50 勇者-4
2017.6.21
『勇者-1』『勇者-2』の2話にて伏線を1個書き忘れるというアホみたいなミスをしていました。
グスタフ将軍がニーナの事をユンに説明するシーンにて、語りながら腕に巻いた青い紐を撫でているという描写が入る筈でした。すいません。※該当シーンは修正済みです。
――ユンが目を覚ますと、そこは異世界だった。
「んぅ……? ………………○☆×○△□××☆――っ!?」
眼前に広がっていた煌びやかな世界を前に、ユンは慌てて飛び起きる。
転がるようにして見渡した部屋は、人生を過ごした自分の部屋でも、半月を過ごした馬車の中でもない。
(……って、そっか! 王宮か!!)
『馬車』という単語で、昨日の城門での大歓迎を思い出したのだ。ユンはその記憶の光景に思わず重い溜め息を漏らす。
布団に突っ伏しかけて、途中で止めた。あまりにも高級そうだったからだ。
一晩使用していたので今更ではあるが、分かっていてもうっすらと怖いのが平民だろう。
「うわぁ……すっごく寝坊しちゃった……」
ガラス窓から部屋に差し込む日差しが強い。とっくに朝になっている。
しかも影の様子からするに、かなり経っているのだろう。もしかしたら昼前という可能性すらある。
(昨日、夜遅くまで起きてたせいだ……。どうしよう。怒られるかな……)
ボーっと窓を眺めていると、部屋の扉がコンコンとノックされた。
ユンは慌てて布団から飛び出し、扉を開ける……前に、気付いた。そういえば昨日、こちらから開けるのは作法として相応しくないという説明を受けたのだった。
今度は慌ててベッドに戻る。自分に想像できる限りの行儀良い姿勢で端に腰かけ、声をかけた。
「は、入って下さい!」
扉を開けたのは、ユンが昨日から世話になっている侍女長だった。
「おはようございます、勇者様。朝食の用意が出来ております」
「は、はい」
どうも侍女たちは、基本的に常に部屋の前で待機しているものらしい。
恐らく起きた際にバタバタとしたのが外まで聞こえていたのだろう。ユンは耳を赤くする。
「……? 勇者様、何かございましたか?」
「え?」
頭を上げた侍女長が、ユンの顔を見てそう尋ねた。
ユンは何の事か分からず、首をかしげる。
「……いえ。申し訳ありません。まずは朝食よりも先に、御髪を整えさせて頂いてよろしいでしょうか?」
「あ、は、はいっ。よろしくお願いし、します!!」
他の侍女2人も加わり、3人がかりでユンの身支度を整える。
昨日と同じく黙って身を任せていたユンだが、しばらくしておずおずと口を開いた。
「あ、あのー、ちょっといいですか?」
「はい。いかがなさいましたか」
ユンは髪を梳いていた侍女長を振り返り、目を泳がせながらも、駄目で元々と初めての要望を言ってみる。
「えっと、そのー……。昨日みたいな服は窮屈で……今日は王様にも会わないみたいだし、それならボクの持ってきた服じゃ、駄目かなー、なんて……」
侍女2人は侍女長を窺い判断を待つ。その侍女長はユンの目を――いや、目元を見つめたまま、何事かをしばし考え、頷いた。
「――かしこまりました、直ちに用意致します。一応将軍閣下にも伺って参りますので、しばしお待ち下さい」
「あ、は、はい! すいません」
「では貴女たちは続きを。……それと最後に、薄くでいいので、白粉も塗って差し上げるように」
「白粉ですか?」
「はい。自然に見えるよう、薄くで構いません」
自由な服装が許されるなら、化粧も必要無い筈なのだが。
その指示に首を傾げる2人にユンの身支度を任せ、侍女長は部屋を出て行った。
王宮が広すぎる為か、帰ってくるのに20分ほどかかっただろうか。寝癖を整え、洗顔を済ませ、指示通り昨日より薄めの化粧を施し、諸々の朝支度が全て終わった頃、革の包みを手にした侍女長が再び顔を出した。
「服装は陛下との謁見や式典などの公の席でない限り、自由にしていいそうです」
侍女長が包みの紐を解き、中からユンの服を取り出す。
昨日ぶりに見た自分の服は、この僅かな間に洗濯し、乾かした上で皺を伸ばし、綺麗に畳まれていた。袋で保管されているのも合わさり、まるでクリーニングから返却された物かのように完璧な仕事ぶりである。
「そ、そっか。よかったぁ……」
