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幕間 ティアの悩み

2016.7.27

ティア視点です。

……夢を見ていた。


私はその夢の中で、一面の業火に囲まれていた。

炎から遠ざかりたい一心で後ずさると、足が何かにぶつかった。

びっくりして振り返る。

地面に転がっていたのは、幼馴染のピズンだった。


―――()()()()になった、ピズンだった。


「ひっ―――」


周囲の炎にしか目の行ってなかった私は、そこで初めて地面の状態に気付いた。




赤。




赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤。


それは炎よりも赤い……


―――血の池だった。


そしてその血の池に。

……里の仲間たちの死体が、プカプカと浮いているのだ。


「いやっ……!! 嫌ぁああ―――っ!!」


私はあまりの恐怖に腰を抜かした。

血の池の中をなんとか這いずり、死体たちから遠ざかろうとした。

ばちゃばちゃと音を立てて、赤い血が私を濡らす。


悪夢だった。


それは忘れもしない、あの日に実際起きた出来事。

1年前の人間の襲撃なんて目じゃない、地獄の顕現。


「たすっ、助けて!! 誰か! 誰か、助けてぇ―――っ!!」


私は空に助けを求めた。

だって、周りは炎に包まれていたから。


手を伸ばした先には、星一つ無い真っ黒な空。

あるのは無。

この黒い空に助けを求めたって、誰も来てくれる筈はない。




……それなのに。




私はその黒い空を見て……安堵していた。

「助けに来てくれた」と思った。

世界で一番信じられる人が来たと思った。


なぜなら私はあの日。

『彼』の瞳を、見つめてしまったから。


その瞳の色が、髪の毛と違い、黒であることを知ってしまったから。

だからこの黒い空は。

『彼』が私を見てくれているんだと思った。


空に伸ばしていた手は。

いつしか『彼』の、白い手に引かれていた。

それは大きくて逞しくて。

ほとんど触れたことの無い……異性の手だった。





―――もう大丈夫だ。……あの時みたいに、俺が助けてやる。








木目の刻まれた天上が見えた。


2~3度ゆっくり瞬きしてから、布団を押しのけ起き上がる。

柔らかい寝台から立ち上がると、ふと自分が汗をかいていることに気付いた。

そういえば今、悪夢を見ていたんだ。

ぼんやりとした頭で、内容を思い出そうとする。

たしか、物凄く怖い夢だった筈。

既に詳しくは思い出せないが、多分あの魔族に襲撃された日の夢だろう。

私が最近見る怖い夢は、全部あの日の夢なのだ。


不意にマントが目に入る。


部屋の壁に掛けられた、鼠色の上等なマント。

皺が入らないよう綺麗に伸ばされたそれは、あの日、ハネット様から貰ったマントだ。

何故そのマントが気になったのか。

何故こんなにも気持ちが安らかになるのか。

服を着替える私は、その理由に気付いてなかった。





「肉を茹でている間にジャガイモを剥け。時間の有効利用って奴だ」


この集落に移住して来て、既に1週間が経った。

私達の1日は、朝食作りから始まる。

料理に使うのは、エルフには馴染みの無かった道具たち。

そしてその使い方を指導しているのは、なんとハネット様本人だ。

なぜ彼ほどの人が、こんなことをしているんだろう。


「……お、ティアは包丁使いが上手いな」


ジャガイモと言う名の芋を剥いていると、そのハネット様が声をかけて来た。


「えっ!? あ、あ、ありがとうございますっ……!」


何故かなんとなく彼の顔を見るのが怖かったので、ジャガイモの皮剥きに集中しているフリをしながら答えた。

最近私は、ハネット様と話すと苦しい。

なぜか心臓の鼓動が早くなって、息苦しくなってしまうのだ。


「家で料理とかしてたのか?」


「は、はい。お母さんが死んでからは、私が家のことをしていたので……」


「…………」


ハネット様は私の返事に黙った。

……今彼は、どんな顔をしているのだろうか。

私は振り返りたい気持ちを必死で宥めた。


「……そうか。―――なら、良い奥さんになるな」


「!?」


ただでさえ激しく鼓動を刻んでいた心臓が、その言葉で一際大きく跳ねた。

あんなに抑えていたのに、気付いたら上半身が勝手に彼に振り向いている。


だが彼は既にそこにはいなかった。

最後の言葉と共に、場所を移動してしまったのだ。

しばらく遠ざかって行く背中を見つめてしまい、慌てて作業の続きに戻る。

なるべく無心になってジャガイモを剥いた。


(……もしかして、お母さんの話をしたから、気を遣わせてしまったのかしら)


