51 勇者-5
2017.7.14 2話分ぐらいの長さがあります。ご注意ください。
王都生活3日目となる翌日。
ユンは王宮から馬車で少しした場所にある、『練兵場』という施設にやって来ていた。
なんでも今日は昨日の騎士長ではなく、『戦士長』という人物から指南を受けるらしいのだが……その戦士長とやらが、修練の場所をここに指定したそうなのだ。
野次馬に囲まれていた昨日とは打って変わり、この練兵場には人ひとりいなかった。
テニスコート4枚分はありそうな広い空間の中央に、付き添いという名目で付いて来た唯一の野次馬、グスタフ将軍と、ユンだけがいる。
実際にはユンたちが到着した際には朝稽古を行う兵士たちの姿があったのだが、なぜかユンたちが中へ入ると同時、入れ替わるように皆荷物を片付けて外へと退散していったのだ。
屋外を模しているのか、芝生の生えた地面と、ぽっかりと穴の空いた天井。練兵場なるその施設は、現代ニホンで言う所のドーム球場に似ている。
「――――……」
昨日と違い普段通りの時間に起きたユンは、未だ姿を見せない戦士長を待ちながら、のんびりと空を見上げていた。
気持ち良く晴れた空は吸い込まれそうで、朗らかなそれを見上げていると、現状を忘れてしまいそうになる。
どこまでも広がるような青空には、ほんの少しだけ雲が混じる。それはあの村の空と、全く同じだ。
この王都は沿岸部からの距離があの村と似ているのだろう。空に対する雲の割合が近かったのだ。
この空で、あの村と繋がっている。
鳥のように、空を飛んでいけたら――帰れるだろうか。
ユンは空に故郷を想う。
聞こえてくるのは小鳥たちの囀り。飛び立っていくその翼が、ユンには遠く、どこまでも遠くに見えた。
「――お、来たようだぞ」
グスタフ将軍の声で意識を地上へ戻したユンは、自分たちも通った入り口へと目を向ける。
やって来たのは、見事な甲冑で全身を覆った、1人の屈強な戦士。
兜に守られた顔は厳つく、眼光の鋭さは獣のそれ。
赤銅色の全身鎧は騎士長の物より更に重厚であり、より実戦的な印象を抱かせた。
こちらへと歩いて来るその雰囲気は、まるで虎のよう。なるほど、小鳥たちはこの男を恐れて飛んでいったようだ。
「帰還早々すまんな」
「いえ。自分も楽しみにしていたので」
グスタフ将軍にそう返した男は、ユンへと視線を送り、体育会系の笑みを見せる。
「ユン殿、彼が今日君の相手を務めてくれる指南役、王国戦士長、ゼスト殿だ」
「ゼストだ。よく聞かれるが、貴族ではないので家名は無い」
「あっ、ゆ、ユンですっ。よろしくお願いします。……貴族様じゃ、ないんですか?」
「家の名でも家族でも――守る物があると、死ねなくなる。戦士団は常に戦場に在る。それではとてもやってられん」
戦士長の物言いに、グスタフ将軍が注釈を添える。
「『戦士団』というのは簡単に言えば、魔物や盗賊退治の部署でな。領内に出たそれらを狩り、市民の安全を確保するのが主な仕事だ。おかげで要人警護や治安維持が仕事の騎士団や衛兵団、それらより更に出番が少ない正規軍兵士よりも、実戦経験は豊富なのだ。今も一仕事終えて来た所だよ」
どうやら戦士長は遠征帰りであるらしい。昨日都合がつかなかったのはそのためか。休憩も取らずその身のまま来るとは、恐るべきバイタリティだ。もちろん疲れている様子は一切無い。
そしてその態度からするに、この戦士長という人物は騎士長とは違い、ユンを『勇者』としてではなく『新米兵士』として扱うつもりのようだ。より師匠らしい態度で接するつもりとでも言うべきか。鍛え上げてやるぞ、というスパルタな雰囲気がにじみ出ている。
ユンは我先に逃げ出した小鳥たちが、本気で羨ましくなってきた。
(うう、今度ルーチェ様に会ったら、聖剣に空を飛ぶ力がないか聞いてみよう……)
「それで戦士長、まあ君の事だし聞くまでもないが……今日はどうする?」
グスタフ将軍が今日の修練の方向性を尋ねる。……ゆっくりと2人から離れるという、謎の行動を取りながらだったのが気になるが。
戦士長はその問いに、再び口角を吊り上げた。
「そうですね。ユン殿が現時点でどれぐらいの実力かとか、何が足りないとか、どこから教えるべきかとか。まあ色々と考慮すべき点はありますが――」
――その笑みが、突如獰猛な物に変わる。
「!?」
その瞬間、ユンの体が冷気のような何かに襲われ、息は詰まり、全身が総毛立つ。
“――――!”
初めて経験したその圧迫感にも似た何かに、聖剣が、これまでで最も強く反応する。
戦士長が放ったものは――『殺気』と呼ばれるものだった。
「こうすれば―――手っ取り早い!!」
「!?――」
その時、飛んで来たのは――本物の、剣閃だった。
人並み外れた動体視力と、聖剣からの警告により、ユンはそれになんとか反応する。
「うっ――ひゃわ!?」
ユンはかろうじて防ぐが、めちゃくちゃな体勢だった為に受けた剣の勢いに負け、無様に尻もちをついた。
視界の端に、安全圏で首を竦めるグスタフ将軍が見える。
「はぁ、やっぱりな」
「なんっ……なんっ……!?」
突然の凶行に、目を回すユン。
尻もちをついた格好のまま、縋るように、とにかく聖剣を盾にするが……戦士長の追撃は、すぐには飛んでこない。
「休んでいる暇は無いぞ。さあ立て! どうせ基礎はトリスタンがきっちり教えるだろう。だから俺は――実戦を叩き込んでやる」
(あわわわ、本当にこんな事になるなんて――!?)
いつかの悪い想像が現実の物となったユンは、涙目になりながら慌てて立ち上がる。
「戦士長、少しは手加減するんだぞー」
「なに、大丈夫です。先程の一撃、寸止めするつもりが、まさか反応されるとは。勇者というのは我々の想像以上ですよ」
「そうか。まあ怪我だけはさせないようになー」
(グスタフさんッ!!)
かくして、いきなりの模擬戦――実戦訓練は始まった。
いつの間にやら遠くに避難している裏切り者に、ユンは恨めし気な目を向ける。
実は観戦者がいないのも、この展開を予想しての物だ。流れ弾などが危険なので、試合中は余人が立ち入らない事が規則として決まっているのだった。
とりあえず、グスタフ将軍については、いつか自分が強くなったら稽古相手に指名して同じ目に遭わせてやると、ユンは潤む目で復讐を決意した。
「――目の前の敵から視線を逸らすな!」
「わっ!?」
意識の外から、戦士長の斬撃が飛んで来る。
叱咤のような鋭い剣筋に、咄嗟に受けた聖剣が弾かれる。
ユンは思わずたたらを踏んだ。
(そ、そうだ。集中、集中しなきゃ……!)
