27 束の間の日々
2016.7.19
ボクはハーフエルフのルル。
色々あって人間の社会に出たボクは、そこで運命の人に出会った。
いや、ボクが勝手に運命だと思ってるだけなんだけどね。えへへ。
その運命の人の名前はハネット。
彼を一言で言い表すなら、ただただ『凄い』。
彼は伝説の魔法を平然と操る大魔法使いであり、様々な知識を持つ大賢者でもある。
あの千年に1人の天才と言われたニーナが師と仰ぎ、個人でありながら国を一方的に従わせるほどの存在だ。
でもボクが好きになったのは、彼が凄い人だからじゃない。
……まあそれなら何でかと聞かれると、上手く説明できないんだけどね。
とにかく人柄と言うか、雰囲気と言うか……そういうなんか、人間性みたいな物が好きって感じだ。
ボクと彼の出会いは複雑だった。
何しろ最初、ボクたちは敵として出会ったんだ。
当然コテンパンに負けちゃったけどね。それにしても、今思えばその日の夜には彼の事が好きだったように思う。
……実を言うと初恋だ。
だから色々と分からないことばかりで難儀している。
世の中の女たちはどうやって知識を得ているんだろう。例えば男の落とし方とか。
「ねえニーナ。男の落とし方とかって、普通は誰から教わるの?」
「……えっ?」
夕飯の時、隣りに座るニーナに尋ねてみた。
知り合いなのはニーナだけだし、ニーナには学校で読み書きを習っているから物を尋ねるのに気が楽だ。
ちなみにハネットはご飯を作る時にはいるのに、食べる時にはいつの間にか消えている。家でご飯を食べてるのかな?
「ほら、恋愛のこととかってさ」
「恋愛ですか……。多分、友人や姉妹などの親しい人との世間話で学んで行くのではないですか?」
突然の質問に目を丸くしていたニーナは、意味を理解すると目を逸らしながらそう言った。
「多分?」
「一般的にはという意味です。すいません、私もあまり知人の多い方ではないので……」
ニーナがお椀の中身をカチャカチャと掻き混ぜながら口籠る。
要するに、ニーナもボクと同じでそっち方向の知識は無いようだ。
「ニーナもそうなんだ。賢者なのに」
「け、賢者に必要な知識にそういった物は含まれません」
ちょっと拗ねたみたいだ。ごめんごめん。
でもニーナも疎いとなると困ったな。ハネットと結婚するにはどうすればいいんだろう。
「私よりも、集落の誰かに聞いた方が良いかもしれません。例えば……」
ニーナは不意に立ち上がってどこかの席へと向かい始めた。
後ろについて行くと、1人の少女の前でニーナは立ち止まった。
「すいません、コナさん。ちょっと隣に座ってもいいですか?」
「え!? 賢者様!?」
大げさに驚いたのは、ボクと一緒に学校に通っている生徒の1人だった。
2本の短めの三つ編みが特徴的な子だ。コナって名前なのか。
「も、もちろんです! はい!」
ニーナがコナの隣に座るのを見て、ボクも更にその隣に座る。
「突然ですがコナさん。コナさんには恋愛の話をする友人などはいますか?」
「えぇっ!?」
ニーナの単刀直入な質問にコナが面食らう。反応の大きな子だ。
「れっ、恋愛の話ですか? え、えっと、私はそういう話はあんまりしたこと無くて……」
しどろもどろになりながらそう答える。
どうやらこの子も駄目みたいだ。
「そうですか……。他に似た歳の子と言うと―――」
「なんだい、賢者さん達。あんたたち、色恋の話がしたいのかい?」
机の向かい側に座っていた女が口を挟んで来た。
もしかしてコナの家族かな。
「えっ……えっと………………はい」
ニーナが顔を赤くして頷く。気付けば周りの面々がみんなこちらを見ていた。
ぼ、ボクもあんまり大きな声で言わないで欲しいかな。
「あっはっは、お相手はハネット様かい?」
「!?」
「!?」
「!?」
図星を刺されてドキリとした。
なんでバレたんだろう。
「ははは、分かり易いねぇ……」
コナのお母さんの隣にいた老婆が笑う。
ボクは分かり易いのか……。
「私はこれでも恋愛結婚した身だからね。何か聞きたいことがあるなら答えてあげるよ?」
「お、お母さん!?」
コナのお母さんには自信があるらしい。
うう、凄い頼りがいだ……。これが経験の差か。
「俺は向こうで食べてくるかな……」
「お、俺も……」
ボクたちの斜め前に座っていた、同じくコナの家族と思われる男2人組がどこかへ行く。
まあ片方はその恋愛結婚した張本人で、もう片方もその2人から生まれた子供だしね……。内容的に居辛いか。
「お、お母さん、恥ずかしいよっ」
コナも恥ずかしかったのか、顔を赤くして抗議している。
「あんたもちょうど良い機会だから聞いときな。敵は多いみたいだしね」
コナのお母さんはそう言いながら、チラリとボクらの方を見た。
えっ……それって、そういう意味?