「勇者様のご持参なさったこの服は、市井の物にしては見栄えも良いので最低限の品位も保てるでしょう。……ですが毎日同じ物を着るという訳にもいきませんので、似たような作りの物で、いくつかご用意致しましょうか?」
「えっ、えっと、あの……はい。よく分かんないんで、お任せします……。……できれば派手じゃない方が……」
「かしこまりました。それでは、お着替えを――」
「あっ、こ、これは自分で着れますから!」
「……かしこまりました」
てっきり昨日のように有無を言わさず着替えさせられるかと思ったユンだが、侍女長は意外なほどあっさりと引き下がった。
先程の服装の件といい、これが勇者という肩書きが持つ本来の権力なのだろうか。今なら何でも言う事を聞いてしまいそうな侍女たちは、小市民なユンからしたらそれはそれで怖くも感じる。
「それと第4将軍閣下からの言伝で、朝食後に中庭に来るようにと。その際にはご案内させて頂きます」
「あ、はい。ごはんの後、中庭ですね」
そこで朝食の単語に惹かれたのか、昨夜の食事を中座してしまったユンの腹が、きゅるると可愛らしく鳴く。
反射的に両手で腹を隠すという無意味なアクションまでしてしまい、耳まで真っ赤にするユン。しかし対応する侍女長は、貼り付けたように変わらぬ顔で一礼するのみだ。
「それでは控えておりますので、準備が整いましたら食堂へ参りましょう」
「…………は、はい」
この人って笑ったりしないのかな。侍女長たちの背中を見送りながらユンは立ち尽くした。
とりあえず――人生2度目の宮廷料理は、今度こそ心から楽しめたのは間違いない。
素晴らしい料理の数々に舌鼓を打ったユンは、それだけで勇者になった甲斐はあったかななどと割と本気で考えるぐらいにはテンションを回復させていた。
しっかりと朝食をとり元気を取り戻したユンは、伝言通り、侍女長に案内されて中庭へと向かう。
自分が勇者だという事が既に知れ渡ってしまっているのか、道中やけに視線を集めているのが気になった。
居心地の悪さから侍女長の背中に隠れ、俯きながら絨毯を踏む。まあ昨日のあの出迎えに加え、選定の儀などという目立つ儀式まで行ったのだ。これも仕方ないかとユンは自分に言い聞かせる。
廊下をしばらく歩いていると、辿り着いたフロアに見慣れた大男、グスタフ将軍が待っていた。
「随分長く寝ていたな。昨日は晩餐の後、すぐに床に就いたと聞いたが?」
「うわぁぁぁ、すいません、すいません!」
侍女長を下がらせながら、グスタフ将軍が笑う。ユンはひたすら謝るが、グスタフ将軍は大して気にしていないようだ。というよりも、なんとなく機嫌が良さそうに見える。
それもその筈。グスタフ将軍には、今から今日一番の面白イベントが待っているのだから。
「さて! さっそくだが昨日言った通り、今から戦闘訓練を始めるぞ」
「えっ!!」
「この先が中庭だ。その格好なら問題もないだろうし、さあ行こう。あ、これ聖剣」
「ちょっ!!」
ユンに玉座の間から持ってきた聖剣を押し付け、グスタフ将軍はフロアの先へと進んでいく。ユンは条件反射で追いかけるが、突然すぎる事態に心の準備が出来ていない。
外へと繋がる渡り廊下から表に出ると、そこが中庭のようだった。
『――おお!』
「!?」
かくして中庭でユンを待ち受けていたのは――ありとあらゆる目、目、目。
中庭という立地上、その四方は全てが城や先程の渡り廊下などに囲われている訳だが、その四方、見渡す限りの窓という窓から野次馬の視線が降り注いでいたのである。
勝手にやって来た観客たちは、勝手にユンの登場に沸いているらしかった。
「あわわわわ……」
「はっはっは、やはり皆も見に来たか。――私と同じだな」
「えっ」
「さて、ユン殿。あそこにいるのが今日君に稽古をつけてくれる騎士長、トリスタン・ボルヴ殿だよ」
「えっ!」
グスタフ将軍が示した中庭の中央。そこに、黒髪の騎士が立っていた。
昨日のエドヴァルドという騎士と全く同じ、白と赤を基調とした近衛騎士の装いに身を包んでいる。
グスタフ将軍はユンを引き連れ、作り物のように綺麗な姿勢で佇む彼の元へと歩み寄る。
「やあ、待たせて悪い、騎士長。知っていると思うが、彼女が勇者だ」
「ゆ、ユンですっ! よ、よろしくお願いしまっ、します!!」
ユンは慣れない衆人環視の下、緊張の面持ちで頭を下げる。
(あれ? この人、昨日どこかで会ったような……どこだったっけ?)