昨日受けた騎士長からの最初の教えを思い出し、意識を切り替えるべく努力する。
目の前にいるのは、下手をすればユンの人生で最も危険な存在だ。
展開的には最悪だが、幸いにして今回は周囲の視線が無い。そういう意味では状況はユンに味方している。
「そうだ、俺を敵だと思って打ち込んでこい!! ――さもないと、こうなる!」
再び戦士長からの斬撃。ユンは防ぎながら後退する。
「くっ――は、はぁッ!!」
そのセリフと流れから、ユンは本能的に――隠さず言えば、恐怖から反撃を行う。
繰り出したのは、騎士長に習った刺突だ。
しかし動揺のせいか、その型は滅茶苦茶な物だった。人に剣を向ける事自体が怖かったのもあるだろう。
「温い――!!」
「あぅっ!?」
切っ先を容易く跳ね返され、体勢が崩れる。すかさず戦士長の剣が翻る。
防ぐユンは、同じように後ろへ追いやられていく。
「そんな剣では自分の身すら守れんぞ!!」
「くっ――せやぁ!!」
言葉と対応。
戦士長の巧妙なそれにより、相手との力量差を強制的に擦り込まれたユンは、今度こそ身の入った突きを放った。
戦士長は初めて回避の動きを見せる。
が、それは必要最小限。下手をすれば10cmも動いていないだろう。その上強烈なカウンターまで返って来た。
逆にユンにはこの斬撃を回避できるイメージが湧かない。防ぐ事すらやっとだ。
「刺突は強力な剣技だ。だが魔物相手には、『点』でしか攻撃できない刺突より、『線』で攻撃できる斬撃の方が有効な場合もある!」
攻撃範囲と、それによる命中率や効果の違いだ。
人間とは違い、魔物は種によって大きく形が変われば、弱点も変わる。
戦士長は状況と相手に合わせた使い分けを教えているのだ。
「は、はい! ――てやぁ!!」
斬撃の型など習っていないが、ユンは見よう見まねでやり返す。針のような剣先は空気抵抗を突き破り、「パウン!」という破裂音を奏でた。
斜め下から打ち上げるように振られたその一撃が、今度こそ戦士長を捉える。ぶつかり合う剣同士が、練兵場に甲高い音を響かせた。
“――――”
「あっ! また……!!」
ユンの手の中で――聖剣が、再び姿を変える。
指を保護する護拳が消失し、その分刀身が僅かな幅を持つ。穿つだけでなく、そこに切り裂く為の刃を生んだのだ。
騎士長と、戦士長。
2人の師により作られていく――『ユンの剣』。
その最適解となる形状へと、聖剣が生まれ変わっていく。
「ほう――」
初見となる戦士長は興味深そうに、あるいは警戒したように目を細める。
完成した聖剣を正面に構えたユンは、そんな戦士長から目を離さない。
いつの間にか――その目には、『熱』が宿っていた。
「はぁぁぁッ――!!」
「!」
聖剣の変化により、この場の『流れ』は初めてユンへと傾いた。ユンには初めての経験だったが、今が『攻め時』である事は場の空気から理解できる。
これまでに受けた戦士長の攻めを模倣し、聖剣を振るう。
型も何もない滅茶苦茶な棒振りである筈のそれは、しかしながらユンの身体能力により、十二分の脅威と化す。
それもその筈。
――現時点で既に、身体能力だけを見れば、ユンは戦士長と互角であった。
「はぁぁぁ!!」
「―――、」
猛攻。
一撃一撃ごとに空気が弾け、踏み抜かれた大地に穴が空く。
先程まで攻める側だった戦士長が、今では防戦一方だ。
『意欲』を手に入れたユンの戦いは、まさに勇者のそれとして相応しかった。
そう――素人目に見れば。
「――ううむ、戦士長は流石だな」
実際の所、両者の間には経験と技術という歴然とした差がある。
戦士長は無理に反撃せず、冷静にユンの斬撃を受けていく。
そもそもが大振りの、それも素人の斬撃なので、予備動作だけでも見切るのは容易い。
あからさまな隙すら見逃すその表情は、涼しい物だ。
反撃が出来ないのではなく、今はユンに『攻める』という経験を積ませているだけなのである。
恐らくはしばらく続けさせた後、最後に戦士長が強烈な一撃、その一刀のみをもって叩き伏せるだろう。
いい気にさせた所で伸びた鼻を折るという、新兵教育ではよくある手だった。これにより新兵は相手を舐めないという心構えと、自らの未熟を学ぶのだ。
修練の始まりから現在に至るまで、全てが戦士長の計画通りに進んでいた。
戦士長はユンの現状を完璧に把握し、ユンは心構えと技術を手に入れる。
グスタフ将軍がこの日最初の稽古、その終わりまでの流れを確信し、それはまた戦士長の予定とも合致した。
――が、最後までその通りとは、いかなかった。
「――!! 待った!」
「えっ――」
戦士長が突然飛び退く。ユンは熱くなっていたもののそれを追わず、素直に剣を下ろした。
何事かと目を見張るグスタフ将軍。
2人の視線の先で、自分の剣を見つめていた戦士長が、苦笑と共に呟く。
「魔法銀と魔法鉄……こっちの剣の方が、遥かに硬い筈なんだがな……」
戦士長が視線を落とす両手剣。振るっていたそれは、国王より預かっている、正真正銘の宝剣だった。
それはこの大国、ライゼルファルムにすら1本しか存在しない、最高位魔法金属【魔法鉄】で出来た剣だ。
魔法鉄は魔法への適性こそ魔法銀や魔法銅に劣るものの、その純粋な強度は他の魔法金属とは比べ物にならない次元にある。
世界最高の硬度を誇る筈の、その魔法鉄製の刀身。
しかし、その刃には――あろうことか、無数の刃こぼれが生じていた。
「――ふふ。まったく、聖剣というのは何でもありだな」
何らかの力により、聖剣の刀身は『強化』を受けているらしい。
王国戦士長クラスの猛者が、上手く受けてこれだったのだ。下手をすれば刀身が両断されていた可能性すらあるだろう。
相対していたのは『新兵』ではなく、『勇者の卵』だったという事だ。
(その上、これでもまだ真価は発揮していないというのだから、恐れ入る――)
戦士長の様子にすっかり興奮が冷めたらしいユンが、恐る恐る近付く。同時にグスタフ将軍も様子を窺いに来た。
「あ、あの……?」
「やめだ。これ以上やると剣が持たん」
「え!?」
「なんと……! 魔法鉄が負けたのか!?」
「えっ、えっ?」
何か分からないが、大変な事をしでかしてしまったらしい。
ユンは小動物のようにオドオドと2人を窺う。
「うーむ、流石は聖剣だなぁ。この結果は凄まじい。歴史的な瞬間だぞ」
「ええ。まさか絶対に壊れないのが売りのこの剣が欠けるとは。――閣下。私の役職上、これは直ちに修理に出さなければなりません。申し訳ないが、今日の所はここまでにして頂きたい」
「仕方がない。何しろ君の武器だ。なるべく早く使える状態にしておかねばならん」
王国戦士長とはそれ自体が民を、ひいては国を守る剣である。
その戦士長が主武装を失うという事は、大幅な戦力ダウンだ。実際には一つの武器種にこだわらず、ありとあらゆる武器を状況に応じて使い分ける職『戦士』であるため、他の戦士職の人間に比べればその差は大きな物ではないが……魔物出現の際のリスクは、間違いなく上がるだろう。壊れない剣というのは、それほどに使い道がある。
「――ああ、すまんすまん、そんなに心配しなくても大丈夫だよ、ユン殿。なにしろ王都にはこの剣の生みの親がいる。2日もすれば直る程度だ」
もはや涙目になっていたユンを、グスタフ将軍がフォローする。
国王から預けられた宝剣を破損、王国戦士長が数日に渡り武器を喪失、そして最高クラスの武器の修理代という無駄な出費と、実際には割と大事なのだが。
「ああ。この件に関しては予想してなかった俺が悪かった。勇者殿は気にするな。次からはお互い模造刀でやろう」
「は、はい……」
ユンはしょぼんと肩を落とす。
グスタフ将軍が場を和ませる意味もあり、それに苦笑を零す。
「という事で――まだ大した事はしていないが、今日の俺からの指南はここで終わりとする。とりあえず今後の課題だが……」
先程の模擬戦を反芻し、戦士長は今後の方向性を決める。
「まだ2日目なので当然だが、まずは素振りからだな。あれは咄嗟の動きを体に染みつかせる為の物だ。肝心の動揺時にそれが崩れるようでは、そもそもの話にならん」
「は、はい」
「それと、後半は斬撃ばかりになっていたぞ。ここぞという時に突きを放たずしてどうする」
「あっ」
言われてみればその通りである。ユンはあの指摘を受けて以来、今度は1度も刺突を出していなかった。
「で、でも、ゼスト様がそうだったから――」
「俺が斬撃しか使わなかったのは、君への手加減の為だ。対人戦で強い方が突きなんて使ったら殺してしまう」
咄嗟の反論は即座に否定された。
斬撃は最初に大きく振り被る為に、予備動作から次の動きを予想しやすい。つまり、ユンはこの試合中、防ぎ易いようずっと手加減されていたのだ。どんな局面でもガードだけは間に合ったのがその証拠だろう。
「そ、そうだったんですか……」
ユンは己を恥じた。これ以降口答えはしないようにしようと心に刻む。
「戦いというのは意外と頭を使う。状況による使い分けはもちろんだが、突きでも斬撃でも、その一撃を有効打とする為にあれこれ工夫をする物だ。たとえば突きを主体にするなら、本命の突きを確実な物にする為に、あえて斬撃を織り込むという手もある。斬撃に敵の目と感覚を慣れさせた所で、突然突きを放つんだ。逆に最初から突きばかり使うと、敵が対応を覚えてしまうかもしれん。必殺の一撃の為に、あえて手を抜くのも駆け引きだ」
「な、なるほど……。なんか、凄いんですね。戦う人って」
戦士長はユンの素直な感想に一瞬きょとんとした後、遅れて小さく微笑んだ。
――この少女は、純粋過ぎる。
この子は本当に、ただの村娘なのだ。人間的には好感が持てるが、これで本当に戦えるのだろうかと心配になるぐらいだ。
「……おいおい、随分他人事だな? その『戦う人』には君も含まれるんだぞ?」
「あっ、は、はい!! すいません!」