もしかして、コナもなの……。
「そんであんたら、ハネット様とはどこまで進んでるんだい?」
「えっ……!?」
コナのお母さんの直接的な問いに思わず顔が赤くなる。
どこまでって何だろう。どういうのが恋愛に入るんだろう。
というかそんな事を人に話すなんて恥ずかしいよ!
「わ、私たちは別に、誰か特定の相手がいるという訳では……。ただ単に、恋愛という物の進め方を知りたいだけでして……」
ニーナが代表して言い訳する。
まあボクは図星なんだけど。
それにしてもさっきからボクの代わりに喋ってくれているのは、気を遣ってくれているんだろうか。
「そうかい? ならそれでもいいけど。にしても『恋愛の進め方』って。……あんたら、酷いね」
「うっ……」
「うっ……」
「うっ……」
コナのお母さんがボクら3人のお粗末さに苦言を呈す。
全員成人してるから言い返せない。
ティアとも少しぐらいそういう話をしておいた方が良かったかも……。
「まあ仕方ないね。……それじゃ、うら若き乙女たちの為に、ひと肌脱ぐとするかね!」
そうしてコナのお母さんを先生にした恋愛の授業が始まった。
男にはどんな女が魅力的に見えるかとか、こんな馴れ初めの人がいるとか、そういう感じだ。
いつの間にか他の少女たちも集まって来て、ボクたちの席は大所帯になってしまっていた。
あれから3日。
夕飯の席では女で集まってそういう話をするのが定番になってしまった。
人数の少ない男たちは肩身が狭そうだ。ごめん。
今ボクは中央広場の石碑に座っている。
この集落に来てからボクは、夕飯の後は毎日ここに来ていた。
直前までしてる話がそういう話題だし……実はハネットと会えるかもと思って。
この石碑はボクにとって、思い出の場所だ。
ハネットと色々な話をした場所。
そして多分、ハネットのことを好きになった場所。
最初の日みたいに、ハネットが空でも飛んで来てくれないかなーと漠然と期待していた。
ここに住み始めて10日ぐらい経った。
その中でハネットがここに来たのはたったの2回。
しかも偶然来たのは最初の1回だけだ。
だから本気で会えると思っている訳じゃない。
ただここにいると、あの日のことを思い出して、あったかい気持ちになるだけだ。
エルフの里にあった大岩は、ティアとの思い出の場所であると同時に、ボクの孤独を象徴する場所でもあった。
……でも、この石碑には良い思い出しかない。
この石碑はボクに出会いをくれた場所だ。それも運命の人とのね。
もしもボクが本当にハネットと結ばれたら、縁結びの名所になるかも。
(まあその時は、ボクとハネットの2人っきりの秘密だけどね。うふふ、なんちゃって!)
「よう、ルル」
(!!!?)
すぐ近くからかけられた声に、心臓が跳ねた。
そして振り返ってもっと驚く。
「あっ」
なんと声の主はハネットだった。
いつも通り柔らかい微笑みを浮かべてボクを見ている。
うわわ、本当に来ちゃったよ! どうしよう!
「なんか良い事でもあったのか?」
「え?」
思わず顔を押さえる。ニヤけてしまっていたらしい。
良い事でもあったかって? まさに今だよ!
