おまけ パン作り
2016.8.10
おまけ話その2。みんなで楽しくパンを焼こう。
ニーナが『ガイアグラトニー』とか言うオリジナル中位魔法を編み出してから3日目。
今日はついにあの二十日大根の収穫日である。
今日だけは学校も休みにし、朝食後は全員畑に集合するよう伝達してある。
何しろ農場王により経営されている集落の初収穫だ。一大イベントの1つである。
―――ピンポーン♪
呼び鈴が鳴った。ニーナとルルが朝の迎えに来たのだろう。
呼び鈴が鳴ると安心する自分がいる。
……なぜならあの2人が一昨日、俺を迎えに来なかったからだ。
理由は当然、例のガイアグラトニー初お披露目の際の、お漏らし事件である。
俺と会うのがよっぽど気まずかったんだろう。2人が来ないので調理場に1人で行ってみると、彼女たちは先に来ていて目を合わせないよう隅で小さくなっていた。
まあ俺がその後いつも通りに振る舞ったおかげで、次の日からまたちゃんと迎えに来てくれるようになったが。
「師匠、おはようございます」
「おはよう、ハネット」
「おう。行くか」
流石に3日目ともなるともう普通だ。
うん、あんな不幸な事件は無かった。それでいいのだ。うんうん。
……まあ実は録画データが残ってるんだけどね、とかは言わないでおこう。
「ついに収穫ですか。ということは、そろそろ住民たちの仕事の割り振りを始めるのですか?」
調理場まで雑談しながら歩いていると、ニーナがそんな話題を出した。
「うーん、それなぁ……。仕事自体はいくつか考えたんだが、割り振りを始めるには、あと1つやらなきゃいけないことがあってな……」
そう。住民たちにさせる仕事は、既に粗方思い付いている。
だが、いざ割り振りをするとなると、あと1つだけ、俺が頑張らなきゃいけないことがあるのだ。
「やらなくてはならないこと?」
ニーナが特に思いつかないという顔で見上げてくる。
そりゃニーナたちには分からんだろう。
この俺の置かれている、現実とゲームの狭間という立場については。
(面倒臭くて先延ばしにし続けてきたが……当初の予定だった初収穫が来てしまった以上、いい加減やらなきゃならんよなぁ……)
まあ俺のことだから、とりあえずやり始めてしまいさえすれば、やる気は後から湧くだろう。
何しろ、熱しやすいのが俺の特徴だからな。……同時に冷めやすくもある訳だが。
俺は怠け心を押さえつけると、決意を新たにする意味も込め、2人に説明してやった。
「ああ。―――『パン作り』だ」
◆
そして翌日。
―――ピンポーン♪
呼び鈴が鳴った。待ってましたと言わんばかりに玄関のドアを思いっきり開ける。
「おう、お前ら!! 今日はパンを作るぞッ!!!!」
「きゃ」
「わっ」
「ド~ン!!」という擬音が書かれそうな勢いの宣言に、立っていた2人が驚く。
「ぱ、パン作り?」
「昨日言ってたやつ?」
そう。俺はあの後ログアウトして早速、リアルでのパンの作り方を調べてきた。
色々調べたり考えたりする内に案の定楽しくなってきた俺は、あんなに面倒臭がっていたパン作りを、早くやりたくて仕方なくなってしまったのだ。
へへへ、自分、気分屋なもんで。
「おう! 飯食ったら調理組を全員集めて早速やるぞ!! オー!!」
「お、オー?」
「オー」
という訳で朝食後。
調理の仕事に就きたいと志願していたチームを全員集め、食品作成用に新しく建設した屋内の調理室に行く。
この調理室は場所的にはボッツの店の隣だ。他にも工場系の建物は全部店の近くに作ることにしている。その方が運搬が楽だからな。
ちなみにメンバーには元孤児チームの女子3人と元メイド奴隷さん、そして俺が直々にスカウトしたハンカチ娘も在籍している。
「例の柔らかいパンですか。これは楽しみです」
「だね。ボク初めて食べた時、雲でも食べたのかと思ったよ」
そしてなぜかニーナとルルも参加している。この2人は今日だけの飛び入り参加だ。
あんま作れる人間が増えると商売にならないから遠慮して欲しかったんだが、2人が言うには「料理関係のイベントには必ず参加する」とのことだった。食い意地の張ってるこって。