「まあ、素振りとそういった基礎については、トリスタンがしっかり教えてくれる筈だ。俺は口で教えるのはどっちかと言うと上手くなくてな。だから稽古相手になるぐらいしかできん。トリスタンから教えられた剣を、俺で試すというような形にしてくれ」
「? ……わ、分かりました」
意外にも、王国最強である騎士長は努力で地道に成り上がった『達人』タイプで、この戦士長の方が『天才』と呼ばれるタイプだった。
理屈と師の指南、そして目の眩むような長き修練により技術を鍛えた騎士長と違い、戦士長は感覚と勘により剣を振るい、命懸けの戦場に出る事で短期間の内にその身を鍛え上げたのだ。
基礎に重きを置く騎士長と、実戦に重きを置く戦士長。2人の違いはそこから来る物だ。当然、素人に一から教える場合、師としては騎士長の方が向いている。
「……それと、他には『戦技』なんて物もあるんだが……まあこれは早過ぎるな」
戦士長は当然というように頭を振った。
戦士長が得意とする【竜剣閃】のように、戦技の中には魔力を扱う物もある。対応の難しい連撃として編み出された純粋な剣技もあるが、どちらにしろ素人同然の今のユンには早過ぎるだろう。
「他は……いや、この短い手合せではこの程度だな。とにかく今はひたすらに素振りをする事。この模擬戦で自分が感じた事について、一度深く考えてみる事。俺から言えるのは、これぐらいだな」
「は、はい! ありがとうございましたっ」
「終わりか。今日はありがとう、戦士長。剣の詫びに、陛下への報告は私の方からしておくよ」
「お心遣い、ありがとうございます、閣下。ではお言葉に甘え、すぐにでも工房に向かいます。陛下には後で私の方からも顔を出すと伝えて下さい」
ユンに一通りの助言を与え、戦士長は去って行った。あの剣を打ったという鍛冶師の元へ向かったのだろう。
「どうだった?」
戦士長を見送りながら、グスタフ将軍はユンへ尋ねた。
模擬戦とは言え、ユンにとっては初めての戦いだ。野次馬としてはどんな感想が出るか興味がある。
グスタフ将軍のその質問に、意外にも、ユンは若干興奮した様子で返した。
「――なんか、凄かったです!」
ユンは剣に見立てた右腕をブンブン振ってみせる。
「僕……思いっきり動いたのって、生まれて初めてかもしれません。だから、真剣じゃなかったら、もっと楽しかったかも」
それは裏を返せば、少しは楽しかったという意味だ。
最後の猛攻、あれは現在のユンが出せる全力だった。
心ゆくままに、思いきり体を動かす事。
物心ついた時から自身に制限をかけていたユンにとって、それは人生で初めてスポーツに興じたような興奮だ。
ユンは広い草原を走る喜びを知った幼子のように、無邪気に笑った。
「ふふ……そうか」
真剣じゃなかったら、とわざわざ付け加える辺り、やはり戦いへの忌避感は存在しているようだが……それでも、最初に前向きな感想が出たのは上々だろう。
グスタフ将軍は馬車で王宮へ帰った所でユンと別れ、1人国王の下に向かう。今回の一件を報告し、そして『怒られる』という仕事が待っているのだ。
『雑用将軍』は楽しんでいるように見えて、裏では意外と苦労していた。
「あっ」
グスタフ将軍と別れたユンは、廊下の彼方にその人影を見た。
――王国魔法使い長、ルーチェ・ハーゲン。
突き当たりのT字路で、部下と思わしき数人に何やら指示を飛ばしている。
部下たちが行動を開始すると、彼女は1人こちらの道へと曲がって歩いてくる。
「、………」
彼女もこちらに気付いたようだが、特に反応を見せる訳でもなく、そのままのスピードで歩いてくる。
心臓の鼓動が早くなるのを自覚しながら、同じように歩くユン。
こちらも無視するか、声をかけるか。
長くも短くも感じられる時間の中で、何度も迷う。
「――っ!」
そうしてすれ違う直前――ユンは勇気を出して、話しかけた。
「あ、あの!!」
声をかけられたルーチェは、足を止める。
「――何か用ですか?」
「えっ、あっ、その……」
ユンは驚くのと困るのを同時に体験する。足を止めてくれるとは思わなかったし、勢いに任せて声をかけたのはいいものの、そもそも何を話すかを考えていなかった。
「――あっ、そ、そうだっ。あの、聖剣の話は、ルーチェ様が一番詳しいって聞いて……」
昨日のグスタフ将軍の話を思い出す。ルーチェは国で一番偉い学者であり、聖剣の事について最も詳しい知識を持つのは彼女だろうと。
ユンの理由を聞いたルーチェは、一瞬だけ見慣れたしかめっ面を見せる。
「ルーチェ……まあいいですけど、歩きながらでいいですか。移動中なので」
「あっ、は、はい! すいません」
意外にも拒否されなかったユンは、早足でどこかへと向かうルーチェを慌てて追いかける。
「それで、聖剣の話とは?」
「あ、は、はい。えっと、僕、聖剣の事っておとぎ話で聞くぐらいの事しか知らなくって。でも、これから使っていく武器の事だから、多分よく知っておいた方がいいんだろうし……だから、えっと、聖剣の詳しい事、全部教えて貰えたらなって……」
ユンはルーチェの顔色を窺いながら尋ねる。そういえば、ルーチェの顔は自分の顔より下にある。意外と自分の方が背が高かったのだな、と今になって気付く。そういえばあの時は、常にどちらかがソファーに腰かけていた。
ユンの要望を聞いたルーチェは、別に嫌な顔をするでもなく、極めて事務的に口を開いた。
「――聖剣。どういう原理か光の鑑定の魔法を無効化する上、品質に一切の劣化が見られない為に制作された時期は不明。ですが少なくとも王国が誕生するより以前から存在していると見られています。高名な山人族の工匠が目視にて目利きに挑戦した所、その刀身には紅玉の粉末が練り込まれている事が――」
「あ、す、すいませんっ!! やっぱり、一番気になってる所から質問してもいいですか!?」
まるで目の前に書いてあるかのように、スラスラと答え始めるルーチェ。
しかしその内容は専門的過ぎて、少し聞いただけでもユンには意味が分からない。ユンは慌てて長くなりそうな講義を阻止した。
「この発見により武具の魔具化が容易になったという話からが、面白い所だったのですが……。では、聞きたい話とは?」
ルーチェは気分を害したというより、なぜか残念そうな顔をする。
これは太古の文明が現代より高い水準の技術力を持っていたという話であり、実際聞く者が聞けば面白い話なのだろうが、生憎ユンはその中に含まれていない。『旧時代オタク』の白い青年などが聞けば、すぐさま食い付いただろうが。
ユンは自分で繰り出した言い訳に、必死で頭を回転させる。
「あ、え、えっと―――あ。あの、よく聞くんですけど、『みすりる』ってなんですか?」
やはりそれは常識なのか、ルーチェは一瞬だけ眉を顰めた。「マジかよこいつ」という顔だった。
しかし先程と同じように、特に文句を言う訳でもなく、再び解説へと移ってくれる。平民の田舎者ならこんなものかと、自分で納得したのかもしれない。
「【魔法銀】とは、魔法に対し高い適性を持つ、特別な『銀』の事です。こういった魔法との相性が良い金属は魔鋼といい、素材として非常に高い価値を持っています。魔鋼には他にも魔法銅や魔法鉄などがありますが、魔法銀はそれらの中でも、最も魔法との親和性が高い事で有名です。魔法に対する強力な盾にも、逆に強力な魔法の武器にもなります。あとは金属とは思えないほどに軽い事と、鋼鉄よりは丈夫である事ぐらいでしょうか。魔鋼の中では一番安い素材ですので、戦いに身を置く者はこの魔法銀製の武器の購入を将来の目標にする者が多いそうです」
ルーチェの解説はとても分かり易く、また過不足の無い内容だった。ユンの知識レベルを知った事で、即座に軌道修正してみせたらしい。
この情報を知れば、初日の他の者たちのやり取りの意味も見えてくる。要するに、武器には素材によってランクがあり、彼女たちはより良い素材で出来た武器の取り合いをしていたのだ。
「そ、そうなんですか。魔法の凄い金属なんですね……。あの、じゃあえっと、聖剣の凄い力って、どんなのがあるんですか?」
「聖剣の能力についてという事でしょうか。やはり特筆すべきは、森人族の一部が扱うという『精霊魔法』が込められている点でしょう。文献によれば選定された勇者本人が使用する事により、『変形』、『攻撃の魔法』、『防御の魔法』、『強化の魔法』、『探知の魔法』、そしてそれに付随する『敵を識別する力』の、計6つの力が発現するそうです」
一番最初の『変形』と最後の『探知の魔法』、そして『敵を識別する力』以外の3つは初耳だった。昨日騎士長の下で、初めてユンの意志により刀身が輝きを見せたのと同じように、まだ目覚めていない、または扱い切れていない能力があるのだろう。
ルーチェは歩きながら、ユンの下げた聖剣にチラリと目を向ける。
「『変形』したというのは聞きました。――それにしても、鞘の形状も変わるのですね」
「鞘ですか?」
「その鞘は後の時代に後付けで作られた物の筈なのですが。……魔法が付与されていない、本体以外の物にまで効果を及ぼすとは、一体どういう理屈なのか……」
何かを考え込んでいたルーチェは、ユンの視線に気付くと解説を再開させた。
「森人族は数が非常に少なく、またその中でも精霊魔法を扱える者は限られている為、精霊魔法の研究はほとんど進んでいないのです。一説には『我々の魔法』とは一線を画す効果を持つと言われていますが……それを見た限り、恐らく魔法としての法則自体が違うのでしょうね。そもそも勇者を選定する力などという時点で、謎ですが」
『我々の魔法』というのは、噂に聞く、一般的な魔法の事だろうか。
そこで、ユンは先程の模擬戦で考えていた事を、はたと思い出した。
「あの、聖剣の魔法で、空を飛ぶ事って出来ますか?」
「……空を飛ぶのは、どちかと言えば『我々の魔法』の領分ですが」
「えっ!!
