35 王都防衛戦
2016.10.27
―――ドゴオオオオオオオオオオオンッッッ!!!!!!
「きゃあ!?」
「な、何だ!?」
それから一月ほど経ったある日の午後。
レヴィアと廊下を歩いていると、唐突にその衝撃に襲われた。
窓の外から爆音が鳴り響き、地面は大きく揺れ、王宮全体がガタガタと軋みを上げる。
「危ない!!」
「きゃあ!!」
窓ガラスが割れ、その破片からレヴィアが私を咄嗟に庇った。
大異変はほんの一瞬の出来事だったが、その一瞬で王宮に及ぼされた被害は甚大だった。
見れば私達の近くの窓だけでなく、この廊下の全ての窓が割れてしまっているようだった。この様子だと、王宮中の全ての窓が同じ目に遭っているだろう。
飾ってあった絵画や焼き物も、そのほとんどが床に落ちてしまっている。
建物自体にもヒビが入っていておかしくはない。
しばらく呆然とレヴィアに縋り付いていたが、不意に彼女の手が私の手に添えられた。
「申し訳ありません、姫。状況を確認しなければ」
その通りだ。原因によっては避難する必要もあるかもしれない。
レヴィアの鍛えられた腕に引っ張り起こして貰い、割れた窓から先程の大きな音がした方に目を向ける。
王宮正面にある庭園の一部が、空高く伸びる炎に包まれていた。
「あれは……ハネット様?」
「そのようですが……これは一体……」
庭園にはよく目立つ白い影と、それを囲んで、たくさんの人間たちが椅子に座っている姿があった。
その白い影は見間違う筈も無くハネット様であり、周りにいるのはファルス様と戦士長様を含む、王宮の人間たちだ。
状況を把握するため観察していると、戦士長様とファルス様が、ハネット様へと頭を下げ始めた。どうやら必死に謝罪している様子だ。
「なっ!?」
「きゃっ!?」
ハネット様がこちらに手を向けたかと思うと、床に散らばったガラスや焼き物の破片が独りでに宙に浮いた。
それが時を巻き戻したかのように窓枠や台座の上に集まって行き、十も数える内に元の状態に完全に戻る。
このどこか幻想的な印象を覚える不思議な魔法は、間違いなくハネット様の物だ。
「ど、どういうことかしら……」
「…………もしかすると、牽制でしょうか」
「牽制?」
彼女の厳しい目線に釣られて庭園に目を向けると、王宮関係者たちは全員彼の前に跪いていた。
その姿は二者の関係性を如実に表している。
両者の間でなんらかのやり取りが成され、その結果としてハネット様がお怒りになり、魔法を使って不満を示したということだろうか?
「…………。姫、陛下に状況を報告した方が良いかもしれません。今頃会合が滅茶苦茶になっているでしょう」
「! そ、そうね、そうだわ」
私は日頃の鍛錬によりすぐ冷静さを取り戻したレヴィアに付き添われ、玉座の間へと急いだ。
途中、直った窓から先程の方角を見ると、ハネット様はすでにおらず、代わりにファルス様と戦士長様が大慌てで走って来ている所だった。
---
『王宮側と大魔法使いの間に認識の齟齬があった為に起きた、不幸な事故』
それが夕方頃、正式に発表された事の顛末だった。
また同時に、「既にお互いの関係は修復されており、今後このような事態が再度展開されることは無いので、安心して欲しい」という旨の声明も発表された。
「かなり不味い事態ね……」
「はい……」
それはあくまで、上層部の建前でしかない。
―――もしあの魔法が庭園ではなく、王城へと向けられていたら?
