28 暴食と暴力
2016.7.20
2016.7.24 書き忘れていた勇者側視点のシーンを追加。申し訳ありません。
「じゃあ俺は帰るぞ」
「はい。ありがとうございました」
「お疲れさま」
ルルとの密会の翌日。
ちょうど今、今日の修行を終えた所だ。
これまではもっと遅くまでみっちり訓練に使っていたが、最近は早めに切り上げている。
というのも、ここから先は例の新魔法の開発があるのだ。
まあ師匠である筈の俺は、なんか「帰れ」とか言われているのだが。
理由を聞いたら、「師匠に勝つ可能性を上げる為です」と言われた。
どうやら2人が開発しているのは、対俺用の魔法らしい。
だから敵である俺には内容を見せたくないのだ。
うむ、よくぞ言った。それでこそ我が弟子よ。
俺を師としてではなく、倒すべき敵として見ているのが素晴らしい。
そうして今日も俺は1人で家に帰る。
こっそり覗き見とかはしない。
そりゃまあ気にはなる。だがあいつらは、俺が本気になったら抵抗できない弱者なのだ。
だから俺がスキルやマップを使って偵察するのはフェアじゃない。
完成した彼女たちの自慢の魔法を、正面から叩き潰すだけだ。
2日後の夕方。
今日も修行が始まった。
最初はいつも通り、俺が戦士役として2人を責める模擬戦だ。
俺はこの模擬戦では、魔法も武器も使わず、肉体能力のみで戦うことになる。
……ニーナたちが言うには、現地では圧倒的に戦士の数の方が多いらしい。
しかも魔法使いとしては、彼女たちは最強クラスだ。必然的に魔法使いと戦う時は、格下との楽な戦いになる。
であれば、この対戦士用の修行こそが一番重要な物だろう。
「よし、じゃあ始めるぞー!」
「はいー!」
「分かったー!」
いつものポジションについて鉄パイプを投げる。
落ちてくるまでの数秒で2人を観察。パイプが落ちると同時、地面を蹴った。
(昨日はニーナから攻めたから、今日はルルから攻めるか)
普通はサポート役から狙われる物だ。だから戦術としてはルルから狙うのが正しい。
だが俺が演じる『敵』がルルを光魔法使いだと知っている可能性は低く、逆に有名人のニーナを知っている可能性は高い。
恐らくだが、大抵の場合は最強戦力であることがバレバレのニーナが真っ先に狙われるだろう。
そして今日はその逆。
つまり、相手がルルの情報まで持っていた場合……用意周到に攻めてきた場合の訓練とする。
俺の動きに対し、ニーナは無詠唱のフローティングで一気に後退し、ルルも防御魔法をかけつつバックステップ。
ルルは見た目に反して移動速度がかなり速い。恐らくは無詠唱で強化魔法をかけたのだろう。
彼女たちはちゃんと俺の教えを守っている。
「光の拘束の魔法!!」
ルルから拘束魔法が飛んで来る。
だが今回、俺はルルのことを調べた体での攻めだ。
スキルを使って魔法を無効化し、何も無かったかのように進む。
まあ現地人でもマジックアイテムとか使えば再現可能だろう。
「『振動の魔法』!!」
「あん?」
ニーナが聞いた事も無い魔法を唱えた。
杖からは風魔法を示す緑の魔法陣が出る。
(『オリジナル』魔法?)
ついに来たのか? 俺の知らない現地の魔法。
ちょっと楽しみにして何が起こるのか観察していると、体に途轍もない違和感が走った。
まるで体が高速振動するかのような感覚。
10mぐらいの巨大電動マッサージ機にでも貼り付けられた気分。はっきり言って不快だ。
ほとんど同時に、俺の周りの地面が粉々に砕け散っていく。
ポップコーンが弾けるフライパンを連想させる光景。
いや待てよ、振動とポップコーン?
(まさか―――『レンジ』か?)
たしか小学生ぐらいの頃、理科の授業で時間が余った時に教師が豆知識として教えてくれた。
調理器具のレンジというのは、マイクロ波とか言う『振動』によって物を温めているのだそうだ。
食材の水分を高速振動させれば、当然摩擦熱が生まれる。
レンジはその摩擦熱を生み出すための装置、みたいな感じだったっけ。
地面の破壊の様子を見るに、マイクロ波と言うほどの細かい振動では無いらしい。
単純に強力な空気の振動で物理破壊を生み出す魔法か。
多分魔力とやらの波に、強弱を付けて繰り返しているんだろう。
(そうか、これが開発してた例の魔法か)
この前『コール』を教えようとした時に、電波の再現として、魔力で波を作るというのを提案した。
恐らくはニーナ辺りがそこから着想を得て、攻撃魔法に転用したんだな。
ルルの方は普通に俺に毎日光魔法を教わりに来てたし、1人だけ沈黙してたことを考えても彼女作だろう。
……つーかこれ、俺じゃなかったら木端微塵になるんじゃね?