ユンはルーチェの答えに、目を輝かせる。
「――じゃ、じゃあルーチェ様は、飛べるんですか!?」
「私はたしかに飛べますが……」
ユンはルーチェのその返答に感動を覚えた。魔法使いは、本当に空を飛べるのだ。
しかし、肯定を返したルーチェのその表情には、非常に渋いものが浮かんでいる。
ルーチェは歩く事は辞めず、その代りにユンの目をしっかりと見て言った。
「――1つ言っておきますが。魔法使いに何の魔法が使えるかを聞くのは、失礼な行いです」
「……えっ」
「魔法使いには人によって『適性』という物があり、それぞれ使える魔法が異なります。そしてそれは生まれた時から決まっていて、努力ではどうにもならないのです。身長と同じような物でしょう。当然中には気にしている人もいるので、雑談なら相手の方から教えてくれるのを待つか、同じ任務や依頼に当たるなどの、どうしても必要な事情でもない限りは触れないようにしないと、礼儀知らずだと思われますよ」
「そ、そうなんですか……」
魔法使いは全員が同じ魔法を使える訳ではないらしい。
知らなかった事とは言え、ルーチェに失礼な事をしてしまった。空を飛べる事を教えてくれた事といい、恐らくルーチェ本人は気にしていないのだろうが。
恐らく、純粋にユンが今後困らないようにと注意してくれたのだろう。
「あの、ごめんなさい。それと、ありがとうございます。教えてくれて」
ユンの感謝に、ルーチェは初めて歳相応に頬を染めてみせた。
「……別に、あなたの為に教えた訳ではありません。不快だっただけです」
「そ、そうなんですか? ……あの、ちなみに今日は、どうして僕の話を聞いてくれたんですか?」
ルーチェは目的の部屋と辿り着いたのか、扉の前でピタリと止まった。
「旅への同行は御免蒙りますが―――助言する事ぐらいは、構いません。同じ、国を守る者ですから」
「…………」
「では、私は仕事がありますので、この辺りで失礼させて頂きます」
ルーチェが扉を閉じた。ユンは道が分からなくなるので、元の場所まで一旦帰る事にする。
(…………)
なんだかんだ言って―――彼女は、優しいのだろう。
グスタフ将軍の言う通り、本当は良く出来たいい子なのだと思う。
ユンは勇気を出したおかげで、そんな満足を得る事が出来た。
ガラス窓から差す朗らかな陽気を浴びながら、弾むように廊下を歩く。
――苦労はあるが、悪い事ばかりではない。
ユンは現状に、そんな前向きな感想を見い出そうとしていた。
―――王都が地獄と化したのは、そんな穏やかな日だった。
◆
その後廊下をスキップしていた所を侍女長に捕まり、ユンは昨日と同じく勉学という地獄に身を投じる事になった。
その上、途中に夕食を挟んだものの、食後には再び机に縛り付けられてしまう。昨日は夕食までだった筈。どうやら段々と時間が伸びていっているらしい。ユンはやはり村に帰りたくなってきた。
今ユンの面倒を見ているのは、侍女長のみだ。
グスタフ将軍は今日はシャルムンクやジンとの旅の擦り合わせがあり忙しいらしく、その分は作法や読み書きなどの基礎授業に充てられる事になった。
「――“その人は、背が高かった”」
「え、えっと……、“その”、“人”、“は”――」
午後の分で昨日の復習を終えたユンは、今は単語の読み書きの続きと共に、簡単な文章を書く練習をしていた。
「―――ん?」
「勇者様、そこの綴りは―――、?」
最初にあったのは、音だった。
耳の良いユンが先に気付き、何度目かの音で侍女長も気付く。
続いて振動。音と同じく、徐々に大きくなってくる。
足や机から伝わってくるそれと共に、俄に悲鳴などが混じるようになってくる。
「――これは」
「え? な、何かあったんでしょうか」
「勇者様、少しお待ちを――」
王宮に勤めてもう10年以上になるが、こんな事は今まで起きた事が無い。
緊急事態が起きているとすぐに察した侍女長は、様子を窺う為に部屋の扉へと向かった。何が起きているかは分からないが、最悪の場合は勇者を避難させる必要もあるだろう。
幸いにも現在、この部屋の周辺には数十人の騎士と衛兵が存在している。それらは皆、『ユンの護衛』として彼女に常に付けられている者たちだ。無論、普段は目立たないようにさり気なく隠れているのだが。
いざとなったらこの者たちが護衛してくれるだろう。
侍女長がドアノブに手をかけるより一瞬早く、誰かが飛び込んで来る。
侍女長が侵入者から咄嗟にユンを庇おうとするが、飛び込んで来たのは暗殺者などではなく、たった今考えていた、ユンを護衛する騎士の1人だった。
一体何が起きたと言うのか、王国騎士を表す白い甲冑に身を包んだその青年は、まだ若さが残る顔を、気の毒にも蒼白にしてしまっていた。
しかし、そんな彼の発言により、侍女長も、そしてユンも、同じく顔から血の気を引かせる事となる。
「――魔族です!! 魔族が襲撃してきました!! 勇者様を連れて、お逃げ下さい!!」
◆
「――何!? 魔族だとッ!?」
時を同じくして、国王は執務室にてその報告を受けていた。
同室には偶然にも、専属の近衛である騎士長の他に、戦士長まで控えている。今朝の一件で破損した剣の代えとして、一時的に魔法銅の剣を持ち出す許可を求めてやって来ていたのだ。この伝令がやって来たのは、そのやり取りの最中であった。
「はい!! それも、既に城内に侵入されております!! すぐに避難を!!」
「チッ……!」
それを聞いた瞬間、国王はノータイムで腕に巻いていた『青色の紐』を引き千切る。それはグスタフ将軍の腕に巻かれていた物と、全く同じ見た目の紐だった。
「まさかいきなり代わりの剣を使う事になるとはな。あの剣が使えないのは不運極まりないが、俺が王宮に来ていたのは不幸中の幸いかもしれん」
騎士長と話しながら、たった今使用を許可されたばかりの剣を抜く戦士長の横で、国王は頭脳を回転させる。
(既に侵入されているだと? なぜ防衛魔法が発動しなかった!? ……いや、それよりも考えろ。この状況、何を優先するべきだ? ――そうだ。この場合、何よりも勇者と聖剣を確保せねばならん)
これは玉座の間に安置されていた聖剣が、選定の光を発し始めた時から言われている事だ。
最悪の場合……本当に最悪の場合としての仮定だが、魔族の手により、この王国が滅亡したとする。
この時、王国が滅亡するだけならばまだマシなのだ。問題は、聖剣、または勇者を失ってしまう事。もし魔族問題が解決しない内にそのどちらかを失えば、一国家どころか人類全体、または世界その物の滅亡は免れない。
自分たちの命はもちろんの事、今は国家としての価値よりも、ユンと聖剣の安全確保を優先させなくてはならない。
たとえ王都が滅びても、ユンだけは逃がすのだ。本来ならば最強の戦力となる筈のユンは、まだ勇者として完成していない。何しろ彼女は戦闘訓練を始めてたった2日の素人だ。
(勇者の方にはグスタフと、賊の侵入などの不測の事態を想定してありったけの護衛も付けてあるから、まず大丈夫だろう。ならば――)
「――分かった、今すぐ避難しよう。だがその前に、聖剣だけはなんとかせねばならん。回収に、騎士長か戦士長のどちらかを玉座の間へ向かわせる事は可能か?」
「いえ、不可能です! 魔族はその玉座の間から侵入しているようです!!」
「ちぃぃ……ッ!!」
謁見や式典などに使用される玉座の間は、この王宮内でも飛び抜けて広い空間となっている。
つまり魔族は、外から見て、構造的に一番目立つ場所を真っ先に攻撃してきたのだ。下手をすれば、そこに普段は王がいる事を知識として知っていたのかもしれない。幸いにも、今が夜だったおかげで公務は全て終えており、ここに移っていた訳だが。
(これだ! 他の魔物と違い、知能があるのが魔族の怖い所だ!)