それに考えが及ばない者は少ないだろう。
ハネット様が言いたいのは、そういうこと。
―――あれはレヴィアが言った通り、王国側への『牽制』。
嫌でも多くの人間の目に入るよう大々的に行われた、武力による示威行為だったという訳だ。
あれほどの大爆発。恐らく城下町でも、王宮で何が起きたのかと噂になっていることだろう。
「大魔法使い、ハネット。……やはり、王国如きでは御しきれんか」
あの後報告を受けたお父様が、玉座の間で呟いた一言だ。
ほんの10年ほど前までは大陸一の強国であった我が国。
それを恐るるに足りぬと個人であしらってしまう彼は、一体どれほどの高みに到達した存在であると言うのか。
「あれが敵対も辞さない意向であることが確認された今、安易な依頼は出来なくなった。敵になる可能性が出た以上は、対策の為、その実力を知っておく必要もあるが……これは協議を重ねる必要があるな」
「お父様、例の作戦に参加するよう要請してみてはいかがですか?」
エステルお姉様がそう進言した。
例の作戦というのは、この間勇者様が帰って来た時に提案したという、『魔王城攻略作戦』のことだろう。
「いや、時間が少な過ぎる。あれは決行日まであと一月半も無い。それに帝国を含めた全同盟国との共同作戦であるのも不味い。転移の魔法や通話の魔法が使える彼の場合は意味の無い心配かもしれんが……引き抜かれる可能性は極力潰しておきたい。それぐらいなら、精鋭たちが出陣している間の防衛に回って貰う方が良いな」
魔王城攻略作戦は、その名を歴史に残すであろう大規模作戦だ。
それに参加させるのに準備期間が一月ほどしか無いというのは、相手からすれば印象として良くないだろう。
事実、この作戦を同盟国に提案した一月前の時点で既に、「急すぎる」と多くの苦言が寄せられていたのだ。
有事の際の防衛戦力として遊ばせておくというのは、『賢者様の件』と同じ話であろう。
「……それにしても、女は抱かないんじゃなかったのか? それほどに、そのハーフエルフは美しかったのか」
「ふむ……思い出すと確かに、見目麗しいエルフの中でも、更に頭一つ抜けていたような気がしますな。……それか、もしや彼は、エルフが趣味なのでは? エルフとのそもそもの出会いが、奴隷としてエルフを買ったと―――」
重臣たちがどれだけ話し合おうとも、答えが出ることは無い。
それはそうだ。何かを断じることが出来るほど、私たちは彼の情報を持ってはいないのだから。
王国と彼との関係は、まだ始まったばかり。
何もかもが、これから動き出すところであるのだ。
結局、私たちが選んだ手は……『放置』。
とりあえず、今回のような場合を想定し、少なくとも王国の守り手たる勇者様が王宮にいる状態でなければ、彼との接触は図るべきではない。
全ては、魔族が片付いてから。
本当に、よりにもよって、なぜこんな時期に彼は表舞台に出て来たのか。
そう頭を抱えていたファルス様の姿が、印象的だった。
―――この時は、それが最善の選択だと思っていたが。
結果から言えば、私達は彼を見誤っていたと言うのが正しいのだろう。
確かに途轍もない域に達した存在であることは分かっていた。
何しろあの救国の英雄、ニーナ・クラリカが師と仰ぐほどの人なのだから。
事実、彼は転移の魔法という伝説の魔法を当然のように扱い、空中から物を取り出し、王国魔法使い長であるルーチェ様に比肩する実力を持っていたであろうというハーフエルフを、赤子のように一蹴してみせた。
間違いなく大陸最強の魔法使いだ。
私達は彼を最上位の存在として認識していた。いや、それどころか、その想像を更に1段超えてくるぐらいの実力を持っている可能性もあると、想定していた。
だが―――そんな想定すら、彼からすれば過小評価も良い所であった。
彼の力は……私達に想定できるような次元には、無かったのだ。
◇
それは、約二月後。
初夏の雰囲気漂い始めた、ある日のことだった。
その夜、私はいつも通り、レヴィアに就寝の挨拶をしてから眠りについた。
