだが―――今の彼女は、既に先日会った時の彼女ではない。

 今のユンは―――勇者だ。


「お願い―――!!」


“――――――”


 ユンの戦意に応え、聖剣がその『真の力』を解放する。

 ―――精霊魔法。その中でも『強化の魔法』が自動で発動され、ただでさえ桁外れのユンの身体能力が、更に()()にまで跳ね上がる。


 神速。


 直線的な踏み込みは音すら置き去りにし、その場の全員の動体視力の限界を超えた。

 そこへ魔法鉄(アダマンタイト)すら両断する聖剣自体の攻撃力もプラスされ、結果―――


「―――一撃、だと……」


 初の実戦。その相手となった魔族を、ユンは一撃の下に斬り捨ててみせた。

 まるでバターにでも刃を通したかのような手応えの無さ。一番驚いたのはユン本人だった。


「―――ハ?」


 仲間を瞬殺された魔族たちは、何が起きたのかをまだ脳内で処理しきれていない。

 そこにユンの二刀目が走った。またしても一撃だ。

 彼女は圧倒的ながら、その内心は必死だった。なにしろ初の実戦だ。手を抜く事は絶対に無い。


「……………………」


 その蹂躙を、一同は茫然と見つめていた。

 ……ただ1人、その意味は違ったが。



「―――な、なんで、だ……」



 ジンは呟く。その光景から受けたあまりのショックに、目を見開きながら。


「なんで、戦える……。戦う事を、選べる……」


 掠れたようなその声は、グスタフ将軍たちの耳にまで届かない。

 ジンは数歩後ずさりながら、立ち向かう少女を見た。

 ―――その、揺らぐことない強き瞳を。


「―――ハッ。勇者様、か」


 ジンは嘲笑を浮かべた。

 それは外、『世界』にではなく―――自らに向け。


()()()とは違うっていう事か―――」


 自分たちに無理だったから、この少女にも無理だろうと。

 いつの間にか、そうやって何かを諦め、見下していた事に気付いたから。

 この少女は、自分とも、あの日の誰かとも違う。

 勇者とは正反対に位置する、悪の男は―――彼女が聖剣を取ったその凄さに、誰よりも最初に気付いた。







 中庭の状況に倍する勢いで、庭園での戦いは激化の一途を辿っていた。

 拮抗していた戦力は集まり続ける魔族の前に崩れ、王宮側の面々はその包囲網を徐々に狭められている。


「―――【嵐刃の魔法(デッドストーム)】!!」


 ルーチェが空から範囲魔法を叩き込む。

 そこに、同じく飛行型の魔族が攻撃を飛ばす。


「うっ―――!」


 ルーチェは戦力として極めて強大だが、あくまで魔法使いだ。身体能力の高い魔族たちに一度狙われれば、その攻撃を避け続ける事は難しい。

 他の宮廷魔法使いたちからの支援で危機を脱すると、ルーチェは1人の近衛騎士に目を付けた。


「―――騎士フレンツ!!」


「!」


 先日顔を合わせた騎士、エドヴァルド・フレンツ。

 あの場にいた者は勇者を除き、皆一級の猛者だった。騎士長と戦士長が本格的に王族の守りに入った今、ある程度自由に動ける者で一番強いのは彼だろう。


「私の補助を頼みます!」


「!! ―――陛下!」


「構わん、許す!」


「はッ!」


 エドヴァルドは国王の許可を受けると、素早くルーチェの元に駆け寄った。ルーチェは飛行の魔法を解除し、地上に降りる。これでエドヴァルドはいつでも彼女の盾となれるだろう。


「【光輪の魔法(エンジェルリング)】―――ッ!!」


 ルーチェが魔法の詠唱と連射に専念し、エドヴァルドは彼女だけを守る。ある意味それは、王国最強の盾と矛の組み合わせと言えた。

 ルーチェが高威力の魔法を吐き出し続ける固定砲台となった事で、魔族の殲滅速度が格段に増す。

 ―――しかし、それは全体から見れば誤差でしかない。

 ジリジリと、王宮側は追い詰められ続けていた。



「ルーチェ様!」

「陛下!」



 そこに、ユンたちが合流した。

 中庭から渡り廊下を突っ切り出て来た面々―――いや、中心のグスタフ将軍に向かって、国王が珍しく怒号を飛ばす。


「グスタフ! 何をやっていた! いつまでも勇者が来ず、肝を冷やしていたのだぞ!」


「申し訳ありません、ですが―――」


 グスタフ将軍が視線を移す。その先にいるのはユンだ。

 ユンは近衛に守られる王族側と合流せず、そのままの速度でルーチェとエドヴァルドの支援に向かう。エドヴァルドが斬り結んでいた魔族を、背後から一刀で両断した。


「なっ――」


 助けられたエドヴァルドと、更にその後ろにいたルーチェが目を見開く。

 ユンは2人に視線を移し無事である事を確認すると、すぐに次の魔族へと向かっていった。


「はぁぁぁぁ!!」


 斬り、走り、斬る。

 それを繰り返す毎に、ユンの速度は増していく。同じく一刀ではあるが、手に感じる抵抗は更に軽くなっていく。


 それは、驚異的な速度での、成長。


 ―――『才能ある者(へんいしゃ)』。

 命を奪えば奪うほど、彼女はその力を増していくのだ。遥か彼方に、誰もを置き去りにしながら。


「なんという……これが、聖剣の勇者か……」


 その舞踏を前に、誰もが言葉を失った。

 まさに一騎当千。

 その存在の持つ力は、誰も追いつけぬ高みにある。

 ユンは今、伝説の勇者、その人だった。


「ア、アノ人間ダ! アノ人間ヲ狙エ!!」


 魔族たちもユンを尋常でないと判断したようだ。戦力が一気にユンに集中する。


「!!」


 誰よりも真っ先に、騎士のエドヴァルドが飛び出す。

 全ての魔族がユンへと向かった今なら、ルーチェから離れても彼女に支障は無いだろう。

 そこに、経験に優れるジンとシャルムンクも並んだ。

 ユンは強いが、まだ範囲攻撃などの『技』を習っていない上に、基礎すら出来てない身だ。そのせいで、どうやら同時に1体ずつしか相手に出来ないらしい。どれだけ実力差があろうとも、同時に襲いかかられたらどうなるかは分からない。

 彼女の背後を守るように、3人は立ちはだかった。


「騎士様!!」


「後ろは私たちが止める! 君は前だけに集中したまえ!」


「えっ、は、はい!」


「シャルムンクっつったか、兄ちゃんは空の敵を頼む。俺は地上を、騎士のあんたは飛び道具に対応してくれ」


「貴様に言われなくともそのつもりだ」


「空ね……今は剣しかないんだが、まあ慣れてる分マシか」


 まるで当然のように、即席のパーティーは一瞬で役割を決めてみせる。

 飛びかかる魔族の群れに、4人はそれぞれの武器を構えた。

 そしてそこへ。


「―――【氷山の魔法(アイスバーグ)】」


 上から放たれた極大の魔法が、魔族の群れを薙ぎ払った。


「1か所に集まれば、数も関係ありませんね」


「る、ルーチェ様、凄い……!」


 ユンは初めて見た魔法と空から降り立つルーチェに、「本当に飛んでる……!」と尊敬と感動の目を向ける。


「魔法には私が対応します。……さあ、一気に押し返しますよ!」


「は、はい!」


 ―――ここに、最強の5人は揃った。

 各分野、それぞれの頂点に立つ4人と、勇者。5人は即席とは思えぬ完璧なチームワークで魔族を殲滅し始める。

 ルーチェが範囲攻撃で魔族を弱らせ、ユンがそれを刈っていく。その2人への攻撃は男たちが防ぎ、時には行動をサポートする。


「……ふふ。やはり、最高の組み合わせじゃないか」


 その様子にグスタフ将軍は笑みを零す。

 ―――この5人なら、あるいはと。


 ユンたちに敵わないと悟った魔族たちは王宮側へとターゲットを戻すが、そこにはまだ騎士長と戦士長率いる全戦力が残っているし、当然背後はがら空きになる。ユンたちからすれば、それは殲滅スピードが上がるだけだ。

 必然的に魔族は二分される事になり、数の有利を失った。本来ならば個体ごとの強さでゴリ押せるが、今はそれより強いユンが君臨している。

 勇者という名の、強者の出現。それだけで、戦況は一変してしまった。

 魔族たちは可哀想になるぐらいの速度で殲滅されていく。元より兵力としてはたった一千という数だ。王宮から魔族の影が消えるのに、そう時間はかからなかった。


 そう。これは必然だったのだ。


 強者の出現。

 ―――それにより、戦況が変わってしまう事は。




「―――ふむ」




 戦場に、声がした。

 それは、たった1人が発した声。しかし、なぜか戦場、その全てにいる者の耳へと焼きついた。―――まるで、トラウマでも植えつけられるかのように。

 不思議と静かになる庭園。その夜闇の中から、まるで滲み出るようにして、()()は現れた。


「―――なるほど。何事かと駆けつけてみれば……そういう事か」


不死者(アンデッド)―――【彷徨う髑髏(スケルトン)】か!」


 戦士長が、その存在の正体を瞬時に看破する。

 擦り切れたような、鼠色のフード付きマントを羽織った、人型のそれ。

 そのフードの奥から覗くは―――血に濡れたような、真紅の髑髏(どくろ)

