34 第三王女の世界
2016.10.24
「エミリア様。お入り下さい」
侍女の1人に案内されて、入室する。国王であるお父様の執務室だ。
お付きのレヴィアが、壁際に立つ近衛騎士団の端に加わる。彼女たち騎士は、それぞれの主が用を済ませ退出するまで、そこに背景のように溶け込み直立不動を維持し続けるのだ。
お父様の机に目を向ければ、私が一番最後だったのか、既に他の家族は集まっていた。
王太子たる上のお兄様から私の5歳下の末の妹まで、とにかく血の繋がる者は全員集められているようだった。
現在は公爵として領地を治める下のお兄様や、既に他家に嫁いだ上のお姉様まで遥々来ている所を見るに、よほど重要な話であるらしい。
「エミリアも来たか。では本題に入るぞ」
私が着くなり、お父様は早速といった様子で口を開く。
義理の母である正妃様と目が合い、目礼する。私と彼女が言葉を交わす事はほとんど無い。
「昨日、あのニーナ・クラリカの新たな師であるという魔法使いが、王宮に現れた」
「まぁ……!」
その言葉に、私だけでなく家族の皆がさざめき立つ。
お兄様2人は既に知っていたのか、特に反応することは無かった。
「賢者様にお師匠様が?」
「ということは、更に凄い魔法使いということかしら?」
上の姉たちがそう推測する。
私はと言うと、昨日偶然レヴィアと見た、窓の外の光景を思い出していた。
(あの時賢者様と歩いていた殿方……彼でしょうか?)
レヴィアの方をチラリと見ると、目が合った。彼女も同じことを考えていたようだ。
「そうだ。実際に彼と接触した戦士長からの報告によれば、少なくとも勇者よりは確実に強いらしい」
「ええっ……!」
あの世界最強の剣士と呼ばれる勇者様よりも強い?
それが本当だとしたら、個人でありながら一国の軍を相手取ることも可能なほどの戦力を持つということだ。
「大魔法使いだわ……!」
下の姉……エステルお姉様がそう言った。
確かに伝説に残るような場所に立つ魔法使いであることは間違いない。
「うむ。相手はそんな規格外な存在だ。当然彼との縁は喉から手が出るほどに欲しい。そのことをお前達にも伝えておこうと思ってな」
「彼……ということは、その方は殿方ということですか?」
上の姉、エレノアお姉様が尋ねる。
「ああ。ニーナ・クラリカと同年代の男だということだ」
「なんと……! 本当ですか、父上」
今度こそ私達だけでなく、お兄様2人も驚いた。
それほどの大魔法使いが私と同年代の若者であるなど、一体どこに予想できる者がいるというのか。
少なくともこの場にいる全員が、今の今まで先代賢者クラリカ様のような老人……あの方の場合はそう言っていいのかが微妙な所だが、そのような年代にあると思って疑っていなかった筈だ。
「なるほど……ということは、エステルからエリーゼまで全員候補に入りますね」
下の兄であるアルフお兄様が呟く。
その言葉で今回私達が呼ばれた意図が分かった。
「縁が欲しい」とはそういうこと。
「ああ。3日後に彼との会見がある。その会見で友好を結ぶことが無事叶ったら、その晩餐にでも祝宴を開く予定だ。お前達には、そこで彼と顔合わせをして貰う」
上のエレノアお姉様以外の3人……私達は、まだ未婚だ。
つまりはその祝宴で自身の身を売り込めということ。
下のエステルお姉様には最近婚約が近い他国の大貴族がいる筈だが、その方との縁よりも、こちらの方が優先ということなのだろう。
「かしこまりました、お父様」
エステルお姉様が頷く。私と妹のエリーゼも隣で頭を下げた。
部屋には正妃様と2人のお兄様達だけが残り、私達姉妹4人とその他の親類は退室する。
「誰が選ばれるのかしら」
部屋を出るなり、エリーゼが悪戯っぽく口を開いた。
エリーゼは私と違って物怖じしない性格なのだ。
「エミリアかエリーゼでしょう。私はもう行き遅れですもの」
エステルお姉様がそう言って自虐的な苦笑を見せた。