国王が現状に冷や汗を流していると、もう1人別の伝令がやってきた。
「城下街への攻撃も開始されました!! 現在王宮へ侵入しているものは、飛行を可能とする個体で構成された、先行部隊であるようです!!」
(なるほど、空から来たのか……!)
襲撃を察知できなかったのはその為か。外は闇夜の上、相手は様々な能力を有する魔族だ。人間では到達不可能なレベルの高高度から一気に襲撃されれば、衛兵たちが発見できない、または音も無く無力化されても不思議ではない。まさに飛竜に匹敵する厄介さだ。
「数はどうだ! 多いのか!」
「敵の数は1千ほどの模様です!!」
「数は普段通りなのか……では時間さえ稼げれば、勝てる可能性が高い。――よし、庭園の籠城用設備を利用して応戦するぞ!! 戦える者を全員集めろ! 近衛と各団長も戦力として投入する!」
「はッ!!」
聖剣は一旦諦めるしかない。幸いにして魔族たちはひたすらに殺すだけで、略奪などの行為はしないという。
物の価値が分からないのかもしれないが、とにかく持ち逃げさえされないのであれば問題は無い。破壊活動ぐらいはするだろうが、あの聖剣はそもそも破壊出来るような強度の武器ではないし、全て終わった後には瓦礫の中から探し出せばいいだろう。
「では、行くぞ!! 騎士長、戦士長、頼んだぞ!」
「はッ! ――トリスタン、魔族については俺の方に一日の長がある。危険な能力を持ってるのが出たら叫んで説明するから、注意しておいてくれ」
「分かった。では先頭は任せるぞ」
王国最強の2人組が先陣を切り、国王たちは庭園へと向かった。
◆
「魔族――!?」
騎士のその言葉に、ユンと侍女長は同時に声を上げた。
魔族。
いずれ自分が戦う事になっている、強力な魔物であり―――世界すら滅ぼす、災厄。
それが、この王宮に、襲撃をかけて来たと言うのか。
事態の深刻さをやっと理解し始めたユンが顔面を蒼白にしていると、さすがに緊迫した表情を見せる侍女長が振り向いた。
「勇者様、とにかく今は逃げましょう。――護衛をお願い出来ますね?」
「無論です!」
騎士は元々ユンの護衛の1人だ。
すぐに控えていた50人近くの騎士が集合し、ユンと侍女たちを輪の中心にして移動を開始する。
「陛下たちは?」
「庭園へと向かわれているようです」
「庭園へ? まさか籠城に出るのか? 城の放棄ではなく」
「はい、どうやらそのようです」
ユンの警護隊、その隊長としてたった1人だけ参加している近衛騎士が、情報収集に出ていた騎士から報告を受ける。
「まあ、とにかく分かった、では勇者様もそこへお連れしよう。陛下がいらっしゃるなら、各団長様方や他の近衛もそこにいる。我々が単独で逃げるより、加わった方が安全な筈だ」
「はッ」
怯える女性陣の盾となりながら、騎士たちは最短ルートを決めていく。
ユンに与えられた部屋は2階。ここからまずは1階に降り、渡り廊下から外に出て、庭園へと合流する。
騎士たちの強靭な身体能力を活かし、女性陣を連れて窓から直接中庭に降りるという案も出たが、それは却下された。魔族には飛行型がおり、外に出れば上空からも襲撃を受けてしまう。女性陣を輪の中心にした所で、真上から襲われては意味が無い。それならば、横方向からしか攻撃を受けない屋内で戦った方が賢明だ。――勝てるかどうかは、別として。
「道中、何があっても我々の指示に従って頂きますよう、お願いします」
「は、はい……。―――っ!」
部屋から廊下へ出ると、その生々しい『音』が聞こえてくる。
破壊音、悲鳴、断末魔。焦げ臭いのは、火でも放たれたのだろうか。
初めて味わう戦場の生々しさに、ユンと侍女たちはその顔を更に青ざめさせる。
前と後ろに幾分か厚く布陣し、廊下を早足で移動する。騎士たちは警戒を怠らず、女性陣はただ必死で付いて行く。
ほんのしばらく歩き、曲がり角へと差し掛かった所で―――それが、現れた。
魔族。
薄暗い曲がり角の向こうから、灰色の塊が現れたのだ。
その縮尺を間違えたかのような巨大な威圧感に、瞬間、一行の足が止まる。
(こっ、これが――)
それは、早過ぎる邂逅だった。
部屋から出てまだ数十メートルだという意味でも、ユンが出逢う事自体がという意味でも。
鎧のような外殻は魔人形に似ており、どこか生物感が無い。
3メートルを超える巨体は、この広大な筈の廊下を小さく見せた。
初めて目の当たりにした魔物―――魔族のその見た目は、あまりにも生物として暴力的であり、凶悪だった。
「ニンゲン――!!」
暗い中でもはっきりと見える、黄色い瞳がユンたちを捉える。
その瞬間―――先頭の騎士が、消し飛んだ。
正確には魔族が一直線に迫り、その騎士を殴り飛ばしたのだ。
それは騎士長には劣るものの、戦士長には匹敵するであろう程の動きだった。そしてそれはつまり―――魔族とは、ただの雑兵ですらユンと『同格』である事を意味する。
裏拳で真横に弾かれた騎士が、壁に激突し、その甲冑をひしゃげさせる音と共に戦闘は開始された。
「ぐっ!!」
先頭に立っていた騎士たちは、続く2撃目を盾で防ぐ。数人がかりで咄嗟に盾を構え、互いを支えるように密集する事でそれの防御に成功する。
しかし恐るべき事に、ただの拳に5人近くで張り合ったというのに、防いだ騎士たちは力負けして仰け反った。
「これが……魔族か――!」
隊長が呻くように呟く。
騎士と言えど、魔族との戦闘が初めてであるのは変わりない。
騎士の仕事は要人の警護であり、必然的に魔物と接触する機会が無い。彼らは対人戦のエキスパートではあるが、相手がモンスターの類いでは勝手が違うのだ。
隊長は一瞬だけ目を瞑り、何かを決意したように見開いた。
「――1班は足止めをしろ!! 残りは勇者様に付け!!」
「えっ――!?」
その命令を受け、素早く10名が前に出た。その中には、先程の若い騎士の顔もある。横顔に浮かぶのは、覚悟のそれだ。
ユンは我が耳を疑う。どう考えても、全員でかかるべき相手だ。それをたった10人で相手取るとは、つまり――。
ユンの戸惑いを置き去りにして、他の騎士たちは素早く女性陣を囲み、走り出す。
「勇者様。我ら騎士は、命を国へと捧げた身。―――もとより、覚悟は出来ております」
「そ、そんな――」
「駄目です、勇者様!」
残った騎士たちを振り返ろうとするユンを、侍女長が止めた。その目には、曲げられない、強いものがある。
「――彼らは、私たちの為に残るのです。足を止めてはいけません。戦えぬ私たちは、せめてその覚悟を、犠牲を、無駄にしてはならないのです。それが、女の役目なのですよ」
「―――っ!」
力なく宙を切った手を、侍女長が掴む。ユンは愕然とした表情で、その手に引かれるがまま走った。この隙に、一歩でも遠くへ、と。
背後からは、戦闘が始まった事を示す金属音が鳴り響く。その音が小さくなるにつれ、自分の鼓動の音がやけにはっきり聞こえてくる。
あの騎士たちは、どうなるのだろうか。
――決まっている。分かっている、本当は。
名も知らぬ誰かを犠牲にして、自らは生き延びようとしている。
その罪深さに、恐れ慄く。
事ここに至り、勇者という肩書きの、真の『重み』を理解する。
不幸なのは、選ばれた自分などではない。
――選ばれなかった全てなのだ、と。
知ってしまった『世界』の一端に、青い顔をしていると……騎士たちの息を飲む音が聞こえた。
顔を上げる。廊下の向こうから、別の魔族が向かって来ている。
再びの邂逅は、何を意味するのか。
そう、それはもちろん、焼き直しだ。
---
――そんな事を、幾度繰り返しただろうか。
ある時は、背後から。ある時は、壁を突き破り。
庭園までの、たった数百メートルの道のり。
その間に―――ユンたちの数は、10人程度まで減ってしまった。
「…………」
ユンはただ機械的に足を動かす。
体は強靭でも、精神の方が疲れ果ててしまっているのだ。
それは侍女たちも同じく。
――もはや残るのは、数名の騎士と侍女たちのみ。
こんなものは、常人に耐えられる経験ではない。
「あの渡り廊下から出れば外だ!」
「もう少しです、勇者様……! 貴女たちも、頑張りなさいっ」
犠牲を積み重ね、目指す庭園。そこへと繋がる出口が見える。
この渡り廊下を抜け、建物の影から出ればもう庭園だ。
そこにはこの王宮の総戦力が集まっている。戦いは終わってはいないが、少なくとも不利な状況ではなくなる。そうすれば、このたった数人の騎士たちが、最後の犠牲として身を挺す必要も無いだろう。
騎士長からの指南を受けた、あの中庭。それを横目に、渡り廊下を突っ切り―――
ユンは、それを見た。
――空が、赤い。
「―――ぇ、」
今は夜の筈だ。その淀んだような黒い空に、まるで地上から放たれるかのように、赤い光が滲んでいる。
「――――」
「勇者様!?」
――ユンは、駆け出していた。
疾風のような走駆は、侍女長たちを一瞬で置き去りにする。それはまるで、突き動かされるようにして走り出した、自らの思考、そのもののように。