 闇の眷属。

 神に見放され、死にきれなかった哀れな……そして忌むべき不死者に相違ない。


 不死者は戦士長の事など眼中に無いかのように、その空洞の瞳をユンへと向ける。

 ―――恐ろしいまでの威圧感だ。これまでに見た魔族たちとは、どこか次元の違うものを感じる。

 真っ直ぐ相対したユンを始めに、王宮側の面々は金縛りに遭ったかのように動けなくなる。


「―――強者。ふふ、強者か。これはバラキエルの『予言』が当たったか?」


 それは酷く一方的で、独善的な呟きだった。その意味を理解できる者などここにはいないし、きっとその不死者は、理解して貰おうとも思っていないだろう。

 ―――しかし。

 不死者は直後、その独りよがりな口調を正し、敬意に溢れた態度でユンへと頭を下げたのだ。



「―――問おう。貴方は……【プレイヤー】か?」



「…………!?」


 聴き慣れない単語。

 意味の分からぬ質問に、ユンはもちろん、一同は眉を顰めるばかりだ。


「……ふん、その様子では違うようだ。【現地人(オリジナル)】か」


 興味を失ったかのように、不死者は礼を解いた。そして。


「―――ならば、純粋な邪魔者という事になる。死ね」


“――!!”


「!?」


 聖剣が、『何か』が来ると教えてくる。

 それとほぼ同時、ルーチェが絶叫のように叫んだ。


「魔法使いよッ!!」


 どうやら感覚の正体は魔法に対する物だったらしい。聖剣は発動する敵の魔法、その効果範囲を教えてくれていたのだ。

 聖剣のおかげで、この場所が危険だという事は漠然と分かった。ユンはその他の面々と同じく、その場から咄嗟に飛び退く。

 しかし、魔法をまともに見た事の無いユンは、それを避け切る事ができなかった。


「―――【風刃の魔法(エアスラッシュ)】」


「あぅ―――っ!?」


 聖剣から送られてきた知覚からするに、それは風の刃だった。横薙ぎに振るわれたそれが、ユンの右足を掠める。その時感じた赤熱感に、ユンは思わず着地に失敗した。

 それも仕方が無いだろう。―――ユンはこの時、生まれて初めて、外部からの『痛み』を受けたのだから。

 恐ろしい事に、今の魔法は聖剣による強化すら上回る一撃だっだのだ。ユン以外が受ければ即死だろう。


「あ……くぅ……っ!」


「ほう、剣士の癖に耐えるか。想像以上にレベルが高いようだ。―――【発火の魔法(フレイムバースト)】」


 そこへ一切の容赦なく飛んできた追撃。直撃すると悟ったユンは、思わず目を閉じる。


“――――”


「なにッ――」


 しかし、身を焼き払う熱は襲って来ない。

 不死者の困惑した声に、きつく閉じていた目を開けると―――ユンの体は、眩い『光の壁』に守られていた。


「えっ―――?」


「―――【治癒の魔法(ヒール)】!」


 ルーチェがすぐさまユンへと回復魔法を掛ける。その直前、狙ったかのように光の壁は消失している。

 動くようになった足に驚きつつ、ユンは再び飛び退いた。今度は、大きく。直後、ユンが転んでいた地面に闇の刃が突き立った。

 外側から見れば、その周辺には黒く焼け焦げた跡が残っている。先程の炎の魔法は、確かに着弾していた。ユンが倒れていた部分だけが、まるでくり抜いたかのように難を逃れていたのだ。


「―――防御魔法、か? その剣も【オリジナル】という訳か」


 不死者はユンに対する警戒を深めたようだった。

 『防御の魔法』―――これも聖剣の真の力、その1つなのだろうか。


不死者(アンデッド)が自ら火の魔法を……!? ―――【光矢の魔法(ライトアロー)】ッ!!」


 ルーチェが不死者へと魔法を放つ。不死者(アンデッド)の広く知られる弱点属性は、火と光。しかしこの不死者は今、自ら弱点の1つである火魔法を使った。もしかしたら何らかの方法で火属性に対する耐性を有しているのかもしれない。

 故に、放ったのはもう1つ。より有効かつ不死者全てに共通する弱点である、光魔法だ。不死者(アンデッド)を活動させる闇のエネルギーとは逆の属性。流石にこれに対する対策など存在しまい。

 ―――が、不死者はそれを一瞥する事も無く、完全に無視するという暴挙に出た。

 回避行動すら取らない不死者へと、魔法は当然直撃する。


 ―――そして、弾かれた。


「!?」


 目を見開くルーチェの前で、不死者は平然と歩みを進める。


「そんな、き、効いてないの―――!?」


 何らかの装備を用いて防いだ様子も、魔法を使った反応も無かった。

 単純に、魔法への耐久力―――魔法防御力が、桁違いに高い。ルーチェの魔力では、この不死者の魔力を貫く事が出来なかったのだ。

 それはつまり、その不死者が王国魔法使い長であるルーチェを遥かに上回る魔法使いだという事。

 そして、魔法を無効化するほどの実力差というのは、倍や3倍どころの開きではない。それも、弱点属性なのに、だ。

 この瞬間、ユンを除いた一同は、その不死者の力量を正しく認識する。


 災厄の化身、成竜(エルダードラゴン)。―――あれすらも上回る、化け物中の化け物だと。


「―――諦めろ。同じ魔法使いでは私に勝てん」


 絶望。その場にいた誰しもの心を、その感情が支配した。




 ……たった1人を除いて。




「―――なら。僕が相手だ」


 ユンが、聖剣を構える。

 それは事実を理解していないが故の、愚かさだろうか。

 ――否。

 この少女ならば、きっと理解していても、同じように行動しただろう。

 彼女はそんな、抗えない現実―――それを覆す為に、その剣を取ったのだから。


「せやぁ―――!」


「!!」


 ユンの踏み込み。その神速の動きは、容易く不死者の懐に到達する。

 髑髏であるその表情は動かないが、不死者には驚いたような気配がある。

 続けて繰り出された刺突を、不死者はかろうじて躱した。


「くっ―――ふんッ!」


 反撃に放った骨の拳を、ユンは聖剣で受ける。

 魔法使いだというのに、その腕力は並みの竜種(ドラゴン)すら越えている。


 しかしダメージを受けたのは―――不死者の方だった。


 殴りつけた拳。刀身に触れたそれが、削り取られたのだ。


「ぐっ!? なに―――」


「はぁ―――ッ!!」


 その危険過ぎる斬り払いを、不死者は飛行の魔法を用いた飛び退きで躱した。

 追撃として【竜剣閃(りゅうけんせん)】などの遠距離攻撃が飛んで来ないかを用心深く警戒しつつ、魔法を放つ。

 一撃目は、薙ぎ払い。ユンは不死者を見たまま躱す。

 二撃目は、背後から。ユンはこれも見ずに躱した。


「なるほど、厄介な剣だ――ッ!」


 不死者はこれまでのやり取りから、聖剣の持つ凶悪な能力の数々を把握したようだった。

 外部からの干渉を完全に無効化する、『防御の魔法』。

 桁外れの身体能力と異常な切れ味を生む、『強化の魔法』。

 そして魔法の発動範囲を教える、『探知の魔法』。

 これに加えて、まだ判明していない能力もあるかもしれない。およそ戦いに有用な全ての能力が備わっていると見ていい。


「―――だが、同じく攻略法も見えた」


 歪んだ声を発する不死者にユンは斬りかかる。不死者は攻撃魔法を巧みに用い、ギリギリながらもそれを退け続けている。

 魔法使いとは思えぬ動きだ。魔族とはいえ、ここまで桁外れの個体はまずいまい。

 あまりの高速戦闘故に、王宮側の面々、そして残った魔族たちは迂闊に手出しが出来ない。この場において、その両者は共に『異常』であった。

 ―――だが。

 状況はあまりにも、ユンに対して不利だった。


「―――貴様、弱いな」


「ぁぐっ――!?」


 ユンの刺突。その動きに合わせるようにして、不死者のカウンターが入った。

 聖剣を突き出す動き。その動作に完璧に合わされた回避と、無詠唱魔法。魔法が無詠唱化出来る事を知らなかったユンは、聖剣で察知はしたものの、それを躱す事が出来ない。

 一瞬動きの止まったユンへと、すかさず威力特化の追撃が飛ぶ。


「【闇矢の魔法(ダークアロー)】」

「【治癒の魔法(ヒール)】――!!」


 被せるようにして、ルーチェの回復魔法が同時に飛んだ。直撃コースだった不死者の魔法は、聖剣が例の防御魔法で防ぐ。


「―――なるほど」


 不死者は冷静にユンを観察する。同じように攻撃に対して反撃を行い、そこへと機械的に追撃を入れる流れが出来た。

 拮抗していた筈の戦況は、剣と魔法、それが一撃交わる毎に不死者へと傾いていく。

 唯一魔法で遠距離から干渉できるルーチェは、効果の見込めない攻撃より、ユンへの支援に尽力した。しかし、その支援も効果を発揮しているようには思えない。事実、回復魔法を掛けている筈なのに、ユンの傷は増えて行く一方だ。


