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幕間 ラーの族長

2016.10.18

グリフ(ティアの父)視点です。

新章開幕から2話連続で幕間話が続いてしまいましたが、次話から先はしばらくずっと本編です。







あの日のことは、忘れもしない。

私達の……ラー族の里に、あの忌々しい魔族共が襲来した日のことは―――。






あの日私はいつもの通り、家のことを娘のティアに任せ、弓を背中に数人の仲間と森の奥へと狩りに行っていた。

運良く鹿を仕留めた私達が、それを交代で運びながら里へ帰っている時だった。


「グリフさん、なんだか風が焦げ臭くないか?」


グリフというのは私の名前だ。40年ほど前からラー族の族長を任されている。


「たしかに……里に急ぐか」


最初に異変に気付いたピズンに頷き返し、足を速める。

焦げ臭いということは、火の気があるということ。

そしてこの広大な森において、火というのは珍しい物だ。

それこそ我々エルフか……天敵である人間でも、いない限り。


歩けば歩くほど、木々が焦げるような臭いは強くなっていった。

そう、里に近付けば、近付くほどに。


「グリフさん!!」


「ああ! ピズン、道を作ってくれ!!」


ただならぬ事態を予感し、鹿を放って全力で駆け出す。

幸いにも私達の狩猟組には精霊魔法が使えるピズンがいた。

彼の精霊魔法で木々を退かし、最短の距離で里に辿り着くことが出来たのだった。


―――全テノ『大地』ハ魔王様ノ為ニ!


里に急行していると、途中辺りから『声』が聞こえ始めた。


―――全テノ『空』ハ魔王様ノ為ニ!


―――全テノ『世界』ハ魔王様ノ為ニ!


「ぐ、グリフさん……」


「ああ……」


何かが、里にいる。

それは1年前の人間の襲撃の時に感じた物ともまた違う、得も言えぬ不安を感じさせる物だった。

千切れても構わんとばかりに足を動かす。

そうして里の裏側にある林を抜けて、私達はその光景を見たのだった。




「全テノ『()』ハ、魔王様ノ為ニィイッ!!!」




―――その、地獄を。


燃え盛る炎。

それに焼き尽くされていく森。

倒壊した家屋。

そこら中に散らばる『何か』。


林を抜けて一番最初に私が見た光景は。

長年の友であるミルドの娘、ヨルンが……生きたまま首を引き抜かれる所だった。


「―――な」


「ぁ……は?」


目の前の現実に、思考が追いつかない。

何が起きているというのか。

今の私達の目の前で、何が起こったというのか。

ぼんやりと状況を確認しなければと思い目を動かせば、ヨルンの転がった首のすぐ近くに、ミルドの死体も転がっていた。それは地面に散らばる()()()()『何か』の1つだった。


頭が真っ白になり、ただ茫然と立ち尽くす。

そんな私達の……いや、私の耳に、その声は一際大きく聞こえてきた。


「【水矢の魔法(ウォーターアロー)】ぉぉおっ!!」


(ティア!!!!)


