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47 勇者-1

2017.6.2

ユンが勇者になるまでの話です。

お待たせして申し訳ありませんでした。活動報告にも書きましたが、ここからはクオリティより更新速度を優先し、後で修正を入れて行く形に変更します。


2017.6.21

『グスタフ将軍の腕に紐が巻かれている』という書き忘れていた描写を追加。(すいません)




 1人の少女がいた。


 少女は馬車に乗っている。1体につき金貨10枚は下らないであろう馬型の岩の魔人形(ロックゴーレム)たちが引く、目を見張るほど豪華な馬車だ。

 向かいの席には屈強な肉体を持つ歴戦の兵士のような男が座っているが、馬車が大き過ぎるために室内は広く、圧迫感のような物は感じられない。……逆にその事実が、少女を小動物のように縮こませているのだが。

 その上、目の前の男は少女とは身分があまりに違い過ぎた。アクセサリーなのか、左の手首にカラフルな紐を何本も結んだその男は、長旅の最中であるのにヒゲは綺麗に整えられており、その煌びやかな服装なども合わさり格好だけ見れば貴族のようでもある。

 自分のような者が本当にこの空間に存在していいのか、少女はいまだに半信半疑であった。


「――さて。何か質問などはあるかな。君はもう既に、この王国で……いや、この大陸で一番大切な存在となっているのだ。将軍とは言っても、4人中4番目という一番の下っ端である私ごときに遠慮はいらないから、知りたい事があれば何でも尋ねて良いのだよ」


 気安い冗談と共に朗らかな笑顔を浮かべた男は、少女にそう問いかける。

 少女は目を彷徨わせてから、おずおずと口を開いた。


「えっと……じゃあ、『王都』って場所まで、どれぐらいですか?」


 少女が聞きたい事は山ほどあったが、少し考え、まずは当たり障りの無い話題から触れる事にした。王都というのはこの馬車の最終的な目的地である。

 この世界は情報の伝達手段が限られている上、少女は自分の生まれた村から出た事が無かった。王都――すなわち自らの国の首都が、どこにあるのかすらも知らないのだ。


「うむ、まあここからだと、半月と少し……長くて一月はかかるだろうな」


「え!? そ、そんなに……?」


「ふふ、なに、これでも運が良かった方さ。王国領の果てまで探しに行くことになっていれば、半年ぐらいかかっただろうからな。往復する私達などは、そうなれば1年を超える旅だ。……まあ現状そんな時間は無いから、もう少し探して見つからなければ翼竜(ワイバーン)に乗り換えるつもりだったがね」


「へ、へぇ~……」


 ――世界というのは、どれだけ広いのだろうか。

 岩の魔人形(ロックゴーレム)の馬車は馬を休ませる必要もなければ、力も強い。普通の馬車で移動するより遥かに早く移動できるという話だ。

 そんな休憩いらずのゴーレム馬車を使っても、半年かかってようやく『王都』から領土の端まで移動できるとは……。

 歩いて半々刻もかからず端から端まで横断できてしまう少女の村では、考えられない話である。


(世界って、広いんだなぁ……)


 少女は少しだけ好奇心を刺激される。

 どんな物があり、どんな景色があり、どんな人々が住んでいるのだろうか。


 馬車に備えられた小さな窓から外を見つめる。見覚えのある景色たちが、遠く過ぎ去っていく。

 少女は少しの間だけ目を瞑り、人生の全てを過ごした故郷の村へと、想いを馳せた―――。


(……ところで、『わいばーん』ってなんだろう……)















 冬の寒い日。

 その少女は名もなき家の、次女として生を受けた。


 彼女が生まれたのは人口たった百人にも満たない、とても小さな村だった。

 これといった特産品があるでもなく、ただただ田畑を耕し麦を税として納めるだけの、どこにでもある田舎村。

 長年子宝に恵まれなかった両親は、長女を出産した際、やっと子を授かれたと喜んだ。だが欲を言えば、女児より男児を授かりたかったのも事実ではある。何しろ跡継ぎがいない。