プレイヤーが使えたら、『ザ・ワールド3大グロ魔法』に仲間入りして『4大グロ魔法』になってたかもな。
(ま、効かねーけどな)
魔法防御力の高い俺には0ダメージ。ひたすら空気の感触がキモいだけだ。
このなんたらかんたらとか言う魔法は範囲も威力もそこそこ。
俺相手じゃなければ結構良い魔法だな。普通に使い勝手が良さそう。
俺はちょっと不快な風魔法を無視し、ルルを優先的に狙いながら攻め立てる。
ルルも強化しているとは言っても、俺の方が足が速い。
修行初期の頃と違い、今は俺もある程度本気を出して相手をしているのだ。
大体ルルは適性とやらのせいで、元の敏捷ステータスがゴミカスだからな。このゲームのステータス強化技は割合上昇だから、大した意味がない。
1だった物を1.5倍しようが、10には届かんのだ。
いつも通り数秒で追いつく俺。
だがここからはいつも通りとはいかなかった。
「―――ッ! 『光矢の魔法』!!」
「な!?」
ルルが使ったのはただのライトアローだ。
だがそれに直撃したのは俺じゃない。
―――そう、ルル自身だ。
ルルはなんと、自分に向かってライトアローを使いやがったのだ。
気でも狂ったのかと思ったが、その結果もたらされた現象によって納得がいった。
ルルは俺と同じ方向からライトアローを放ち、自分にぶつけた。
普通なら大ダメージだが、先に張ってあった防御魔法のおかげで吹き飛ぶに留まる。
つまり、ルルは俺から遠ざかるようにして吹っ飛んだのだ。
距離を空ける為の爆発力として攻撃魔法を使い、そのダメージを防御魔法で無効化する。
なるほど、上手い使い方だ。……見た目はくっそシュールだけどな。
「振動の魔法!」
ルルが離れた途端、ニーナからさっきのオリジナル魔法がまた飛んで来た。
無視してルルに再接近したら、同じように吹っ飛んで逃げられる。
しばらく攻撃、移動、逃げ(吹っ飛び)、攻撃、移動、逃げ(吹っ飛び)が繰り返される。
プレイヤー的にはハメ技としてよくある流れだが、ルルのせいでシュール過ぎる。笑いそう。
(つーかニーナはなんでこの魔法しか使わないんだ?)
攻撃以外の絡め手には、いつもの土魔法なんかも使っているのだ。
だが攻撃に使う魔法だけは、このオリジナル魔法に限定されている。
何か意味があるのか? 例えば使う度に威力がちょっとずつ上がっていくみたいな。
不思議なことに、ニーナはその後も本当にこのオリジナル魔法だけで攻撃してきた。
もしかしたら、同じ攻撃を使い続けることでパターンを覚え込ませ、突然別の魔法を使うことで不意打ちを狙っているのかもしれない。
ちょっと気を付けておこう。
それから大体20分ぐらい。
俺は1つのおかしい事に気付いた。
(―――おい、ニーナはいつになったらMP切れになるんだ?)
既にニーナは魔法を300発以上使っている。そして戦闘時間は過去最長だ。
普段だったらMPポーションを使い、更にルルに回復して貰っていたとしても、とっくにガス欠になっている筈。
だがニーナは、ついさっき最後のMPポーションを使った所だ。
模擬戦開始から約30分で2本。
ニーナはMPポーションを使い始めてから持久力が1.5倍になった。
ということは、えーっと、MPポーション1本による回復量は、25%?
あー、なら25%……つまりポーション1本消費するのに………………5……分か?
なら最初のMPゲージに溜まってた分だけで20分も戦ってたのか。
……明らかに異常な持久力。
可能性としては、ニーナの最大MP量がこの1日で爆発的に増えたとか?
いや、それだとMPポーションで回復した後の持久力が説明できんか。MPポーションの回復量は割合ではなく固定だ。
ということは、何らかの方法でドーピングしてるか―――それとも。
(……あのオリジナル魔法か)
あれが異様に低燃費で発動できる魔法という可能性。
そう考えれば、ニーナの戦い方にも納得がいく。
そりゃ効果がそこそこ良い上に低燃費なら、その魔法ばっか使うわ。
(いや、でもどうなんだろう。それともドーピングの方か?)
マジックアイテムかスキルか。それとも新しい強化魔法か。
MP回復速度の強化という線もある。
(低燃費なのか、ドーピングなのか)
……気になる。
さっきの計算で言えば、あと5分でニーナは魔力切れ。
だがそこからルルの回復が入るから、模擬戦終了まではもう20分ぐらいかかる筈だ。
つーか1時間の戦闘ってなんだ。プレイヤーの対戦はフルでも30分なんだぞ?
もうこの辺で終わらせとこう。これまで30分ダラダラ付き合っただけで俺は偉い。頑張った。
俺は無限ループから脱出するため、足を止める。
接近しなくなった俺に、ルルとニーナが眉を顰めた。
今から見せるのは、こんなこともあろうかと、これまで見せずに取っておいた奥の手だ。
怪我しないよう、ニーナとルルには無敵化魔法をかけておく。
「ふん!」
地面を蹴り割る。
蜘蛛の巣のようにひび割れた地面から、レンガぐらいのサイズの土の塊を2つ手に取る。
「―――まさか!!」
「えっ!? えっ!?」
俺が何をするのか予測できた2人が、慌てて回避行動に移ろうとする。
(もう遅いわ! 喰らえオラ!!)
手に持っていた塊を1つ、ルルに向かってぶん投げた。それが着弾する前に2発目も投げる。
音速を遥かに超えた剛速球が直撃。
ライトアローすら防ぐルルの防御魔法は、その質量弾の前に容易く砕けた。
「うわーーーーっ!?」
ルルが悲鳴を上げながら2発目の直撃を受ける。
これで回復役は死亡!
……いや、当然無敵化を掛けてるから無傷だけどな?
仲間の悲惨な最期を前に、空に浮かぶニーナがゴクリと喉を動かした。
青ざめたな? 自分が今から、ルルより恐ろしい目に遭うのに気づいたようだな!