騎士長の端整な顔に既視感を覚えたユンだったが、状況が状況なのでその思考も一瞬にして霧散する。
ユンの紹介を受けた騎士長は、嫌味の無い態度で優雅に一礼を返した。
「王国騎士長、トリスタン・ボルヴです。伝説の勇者様とお会い出来るとは光栄です」
「こち、こちらこそ!?」
初めて剣を握るという事実に、周囲の視線。そして物語に聞く騎士、その最高峰との対峙という非現実的な状況に、ユンの緊張は最高潮にまで達していた。
カクカクと頭を下げるユンに、グスタフ将軍が苦笑する。
「一応もう1人、戦士長というのもいるんだがね。そっちは今日は都合が付かなかったので、先に騎士長にお願いした」
「勇者様、今日は剣の握り方や素振り程度しか行いません。ですので、もう少し肩の力をお抜きになって大丈夫です」
「は、はいっ」
そうは言われても視線が減る訳ではない。いきなり実戦とならなかった事については安心したユンだが、やはり見物客たちは気になる。これほどの視線に晒される機会など、ユンの人生には無かったのだ。
「勇者様、なぜこの訓練を中庭で行うのか、分かりますか?」
「え?」
ユンが状況に気後れしているのを見抜いたのか、騎士長はそう口にした。
「それは、『人に見られる』という事に慣れて頂く為です。勇者様はこれから、もっと多くの注目を集める舞台にも立たれることでしょう。それに戦いの場において、目の前の相手から注意を逸らすのは厳禁です。ですから勇者様には、ここで剣の腕を磨きつつ、精神力と集中力も、同時に鍛えて頂きます」
騎士長の目が細められる。そこから覗くのは真剣な瞳だ。
剣を握る前に、まずは心構えから正せという事らしい。
ユンは言われた通り、浮ついた心を正すべく、周囲を気にし過ぎないように努力した。
「――はいっ。よろしくお願いします!」
「……非常に良い返事です。ある程度集中も出来ています。――流石は聖剣が選んだ方ですね」
「え!? べ、別にそんな……。普通だと、思います……」
「返事はともかく、普通、集中の方は言われてすぐに出来る物ではありません。勇者様は、心が強い方のようですね」
「…………」
騎士長のその評価にはどうにも納得できないユンである。そもそも昨日、ジンという男に目が弱いと言われたばかりだ。
(それに夜なんて……いや、まあいいか)
納得できないまでも、話が進まないので一応頷いておく。心の中では首を傾げるばかりだが。
「では勇者様。私からは実戦において最も単純かつ有効な剣技である、『突き』を指南したいと思います。聖剣を抜いて下さい」
「は、はいっ」
騎士長が数歩離れ、腰に下げていた刺突剣を抜く。それを真似して、ユンも抱えていた聖剣を腰に装着し直し、見よう見まねで引き抜いた。
聖剣は女であるユンが扱うには若干長く、鞘から抜くのに少しの苦労を必要とした。
「わぁ……」
鞘から解き放たれた途端、淡い光が聖剣の刀身から溢れ出た。
白銀だった筈の刃が、根元から青白く変色していく。
ユンの戦意に反応した聖剣が、その膨大なる魔力によって刀身の素材であるミスリルを侵食しているのだ。
見ているだけで心まで洗われるような美しさに、ユンは思わず溜め息を漏らした。
「おお~」
後ろからグスタフ将軍の声も聞こえた。どうやらそのまま見物していくつもりらしい。
仕事しなくていいんだろうか。例えば仲間探しとか。ユンは聖剣から送られてくるグスタフ将軍の位置情報を感じながら思った。
「今その聖剣が取っている形態が、両手剣と呼ばれる、両手で持って振るのを前提として作られた形です」
「は、はい」
剣には両手で持つ物と片手で持つ物の違いがあるのだと、ユンは今初めて知った。
剣や武具という物に興味が無いため気付かなかったが、言われてみれば、騎士長の剣はその細さだけでなく、柄の長さも刀身の長さも、もっと短いように見える。……あれぐらいの剣なら、自分でも扱い易そうなのだが。
――――。
(えっ?)
「――今の状態でも、片手のみで持つ事は出来ますね?」
「え? あ、は、はい、大丈夫ですっ」
「騎士長、魔法銀製の剣だぞ? 誰が持っても軽いに決まっている」
「そうでしょうが、一応。勇者と言えど、女性ですので」
「……な、なるほど。流石は騎士だな。……私に足りないのはこういう所か……?」
みすりるってなんですか。とは聞けなかった。ユンはとりあえず頷いておく。
(すいません、ボクからしたら多分全部軽いです)
男2人のやりとりの裏で、この辺りの知らない知識は後でこっそり侍女長にでも聞いておこうとユンは画策する。
「では握り方から行きましょう。まずは手の甲を上に、人差し指と親指のみでこのように――」
騎士長に基本となる握り方、そして構え方も丁寧に教わり、想像上の仮想の敵、その目前へと聖剣を突き付けているような形になった。
「まずは私が見本を見せます。――フッ!」
同じ構えを取った騎士長が、手本となる突きを繰り出す。
ユンに分かり易いようになのか、それは全力ではなく、ある程度ゆっくりとした速度だ。
しかしユンは、元々異常な動体視力を有している。その相乗効果なのか、ユンには体の動き、筋肉のしなり、力を伝える順番が、手に取るように把握出来たような気がした。それはまるで剣先までが体の一部であるかのような、流れるような綺麗な動きだ。
そしてそれだけではなく……。
(……速く見える?)