お姉様はとうとう20になってしまった。私だって18だ。若くしての結婚が常である王族において、私達姉妹はかなり婚期が遅れているのだ。
理由はもちろん、魔族の出現により国内外の情勢が不安定になったのが大きい。本来なら私もお姉様も、既に子供の1人ぐらいいた筈だ。
現に魔族が現れる前に嫁いだ上のエレノアお姉様は、一昨年3人目の子供を産んでいる。
「そんな……お姉様の方が血筋が上ですもの。きっとお姉様が選ばれますわ」
エレノアお姉様とエステルお姉様は『正妃様の子』だ。側室の子である私とエリーゼとは格が違う。
「ふぅ……あのね、エミリア―――」
「―――はいはい、そこまでにしましょう。誰が選ばれるかなんて、その大魔法使い様にしか分からないわ。まずは3日後の会見が無事成功しなければお話にもならないのだし」
エレノアお姉様が割って入った。
お姉様は今の家に嫁いでからという物、なんとなく人間として一回り大きくなったような印象を受ける。それとも母になったからだろうか。
「それもそうね。では3日後に祝宴が開かれるのを楽しみにしましょう。未来の旦那様との顔合わせですもの」
「ではお姉様方、ご機嫌よう」と言い残して、エリーゼは颯爽と帰って行った。
末の子でありながら、姉妹の中で一番堂に入った王女らしい態度だ。
「相変わらず将来が楽しみな子だわ」
エステルお姉様がその堂々とした後ろ姿に溜め息を漏らす。
残された3人で苦笑した。
◇
「いよいよお目見えね。楽しみだわ」
晩餐会。
その控室でお父様たちと出番を待っていると、隣のエリーゼが澄ました顔でそう言った。
私は先ほど偶然にも一足早く彼と対面する事が叶ったが、知らぬ内に何か不作法をしてしまったのか、とてもではないが良い印象を与えられたと思えないような対応をされた。
こうしている今も、内心ではお父様の顔に泥を塗ってしまったのではと、戦々恐々としているのだ。
―――コンコン
控室の扉が叩かれ、執事が相手を確認しに出た。
「陛下、ファルス宰相閣下です」
「入れろ」
執事に案内され、お父様の補佐を務めるファルス様が入って来た。
私達に恭しく挨拶をしてから、お父様に向き直る。
「陛下、『例の金貨』は、全てが本物だったようです」
「……そうか」
暗号のようなやり取りを交わし深く頷いたお父様は、私達姉妹を見回した。
上のアダムお兄様も、その報告を受けて目の色を変える。
「例の方は、我々の想像を更に超えた存在であったようだ。―――いいか、お前達。……必ずだ。必ず彼の目に留まるつもりで臨め。彼と縁を繋ぐことは、複数の同盟国を手に入れるに等しいほどの旨味がある」
「は、はい」
会見とやらで一体何があったのか。
その場に居合わせていたお父様たちは、それ以来、より一層彼との関係作りに必死さを見せ始めた。
「それほどの方だった、という事ですか?」
「ああ、その通りだ。……そうだ、優先度は下がるが、ニーナ・クラリカも同席する。そちらにも気を遣えよ」
エステルお姉様の問いにお父様が頷く。
あの賢者様が、ついでのような扱いを受けているのが私達の印象に残った。
これまで頑なに招待を拒み続けてきた賢者様が参加するというのは、本来なら大事である筈だった。
「皆様方、そろそろお時間です」
儀典官に呼ばれて会場へ向かう。その壇上で、再び彼と相見えることになる。
「緊張するわね」
エステルお姉様がそう呟いた。
……先程の件を謝る所から始めなければならない私の緊張は、きっとそれより上であろう。
---
「最後の方々の紹介は、私の方からさせて貰おう。―――あの土の賢者、ニーナ・クラリカ殿と……その師である、大陸最強の魔法使い、ハネット殿だ! さあ、お2人共!」
お父様が儀典官の代わりに声を張り上げ、幕の向こうへ手を向ける。
その演出に周囲の空気が張り詰めるのを肌で感じ、私も引っ張られるようにして目を向けた。
そして……。
「わ……」
隣からエリーゼの熱っぽい溜め息が聞こえる。