 だが奇跡的にも、僅か1年後に再び子供を授かった。


 ――男だったら、『ユーリ』という名前にしよう。


 そう期待を膨らませる2人の間に生まれたのが――その、少女だった。

 残念ながらまたも女児であったが、両親は2人の姉妹に平等に愛を注いで育てた。元々子供は諦めきっていたのだ。それを思えば、生まれて来てくれただけで十分だった。

 この小さな家に、自分たち以外の声がある。それは、どんなに幸せな事だろう。


 その納得と満足。それが、遠く神に届いたのだろうか。

 それ以来、夫婦の間に子供は1人も生まれなかった。


 ――きっと、それが一番の原因なのだろう。

 少女は自分の事を、『わたし』ではなく、『ぼく』と呼ぶように育った。


 別に男のフリをしようが、本当に男になれる訳でもない。それは本人も分かっていたが、それでもだ。

 本人自身、遥か遠く、もう思い出せない記憶だったが……それでも当時の少女は、子供なりに真剣に考えたのだろう。

 両親を、喜ばせたいと。

 自分は女の身で生まれて来たが、男として生きるのだと。


 ……もちろん、元々この世界において、女が自分の事を『僕』、または『俺』と呼ぶのが別段珍しい事ではなかったのもある。

 事実この村は勿論の事、それ以外の場所でも自分を『僕』と呼ぶ女はいくらでもいた。

 村というのは、そういう物だ。

 少女も後で知った事だが……狭い範囲で生きていると、そいう事はままあるらしい。


 要するに、都会の人間たちとは違い、彼らには教養という物が無いという……ただそれだけの話なのだ。


 停滞した小さな村と、父親、母親、そして姉。

 それが少女の『世界』の、全てだった。




---




 そうして、少女は成長した。


 背はスラリと伸び、男のように短かった髪も成人に合わせて伸ばし始めた。今は肩よりも長くなったぐらいだろうか。

 体に平均よりはっきりとした凹凸も出来、とある理由から平民の田舎娘にしては珍しく、肌には傷一つ無い。

 髪を伸ばすのがあまりにも遅く、周囲の目が変わってきたのは最近になってからだが……少女は控えめに言っても、美人と評される見た目に育った。

 欠点を挙げるとすれば、少々快活に過ぎる事と、平民らしくその身なりに飾りっ気が無い事ぐらいだろう。


 ――少女が生まれて、16年という月日が経っていた。


 慕っていた姉は来年に結婚が決まり、自身も1年前に既に成人した身ではあったが……未だ、独り身である。

 別に心の中身が男だからという訳ではない。16歳現在の少女は、身も心も普通に乙女となっていた。

 長年男の代わりにと思い生きてきた少女だったが、流石に胸が出て来た頃にはとっくに女としての自覚という物が生まれていたのである。

 ――ならば、なぜか。

 もし誰かにそう尋ねられれば、少女はこう返すだろう。


 どうでもいいから、と。


 はっきり言って……少女は『結婚』という物に、興味が無かった。

 少女にとって、一番大事な物は『今の家族』だ。

 それは村の男でも、新しい家族でもない。


 ――少女は今の生活が、ずっと続けばそれでよかった。


 それにもう1つ、『理由』があった。

 決して誰にも話せぬ、理由が。




---




「薪割りしてくるねー!」


「おーう」


 いつも通りの朝。

 少女は父親に一声かけてから、木斧を片手に家を出る。

 かつての名残で、この家での薪割りなどの力仕事の一部は、未だに少女の仕事だった。


「気を付けてね~」


 姉が大きな布地に刺繍をしながら、適当に返事をする。

 村の羊から毛を刈り取り織物とするか、たまの贅沢で行商人から麻布を買い取り、それを一面の刺繍で埋めて行く。

 美しく刺繍した生地を量産するのは、この村での結婚前の風習だった。いつかは夫に渡す事になる、結納の品の1つである。

 両親は畑仕事の準備。姉もギリギリまでは粘るだろうが、最終的にはそちらに移るだろう。

 他の3人は畑仕事に。少女は薪割りなどの力仕事に。

 それが彼女の家の、1日だ。

 