そんな気がする。


きっと半分は冗談で。

……もう半分は、私を励ます為だったのだろう。


さっきからドキドキとうるさい。

エルフはその見た目通り耳が良い。

私のその耳はさっきから、ずっと鳴り止まない心臓の音を拾っていた。


なぜかルルの姿を探してしまう。

見つけたルルは、その小さな手で、一生懸命ジャガイモを剥いていた。

ルルはこの料理の勉強は既に受けた事があるらしい。

それなのに、ルルはハネット様に頼んで、もう1度受けさせて貰っているのだ。

周りは嫌いなエルフたちばっかりなのに。

それでもルルは、参加した。

私はその理由を知ってる。


ルルはそれこそ、『良い奥さん』になりたいのだ。


そしてそのルルの隣には、賢者様も並んでいる。

彼女も同じ作業をしているが、ルルよりも少しだけ上手い。

……あの一帯は、参加希望者のための場所だ。

賢者様もルルと同じで、自ら勉強のやり直しを望んだのだ。

―――それは、何故なんだろうか。

あの賢者様がそうまでして、料理を学びたい理由。

もしかして。

もしかしてだが。

……誰か、食べさせたい人が、いるんじゃないだろうか。


2人を見て、胸がチクリとした気がした。

あんなにうるさかった鼓動が鳴りを潜める。


……この気持は、良くない。


その正体は分からなくても。

私はこの胸に湧いた気持ちが、(よこしま)な何かであると、理解していた。





―――ゴーン……ゴーン……


外から『2時』を知らせる鐘が聞こえてくる。

中央広場に置いてある『時計台』。

そこからこの音が聞こえてくるのが、『学校』の終わりの合図らしい。


「それでは今日はここまでにしましょう。皆さんお疲れ様でした」


『授業』の終わりを告げたのは賢者様だ。

今日は彼女がこの『教室』の担当だった。


私達は今、この学校という建物で、『文字』と言う物を習っている。

私達エルフは人数が多かったから、ハネット様が新しく建てた3つの『教室』に、分かれて入ることになった。

『先生』は賢者様と元奴隷さんたちの何人か。

そしてその先生たちは、ハネット様の指示で、1日毎に担当する教室を変えていた。

なんでかは分からないけど、彼がそう言ったのなら、何か意味があるんだろう。

ちなみにそのハネット様も、たまに様子を見に来る。

彼が接近してくると、精霊たちが逃げ出すからすぐ分かったりする。


賢者様の声を皮切りに、みんなが教室を出て行く。

私達はこの後自由時間だ。


「ではティアさん、行きましょうか」


「あ、はい」


賢者様に呼ばれてついて行く。

これはこの1週間の日課。

教室から出て賢者様の家に向かうと、庭先の机に既にルルが座っていた。


「あ、2人とも。お疲れ様」


ルルがお茶を淹れてくれる。

これは人間たちが言う所の、『お茶会』という物らしい。

要するに、親しい間柄で集まって、ただお茶をするだけだ。

この1週間、学校が終わってから、ルルたちの修行が始まるまでの間、こうしてゆっくりするのが私達の日課だった。


「ありがとう。……あれ? これ、ロトのお茶?」


ルルから受け取った『カップ』に入っていたのは、いつもの『紅茶』と似た色の液体。

若干これまでの物より薄い色をしたそれからは、嗅ぎ慣れたロトの葉の匂いがしていた。


「なんだってさ。ロトで作った紅茶らしいよ?」


「へぇ~」


ロトの葉でも紅茶って作れるんだ。

というか、紅茶ってどうやって作るのかしら。


「ああ、あの時の……。師匠ですか?」


何かに気付いて薄く笑った賢者様が、確信を持っている感じで問いかける。


「そうそう。昨日貰ったんだ。感想を聞かせてくれってさ」


昨日?