「……うん、そうだね。うふふっ」
「それで、ここで何してたんだ?」
詳しくは聞いてこないみたいだ。
ハネットはたまにこういう事がある。
あの2回目の夜も、彼は色々なことに対して「なぜ」という疑問を1度も口にしなかった。
ただボクの質問に答え、泣いたのを慰めくれただけ。
彼は相手の『理由』という物に深く踏み込んでこないんだ。
多分相手の不都合に触れないよう、気を遣っているんだろう。
そう考えるとニーナと同じぐらい気遣いをする人な気がする。
「えっ……た、ただ夜風に当たってただけだよ」
流石に「あなたを待っていました」なんて言えない。恥ずかしい。
これは確かに、詳しく問い質されなくて助かったかもしれない。
……あれ、でも今のって、もしかして思い切って告白する良い機会だったのかな。
思い出すのはコナのお母さんの言っていた言葉。
―――『男は積極的に攻めれば落ちる』。
い、いやいや、無理だよ!
ボクたち出会って10日な上に、ボクは初恋なんだよ!?
「……夜風?」
ハネットがボクの咄嗟の言い訳に眉を顰める。
彼は鋭い。確実に嘘だとバレてしまっただろう。
どう言い繕おうか考えていると、顎に手を当てていたハネットが首を傾げた。
「お前、寒くないのか?」
「え?」
「薄着だし、寒いだろ?」
そう言えばそうだ!
ハネットが来たのに動揺して、完全に忘れてしまっていた。
こんな寒空の下で、夜風に当たってる馬鹿がいる訳ないよ!
「あ、ああ、そうだね。ちょっと寒いかな。慣れてるけど」
嘘は言ってない。
実際ボクは寒さには慣れているんだ。
里にいた頃もこの格好で野宿だったし、最悪光の魔法で体調はなんとかなる。
ハネットはボクの苦しい言い訳を追及するでもなく、無言で空中から1枚の毛布を取り出した。
ボクやニーナの家の寝台に備え付けられている毛布と同じ物だ。
「とりあえず使っとけ」
言葉少なくそう言って、ボクの肩にかけてくれる。
「えっ……! あ、う、うんっ」
(うわー! 優し過ぎるよ!)
身悶えしそうになるのをなんとか抑える。
でも顔がニヤけてしまうのはどうしようもない。
見られると恥ずかしいので下を向いてお礼を言う。
「……ありがとう」
お礼を言われたハネットは無言だ。
いつもみたいに照れているなら「別に」とか「気にするな」とか一言ある筈。
変だと思って顔を上げると、ほんの一瞬だけ彼と目が合った。
「………………じゃ」
目が合ったのはほんの一瞬。
なぜならハネットは、踵を返して空に帰ろうとしていたからだ。
「えっ……ま、待って」
慌てて止める。
せっかく会えたのにこんなに早く帰って欲しくない。
それに、なんとなく今合った彼の目も気になった。
上手く説明できないけど……彼のさっきの目は、ここで引き留めなきゃ良くないと思わせる目だった。
彼のその目には覚えがある。
それは彼が朝会った時にたまに見せる目。
その目はまるで……。
―――まるで、「疲れた」とでも言うような……。
「……ん?」
「あっ……あの、その。えっと……せっかくだし、良かったら、ちょっとお喋りして行かない?」
「…………」
真っ黒な瞳がボクを射抜く。
まるで自分の中身を全部見透かされているみたいな感覚。
ハネットが人を観察する時の、ちょっと怖い目だ。
何を考えているんだろう。何って返事をされるんだろう。
「……ふむ、別に良いぞ」
ボクの漠然とした不安をよそに、ハネットはいつもの軽い感じで返事をした。
目からはさっきまでの疲れた雰囲気が抜けている。
やっぱり引き留めたのは正解だった……。
でも、ボクの何が彼にあんな目をさせてしまったんだろう。何が悪かったんだろう。
これからはちょっと注意してみることにしよう。
こうしてハネットと少しだけ話をした。
最初に会った時の夜と同じ、他愛も無い世間話。
でもボクにとっては特別だ。
だって2人っきりだからね。
弟子だからっていつも2人でいるニーナはズルい。
だから今ぐらいは、ボクが独り占めしちゃおう。
……今この瞬間だけは、『ボクとハネットの時間』だ。