「さて、まずあの柔らかいパンだが、一番最初の1回だけは下準備が必要なんだ。集まったみんなには悪いが、今日はその下準備をやるだけで、実際にパン作りに入れるのは1週間後だ」
「下準備?」
「うむ。それをしないとパンが膨らまない。次からはしなくても大丈夫なんだがな」
「……?」
ニーナが「しないと膨らまないのに?」という困惑顔を浮かべる。
まあその辺の説明は後でしてやるから待ってなさいって。
「よし、まず用意するのは入れ物だ。甕か桶なんかで良いんだが、今回は中身の様子が見れるように、ガラス瓶でやろう」
言いながら『アイテム作成』で保存用の蓋付きガラス瓶を何本か作る。
今からやるのはパン作りの下準備。
それもこの世界の技術レベルでも再現可能な―――
―――すなわち、『酵母液』作りである。
現実だったらドライイーストを突っ込むだけだが、当然ながらこの世界にそんな物は無い。
なので原始的な手段で酵母を作る所から始めなくてはならないのだ。
方法が見つかるか不安だったが、適当にネットで調べたら旧時代オタクたちが大量にレシピを載せていた。
当然俺も旧時代オタクなので興味があったし、元々こういう理科の実験みたいなのは大好きだ。
しかもこのゲームの中でやれば材料費がかからない。ここが一番最高。
「まず大鍋に水を張り、その中にこの瓶を沈ませ、火にかける」
最初は容器の煮沸消毒だ。
水の段階で入れておかないとガラス瓶が割れるんだそうだ。今まで煮沸消毒なんてやったこと無いから初めて知った。
「師匠、これは何の作業なのですか?」
「んー、詳しいことは今度まとめて説明するが、簡単に言えば『安全性の確保』だな。料理に使う道具は、こうして使う前に煮とくと良い事があるんだ」
「ほう……」
「?」
賢者のニーナは興味深そうだが、ルル含める他のメンバーはきょとんとしている。
この世界にはまだ菌という概念が無い。発酵の件もあるから後で一度に説明した方が楽だ。
「容器を煮ている間にリンゴを切る。そんなに量はいらないから、2~3人でいいかな。誰かやってくれるか?」
「では私がやりましょう」
「ボクもやる」
「あ、じゃ、じゃあ、私も……」
ニーナとルルが即答。少し遅れてハンカチ娘も立候補した。
話がサクサク進んでくれて助かる。
俺はアイテムボックスからハネットファーム産のリンゴを3つ取り出し、まな板(ルルのことじゃねーぞ)と包丁を用意した3人に渡した。
軽く洗った後、皮を剥いたりせずにそのままの状態でざく切りにするよう指示を出す。
やはり包丁捌きはハンカチ娘が一番だ。彼女がこの調理組の仕事を引き受けてくれて良かった。
彼女は普段、1人で家のことを任されており、本来なら仕事に就くことなど出来ない筈だったのだ。
だが俺からの話を聞いて家族に相談した所、母親と祖母が家事を変わってくれることになったらしい。
畑の方の指南は男だけで手が足りそうなので、ちょうど良かったんだそうだ。
次いでごく普通と言った具合のニーナに対し、ルルは若干危なっかしい。
聞いてみた所、ちゃんとした道具を使った料理というのはここに来て初めてやったと言う。
こいつエルフの里でどんな生活してたんだ……と思い聞いてみると、野宿だったので基本丸焼きぐらいしか調理法を知らないのだそうだ。
この前「寒さには慣れてる」とか言ってたが、やはり家なき子だったのか……。
ちなみに里を飛び出してからは、傭兵を始めたおかげで『金で解決する』という手段が取れるようになり、宿で食事を出して貰うか、屋台で出来合いの物を買ってたんだそうだ。つーか傭兵なんてやってたとは。
まあそんな料理と縁の無い人生を送って来たルルだが、どうも彼女はここに移住してからは料理に対してやる気が出たようで、今回のように機会があれば積極的に技術を学ぼうとしている。
この分ならすぐに上達するだろう。
(大丈夫、きっとすぐに集落一の料理人になれるさ。……まな板の化身だし)
「できたよ」