昨日はルルと朝から夕方まで一緒にいたけど、そんな事あったかしら?

私の知らない所で、ハネット様に会う機会があったんだろうか。


「そうですか。では頂いてみましょう」


賢者様がカップに口を着けたのを見て、私も真似する。

嗅ぎ慣れたロトの葉の香りの後、渋みの少ないすっきりした味わいと、仄かに甘い後味を感じた。


「わぁ……凄く美味しいわ」


「ですね。流石は師匠が作った紅茶。あの時の紅茶より、更に一段上のようです」


「あの時って何?」


「師匠と初めて王宮に赴いた時です。その時に師匠はロトの紅茶を初めてお飲みになられました」


「へ、へえ」


ルルが賢者様の返事に少したじろぐ。

多分自分の知らないハネット様との思い出を語られて、若干嫉妬したんだろう。

賢者様はハネット様に出会ったのが一番早い。きっとそれが羨ましいんだ。

……ちょっと分かるかも。


「……あ。じゃあこれは、その時の紅茶の再現なんだ?」


「そうでしょうね。……何しろロトの紅茶は、王室御用達の最高級のお茶です。売れば相当な富になります」


「うわー、そういうことか。流石ハネット。ちゃっかりしてるなぁ」


「しかも元のお茶より質が良いんですからね。生産者からしたら性質(タチ)が悪いです」


お金という奴の話なんだろうか。私じゃちょっとついて行けない。

2人の会話に無理に入らず丸いサクサクしたお茶菓子を楽しんでいると、私を守る精霊たちが、突然一斉に逃げ出した。


「おう、やってるな」


ドキっとする。

ハネット様の声だ。

彼は飛行の魔法で空から降りてくると、私の向かいの席に座った。

ちなみに私の今座っている椅子は彼が新しく作ってくれた物で、場所決めをする時にルルと賢者様の間で一悶着あったりした。

これまでは3人だからルルも賢者様もハネット様の隣扱いだったけど、私が入ることによって、1人あぶれる者が出るようになってしまったのだ。

当然2人の気持ちに察しが付いている私は、自ら辞退して正面の席を選んだ。

結果的に今の席は、ハネット様の左右にルルと賢者様が座り、正面に私という席になる。

2人はハネット様との距離が少し縮まり満足みたいだが、私は選んだ後になって後悔していた。

考えてみれば当たり前だが、彼の正面に座るということは、彼の目に入る機会が一番多いということでもある。

彼に見られていると思うと落ち着かないし、私の方も目の前に彼がいるので目のやり場に困る。

たまに目が合った時なんて、生きた心地がしないぐらいだ。

……まるで一瞬時が止まって、世界に私達2人だけになったような気がしてしまう。


「紅茶はどうだ?」


ハネット様が開口一番そう尋ねる。


「お、美味しかったです」


「うん、ボクも美味しいと思う。紅茶にすると、香りが強くなるんだね」


「はい。あの王宮の物より、一段上なぐらいです」


賢者様が最後にそう言うと、ハネット様が子供みたいに喜んだ。


「おお、マジか! へへーん、上々じゃないですか~」


「元はティアさんから貰ったあの茶葉ですか?」


「そうそう。あれを魔法で種に戻して、畑で何回か増やしてみた」


そうだったのか。

ハネット様が私を里に送ってくれた時の茶葉。

あれがこのお茶の元になっていたんだ。


「まあ売れたらティアのお手柄だな」


「えっ!?」


私はただロトのお茶っ葉を入れ物ごと持っていっただけだ。

お茶作りに協力した訳でも無いし、大したことは何1つしてない。

そんな、褒められるようなことなんて……。


「これで1つは『商品』が用意出来たな」


「商品ですか?」


言い訳しようとしていると、話題はあっさりと次に進んでいた。

なんだ、冗談だったのかな。……なーんだ。


「そう。ロトの茶葉は、この集落の『特産品』の1つな訳だよ」


「特産品……という事は、交易でもなさるのですか?」


「うむ。金の流れは集落にとって利益になるからな。他にはエルフ作の加工品とかを売るつもりだ」


エルフ作の加工品?