1刻ぐらいお喋りした後、2人で並んで家に帰る。
この10日間で初めての展開。これは本当に特別な時間だ。
束の間の幸せに胸があったかくなる。
「じゃあおやすみ」
「あっ、あの……」
家の前で別れようとするハネットを呼び止めた。
「ん?」
「えっと……そのさ。………………明日も、会える?」
恥ずかしかったけど勇気を出して言った。
コナのお母さんが言うには、恋心という物は、長い時間一緒にいれば自然と生まれる物なんだそうだ。
それが本当なら、この逢い引きを続ければ、ハネットもボクのことを好きになってくれるかもしれない。
ちょうどボクがハネットのことを好きになってしまったように。
「―――!」
ボクの言葉に、ハネットが額を押さえてよろめいた。
予想してなかった謎の反応に慌てる。
「ど、どうしたの?」
「い、いや。なんでもない」
彼はブンブンと頭を振っている。
ちょっと顔が赤い。本当に大丈夫なのかな。
「明日か。ああいいぞ。いいとも。うん」
「ほ、ほんとっ?」
やった。ついに約束しちゃった。
もしかしたら明日からは毎日会えるかもしれない。
それは打算抜きで単純に嬉しい。凄く嬉しい。
こうしてボクとハネットの逢い引きが始まった。
1回ハネットがニーナも呼ぼうなんて事を言い出した時があったけど、その時以外は概ね好調だった。
おかげでボクは1日の中で夜が一番好きな時間になった。
コナのお母さんが言うには、恋愛には段階という物があるらしい。
最初は軽い触れ合い、そして口づけ。最後は……といった具合に。
積極的に攻めろということだから、せめて手ぐらい繋いだ方が良いのかもしれないけど……勇気が出なくて1回も出来ていない。
だってエルフの里だと手を繋ぐのが許されるのは結婚してからだ。
この1年で、人間とボクたちとじゃ価値観が違うってのは分かってるつもりだけど、頭で分かってても心がついて来れる訳じゃない。
と、とりあえず、まずは頑張って手を繋ぐのが目標かなっ。うん。
でもその……いつかは。
お互いに手を握り合えるような……そんな関係に、なれるといいな。
◆
「ねえニーナ。男の落とし方とかって、普通は誰から教わるの?」
「……えっ?」
夕食中、隣りに座っていたルルさんが、突然私にそう尋ねた。
一体急になんの話だ。
「ほら、恋愛のこととかってさ」
恋愛。
なぜよりにもよって私にそんな話題を……。
「恋愛ですか……。多分、友人や姉妹などの親しい人との世間話で学んで行くのではないですか?」
居たたまれずに目を逸らしてしまった。
なぜなら私には、その『親しい人』というのがいないからだ。
仕方ないのだ。私は物心着いてすぐに先代クラリカに拾われたし、賢者を継いでからは世界を飛び回っていた。
要するに、私も恋愛の詳しい事なんて知らない。
偶然小耳に挟んだにわか知識ぐらいだ。
「多分?」
「一般的にはという意味です。すいません、私もあまり知人の多い方ではないので……」
「ニーナもそうなんだ。賢者なのに」
「け、賢者に必要な知識にそういった物は含まれません」
「あはは、そうかもね。ごめん」
まあ最近は賢者として必要でなくとも、女としては必要だったなと反省したのだが。
……何しろ今は、このルルさんという強力な敵が現れた。
私も見た目を褒められることは何度かあったが、流石にルルさんより上だとは到底思えない。
彼女にはエルフの血が流れている。地力からして違うのだ。
更に彼女はここで10日ばかり暮らしている間に、より綺麗になってしまった。
お風呂に毎日入っているからだろうか。それとも恋する女は綺麗になるというアレだろうか。
それにルルさんは知らない間に師匠と親密になっている節がある。
積極的に籠絡しようとしているのを見たのは例の泥酔事件の時だけだが、あんな攻めをされたら勝てる気がしない。
ある日突然「子供が出来たので結婚する」とか言われても不思議ではない。
……私も積極的に攻めねばならないのかもしれない。
そう考えるとこれは良い機会だ。誰かに話を聞いてみようか。