騎士長の動きは、目で追い辛い。
目の錯覚か、まるで実際の速度より、遥かに速く動いたかのように見えたのだ。
これが本気の突きであったなら、自分は反応出来なかったかもしれない。
「大切なのは、『型』です。先人たちの努力により最適化された、『動作の極致』。無駄の無い動きは、それだけで速度に繋がります」
騎士長はユンに振り向きそう説明する。
型という物は長い年月をかけ、代々受け継がれて来た物だ。それ故に、無駄という物が削ぎ落されているのだろう。
2の動作を1の手間で行う、その無駄の無さ。
それこそが、剣の速度を生む秘訣だという意味だろうか。
「まずは今日の教えをよく覚え、そして普段から、なるべく素振りをするようにして下さい。同じ動きを、何度も、何度も、繰り返し。そうして得た動きの綺麗さこそが、その剣士の速度となります」
「は、はい!」
「では勇者様も突きをしてみましょう。まずは真似をしてみて下さい」
「えっ……えと……」
ユンはもう一度構え直し、騎士長に修正して貰いながら先程の姿勢を作る。
「では、どうぞ」
「は、はい。――えい!!」
先程の騎士長の動きを模倣し、聖剣を前へと突き出す。
剣という物を初めて振ったユンは、的が用意されていない為に感じる手応えの無さに首を傾げた。
これで良かったのだろうか。そう騎士長を振り返り――
――その時。
不思議な事が、起こった。
――――。
「え? ――うひゃあ!?」
手の中の聖剣が、突然動き出したのだ。
思わず手を離すユン。落下した聖剣は地面に突き刺さったが、あまりの切れ味に触れた地面を自重で切り裂き、そのままストンと横に倒れて転がった。
ユンの手を離れてなお独りでにウネウネと動き続ける聖剣の様子は、海辺の住人であればタコやイカのような軟体動物を想起したかもしれない。更には腰に下げた鞘まで動き始め、ユンはその感触に鳥肌を立てる。
「わ! わ! な、何!? 何何何!? 気持ち悪っ!?」
「おお……!!」
「…………!」
その異変に、グスタフ将軍と騎士長も目を見開く。
パニックに陥り鞘の取り外しに失敗し続けるユンだったが、そんな事をしている数秒の内に、異変は治まりを見せ始めた。
そしてその動きが完全に落ち着いた頃、地面に転がっていた聖剣は――
「えっ……!! か、形が……!?」
――その姿を、すっかり様変わりさせていた。
先程まで大の男が持つような大きさの、両刃の剣だったと言うのに……今地面に転がっているその姿は、長さが2割ほど短くなり、そしてその刀身に至っては細長い針のような形へと変わり、刃を失っていた。
「おお!! 凄い! 本当に形が変わるのか! 近くで野次馬した甲斐があった!!」
状況に付いて行けないユンとは対照的に、特等席でそれが見れたグスタフ将軍は大喜びだ。
目を輝かせて聖剣を拾い、騎士長と共に観察する。
「ううむ……なるほど……。形は変わっても体積は変わらない訳か……」
「刃が細身になった代わりに鍔が広がり、護拳も追加されていますね……」
「え? え?」
「勇者様はお聞きになった事がありませんか。聖剣は持ち主に合わせ、その姿を変えるという伝承があるのです」
聖剣の伝説は有名ではあるが、広く知られているのはあくまで「世界の滅びに勇者が現れる」という部分のみで、詳しい内容にまで知識のある者はごく稀だ。せいぜい「聖剣はドワーフとエルフが作った」とか、「勇者はそのどれもが不屈だった」とか。一般人が知っているのはその程度だろう。
彼らを含む王宮の人々は書物が残っている分、ユンたち平民よりも聖剣について詳しいのかもしれない。
「魔法使いが持つと、ちゃんと杖の形になるらしいぞ」
「え? 勇者には魔法使いの人もいたんですか?」
「ああ。2代前がそうだったらしい。魔法の力もちゃんと上がるんだそうだ」
「へ、へえ~……」
グスタフ将軍がユンに聖剣を返しながら説明する。
便宜上聖剣と呼ばれているが、実際には物理と魔法両方をこなせる複合武器であるという事らしい。
「今のこの形は刺突剣だな。やはり突きをしたからかな?」
「そうなのでしょう。長さも勇者様の体格に合わせて短くなっているようですし、持ち主の戦い方に合わせてくれるのかもしれません」
この聖剣は自分の戦い方に合わせて姿を変えてくれるのだと言う。
聖剣から流れてくるあの感覚の件と言い、まるで意志があるかのようだ。
「それに、今のは実に良い突きだったな」
「ええ、確かに」
グスタフ将軍の言葉に、騎士長も頷いた。
「……え?」
「やはりやるではないか、ユン殿。今の突きは私より速いぐらいだったぞ」
「型の方はともかく、速度については既に一級のようですね。流石は聖剣に選ばれた勇者様です。尋常ではありません」
どうやらこの体の化け物具合は、鍛える前から『しょうぐん』程度は超えてしまっているらしい。
頭1つ分以上背が高く、遥かに体の大きなグスタフ将軍より、自分の方が強い……。正直、微妙な気分だった。
「ああ、勇者様。そういえば、他に聖剣を持ってから変わった事などはありますか?」
「え……変わった事……ですか?」
「はい」
聖剣を持ってから変わった事。
要するに、昨日あたりからの事だろうか――。
「――あ! は、はいっ、実は聖剣が変なんです!」
ユンはこれ幸いと、聖剣から流れ込んでくる謎の感覚について、2人に相談してみる事にした。
「変?」
「は、はい。なんか、たまに喋ってくるというか……」
「喋る!?」
ユンの言葉に、グスタフ将軍が眉を吊り上げて驚いた。騎士長もそんな伝承に心当たりが無いのか眉を寄せている。
さすがに剣が喋るというのは荒唐無稽過ぎたらしい。ユンはより実情に近い説明が出来ないかと頭を働かせる。
「あ、いや、違くて! しゃ、喋るっていうか……なんか、伝えてくる、というか……」
「あ、ああ、そういう事か……ふむ。その伝えてくるというのは、例えばどういう感じなんだ?」
「えと……なんか、悪い人がいると教えてくれるっていうか……あと、見てない場所に何があるのか、なんとなく分かったり……」
ユンの説明で何かに納得したのか、グスタフ将軍は腕を組んで頷いた。
「私もしばらく所持していたが……そんな事は無かったな。変形の方もそうだが。
私になく、ユン殿にあったという事は……それも聖剣の『真の力』の一つという事なのだろう。話を聞いた限り、恐らく伝承にも残っている力の一つ、『敵を教える力』の事だと思うんだが」
「そのようですね」
「敵を教える力……」
ユンは右手の中の聖剣を見る。
やはり、あれは自分に迫る危険を教えてくれていたのか。
「見てない場所の事が分かると言っていたが、それは背後の事も分かるのか?」
「は、はい」
「うーむ、それは良いな。魔法使いの探知の魔法が常に発動しているような物か」
「実戦での生存率が跳ね上がりそうですね」
2人が怖い話をする。
戦場では、後ろから攻撃される事もあるのか。……恐ろしい場所だ。
(なんでそんな怖い思いまでして、戦争なんてしなくちゃいけないんだろう?)