「ああ、それは良いかもしれませんね」

「あー、あれって売れるんだ?」


「?」


意味が分かってないのは私だけみたいだ。

ハネット様が私を見て、分かり易く教えてくれた。


「知らないかもしれないが、お前達エルフの木材加工技術は凄いんだよ。だから多分、お前達が作った木材製品は、金持ちに人気が出る」


木材の加工技術……。

言われてみれば、商館で使っていた食器は、エルフの里じゃ見たことも無いぐらい荒い作りだった。

あれは奴隷の扱いが悪いせいだと思っていたけど、もしかして他の人間たちも、あれぐらいの物を使ってるのかしら。


「あれ? でもハネットが作るのも綺麗だよね? ボクたちに作らせる意味あるの?」


ルルが疑問の声を上げる。

そう言えば、ハネット様が魔法で作る木の道具たちは、私達の使ってる道具と比べても遜色が無い。

だったら私達なんかに時間をかけて作らせるより、自分で作った方が早いし楽な筈だ。


「意味は無い! ただ俺の暇潰しになるだけだ」


堂々ととんでもない事を言う。

これには私は当然のこと、ルルの方も面食らっていた。


「…………」

「…………」


「し、師匠は何でも出来てしまいますから」


賢者様が補足を入れる。

『ハネット様は何でも出来るから』。

何でも出来る人の視点か。

そんな人からは、この世界がどんな風に見えるんだろう。


……もし、自分がそうだったら、どうだろう。


例えば里での生活だったとして。

私は朝のまだ薄暗い頃に起きて、まず一番にご飯を作る。

普段なら日が昇りきるまでかかる料理も、ハネット様と同じ魔法が使えるなら一瞬だ。

お父さんにご飯をご馳走して、仕事に出る。

普段ならお父さんが猟に出て、私が家の事をやるけど、ハネット様みたいな魔法が使えるなら、私が猟に出た方が早い。

私はほんの少しの時間でシカやイノシシをたくさん獲って帰ってくる。当然の如く、捌くのも一瞬だ。

そしてまだ朝が始まったばかりの時間に、家事をする。これも手を振るうだけで、全部勝手に終わるのだ。

掃除も、洗濯も、道具を作るのも、毛皮をなめすのも。

何もかもが、朝の内に終わってしまった。

……なら、自由な時間がたくさんある。

いつもは起きてから寝るまで忙しいまま終わる1日が、魔法があればそっくりそのまま自由時間だ。

私はこれを機に、やりたくて我慢していたことを全部やる。

森を散歩したり、小川で遊んだり、精霊と戯れたり。

お母さんが死んでから出来なかったこと、全部。

そして…………。



…………そして。

その後は、どうするのだろう。



ゾッとした。

周りを見れば、賢者様は苦笑しているし、ルルも「まあいっか」という顔だ。

……私だけが気付いたんだ。

『何でも出来る』という事の怖さに。

ルルも賢者様も、たしかまだ20歳ぐらいの筈だ。

2人はまだまだ学びたい事ややりたい事ばかりで、時間が有り余った人生という物を想像できないんだろう。

もしかしたら、80年という長い時間を生きている私だから、気付けたことなのかもしれない。


何でも出来るということは。

()()()()()()()()()だという事。


それは当然のように「暇潰しの為だ」と言う筈だ。

何でも出来るハネット様にとって、暇潰しという物の優先事項は、何よりも高いのだから。