それは泣きながら叫んでいるかのような、娘の金切声だった。

ハッとして声のした方に目を向けると、私の家のすぐ近くで、ティアを含む数人の仲間たちが、『敵』を前にして戦っていた。


それと対峙する敵の姿は、まさに異形。


エルフを遥かに超える赤黒く丸い巨体に、4対のコウモリのような翼を生やした魔物であった。

私の目には、その大きな魔物が、今にもティアを貪ろうとしているかのように見えた。


「―――娘にッ! 何をしているぅうう!!!!」


気付けば駆け出していた。

今の今まで走って来た疲れなど、感じなかった。


「【風矢の魔法(ウィンドアロー)】ォオオオッッッ!!!!」


渾身の風の魔法を魔物へとぶつける。

が、その魔物はエルフである私の魔法が直撃したと言うのに、僅かに皮を剥けさせ、少量の血を流しただけだった。

有り得ない。この魔物は実はドラゴンだとでも言うのか。

赤黒い巨体がこちらを振り向く。


「不味い、グリフさん! ―――聖霊よ!!」


私の横を光の濁流が通り過ぎ、魔物を飲み込んだ。

私の背後から、ピズンが精霊魔法を使って追撃をかけてくれたのだ。

私の魔法では傷しか付けられなかった魔物だったが、強力無比なる精霊魔法の前には流石に耐えきれなかったのか、直撃した半身を完全消滅させて地に倒れた。


「お父さんっ!!」


ティアが胸に飛び込んで来る。

なぜこんな時に最初から側にいてやれなかったのかと、自らに苛立った。


「お父さん! きっとこれが『魔族』よ!」


涙に濡れた顔を上げたティアが、開口一番にそう言った。

―――魔族。

ティアが人間たちに捕まっていた間に聞いたという、世界を脅かしている脅威。

これがそうだと言うのなら、なるほど、世界が危機だと言う訳だ。


「―――ピズンっ!!!!」


胸に縋り付いていたティアが、私の背後の光景を見て突然悲鳴を上げた。

釣られて振り返った先には、先ほどのピズン。

……そしてその後ろから飛んで来ている、新たな魔族。


「ピズン!!!!」


時間は無かった。恐らく無詠唱で魔法を使った所で間に合わなかっただろう。

私たち親子に許されたのは、ただ感情のままにその名を呼ぶことだけだった。

気持ち悪いぐらいの速度で飛んできた魔族が、腕を伸ばす。

その腕が、ピズンの背中を貫き、こちら側に向いていた胸から飛び出す姿を見た。


「ごふっ!?―――」


「ピズンンンンンン!!!!」


「『エルフ』トヤラハ、謎ノ魔法ヲ使ッテクルトイウ話ダッタロウニ……。所詮、下位モンスターノ知能カ。―――フンッ」


恐ろしいことになんと人語を喋った魔族は、ピズンにあっけなく殺された仲間に苦言を呈し、そのまま腕に突き刺さったままのピズンの体を振り払った。

そのあまりの膂力に、ピズンの体が上半身と下半身に容易く分かれ、千切れ飛ぶ。


「嫌!! いやああああああ!!!!」


幼馴染の無惨な最後に泣き叫ぶティアを背後に庇う。

私の中にもピズンが殺された怒りと憎しみは滾っていたが、それよりも先に分かってしまったことがあるのだ。


―――我々では、こいつらには勝てない。


このままでは全滅する。

せめて時間稼ぎ、出来れば子供ぐらいどこかに逃がしてやるだけの時間が要る。

私はこの里の族長だ。ならば死ぬ最後の瞬間まで、仲間たちを1人でも生き残らせる道を考え続けなければならない。


「分かれていたら殺される!! 全員1つに集まるんだ!!」


気付けば生き残りたちに指示を出していた。

私の咄嗟の言葉に従い、周りにいた生き残りたちが戦いながらも集まって来る。

エルフの魔法と、精霊魔法。

全員のこの力を1つに合わせれば、たしかに時間を稼ぐことは可能だった。

そう、時間を稼ぐことだけは。


「駄目だ! 魔力が切れたら突破される!!」


魔力を消費しない精霊魔法ならともかく、今ほとんどのエルフが主力としている普通の魔法には、魔力切れという限界がある。

個別に戦うより遥かにマシになったとはいえ、それ以上の効果は期待できなかった。

魔族たちはそれほどに強いのだ。


「お父さん!」


陣形に加わっていたティアが私の名前を呼ぶ。


「なんだ!!」


「―――ハネット様を!! ハネット様を、呼ぶの!!!!」


それは甘い……どこまでも甘く感じる提案だった。

あの底の知れぬ人間ならば、勝てるかもしれない。

それに彼は転移の魔法が使える。複数人を移動させられることも、仲間の受け渡しの時に確認済みだ。それだけでも呼ぶ価値はある。


「聞いたな、みんな!! 私の家だ!! そこにあの人間を呼び出す道具がある!!」


「おお!!」


そうして私達は、家までほんの少ししかない筈の距離を、途轍もない時間をかけてゆっくりと進んだ。

魔族たちは人語を解する。それだけの知能があれば、私達がそこに辿り着けば何かが起きるということぐらい、分かるからだ。辿り着かせまいと猛攻をしかけ、更にそれが現有戦力ではギリギリ無理だと悟ると、目的地である家の方を破壊するという手にも出て来た。

しかし……。


「ティア!!」


「うん!!」


ティアもまた、ピズンに劣るとはいえ精霊魔法の使い手だった。

叩き潰された家の残骸から、1本の巻き物を引っ掻けた木の根が意志を持っているかの如く伸びてくる。


「ナニ―――!?」


驚く魔族を尻目に、別れの日に彼から貰ったという巻き物を手に取ったティアが、空へと叫んだ。

最後に私達の命を繋いだのは、共に生きてきた森の精霊たちだった。

業火に飲まれ、炭となり死にゆく彼らが、最後の最後にその手を伸ばしてくれたのだ。



「―――ハネット様っ!! 助けて下さい! ティアです!! ハネット様!!」



それで、全てが逆転した。


狩る者は、狩られる者になった。

……いや、「狩られる」というのは語弊があるかもしれない。


―――踏み潰された。


魔族たちの最後を正しく表現するなら、こちらの方が近いだろう。


「『5番』―――【光の千刃の魔法ライト・サウザンドエッジ】」


転移の魔法で駆け付けた彼が使ったのは、たった1発の魔法。

その1発で、里の仲間の半数を殺した魔族たちを、更に皆殺しにしてみせたのだから。

助かった安堵の直後、寒気も感じた。


(『格』が違い過ぎる……)