崩れた城壁。どの段階で破壊が為されたのか、あれほど堅牢だった筈のその城壁に、煉瓦が崩れたように大穴が空いてしまっている。
ユンは、そこを目指していた。
全力疾走した所で疲れる訳も無いのに、まるで常人のように、ユンの鼓動は早鐘を打っている。精神に引きずられるようにして、ユンの体はその焦りを表現する。
――現地世界では、灯りは貴重だ。ユンに与えられた部屋にある光の魔具、それを何万という数集めたとしても、これほどの明るさにはなるまい。
一体どんな方法を用いれば、夜空を照らすような光量を生むなどという奇跡が起こせるのだろう。
その答えは、極めて原始的だった。
「………………………………」
―――それは、大虐殺だった。
空を照らした赤は、炎の赤。
城下街が―――燃えている。
赤い炎は命を燃料に爛々と輝き、黒い煙が夜へと混ざる事で、滲んだような色合いを魅せている。
幾百の人の死の上に―――その奇跡は、成り立っていた。
「――――――、」
予感はあった。だから我を忘れたのだ。
だが、実際に目にしたその『衝撃』を前にすれば、想定は何の意味も成さない。理性と感情は違う。必要なのは理解ではなく、覚悟だった。
そしてユンの中には―――それは、無い。
眼下に広がる、その光景。
それを茫然と眺めるユンの隣で、息を切らして追いついた侍女長たちが、同じように目を見張って立ち尽くした。
あの炎の下に、どれだけの人々がいたのだろう。
この炎の下に、どれだけの人々がいるのだろう。
――犠牲など、とうに出ていた。
それはユンが走り出す、遥か以前より。
―――だから。
それを知ってしまった、少女は。
「ゆ、勇者様――!?」
「先に……先に行って……ッ」
必死に手を伸ばす侍女長を振り切り―――
どこかへと、走り去っていった。
―――それはまるで、逃げるように。
◆
その頃、王宮の一角ではグスタフ将軍もまた、魔族と戦っていた。
「おっさん!! もう諦めろ!!」
「将軍、俺も退いた方が良いと思います!!」
「駄目だ!! 劣勢ならばともかく、拮抗している今、彼女を見捨てる事はできない!!」
共に戦っているのは、ジンとシャルムンク、そして数名の騎士の面々だ。
シャルムンクとジンの両者は身体能力では劣っているものの、その経験からくる技術によって魔族と互角に渡り合っている。グスタフ将軍は騎士たちと連携を取り、数の力でその実力差を埋めていた。
ほとんどがジンとシャルムンクによるものだが、10にも満たない人数で3体の魔族と互角にやり合っている現状を考えれば、ここに集まっている戦力は中々のものだった。
「糞ッ……ユン殿、もう少しだけ持ち堪えてくれ――!」
彼らの目的。
それはユンの下まで、辿り着く事だった――。
---
“拙いッ!! ユン殿を守らねば!! 彼女には今、聖剣が無い――!!”
――現状の報告を受けた際、グスタフ将軍が最初に発したのがその言葉だった。
応接間の1つにて、今回の旅に向けて話し合いの場を設けていた3人は、その最中にこの襲撃を受ける事になってしまった。
「協力してくれ、2人とも!」
「おいおい、正気か、おっさん。魔族ってなぁ飛竜より厄介な相手なんだろ。それの大群に先手を取られたんじゃぁ、逃げるの一択だろうがよ」
グスタフ将軍の要請を、元盗賊であるジンは一蹴してみせる。
ジンは勝てる戦しかしない主義だ。強大な敵に、あまつさえ先手を取られたとあっては勝てる見込みは無いに等しい。それに、ただでさえ格上から逃げるのだ。元々の逃走成功率が低い上に、今この瞬間にも刻一刻とその成功率は下がっている。それを考えれば、グスタフ将軍の発言は愚か過ぎて選択肢にすらなりえない。
しかしグスタフ将軍は、ユンを守るため、この男の力がどうしても欲しかった。
どういう言い回しをすれば、この男を納得させられるだろう。グスタフ将軍には珍しく、対人関係においてその頭を本気で使う破目になる。
「――いいや、それは間違いだ」
「はあ?」
「では聞くが、ここから逃げて、どこならば安全だと言うのだ。よく考えろ。我々の側以上に安全な場所など無いだろう。何しろ、ここは国王の座す王宮であり、同時に最大の要塞だ。――ここにはこの王都の、最高戦力が集まっているのだぞ」
「…………」
強者から身を守るには、別の強者と手を組むしかない。戦えば死ぬ可能性は高いが、逆に言えばここにいる戦力が存命している内に戦わなくては、今後勝てる可能性は完全なゼロなのだ。生き残る可能性ではなく、原因を解決できる可能性は今この瞬間にしかない。
必死に捻り出したこの言い分は、ジンに一考の余地ありと判断させる事に成功した。
メリットとデメリットを考えようと黙り込んだジンの横で、その『王都の最高戦力』に比肩し得る者、『最上位傭兵』シャルムンクが口を開く。
「――分かりました。じゃあ俺は受けます。流石に1人で飛竜級の魔物複数とは戦いたくないんで。今は剣以外に装備も無いし」
「だぁぁぁ、分かったよ!! 受けりゃいいんだろ、受けりゃ!! 最上位傭兵が白旗振る相手から1人で逃げ切れるかってんだ。――その代わり、死んでも俺の背中を守れよ! あと最低でも魔法銅製の短剣を俺の旅の装備に付けろ!!」
「ああ、もちろんだ!! 生きていたら必ず陛下に進言しよう!」
「死んでもっつってんだよ!!」
こうして軍人、傭兵、盗賊という奇妙な共同戦線は生まれた。
ジンの連行のため待機していた騎士たちも加え、ユンの部屋へと向かう。
応接間を出た瞬間、悲鳴や破壊音が聞こえてくるが、グスタフ将軍はそれを毅然と無視した。今は優先度がある。命を無機質に捉えられるのは、兵を『数』として扱う将軍故の特徴だろう。
傭兵という実力社会で生きてきたシャルムンクは、少しだけ嫌な顔はするものの、文句を言う事も逆らう事も無い。
ジンに至ってはどれだけ人が死のうが気にもしない。当然だ。彼はずっと、殺す側だったのだから。
「――お前たち、あの男が戦いの最中に逃げたりしないよう、注意しておけ。最悪の場合、殺せ」
「はっ」
グスタフ将軍は騎士たちに小さな声で命令する。
ジンは一部の一般人にまでその名を轟かす凶悪犯だ。この先何があっても完全に信用する事は出来ないだろうし、先程のやり取りすら演技である可能性もある。
(ちぃ、それにしても遠い。応接間も近い物を使うべきだったか。また失敗だ)
この3日間グスタフ将軍が使っていた執務室は、ユンの部屋からほど近い場所に用意されていた。しかし今回は2人との話し合いの場であった為、1階の応接間へと移動してしまっていたのだ。
幸いにも、魔族が侵入して来たという玉座の間は、ユンの部屋とは正反対に近い場所にある。彼女が自分たちより先に魔族と会う事は無いだろう。
――しかしそういった楽観視は、多くの場合裏切られる。
「将軍!!」
「!?」
シャルムンクがグスタフ将軍を突き飛ばした直後、真横にあったガラス窓が、周辺の壁ごと粉砕される。
グスタフ将軍たちをピンポイントに狙った襲撃。魔族の登場だった。
「くそっ――!!」
そう、ここは国王の座す王宮。窓はガラスで、その広い廊下は夜間であっても光の魔具に照らされている。
外から中は見やすいが、逆に中から外は見えにくく、気付かなかった。現代ニホンのように背景に輝く夜景でもあれば別だろうが、この世界の夜は完全な暗闇だ。また、突然の襲撃に人々は混乱し、魔具を消して回るような者も現れる訳が無い。
シャルムンクが気付いたのは、偏に傭兵として様々な魔物と、様々な時間帯で戦ってきた為だろう。
「おっさん! 剣! 剣がねえ!」
「私のを使え!」
武器を所持していないジンに、グスタフ将軍は懐の短剣を投げ渡す。
この国での将軍という立場の証である特別な装飾剣であり、材質は魔法銀製だ。短剣ではあるが、自分が腰に下げている片手剣より品質は上だ。自分が使うよりはジンの方が使いこなすだろう。
「俺は二刀使いだ!!」
「知らん!! どうにかしろ!!」
「どうにかって――うお!?」
魔族からの不意打ち。しかしジンは、咄嗟に身を捻りそれを躱してみせる。
「!! お前の爪――!」
――そしてその最中、カウンターに爪と指の隙間へ短剣をねじ込み、刀身を捻る事でその鋭利な爪を器用に剥いでみせた。
魔族は思わぬ反撃と激痛に咆哮を上げ、ジンの動きに一瞬だけ目を細めたシャルムンクが、その隙を逃さず追撃を叩き込んだ。こちらもジンと同じく、当然というように外皮の隙間を的確に突いている。
ジンは服の胸元を閉じる紐を引き千切ると、短剣の鞘に剥ぎ取った爪を括り、即席の二刀目とする。
目にも止まらぬ早業。生き汚い『雑種』の持つ、数多くの技術。これはその1つだった。
「化け物に効くのは化け物の素材ってな」
怪物を倒す為、他の怪物を利用するのは神話などでもよくある話だ。同じ強さを持つ魔族同士の爪なら、防御を貫く事もできよう。
シャルムンクの攻撃で外皮の隙間、つまりは可動部に重傷を負った魔族は、目に見えて動きが悪くなる。先程より余裕を持って躱すジンが二刀で二か所を更に穿ち、動きの止まった所をシャルムンクが一撃で止めを刺した。
(この2人、やはり強い――!)