私だってさっきの想像の中で数日も経てば、猟はまたお父さんに行かせるようになるし、面倒臭くても家事を自分の手でするようになるだろう。


……だってそうでもしないと、暇なのだから。




―――あれはさぞ……生きているのが、辛いのだろうな。


不意にお父さんの言葉が頭を過ぎった。

あの言葉の意味は分かってないけど、なんとなく今回の話とは関係ないように思う。

……でも、ハネット様の異常性を示す言葉としては、同じ物だ。


ハネット様には、私達とは違う世界が見えている。


きっと彼は、普通の人とは、色んな価値観がズレている。

なぜならそれは、『大きな力』を持っているから。




―――だから。

それによる、『大きな苦悩』を持っていても、不思議じゃない。




見上げた彼の表情は、幸福そうな物に見える。


「でもハネット。ロトの紅茶も美味しいけど、ハネットがいつも出してるお茶の方が美味しいよ? そっちの方が高く売れるんじゃない?」


「…………………………そんなん初耳やもん」


「師匠、自分で気付いてなかったのですか……。私は何か理由がある物かと……」


ルルが質問をして、ハネット様が冗談交じりで答え、それに賢者様が苦笑する。


……彼にとっては、私達と過ごすこの時間こそが。

掛け替えの無い、暇潰しなのかもしれない。


こんな他愛も無い、ただの日常の風景が。


(なら……なら、それまでは、一体どんなに『つまらない』日々を送っていたというの……?)


この穏やかな空間の中、私は1人恐怖していた。

それはただ、ハネットというヒト族の、想像も出来ない人生を想って。






「そろそろ3時か。それじゃあ行くか」


「うん」

「はい」


ハネット様が立ち上がるのを合図に、私達はお茶の道具を片付ける。

3人はこれから修行なのだ。


「ねえ、たまにはティアも参加しない?」


ハネット様が魔法で綺麗にしたカップを重ねていると、ルルがそんなことを言い出した。


「え?」


「ティアも魔法使えるでしょ? 精霊の加護があるから結構強いし」


ルルのその提案に、ハネット様が首を傾げる。


「精霊の加護?」


「精霊魔法が使えるエルフは、戦いになるとその加護で凄く強くなるんだよ。光の強化の魔法をかけたみたいに」


「ふーん」


ハネット様が私をまじまじと見つめる。

あ、ちょ、ちょっと、そんなに見つめられると、恥ずかしい、です……っ。


「よし、ちょっと見てみるか」


「え?」


「お前も参加してみろ。精霊がなんやかんやってのを見てみたい」


「え、あ、は、はい」


命令みたいだから頷いておく。

でも一緒にやるのがハネット様と賢者様とルルか……。

私の知ってる魔法使いで、一番強い3人だ。

緊張する。大丈夫かな……。




集落の端っこに移動してきた。

みんながいつも修行に使っている、住民は近寄らないようにと厳命されている場所だ。


「じゃあティアの実力を見てみるか。ティア、お前の魔法の適性はなんだ?」


「あ、は、はい。私は風と水に、あと土と雷です」


「ふむ。じゃあ最初は火のゴーレムから」


「?」


そう言ってハネット様は、人型の土の塊みたいな物を作り出した。

たしかみんなの言う『ゴーレム』とかいう物だ。畑の周りを歩き回っている奴。


「ティア、お前の魔力を見る魔法を使いたい。ちょっと肩に触るが、大丈夫か?」


「えっ!!?」


か、肩に触る?