「――む。少々話が長くなってしまったな」
グスタフ将軍が周囲の観客たちに気付き、今の状況を思い出した。
「今は剣の時間だ。その辺の話は勉学の時間にやればいいだろう。騎士長は忙しい身だしな」
「いえ。自分が扱う武器についての知識ですから。どれも勇者様には必要な知識ですので、お気になさらず」
騎士長は嫌味の無い態度でそれを受け入れる。
まだ出会ったばかりで何を知っているでもないが、まさに物語に聞く騎士、その物のような人物だとユンは思う。
(そういえば……昨日の騎士様も、本当は良い人だったりするのかな……)
あのエドヴァルドという騎士は、「騎士の仕事は遊びではない」と言っていた。
きっと、騎士である事に誇りを持っているのだろう。
「すまんな。……私もいい加減仕事に戻るか。騎士長、ユン殿をよろしく頼む」
「はい」
その場を去るグスタフ将軍に、騎士長が礼儀正しく一礼する。そしてユンに向き直った。剣術指南の再開だ。
「では勇者様。まずは突きの素振りを重点的に行いましょう。突きにも色々な型がありますが、まずは基本となる物をいくつか覚えて頂きます」
「は、はい!」
そうしてユンは2時間ほど、騎士長から剣の扱い方を教わった。
素振りをしながら、斬撃と突きの違いの説明を受ける。
「私が突きを教えているのは、実戦では『振る』より『突き』の方が有効だからです。理由はいくつかありますが――」
騎士長は、『突き』という物には数多くの利点があると説明する。
まず、速い事。
剣を振る為には、一旦振りかぶる動作がいる。だが、突きにはそれが無い。その分突きは出が速く、これは先手必勝が常である戦場においては大きな利点であるらしい。
また、速いという事は、それだけ手数が増えるという事でもある。
状況によっては敵が剣を1度振る間に、こちらは2度突く事だって出来るだろう。
相手に剣を突き付ける構えは攻防一体であり隙は小さく、そのまま攻撃も出来れば、一度防御してから反撃に転じる事も容易い。この隙の無さはそのまま相手の行動を制限する牽制にもなる。
その他屋内などの狭い場所での戦い、または乱戦の状態でも突きは有効だ。振りかぶらないので使用場所を制限されにくいのである。
そもそも、戦場では敵は鎧を纏っているものだ。そのため斬撃は効かず、貫通力のある刺突武器にて突き殺すか、斬り伏せた敵に短剣でトドメを刺すのが基本となる。……しかし、これについては聖剣ならば無視して鎧ごと叩き斬れる可能性があるので、ユンに限ってはいらぬ懸念かもしれないとも。
「そして最後に、致命傷を与えやすい事でしょうか」
突きは遠心力を得られない分、攻撃力に劣る。だが急所を狙う事で、その威力は逆転するのだそうだ。
「ただし、急所を的確に狙うには、かなりの腕を必要とします。こればかりは実戦を繰り返して培うしかありません」
「…………」
自分もいつか、この剣で命を奪う日が来るのだろうか。
そう思うと、ユンには羽のように軽い筈の聖剣が、岩のように重く感じられた。
騎士長による戦闘指南――今回は初日という事もあってほとんど剣術のみの指南となったが、それは先述した通り、ほんの2時間ほどであった。というのも、指南を担当した騎士長は多忙であり、その上ユンが大幅な寝坊をしでかした為に、騎士長の方の制限時間がやって来たのだ。
もちろんユンと言えども、2時間程度の修行とも言えないような物で実力がメキメキ上がるような事は無い。ただその元々の実力、つまりは身体能力が馬鹿高い為に周りは褒めたが、現状で騎士長と戦えば敗北するのはユンの方だろう。それも最初の一撃でだ。修練が予想外に短かった事もあり、ユンは本当にこれでいいのかと内心首を傾げていた。
騎士長が去り、中庭に1人取り残される事になったユンはこれからどうすればいいのかと途方に暮れかけたが、出来る侍女長が間髪入れずにユンに声をかけてくれる。もしかしたらこの2時間、観客たちに紛れてずっと控えていたのかもしれない。