この歳で未だその手の知識が無い者というのは滅多にいない。相手がそのルルさんであるのは問題だが、1人で気後れしていた私には、仲間がいるのは都合が良いのだ。
「私よりも、集落の誰かに聞いた方が良いかもしれません。例えば……」
私は移住組の中で唯一の同年代であるコナさんの所に向かった。
コナさんは学校に通う生徒の1人だし、ルルさんも少しは話し易いだろう。
だが私の思惑は外れた。
コナさんもその手の知識を持たぬ人だったのだ。
まさか私達以外にもそんな成人女性がいたとは……。
こうなると困った。
次に歳の近いスゥさんでは若過ぎるし、元奴隷の女性たちにはあまりそういう話はしない方が良さそうだ。きっと色々と思い出したくないことがあるだろう。
「なんだい、賢者さん達。あんたたち、色恋の話がしたいのかい?」
どうするか悩んでいると、コナさんの母、ミレーヌさんが話しかけてきた。
彼女の大き目の声に、周囲の視線が私達に集まる。恥ずかしい。
ミレーヌさんには、前に北の村で畑の手伝いをして回った時に1度会っている。そういえばその時も「背が低い」と直接的に言われた気がする。
もうちょっと気を遣って欲しい……。
「あっはっは、お相手はハネット様かい?」
その言葉に反応を示した人間は3人いた。
その内2人は当然私とルルさん。そして3人目はコナさんだった。
まさかコナさんも師匠のことが好きなのだろうか。やはり師匠はモテるようだ。
「私はこれでも恋愛結婚した身だからね。何か聞きたいことがあるなら答えてあげるよ?」
「お、お母さん!?」
なんと……ミレーヌさんと旦那さんは恋愛結婚だったのか。
少なくともこの王国ではかなり珍しい。普通は親が決めた相手と結婚するのだ。
こんな身近に達人がいたとは……もっと早くコナさんに声をかけるべきだった。
「俺は向こうで食べてくるかな……」
「お、俺も……」
斜め前に座っていた旦那さんと息子さんが席を離れる。
流石に自分と妻の、そして自分の両親の惚気話を側で聞かされるのは居心地が悪いだろう。
「お、お母さん、恥ずかしいよっ」
「あんたもちょうど良い機会だから聞いときな。敵は多いみたいだしね」
同じく恥ずかしがるコナさんをそう諭しながら、ミレーヌさんはチラリと私達を見た。
やはりコナさんも師匠のことが好きなようだ。
というかもしかしたら、師匠を慕う女性はもっと多いのかもしれない。
こうしてミレーヌさんによる、女性陣への恋愛の教授が始まった。
といってもほとんど雑談みたいな物だ。井戸端でよく目にする類の。
だが内容自体は非常に興味深い。特に誰がどういう経緯で結ばれたとかいう物は。
やはり女はそういった話が好きなように出来ているのかもしれない。
いや、女だけと決めつけるのは良くないか。男性もそういう話はするのかもしれない。
そういえば、師匠にはどれぐらい知識があるんだろうか。
少なくとも女性経験は無いようだが……。
今私は、師匠の寝台で、彼の膝の上に抱かれている。
「ニーナ……」
「は……ハネット、さん……」
彼が私の名前を甘く呼ぶ。
私も普段の「師匠」ではなく、ずっと呼びたかった名前の方で呼び返した。
……今この場では、私達は師弟ではなく、一人の女と男だ。
彼の大きく、それでいて優しい指が、私の頬をゆっくり撫でる。
ゾクゾクとした快感が背中を走り、無意識の内にその手を握っていた。
「…………」
「…………」
お互いの手が、ごく自然に結ばれる。
まるで重なる貝殻のような、仲睦まじい繋ぎ方。
いつもの触れ合うだけの物ではなく、恋人同士の甘い物だ。
見つめ合う瞳と瞳。
まるでそうするのが当然と言うように、私達の唇は触れ合う。
愛する人の感触。
私たちは次第にタガが外れていき、舌が絡み、唾液が零れる。
まるで貪るような口づけ。
「ふあっ―――!?」
とろけきった私の脳に、突如大きな刺激が走る。
彼の空いていた方の手が、私の胸に伸ばされていたのだ。
普段の自分の手とは違う、大きな存在感。