「ど、どうして―――まさか……!?」


「ふん、やはりな」


 不死者は嗤い、遅れてルーチェも気付く。

 ―――聖剣の、防御魔法。

 あれは恐らく、使用者に『絶対』の防御を施す魔法。


 すなわち攻撃だけでなく―――味方からの支援すら、遮断する代物なのだと。


「終わりが見えたな」


「やめやがれ―――!!」


 危険を承知で、男たちも横槍を入れ始める。ジンの投げナイフが飛び、戦士長とシャルムンクからは【竜剣閃(りゅうけんせん)】が飛ぶ。

 それを。


「邪魔だ。―――【火球の魔法(ファイアボール)】」


「ぐあっ―――!?」


 不死者の範囲魔法が、薙ぎ払った。

 灼熱の業火が一同の行動を阻む。まるで、虫けらを一蹴するように。

 庭園が熱波に包まれ、空気が揺らめく。その揺らめきが、両断されるように斬り裂かれた。


「かはっ……!!」


 陽炎(かげろう)の向こうから身を薙ぎ払った風の刃に、ユンは倒れ伏す。

 止めを刺そうというのか、そこへ不死者が歩み寄った。何の感慨も無いように黙して語らないその様子は、どこか機械的な物を感じさせる。まるで慣れた作業だと言わんばかりに。


「くっ……!」


「…………」


 ―――不死者から見て、ユンの戦い方は非常に稚拙だった。

 動きが直線的な上、あまりにも突きを多用している。

 次の行動を見切り易い上、本来頼みの綱である筈の刺突にも、目が慣れてしまう。一撃離脱ならば反撃する事は容易い。

 あとはルーチェからの支援魔法に合わせ追撃し、聖剣の防御魔法を逆手に取って回復をさせなければいい。自力の回復手段としてポーションでもあれば変わったかもしれないが、奇襲を受けた今の状況下では無い物ねだりだ。

 実戦経験。

 ()()()存在しているこの不死者と相対するには、彼女にはそれが不足していた。戦闘能力が互角でも、圧倒的に『経験値』が違う。

 やはりこの邂逅は、早過ぎたのだ。


「【プレイヤースキル】の……ふっ。私と貴様ではそう呼んでいいのか微妙だが―――その差が出たな」


 不死者は無慈悲に手の平を向ける。



「貴様について来れる者が、1人でもいれば変わっただろうが―――さらばだ。後ろの雑魚たち諸共死ね。―――【火球の魔法(ファイアボール)】」



「!!―――っ」



 ―――業火がユンを包む。

 あまりにも広大なその攻撃範囲は、ユンだけでなく、その遥か後ろに控えていた他の面々すら飲み込んでしまう。

 勇者の健闘空しく、庭園が火葬場と化す。




 ―――その直前。




 目を瞑っていたユンは―――聖剣の力で、それを『視』た。


「―――え?」


 精霊魔法による探知。それにより現状を把握したユンは、信じられないという風に目を開いた。

 自分たちを飲み込む筈だった炎。しかし、その姿はどこにも無く。

 代わりに―――







「―――すいません、遅くなりました」







挿絵(By みてみん)





 それは、小さな後ろ姿だった。

 女のユンと比べても、肩ほどしかない小柄な体格。

 魔法使いらしい漆黒のとんがり帽子からは、深海のように深い青の三つ編みが零れる。

 熱気に煽られる外套の下には、身の丈ほどもある長大な杖が覗いていた。


「け、賢者殿―――!!」


「えっ……」


 賢者。恐らくは、グスタフ将軍が言っていた、あの。


 ―――ニーナ・クラリカ。


 実物は噂以上だった。

 ―――まだ、子供ではないか。


「…………、」


 自分より1つだけ下だという話だったが、実際に見た彼女は最低でも3つは下に見えた。

 しかし、その口調は見た目とは裏腹に、酷く落ち着いている。そこから感じられるのは、大人びた雰囲気だ。

 噂に聞く、千年に1人の天才。その本人から受ける印象は、幼さと成熟という、相反するその両方だった。


 炎を防いだ氷の壁が、熱によって急速に溶かされる。言うまでもなく、その壁は彼女、ニーナが魔法で作った盾だ。


「―――ほう」


 突如現れた参入者に、警戒を見せる不死者。

 油断なく距離を開くと、右手を上げた。


「―――行け」


 振り下ろされる手。それと同時、王宮周辺に存在していた魔族という魔族が、庭園へと殺到する。飛行型の個体は先程までのユンたちの奮闘により全て駆逐されてしまったのか、城壁をよじ登る物が大半だ。

 しかしながら、それは途轍もない数だった。恐らく三百には届こう。

 不死者は圧倒的な力を持ちながら、強かだった。参入者の実力を図るため、部下たちを捨て駒にしたのだ。ただし、捨て駒と言うにはその武力は桁がおかしいが。

 暴力の波を前にしたニーナは、しかしながら酷く冷静に杖を構えてみせた。そしてこの場の、この国の最高権力者である国王へと呟く。


「―――すいません、後で復旧を手伝います」


「なに!? まさか―――!?」


 国王の制止の声より早く―――その魔法は発動する。





「―――【地神の魔法(ガイアラース)】」





 直後、大地が崩壊した。

 地面に真っ直ぐ入った亀裂は、瞬時にその(あぎと)を開く。

 突如として出現した『谷』。それが―――()()()()()()()()()()した。


「ひっ――!?」


 まるで大地でテーブルクロス引きでもしたかのように、足元の地面がスライドする。

 経験した事のない揺れ、それも大揺れに、ユンは思わず腰を抜かす。同じように、その二次被害により耐震強度の低い王都の街並みが崩れて行く。

 石を積んだだけの家屋は地震に弱い。彼女がこの世界において、あまりにも凶悪な力を持つ存在として知られる理由の1つだ。その賢者はたった1つの魔法を以って、都市1つを陥落させてしまう。


 ペタンとしゃがみ込んだユンの目の前では、二ーナへと一直線に向かっていた魔族たちが、漆黒の裂け目へと次々落下していく。

 その谷の深さは分からないが、どれだけ待っても、魔族たちが底へと叩き付けられた音がしない。

 一体、どれほど深いというのか。自分が落ちても間違いなく即死だろう。

 その魔法は、まさにおとぎ話に聞く地を裂く魔法、そのものだった。


「馬鹿な!? 【中位魔法】だと!? 【レベル100】を超えているのか―――!?」


 行使された大魔法を前に、不死者がこの戦いで初めて焦った雰囲気を見せる。

 そこへニーナは一切の容赦なく、不死者の弱点属性、その片割れである火の魔法を叩き込む。当然のように、回避不可能な範囲攻撃を以って。

 それは皮肉にも、出会い頭に防いだ魔法、それをそっくりそのまま返す形となった。


「―――【火球の魔法(ファイアボール)】」


「ぐっ……!?」


 全身を飲み込んだ炎に、不死者がたじろぐ。


「効いてる……!?」


 それに一番衝撃を受けたのは、ルーチェだ。同じく弱点属性の攻撃をしたにも関わらず、自分の攻撃は効かず、ニーナの攻撃は効いた。つまり、自分と噂の賢者の間には、歴然とした実力差があるという事だ。

 今度こそはと沸き立つ面々だったが、炎が治まりを見せると同時、その声も小さくなる。


「―――いや。互角か、私の方が少し上と言った所か……。恐らくは、これも【オリジナル】。魔法の習得条件が、『我々』とは違うのか?」


 不死者は平然と言葉を零す。そこには無傷とは言わないまでも、大きなダメージを受けている様子は無い。


「ふむ、強いですね」


 ニーナは不死者の実力を素直に認める。しかし、そこには焦った様子は微塵も無い。

 魔法で劣ってもなお負ける気がしないのか、それとも命に執着が無いのか。それは初対面のユンには分からない。だが、毅然と佇むその後ろ姿から、それは自信であるように思えた。