それがその魔法の使い方なのだろうか。

そんな。は、恥ずかしい。


「まあ別に肩である必要は無い。体の一部であれば、手とか髪とかでもいい」


「そっ、それじゃあ、髪で……」


髪に触れられるのも恥ずかしいけど、こっちに感触が無い分、手や肩よりはマシだ。

肩に触れるなんて、ま、まるで新婚の夫婦みたいだし。

ドキドキしながら髪の毛を一房差し出す。


「じゃあ失礼して。―――『ペネトレート』」


ハネット様が私の髪をちょこんと摘んで詠唱すると、彼の背後に闇の魔法陣が出た。

そういえば、この前使ってた黒い腕の魔法も闇の魔法っぽかった。

ハネット様は光と闇に適性を持っているんだろうか。凄く珍しいと思う。


ハネット様は私の髪から手を離すと、虚空を眺めてうんうん頷いた。


「ふむふむ。……ルル、エルフの魔法的な特徴は何だ?」


「エルフの? えっと…………あ、ヒト族に近い種族の中では、一番魔法の力が強いよ。聞いた話だと、ドワーフよりも上らしいけど」


「私もそう教わりました。エルフは生まれつき、強大な魔力を持って生まれてくると」


「ふーん…………。まあいっか。すまん、ちょっとルルとニーナのも見せてくれ」


「はい」

「う、うん」


2人がハネット様に手を差し出す。

る、ルル。意外と大胆なのね……。


ハネット様は、私に使ったのと同じ魔法で2人の何かを見ている。

しばらく考え事をしてたみたいだけど、結論が出たのか顔を上げた。


「とりあえずやってみるか。ゴーレムは一番弱い奴だから大丈夫だろ。ティア、そのままそこに立ってろ」


「は、はい」


「ティア、ボクの杖貸してあげるよ。この魔石に魔力を通すと、少し魔法が強くなるんだ」


「そうなんだ、ありがとう」


ハネット様の指示でルルと賢者様が遠くへ。ゴーレムは私の正面、少し離れた場所まで歩いていく。


「ティア、今からやるのは戦闘の訓練だ。あのゴーレムが攻撃してくるから、魔法でも精霊でも自由に使って返り討ちにしろ」


「は、はいっ」


「参考までに教えておく。あのゴーレムの強さはお前の半分ぐらいだ。普通にやればまず勝てるとは思うが、かと言って油断すると負けるかもしれん。真剣にな」


「は、はい……」


真剣な戦い。ちょっと苦手だ。

私は誰かを傷付けるのが好きじゃない。

だから1年前の人間たちの襲撃の時も、戦わずに捕まったのだ。


「まあ怪我する前に止めてやるから安心しろ。……じゃ、俺がこの鉄の筒を空に放り投げる。それが地面に落ちた瞬間から始まりだ」


「わ、分かりました」


私が頷いてみせると、ハネット様も離れて行った。

すぐに私を守護する精霊たちが帰ってくる。


私の目の前にはゴーレムが1体。

そうだわ、気持ちを切り替えなきゃ。

あれは私の半分ぐらいの強さ。

そんな敵、あの魔族たちに比べれば、なんでもないわ!


「じゃあ始めるぞ!」


「はい!」


ハネット様が鉄の筒を放り投げた。

地面にぶつかって「コォン」という高い音がする。



(精霊たちよ、私を助けて―――!)