駆け寄るティア。そしてその正面に佇む彼。

私の目は、ティアの背中から彼が持っている杖へと向かう。

『5番』と呼ばれ取り出されたそれが―――世界を滅ぼす、魔杖に見えた。








「……従う他ないだろう」


長老の1人、ゴルト様がそう言った。

過去に族長を経験した5人の長老と、現族長である私の6人は、彼が用意した美しい椅子に座り、彼に『対価』を払うかどうかの話し合いをしていた。


彼が助けた対価として要求したのは、我々ラー族そのもの。


一族ごと彼の支配下に入ることを了承し、人間の集落で共に暮らせと言ってきたのだ。


「人間の真似事をして生きろと言うのだぞ?」


「だが見ただろう、あの者の強大な力を。そして見えるだろう、あの屍の山が」


反対派のドド様に、ゴルト様が里の一角を指し示す。

そこには視界を埋め尽くすほどの魔族たちの死骸が捨てられている。

それは彼がふらりとどこかに行って作って来た、『死の山』だ。

彼が姿を消していたのはほんの少しの時間だった。

そのたった少しの時間で、里に襲来した一派の何十倍もの魔族を皆殺しにして帰って来たのだ。

空を埋め尽くさんが如くという数の死骸が、独りでに集まって来る光景には身の毛もよだった。

そしてそれだけでは飽き足らず、彼はなんと、死んだ仲間たちを魔法で全員蘇らせた。

アンデッドになったのではない。正真正銘、元の元気だった頃の状態にして、復活させてしまったのである。ミルドもヨルンも、もちろんピズンも。

まさに神の所業だ。私も未だに現実であるという実感が持てずにいる。


「むう……それは勿論だが……だが、よりにもよって、人間と暮らすなどとは……」


「儂だって嫌に決まっている。……だがな、あの者は絶対の力を持つ。なれば、あの者の言葉もまた、絶対なのだ。儂たちエルフが森の力に逆らえないように、神にもまた、逆らうことは出来ん」


「…………」


話し合いの場は開かれて以降、ずっと重い雰囲気に包まれている。

そしてそれこそが、我々の総意が「受け入れ」に傾いている証拠なのだ。森を捨てるということを選ぶが故の、後ろめたさから来る空気なのだから。


だがその中で、私はあまり現状に悲観をしていなかった。恐らくティアもそうだろう。


いや、はっきりと言おう。

彼の要求は、むしろ魅力的ですらあった。


それはもしかしたら、私が族長という立場にあったからこその物かもしれない。

自身の上に立つ者が現れることでの、責任という重圧からの解放。

そしてあれほどの存在が仲間たちを守護してくれるという事実への安堵。


こう言ってはなんだが、私にとって今回の彼の提案は、「森を捨てる代わりに究極の繁栄を手に入れる」という選択肢であるように思えてならないのだ。

幸いティアからも、その集落での生活が非常に素晴らしい物であったという話は聞いている。その場所はまさに、『楽園』であったと。

そしてそれだけでなく……。


(恐らくこちらから裏切らない限り、彼がその牙を我々に向けるようなことは無い―――)