扉の向こうでは、彼女と交代でやって来た、別の近衛騎士が控えていることだろう。
あの後、一連の騒ぎの原因となった戦士長様は、10日間の自宅謹慎処分を受けた。
戦士長様は王宮に仕える者としての職務を全うしただけであり、本来罪は無いのだが……しかしそれで片付けるには、あの一件は騒ぎが大きくなり過ぎた。
投獄などの正式な罰を与えるほどではないが、偶然居合わせて巻き込まれた者などの、関係者各所への体面を保つ必要もある。
扱いに困ったファルス様が出した落とし所が、それだったのだ。
もちろん本来なら、謹慎などでは多方から不満が上がる筈だが……王国の最高戦力の片割れである彼が、魔族の活動が活発になり勇者様も不在という今この時期に長期間席を外すというのは、字面以上に危険が大きい。
彼の失態を非難していた勢力も、王宮や王都内に暮らす自分たちの身に危険が及ぶとあっては、手の平を返さざるを得ない。冷静になった今考えれば、言うほどの失態では無かったのではないか、と。
かくしてファルス様は、戦士長様への罰を、たった10日の謹慎処分という軽い物に留めることに成功した。
あとはその10日間の内に本当に緊急事態が起きたりしないよう、祈って過ごすばかりである。
結果として、神にその祈りが通じたのか、特に何が起こる訳でもなく10日が過ぎ、それから更に半月が経って、精鋭組が魔王城へと出陣した。
いよいよ例の作戦が決行される日が来たのだ。
移動手段として馬車の何倍も早いワイバーンを貸与されている勇者様たちは、後からの合流だそうだが……予定通りに事が進んだのなら、7日前には魔王城への突撃は開始されている筈である。
今頃あの若き勇者は聖剣を手に、世界の命運を賭けた激戦へ身を投じているのだろう。
彼女が無事で帰って来ることを、再び神に祈ることとしよう。効果があるのは、戦士長様の件で確認済みだ。
一月近くも前に王都を発った精鋭たちだが、その中でも最精鋭たる戦士長様と騎士長様、そして衛兵長様のこの御三方は、逆に王都防衛のために居残られることとなった。
何しろ魔王城攻略作戦は、魔族の『大侵攻』の隙に手薄となった本陣を攻め落とすという、奇襲作戦であるのだ。
そしてそれが意味するのは、魔王城が手薄になっている現在、逆にそれ以外の……大陸各所に出現している魔族の数は、激増している筈だということ
『2年前』と同じく王都自体が魔族に襲撃される事態も想定し、あれ以来王都には勇者様無しでも十分と言えるだけの戦力が集められている。
戦士長様率いる王国戦士団が、本来の遠征任務を放棄してまで王宮に滞在しているのは、これが理由であるのだ。
実態の知れない魔王城の攻略には不安が残るものの、それ以外は万全の状態。
それが現在王宮内での、皆の共通意識だった。
―――が。
ゴオオオン……ゴオオオン……。
「―――……?」
外から鳴り響く鐘の音に目が覚める。
ほんの僅かにその鐘の音の意味を考え―――思い至った瞬間に、飛び起きた。
「……っ!?」
窓から見える空はまだ暗い。今は深夜か、朝方だろうか。
これが通常通りの刻限を告げる鐘ならば、朝の最初の鐘は5の刻の筈。夏が近い今、その時間帯に太陽が出ていないのはおかしい。
やはり、この鐘の音は……。
「エミリア様!! エミリア様!!」
ドンドンと扉が叩かれ、控えていたのであろう近衛の声が聞こえてくる。
私が返事をすると、すぐにその扉が開けられた。
「魔族の襲撃の可能性があります! すぐに避難を!!」
「は、はい!」
王都中に連続して鳴り響く、大鐘の音。
それは2年前……王都が魔族に襲撃されるという最悪の事件が起きた際に決定された、緊急事態を知らせる為の合図であった。
---
「姫様!」
「レヴィアっ」
騎士たちに護衛されながらお父様の下まで移動していると、その途中で戦時下の鎧姿に着替えたレヴィアがすぐに飛んで来た。その完全武装の姿は、未だ寝間着である私の姿と対照的だ。