「勇者様、ここからは勉学の時間となっております」
「『べんがく』、ですか?」
「はい。机のある部屋にご案内致します」
「? は、はい」
意味も分からず侍女長の後について行くと、予備の執務室の1つなのか、机と椅子が置かれた部屋へと通された。広めの机の上には羽ペンと羊皮紙も用意されている。そしてその他に、ユンたちを待ち構えていたらしい執事が1人と、昨日のルーチェと同じ服装の年老いた宮廷魔法使いが1人。
侍女長とその2人に促され、ユンは机ではなく、部屋の中央に立たされる。なぜか3人に監視されるような格好だ。
「え、えーっと……これは……?」
「はい。ここから晩餐までは勉学の時間となっております。やる事は色々とありますが、勇者様はこれから高貴な方々と接する機会が増える事でしょうし、まずは作法から優先して覚える必要があるかと」
「わたくしもお世話させて頂きます」
「儂もお力添え致しますぞ」
「…………」
ユンは状況を正しく理解した。
――これから始まるのは、拷問だ。
それも、半日にも及ぶ……。
という訳で、ユンはここから3人掛かりで徹底的にしごかれた。
この平均年齢の異様に高い3人は騎士長などよりよほどスパルタで、ユンの一挙手一投足を前後から監視しつつ、何回も礼や跪く練習、敬礼の練習をさせたり、正しい言葉遣いで話せるようにと、王宮での様々な日常会話を繰り返し口に出させた。それも場面によって男の場合と女の場合で作法は微妙に違うらしく、その違いまで叩き込む程の徹底ぶりだ。
宮廷魔法使いが言うには勇者にとっての最優先事項は戦闘能力の向上だが、次に優先なのがこの作法についてだという。
だがしかし、この時点で勉強開始から既に2時間という時間が経っている。更にそこからは机に移り、文字まで教わる事になった。明らかに最優先である筈の修練より長い時間拘束されている。
ユンはひーひー言いながら羽ペンを動かす。「『あ』、『あ』、『あ』」と教わった読み方を口しながら、繰り返し同じ文字を書く。
この文字の学習については優先度が低い上に全て覚えるだけの『時間』も無い為、必要最低限で済ますという話だった。そういう意味では『作法が優先』なのは本当なのだろう。
時間が無い、というのはユンが実力を身に付け、グスタフ将軍が新たな仲間を都合すれば、その時点で『勇者』はすぐにでも魔族との戦いに投入される事になるからだ。そしてその猶予はせいぜい一月という所だろう。
世界はこうしている間にも魔族によって確実に蹂躙されており、それと戦う事が勇者の役目であるならば、その勇者をいかに早く一人前に仕上げるかは王国の役目であるのだ。
そのような事情により、逆に馬鹿になってしまいそうな勢いで知識を詰め込まれているユンは、基本となる文字を習い終え、続いて単語の学習へと移行していた。
(あれ?)
この現地世界で『I(自分)』を表す単語を習ったユンは、首を傾げた。それは、読み方が『わたし』だったからだ。
「あの、『ぼく』じゃないんですか?」
「勇者様がお使いになっている『僕』というのは、本来は男性が自分を丁寧に表す場合に使う言葉です。『僕』を使う女性は市井ではあまり珍しくありませんが、少なくとも王宮内や公の席では『私』を使った方が無難でしょう」
(ええっ、そうなの!?)
ユンは16年越しの事実に衝撃を受ける。と言っても自分が間違っていた事に衝撃を受けたのではなく、世間一般に普通だと思われている事が、実は間違いだったと知った驚きだ。マイナーな雑学に驚くような物である。一般人からすれば、「少ないけど普通」。それぐらい自分を『ぼく』と呼ぶ女は珍しくない存在だ。
(でもそっか……それじゃあ『わたし』を使った方がいいのかな?)