不意打ちを受けた形にも関わらず、ほんの30秒ほど、それも圧勝という形で戦闘が終わる。自分や騎士たちが割って入る暇も無い。
「流石にやるね、兄ちゃん」
「そっちもな。攻撃は軽そうだが、速度がある」
「逃げ足の早さには自信があるがね」
2人は剣の血を振り落としながら、軽口を言い合う。しかしその目には互いの力量を図ろうとする強かな光がある。
今は仲間だが、実際にはいつでも殺し合う可能性のある関係だ。
「シャルムンク殿、さっきは助かった。だが喋っている暇は無い、早くユン殿の元へ向かおう」
「そうですね、すいません」
「ったく、こんなんに襲われたんじゃ、もうあの嬢ちゃん死んでんじゃねーか?」
その可能性は、大いにあった。
魔族の侵攻速度が予想より何倍も早い。回り込んでくるなどと、まるで魔物ではなく人間のようだ。今の戦闘で余計に時間がかかったのもあり、もしかしたらユンの所まで既に到達している魔族もいるかもしれない。
「………っ、とにかく急ぐぞ!!」
グスタフ将軍は逸る気持ちを表すように、先頭を走った。
---
そして現在へと戻る。
ユンの部屋に向かう途中でまたもや襲撃を受けた3人は、これ以上時間を潰すよりはと、いっそ中庭へ飛び出した。
そのまま中庭を突っ切り、2階のユンの部屋へ直接上がろうとしたのだ。彼らなら2階程度の高さは一瞬で登る事ができる。
――しかし、国王たちが庭園にて応戦を始めた今、このタイミングに限り、外に出たのは悪手だった。
魔族たちが王宮上空を横切り庭園へと移動を開始した、ちょうどそんなタイミング。
自分たちの眼下を走り抜けようとしている、少人数の人間たち。そんな格好の獲物を魔族たちが見逃す筈もなく……グスタフ将軍たちは、囲まれたのだ。
たった数人でありながら、ジンとシャルムンクのおかげで戦力は拮抗している。
しかし、あと1歩足りない。
これではユンを救いに行けない。
――こうして、グスタフ将軍たちは中庭に縫い付けられる事になる。
◆
「【牙狼斬】―――ッ!!」
戦士長の魔法銅の剣が、魔族を脳天から両断する。
魔族たちをいち早く蹴散らし庭園へと躍り出た国王たちは、そこで遅れて退避、または合流してくる者たちを吸収して数を増やしつつ応戦していた。
城壁に設置された大弩や投石器、その他魔法化された防衛設備を全て使用した総力戦だ。
戦士長は油断なく周囲を見る。騎士と衛兵は武器を振るい、魔法使いからは対空射撃の魔法が飛ぶ。
国王の周囲には近衛たちが厚く展開し、その中には当然、エドヴァルドと呼ばれたあの騎士の姿もある。彼は近衛騎士らしく小盾と片手剣で戦っているが、どちらかと言うと攻撃より防御に比重を置いているようだ。
「は――ッ!」
背後から聞こえた声に振り返ると、自分の背中まで迫っていた魔族から、騎士長が突き刺した剣を引き抜く所だった。
目が合うと、騎士長はいつも通りの澄ました顔で口を開き、戦士長は獣のように笑って応える。
「危ないぞ」
「気付いていたさ。魔物はこういう『演技』に弱い」
「そうか。それは失礼したな。では次から勝手にさせておこう」
そこに、巨大な影がかかる。
2人が咄嗟に振り向けば、5メートルはありそうな巨大な魔族が、今にも拳を振り下ろそうとしていた。
「―――【氷山の魔法】!」
その巨体を、更にその数倍、20メートルはある山のような氷塊が、横殴りに吹き飛ばす。
まるで目前で象に大型トラックが突っ込んだかのような迫力だ。
詠唱が聞こえた空から、宮廷魔法使いの面々が降り立つ。先頭にいるのはルーチェだ。
「おお、ハーゲン殿!」
「加勢に参りました。お2人共、背中にも気を配った方がいいですよ」
「…………」
「…………」
戦士長と騎士長は、黙って背中を預け合った。
そこに更に別の魔族たちが襲い掛かり、3人は瞬時に応戦に出る。
「次から次へと、一息吐く間も無いな!!」
「全くだ――!」
空を見上げれば、夥しい数の魔族が集結している。そしてその数は、今もなお増え続けているようだ。
奴らの目的は破壊ではなく、殺戮。
どうやら魔族たちは探索が必要な王宮内より、確実に人がいるこの庭園に目を付けたらしい。
「コッチダ! コッチニ人間ガ集マッテルゾ――!!」
それを裏付けするかのように、一部の魔族から仲間を呼ぶ声が聞こえる。
「人語を喋るってのが一番気味の悪い所だな。まるで『古竜』だ」
おとぎ話だと思っていた事が、現実になっている。そしてその脅威も悪夢の領域。
大陸北において恐らくは最強であろう3人からすればそうでもないが、これだけの数になると、いい加減強さその物よりも数の面で押され始めている。
「今は口よりも手を動かして下さい! 私だって、なぜこんな所で逃げずにわざわざ応戦しているのか、本当は陛下に問い詰めたいのですから!」
「ごもっとも――!!」
激戦の様相を呈す庭園。力と力、数と数とがぶつかり合う。
――しかし、元より不利な戦いだ。
善戦しているとは言っても、刻一刻と王宮側の余裕は削られていった。
◆
庭園の戦いが激化すると共に、中庭へとやってくる敵も数を増す。
数体相手なら互角に戦えるグスタフ将軍たちだったが、これ以上増えられると厄介だ。
それに――
「いい加減、もう無理だろ! もう半々刻近く経ってんだぞ! どうせ逃げてるか死んでるかしてる!!」
そう。あまりにも、時間が経ち過ぎてしまった。
ジンの言い分はもっともだ。ユンが今回どう動いたかは分からないが、部屋で救援が来るまで籠城するにも、避難するにも、既に魔族とは接触しているだろう。そしてその結果が何らかの形で出るだけの時間も既に経過してしまっている。それが片方ならばもう間に合わないし、もう片方ならば既に目的は達成している。
「くっ―――」
グスタフ将軍は苦悩に顔を歪ませ、しばし考える。いや、本当はもう、分かっているのだ。
(無事に避難できている可能性は、ある。高いと言えるほどではないが、向こうにも護衛は付いている。庭園で大規模な抵抗が行われているようだが、もしも向かったのがその庭園だとすれば、その程度の距離ならあの人数でもギリギリ持ち堪えられるかもしれん。それに――)
それに―――ユンは『勇者』ではあるが、『聖剣』ではない。
……最悪の場合、ユンにはまだ『代わり』がいるのだ。
例え死んでしまっていても、聖剣さえ無事なら恐らく選定はもう一度始まるだろう。
――これは、仕方のないすれ違いである。
まだ技術が発達しておらず、この状況で使用可能な連絡手段が無いこの世界では、周囲の動きは手元にある情報だけで想像してみるしかない。
そしてそれぞれが、せめて確実性の高い予測を行おうと合理的に考えた結果、国王は『勇者は確実に無事だろう』と予測し、グスタフ将軍は『聖剣は確実に無事だろう』と予測した。実際にはどちらも、危ない綱渡りの最中だが。
そう、グスタフ将軍は自分の手元にある情報から、現状を合理的に考えた。
リスクを計算すれば、取るべき道はもう1つしかない。
グスタフ将軍は一度だけ、表情をきつく後悔に歪め――そして決断する。
「―――分かった、諦めよう!! 撤退だ!!」
「そうだ、そうこなくっちゃ、おっさん!!」
「とりあえず庭園に向かいたい! こいつらの動きを見る限り、どうもその辺りには抵抗している者たちがいるらしい! そちらに合流するぞ!」
「無理です、将軍! もう数が多過ぎる!」
自分たちの周囲には2体の魔族が追加され、計5体に囲まれている。