これほどの短時間で戦闘準備を整えたのも、日頃の訓練の成果なのだろう。彼女は騎士長様には及ばないものの、幼くして王族のお付きに選ばれるぐらいには優秀なのだ。
玉座の間に入ると、忙しなく行きかう伝令官や重臣たちに囲まれ、お父様が指示を出していた。
「やはり魔族か。数は?」
「はッ! 目算では、およそ3千ほどとの報告です!」
「3千―――!?」
その伝令官の報告に、玉座の間が騒然とする。
「そ、想定の3倍だと……?」
魔族の軍隊は基本的に、1部隊につきおよそ千の兵で構成される。2年前の襲撃でもそうだった。
2部隊以上が共同して行動している例は確認されておらず、そのために今回王都の防衛戦力として残されたのも、不測の事態を備えて用意された予備兵含めて、せいぜい対1500程度を想定した物だ。
そして魔族はその1匹1匹が一国の最高戦力に匹敵するだけの強さを持つ。
人間同士ならばともかく、そんな存在と倍もの兵力差があっては、敗北は火を見るより明らかである。
「―――駄目だ、すぐに『彼』を呼ぼう。例の巻き物を持て!!」
「はッ!!」
一瞬の逡巡すら見せずに、決定を下すお父様。
指示を受けた部下の1人が、駆け足で出て行く。
『例の巻き物』というのは、ハネット様が残して行ったという魔法の巻き物のことだろう。
どういう作りになっているのか、開けば使用者の魔力の有無に関わらず魔法が勝手に発動し、遠く離れた地にいる彼と、即座に連絡が取れるという品であるらしい。
ハネット様と王国の関係は複雑な物だ。
その相手に頼るという決断を即座に下したお父様の判断は、まさしく英断と呼べるだろう。
「陛下、相手が3千もいれば、ここに攻め入られるのも時間の問題です。後のことはこの老骨に任せ、すぐに避難を」
ファルス様がお父様の肩にそっと触れる。
臣下としての覚悟を感じさせるその声音に、お父様が顔を向けた。
「……ああ、任せたぞ、ギルスター。出来れば彼の御仁が来るまで生き残れ」
「ええ、頼りになる騎士団がいるのです。なんとかなりましょう」
そう言って自嘲気味に笑った。
騎士長様たち最精鋭部隊に護衛される私たちと比べ、ここに残されるファルス様が襲撃を受けた際に生き残れる可能性は低い。
「トリスタン、ゼスト、サンヌ。そして近衛たちよ。私と家族の身を任せるぞ」
「はッ!!!」
私達王族の前後を囲むようにして、近衛騎士と精鋭戦士、宮廷魔法使いたちが陣形を固める。
そのままの形で玉座の間の端に設けられた控え室、そこに隠された城外への抜け道を目指す。
「…………」
いつの間にか隣にいたエリーゼが、無言で私の手を握ってきた。
私の物よりも一回り小さいその手は、不安に苛まれ細かく震えていた。
「大丈夫よ、エリーゼ。きっとハネット様がなんとかして下さるわ」
「……そ、そうね」
私の下手な励ましに、エリーゼは気丈にも頷いて見せた。
……私の手だって、頼りなく震えていただろうに。
先頭を歩く騎士長様が、控室の扉に手をかけようとした時だった。
「―――!? 下がれッ!!」
騎士長様が大声を出し、隣にいたレヴィアとエリーゼのお付きの騎士が、私達を後ろへと引っ張った。
その直後。
「なに―――うおおおおっ!?」
「きゃああああ!?」
目の前の控室が、天上ごと落ちてくるかのように崩壊した。
鈍い音を立てながら落ちてくる大量の瓦礫。
そしてそれを押しのけて現れた、異形の怪物。
「―――見ツケタゾ、ニンゲンノ王!!」
2年前の惨劇を生んだ、悪夢の象徴。
私達王都の住民にとって二度目となる、魔族との遭遇であった。
---
「うおおおおおおおおおおッ!!!」
戦士長様たちが切り拓いた道を、少し遅れて走り抜ける。
私の手をレヴィアが握り、私の手がエリーゼの手を握る。他の家族たちはそれぞれの専属騎士に護衛されている。
運の悪いことに脱出用の抜け道を偶然破壊されてしまった私たちは、ファルス様やその場にいた重臣たちも含め、その穴から続々と湧き出した大量の魔族たちに追い立てられるようにして、城内を引き返していた。