そう念じた瞬間、体に力が漲ってくる。

80年連れ添って来た精霊たちが、加護をくれているのだ。


「―――うおおっ!?」


遠くでハネット様の驚く声がする。

何かあったのかしら。

気になったけど、そちらに振り向くことは出来ない。

なぜなら、ゴーレムが真っ直ぐ突っ込んで来たからだ。


「くっ!!」


私はゴーレムが振るった剣を大きく避けて、後ろに後退した。

精霊たちの加護のおかげで、たった1歩で大きく距離が開く。今の私は羽のように体が軽い。


「―――水矢の魔法(ウォーターアロー)!!」


得意の水の魔法を使う。

空中から水の矢が物凄い勢いで噴出され、直撃したゴーレムが粉々になる。

動き出すのを警戒したけど、ゴーレムが立ち上がることは二度と無かった。


「…………あれ? これで終わり……?」


ぽかんとしていると、観戦していた3人が歩いて来た。

ハネット様が歩き出した途端に精霊たちが逃げ出していく。




「お前めっちゃ強いじゃん!!」




「えっ?」


真っ先にハネット様がそう口を開いた。

純粋に驚いたようなその表情を見る限り、責められている訳では無いらしい。


「ええ、驚きました。あれが精霊魔法を操るエルフの力なんですね……」

「でしょ?」


賢者様も目を丸くしていて、ルルの方は自慢げだ。


「お前のステータ……魔力と身体能力が急激に跳ね上がったが、あれが精霊の加護とかいう奴か?」


「あ、は、はい。多分そうだと思います」


「マジかよ、チート(はんそく)だな! 光の強化魔法をフルで(ぜんぶ)使うより上がってたぞ」


「精霊魔法は普通の魔法より強力なんだよ。その代わり、エルフでも使える人は少ないけどね」


「へえ~、エルフなら誰でも使えるって訳じゃないのか……」


「あ、そ、それと、ハネット様が近くにいると使えません」


「ん?」

「え? そうなの?」


私の補足に、ハネット様とルルが反応する。

ルルはハーフエルフだけど、精霊が見えている訳じゃない。

だから精霊たちがハネット様を怖がっていることを知らないのだ。


「た、多分ですけど、ハネット様が怖くて逃げるんだと思います。他のみんなの精霊もそうみたいです」


ハネット様が初めて里に来た時、森中の精霊たちが一斉に彼から逃げ出した。

なんとか踏みとどまってくれていた守護精霊たちも、ピズンが彼に喧嘩を売ろうとしたら慌ててどこかへ行ってしまったのだ。


「ああ、そういえばなんか、そんなようなこと言ってたな」


ハネット様もその一件は覚えていたらしい。


「さっきのハネット様との距離がギリギリみたいです。今、ハネット様が近付き始めた瞬間に、また逃げて行ったので……」


「ふーん、それはちょっと面倒だな……。模擬戦はどうしよう……」


何か不都合があったのか、ハネット様が考え込む。

少しして、何かに気付いたみたいにこちらを見た。


「……お前、なんで人間に捕まってたの?」


うっ。

嫌な所に気付かれた。

彼の想像通り、私の力なら人間数十人ぐらいまで皆殺しに出来る。

でも私はいとも容易く人間に捕まり、奴隷となった。

……それはなぜかと聞かれれば。


単に私が、例え相手が人間であっても、怪我をさせたり殺したりするのが嫌だったからだ。


勿論捕まった後では後悔した。

やっぱりもっと頑張って逃げれば良かったと何度も思った。

でも、結局最後まで、人間たちを殺してまで逃げようとは思えなかった。

私は戦うということに向いてないのだ。

動物やゴーレムならともかく、同じ見た目をした生き物に魔法を向けるなんて、出来ない。


私は正直にそれを話した。

なんとなく、彼は怒るだろうなと思った。

でも、きっと分かってくれる。

いつもみたいに優しい声音で、「なら仕方ないか」と言ってくれると思っていた。


―――そんな期待は、甘かった。





「ふざけるな」





心臓が縮み上がるかのような声だった。

辺りの温度が急激に下がって、足がカクカクと震える。

見上げれば、真っ黒な瞳が私を見下(みくだ)していた。

それはあの日の優しい瞳ではなく、軽蔑を込めた『闇』だった。


「お前、舐めてんのか? あ?」


「う……あ……」


声が出ない。返事ができない。

ただ目の前に立つ存在に、圧倒されることしか出来ない。


「人間を殺したくない? 戦うのに向いてない? ……ふざけるな。みんなそれでも戦ってるんだよ。嫌で嫌で仕方なくても、自分の為に、家族の為に、毎日毎日、この1分1秒をな」


みんな、戦っている……毎日毎日、この1分1秒を。

それはみんなが、一生懸命生きているんだという意味だろうか。


「甘ったれるな。生きるってのは戦いだ。何かを奪え。他者を傷付けろ。それが出来ない奴から、死ぬ。…………ちょうど、あの魔族たちに捻り潰された、お前の仲間たちのように」


「―――!!」


彼が虫ケラを見るような細い目で私を見下し、その挑発の言葉を言った。

その瞬間、私の脳裏に、忘れていた筈の今朝見た夢が、突然思い起こされた。

―――仲間の死体と、燃えていく住処。

その中で、ただ泣きじゃくるだけの私。

それは実際に起きてしまった、地獄の光景。


「あの時お前はどう思った? 憎くなかったか? 恨まなかったか? この世の理不尽を呪わなかったか? ……だが、それは間違っている。間違っているのは世界の方ではなく、ちっぽけな力しか持たないお前だ。世の中はそもそもが理不尽な物だ。弱ければ強い者には勝てない。それは物理法則だ。常識。当たり前。簡単なことだろうがよ」


「くっ……!」


私が間違っていた?