くっそ失礼な冗談を考えてニヤニヤしていると、当の本人である樹脂製まな板(ホワイト)に声をかけられ我に返った。
「ブフッ! ……あっ、ああ」
「? なんで笑ってるの?」
「いっ、いや、ちょっと思い出し笑いだ。こほんッ! ……次の作業に入ろう」
ハンカチ娘とニーナの前には既に刻まれたリンゴが積まれている。
どうやらルルが一番最後だったようだ。
次の作業とは言ったものの、この後にはもう1工程しか残っていない。
今しがた刻んだリンゴを、水と一緒に瓶に詰めるだけ。
そう、パン用の酵母作りは、材料的には水とリンゴだけあれば出来てしまうのだ。意外と簡単。
「これでとりあえず今日の作業は終わりだ。あとはこれから毎日1週間、日に何度か中身をかき混ぜ、蓋を開けて空気に触れさせる」
「え……?」
このまま1週間待つと言う俺の発言に、メンバーたちから若干の疑惑の眼差しが向けられる。
「1週間ですか……。わざと腐らせるということでしょうか?」
頭の良いニーナが何か意味があることなんだろうと先読みして質問してきた。まあ惜しいな。
「ちょっと違うな。これは酒や漬物の作り方みたいなもんなんだが、分かるか?」
「ああ、なるほど」
「?」
ニーナと数人を除いてみんなの頭にハテナが浮かんだ。
ほとんどの人間が酒の作り方も漬物の作り方も知らないという事なんだろう。
ちょっと意外だな。漬物は当然だが、酒なんかも現地だと製造に許可とかいらないだろうから、各家庭ごとに作ったりしてるのかと思ったのに。
旧時代のヨーロッパとかだと、ワイン造りが庶民の日常風景の1つ、みたいなイメージだったんだが。
俺の勘違いか、間違った情報だったのかな。
「何日かするとな、リンゴからシュワシュワと泡が出始めるんだよ。更に1週間後にはその泡が落ち着いてくるから、そしたら下準備は完了だ。まあぶっちゃけると、こいつがパンを柔らかくさせる液なんだ」
「ほう」
「へー」
「まあそんな訳で今日は終わりだ。せっかくみんな集まったんだし、余った時間でプリンでも作るか?」
「プリン!」
「やったー!」
ここまで見ているだけで暇そうだった元孤児たちがはしゃぐ。他の女性陣も嬉しそうだ。
正直あんまりにもこいつらが暇そうだったので気を遣った次第だ。
ちなみに当然の如く一番喜んだのは甘い物大好きなニーナだ。尻尾があったらブンブン振っていたことだろう。
「なるほど。卵の持つ、熱で固まる性質を利用した調理法なのですね」と、材料を並べただけの時点で見抜いた辺りは流石だが。
酵母液の発酵による変化の様子を観察させるため、1週間の間、毎日全員でこの瓶を見に来るよう、指示を出しておいた。
俺もちょくちょく見に来たが、日ごとに勢いを増してリンゴから泡が湧く様子が面白かった。炭酸水みたいな感じか。
酵母菌が正常に働き、リンゴの糖を分解してガスを出している証拠だ。
中身を空気に触れさせる作業は元メイド奴隷さんにやって貰うことにした。なんかメイドだけあってそういうのキチンとしてくれそうだったし。
ちなみに後でニーナから聞いた話だが、住民たちが酒や漬物の作り方を知らなかったのは、そんな物を作っている余裕も無いぐらいギリギリの生活をしていたからだろうという話だった。
ニーナが言ったのはそれだけだったが、もしかしたら元奴隷だったことも関係しているのかもしれない。
奴隷になったということは、盗賊を退ける最低限の防衛力すら持たなかったと言うこと。あるいは、何か罪を犯して捕まったか。
そして犯罪に手を染めたのなら、それにはそうせざる負えなかった相応の理由があるのだろう。
要するに、それぐらい生きるのにギリギリだったという事なのだ。
「各家庭で作ってないのか」なんて思ったが、そもそもこの時代には、その『家庭』自体を持っていない人間が五万といる。
(……そういえば、王都にいたあのガキたちは生きてるのかな)
教会へと担ぎ込まれてきた血だらけの少女。
それこそ、あれはスリかなんかで捕まった結果なのかもしれない。
……今度王都に孤児院でも建ててやるか。