 ―――きっと彼女(けんじゃ)は、困難が覆せる物だと()っている。

 不死者が戦闘態勢に入る前に、ニーナはユンたちを振り向いた。


「戦士長と騎士長は皆を率いて残った敵を。貴方は―――聖剣の勇者ですね。貴女は私と、アレの相手を」


「了解した!」


「う、あ、は、はい!」


 短く、的確な指示。戦士長たちは慣れた様子でそれに従い、ユンもその統率力に自然と頷いていた。国王は口を挟みすらしない。そこからはニーナの積み上げてきた実績が窺える。

 不死者へと視線を戻し、杖を構えたニーナの隣に、ユンは並ぶ。

 ニーナはそれを空気で感じ取ると、最後の1人へと指示を出した。


「―――魔法使い長、支援と回復は任せます」


「えっ、あ、はい!」


 ルーチェも思わず敬語で返す。慌てて光の強化の魔法を2人に掛けた。

 ―――ニーナの登場により、場の空気は変わった。

 不死者もそれを理解したのか、真剣な雰囲気を纏う。


「―――挑むか、人間。この私に」


「ええ。他に道はありませんので」


 開戦は、両者の魔法から始まった。


「―――【岩矢の魔法(ロックアロー)】!」

「【闇矢の魔法(ダークアロー)】―――!」


 放たれた大質量の岩と、闇の力がぶつかり合う。

 どちらも『アロー系』の中では高威力に位置する魔法だが、威力だけを見れば闇魔法は全属性でも破格の性能を誇る。勝ったのは、不死者の魔法だった。

 岩塊を突き破り飛んで来た矢を、聖剣で察知したユンが先に、それに続くようにニーナも躱す。走るユンに、空を飛ぶニーナが追い付き、作戦を伝える。


「前に出て、敵の注意を引き付けて下さい。近くの貴女と離れた私。距離を利用し、交互に攻めます」


「は、はい!」


 それがどういった結果に繋がるかは、分かっていない。分かっていないが、言われた通り、ユンは飛び出した。先程までと同じように、不死者に肉薄しようと迫る。


「チッ―――」


 不死者はユンよりもニーナへの警戒が強いようだが、実際に危険度が高いのは魔法使いの天敵である剣士、すなわちユンの方だ。ユンの攻撃で大ダメージを負う可能性がある以上、近寄られれば無視する事は出来ない。

 不死者はニーナへ放とうとしていた2射目の魔法を、ユンへと向け直した。


「【炎矢の魔法(ファイアアロー)】」


 そこへ、別方向から絶妙なタイミングでニーナの魔法が飛んで来た。それも、弱点属性である火魔法だ。1秒遅れて、ユンの聖剣も襲い掛かる。


「ぐっ―――【闇槍の魔法(ダークランス)】ッ!!」


 ズレて襲い掛かる2つの攻撃。不死者はニーナの魔法を無詠唱の風魔法で防ぎ、発動しようとしていた遠距離魔法を近接魔法に変える事で対応する。

 手の中に出現した闇の長槍。広範囲を薙ぎ払うそれで、不死者はユンを牽制する。

 聖剣の力でその槍の長さを正確に読み切ったユンは、余裕を持って大きくそれを躱した。

 そのユンの戦いぶりに、ニーナは人知れず目を細める。


「―――素晴らしい。これなら―――」


 自分1人ではこの不死者には勝てない。しかし、この勇者と2人掛かりでなら結果を変える事は可能だ。彼女はこの戦いに参加する最低限の能力は持っている。


「はぁぁぁ―――!!」


「【闇玉の魔法(シャドウボール)】―――!」


「【発火の魔法(フレイムバースト)】!」


 互いに戦法を理解し始め、戦いは激しさを増す。

 中でも目を見張るのは、やはり賢者、ニーナ・クラリカ。

 彼女は敵の弱点である火魔法のみに固執せず、ユンとの立ち位置、敵の行動に合わせて最適の魔法を選択していく。

 ―――土の魔法。

 ―――火の魔法。

 ―――水の魔法。

 ―――氷の魔法。

 ―――風の魔法。

 ―――雷の魔法。

 ―――無の魔法。


「嘘……まさか、私以上の適性の数を……」


 天才と持て囃される自分の扱える属性が6つ。しかしニーナは最低でも7つの属性を操っている。

 ルーチェはたまに攻撃を受けるユンに回復魔法をかけながら、彼女と共に戦うその小さな後ろ姿に、同じ魔法使い、そして同じ天才として戦慄を覚える。

 人間には出来る事と出来ない事がある。それは王国魔法使い長である、自分にも。しかし彼女には、攻撃力、魔力量、そして種類。およそ魔法使いとして必要な、全ての力が揃っていた。


 ―――しかし、それを言えば。




 今目の前にいる不死者は―――それすら上回っている。




「―――【火球の魔法(ファイアボール)】」


「くっ―――!?」


「!?」


 不死者が自らの足元にその魔法を使う。ニーナの同じ魔法を上回る範囲で、炎が地面を舐め尽くす。


「なっ、こいつ、自分に魔法を―――!?」


 自爆攻撃。ここに来て、それは初めて見せるパターンだった。

 服の裾を焦がしながら慌てて飛び退くユンと、それを癒すルーチェ。


「火の魔法を自分に―――? 炎への耐性……いえ。まさか、自身の魔法では―――」


 誰よりも遅れてやってきた筈のニーナが、誰よりも早くその仮定に行きついた。そしてここで初めて、冷や汗を流す。


「気付いたか。『我々』が相手では、『お前たち』に勝ち目など皆無だという事に」


 不死者は嗤う。決して覆る事のない、()()()()()たちを。


「―――【闇霧の魔法(ダークネスミスト)】!」


 不死者が範囲魔法を連射する。そしてその全てが、自らを範囲内に納めた自爆攻撃。しかし、不死者にはダメージを負っている様子が微塵も無い。


「―――【落雷の魔法(ライトニング)】」

「―――【氷山の魔法(アイスバーグ)】」

「―――【地角の魔法(グランドホーン)】」

「―――【嵐刃の魔法(デッドストーム)】」


 その上、その1つ1つが全て別の属性魔法だ。

 ニーナは7属性の魔法を使い分けているが、この不死者は先程から、光魔法以外の全ての属性を使いこなしているのだった。

 全てを無に帰す、魔力の嵐が吹き荒れる。たった一撃でもまともに受ければこちらは全滅してしまうだろう。

 ニーナはそれらを相殺する為、正反対の属性に位置する魔法を的確に展開し始めるが……それでは防戦一方になってしまう。そしてユンも、この魔法の嵐の中に突っ込む事は当然出来ない。


「―――っ」


 ジリ貧と化した戦いの中、ニーナは不死者の猛攻を凌ぎながら考える。

 そして、すぐにとある答えを出した。


「―――なるほど。そんな戦い方が出来るのなら―――」


 その顔に、賢者の笑みが浮かぶ。


「聖剣の勇者! こちらへ! 魔法使い長は【探知の魔法(ライトエコー)】を私に!!」


「えっ!? は、はい!」


「!? わ、分かりました!」


 口を動かすため、無詠唱化に切り替えたニーナの下へユンは急ぐ。ルーチェも言われるがまま、探知の魔法でニーナを『視』た。

 ニーナはユンが会話できる距離まで近づくと、言葉少なく問いを投げる。


「その聖剣の伝承には防御の魔法があった筈ですが、本当に使えますか?」


「え? は、はい。多分……」


 ユンは例の防御魔法を思い出し、恐らくはあれがそうだろうと頷いた。

 聖剣とのやり取りを考えれば、恐らく任意のタイミングで発動させる事も可能な筈だ。



「そうですか―――では、()()()()()()()()下さい」



「……えっ?」


 策を説明し始めたニーナに、ユンと、【探知の魔法(ライトエコー)】で口の動きを読んだルーチェが驚いている。

 10秒ほどして、ニーナの指示に頷いたルーチェが一旦戦線を離脱する。


「ほう、何をするつもりだ―――?」


 暴風のような魔法戦を繰り広げながら、不死者はそれを観察する。ルーチェはジンたちに何かを説明すると、3人をニーナの下まで連れて来た。


「ったく、糞ガキが! なんつー作戦考えやがる! 死んだら恨むぜ!」


「仕方がない。ここまで来たら一蓮托生って奴だ」


「…………」


 ニーナの前に出たエドヴァルドが、静かに盾を構える。その背中をシャルムンクが支え、更にその背中をジンが支える。最後に、ルーチェがニーナの後ろに構え、最後尾にユンが入った。

 エドヴァルド、シャルムンク、ジン、ニーナ、ルーチェ、ユンの順に、1列に並んだのだ。


「―――!? 何だ……何のつもりだ……!?」


 全く予想できない陣形に、不死者はどう対応するべきかを考えるが―――ニーナは、そんな思考時間を与えない。


「―――行きます!」


「おう―――ッ!!」


 ニーナが皆にそう声をかけた瞬間。



 不死者の魔法―――【火球の魔法(ファイアボール)】が、すんなりと()()()