かつて彼と初めて会った時に感じた印象と、その後見事に依頼を果たしてくれた律義さ。

私の中にあるその『信頼』は、彼が今までに見せた人間性から来る物であった。


「私は賛成です。どっちにしろ、彼には一生かかっても返せないだけの恩がある」


「…………まあ、そうだな」


私の駄目押しの言葉に、ドド様も諦めたように頷いてみせた。

こうして我々ラーの一族は、全員で彼の集落へと移住した。











そしてエルフの生活は、激変した。


転移の魔法で連れて来られたその集落には、およそ生きる為に必要な物が全てが揃っていた。

魔石を埋め込まれた泉から無限に溢れ続ける清水。

200年も生きていながら一度も食したことの無いような美味なる食事。

我ら一族には彼から快適な家と衣服、生活用品が与えられ、先に住むのは毎日沸かした湯で身を清めているという清潔な人間たち。

そしてエルフに必要不可欠である森も、彼は新しく用意してくれた。


それはティアや助けられたエルフたちが言っていた、『楽園』という表現に遜色無い物であった。


唯一の懸念は、人間との共同生活の部分であるが……。







「失礼、お邪魔してもよいだろうか」


集落に移住した翌日。私は人間たちが多く行きかう巨大な建物へと赴いていた。

私はラーの族長。

一族に人間と共存する道を強制させたのだから、誰よりも先にその道の是非を確かめておかなければならない。

私はいくつかの覚悟を胸に、人間との接触を試みに来ていたのだった。


「おお、エルフのお客は初めてだな。らっしゃい! 何が欲しいんだい?」


「い、いらっしゃい、ませ……」


目の前にはガッシリとした身体つきの人間の男と、その娘と思わしきオドオドとした少女がいる。

親子の目には敵意や好色といった害意が見受けられない。

やはりティアの言っていた通り、彼らは問答無用で襲い掛かってくる訳では無いのか?


「『何が欲しい』? ……すまない、私はここがどういう場所なのかを理解していない。私がここに来たのは、人間をより深く知りたかったからなのだ」


「んん? するってーと、単に店の見物に来たって訳かい?」


「『ミセ』?」


男は人間の社会を何も知らない私に、色々なことを説明してくれた。

男の言う事は難解で、その内の半分ほどしか理解出来なかったが、代わりにその親身な態度から、この人間が安全な存在であるという事はよく分かった。


「なるほど。つまりここに並べてある物は、その『カネ』と呼ばれる物さえあれば、交換して手に入れることが出来るという訳なのだな」


「ああ、そういうこった。……にしてもエルフには買い物の文化がねえのか。こりゃ賢者様が苦労するな。……いや、どうせハネット様がなんとかしちまうか」


ボッツと名乗ったその男は、頭を掻きながらそう苦笑した。


「ハネットく……ハネット『殿』か。あなたから見た彼は、一体どういう人間だ?」


「ああ? ハネット様? ……そりゃあもちろん、凄い人さ。すげえ魔法がいくつも使えて、弱きを助け、悪を挫く。お伽噺の英雄と言ってもいいね。―――それに、俺の恩人でもある。この集落に住んでる奴等はな、全員ハネット様がいなけりゃ死んでたような奴ばかりだ。勿論俺も、娘のスゥもな。今俺が娘とこうしてられんのは、正真正銘あの人のおかげだ。神様みたいな人だよ」


そう語った彼の目に、嘘の色は無い。

心からそう思っているのだろう。


(恩人、か)


その言葉には共感できた。

「今娘と生きていられるのは、彼のおかげ」。

それはそのまま、私にも当てはまることだったからだ。


「あ、あの……」


今まで黙っていた少女が、おずおずと言った様子で口を開く。


「こっ、ここは、良い場所です。……大丈夫、です」


大丈夫。

少女の言葉はごく短い物だったが、言いたいことは伝わった。

この少女は私がどうしてここを訪れたのか、その真意を理解しているのだろう。


「……そうだな。……エルフの旦那、ここはエルフの世界とは違うかもしんねーが、人間の世界とも違う。ここは『ハネット様の集落』だ。真面目に生きてりゃ、悪いようにはならねえ。そんな場所だ」


「……そうか」


娘の言葉で私の心情を悟ったのか、ボッツもそう言って真面目な顔になった。

その2人の態度を見て、私は目的は果たせたと思った。


時間を割いてくれた礼を言い『店』とやらを出ると、遠くから歩いて来る見覚えのある影を見つけた。


(ルルか)


私の拾い子であるルルだった。

この子は私達よりも少し早くにこの集落に移住している。

昨日久しぶりに会った訳だが、その時は私も一族の皆をまとめるのに苦心していて、話す余裕が無かった。


遠くから歩いて来るルルは、何か嬉しいことでもあったのか、堪えきれないという具合に顔をニヤつかせていた。

ルルのそんな顔は初めて見る。

この子は昔から悲しい笑顔しか見せない子だったのだ。

それが今は「むふふ」などと漏らしながら歩いている。


「ルル、昨日ぶりだな」


「えっ? あっ、おじさん……」


すれ違い様に声をかけると、たった今私に気付いたと言う風に驚かれた。

どうやら自分の世界に入りきっていて、目に映る物に気が回っていなかったらしい。


「機嫌が良さそうだが、何か良い事でもあったのか?」


「え!? う、ううん!! あっ、ぼ、ボクちょっと用があるから!」


顔を真っ赤にしてあっという間に走り去ってしまった。


(そうか……『そういうこと』だったのか)