---




 少女には、秘密があった。


 最初に『それ』に気付いたのは、10歳になる少し前の事だ。

 少女は元から、歩き初めが早い赤ん坊だと言われていた。やがて家の外に出られるようになると、同じく親が畑に出ている暇な子供たちと顔を合わせるようになる。少女は姉にべったりとくっついていたので、体を使った遊びに興じる機会は少なかったが、たまにする駆けっこなどでは男の子顔負けの走りを見せ、一度も負けた事が無かった。

 この世界では子供といえども労働力だ。もう少し成長し指を器用に使えるようになってくると、子供ながら仕事が与えられる。とは言っても、家の中だけでやる、そして子供1人でも出来るような簡単な家事や雑用だ。

 姉はこの頃から既に手先が器用で、いつも1人で裁縫に励んでいた。当時から女の子らしかった姉に対し、少女の方は石臼で麦を挽いたりと力仕事を好む傾向にあった。

 少女は必死に『男の子』になろうとしていた事もあって、子供には持てないような物を運ぶ時でも人を呼ばず、いつでも1人で頑張った。

 なぜかそれで怒られる事も多かったが、最後には1人でよく頑張ったなと褒めてくれる両親が大好きだった。

 そしてある程度大きくなり、家の中だけでなく、畑仕事や薪割りのような大人の仕事を手伝うようになって、久しぶりに幼馴染たちと再会する。

 そして、気付くのだ。



 自分と同じ事の出来る子供が、1人もいないという事に。



 ……もしかしたら、少女が本当の意味で『世界』というものを認識したのは、その日だったのかもしれない。

 木々生い茂る裏山を(はやぶさ)のように駆ける事も、1人で石臼を持ち上げる事も、飛んで来た羽虫を容易く掴む事も……『普通』の子供には、出来はしない。

 それを知った時の少女の愕然とした気持ちは、恐らく誰にも理解できまい。

 頭の中には、「怪我するから次から大人を呼ぶんだぞ」と自分を叱った、困ったような顔の父親が浮かぶ。


 ――その時、既に足に石臼を落とした事のあった自分は、「石臼ぐらいで怪我なんてしない」と不思議に思ったのだった。


 少女は『世間』を知る事で、自分が『異常』である事を理解した。

 自分が男でもなく、女でもなく―――


 『化け物』と呼ばれる類いのモノである事に気付いたのは、その時だ。


 それ以来、少女は自らの『力』をひた隠しにしてきたのだ。

 これほど目立つ特徴が誰にもバレなかったのは、運が良かったとしか言いようがない。

 自分が積極的に体を使った遊びをしないで済む女であり、そして生まれたのが人目の少ないこの村でなければ絶対に起きなかった奇跡だろう。

 

 大き過ぎる秘密を抱える少女は、心のどこかで孤独だった。


 故に無意識の内、自分が女としての幸せを掴む事を諦めていたのかもしれない。

 小さな世界に生きる少女は、未だこの世界が広い事を知らなかった。




---




 少女が薪割りの帰りに鳥を獲って来たおかげで、その日の夕食は豪華だった。

 別に怪力を生かした訳ではない。仕掛けた罠にかかっていた物を、普通に持って帰っただけだ。

 ちなみに何という名の鳥なのかは誰も知らない。ただ羽の色などの見た目で区別するのみである。


「…………」


「ん~? なに? さっきからどうかした?」


 食後にせっせと刺繍をする姉を眺めていると、それが気になったのか、姉は優しく尋ねてきた。


「お姉ちゃんって、結婚しちゃうんだね……」


 結婚したら、姉は相手方の家に行くことになっている。そうなったらこの家も3人だ。

 生まれて以来、父、母、姉の3人はいつだって少女の側にいたが、その日常もあと少しで崩れ去ろうとしていた。


(……家族と会えなくなるって、どういう感じなんだろう)