……フローティングで空を逃げ回るニーナを的にした、泥んこ投げ大会が始まった。
「師匠、武器は使わないんじゃなかったんですか?」
5発目ぐらいで地面に叩き落とされたニーナが、恨めし気な目で俺を見てくる。
「あれは『武器』じゃねえ。『舞台』だ」
地面だからな。
マップの地形ギミックを利用して勝ったようなもんと捉えることも出来る。かもしれない。
「うーん……」
俺の屁理屈にルルが額を押さえる。
まあそんなことはどうでもいいんだよ。
「そんで、あの持久力の正体は?」
「あ、あれは再三使っていたあの風魔法、『振動の魔法』の魔力消費量が少ないからです」
どうやら『魔法が低燃費だから』が正解らしい。
「へえ。凄い魔法だな」
「はい。あれは魔力の壁を断続的に照射する魔法です。なので実質、発動時間の半分は魔力を使っていません」
なるほど、そりゃそうか。
充電式のライトとかでも、点灯法を点滅に設定した方が長持ちするもんな。
「ふーん。あれがお前達が開発してた新魔法か?」
「はい。ついでに言えば、ルルさんの移動法もその時に考えました。どうでしたでしょう」
「良いんじゃねーか? 魔法の方は低燃費な上に効果はそこそこで使い勝手が良い。移動法の方も、事実俺から逃げ切れてた所を見れば一目瞭然だ」
「そうですか」
「やった」
俺の好評価に2人が顔を綻ばせる。
きっと色々苦労して編み出したのだろう。
……まあ移動法の見た目がキモいってのは黙っておくか。見方によればジェット噴射で飛んでるようにも見えなくはない。
2人を少しだけ休憩させ、2回戦に突入する。
いつも通り20mの距離を空け、正面に構えた。
―――俺はこの時、完全に油断していた。
彼女たちの新技披露は、今ので終わりだと思っていたのだ。
……既にここまでの時点で、この2人の手の平で踊らされていたとも知らず。
◆
「じゃあ始めるぞー!」
「はいー!」
「大丈夫ー!」
師匠がいつもの鉄の筒を空へと投げた。
2回目の模擬戦が始まる。
ついに来たのだ。この瞬間が。
打てる布石は全て打った。
あとは『この魔法』が、師匠に通用するかどうかだ。
やけに長く感じる時間の後、鉄の筒が地面へと触れる。
それと同時。私はいつものように後退するのではなく、まず最初に隣りにいるルルさんの腰を抱いた。
ルルさんが私の肩を手で掴む感触を合図に、無詠唱の飛行の魔法で空へと逃げる。
私はドワーフの血のおかげで多少の腕力がある。ルルさんぐらいなら持ち上げられるのだ。
いつもと違い、2人で後退し始めた私達を前に、師匠が困惑の表情を見せた。
……それすらも、私達の計算の内であることも知らず。
師匠の視線が私達に釘付けになっているのは、予想通りの反応なのだ。
(―――今だ!!)
そして私は本日の本命。
2つ目の新魔法を詠唱した。
「―――『暴食の魔法』ッ!!!!」
◆
鉄パイプを空へと投げる。
さっきの模擬戦はマジで長過ぎた。
流石に1日に2回は面倒なので、今回は一瞬で終わらせてやろう。
いつも通りの構えを見せる2人に、鉄パイプが落ちると同時に突っ込んだ。
その瞬間。
(―――あ?)
ニーナは後退するのではなく、隣りにいたルルの腰を片腕で抱き抱えた。
ルルもそうするのが分かっていたかのように肩を掴み返す。
それと同時、いつものように無詠唱のフローティングでの後退が始まる。
(なんだ? ルルを連れて逃げた? なぜ?)
ルルに機動力を与えるという意味では有りだ。
だがこの2人のコンビの基本形は、ルルがタンク兼サポート役、ニーナがアタッカー役だ。ニーナがルルと一緒に行動してしまうと、ルルを囮にすることができない。
それに2人で分かれていれば、敵の攻撃が飛んで来る確率は50%になる。
人数が増えれば増えるほど、被弾率というのは下がるのだ。
だが今の重なるようにくっついている状態なら、1人であるのと変わらない。
ニーナを狙った攻撃はルルにも当たるし、ルルを狙った攻撃はニーナにも当たる。
それらの利点を潰してまでこの形を取ったのはなぜだ?
というか直前までいつも通りにしていたのに、始まった瞬間にこの奇策……。
(―――演技してたのか?)
それに気付いた瞬間、何か不味い事態に陥っていることに気付いた。
それが何かは分からない。
何かは分からないが、俺は今、何か罠に嵌められているのだ。
恐らくは周到に用意されていた罠に。
ニーナと目が合う。
彼女はいつも通りの真剣な表情だったが、人間観察に長けた俺には、その瞳の奥に隠された物が見えた。
―――全てが計画通り。
彼女のその目は、そう言っていた。
「―――『暴食の魔法』ッ!!」
徒歩のルルならともかく、ニーナのフローティングなら僅かに俺の足より速い。
既に遠くて聞き取れないが、ニーナが何か魔法の詠唱をした後、その背中に土の魔法陣が出現する。
その魔法陣の茶色を見た瞬間、2人の思惑に勘付いた。
(下かッ!!!!)
突飛な行動は視線誘導。
俺の目を地面から引き離す為の、布石だったのだ。
(!! しかも『ガイアラース』かよ!)
大急ぎで地面を見ると、俺の足元にヒビ割れが生まれ始めていた。
『土の賢者』の代名詞、土の中位魔法、ガイアラースだ。
1秒後にはこのヒビ割れが左右に広がり、文字通り一瞬で大地に『谷』を作り出す。
言ってしまえば超巨大な落とし穴を作る魔法。
俺はいつも通り右足で大地を蹴り、左側の地面に飛び乗った。
そのまま左に15mも離れれば回避できる。
その筈だった。
(!!?)