ユンは羊皮紙の自分の文字を見つめ、少しだけ考えたが――やめた。
――遠く置いて来た、故郷の姿が浮かんだのだ。
ユンは窓から外を眺める。
一人称を変えるのは……どこか、名を捨てるような寂しさがあった。
「……あの、『ぼく』っていうのはどう書くんですか?」
ユンは侍女長から、これまで音でしか知らなかったそれを教わる。
――『僕』。
それはユンの世界が、1歩広がった瞬間だった。
救いの主であるグスタフ将軍がやって来たのは、その勉強会が始まってから4時間も経っての事だった。
「お、頑張ってるな」
「グスタフさん!」
ユンは疲れ果てていた。
人生初めての勉強が、教師3人に常に監視された上で仲間もおらず、その上休憩も1度も無いとくれば当然だろう。
とにかくこの3人以外の顔が見たかった。というかこの部屋から出たかった。
その点、グスタフ将軍はうってつけだ。何しろ彼と強制連行という言葉の意味はユンの中では同じだからだ。
「さあ、ユン殿。ここからは私が教師を務めるぞ」
「うぎゃあああああああ」
ユンの希望は見慣れた良い笑顔に打ち砕かれた。
教師役として侍女長や執事ではなく、わざわざグスタフ将軍が出て来たのには至極単純な理由があった。
ここから始まる授業が、軍事や政治などの『専門的な話』だからだ。
常識や技術についてはその道のプロフェッショナルである侍女長たちが面倒を見て、身分が無ければ知る事も出来ないような知識については国の重鎮であるグスタフ将軍が責任を負った上で教授する。
これは普通に考えて平民が受けられるような待遇の教育では無いのだが、今のユンからすればひたすらに余計なお世話である。
「ふふ、さすがに疲れているようだな。では本格的に始める前に、まずはそちらの要望に沿って進めようか。ここで2日を過ごした訳だが、何か新しく聞きたい事は出来たか?」
先程の2人と比べると随分と緩い授業展開に、ユンは机の向かいに座るグスタフ将軍を見る。ちなみに彼の分の椅子は侍女長が交代する際に用意してくれた物だ。
彼のその問いに、ユンはとりあえず今日の出来事を思い出してみる。目の前の彼と合わせ、最初に思い出したのは聖剣が変形した件だった。
「……あ。じゃあ昼間のあれの他に、聖剣についてので……伝承? とかってあるんですか?」
「む……いや、他の事は私も知らないな。ハーゲン殿に聞けば、もっと詳しい話も分かるかもしれんが……」
「ハーゲン……ルーチェ様が?」
「ああ、何しろ彼女はこの王国の『魔法使い長』だからな。知識や研究という面での専門家……いや。その中でも、賢者を除けば最高の位置にいる人物さ。まあ国で一番偉い学者とでも言えばいいのかな」
「そ、そんなに凄い人だったんですか!?」
たしか自分と同い年ぐらいだった気がするのだが。あの馬車に乗った日以来、ユンは国で一番とか千年に一人とかいう肩書きしか耳にしていない気がした。
「うむ、しかもそっちはあくまで副次的な物に過ぎず、本当の価値はその魔法の実力の方にあるというのだから……まさに天が二物を与えたような存在だな」
「へぇ~……」
「しかも彼女は光の魔法まで扱えるんだぞ。だからこそ今回、是非とも君の仲間にと思ったんだが……」
「……?」
光の魔法ってなんだろう。
ユンは例の光の魔具に関係した魔法だろうかと考察する。夜でも明るく出来る魔法とかだろうか。たしかにそれはこの世界においては非常に便利だ。燃料代もかからないし。
キョトンとしていると、そのユンの様子を見て、グスタフ将軍が首を傾げた。
「む? 分からないか? 光の魔法というのは、神官が使う癒しの魔法の事だ」
「…………ええええ!?」
それがどれだけ凄い事なのか、ユンはその言葉でやっと理解できた。
(ルーチェ様、なんて凄い人なんだ……!)
「――ルーチェ様って、神官様なんですか!?」
「いやいやいや、違う違う」
「あれっ?」
違ったらしい。
神官の癒しの魔法が使えるのに、神官でないとはどういう訳か。
ちなみにユンは神官になる事で光魔法が使えるようになると思い込んでいるが、実際には光魔法を使える者が神官になれるのである。
「うーむ、そこからなのか……。……いや、まあとにかく、彼女は神官と同じく癒しの魔法が使える魔法使いなんだ。その上他の魔法にも軒並み長けているから、たった1人で攻撃も防御も補助も出来る。知識は折り紙つきで、権力も同じく。そして生まれは伯爵家と来た。およそどんな場面でも助けになってくれるのは間違いない。勇者の一向に加わるのに、これほど相応しい者は他にいないだろう?」
「は、はあ」
要するに、万能である事が重要らしいとユンは理解する。
(ルーチェ様は国で一番強い魔法使い様で、一番偉い学者様で、そして神官様でもある。うーん、確かに何でも出来る人だ。天才っていう奴なんだろうか)
「と、とにかく凄い人なんですね。……えっと、グスタフさんと、どっちが偉いんですか?」
これは昨日から気になっていた事だ。
どうもこれまでの様子を見るに、この『しょうぐん』とかいう人物は、騎士の中で最高の地位にいる筈の騎士長よりも、更に高い地位にいるらしい。
だが昨日、件の魔法使い長とやらは、その『しょうぐん』よりも更に偉そうにしていたのだ。
「あー……それはちょっと、難しい話でな……」
グスタフ将軍は苦笑しながら、ポリポリと頬を掻いた。