 寂しいのだろうか。悲しいのだろうか。

 それとも、姉が幸せになれて良かったと、心から思えるのだろうか。


 少女は今更になって、しみじみとそう思ったのだ。

 だから姉を見ていた。


「そうよ~? あんたもちゃんと良い相手探しなさい」


「探せって言ったって、もう男の子いないじゃん。最後の1人をお姉ちゃんが取っちゃったんだから」


 通常、出産時の赤ん坊の性別比率は女児より男児の方が僅かに高い。

 人間というのはよく出来ているもので、少ない方の女児は割と丈夫で、多い方の男児は死亡率が高く、最終的には数のバランスが取れ同数になるようになっている。

 ――だが、この世界には癒しを司る光魔法という物が存在する。

 これにより様々な狂いが生じ、この世界の男女比率は女側が僅かに高い状態で固定されてしまっていた。

 結納品を女側である姉が用意しているのも、両親が男児を欲しがっていたのもそこに理由がある。男は競争率が高いのだ。

 家事が得意で少女と同じく見た目も良かった姉は、そんな激戦を潜り抜けたのである。


「馬鹿ね! 村にいないなら、村の外に出ればいいのよ。他の子達と一緒にゼルムスにでも行きなさい」


 ゼルムスというのは都市の名前で、周辺都市の中ではこの村に一番近い物だ。

 ただし近いと言っても、馬車で3日はかかる距離にある。もちろん隣村にすら出た事のない少女は、そのゼルムスですら名前しか知らない。

 「他の子達と一緒に」……という事は、自分と同じく競争に敗れた他の娘たちは、そうするつもりなのだろう。


「え~、やだよっ。みんなに会えなくなっちゃうじゃん!」


「……まったく。あんたはいつまで経っても子供なんだから」


 姉はそう苦笑すると、熱心に刺繍していた筈の布を脇に退かし、膝の上をポンポンと叩いた。


「ん」


「わーいっ」


 姉の許しを正式に得た少女は、堂々とその膝に飛び込む。

 小さい頃から、その膝は少女の特等席だった。

 頭を膝に乗せると、姉は優しくその頭を撫でた。


「……数は減ると思うけど……たまにだったら、こうしてあげられるかもね」


「……うん」


 姉の柔らかさと、頭を撫でる優しい温もりに挟まれ、目を瞑る。心地いい一時に、急速にまどろみに包まれる。

 そのままいつの間にか、少女は眠りに落ちていた。

 ――いつまでも、こんな日が続けばいいと。

 そう、思いながら。




---




 ――その翌日のよく晴れた日。『それ』は来た。



「あら? 何かしら……」


「え?」


 たまたま表に出ていた少女と姉は、北の街道からやってくる馬車の一団を発見した。


「な、なんか、凄くお金持ちっぽい馬車だね」


「ええ。それに数も凄い。……どこかの貴族様かしら」


 馬車の数は、下手をすれば20ぐらいあったかもしれない。

 白く塗られた車体は太陽の光を美しく跳ね返し、細かい造りなどからも、それがその他とは次元の違う価値を持つ事を匂わせた。

 姉の言う通り、どこかの大貴族か、大きな商団だろうか。

 そんな馬車が、徐々にこの村へと近づいてくる。


「あ、あれ? お、お姉ちゃん! あれ、馬じゃないよ!?」


「えっ?」


 少女の人並外れた視力が、それを捉える。

 20の馬車を引いていたのは――よく見れば馬ではなく、岩か石のような物で出来た、『馬型の何か』だったのだ。


「も、もしかして――魔物?」


「えっ!?」


 少女の不穏な発言に釣られ、姉が懸命に目を細める。しかしこの距離からでは馬の輪郭ぐらいしか分からない。

 だが……確かによく見れば、『脚の数』がおかしい気がする。その馬は、どうやら脚が4本ではなく、6本ほどあるように見えるのだ。

 ――魔物。

 この村の近辺には棲息していない為、2人はその実物をこれまでに見たことが無い。

 しかし噂によれば、それは熊や虎のような猛獣すらも圧倒するという、非常に危険な存在の筈だ。1体出ただけで、村が壊滅してしまったという話も珍しくない。


「……通り過ぎるまで中に入っておきましょう。なんだか気味が悪いわ……」


「う、うん……!」


 姉に手を引かれ、少女も家の中に避難する。魔物を飼い慣らすなんて酔狂な真似をするのは金持ちに違いない。

 少なくとも、自分達のような平民が関わるべき存在でないのは確かだ。


 しばらく家の中に引っ込んでいると、魔物の馬車たちは暴れることもなく、そのまま道を進んでいった。恐らくは、このまま村を横切って行くのだろう。家の前を横切るその速度は、普通の馬車より遥かに速いように思えた。