私も同じようにしてその人物に見惚れてしまった。
最初に出て来たのは、賢者様だった。
身を包むのは、最上の仕立てで織り上げられた紺色のドレス。
まるで海の底のような深みを感じさせる、妖艶な色だ。
その上には上品に金と宝石の装飾が施され、所有者の審美眼と財力の高さを示している。
そしてその間から覗くのは、処女雪のようにシミ1つ無い白い肌。
そのきめ細かさは清水流れる渓流のようで、同時に、荒れること無き赤子の肌のような柔らかさも感じさせる。
太ももまで届こうかという長い髪は、しっとりと濡れているかのように、美しく光を跳ね返していた。
「うーん……これは、勝てないかも……」
会場を騒がすざわめき達と同じように、エステルお姉様もそう零した。
私も全く同感だった。女として完敗しているのは、誰の目から見ても明らかだ。
そしてその直後、打って変わって耳に痛いぐらいの静寂が訪れる。
鳴り響くのは、2つの足音。
踵の高い靴を履いた賢者様と、その後ろから出て来た人物の物だ。
―――それはまさに、光の存在。
糸の織目すら見当たらない、謎の技術で編まれた純白の生地。
天上の美を感じさせるその白の上に塗りたくられたのは、攻撃的なほどの黄金と虹色。
複雑怪奇な文様を施された精緻な金細工の装飾に、星空を散りばめたかのような、大粒の宝石の数々が埋め込まれているのだ。
驚くことにその1つ1つが魔石であるのか、魔法の才など無くとも、誰もがその内に込められた力の桁が違うことを、十二分に理解できた。
それは滲み出た魔力による陽炎なのか、それともあまりの輝きに目が錯覚を起こしているのか。
まるで絶対者の降臨に、空気が揺らめいているかのようだ。
無垢を示す聖なる純白に、豪華絢爛たる黄金の輝き。
教会の讃美歌に呼ばれ、本物の神が舞い降りて来たかのような衝撃だった。
「…………」
それを初めて見た周囲の人々は、その存在を前にポカンと口を開けていた。
絶世の美女たる賢者様から、会場中の全ての視線を奪い取ったその御仁こそが、今回の祝宴の主賓。
―――大魔法使い、ハネット様だ。
私も初めて見る明るい光の下での彼の姿に、思わず息を飲んでしまった。
「ハネット殿。貴殿とこうしてこの場に立てることを、心から嬉しく思うぞ」
「はいはい」
不敬罪に問われかねない不遜な態度。
しかしお父様はこれを笑って許す。
会場の参加者たちは驚いていたが、あらかじめ彼に対する王国の方針を聞いていた私達にとっては、当然の対応にしか思えなかった。
下手をすれば、彼が機嫌を損ねたった一つ魔法を行使するだけで、この場にいる数百という人間は全滅してしまうかもしれないのだ。
弟子だという賢者様の時点で既にその領域にあるのだから、その上に立つという彼の場合は、その結果は確実に起こり得る物だと見た方が良いだろう。
お父様の対応を見た参加者達も、それで彼がいかに大きな存在であるのか分かったらしく、目の色を変えている。
間違いなく、この後私達と同じく縁作りに精を出す事だろう。
「はっは、これは手厳しい。さあ、儀典官。ハネット殿は無駄の無い進行を望んでいる。乾杯の説明を始めてくれ」
儀典官の進行により会場中に空のグラスが配られる。
静まり返っていた会場に、その辺りでやっと声と音が戻ってきた。
「……そういえば、顔の造りが全然違うわね。髪も白いし、一体どこの国の方なのかしら」
エステルお姉様が疑問を呟く。
言われてみれば、服にばかり目が行きがちだが、彼は本人の風貌自体もかなり変わっているようだ。
凹凸が少な目な顔の造りは大陸南の人間の特徴だが、同じく南の特徴である黒い肌を持っていないので、それともまた違うのだろう。
昼間行動を共にしていた戦士長様なら、彼がどこの出身であるかぐらいの世間話はしているかもしれない。
たしか4日前に最初に接触したのも、ファルス様と戦士長様だということだった。
---
「ハネット殿。もし良かったら、貴殿に私の家族たちを紹介させてくれないか?」