そこで今回『旧時代のパンの作り方』を調べてて偶然知った、『旧時代の石鹸の作り方』でも教えてやれば、それを売って生活することも十分に出来るだろう。
うむ、これは我ながら良い案だ。
下手にパンの作り方とかを教えると、王都のパン屋が一斉に首をくくることになりそうだし。
その点、石鹸なら元から貴重品らしいからまだマシだろう。
◆
そして来たる7日目の朝。
(おお、ネットで見た通りだ)
調理室に置かれた酵母液はリンゴジュースのような色になり、表面には白い泡が浮いている。
ネットに上がってた再現画像と同じ状態だ。初めての作業だったが、無事成功したらしい。
鼻を近付けるとアルコールを含んだ爽やかな匂いがする。傷んでいる臭いでは無い。
「よし、ちゃんと出来てるな。あとはリンゴを取り除いて濾せば完成だ」
もう1本作ったガラス瓶と1枚の布を煮沸消毒し、それらを使って綺麗にろ過した酵母液を作る。
こうなるともう完全にリンゴジュースだな。
「ほう……、普通の果実水のようになるのですね」
ニーナも俺と同じ感想を持ったらしい。
「それじゃあこいつで早速パンを焼いてみるか」
全員の手を石鹸で洗わせた後、ボウルを渡して作業台に立たせていく。
材料は小麦粉、砂糖、塩、バター、ぬるま湯。そして先程の酵母液だ。
ボウルでバター以外の材料を混ぜながら生地の固さを微調節。
耳たぶぐらいの固さになったらボウルから取り出し、作業台の上でこねていく。
生地が手に引っ付かなくなってきたらバターを加え、再びこねる。
それを丸く成形したら、いよいよ一次発酵だ。
「よし、全員できたな。それじゃあボウルに布をして、薪オーブンで火を炊こう」
生地の乾燥を防ぐためにボウルにラップをするようだが、当然現地には無いので布で代用することにする。
薪オーブンは熱するのに時間がかかるので、この時点で既に火を点けておく。
発酵に適した室温になるし、ちょうどいい。なんか気温30度前後が良いんだとさ。
「このまま30分ほど放置だ。ちょっと休憩にしよう」
「放置するのにはどんな意味が?」
賢者様が工程の理由を即座に質問してきた。勉強熱心なことだ。
「パンを膨らませるためだ」
「ほう」
「そうだな、時間もあるしちょうど良いか。―――では。そろそろなぜこのパンが柔らかく膨らむのか、解説してやろう」
「おお」
いい加減菌の存在を教えておこう。
俺はパイプ椅子に腰かけた面々を見渡した。
「まず最初の知識。俺たちの周りには『菌』と言う、人間の目では見る事が出来ないほどの小さな生物……まあ虫みたいなもんが、大量に存在している」
「小さな虫?」
ここにはニーナ以外にも人がいるので、いつもより更に分かり易いような言い回しを考える。
「ああ。今この瞬間にも、空気に、地面に、俺達の体に、その菌たちは存在してるんだ」
みんなが一斉に自分の腕を見る。だから見えないんだっつの。
「そうだなぁー…………あ、そうだ。例えば、それが人間の目に見えるぐらい大量に集まって出来る物があるぞ」
「『菌』が集まって出来る物?」
「キノコとカビだ。あれは元々目に見えないサイズの菌だが、それが何千、何万と集合、増殖することであの形を作っている」
「え!? キノコって虫なの!?」
純粋な子供たちから驚愕の声が漏れる。
大人たちは常識外の事を突然言われて困惑しているようだ。
「まあ動いたりはしないけどな。今まで植物だと思ってただろ?」
子供たちがブンブンと首を縦に振る。
「なるほど……言われてみれば、カビと同じような場所に生えますね」
俺の弟子生活で慣れているニーナはちゃんと話について来ている。
「で、この菌って奴らなんだがな。こいつらは餌を食べると、代わりに毒を出すんだ。人間は病気になるだろ? 実は病気ってのはな、この菌たちが体内に入り込んで、毒を垂れ流すことで起きてるんだ。流行病の大抵の原因はこれだな」
「ほう……!」
予想通り、ニーナが最も強い食い付きを見せる。
だが他の面々も、程度はどうであれ興味深そうに耳を傾けていた。
この現地では病と言うのは天災に数えられる致死の存在。