現在は最初の陣形のまま後ろ向きに逃げている形であり、先頭を戦士長様率いる戦士団が、私達王族と重臣たちの側を衛兵長様と宮廷魔法使いが、殿を騎士長様たち近衛騎士団が務めている。
「でやぁあああッ!!!」
「1人デカカルナ、囲メッ! コノ人間、強イゾ!!」
宮廷魔法使いたちに強化の魔法をかけられた戦士長様が、一刀両断とはいかないまでも、平均二刀、多くても三刀という速度で迅速に敵を片付けて行く。
―――言うなればそれは、『剛』の剣。
かつて功績に対する褒美として授けられた、王国最上級の両手剣。百年ほど前にドワーフの名工が魔法鉄……アダマンタイトを練り上げて作ったというそれを、最大、最高の火力で敵に叩き込み、防御も無視して葬り去る、力の剣だ。
「死ネィ―――ッ!!」
「ふんッ!!」
飛んで来た攻撃を避けず、左腕で受ける戦士長様。
人を容易く両断してしまう威力を誇る筈の魔族の爪は、それだけで容易く弾かれる。
「ナ―――ッ!?」
剣と同じく彼の代名詞であるあの鎧は、上位金属たる魔法銅……オリハルコン製の物だ。更に内側には様々な魔具が埋め込まれており、その堅牢さと状況対応力を極限まで引き上げている。
例え今の攻撃が斬撃ではなく魔法だったとしても、結果は変わらなかっただろう。
「―――【竜剣閃】ッ!!!」
「ガァア!!」
戦士長様が反撃に剣を振るうと、遠く離れている筈の魔族の腕が飛んだ。
たしか遠距離にある敵を見えない剣筋で断つという、戦士長様の得意技の1つだった筈だ。
詳しい事は知らないが、剣に魔力を乗せる事で可能になっているらしい。
圧倒的な火力と圧倒的な防御力で相手をねじ伏せる。
彼の戦いはまさに、力の剣その物である。
そして後ろでも騎士長様が追っ手の魔族を斬り伏せており、そちらは進路を妨害することも無いので、魔法使いたちが攻撃の魔法を放って支援していた。
―――戦士長様の剣を剛の剣とするなら、騎士長様の剣は『柔』の剣だ。
敵の攻撃を一見小さくも見える盾で華麗に受け流し、体を崩して生じさせた隙に、片手用の刺突剣で的確に急所を貫いていく。
戦士長様のような見応えのある技の連発などではなく、ただ一撃、もしくは二撃で、氷のように冷たく、静かに命を刈り取っていくのだ。
一切の危なげなく容易く繰り返されるそれは、その実、達人の領域にある紙一重の見切りが可能な者のみに許された、絶技である。
流麗なる剣捌きによる一方的な蹂躙の様子は、まさにそれが卓越した『技』の剣であることを、見る者全てに理解させる。
対人戦ならば百戦百勝と呼ばれるその戦い方は、彼が勇者様を除けば王国最強の剣士だと呼ばれている所以である。
「陛下!! 巻き物です!」
騎士の1人が例の巻き物を持って合流した。
最初の部下と違う人間になっている以上……そういう事なのだろう。
王宮内は既に至る所から魔族に侵入されている。この巻き物がここに届けられるまでに、この短時間で何人の兵が犠牲になったのだろう。
「ギルスター!! 私が直接交渉する! 渡せ!!」
ファルス様から巻き物を受け取ったお父様が、急いでその封を剥す。
なんらかの魔法が発動したのか、巻き物が青く燃え上がり、直後にお父様が何かを理解したかのような顔をすると、こめかみに指を当てて虚空へと叫んだ。
「ハネット殿!! ライゼルファルム国王、キールだ!! 聞こえているか!?」
戦闘に関われない私たち家族と重臣たちの目が、成り行きを見守るようにしてそちらに向けられる。
しばらくして返事が来たのか、お父様は私達に目配せしながら頷いた。
「王都が魔族の大軍勢に襲われている!! このままでは日の出を待たずして滅んでしまう!! 頼む、助けてくれ!!」
再びの沈黙。
その長い沈黙の間にどんな答えがあったのか。今度はお父様の顔が、苦悩に満ちるかのように歪められる。
「―――ああ、いいだろう。貴殿がこの国を救ってくれると言うのなら、私の裁量で決められる一切の物を払うと誓おう。……例えそれが私の王位や、命であってもだ」