左側の大地に着地した瞬間、足が滑った。
俺がバランスを崩したのではなく、地面の方がぬかるんだのだ。
(無詠唱で『スワンプ』か!)
スワンプというのは、地面に泥沼を作り出す移動阻害魔法だ。
ニーナが初めてやったゴーレム戦で使っていたあの魔法。
今は滑っただけだが、このまま体重がかかれば一気に膝まで埋まるだろう。
ニーナはガイアラースをこれまで1回しか使わなかった。
なぜなら俺が最初で最後のその1回を、完璧に避けてみせたからだ。
恐らくこの魔法は、ニーナの使える魔法の中でもMPを最も消費する筈。
どうせ避けられるのに、燃費の悪い魔法をわざわざ使う馬鹿はいない。
さっきのエアーウェーブとかいう低燃費魔法とは逆だ。
それを、今回は使ってきた。
上空に視線誘導した上にスワンプと組み合わせるというこの二段重ねなら、効くと思ったのだろう。
(舐めんなぁぁあッ!!)
落とし穴にダサく落ちてたまるかぁぁあああ!!
左足が滑った瞬間、咄嗟に俺は、残っていた右足で更に踏み切った。プレイヤーから見ても神速の反応だっただろう。俺は状況判断の早さには自信がある。
5mぐらい真横にジャンプし、スワンプの予想効果範囲から抜ける。
ゴーレム戦でしょっちゅう使ってるのが仇になったな。俺はお前のスワンプの範囲は見切ってる!
かっこつけて空中でそのまま1回転。
体勢を立て直し、両足から見事に着地した。
10点満点。
完璧に『決まった』。
―――グチャっ
いや、『嵌った』。
沼に。
「な―――!?」
固い地面だと思って踏みしめた大地は泥沼だった。
両足が一気にふくらはぎまで埋まる。
ぐおおおおしまった! 予想よりも範囲が広かった!?
だが膝ぐらいまで埋まりさえすれば、底に足が届く。
俺の怪力なら、この状態から脱出することもまだ出来るのだ。
ガイアラースが来るまでに脱出したい。早く底につけと思いながら足元を見る。
そして気付いた。
―――そうだ、ガイアラースが来るのが遅すぎる。
さっきまでいた右側を振り返る。
地面にはさっきまであったヒビが無い。
それは当然だ。
なぜならそこも、沼になっているのだから。
「な…………」
馬鹿な、範囲が広すぎる。
範囲拡大化でも使ったのか?
どこまでが沼になっているのかと周囲を見回し、更に驚く。
半径50m近くの超広範囲。
その全てが沼になっていたのだ。
直径で言えば、元の予想効果範囲の10倍。
というか……。
(ガイアラースは、どうなったんだ?)
泥沼が裂けて谷になるということも無い。
ただ俺の足がどこまでも沈んで行くだけだ。
どこまでも、どこまでも。
……まさか、底が無い?
(底無し沼か!!)
今分かった。
これはスワンプじゃない、別の魔法だ。
水魔法に水で牢獄を作り相手を溺死させる『ドラウン』というのがあるが、それの土魔法バージョンと言ったところか。
恐らくはニーナが開発した新魔法。
2つ用意していたのか。
その最後のピースにより、ニーナたちの今回の策、その全てを理解出来た。
……最初の模擬戦からこれまでの出来事。
その全てが、この新魔法を確実に俺に食らわせる為の布石。
まずはもう1つの新魔法、エアウェーブを先にお披露目する。
それも繰り返し何度も使い、執拗に、執拗に。
俺の頭の中に、囮であるエアウェーブの存在を強く刷り込む為だ。
そしてルルの編み出した、インパクト溢れる移動方法。
それらを同じ試合中に見せる事で、新開発の技は全てあの1戦で披露したのだと思い込ませた。
この1戦目は、俺を油断させる為に計画的に練られた試合展開だったのだ。
そして始まった本番。
開始と同時にルルを連れて空へ逃げたのは、本来はこの範囲魔法にルルを巻き込まない為だ。
俺の上空への視線誘導は、あくまで副次効果に過ぎない。まあそれにも引っかかった訳だが。
地面が割れたのはガイアラースへの偽装。
まんまとガイアラースだと思った俺は、前回と全く同じ動きで避ける。
だがそこで着地するのは泥沼。
最初から泥沼系の魔法だと思っていれば避ける方法もあったかもしれないが、予想外の展開に慌てた俺は、いつもの冷静さと観察力を失った。
あのヒビ割れは、俺を慌てさせるための手だったのだ。
そして最後は、この底無し沼の魔法自体。
実はガイアラースというのは、欠陥魔法だ。
反射神経と運動能力さえ高ければ脱出できるし、防御力が高ければ底にも着地できる。
所詮はただの落とし穴。
上に蓋が無い以上、攻略法はいくらでもある。
だが、底無し沼ならば。
一度捕らわれてしまえば、体はどこまでも沈んでいく。
泥には空気と違い、高い密度があり、質量があり、抵抗がある。
恐ろしいのは、一度沈めば水とは違って浮上が出来ないということだ。
粘性が高い為に、泥自体が重りになる。
無論底無し沼とは言っても、実際には底はある。それが5mなのか、10mなのかは知らないが。
だがそんな深さまで沈めば、体にかかる圧力と重さは計り知れない。
沈み始めた時には取っ掛かりが無い為脱出できず、底に着けば重さで脱出できなくなる。
はっきり言って、効果だけならガイアラースの上位互換と言ってもいいだろう。
空に逃げられない戦士の観点からすれば、回避不能、脱出不能の最強最悪の魔法だ。
―――だがこれは恐らく、そのガイアラースの弱点を克服するために作った物ですらない。
俺に、ダメージを与える為。
これは、ただそれだけの為に作られた魔法なのだ。
俺の体は圧倒的な魔法防御力により守られている。
火魔法だろうが、闇魔法だろうが、あのエアウェーブとか言う魔法だろうが、俺の体に傷を負わせることは出来ない。
……だが、このドラウンを模した魔法ならば。