「ん?」
強く印象に残る特殊な乾杯の後、お父様は私達を連れてハネット様の下を訪れた。
他の参加者たちはそれを遠巻きに眺める。さすがに王族より先に声をかけるような不届き者はいない。
上のエレノアお姉様とその旦那様も、その中の1人だ。ただしあの2人は私達の次辺りに、真っ先に声をかけるだろう。
「お初にお目にかかります、ハネット殿。私はアダム・クロロ・ノア・ライオノス。ライオノス家の長男です」
まず最初に嫡男である上のお兄様が名乗りを上げる。
彼との友好が今後何十年と続いた場合、いつかはアダムお兄様が彼との交渉を行うことになるだろう。
「ふーん……」
それに対するハネット様の態度は、『無』だった。
「だから何?」とでも言いたそうな、興味という物を一切感じさせない反応だった。
「し、師匠。王太子殿下……次期国王様ですよ」
「そうか」
隣に控えていた賢者様がそう説明するが、その態度は変わらない。
地位が理解できていないが故の物ではなく、王太子如きとは大した口を利く必要は無いということなのだろうか。
賢者様の目が一瞬お父様の方に向けられたが、それが合うとすぐさま横に逸らされた。
自分の手には余る事態だと判断なされたようだ。
「ははは、まあ貴殿は天上人だからな。現国王である私ならともかく、それも仕方ないだろう」
「…………」
「いや、別にお前のこともどうでもいいんだが?」というような目で、ハネット様がお父様を見る。
これには流石のお父様も冷や汗が出たようだった。
即位して以来、その類い稀なる手腕で国内の様々な問題を解決し、国民や周辺国家から『良王』と呼ばれているお父様の、こんな姿は初めて見た。
「―――っ。そ、そうだ。では娘たちの方を紹介させてくれ。どれも自慢の娘たちなんだ。まずはこちらのエステル。2番目の娘で、最近はそこかしこから見合いの話がひっきりなしだ」
「エステル・クロロ・ノア・ライオノスです。大陸最強の大魔法使いたるハネット様にお目見えできて、光栄の極みですわ」
「ああ、そう……」
お姉様ほどの美女の挨拶でも、その無関心な態度が変わることは無い。
本当に会見は成功したのだろうかと、今更ながら不安になった。
「続いて3番目の娘であるエミリア。姉妹の中でも最も淑やかで落ち着いている」
「あ……え、エミリア・リオーネ・ノア・ライオノスです。あの、先程は―――」
「―――初めまして、ハネット様。末の娘、エリーゼ・リオーネ・ノア・ライオノスですわ。わたくし、先程の魔法の数々に心の底から感服しました。実は私も、魔法の適性があるんですの」
先程の失礼を謝罪しようとした所、横からエリーゼが我慢できないといった具合で飛び出してきた。
エリーゼは魔法に関する話題で関心を惹く手に出たようだ。たしかに卓越した魔法使いたる彼には、一番の手かもしれない。
「あっそ」
……彼は一筋縄ではいかないようだった。
---
「困ったわね……。想定以上の難敵だわ」
それから半刻後。
ハネット様が貴族の娘たちを先程の流れのままに高速であしらって行くのを眺めながら、エステルお姉様が言った。
次から次に押し寄せる彼女たちを、1人一言ずつでバッタバッタと斬り捨てていくその様子は、まるで昔見た戦士長様の『100人稽古』のようだった。
「はい。男性にも同じ態度ですし、その……と、特殊な趣味の方、という訳でもなさそうですし……」
「そうね。どちらかと言うと女とか男とかじゃなく、人間自体に興味が無い感じだわ。もしかしたらエンシェント・ドラゴンかもね」
その可能性は無いとは言えない。
見たことの無い人種であることも、それなら説明できるかもしれない。
「ハネット様、もしよろしければ、今度わたくしに2人っきりで魔法を教えて下さいませんか?」
「無理」
先程から何度もエリーゼが横入りするが、相変わらず相手にして貰えていない。エステルお姉様も3回ほど挑戦したが、何1つとして変化は無かった。