私が弱いから悪いって言うのか。

そんなの、酷い。

誰だってあなたみたいに強い訳じゃない。

勝てなくて仕方ない相手というのはいるのだ。


……でも。

そう思っても、言い返すことは出来なかった。

口が開かなかった。

だから、ただ拳を握った。

なぜか私に出来たのは、それだけだった。


そして、なぜ言い返せなかったのか。

私は彼が次に放った言葉で、それを理解した。




「……よく考えてみろ、ティア。―――お前、自分に子供が出来て、その子供が誰かに殺されそうになっている時でも、……そんな下らない言い訳、してる暇があると思うのか?」




「っ―――!」


息を飲んだ。

もしも、次に死ぬのが、私の子供だったとしたら。

その時でも、『言い訳』をしてるかどうか?



……している訳がない。



きっと私は、死にもの狂いで子供を守るだろう。

愛する人と触れ合い生まれた、2人の結晶。

それを壊されるくらいなら、たとえ本当は嫌だったとしても、自分が汚れるぐらい、構いはしない。自分が傷付くぐらい、構いはしない。

……けど、その状況で、さっき彼が言ったことを考えるなら。


()()()が来た時、大切な誰かを守れるかどうかは。……ただ1つ。単純に、その相手に勝てるかどうかにかかっている」


「…………」


そう。

勝てなければ、終わってしまう。

全てが無に帰してしまう。

理不尽に食い荒らされてしまう。


―――ちょうど、あの魔族たちに殺された、私の仲間たちのように。


この世界は、そういう風に出来ているのだ。

私はそれを、1度見ている。


「戦うのが怖いのは当たり前だ。他者を傷付ける事に罪悪感を覚えるのも。だから、その人間性を失くす必要は無い。…………でも、それでも戦え。生きる為に。守る為に。力を付けろ。それが出来ないなら―――




 ―――次に死ぬのは、お前が命より大事にしている誰かだぞ」




「……………………」


戦わないなら、死ぬ。

それは私ではなく。

私が私よりもっと大事に思っている、誰か。


「てぃ、ティア……」

「…………」


ルルが心配したような声を出す。賢者様は無言だ。

いつの間にか俯いてしまっていた私は、ある決意を込めて彼を見上げた。

視界はいつの間にか歪み、瞬きした目からポロリと涙が零れてしまう。


「……ハネット様。―――私に、戦う術を、教えて下さい」


間違っていたのは、私の方だった。

自分が弱いことは認めてもいい。でも、強くなろうとするべきだった。

……それはせめて。

今を確かに生きている、この1分1秒ぐらいは。


彼の黒い瞳が、私を真っ直ぐ見つめ返す。

その目はもう、いつもの瞳に戻っていた。

夢の中で何度も見た、私を見守る瞳へと。



「―――ああ、当然だ」



私はこうして、彼の3番目の弟子になった。


……戦うことは、やっぱり怖い。

でも、だからと言って、逃げる事は出来ないのだ。

だって『それ』から逃げるということは。

『生きる事』から逃げるという事でもあるから。


「それとな、ティア」


「? は、はい」



「お前にはあの魔族共が、さぞかし悪魔の化身のように見えたんだろうが……。その魔族共を更に叩き潰したのは、ただの人間である俺だ。……覚えておけ。この世界で一番危ないのは人間だ。別に俺でなくとも、ただの善良な一般人でさえ、心の奥底に『真の悪魔』を飼っている。―――人間こそが、世界最悪の生物だ」



その教えに、私だけでなく、ルルと賢者様でさえ黙り込んだ。


―――あれはさぞ……生きているのが、辛いのだろうな。


次の訓練へと移る道すがら、なぜか私の頭の中には、あの言葉が何度も反響していた。

それは、世界を理不尽だと結論付けた、1人のヒト族を指した言葉だった。

たった20年という月日の経験で、4倍も生きている私に説教をしてしまえる……そんな、他より何倍も物事が見える、『見えすぎる目』を持った、ヒト族を。

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