グスタフ将軍と騎士たちは1体と戦うのがやっとなので、残りの2体ずつはジンとシャルムンクが引き受けるしかない。そしてそんな状態で移動まで行う事は不可能だ。撤退を決断するのが少し遅かったらしい。
「くっそ!! あんたがチンタラしてるからだぞ、おっさん!! 無能将軍め!!」
「よく言われるし痛感してるよ!! なら時間だ!! とにかく時間を稼げ!!」
グスタフ将軍が、その腕に巻かれた紐、その中の青い1本を剣で切った。
「ああ!? 此の期に及んでんなことしてたらジリ貧だろうが!! 逃げる為に隙を突く方法考えんのが先だ!!」
「違う!! 時間さえ稼げれば、来てくれるのだ!!」
「来てくれる!? 誰が!?」
「分からないのか!?」
グスタフ将軍は騎士たちと協力して魔族の一撃を防ぐと、叫んだ。
「―――お前さんを牢屋にぶち込んだ、張本人だよ!!」
◆
「――――!!」
―――そして、少女は辿り着く。
玉座の間へと。
あれほど荘厳だった室内は見る影も無く破壊されており、かなり早い段階で放棄されたのか、周囲には人がいない。魔族たちも、既に全てが庭園へと向かってしまったようだ。ここにいるのは、自分1人。
廃墟のように静かなその空間に、外へと繋がる壁の穴から、炎が何かを焼くパチパチという音だけが響いている。
王のいない、その玉座。
その向こうに―――祭壇に、真っ直ぐ突き刺さるようにして安置された、一振りの剣がある。
―――聖剣。
絶望を斬り払うもの。
「――――……」
まるで『誰か』を待ち構えているかのようなその佇まいに、少女は導かれるようにして歩みを進める。
少女はあの場から逃げ出したのではなく……『戦う』ために、戻って来たのだ。
―――それは、自身の宿命と。
ゆっくりと。
燃え盛る炎の音を背景に、玉座の間を進んでいく。
厚く柔らかい絨毯に足は沈み込み、遅々としていながら、それでも止まる事だけはない。
「――――……」
その姿は、清廉であり、精強であり、悠然としており―――
どこか、悲壮だ。
それは、“生贄”の道にも似ていた。
“―――本当に、その剣を取るのか?”
少女は強さを求めてここへ来た。
だが、『強い』とは、なんだろう。
それは、『普通ではない』という事。
つまりは―――『異常』だ。
少女は、それをよく知っていた。
――ああ、そうだ。
生まれつき誰よりも強かった、少女だけは。
……だからこそ、重い。その少女が、この道を選ぶという事は。
人でないものを狩るため―――人でないものに、なろうとしている。
その一歩一歩は……どれほどの、重みか。
“―――本当に、その剣を取るのか?”
「――――……」
―――なぜ、自分なのか。
少女はこの日、『理不尽』を知った。
勇者などと言われ、勝手に選ばれた事を、ずっと理不尽だと感じていた。
抵抗も出来ず奪われた日常を、ずっと理不尽だと思っていた。
そして―――
化け物として、産み落とされた事を。
ずっと理不尽だと、嘆いていたのだ。
「――――……」
―――だが。
もっと理不尽な現実が、そこにはあった。
そう。
少女はこの日―――『世界』を、知ったのだ。
世界が、残酷である事を。
自身の甘受していた平穏の裏では、常に殺戮が起きていた事を。
頬に触れる、あの柔らかい温もり。
そこから薄皮を一枚剥げば―――おぞましい血肉が隠れている事を。
そんな醜い世界の中で。
誰かが、幸せである事は―――理不尽と、同義である事を。
『普通』の裏では、『それ以外の者』たちの屍が積み上がっている。
日常のどこかに、犠牲はある。
人は誰しもが、遠く離れた名も知らぬ誰かを見捨てて生きているのだ。
たった今、この瞬間にも。
―――それを、自覚するという事。
それが、『戦う』という事。
ならば―――
この一歩は、そんな世界と、向き合う一歩だ。
「――――……」
……耐えられるだろうか。
そんな物に。
“―――本当に、その剣を取るのか?”
――正しく在るという事は。
醜いものから、目を逸らさず。
弱く在る事を、許容せず。
おかしいものを、おかしいのだと言い続ける。
それは、『妥協』を許さないという事。
妥協とはつまり―――『弱さ』だ。
それは自分にも、相手にも―――きっと、愛する誰かにも。
見たくないものから、目を背け。
誰かの不得手を、受け入れてやり。
繰り返す徒労から、逃避して心を守る。
そんな、人として当たり前の、弱さすら。
耐えられるだろうか。
そんな人生に。
“―――本当に、その剣を取るのか?”
―――ただの、村娘が。
「――――……」
特別な力を、持っている。
しかし立ち向かう事など、できない。……できる訳がない。
一般人に銃を持たせた所で、人に向ける度胸は湧かない。
能力の高さと心の強さは、別の問題だ。
可能である事と耐えられるかは、別の問題だ。
強い事と、それを本人が望むかは―――別の、問題だ。
ただの少女が背負うには―――その剣は、重過ぎるのだ。
―――日常を、捨てられるか。
―――その手を、血で汚せるか。
―――誰かの人生を、奪えるか。
―――自らの人生を、捧げるか。
“―――本当に、女である事を捨てるのか?”
(――――――それでも)
―――少女は、その柄を握ってみせた。
それは強く……ただ、『強く』。
“勇者の伝説”。
立ちはだかるのは、幾度の苦難。
それがおとぎ話などではなく、現実に起きる事だとすれば。
その道のりに、勇者が味わう苦痛は―――筆舌に、尽くしがたい。
心折れる道。
それがこの物語の、本当の姿だ。
ただの少女になど、踏破できる謂れは無い。
(それでも―――)
しかし。
―――『勇者』とは、そんな生易しい物ではない。
(これが、現実だと言うのなら―――)
障害となるのは常に、世界すら滅ぼすような何か。
力では超えられぬ壁。
信仰では守られぬ刃。
―――だからこそ、聖剣は『選定』を行うのだ。
(僕は―――)
勇者とは、『立ち向かえる者』を言うのではない。
(僕は―――)
――――『乗り越えられる者』を、言うのだ。
「 ―――僕は、剣を取る 」
まるで当然というように、少女はその剣を引き抜いた。
己すら、斬り払う者。
―――そう。
きっと少女は、たとえ勇者でなくとも、その剣を取ったのだ。
燃える街を前に駆け出した時、そこに躊躇は一切無かった。
自己犠牲という痛みでは、この少女に辛いと思わせるだけの力が無い。
不可能という概念には、この少女を後悔させるだけの力が無い。
―――絶望には、この少女を止めるだけの力が無い。
おとぎ話として扱われるほどの、高潔で強靭な精神性。
それを持つ者だけが、『聖剣』の担い手として選ばれる。
真の鋼は、心に。
選ばれし者は、その『聖なる剣』を最初からそこに持っている。
たとえ、異常であろうとも。
たとえ、自らを削る事になろうとも。
―――この理不尽に、抗えるのなら。
男でも、女でもない―――化け物にだって、なってやろう。
「僕はもう―――ユーリでも、ユンでもなくていい」
その『勇気』を称えるように、形ある聖剣は煌めいた。
……あるいはそれは、寄り添うように。
最初の『戦い』に勝利し、ここに英雄は誕生する。
絶望を斬り払うもの。
それはつまり―――希望、そのもの。
少女は身を翻し、玉座の間を後にする。
勇者はこの日―――『世界』に、立った。
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次回でユン編はラストです。