無効化した所で、既にフィールドは物理的に泥沼に変えられている。
魔法もスキルも使えない以上、今の俺は結局沈む。
そして飲み込んでさえしまえば、ダメージは与えられなくても、物理的に空気を遮断することが出来る。
そうなれば、あとは窒息・溺死を待つのみだ。
この魔法は、魔法が効かない俺を、物理で倒す為の魔法。
偶然にも、さっき俺が言った言葉と重なる。
―――これは魔法じゃない、『舞台』だ。
実力で敵に勝てないなら、地形に殺して貰えばいい。
ゲーマーなら分かる理論。
1戦目のループ戦法を「プレイヤーのハメ技」と表現したのは正しかった。
この2人のNPCは、『ハメ殺し』を編み出したのだ。
ありとあらゆる想定と工夫。
それは、人類が持っている最強の『武器』。
思考による強者の打倒。
現実世界で、そうして人類は最強の座を得た。
人間は―――『強者殺し』の一族なのだ。
俺は思わず笑ってしまった。
本当に、よく考えられている。
魔法自体もそうだが、ここまで俺を誘導してきた布石の撒き方が実に良い。
多分今日の俺の行動と反応は、何から何まで予想通りだったことだろう。
それはまさに、俺の戦い方その物だ。
そして、俺が教えている『強者との戦い方』でもある。
「……よくやった」
多分聞こえていないだろうが、弟子2人を褒めてやった。
特にニーナ。
初めて会った時の、あのお粗末な戦い方。
それがたった2か月で、こうも化けるとは。
やはりお前は天才なんだろう。俺より遥かに上等な人間だよ。
―――それなのに。
なぜ、最後に間違えた?
◆
「―――『暴食の魔法』ッ!!!!」
私の中から大量の魔力が失われ、背中に魔法陣が展開された感覚が走る。
それと同時、無詠唱魔法で地面にヒビも入れておく。
このまま暴食の魔法に嵌ってくれれば良いが、何かあった時の保険だ。
ずっと困惑の表情だった師匠の顔が、私の魔法陣を見た瞬間に素早く下に向けられる。
もしやと思ったが、やはりバレたか。流石は師匠だ。
しかし師匠は、私が保険で用意しておいたヒビ割れに引っかかった。
そして目にも止まらぬ速度で自身の左側に飛ぶ。
あの唯一『地神の魔法』を使った時と同じ動き。
想定通り。
異様な身体能力により一瞬で反応してみせた師匠は、左に着地した瞬間に体勢を崩した。
生まれ始めた泥沼に足を滑らせたのだ。
よし、これで完全に嵌った。
そう思った次の瞬間。
「―――な!?」
「嘘!?」
彼は泥沼から脱出し、宙を舞っていた。
あまりにも早過ぎて見えなかったが、恐らく師匠は飛んだのだ。
まだ泥沼化していなかった、右足側の大地を蹴って。
戦慄が走る。
これほどまでに綿密に計画を立てて、まだ勝てないと言うのか。
それもただの身体能力だけの相手に。
あわや脱出されたかと驚愕したが、師匠は空中で見事に体勢を立て直した後、そのまま近くに着地してしまった。
恐らく私が普段使っている『泥沼の魔法』と勘違いしたのだろう。高い観察力が仇になったのだ。
何かあった時のことを想定し、範囲を広大にしておいて良かった。下手したら今ので抜けられていたかもしれない。
気を緩めず師匠の様子を眺めていると、師匠は泥沼に沈みながら、不意に目を見開いた。
どうやら全て罠だったことを悟ったようだ。
その師匠が、ズブズブと沈みながらこっちを見る。
……―――。
何かを言った。
その柔らかい表情と口の動きからするに、どうやら褒められたらしい。
「やるな」とか「参った」とか、そんなことだろう。
「ニーナ……」
「ええ……」
ルルさんの嬉しそうな声に頷き返す。
―――初めて、師匠に勝った。
例え師匠が魔法を封印した状態だったとしても。
それはつまり、世界最強に近い戦士を封殺したということなのだ。
負けを認めた師匠には抵抗の様子が全く無い。
ただ黙って泥に沈んで行くだけ。
既に太ももまで飲み込まれてしまっただろうか。
…………なぜ脱出しないのだろう。
それは、私の中に生まれた小さな違和感。
この魔法は地神の魔法と同じく、飛行の魔法さえ使えば簡単に脱出できる。
既に勝敗は決したのだから、早急に脱出してしまえばいいのに……。
少なくとも、普段の師匠ならそうする筈だ。無様に泥に飲み込まれていく理由が分からない。
違和感の正体を考えていると、不意に師匠が右手を振りかぶった。
それと同時。
「ひっ―――」
「ぁ―――」
―――圧倒的な死の予感が、体を舐めた。
私にはその感覚に覚えがあった。
これは、師匠と最初に会った時に感じた物。
……すなわち、彼が盗賊達を皆殺しにした時に放っていた―――『殺気』だった。
まるで世界が歪んでいくかのような錯覚。
幻聴なのか事実なのか、空と大地が悲鳴を上げる。
あまりの恐怖に息が出来ない。いつかのように失禁してしまいそうだった。
その振り上げられた握り拳。
それを一体どうすると言うのか。
何が起こってしまうのか。
正体不明の恐怖に体を震わせる私達の前で、その答え合わせが起きた。
―――鼓膜を裂くような轟音。
泥沼が、内側から大爆発を起こしたのだ。
「―――!!!?」
「ひぃっ!!?」
まるで噴火した火山。
沼から泥が―――黒い津波が、一気に溢れ出す。
……それにかかった時間はほんの数瞬。
その間に、先程まで目の前に広がっていた筈の泥沼が無くなっていた。
あるのは中身の吹き飛んだ巨大な穴のみ。
そしてその、巨大な穴の中心に。
師匠が拳を振り下ろした格好のまま、着地していた。
周りに残る僅かな泥たちすらも、彼を恐れるかのように飛び散り、離れていく。
そんな。まさか―――。
(あの泥沼を、正拳1つで吹き飛ばした!!!?)