「……ふう、良かった。ただ通り道として通っただけみたいだねっ」


「そうね。じゃあ支度の続きをしましょ――」


 そう言いかけていた姉が、少女の後ろに目をやり突然顔を強張らせた。それは先程の馬車が通って行った方角だ。

 釣られてそちらに目を向けると――通り過ぎようとしていた筈の馬車たちが、しばらく行った先で全て停車していた。


「えっ……」


 更にそこから3人ほどの、非常に高級そうな衣服に身を包んだ男たちが出て来る。

 その3人は全員が姉妹の父親ぐらいの歳の男で、その内の1人は一際大きな体格を持ち、『鞘に納められた剣』のような物を持っている。

 そして――。


「―――!」


「!?」


 その剣から発せられた、一筋の不思議な光。

 それが真っ直ぐに――『少女』を、指し示した。


「…………」


 男たちはそれを見て、少女たちの……いや、少女に向かって歩いて来る。


 ――嫌な予感がする。


 少女は正直言って逃げたかったが、相手が貴族かもしれないと思うと、失礼な態度は取れなかった。

 突然の窮地に何も出来ず立ち竦むだけの少女に構わず、男たちは迫ってくる。

 そして、少女の前までやって来ると、はっきりとこう言ったのだ。



「―――見つけましたぞ、()()殿!」



 その輝く不思議な剣を持った大柄の男は――そう言って、人の好い笑顔でニカッと笑った。


「……え?」




---




 このライゼルファルム王国において、最も権力を持つ存在――国王。

 その国王から直々の命を受け、旅をしていたのだというその男たちは――本当に、貴族であった。……いや。もしかしたら、その内の1人は下手な下級貴族より上の存在と言っていいだろう。


 グスタフ・ヨーグライル。


 『しょうぐん』と呼ばれる地位に就く者の1人だと名乗ったその男は、何よりも先に、まずは村長の家に少女とその家族を呼びつけた。

 少女たちは何がなんだか分からなかったが、とにかく事情を説明してくれるらしい。

 見事な衣服に身を包んだ男と、それを護衛するかのように佇む兵士たちを見て、遅れて入って来た両親たちが固まってしまっていた。


「も、申し訳ありません、碌なおもてなしも出来ませんで……」


 村長夫人が震える手で、来客用に用意していた安い茶の入った器を置く。木製のそれは随分年季が入っているが、それでもこのみすぼらしい家の中では一番マシな物だった。


「いやいや、かたじけない」


 グスタフ将軍はそれに不快感を表す事も無く、豪快に一口煽って見せた。村長夫妻が2人してほっとした表情を見せる。


「……ふう。それにしても、この村の人々は実に美しい服を着ているね」


 一息ついたグスタフ将軍が、面々を見渡してそう零す。

 事実、この村の衣服の質はその他に比べて高い。刺繍の精緻さなどに至っては売り物としても十分通用する部類である。無論、グスタフ将軍が現在身に着けている物には到底敵わないとしても。


「は、はあ。この村では、刺繍が女の仕事ですので……」


「なるほど、独特の文化だ」


 それはつまり、外界と隔絶され独自の文化が芽生えるほどのド田舎だという事なのだが、学の無い面々にはそれが分からない。彼らにとってはこれが『普通』である。

 だがグスタフ将軍の方にも悪意や嫌味のような物は一切無く、ただ単純に思った感想を口にしただけだ。彼はそこまで深く考えて喋るタイプではなかった。

 将軍がそんな事でいいのかという疑問については……王宮では今更過ぎて、もはや言わない約束になっている。末席とはいえ、なぜあいつが将軍なのか。グスタフ将軍とは大体そんな扱いの男である。

 グスタフ将軍は気楽に二口目の茶を啜り、口を開いた。


「――さてさて、失礼したね。まずは皆様方、わざわざ集まって貰い、申し訳ない」


「い、いえいえいえ!」


 平民である少女らに対し頭を下げようとするグスタフ将軍を、村長が慌てて止める。


「すまない。――改めて名乗っておこう。私は今回の件について、国王陛下から一切の責任を持つよう言い渡された者。王国正規軍第4軍将軍、グスタフ・ヨーグライルだ。よろしく頼む」