その原因の解明というのは、とても大きな意味を持つんだろう。
「傷んだ物を食べると腹を壊すが、これも菌のせいだ。そもそも腐敗ってのは、菌が物を食い荒らすことで起きてるんだ。1日が経ち、2日が経ち、その間に菌たちはどんどん餌を食べ、代わりに毒を出していく。これが腐敗の原理。まあそんな毒の塊を食えば、腹も壊すさ」
「な、なるほど……」
「でも、ここで1つおかしいことがある。その菌の塊であるキノコを食っても、腹が壊れないことだ」
「え、ええ。まあ毒を持つキノコもありますが……」
「それだ。キノコには食える物と食えない物が存在する。長くなったが、これが今回の主題。菌にはな、人間と同じで、悪い奴もいれば、良い奴もいるんだ」
「いいやつ?」
子供たちが首を傾げる。
「ああ。菌は餌を食べて毒を出す。だが中には、毒じゃなくて酒や酢を出してくれる物がいる。そいつらを利用したのが醸造なんかの技術だ。良い菌だけを使って物を腐敗させ、食える物を生み出すこと。これを『発酵』と言う」
「『発酵』……」
「今回作ったこの酵母液もその1つ。この酵母液には、『甘さ』を食べて『空気』を出すっていう菌が大量に繁殖してる。これを砂糖入りのパン生地に混ぜるとな、砂糖を食う代わりに、内側から空気を大量に出してくれるんだ。それでいつも食べてるパンみたいに柔らかくなるって寸法。今こうして放置してるのは、菌が砂糖を食うのを待ってるからって訳だな」
「へぇ~!」
「なるほど」
「ちなみに瓶を煮るのは、それ以外の悪い菌を殺す為だ。全てとは言わんが、菌は熱に弱い物が多い。熱により菌を殺す。これを『殺菌』とか『消毒』と言う。これが食材に火を通すと腹を壊さなくなる仕組みな。まあ熱だけじゃなく、薬品とかでも殺せるけど」
「ふむ……生物である以上、ごく普通の手段で駆除することができる訳ですか……」
さて、他になんか言っとく事ないかな。えーっと、言ったのは発酵、菌、病気、殺菌―――。
「あ、そうだ。さっき菌が病気の原因になるって言ったけどな、人間の体には元々菌を殺す機能が付いてるから、基本的には大丈夫なんだ。ただし、体が疲れてたり弱ってたりすると、菌の繁殖にその機能が追いつかない。それで病気が発症する。……ま、要するに、常に元気いっぱい健康体であれば、風邪なんか引かんということだ。馬鹿は風邪引かんってのは、悩みが無くて無駄に元気だからってことだな」
俺の軽口に大人達から苦笑が漏れる。
だが、何やらニーナとルルの2人は真剣な様子で何かを考えているようだ。
「―――なるほど、光の魔法で病気が治るのにはそんな理屈が……。体が健康になれば、元々人体が持っていた機能により、原因が排除されるということなのですね」
「そうか、病気を治してんじゃなくて、病気を治す力を治してるってことだったんだね」
急に魔法とか言うからちょっと驚いた。そういば現地では病気は魔法で治してるんだったな。
そっちの理屈は知らねーけど、『治療行為はあくまで自然回復力を助ける物』って考え方は俺らの考え方とも合ってるから、うん、もうそれで良いんじゃねーかな。勝手に納得しといて下さい。
「まあそんな訳で、30分後にはパン生地が二回りぐらい大きくなってる筈だ。楽しみに待つとしよう」
ニーナの質問攻めに遭ったせいで、30分はすぐに過ぎた。
ボウルの1つにかけられている布をめくる。
「わ、ほんとに膨らんでるね」
「すごーい!」
「おお……」
1.5倍ほどに膨らんだ生地を前に、みんなが目を丸くしている。当然実物を初めて見た俺も感動してるけど秘密な。
生地のサイズ的にはレシピに書いてあった通りだ。
あとは『フィンガーテスト』とやらで発酵具合を確かめるんだったか。
俺は生地のど真ん中に人差し指を突き刺し、その穴の様子を見た。
「みんな覚えといてくれ。発酵が不十分だと、この穴はすぐに元に戻ってしまう。今回は穴が空いたままだから成功だ」
「へえー」
一次発酵の完了した生地を再び作業台へと移す。