私の作った膨大な泥は、師匠の拳から放たれた衝撃により、弾け飛んだということなのか。
……明らかに人間の腕力ではない。
恐らくは、あの勇者たるユンさんであっても不可能だろう。
そこで私は、師匠の言いたいことを理解した。
戦いは、まだ終わってなどいなかったのだ。
私達は、この魔法と一連の流れを、師匠を打倒する為に考案した。
そう、私達が挑んだ相手は、世界最強の戦士ではない。
『師匠』なのだ。
その彼が、この程度の魔法で終わる訳が無い。
たった一撃。
たった一撃の拳があれば、私ごときが編み出した魔法など、無に帰すことができるのだ。
……例の盗賊達の一件を思い出した。
初めて彼の力を見せつけられた時、私はその圧倒的な力を、『暴力的だ』と感じていた筈だ。
なぜ忘れていたのだろう。
彼のその強さの神髄を。
圧倒的な、『暴力』を。
この魔法は確かに回避不能だ。
実際、師匠でも回避出来なかったのだから。
だが、脱出の方は不可能では無かった。
圧倒的な一撃さえ放てるのなら、泥自体を吹き飛ばすことが可能なのだ。
先程はああ考えたが、ユンさんでも5発、10発と時間をかければ、同じことは可能かもしれない。
あるいは帝国最強の矛、『雷鳴』にも。
たしかに師匠は油断していた。
だが私たちも、それを見て油断してしまったのだ。
それはたった1つの過ちだったが、師匠との訓練において、最もしてはいけない過ち。
―――この訓練は、格上に食らいつく術を学ぶ為に始まった物。
そう、彼が格上で、私達が格下。
数秒動きを止めていた師匠に対し、私達が本当にするべきだったのは。
……彼が完全に沈みきるまで、必死になって攻撃し続けることだった。
◆
足が泥沼に沈んでいく中、2人を見上げる。
今俺の心は、珍しく称賛でいっぱいだった。
2人の今の戦い方は、『俺の戦い方』。
それはつまり、ほとんどのプレイヤーには出来ない戦い方という事でもある。
前にも言ったが、俺の『頭を使う』という戦い方は、このゲームにおいて少数派なのだ。
9割近くのプレイヤーは、ただステータスを上げて敵に真っ直ぐ突っ込むだけ。
はっきり言おう。
プレイヤーは馬鹿ばっかりだ。
ゴミ脳みその集まりと言って過言ではない。
事実対戦してると、相手がガチ勢でもない限り負ける気がしない。
奴らは知恵を捨てた猿だ。ただ爽快感を求めるだけのプレイで、真剣に物を考えてない。
だがこの2人はどうだ。
俺と言う『ボス』を観察し、倒す為に何日もかけて作戦を練り、新技を揃えて挑んで来た。
そしてそのことごとくが成功し、今こうして俺を追い詰めるに至っている。
まず間違いなく、同じレベル台のプレイヤーでは彼女たちに勝てないだろう。
言ってしまえば『考えるボス』。
無理ゲーも良い所だ。
なんなら戦闘訓練は、今日で卒業で良いかもしれないな。
これからは、毎日新魔法の開発だけやらしてやろう。
そして最終的に、「全ての魔法を使いこなす、伝説の魔法使い。人は彼女をこう呼んだ。『千の賢者』と―――!」とか言われるぐらいに育ててやるのだ。
俺が弟子たちの成長をモンスター育成ゲームのように喜んでいると、視界をズームしていた目に、彼女たちの安堵する顔が映った。
彼女たちは泥に沈んでいく俺を見て、勝利を確信したのか顔を綻ばせている。
「―――あぁ?」
それを見た瞬間、喜びが霧散した。
急速に機嫌が悪くなる。
おいおい、勘弁してくれよ。
―――戦いは、まだ終わっていないだろう?
前に言ったよなぁ、ニーナ。
「お前は生きるってことを舐めてる」と。
修行始める時にいつも言ってるよなぁ、ルル。
「殺すつもりで来い」ってよぉ。
俺が今、死んでるか?
1度でも、降参の合図を出したか?
なあ2人とも。
―――なんで、追撃して来ない?