「しょ、将軍っ!?」


 少女たちと違い、今初めて相手がどういう立場の人間であるのかを知らされた両親が目を見開く。

 『しょうぐん』という役職を少女と姉は知らなかったが……先程家を貸して欲しいと書状を見せられた村長夫妻とその両親の反応から、とにかく雲の上の人物であるのだという事だけは分かった。


「しょ、将軍様が、うちの娘に何のご用で……?」


 父親が恐る恐るという風に伺うと、グスタフ将軍は一つ頷き、あの不思議な光を放つ剣を机の上に置いた。

 光はどういう仕組みなのか、相変わらず少女を指し示し続けている。


「うむ。その前に、ご主人と村長は、この王国に古くから伝わる『聖剣』の伝説を知っているだろうか」


 聖剣の伝説。

 そんな有名な物を、この王国の民が……いや、この大陸の人間が知らない訳がない。


 このライゼルファルムに代々伝わる、世界最高の至宝――『聖剣』。

 大昔に伝説的な山人族(ドワーフ)の工匠が、仲の悪い筈の森人族(エルフ)と協力して作り上げたという、世界最強の魔法の剣だ。

 世界が滅びるほどの災厄が訪れる時、選ばれし勇者はその聖剣を振るい戦うと言われている。

 どんな困難も必ず乗り越える勇者と聖剣が織り成す英雄譚は、吟遊詩人たちからすれば一番の飯の種だ。


「へ、へえ。もちろん知っておりますが……」


「これがその、聖剣だ」


「……………………え?」


 将軍の言葉に、その場にいた全員の視線が一点に集まる。

 未だ少女に向けて謎の光を照射する、一振りの剣。

 成人した男が両手で使うのにちょうど良さそうな長さと厚さの、その剣に。


「こ、これが!?」

「ええっ!?」


 少し遅れて、場が騒然となる。

 あの伝説の聖剣が、今自分たちの目の前にあるというのだ。それも仕方がないだろう。


 ――だが、少女だけはそんな周囲とは対照的に、冷や汗をかいていた。


 少女を指し示し続ける、『聖剣』と呼ばれたその剣。

 グスタフ将軍に先程面と向かって言われた言葉。


 頭の中に最悪の予想が浮かび、そしてそれは恐らく、これから実際に起こるのだろう。


「すまない、続けてもいいかな?」


「あっ、は、はい! 申し訳ありません!!」


 片手を軽く上げたグスタフ将軍に、慌てて皆が口を閉じた。


「今言ったように、この剣はかの聖剣だ。そしてその聖剣が()、そこの少女……ご主人の娘さんを指し示している。この意味が、分かるかな?」


「は? あの、それは……?」


 未だ理解できぬという顔の面々。

 それも仕方が無いかもしれない。少女は『秘密』を隠し通してきた。()()()()があるのは、少女自身だけなのだ。



「うむ……端的に言おう。――そこの君。ご主人の娘さんこそが……今代の『勇者』だ」



 ニヤリと笑ったグスタフ将軍が、少女の方をはっきりと見てそう言った。


「な……え……?」


 その意味を受け止めきれず、目を白黒とさせながら、父親が口を開く。


「で、ですが将軍様。うちの娘はごく普通の村娘でして……。とても勇者様だなんて、そんな大層な――」


「――本当に、そうかな?」


「!!」


 グスタフ将軍の目が、再び少女を射抜いた。

 ――この相手には、自分の秘密が見抜かれている。

 少女は一瞬にして冷や汗が増したようだった。


「君自身には、何か『心当たり』がないのかね?」


「え……あ……」


「例えば、そう。『魔法使いとそうでない者を見分けられる』とか……『()()()()()()()』とか……」


「――っ」


「ユン?」


 珍しく挙動不審な様子の少女に、家族たちも何かあるのを察してしまったようだった。

 少女に不安げな――疑わしげな眼を向け始める。


「……まあいいがね」


 何も発言しなかった少女だったが、グスタフ将軍のその瞳には強い確信の色が浮かんでいた。


「――残念だが、そもそも聖剣の選定は『絶対』なのだ。何しろ、判定しているのは聖剣であって、人間ではない。愚かな我々とは違い、間違いという物がそもそも起こり得ないのだ。周囲のこの反応を見るに、どうやら隠して生きてきたようだが……君が『特別な何か』を持っている事は確定している」