「あの子は頑張るわね。……私もせめて、賢者様の方と顔を繋いでおこうかしら。外堀から埋めるのも1つの手ですしね」
そう言ってお姉様は今度は賢者様の方へと向かった。
たしかに賢者様にとっては初めての晩餐会の筈。現に今もハネット様と同じく、男性陣に囲まれてしまい、困っているようだった。
さりげなく手助けして恩を売っておくのは有効な手だろう。
「…………」
ハネット様も賢者様も、大勢の人に囲まれていて大変そうだった。
それぞれにエリーゼとエステルお姉様も付いているし、私に出来ることは何も無いかもしれない。
「……エミリア様。そろそろ、一息つかれてはどうですか?」
いつの間にか隣に来ていたレヴィアが言う。
手持ち無沙汰にしている私を見かねたのだろう。
「……そうね。ちょっとだけ、休もうかしら」
レヴィアに付き添われて壇上の椅子へと戻った。
……この選択がまさかハネット様との会話の機会を作るだなんて、予想だにしていなかった。
---
晩餐会がつつがなく終了した後、私は1人、お父様に呼ばれていた。
「お父様、お呼びでしょうか」
「ああ、来たかエミリア」
部屋には近衛騎士や待従たちの姿が無い。私とお父様の2人きりだった。
「エミリア、正直に答えて欲しいのだが、お前は彼の御仁のことをどう思う?」
彼の御仁。十中八九ハネット様のことだろう。
「どう思う……とは?」
「女としてだ」
なんとなく顔が熱くなる。
なんと答えたものか困ったが、お父様が真剣な様子なのに気付き、言われた通り正直に答えることにした。
「……その。……言葉を飾らない所などが、その…………好ましい、と……」
「……そうか」
彼の、自分の気持ちに正直な所が、私の琴線に触れたのは事実だ。
それは姉たちの『代替品』として生まれてきた私にとって、新鮮な生き様に見えた。
私のか細い答えに、お父様は何かに納得したかのように1つ頷いてみせた。
「途中、彼と珍しく会話が続いていたようだったが、あれは?」
「あ……じ、実はあれは―――」
昼間に既に彼と出会っていたことを報告した。
言うのが遅いと怒られるかと思ったが、お父様は特にそんなこともなく「なるほどな」と頷いただけだった。
「……少し言い辛いんだがな、エミリア。―――お前は、彼の物になる覚悟が、あるか?」
「…………」
その問いに、咄嗟に答えることが出来ない。
覚悟が無いからではない。
王族の血に女として生まれた以上、その覚悟は遥か昔に出来ているのだ。
私が答えられなかったのは、お父様がなぜそんな当たり前のことを聞くのか、その意図が分からなかったからだ。
「あの、なぜそのようなことを?」
「……1つ、勘違いしないで欲しいのだが―――」
お父様はそう前置きをして、私の目を真っ直ぐに見た。
「私はお前達娘に、無理な結婚を強いるつもりはないのだ。無論、かと言って平民とかの身分差のある者との仲を許すという訳ではないが……せめて候補の中でぐらい、お前達が自分で選んだ相手と結婚させてやりたいと思っている。エレノアなども、本人の希望を汲んで、あの家に送り出したのだ」
それは私が18年の人生で初めて聞いた、国王としての言葉ではない、お父様の父親としての本音だった。
「正直に言うと、3人の中で今一番可能性が高いのはお前だ。だからお前が頷いてくれると助かるのは事実だ。……と言っても彼があの調子だから、思った通りになるかは分からんがな。―――エミリア。もう1度聞くぞ」
ハネット様の様子を思い出し苦笑していたお父様が、再び真剣な顔で私を見る。
お父様が側室の子である私のことを、真剣に考えて下さっていたことは分かった。
だからこそ、私もその問いに真剣に答える。
「―――お前に、覚悟はあるか?」
「あります。……自身がライオノス家の者であるという自覚を持った日から、ずっと」
私の答えを聞いて、お父様は少しだけ目を伏せた。
「そうか。なら、もしかしたら明日の夜も呼ぶかもしれん。そのつもりでな」