その反応で全てに合点がいった。

あの顔は不幸な子供の顔ではなく……色を知った、『女』の顔だった。

不思議なことに、血の繋がっていない筈の妻の顔と……結婚してから私に向けてくれていた顔と、同じに見えたのだ。


彼について行くと言われた時は、単純に里に住むことに限界が来たからなのかと思っていたが……。

()()()()()が、ここにあったからなのか。


「ふむ……案外お似合いかもしれんな」


髪も白いし。

娘の片割れの門出を、内心で祝うことにした。






その後もう何人かの人間と交流を持ち、帰って来た。

私の家は族長ということもあってか、分かり易いようエルフに与えられた家の中でも一番手前の物を割り振られた。


玄関を開けると、廊下の一番奥にある、台所と1つになった部屋……そこに置かれた家族用の机で休んでいる、ティアが見えた。

ティアはその両手に鼠色の外套を抱えており、それに顔の下半分を突っ込んでいる。

その様子は、どこからどう見ても「匂いを嗅いでいる」それだった。


「―――っ!?」


長い耳をピクリと反応させたティアが、外套に隠れていない両目をこちらに向ける。

私と目が合うと、慌てて外套を丸め、隣の椅子に置いた。


「あっ、おっ、お父さん! おかえりなさいっ!」


「あ、ああ……」


顔を赤くし、何かを取り繕おうとするティア。

娘のその一連の様子に、私は少なくない動揺を感じていた。

それはティアが嗅いでいた外套が、よりにもよって『彼』から貰った物であるからだ。


「い、いつの間にかいなくなってたから、驚いたわ! 一体どこに行ってたの?」


「あ、ああ。ちょっとこの集落を歩いて回っていた」


「そうなんだ! 私も昨日、久しぶりに来たら随分様子が変わってて驚いたわ! それに―――」


ティアから矢継ぎ早に繰り出される話題に適当に相槌を打ちながら、私は頭を悩ませていた。


(これも、『そういうこと』、なのか……)


理由など考えるまでも無い。ティアは彼に、2度も窮地を救われているのだから。

それは惚れたって仕方がない。

仕方ないとは思うが……。


(まさか娘2人が、同時に同じ相手を好きになるとは……)


人間との共存という懸念が少しは片付いたと思った直後に、思わぬ方向から問題が生じてしまった。


(ああ我が妻アンナよ、どうして私を置いて行ってしまったのだ。こういう時、父親というのはどうすればいいんだ)


頭を抱えたくなる衝動に駆られ、ふと気付いた。



―――あの地獄からたった2日しか経っていないというのに、随分と下らない事に頭を悩ませている物だ。



そう思うと途端に馬鹿らしく……というより可笑しくなった。


(くく……これも「命あっての」という奴か。なるほど、たしかに森の代わりに得た物は大きい)


それは何物にも代えがたい、『平和』。

族長としてではなく、ただの父親として悩む暇が出来た証。


「お、お父さん? どうしたの?」


「ははは、いやなに、今日は色々と機嫌が良くてな。……せっかくだ、今夜は移住のお祝いでもしよう。昨日彼から貰った酒もあるしな」


「珍しいのね、お父さんからそんなことを言うなんて。いいわ、今用意するわね」


ティアが持ってきた、謎の透明な容器に入った酒を、同じく透明な杯に入れて2人で分けた。


「エルフに繁栄が待っていると良いのだが」


「きっと大丈夫よ。ここは『ハネット様の集落』ですもの」


「くくっ、そうか」


ついさっきどこかで聞いたような言い回しに苦笑しながら、杯を交わした。

この酒も彼から賜った物の1つな訳だが、これまでに飲んだどんな酒よりも美味かった。


(まあ相手が彼なら、いいか。どちらとくっついても、悪いようにはならないだろう)


どちらかと言えば、エルフと人間という寿命に大きな差がある種族柄、その後の結婚生活の方がよっぽど苦労することになるだろう。

妻に先立たれたこの身だからこそ、『その時』が来る辛さは分かる。

娘たちがいつか味わう心労を思えば、色恋などという今の苦労は大したことじゃないように思う。

私は娘2人の勝敗については、早々に考えないことにした。

……まあ、もしかしたら自分の父親としての能力を超える事態に、匙を投げただけかもしれないが。






↓ティア視点


ティア:(これが新品じゃなくて、ハネット様のお下がりだったら…………な、なんてね。何やってるのかしら、私)


グリフ:ガチャッ


ティア:「!!!?」

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