 あろうことか、ニーナは一撃死の魔法への防御、それを止めたのだ。


「!?」


 驚いたのは攻撃した不死者の方だった。業火が先頭のエドヴァルドを飲み込む。



「―――【光防の魔法(ライトプロテクション)】ッ!!」



「ぐぅぅぅぅおおおおおおお―――!!」



 エドヴァルドが完全に飲み込まれる直前、後方のルーチェが、盾を構えるエドヴァルドに光の防御魔法をかける。減衰された熱波が一同を襲い、シャルムンクとジンは自分たちという名の『盾』が風圧で吹き飛ばないよう、全力で踏ん張った。

 ―――そして。

 対抗魔法を紡ぐ筈だった時間。それを利用して賢者、ニーナ・クラリカはその魔法を放った。



「【火球の魔法(ファイアボール)】―――!!」



火球の魔法(ファイアボール)】と、【火球の魔法(ファイアボール)】。

 2つの炎が海となり、庭園を赤く染め上げる。


「何度も同じ事を―――!」


 不死者は回避ではなく、炎すら突き破る攻撃魔法を発動させる事にした。

 直撃した所で、どうせ大したダメージではない。それならば、無視して発生源を叩く。

 不死者は最大威力の闇魔法を選択し、炎の壁へ手を向ける。

 ―――そこから。



 ユンが、現れた。



「なに―――ッ!?」


 眼前に現れた神速の切っ先。その驚愕に不死者の思考は追いつかない。

 ニーナの放った【火球の魔法(ファイアボール)】。―――ユンはそれに、自ら突っ込んでみせたのだ。


 敵の攻撃から身を守る為の、防御の魔法。それを、味方の魔法へと向けたのである。


 不死者が見せた、常識外の戦法。聖剣が持つ、常識外の防御。

 この刃は、それらのピースを即興で組み上げ利用した、()()()()()。その物だ。

 ―――賢者が、道を指し示し。

 ―――勇者が、それを切り拓いた。

 人類の反撃は、今この一撃から始まる。



「はぁぁぁぁぁッ!!」



 騎士長から習った『突き』。正真正銘全力のそれを、ユンは不死者へ繰り出した。

 寸前までその接近に気付けなかった不死者には、回避の時間は残されていない。


 極光纏う、伝説の聖剣。

 その一撃が、ついに不死者を捉えた。


 ―――だが。



「―――【光防の魔法(ライトプロテクション)】ッ!!」



 神聖なる、光の壁。

 それが聖剣の刺突、そのダメージを軽減させ、威力を吸収しつつ砕け散る。

 それでも大ダメージを受けたらしい不死者は、苦しげにそこから飛び退いた。


不死者(アンデッド)が光の魔法を―――!?」


 今度ばかりは周囲のみならず、ニーナも驚く。

 不死者にとって、光魔法は存在その物の弱点だ。触れれば即死の猛毒に等しい。

 しかしこの不死者は、受けた聖剣の傷に呻き声を上げてはいても、自らの内から発せられる光の魔力に苦しんでいる様子は無い。

 そもそもが、闇の眷属が光の魔法を扱うこと。それ自体が、この世界の人間にとって、あまりにも異常な光景であった。

 ただ1人、ニーナだけが素早く立ち直り、「やはり」と呟く。


「ぐ……ううう……ッ!!」


 ―――「あってはならない。主に生み出された、この私が」。不死者は聖剣を受けた箇所を押さえ、何かを呟きながら飛行の魔法で空へと浮かぶ。穿たれた骨の破片が、ボロボロと地面へ落ちた。

 黒煙で燻る月を背に、その敵意に満ちた視線をユンと、そしてニーナへと向ける。



「―――覚えておけ。我が名は、セムヤザ。主――いや、魔王様の名にかけて……いずれ必ず、貴様たちを殺す」



「魔王―――」



 ニーナが視線鋭く、その部分に反応する。

 セムヤザと名乗ったその魔族は、一方的にそれだけ告げると、現れた時と同じように夜の闇へと溶けて消えた。


 ―――こうして短く、しかし濃密な勇者の初陣は終わった。

 大きな犠牲と、いくつかの情報。その2つを引き換えにして。







 夜が明け、朝日が王都を照らす。

 王宮では、無事だった応接間の一室に、ユン、ニーナ、グスタフ将軍の3人が集まっていた。国王に呼ばれたのだが、忙しいのか本人がまだ来ていない。

 やっとゆっくり話す時間を得たと思ったグスタフ将軍は、まずは今代勇者であるユンをニーナへと紹介した。


「賢者様、ご紹介が遅れましたな。彼女が聖剣に選ばれた勇者、ユン殿です」


「あっ、ゆ、ユンです!! あ、あの、助けてくれ、あ、いえ、頂いて、あう、あああありがとうございましたぁ……っ!!」 


 目の前の人物がどれだけ凄い人間なのかは、噂としても経験としても知っている。

 ユンはスーパースターを前にした一般人らしく、ガチガチに緊張していた。


「いえ、人類の切り札である勇者を守るのは当然ですから。―――私は賢者の末席を預からせて頂いている、ニーナ・クラリカです。よろしくお願いします、ユンさん」


「は、はいッ!! こちらこそ!?」


 ユンとしてはパニック一歩手前だったが、グスタフ将軍はそんな事は気にせずどんどん話題を振ってくる。


「にしてもユン殿、凄かったな! とても村娘の初陣とは思えなかったぞ! あの不死者(アンデッド)さえ出て来なければ、きっと君が全ての魔族を倒していたに違いない!」


「え。彼女は元々戦士だったのではないのですか?」


 ニーナが意外だと言わんばかりに口を挟んだ。彼女は鬼神の如く戦うユンしか見ていない。まさかあれが素振りぐらいしかまともにしていない素人だとは思わないだろう。


「ええ。ユン殿は今回の戦いが生まれて初めての実戦でした。それも、彼女はまだ訓練を2日しか受けていないのです」


「―――ほう」


 深い青色に染まった瞳が細められ、ユンを上から下まで()()する。


「―――っ、」


 それは一瞬の出来事だった。ユンの動体視力をもってしなければ、気付かない程度の物かもしれない。

 しかし、その舐めるような視線に、ユンは相手が同性であるにも関わらず、僅かに身の危険を感じた。

 まるで深い知識の水底に引きずり込まれるような、そんな気がしたのだ。


 垣間見てしまった賢者という物の一面にユンが人知れず肝を冷やしていると、そこで応接間の扉が開いた。国王と、それに付き従うように宰相が入室する。

 膝を突き頭を下げたニーナたちと、それに慌てて倣うユン。国王はそれを手で制した。


「よい。今は非公式の場だ。それに時間も惜しい。さっそくだが、賢者クラリカ。あの化け物のような不死者(アンデッド)。奴についての貴公の見解を聞きたい」


 国王はユンたちを立ち上がらせると、自らも立ったまま話し始めた。ユンは侍女長たちから習った中にこんなケースは無かったと慌てるが、ニーナは特に気にした風もなく質問に答える。


「歴史上類を見ないほどの強力な不死者(アンデッド)でした。九つ全ての魔法を扱い、魔力量でも私を超える。―――その上、どうやら自身の魔法では一切の傷を負わないようです」


 ニーナは戦闘中に立てた、非常に可能性の高い仮説を王に聞かせる。


「なんと……それは一体どういう訳だ」


「理屈は不明です。ですが間違いないかと。魔法使い長も同じような見解でした」


「ううむ……何らかの方法があるのだろうが……」


 国王は顎に手をやり唸る。その秘密が解明できれば魔法史に残る一大革命になるに違いない。そして、そんな賢者ですら未発見の別次元にある技術を、敵は既に獲得しているという事実。これは人類にとって可能性であると同時に、由々しき問題だった。


「賢者様。奴は何者でしょうか。あれほどの不死者(アンデッド)。伝承などに残っているのでは? どうやら彷徨う髑髏(スケルトン)のようでしたが」


 宰相が尋ねる。不死者(アンデッド)には肉体の限界を除けば寿命の概念が無く、中には数百年存在し続けている物もいると言う。あれほど強力な個体ならば、過去に人類を脅かしている可能性も否定できない。


「あれは彷徨う髑髏(スケルトン)の中でも魔法を扱う個体、『不死の魔法使い(スケルトンメイジ)』でしょう。強大な力を持った魔法使いが、闇の魔法を用いて自ら不死者(アンデッド)化した場合に生まれると言われています。あれほどの強力な不死者(アンデッド)、そして不死の魔法使い(スケルトンメイジ)となると、記録に存在する中では8代前の勇者が討伐したという『不死者の王』ぐらいしか思い当たりません。……ですが恐らく、あれは『不死者の王』よりも強力でしょう」