「え……?」
なぜ、今日では無く、明日の夜なのだろうか。
私は今すぐ彼の部屋を訪ねる覚悟で答えたのだが。
「その……今から、ではないのですか?」
「ああ。今は侍女長が様子見中だ。次の一手はその結果を見てから決める」
「―――っ。そっ……、そうですか……」
「今日はもう休んでいい。明日の朝には結果も出よう」
「は、はい」
退室し、廊下で待っていたレヴィアと合流する。
「ひ、姫? なにやら顔色が優れぬようですが……」
「え?」
言われて自分の顔を触る。眉間に皺が寄っていた。
「あ、あら……」
「姫が不機嫌な顔をなされるのは珍しいですね。……晩餐会の疲れもありましょう。もう時間も遅いですし、早くお部屋へ戻りましょう」
「そ、そうね……」
なぜかモヤモヤとした気持ちを抱え、部屋に帰った。
その後もなんとなく眠りにつけず、結局意識を手放せたのは数刻後だった。
◇
翌日の朝。
寝不足の頭を努力して起こし、レヴィアに髪を整えて貰っていると、お父様に呼ばれた。
「昨日のあの話だがな、無くなった」
「……え?」
言葉の意味を図りかねて、思わず聞き返してしまう。
「侍女長にまかせた様子見が、失敗に終わった。なんでも部屋に入って迫るなり、すぐに追い返されたそうだ。しかも彼から『誰も抱くつもりは無い』という恐怖の伝言付きでな。おかげで今日はみんな徹夜だ」
うっすらと目の下に隈の出来た顔で、お父様がそう説明する。
「もしかしたら、宗教的な理由かもしれんな。はぁ……金でも権力でも女でも釣れないとは、お手上げだ」
そうこめかみを押さえたお父様の姿が印象的だった。
お父様からその報告を受けた後、後回しにされていた朝食を取るため、自室に帰る。
レヴィアが侍女の1人に声をかけると、すぐに朝食が運ばれてきた。
「失礼します、エミリア様」
「そ、ソフィア……」
食事を運んで来たのは、王宮に仕える侍女の1人、ソフィア・クロスリード。
昨日ハネット様の専属になっていた筈の3人の侍女の内の1人で、あとの2人を束ねる役目を与えられていた。
つまりは、昨夜『様子見』に宛がわれたという、侍女長こそが彼女の筈であった。
「はい。お呼びでしょうか」
「あっ、……いえ、ごめんなさい。なんでもないわ」
「? ……かしこまりました。お食事の準備を始めてもよろしいでしょうか?」
「え、ええ。お願いするわ」
私が頷くと、ソフィアはテキパキとした動きで食卓の準備を整える。
頭の飾り布からは艶やかな黒髪が零れ、主人を惑わさない為に体の線を出さないよう意匠されている筈の白黒の服は、彼女の発育の良さのせいか、その肢体の艶めかしさを隠しきれていなかった。
この体で昨日彼に迫ったのだろうか、という下品な考えが頭を過ぎった。
それからしばらく食事を続けていたが、ついに我慢できなくなり尋ねてしまった。
「えっと……ハネット様の方は、いいのかしら」
発言の意図を察したソフィアが、レヴィアの代わりに答えた。
「ハネット様は、今朝早くにお帰りになられました」
「えっ……そうなの?」
「はい。かなり早起きなされる方のようで、6の刻には王宮を後になられました」
もうハネット様は王都を発たれてしまったらしい。
6の刻と言えば半刻ほど前だ。お父様のお部屋に向かった時点で、既に王宮にはいらっしゃらなかったことになる。
淡々とした声音で報告してくれたソフィアだったが、その頬が何故か赤みを帯びているような気がして、気になった。
◇
あれから10日後。
なんとなくソフィアと話す時はギクシャクしてしまう。
と言っても私の方が一方的に彼女に対して複雑な感情を持っているだけだ。彼女の方は普通にこれまでと何ら変わることなき態度で仕えてくれている。
この胸のモヤモヤは、何なのだろうか。
原因は恐らくハネット様との事なのだろうが……。
私にとって、ハネット様とはどういった存在なのだろう。
「はぁ……」
「……姫。最近、溜め息が増えましたね」