身を切るかのような言葉に、全員がギョッとした。一体今の短い間に、どのような交渉がなされたと言うのか。
1つ大きく頷いたお父様が、私達全員に向けて大きく宣言した。
「半々刻だ!! 半々刻だけ持ち堪えれば、彼の大魔法使いが転移の魔法で駆け付けて下さる!! それまで何としても耐えるのだ!!」
「オオオオオッ!!」
お父様の威厳ある声に、その場の騎士たちや宮廷魔法使いたちが威勢を上げる。
戦いに集中していた彼らは、お父様がその救援を得るためにどれほどの対価を求められたかなど、知らないのだ。
故に。
湧いたのは、純粋な希望。
あのニーナ・クラリカをも超える、大陸最強の魔法使いが助けに来てくれるということへの。
「あの方が来るなら、この程度の相手はなんとでもなる!! お前ら!! 生き残りたければ剣を振れ!! 根性を見せてみろ!!」
先頭を走る戦士長様が、そう不敵に笑った。彼はハネット様に、その実力という面において、絶大な信頼を寄せているのだ。
そしてその戦士長様に絶対の信頼を預ける彼の部下たちもまた、その言葉に後の逆転を確信し、剣を振るった。
「陛下! 恐らく庭園で兵たちが防衛線を築いている筈です。そちらに合流しましょう」
お父様の半々刻という言葉を聞いて、衛兵長様がそう進言した。
戦士長様と騎士長様もそれに同意し、かくして私達は、庭園の戦士団本隊と騎士団本隊により構成される本陣へと合流出来た。今頃は城下町でも、正規軍や衛兵、傭兵などが出張っているだろう。
そこからの戦いは、激闘を極めた。
戦士長様と騎士長様が長年の戦友であるかのように巧みな連係で強敵を捌き、戦士や騎士の陣形を補強するようにして魔法使いたちが魔法を放つ。
レヴィアやその他の専属騎士たちも駆り出される、総力戦だ。
重傷を負った兵たちですら、宮廷魔法使い達に治療され、すぐさま前線に戻っていく。
半々刻まではあと少し。
無論彼が正確にその時間にやって来る訳ではないが、それが兵たちにとっては唯一の精神的な支えであった。
あと少し。
あと少し。
あとちょっとだけ戦線が持てば。
すっかり白み始めた空に、淡い希望を抱く中。
―――その『絶望たち』は、やって来た。
「―――ほう。ほんの数人ではあるが、人間たちにもまともな奴がいるものだ」
それは、他の魔族たちよりもはっきりとした人語を喋った。
「そうか? 言っても俺達の中じゃ中堅レベルだろ。伝令役ぐらいでなら、使ってやってもいいが」
それは、一目見ただけで国宝級の強力な物であると分かるほどの、圧倒的過ぎる武具の数々を身に付けていた。
「全くだ。これだけの大都市でありながら、我らに対抗できる戦力が2~3人しかいないとは……。弱小種族というのは、哀れな物よな」
それは、地面でもがく虫を見るような、冷たい目を私達に向けた。
「雑談はそこまでだ。どうも最近、魔王城の方から『不吉な気配』が漂って来ている。魔王様は勿論のこと、セムヤザも残っているから大丈夫だとは思うが……。念の為、さっさと滅ぼして駆けつけた方が良いだろう」
それは、千の魔族を束ねる、破滅の象徴。
その1体1体が歴代の勇者たちにも比肩し得るという、魔族における最上位個体。
この災厄の中で、一際異様な邪気を放つ者たち。
通称―――『将の魔族』。
その将の魔族たちが、あろうことか4体同時に降臨している。
つまりこの王都は現在、想定していた数の3倍どころか、4倍の魔族に攻められていたということである。
魔族には様々な種族の物がいる。恐らく残りの千は、何らかの方法で姿を消すことが出来る種族の物たちだったのだろう。それか、体色により夜の闇に紛れてしまっていたのかもしれない。
「…………」
戦士長様と騎士長様が、無言で私達を背後に庇った。
絶望に動きを止めていた兵たちも、一拍遅れてそれに続く。
「もはや、これまでか……」
その行為に大した意味が無いことなど、全員が分かっている。
相手がただの魔族であれば、ハネット様が来るまでのあと少しの時間も稼ぐことが出来ただろう。
だが、相手は将の魔族。しかもそれが、4体。