泥沼に沈めたいなら、上から押さえつけるでも良い。
火で炙ったりとかで時間を稼ぐでも良い。
ライトバインドで動けなくさせるのも有りだろう。
今のこの状況なら、そっちはやりたい放題の筈だ。
でも、2人は動かない。
最後のチャンスとしてしばらく待ってやったが、動かない。
完全に終わったと思い込んでいるのだ。
「…………」
これは、お灸を据えてやる必要があるな。
お前達が「本気で戦う」という前提を忘れたと言うのなら。
俺が本気を見せてやろう。
俺は握り拳を作り、適当に振りかぶった。
やることはごくシンプルだ。
ちょっと本気で、泥を殴る。
ただそれだけ。
そう、ただそれだけでいいのだ。
強者というのは、そういう物なのだ。
振り上げた右腕を、若干本気で振り下ろす。
俺のレベルは1300越え。
物理攻撃力は300~400レベの戦士職に匹敵する。
それは本気で殴れば、この沼どころか、集落ごと一撃で吹き飛ばせることを意味する。
弱者が知恵で覆すなら物なら。
強者は、力でねじ伏せる物。
思い出させてやろう、雑魚共。
この訓練が、強者との戦いの訓練であるということをな。
音を置き去りにした俺の拳が着弾する。
そしていともあっけなく。
黒い大地は、崩壊した。
莫大なエネルギーと風圧に押された泥たちが吹き飛んでいく。
これが水だったら津波と同じく瞬時に戻ってくるのだろうが、粘性の高い泥なおかげでそうはならない。これはこれで弱点な訳か。
空っぽになった沼の底に着地する。
『汚染無効』スキルのおかげで、磁力に弾かれたかのように泥が俺から遠ざかった。当然体の方にも付着していない。
結局深さは20m前後か。
本当に大規模な魔法ですこと。まあ現地の価値観からすればだが。
「―――っ」
「う……あ……」
穴の中心から馬鹿弟子共を見上げる。
目が合った2人は、空に浮かんだまま体をガクガクと震わせた。
さて、説教といくか。
2人の浮かんでいる場所まで真っ直ぐジャンプ。
蹴られた地面に軽いクレーターが生まれるのを感じる。
「!!!?」
2秒もかからず到達した俺を前に、2人がビビリながら目を見開く。
俺は彼女たちに無敵化をかけつつ、容赦なく拳を叩き込むことにした。
「―――ニーナ!!」
顔を青くして何も出来ないニーナをルルが庇った。
恐らくはいつもの防御魔法を無詠唱で使ったのだろう。
だが知らん。
前は破るのに2発かかったルルの防御。
それを一撃で叩き割る。
所詮は下位の防御魔法。本気で殴りゃこんなもんだ。
驚愕に目を見開くルル。
そしてそれが、彼女に許された最後の行動。
俺の拳は防御魔法を破ったのではない。『貫通』したのだ。
勢いすら緩まぬ俺の拳が、2人を大地に叩き付けた。
レベル100ぐらいまで行った戦士なら、これぐらいは出来る。
覚えとけよ、2人とも。
◆
「ニーナ。自分たちの何が悪かったか、分かるな?」
「…………はい」
訓練後の反省会。
そこには、お通夜のような雰囲気が漂っていた。
ニーナは返事はするが、帽子を深く被った上に1度も顔を上げない。
ルルも顔を真っ赤にして今にも泣きそうだ。
そしてその元気の無い2人は、全身水浸しでビッチャビチャ。
何があったか、簡潔に説明しよう。
―――こいつらは、お漏らしをしてしまったのである。
俺があの後着地して2人の落ちた場所へ向かうと、彼女たちは濡れた下半身を隠すようにして縮こまっていた。
「また(?)やってしまった……」とか「うぅ……こんな歳になって……」とかブツブツ呟く2人に、俺は気付いてないフリをして、「お仕置き」と称し魔法で水をぶっかけた。
そして現在に至る。
頭から水をかけたのは有耶無耶にするための措置だったが、俺は普段、彼女たちが何か間違いをしても口で言い聞かせるだけだ。
俺がお漏らしに気付いたことは、彼女たちも承知しているだろう。
正直言って反省した。
俺には、2人が失禁した理由に心当たりがあったのだ。
……恐らくだが、最後らへんの俺が怖すぎたんだろう。
あの時俺は、2人の詰めの甘さにイラっとして、心を穏やかに保つのを忘れていた。
初めての訓練の時にニーナが怖がったので、普段は気を付けていたんだが……。
だがまさか、失禁するほどとは。
マジで俺からは殺気が出てるんだなぁ……。
「私達は油断しきり、詰めを誤ってしまいました……。師匠から教わって来たことを考えれば、相手が降参の姿勢を見せるまで、追撃を加え続けるべきでした…………」
声がめっっっっちゃ暗い。
だが一応俺の言いたいことの方は理解できているようだ。
「ああ、そうだ。この訓練は強者との戦いを想定した物。死体に矢を撃つぐらいの慎重さは見せて欲しかった」
「はい、申し訳ありません……」
「………………」
俺の苦言に2人がシュンとなる。
可哀想だが、あと1つ言っておくことがある。
「なあ、2人とも。俺の強さを、『理不尽だ』と感じたことはあるか?」
「? …………あります」
「……ある」
「そうか。お前達は正しい。……実力差ってのはな、理不尽なもんなんだ。そして俺は今回、強者として、わざとその理不尽を演出した」
「………………」
「…………?」
何が言いたいのか理解できない2人が、やっと俺を見上げた。
俺はその2人の涙目を真っ直ぐ見つめる。
「覚えておけよ、お前達。強者に挑むというのは、『理不尽に挑む』ということ。―――理不尽を、叩き潰せ。生きて帰さんとばかりに追い詰めろ。…………お前達が容赦を見せた時。理不尽に殺されるのは、より弱き弱者たちだ」
「―――っ。は、はい」
「…………うん」
うん、ちゃんと反省してるみたいだし、今日はここまでにしとこうか!
そうしよう、そうしよう!