「えっ? そうかしら」
「はい。具体的には、ここ10日ほどでしょうか」
見破られているみたいで恥ずかしい。
なんとなくレヴィアの視線から目を逸らすと、廊下の先を歩いてくる女性の姿が見えた。
「まあ、勇者様」
「あ、エミリア様! お久しぶりですっ」
やって来たのは今をときめく大陸の救世主、勇者ユン。
私服に着替えている所を見るに、帰って来たのは少し前なのだろう。王宮は広いので、もしかしたら数日前から既に滞在していたのかもしれない。
「今回もご無事なようで、安心しました。いつお戻りになられたのですか?」
「ありがとうございますっ。帰って来たのは、今日の朝ですっ」
そう言って同い年の少女はニコニコと笑う。
太陽のような明るい魅力に溢れた女性だ。
自分と比べると眩し過ぎて、瞳を通して胸のモヤモヤが焼かれるかのようだった。
「……勇者様は、なぜ剣を取るのですか?」
「え?」
気付けば脈絡も無くそう聞いていた。
きょとんと丸くなった彼女の目が、「剣」と言われて腰に下げた聖剣に向かう。
……私と同じく女であり、私と同じく18の彼女。
そんな彼女が、どんな気持ちで剣を取るのか。
何の為に剣を取るのか。
―――何の為に、生きているのか。
その理由が……彼女のことが、知りたかった。
「……―――それが僕に出来ることで、僕が望んだことだからです」
真っ直ぐに私を見つめ返した彼女が、そう言った。
窓から差す日差しに照らされた、彼女の表情。
それは先ほどまでの少女の物ではなく、成人した1人の大人の物だった。
それは私が見る事のない、戦場での顔。
―――世界の守り手たる、勇者のそれになっていた。
「……強いんですね、勇者様は。羨ましいです」
「…………」
私の呟きにほんの一瞬だけ表情を変えた勇者様だったが、私の思考は突然伸ばされたその手の感触に遮られた。
勇者様が、まるで気の知れた友人のように、私の手を取ったのだ。
その手の感触は全体的に少し硬くて、所々にゴツゴツとした凸凹がある。これが剣を持つ者に出来るという、『マメ』という奴なのだろうか。
王族に生まれ何不自由なく暮らしてきた私とは違う、苦労と力強さに溢れた手だった。
「エミリア様、外に出ましょう! お散歩ですっ」
「―――えっ?」
「きっとエミリア様は、ずっと狭い部屋の中にいるから、気持ちが内側に向いてしまっているんですっ。広い外に出て、のんびりポカポカしてたら、色んな事がどーでもよくなっちゃいます! 僕はそうです!」
そう言って彼女は愛くるしくはにかむと、私の隣にいるレヴィアの方へと視線を向けた。
「レヴィアさん、いい?」
「それは姫がお決めになることです。私はどこへなりともお供します故」
レヴィアが優しい表情でそう言う。つまりは賛成なのだろう。
「狭い部屋の中にいるから、気持ちが内側に向いている」。
確かにそうなのかもしれない。
思えば私の目に映る世界は、いつでも『窓の外』の景色だった。
―――だからこそ。
窓の外からやって来た彼のことが、気になったのかもしれない。
「―――ふふ、そうですね。……では騎士様、お手を引いて下さいますか?」
「え? ……ええっ!? 僕、そういう勉強はまだ受けてないんだけど……」
「では私がお教えしましょう、勇者殿」
私の少し悪戯っぽい提案に、焦る勇者様。
そしてそれを微笑ましく見守るレヴィア。
久しぶりに出た庭園の空は、いつの間にやら春の陽気に包まれていた。
~ライオノス家の兄弟~
エレノア 24歳(上の姉) 有力な貴族に嫁いだ。
アダム 23歳(上の兄) 長男。次期国王。
アルフ 21歳(下の兄) 公爵領で統治の勉強中。
エステル 20歳(下の姉) たぶん魔族を一番恨んでる。
エミリア 18歳 側室の子1。母親似。
エリーゼ 13歳 側室の子2。父親似。
※エレノアが王族でありながら血の繋がらない他家に嫁いだのは、現地世界では賢者の存在により近親婚のリスクが既に判明している為。