戦いという物に詳しくない私には分からないが、叩き付けられて来る圧倒的な圧力からすれば、2体同時というだけでも苦しいのではないのだろうか。
お父様が覚悟を決めたようにそう呟いたのも、仕方がない。
こんな物を相手に、あの若き勇者は戦い続けて来たと言うのか。
―――でも。
(神よ、お救い下さい―――)
それでも、まだ諦めることは出来ない。
(神よ、お救い下さい―――)
それでも、兵たちは剣を下すことは出来ない。
(神よ、どうか私達を……この国を、お守り下さい―――!!)
―――国の明日を投げ出すことなんて、出来ない。
王族は王族として。
兵士たちは兵士として。
今この場にいる私達は、国と言う名の故郷の地を守る為に、存在している筈なのだから。
◇
―――ところで、話は変わるのだが。
この世には、得てして『偶然』という物がある。
例えば、今回の魔族の襲撃が、不幸中の幸いにも、戦士長の謹慎期間と重ならなかったこと。
例えば、とある1人の大魔法使いが、帝国や他の国ではなく、この王国の領土内に居を構えたこと。
例えば、王国がその存在に気付き接触を持とうとした時、その大魔法使いがとある依頼の為に、権力者の助力を欲していたこと。
例えば、その際に大魔法使いが、現地にとっては秘宝クラスのマジックアイテムである、1本の巻き物を残して行ったこと。
例えば、聡明な頭を持って生まれた1人の王が、その大魔法使いに救援を求めることを、即座に決断できたこと。
例えば、それを受けた大魔法使いが、適当な性格だった為に、正確には18分である半々刻という時間を、15分で計算していたこと。
例えば、更にその大魔法使いが、光魔法を極めていた為に、弟子たちの睡眠状態を強制的に解除する魔法が使えたこと。
その内のどれか1つでも欠ければ、今この瞬間、または玉座の間が襲撃された時点で、エミリアたちの命は無かっただろう。
約束の半々刻にはまだ半分近くもあるが……4千の魔族に襲われながら、それをここまで引き延ばしただけでも、十分に奇跡的なことであるのだ。
だがその奇跡は、決して1人の王女の祈りが神に届いたから起きたという訳ではない。
たまたまそんな事件が起こり、たまたまそんな事態が重なり、たまたまそんな結果を生んだ。
これは言ってしまえば、ただそれだけのことなのだ。
―――だからこそ。
人はそれを、『必然』とも呼ぶ。
戦士長の謹慎期間が短かったのは、その裏で一大攻勢作戦が計画されていたから。
白き大魔法使いの出現地点に王国が選ばれたのは、その近くで神に愛されたかのような幸運を持つ少女に、死の危機が迫っていたから。
大魔法使いが1人で依頼を解決してしまう前に王国が接触出来たのは、彼に助けられたその少女が、この世界では最高クラスの名声を持つ存在であったから。
そしてその大魔法使いが全てを解決できるだけの力を持っていたのは、高レベルになるまで頑なにパーティープレイに拘っていたことや、絶対数の少ない光魔法使いであったことといい、偏にその複雑怪奇たる特殊な性格故である。
この因果関係を当事者の1人であるとある青年が知れば、いつか言ったような言葉を、再びこう紡ぐだろう。
―――「原因失くして現象は起きない。世の中には必然しかない」
と。
原因という物は、どこまでも無限に遡ることが出来る。
「AになったのはBが原因、そしてBがあるのはCが原因、CがあるのはDが原因、Dがあるのは―――」という具合で、それこそ、最終的には宇宙誕生の瞬間にまで。
ならばこの宇宙に存在する物事には全て、理由という物があるのが道理。
全ては今日この日、この結果に収束するように、世界が動いていたのである。
世の中には、『偶然に見える必然』しかないのだ。
だからこそ、これは断じて、神が与えた奇跡などではない。
妄想の産物たる神は、この世界に干渉など出来ないのだから。
その手が人間に伸ばされることなど、未来永劫有り得はしない。
ならばなぜ、「こんな結果」が起こり得たのか?