「勿体ないかもしれんが、ここで1回空気を抜くんだ。二次発酵と言って、あとでもう1度発酵させる。2度同じ作業を繰り返すことで、生地の食感がきめ細かくなる」
せっかく膨らんだ生地を押し潰して空気を抜く。
こういう「味を良くするために二度手間をする」って発想は、現代のような恵まれた状態だからこそ出てくる物なのかもしれない。
少なくとも、現地のように生きるだけですら余裕の無い世界だと、色々と難しい筈だ。
ここに暮らすのは、そんな世界が当たり前の現地人たち。揃いも揃って俺の料理に感動するのも、当たり前のことなのかもしれんな。
続いて、ガス抜きした生地を1人前ずつに千切っていく。
「そうそう、この時、パン生地を1欠片だけ『たね』として取っておくんだ。こうすると次からは酵母液を作らなくても、このパンのたねを混ぜるだけで膨らんでくれる」
「なるほど。そうやって1欠片ずつ、菌を存続させていくのですね」
「そういうことだ。まあ他の菌が繁殖しちまって駄目になることはあるけどな。そういう時は、また酵母液からだ」
5分ほど生地を休憩させてから成形し、鉄板の上に並べる。
再び布を被せて二次発酵開始だ。
「やはり美味しいだけあって、作るのに手間がかかるのですね」
「そうだな。でも作るのが面倒臭いからこそ、商品として成立する訳だ。自分で作るより、買う方が手っ取り早いからな」
「あは。なんかそれ、ハネットっぽいね」
俺の真面目な発言に、なぜかルルがクスっと笑った。
「俺っぽい?」
「え? あ、うーん、なんだろう。なんか、『相手の気持ちになる』っていうか、『相手の気持ちを利用する』……みたいな?」
「ああ……ふふ、そうですね。言いたい事は分かりますよ」
俺は相手の気持ちを利用する糞野郎だそうです。
まあまさにその通りなので反論しませんが。
二次発酵を終えて再び膨らんだ生地を、鉄板ごと薪オーブンの中に突っ込む。
10分ほどしてこんがりと焼き上がったら完成だ。
パン作りって、ほとんどが生地を作る時間なんだな。
「うわー、早く食べたい!」
子供たちが部屋に満ちる良い匂いと、焼き上がった丸いパンを見てはしゃいでいる。
昼飯に出すつもりだったが、数も予定より多いみたいだからちょっとつまみ食いしてみるか。
こぶし大ぐらいのパンたちを2つに割り、全員に半分ずつ配ってやる。
「お前達が自分で焼いた初めてのパンだ! 味わって食べるよーにっ! では、かんぱーい!」
俺の音頭で一斉に口をつける。……乾杯はちょっと違ったかな。
(うん、『普通』)
味は可もなく不可もなく。
ぶっちゃけ俺が料理スキルで出したパンの方が上だ。
しまったな、普段から良い物を食わせ過ぎたか。
これじゃみんなも微妙な反応に―――。
「美味しいね」
「ええ」
声に視線を向けると、ニーナとルルが満足そうに笑っていた。
他の面々も皆、幸せそうだ。
それは元奴隷たち―――かつては死んだ目をしていた女性陣もだ。
目の前の調理室には、柔らかいパンの香りと、暖かい笑顔が溢れていた。
その光景は、先日の初収穫の時と同じ。
この集落の人々は、ここに確かに生きている。
食を通じ、生の喜びを噛みしめている。
作ること、食べること、生きること。
そこには、NPCたち1人1人の、『人生』を感じさせる物があった。
(……まあ、いっか)
集落初めてのパン作りは大成功だ。
俺は相変わらず普通という感想しか抱けないパンを食いながらも、素直にそう思えた。
この翌日から、住民たちはそれぞれの希望した仕事に割り振られ、パン作りも正式に調理組の仕事の1つになった。
男たちが畑で作物を育て、それを使って女たちが料理を作る。
みんながその料理を食べ、また今日も1日働きに出る。
ある者は生活を豊かにするため道具を作り、ある者は気持ちよく生きる為に環境の整備に努める。
実に健康的な社会だ。
最初はどうなることかと思ったが……本当に、良い集落になってくれた。
(まあ人間の社会らしく、いつか破綻するんだろうけど)
でも俺の台無し思考回路はいつも通り平常運転でした。
大抵の良い話はハネットがコメントすると台無しになります。