「人から不死者(アンデッド)へ……だから奴だけ言葉が流暢だったのかな?」


 グスタフ将軍の呟きに、「そうかもしれません」とニーナは返す。


「『不死者の王』、か……。勇者に討伐された筈が、本当は逃げ延びていた……とか、そんなオチではないだろうな」


「不明です。出自を推察するには情報が欠け過ぎています」


「確実に分かっているのはその……不死の魔法使い(スケルトンメイジ)とかいう種族だという事だけか」


「むう……」


 残念そうに唸る宰相たちに、ニーナはもう1つの仮説を提示する。


「それとこちらは魔族全体への推測なのですが、あれは『群れ』ではなく『軍』なのではないでしょうか」


「ほう」


 ニーナの語り口に興味を惹かれたのか、国王は真剣に耳を傾けた。


「今回、あの不死者(アンデッド)は他の魔族たちに指示を出しているようでした。もしかしたら、魔族の中にも『将』と呼べる個体がいるのかもしれません。虫や動物でも珍しい事ではありませんし」


「ふむ、頭領となるもの―――司令塔がいるという事か」


「なるほど……。陛下、その可能性はあるかもしれません。これまでに報告された魔族の襲撃。その中には必ずと言っていいほど強力な個体が確認されています」


 詳しく調べる必要があるが、もしもその『強力な個体』が1回の襲撃につき1体ずつしか確認されていなかったとしたら、その可能性は高い。

 そしてその通りだった場合、将さえ倒せば兵たちが退くのか、それとも構わずその場で暴虐を続けるのか、そういった習性を把握する必要もある。


「それだけではありません。あれは言っていました。―――『魔王』、と」


 その不吉な単語に、場の空気が重くなる。


「なるほど……『軍』、か。兵がおり、将がいれば、それを所有する『王』もいる、と―――」


 魔族には規律があるように思える。魔物の強さを持ちながら、そこがまるで人間のようで怖いのだ。奴らには、『教育』がある。

 そして、それらを束ねる王―――魔王。

 魔物を掌握し、軍とする。そんな真似が出来る者とは―――一体、どれほどの存在だろうか。


「少なくともあの口ぶりからするに、『魔王』という存在が実在する可能性は高いかと」


「ぬう、であれば―――」


 王宮側の面々とニーナは意見交換を続ける。そこにユンが加わる余地など全く無い。

 なぜ自分まで呼ばれたのだろうか。

 ユンは不思議に思いながら立ち尽くした。


「―――よし、情報は得た。あとは活かすのみ。賢者クラリカには近い内、また意見を求めるやもしれぬ」


「構いません。その時にはまた『双子の紐』をお切り下さい」


 ニーナが頭を下げる。その手首には、いくつかの紐が結ばれている。遠く離れた彼女に王都の異変を伝えた、大切な魔具だ。


「賢者様。この後はどちらに?」


「自分で壊した分は、自分で直そうかと思います」


「ああ……」


 土の上位魔法、【地神の魔法(ガイアラース)】で倒壊させた街並みと城壁の事だろう。

 彼女の事だ。そんな事を言って、きっと自らの預かり知らぬ場所にまで手を施して回るに違いない。

 そんな彼女に、国王は感謝と苦笑の入り混じった笑みを向ける。


「最後になったが―――賢者クラリカ。此度は駆けつけてくれた事に感謝する。そして勇者よ、そなたもだ。よくぞ戦ってくれた」


「――えっ!?」


 まさか自分に話が来ると思っていなかったユンは驚いた声を出してしまう。


「いえ。多くの人を救えませんでした。賢者として、歯痒く思います」


「あの、えっと……は、はい」


 どう返答したものか困ったユンは、思わず曖昧に頷いてしまう。


「そんな事は無い。貴公たちがいなければ、今頃王都は地図から消えていただろう。貴公らは、救国の英雄だ」


 国王は最後にそう言い残し、宰相を連れ休む間もなく出て行った。

 どうやら自分が呼ばれたのは、この謝意を直接伝えたかった為らしい。


「さて、私も今の話の裏付けを取らなくてはな。ユン殿、後で侍女か執事を寄越すから、そしたらその者について行ってくれ」


「あ、は、はい」


 グスタフ将軍も部屋を後にする。応接間に残されたのは、ユンとニーナの2人だけだ。


「…………」


「―――ユンさん、どうかされましたか」


 国王たちの出て行った扉を見つめるユンに、ニーナが尋ねる。


「えっ……あ」


 まさかそちらから話しかけられるとは思っていなかったユンは、一瞬返答に詰まる。

 しかしニーナの真っ直ぐな―――真っ直ぐに自分を気遣う視線に射抜かれ、正直に打ち明けてみる事にした。

 その、もやもやと燻るような、胸の内を。


「……その。―――本当は、戦えるのか、不安なんです」


「……ほう」


 初めて剣を取り、戦った。そこには自分が思う、確固たる『正しさ』があった。

 だから前に進む事は、出来るのだ。最初の一歩を踏み出す事も。

 ―――だが、それとは関係なく。


「戦う事は、やっぱり―――好きになれそうもありません」


 その戦いを、正しいと信じるからこそ。

 命を奪う感覚が、ユンの足を鈍らせる。

 どこかの誰か(いのち)を守る為。

 目の前の誰か(いのち)を斬る、矛盾が。


「自分は―――最後まで、戦えるんだろうか、って―――」


 目の前に現れた『賢者』に、胸中を吐露するユン。

 黙って聞いていた賢者は、そこで初めて問いかける。それは、静かで穏やかに。―――しかし、同時に真っ直ぐに。


「―――貴女は、自分ではどう思うのですか。なぜ不安なのか。その理由を。戦いが嫌だというそれより―――もっと、根本的な理由です」


「――――」


 優しくも、しかし厳しい詰問。まるで親が子に問うように、その視線は慈愛に溢れ、しかし逃げる事は許してくれない。

 なぜ、彼女はこんなに真剣に話を聞いてくれるのだろう。

 ……いや。きっと彼女にとって、誰かの言葉に耳を傾ける事は、当然の事であるのだろう。

 彼女は、賢者だ。

 きっと、人の上に立つ者とは、こういう人を言うのだろう。

 その圧力ある慈しみに、ユンは思わず視線を背け―――しかし、ぽつりと零した。



「本当は―――故郷に、帰りたいのかもしれません。僕は……」



「…………」


 その告白に、ニーナは相槌を打たない。

 ユンは自らの立場とその発言の意味に気付き、慌てて言葉を付け加える。


「あ、で、でも、頑張ろうとは思うんですよっ? 剣を取ったのも、自分の意志ですしっ……!」


 自分は勇者に選ばれ、そして自分も勇者である事を選んだ。帰りたいが、逃げたい訳ではないのだ。

 そこまで口から出して、やっと自分でもこの不安の正体に気付けた。


 つまりは、気の持ちようの問題なのだ。


 自分は逃げたくないが、事実弱い。

 自分が最後まで立ち向かう―――歩き続けられるかが、分からない。

 だから、何か。自分は何か、『理由』が欲しいのだ。

 いつか挫けてしまう、その日が来た時に。

 心の支えになるような―――そんな、あと一歩を踏ん張る為の、強い理由が。


 ……しかし。

 さぞかし正しい教えを説いてくれるだろうと思った賢者は、それをあっさり覆した。



「―――では、自分の為に戦いなさい。家族を守り、いつか故郷へと帰る為に」



「……え?」


 自分が剣を取ったのは、どこかの誰かの為だった。

 そんな戦う理由を、賢者は捨ててしまえと言ったのだ。


「ご覧の通り、世界は危機に瀕しています。あなたのご家族にそれが向くのも、時間の問題でしょう。―――分かりますか。あなたは、戦いを強制されているのではない。あなたは―――」

 


 “家族を守る力を、手に入れたのです”