「…………」


 どうやら最初から、逃げ道なんて物は無かったらしい。

 ――そう、予感はしていたのだ。いつか、暴かれる日が来ると。


 自分は、人の中に生まれてしまった化け物。


 言うなれば羊の群れの中に、狼が紛れているようなものなのだから。

 バツが悪そうに頬を掻く少女に、村長と家族の視線が集まっている。


「――はぁ」


 少女はとうとう観念して、一番気になっている事を尋ねてみる事にした。


「えっと。……あの、選ばれた勇者は、どうなるんですか?」


 少女のその質問に、グスタフ将軍は一拍間を置いて口を開いた。


 ……そうして。

 少女の平民としての人生は……昔からの予感が正しかったとでも言わんばかりに、唐突に終わりを告げた。


「――戦って貰う」




---




「――1日。1日だけ、時間をあげよう。家族との別れを済ますといい。こちらとしても、急な話で悪いとは思うのだが……そもそもが王命であるし、いたずらに陛下をお待たせする訳にもいかない。それと少々急ぐ『理由』もある。とにかく明後日の朝、もう一度迎えに来る」


 それが、王都へと強制連行される事になった少女と、その家族に最後に告げられた説明だった。

 今回の件は王命であり、言わば徴兵のような物だ。この国に住まう民である少女たちにはそもそも拒否権が無く、その上村に報酬として支援金を出し、入植者まで都合してくれるとなっては喜んで差し出さざるを得ない。

 それに加えて1日という時間を与えられたのは、偏にグスタフ将軍の善良なる人柄故である。

 遥かに身分が下である自分たちにも対等に接する彼の姿勢に、少女たちも既にそれが優しさの類いである事を理解している。彼がそれ以上待てないと言うからには、本当にそれが限界の時間なのだろう。

 故に反論も起きず、本人を含め家族たちはただただ頷くばかりであった。

 それにこういった話は対して珍しい物でもない。平民が権力者の都合で動くのは世の常だ。それが嫌なら運良く貴族にでも生まれなかった自分を呪うしかない。


 ……ただし、この人選がグスタフ将軍の持つ温和な印象と、それにより予想される円滑な任務の遂行を考慮した物である事は、あの有能なる国王本人を知る者にしか分からないだろう。

 グスタフ将軍の行動、勇者の反応、そしてそれを取り巻く周囲との摩擦に至るまで、全ては国王の予想通りに動いていたのだ。


 かくして、少女の人生はその色を唐突に一変させた。

 これから待っているのは、ただ薪を割るでも、糸を紡ぐでもない、戦乱の道だと言う。

 少女はその事実に未だ現実味を感じる事が出来なかった。戦いなどと言われてもよく分からない。この平和な村には魔物どころか獣すら出ないのだ。

 家族には二度と会えないのか、それともたまになら会えるのか。ただそれだけが気がかりだった。


 最後に村長との野営の申し合わせを済ませたグスタフ将軍が、一足先に席を立つ。


「あ。ああ、それと――」


 去り際、何かを思い出したのか、その複雑な胸中からすっかり口数の少なくなった少女たちへと、グスタフ将軍が振り向いた。


「なんだか順番がおかしいが――勇者殿。君の名前を、聞かせてくれるかな」


「あ――」


 それを聞き、少女も自らが未だに1度も名乗っていない事に気付く。

 お互いそんな大切な事をここに至るまで忘れていたのは、どこか冷静さを失っていたのかもしれない。

 グスタフ将軍は勇者を見つけたという興奮から、少女は予想外の事態による困惑から。




「ボクは―――ユン。ユン、です」




 『ユン』。

 姓も何も無い、ただのユン。


 それが少女の――




 ―――後に、『歴代最強』とまで呼ばれる事になる、1人の勇者の名だった。





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