「役職的には、将軍である私の方が上だ。だが……彼女とは、部署が違う。ハーゲン殿は私や騎士長のような『軍』側の人間ではなく、『宮廷魔法使い』の1人だ。彼女たちは戦いの為ではなく、基本的に、その能力を使って国内の学問や技術力を高める為に存在している。私たちが『外』に向いた力だとするのなら、彼女たちは『内』に向いた力である訳だ。私たちからの要請を受けて戦場に出る事もあるが……それはあくまで『協力』であって、私の指揮下に入る訳ではない。……言ってしまえば、実質的に権力が対等なんだよ。どちらも別々の部署の頂点なんだ」
「は、はあ」
ユンには最後の「対等」だけが分かった。
とりあえず頷いておく。つまり、対等という事なのだろう。うん。
「ついでに向こうの方が実力でも上だからなぁ。私なんて、今回みたいな命をなぜか頻繁に受けるせいで、一部では『雑用将軍』なんて言われているし……。まあ、彼女の私への態度はそういう諸々が原因だ」
グスタフ将軍は雑用将軍などと呼ばれているらしい。
確かに、今まさに家庭教師などしているこの状況を思えば、これほど相応しい二つ名もあるまい。
「他にはどうだ?」
「……あの」
ユンは少し考え、もう1つ気になっている事を、恐る恐る質問した。
それはユンが今日、剣を扱い、戦いという物の一端に触れたからこそ抱いたもの。怖い物見たさにも似た、好奇心だった。
「――飛竜って、どれぐらい強いんですか?」
自分が戦う事になる『魔族』とやらは、飛竜より強いという話だった。
ではその飛竜というのは、実際にはどれぐらいの存在なのか。
この一月旅路を共にした百人の護衛たちがいれば、追い返せるという話だった筈なのだが。
「…………」
なぜか、それを聞いたグスタフ将軍は黙った。
珍しく表情を消した彼は、考え事でもしているのか、椅子から立ち上がり部屋を歩く。ユンからは離れて行く背中だけが見える。
「――飛竜は、強い。何しろ竜種はこの世界の魔物で最強の種族。そして飛竜はその中でも無事に巣立ちを果たした成体だ。鱗は鍛えた鉄のように固く、牙は魔法銀の盾すら貫き、筋力は帝国の巨獣、象を引き千切る。その上でなお空を飛び、炎の息吹きまで有している。私の管轄である正規兵が相手をする事は滅多にないが、傭兵だったら上位傭兵団が数組がかりで協力して……それか昨日のシャルムンク殿のような、最上位傭兵に依頼が来るような域だと聞く」
部屋に備え付けられた大きな暖炉まで辿り着いた彼は、その上に飾られた見事な竜の置物を撫でながら解説する。
聞けば聞くほどに恐ろしい存在だ。物語の題材として好んで描かれるのも納得できる。
しかし――それは前座にしか過ぎなかった。
「……君が生まれるより、少し前になるのだろうか。王国の北、ミキシニア連邦という国に、その飛竜の成れの果て――成竜という、化け物が出た事があった」
ポツリと。グスタフ将軍は昔語りを始める。
窓から覗く、赤みを帯びてきた空に向けられた目は……当時を思い出しているのか、細められている。
「ミキシニアは軍事力に優れた、優秀かつ独特な国でね。強力無比な正規軍を、傭兵として他国に貸し出す事で国を運営している」
ミキシニアという名はユンも聞いた事があった。現在のように帝国が台頭してくる前。かつてはこの王国にとって、最も脅威となりうる存在だと警戒されていた国だった筈だ。
話を聞いた感じだと、要するに国を挙げて傭兵をしているような物だろうか。
「成竜が現れたのは、運の悪い事に、その戦力の多くが他国に出払っている時だった。……成竜は竜種の中でも極めて強力な物でね。あれはまさしく、滅亡の危機という奴だった。このライゼルファルムを含めて各国が救援要請を受けたが……誰もが援軍到着までのミキシニア消滅を信じて疑わなかった。
――そこに現れたのが、ガイゼル将軍という傑物だ。
成竜は魔物の中でも化け物だったが、彼は将としてもっと化け物だった。最終的に彼はたった2千人という人数でその成竜を討ち取り、今では実質的な竜殺しとして語り継がれている」
(に、2千人?)
ユンにはよく分からない規模になってきた。
たった1体の魔物に、それだけの兵士が必要だったというのだろうか。
「将軍……っていう事は、グスタフさんと同じ?」
「いやいや。まあ肩書きでは同じかもしれないがな……。彼と私を比べるなんて、もはや失礼の域だよ。私なんて、この王国内だけで見ても最下位だからな」
グスタフ将軍は少しだけ自嘲するように笑い、話を続ける。――絶望的な、その話を。
「さて、話は戻るが……。……災厄の化身、成竜。それを討伐するのに必要だとされていた、本来の人数は―――最低、1万」
「――えっ?」
「普通、各国の保有する軍事戦力は数千から数万程度。一国の軍――その全てが必要だったのだ。たった1体の魔物に」
「…………」
「だが――この話の本題は、ここからだ」
グスタフ将軍が振り向く。
ユンを射抜いたその瞳には、普段の気さくな物ではなく……一国の軍事を代表する、将軍としての光がある。
「君が戦う事になる、魔族。
―――この中に、あの忌まわしき成竜と、『同規模の化け物』が紛れている。……それも、複数」
「――――」
「分かるか――君は、強くならなければいけない。世界の危機を、止められるぐらいにね」
――そう。
この日、ユンは自分が置かれた状況を、やっと正しく理解したのだ。
どうやら自分は――想像以上に、最悪の事態に巻き込まれてしまったようだと。