 小さき賢者は、そう言った。


「……あなたが救うのは、世界でなくともよい。ただ、あなたが愛するモノを、好きに守りなさい」


 それはまさに、気の持ちようの話であった。

 世界を救う為に、世界を救うのか。家族を救う為に、世界を救うのか。


 聖剣に選ばれた、正義ある者。―――勇者。

 しかし、その内面はまだ粗削りだ。


 現実は、正しい事だけではない。


 そしてそれは逆を言えば、正しくなくとも向き合える事を意味しているのだ。

 自分の為に動くこと。

 そしてそれが、結果的に誰かの為にもなること。

 そういうケースもあるのだと。

 ―――賢者。

 目の前に立つ、小さな少女の正義は―――自らの、一歩先を行っていた。


「――――、」


 感銘を受けた。

 この小さな少女は、自分なんかよりも遥かに偉大だ。これが賢者と呼ばれる人種か。


 この瞬間、ニーナはユンの人生の中で、最も尊敬する人物となった。

 だから、ユンはこう言う。

 戦い抜いた先。いつか―――故郷に帰った時の為に。


「あの―――握手して下さい」


「えっ」


 勇者と賢者。ここに切り札は揃った。

 後にこの2人は2年の内に魔族の総数を半分まで減らす事に成功し、片方は最強の勇者、もう片方は最高の賢者と呼ばれるようになる。

 歴史の一歩は―――今この時より、始まったのだ。





 ―――それからしばらく待っていると、グスタフ将軍の言った通り、扉が鳴らされた。

 応接間に1人残されたユンを、誰かが迎えに来たのだろう。


 その扉から顔を出したのは―――侍女長だった。


 ほんの一晩前なのに、随分と久しぶりに会った気がする。


「あ……」


「…………」


 侍女長は部屋に入るなり、ユンを鋭い目つきで睨んだ。

 その責めるような視線に、ユンは最後に分かれた時の事を思い出し、縮こまる。自分は制止する彼女を振り切り、1人戦場へ引き返したのだった。

 つかつかと歩み寄る侍女長。普段と違う剣幕にユンは思わず一歩下がるが、不思議と聖剣から嫌な感情は送られてこない。

 そしてユンの下に辿り着いた侍女長は。

 ―――彼女を、深く抱きしめた。


「え……」


「無事で良かった。……もう二度と、あんな真似はしないで下さい」


 母のようでもあり、姉のようでもある優しい腕がユンを包む。

 耳には心臓の脈打つ心地良い音が伝わる。


「……っ。ごめん、なさい……」


 ユンは思わず震える声で、なんとかその一言を絞り出した。

 まだ碌に戦えもしないというのに、あの状況下で1人どこかへ走り去った自分。

 彼女からはどう見えただろう。

 ……そう。彼女は怒っていたのではない。

 心配してくれていたのだ。


 そのまま数秒だけ抱き合い―――離れたのは、侍女長の方からだった。


「第4将軍閣下から、案内を仰せつかっております」


 彼女が彼女であったのは、その10秒ほどの間だけだった。

 貼り付けたような無表情に戻り、淡々と言葉を紡ぐ。

 彼女はもう、いつものプロフェッショナルだった。

 一瞬きょとんとしたユンは苦笑し、彼女の背についていく。

 きっと自分より、彼女の方がずっと強いに違いない。


 応接間からかなり歩き、例の渡り廊下を横断する。

 辿り着いたのは王宮向かい側の棟。こちらにはあまり来た事が無い。修繕作業に勤しむ山人族(ドワーフ)たちの横をすり抜け、とある一室に案内されたユンは、侍女長に言われるがまま扉を開ける。すると―――。


「馬鹿言え! 短剣(ダガー)は俺のだろ!!」


「俺だって戦士だぞ? 両手剣ばかり使ってる訳じゃない。武器は多ければ多い程良いんだ」


「ああもう、一々喧嘩しないで下さい!」


「では私はこの盾を貰いましょう」


 別空間のように賑やかな声が出迎えた。

 部屋にはたくさんの武器や鎧、それに服やアクセサリーの類いが用意されており、それを先に来ていた4人の人物が物色していた。

 魔法銅(オリハルコン)の短剣を奪い合うのはジンとシャルムンク。

 その2人を律儀に仲裁しようとするルーチェ・ハーゲン。

 そんな男たちの喧嘩には我関せず、競争率の低そうな、しかし彼ならば使いこなせるだろう大盾を選び取るエドヴァルド・フレンツ。

 3日前、旅の仲間として紹介された面々が、全員集まっていた。


「あ」


 ルーチェが最初にこちらに気付く。どうやらジンがうるさすぎて、ノックの音に気付かなかったらしい。

 男たちもそれで気付き、部屋に一瞬の静寂が訪れる。

 勇者の旅。その仲間として選ばれた面々が、今再び一同に会している。

 何も伝えられていないユンだが、それを見れば4人が何をしているのかは分かる。


「ど、どうして……」


 ユンの信じられない物を見たような呟きに、ルーチェはそっぽを向いて答えた。その横顔は若干赤く染まっている。


「ま、まあ今回の事は、たしかに仕方ない面もあります。私の力が要るのなら、協力する事もやぶさかではありません」


 どうやら実際に目で見た魔族の脅威……そして戦う勇者の姿は、彼女の中に何らかの波紋を起こしたらしい。

 早口でまくしたてられた建前に、エドヴァルドが苦笑する。そのままユンへと真っ直ぐな視線を向けた。


「君を見た目で判断し、侮辱した事を謝りたい。君は誰よりも強く、正しく、そして勇敢に戦っていた。このように至らぬ身だが、騎士として、君の旅を助けられたらと思う」


 ジンとの喧嘩を止め、シャルムンクもこちらを向く。


「俺は最初からの通りです。受けた依頼は完璧に果たしてみせましょう。―――それに、勇者と冒険できるなんて、一生自慢できますしね」


 いつか聞いたような言葉と笑みを最後に、その目が隣のジンへと向けられる。

 ジンはちゃっかりと短剣(ダガー)を懐に入れつつ、頭を掻いて後ろを向いた。


「……ま、しゃーねえだろうよ。あんな化けもん共が暴れてるんじゃ、おちおち盗みも出来ねーよ」


「み、みんな―――っ!!」


「うお!?」


 その背中にユンが抱き着く。騒がしい4人を眺めながら、ルーチェは一人呟いた。


「……あーあ。たった半年か。頑張ったんだけどな……」


 弱冠18歳にして昇り詰めた、王国魔法使い長の座。類を見ない昇進の裏には、当然のように類を見ない努力がある。

 貴族の女として生まれ、それでも知識と魔導の深淵、その探求を選んだ少女のこれまでには、どれだけの紆余曲折があっただろう。

 だが、ルーチェは窓から覗く青空を見上げ、そして微笑む。


「―――まあ、いいわ。これからは、世界を救う為に頑張りましょう」


 史上最年少の魔法使い長は、史上最短記録でその役目を後進に譲った。

 これより向かうのは世界の危機。その旅路は5年か、10年か。それとも……途中で倒れるか。


「ルーチェさん―――?」


 だがきっと、後悔は無い。

 なぜなら、この危なっかしい勇者の在り方は正しく―――そしてそれに付いて行くこの道も、きっと正しい道だから。


「―――改めて、自己紹介するわ。王国魔法使い長、ルーチェ・ハーゲンです。魔法と知識はお任せ下さい」


 ルーチェは作法に則り、美しい所作でお辞儀をする。新たに仲間になった者たちは、通じ合うように一つ頷くとそれに続いた。


「盗賊、『雑種(バスタード)』のジン。何でも出来るし、何でもやるぜ」


「最上位傭兵、シャルムンクです。専門は……この面子だと、魔物関連と武器関連になるかな」


「近衛騎士、エドヴァルド・フレンツ。君たちを守る盾となろう」


 4人の瞳が、最後の1人に集まった。


「―――ゆ、ユンですっ! 勇者になりました! ……が、頑張ります!」


 そんなどこまでも彼女らしい自己紹介に、仲間たちは苦笑を漏らす。


「そうだな。―――そんじゃ、頑張りますか。柄じゃねーけどな」


 


 こうして、少女は勇者となった。

 知識を学び、技術を学び、時に助けられながら前へと進む。

 世界は滅びの危機に瀕している。

 故に、彼女たちが立ち向かうのは残酷な『世界』そのもの。

 辛い事実、悲しい現実が彼女たちを容赦なく襲う。

 しかしそれでも―――その足は、止まらなかった。


 そう、『最後』まで。



































 そうして。

 2年に渡る歳月を戦いに費やし―――ついにその扉に、手をかけた。


 魔王城、最上階。


 聖剣による強化を受け、ユンは数トンの重量を誇るその扉を、片手で押し開ける。

 その人数は5人ではなく―――4人。

 最後の最後に、最も保身に長けた筈の男が、最も危険な役目を買って出てくれた。

 自分たちは、勝たなくてはならない。

 それは前に進む為でも、後悔しない為でもなく―――

 ただ、失われてしまったものたち。

 それに、報いる為に。


 戦乱と、救世の道。

 そんな、2年間に渡る激闘の末―――



 ―――ユンたちは、『それ』と出逢った。



「…………っ!?」


 その先に待ち受けていた、自分たちの予想を遥かに上回る光景に目を見開く。

 今にも崩壊してしまいそうな、フロアの惨状。

 壁や床には隙間が見当たらぬ程にヒビが入り、そこで圧倒的な破壊が繰り広げられた事は想像に難くない。

 そして、その崩れかけの玉座の間に存在する、2つの影。


 片方は―――魔族。


 ただし、既に死骸だ。

 漆黒の全身鎧を纏っていたであろうその魔族は、禍々しい『黒い樹』に体を引き裂かれ、無数の肉片となっていた。

 主の肉体と同じく粉々に砕けたその鎧は、これまでに出会ったどの将の魔族の物よりも優れて見える。いや、まず間違いなく、これまでの人生で見た、ありとあらゆる装備を完全に上回っている。


(多分、あのセムヤザよりも更に強い……こいつも『四天王』か……!)