俺は説教も修行も早々に切り上げることにした。
「…………ま、2人とも気にすんな。魔法自体は良かったし、所詮はこれから何百何千とやるだろう失敗の1つだ。それにもっと酷いやつは世の中にいくらでもいる」
「……はい」
「……うん」
俺はフォローを入れながら2人の服を乾かしてやり、その場で分かれた。きっとしばらく1人になりたいことだろう。
20歳近くにもなって異性の前でお漏らし。しかも女の子が。
普通にトラウマ物だろう。ちょっと悪いことしたな。
……いや、俺が気に病む必要は無いか。
そもそも悪いのは教えを忘れていたあの2人だし。
それにお漏らしはともかく、今回の失敗自体は今後の良い教訓になる。
勝者とは、『最後に立っている者』。
それはつまり。
敗者が地に臥すまで、戦いは終わってないということなのだ。
ちなみに。
(……30歳ぐらいで漏らしたことある奴も絶対いると思うぞ)
最後のフォローはそういう意味だった。
2人は自分の醜態を気にして2~3日ほどモジモジしていたが、俺が気にせず話しかけ続けると、すぐに気を取り直した。
1週間ほど経った今ではすっかり普通だ。
恥ずかしい失敗というのは、生きている限りやり続けてしまう。
1度ぐらいの失敗は、有って無いような物なのだ。
その後も俺達は、いつも通りだったり、ちょっと失敗したり、ちょっと良いことがあったりしながら、日常を過ごした。
俺達は、平和だった。
……そう、俺達は。
◆
それから約半月後。
ハネットたちの集落から遥か北西。
都市ルミネールの上空を、勇者ユンと魔法使いルーチェの2人が飛んでいた。
「ルーチェ! 僕は向こうを!」
「分かった!」
現地で最高級の移動手段であるドラゴンの亜種『ワイバーン』に乗るユンが、隣りを飛ぶルーチェに街の一点を指し示した。
そこには今、10匹を超える数の魔族が集まっていた。
街の全体からは黒煙が上がっている。
このルミネールは今、魔族に襲撃されているのだ。
ワイバーンを目的地の上空まで飛ばしたユンが、不意にその背中から飛び降りる。
高度100mからのダイブ。
空気を切り裂き落ちて来たユンは、地上に着地する瞬間、猫のように膝を曲げた。
絶妙なタイミングで分散させられた衝撃が石畳を叩く。流石に分散させたと言っても、高度100mから落下したエネルギーはゼロにはならない。ユンを受け止めた石畳は凄まじい音を立てて破壊された。
が、彼女は当然のように無傷だ。
ユンの肉体は石畳どころか鋼鉄すらも凌駕している。
「ナンダ……!?」
そのけたたましい音に、街の破壊を楽しんでいた魔族たちが一斉に振り返る。
「ふっ―――」
「ア?」
だがその首がユンの方を向き切る前に、既に最初の1匹は上下に切断されていた。
人の目では捉えることのできぬ神速の踏み込み。
そして2mを超える魔族を一刀両断にするその膂力。
軌跡に残光を残す美しい細身の剣。
聖剣に選ばれたヒト族最強の救世主、勇者ユンの参上である。
「来タカ!」
「ふぅっ!」
触手を持ち上げ、構えを見せた魔族にユンが迫る。
自身を押し潰そうと叩き付けられた触手たちを、ユンは避ける事もせず、神速の刃でもって全て叩き斬ってみせた。
その余りの剣捌きの速度に、魔族たちの目からは何が起きたのかすら分からなかった。
「ナ―――」
触手を失った魔族の、最後に残っていた首が落ちた。
2匹目。
5秒もかからず始末された仲間たちを見て、魔族たちが1歩後ずさる。
ちょうどその時、遠くで爆発するような音が聞こえた。
恐らくルーチェも別の場所で戦いを始めたのだろう。
他の3人も同じく戦闘を開始している筈。
その全員が、この大陸最強クラスの猛者たちだ。
「これで終わりだよ」
聖剣が白い軌跡を残して閃いた。
「ジン! シャル!」
半刻後。
戦いを終えたユンが仲間の2人と合流した。
戦士のシャルムンクを、盗賊のジンがサポートする組み合わせ。
パーティー内で分散して戦う際の、基本的な組み合わせの1つだ。
防御力の低いルーチェの方は、騎士であるエドヴァルドが守っているだろう。
「おう、あらかた片付いたか」
「うん。さっき最後の1匹を倒したよ。……ねえ、2人とも。将の魔族ってこの辺にいた?」
「いや、見てねえな」
「俺もだ」
「やっぱりか……。ねえ、ここの魔族たち、数が少な過ぎると思わない?」
「ああ、楽勝だったな。―――楽勝過ぎた」
「まず間違いなく、そうだろうな」
数多の魔族と戦って来たユンたちは、魔族という物を知り尽くしている。
魔族は将の魔族のいない状態では行動しない。群れの中には、必ず将が存在するのだ。
だが今回の防衛には将はいなかった。それはつまり。
「やっぱり。―――これは斥候か別働隊で、本隊は別にいるんだ」
将を倒してないということは、将は生きているということ。
数が少なかったことを見ても、近隣にまだまだ魔族たちがいる可能性は高い。
「ルーチェたちとも合流しよう! すぐに周りを探さなきゃ!」
街の人々には悪いが、今回は復興の手伝いよりも先に、そちらを優先させる必要がある。
まずは5人で迅速に探索の計画を立て、早々に出発しなければ。
早ければ早い程、次に襲われる筈だった誰かを多く救うことが出来る。
(どこかの誰かの為に……)
それがユンが剣を握る理由だった。