そんなのは、1つしかない。答えは決まりきっている。
青年ならば、そう答えるのであろう。
『現実』を動かすのは、いつだって『現実』に生きる者。
人間を救うのは―――いつだって、人間なのだ。
と。
その言葉が正しい物だと仮定するのであれば、この場に相応しいのは神ではない。
救いを求める人々。それに手を伸ばすべきは、ただ1人―――。
◇
「―――思ったより状況はマシみたいだな」
私はその声に振り返った。
私達と4体の将の魔族。その間の距離、私達から見て左手側へと目を向けると、ちょうど地平線から出て来た朝日が、その声の主を照らしていた。
それは、将の魔族と同じく、4つの影。
1人は賢者ニーナ・クラリカ。
女の中でも小柄な体格を最低限の皮鎧で覆い、更にその上から黒い外套をはためかせる。
帽子からはその性格を表すかのような深く落ち着いた色合いの青髪が零れ、片手には身の丈ほどもある大陸最上級の杖を握る。
2人目の人物はエルフだろうか。
横に伸びる特徴的な長い耳に、たわわに実った麦の穂のような黄金色の髪。
青空を切り取ったかのような澄んだ瞳は、端正な顔立ちをより引き立てている。
黒を基調に橙で印象を引き締められた服は、エルフの民族衣装なのか、初めて見る構造をしている。
もう1人は見たことも無いような絶世の美少女。
まだ成長も始まっていないような身体つきを見るに、子供だろうか。
作り物のような白い髪に、透けてしまいそうな白い肌。
一級の彫刻師が掘った像のように女の理想を反映した顔を、特徴的な赤い眼が更に飾り立てている。
そして最後に、先程声を上げた、4人目の人物。
1度その目に焼き付けてしまえば、生涯忘れることが無いであろう、光の存在―――。
「―――ハネット様!!」
大陸最強の大魔法使い、ハネット。
この絶体絶命の地に舞い降りた、希望の光。
気付けば私だけでなく、周りの者たちも皆一様にその名を呼んでいた。
その姿は、まるで降臨した神を崇め、跪く信者のよう。
「よう、来たぞ」
この状況を前にして、まるで朝早くの散歩を楽しむかのような、あまりにも場違いな余裕の態度。
異常の中に当然のように介入した正常。
だからこその、異常。
まるで彼の立っているその空間だけが、別の世界にでもなってしまったかのような絶対の隔絶。
敗北の可能性など、百に一つも存在しない。
見る者全てにそんな印象を抱かせた彼に、私の心は急速に安堵を覚えた。
たった1人の手による、救世。
その在り方はまるで、もう1人の勇者様。
いや、実際には仲間たちと戦っている彼女と違い、彼の場合は本当に1人で全てを解決してしまえる。
ならばそれはもう、一段その上。
『伝説』は今から、『神話』へと移り変わるのだ。
―――これより始まるのは、新たな時代。
この戦いは……その最初の1歩であった。