 その魔族は恐らくは、あのセムヤザと同じく『四天王』と呼ばれる存在であったのだろう。

 それも、死骸となっていながら、圧倒的な力を感じさせる程の強さを持っていた。

 恐らくは、『魔王』の側近。

 もしもこれと直接戦っていたならば、相当な被害を受けた筈だ。


 そして、もう片方の影。


 これが、一番の問題だ。

 黒い樹により引き裂かれた、四天王の1体と思われる魔族の死骸。

 その死骸の前、ユンたちに背中を向けて佇む―――


 ―――『()()()()』。


 それは、どこまでも白かった。

 薄暗い中でもはっきりと見えるほどに目立つ恰好。

 雪原を切り取ったような純白の生地は、ユンの戦闘服と同じく金縁で飾られており。

 肩から胸にかけてを覆う金細工の上には、遍く星々のような宝石が散りばめられている。

 その姿は、頭の先から足の先まで、白と金。

 全てが漆黒に染められたこの部屋で、その後ろ姿は輝くかのようだった。

 ―――いや、実際に輝いている。

 それは、魔力の揺らめきだ。

 金と宝石の散りばめられたその装備からは魔力が溢れ、空間が揺らいでいるようだった。

 それは一体、どれほどの装備なのか。

 大陸最強クラスで固められている筈の自分たちの装備は勿論の事、目の前の死骸が纏う過去最高の装備ですら霞む程の、あまりにも飛び抜けた領域に在る神器の数々。

 それを当然のように身に纏った、その存在。

 それは―――



(―――に、人間!?)



 そう。その後ろ姿。

 それは明らかに、人間の物であったのだ。

 白い男。

 それがその人物を表すのに、一番適した表現だろう。


 なぜこの魔王城最上階に、魔族ではなく、人間がいるのか?


 ユン達の間に、一瞬の困惑が浮かんだ。

 そして、足が止まったその間に。


 白い背中が―――扉の開く音に、ユン達をゆっくりと振り返った。






挿絵(By みてみん)






「―――っ!!」


 そうして、『答え』が出た。

 その白い男が何者なのか。

 その、答えが。



 ―――白い男がその手に持った、2つの物体。



 片方は、魔族の『()()』。


 その頭蓋骨を覆うのは、散乱する鎧と同じく、漆黒の肌。

 下顎から鋭く飛び出す2本牙の上には、平たく潰れた豚のような鼻がある。

 それは近場ではバルドゼオン公国南に生息するという、『獣鬼(オーク)』に似た魔物だった。牙だけでなく、側頭部から飛び出るヤギのような角は初めて見るが。


 これはまず間違いなく、その後ろに無惨にも討ち捨てられた、ボロボロの肉片の主であろう。

 先程まで、この最上階にて行われていたであろう戦い。

 それはどうやら、この獣鬼(オーク)のような魔族と、この1人の白い男によって繰り広げられていた物であるらしい。

 そして、勝利したのが白い男の方である事も、この現状を見れば理解できる。


 それを持っているのが左手。

 逆側の右手にある、もう片方は―――ありえない物。

 いや、『ありえてはいけない物』の方が正しいだろう。


 それは、美しい1本の短杖(ロッド)


 魔族の首。それを持つ方とは逆の手に握られたそれは、その服装と同じく白と金で装飾された持ち手の先に、透き通った青い魔石を嵌め込んだ物だった。

 全体的な大きさは慎ましいが、その美しさと魔石の大きさからすれば、高額な品である事が窺える。

 ―――そう。それが、ただの杖ならば。

 『これ』は杖に見えるが、決して『杖』などという物体ではない。


 その短杖(ロッド)のような何かは―――その実、『滅び』の化身であった。


 先程から自分たちの身を包んでいる、この言い様の無い悪寒。この嫌悪感の発生源は、なんとその杖だったのだ。

 その魔石から溢れ出す魔力。それはまるで海のよう。

 いや、果てが無いという意味では空のようだと言った方がいいかもしれない。

 空間その物を汚染し尽し、質量さえ持とうかというその魔力は―――『世界』にとって、それだけで毒のようだった。

 同じ空間にいるだけで自分たちの膝は笑い、心臓は脈打ち、冷や汗が止まらない。魔法使いのルーチェなどは、今にも膝を折り、嘔吐してしまいそうになっている。

 まるで呼吸をするかのように、自然体で生きとし生けるものを苦しめる存在。ただ滅ぼすもの。

 もしもこの杖で魔法など発動させれば、巻き起こされた現象は容易く大陸を飲み込むだろう。

 だからこそ、『有り得てはいけない』のだ。


 これは、世界を滅ぼす為の―――神の兵器だ。


 決してこの下界に存在していい物ではない。

 ましてやそれを人間が持つなど。逆にそんな代物に触れて、なぜ精神を崩壊させていないのかが不思議でならない。……それとも。それほどまでに、神の兵器に並ぶほどに、この男が強いのか。


「――――」


 白い男は無表情にこちらを見つめる。

 自分たちを認識した、その男。


 真っ先に聖剣から伝わってきたのは―――純度100%の、純粋な『悪意』。


 この聖剣と世界を旅をして2年にもなり、その間に善人にも悪人にも出会ってきたが……ここまでまっさらに敵対的な人間と出会ったのは、初めてだった。

 それほどまでに、この男が自分たちに向けた感情は、一部の隙も無く『黒』だった。


 決戦の地にて待ち構えていた物を前に、ユンたちは一目で『それ』を確信する。しかし、否定したいのも事実だ。


 そんな―――まさか―――





(―――『魔王』が、『人間』だったなんて……ッ!!)





 人類の敵。その頂点に立つのが……同じ人間だったとは。

 それは、ヒトの為に戦ってきた4人にとって、あまりにも受け入れがたい事実だった。

 何かの間違いという可能性は無いのだろうか。……無いのだろう。

 フロアの壁に穴などが開いた跡は無く、唯一の出入り口である第1階層は自分たちが塞いでいた。つまりは最初―――最低でも1週間前からこの人物はここで過ごしていた筈である。また魔族たちの中で1週間を無事に過ごしている事から、偶然その場にいたというのも考えにくい。

 それに指導者が人間だったとすれば、魔族が人語を解していた事にも説明が付くではないか。

 その温かみの無い処刑法。

 おぞましい魔杖。

 邪悪な心根。

 全てがこの男を魔王だと証明している。


 そして何より大きいのが―――




 ―――その、『目』だ。






挿絵(By みてみん)






 まるで籠の中の『虫けら』を見るかのような……あまりにも冷たい視線が、ユンたちに突き刺さる。

 ―――同じ『人間』を見る目ではない。

 およそ救いと呼ばれる世界全ての善性を否定するような、濁った瞳。

 しかしユンはその瞳に……なぜか、既視感を覚えた。

 その暗く濁った瞳が誰と似ているのか、思い出せない。

 だが、それは確かに、ヒトの瞳だった筈だ。


 そう。同じヒト族だ。

 ならばきっと、最初から敵だった訳ではあるまい。

 生まれながらに悪である魔族たちとは、違うのだ。


 この男には何があって。

 なぜ、人の滅びを願ったのだろう。


 その背景は、分からない。分からないが―――その結果、既に犠牲は出ている。出過ぎている。

 この人物はもはや。

 否定の余地なく、『敵』なのだ。


 ユンは自分に言い聞かせるように瞳を閉じ、覚悟を決め直す。

 この人物―――魔王は、敵だ。それもかつてない程危険で、強大な。

 勝たなくてはならない。排除しなければならない。

 でなければ、大勢の人が死ぬ。

 だから―――


 自分は今日……人を殺す。


 瞳を開ける。そこに最後の一線を越える覚悟を宿し、打倒すべき敵を見る。

 崩れた玉座に、無惨な仲間。一体どれだけ皮肉なのか、どこか神聖な雰囲気まで宿し、白き王者はそこに立っている。

 はっきり言って―――勝てる気がしない。皆自分と同じ結論に行きついたろうに、誰もがその圧力に行動を起こせないでいる。

 そう。まともに戦っても、きっと勝率は低い。

 だが、勝たなくてはならない。

 ―――ならば、最も勝率の高い瞬間に、確実に仕留めなければならない。

 それはつまり、今だ。

 

 剣の師、王国騎士長トリスタン・ボルヴの指導と本人の努力により体に染みついた、『最適の型』。元より必殺のそれを、聖剣の強化により更に加速させる。



 全力全開、最速最強の刺突。



 その完璧なる不意打ちを―――ユンは魔王へと繰り出した。





3章メインイベント、魔王(みたいな人)vs勇者戦、開始。

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