その雄々しい指先で先端を弄ばれ、あまりの快楽にビクビクと腰が跳ねる。
いとも容易く達した私を目にして、欲望を抑えきれなくなった師匠が言った。
「ニーナ……。いいか?」
彼の漆黒の目が、ケダモノの物に変わっていた。
……いや。
今は私も、同じ目をしていることだろう。
「……はい」
答えた瞬間、彼の逞しい手が私を寝台へ押し倒す。
「ニーナ……愛してる」
「―――私もです。ハネットさん……」
お互いを求める2人の距離は、瞬く間に短くなり……。
目が覚めた。
「………………」
夢か……………………………………………………。
……ですがまあ、良い夢でした。ええ。
軽くお風呂に入ってから着替え、髪を梳かして調理場へ赴く。
師匠が言うには、家庭科の授業はもうすぐ終わりにするらしい。
師匠の教えられる料理がもう無いからだと言うが…………ということは、師匠と同じぐらい料理が出来る私は、嫁としては及第点ということになるのだろうか。
……いや、料理の腕で言えば、私にはコナさんという強大な敵がいる。
家庭科が終わってからも、料理の練習は毎日しよう。
今の所最大の敵である、ルルさんに勝っている貴重な要素だ。
「よし、戦闘訓練はここまでにしよう」
「ありがとうございました」
「お疲れ様」
学校が終わり、今は師匠とルルさんとの修行中だ。
いつもなら時間一杯まで戦闘訓練が続くが、最近はこれを早めに切り上げ、代わりに新魔法の開発という時間が出来た。
この時間が出来たのは、提案したルルさんの功績と言っていいだろう。
彼女の師匠と対等の立場で喋る癖は、女としては複雑な気持ちもあるが、同じ弟子として見れば助かることが多い。
「じゃあ俺は帰るが、何かあったら気軽に呼べよ?」
「はい」
「うん」
初日と違い、ここ数日は師匠には先に帰って貰っている。
……これは私が今開発中の新魔法を、師匠に見られない為だ。
その魔法は、師匠とのこれまでの戦闘訓練から考案された。
故に、効果が如何程かは、戦闘訓練で試してみたい。師匠が言う所の、『不意打ち』を仕掛けてみるのだ。
「じゃあやろっか」
「はい。よろしくお願いします」
師匠が家の方へ飛んで行ったのを見て、ルルさんが声をかける。
彼女は自分の新魔法を開発しながら、私の開発にも付き合ってくれているのだ。
―――私の新魔法は、『地神の魔法』と同じく、上位魔法に位置する魔法。
当然、発動には膨大な魔力を消費する。
いや、それどころか内容が複雑な分、地神の魔法より多いぐらいだろう。
私の魔力量でも、せいぜい使えるのは4回が限度。
それを、魔力譲渡の魔法が使えるルルさんが補助してくれているのだ。
彼女には本当に助かっている。
「いいって。ボクたち仲間でしょ? 2人でハネットを驚かせようよ」
仲間。
……そうかもしれない。
私と彼女はほぼ互角の実力を持っている。
それも別方向の得意分野で。だからお互いに教わる事が多いのだ。
彼女と組むようになってから、師匠との訓練でも、ゴーレム戦でも、取れる方法は一気に増えた。
私達は相性が良い。
きっと世間では、これを『相棒』と言うのだろう。
それか好敵手と言った所か。
「……そうですね。と言っても、師匠相手ではどこまで通用するか分かりませんが」
私の冗談に、ルルさんが苦笑する。
「あー、そうかもね。5つ数える内に抜け出されたりして」
「ふふ、ありそうですね」
この魔法は対戦士用の魔法。
地神の魔法と同じく、飛行の魔法が使える相手には意味が無いのだ。
……だが。
逆に言えば、飛行の魔法が使えない相手にとって、この魔法は地神の魔法以上の脅威となるだろう。
一度飲み込まれれば脱出は不可能。
戦士として戦う師匠に使えば、ある程度は通用する筈なのだ。
……それでも封殺できるとは言えない所が師匠の怖い所だが。
2人でクスクスと笑う。
あの人は規格外過ぎる。そこは私達の共通意見だ。
―――この日、ついにその魔法は完成した。
翌日師匠からゴーレムを借りて最終実験。10体いたゴーレムは、全てがその魔法に成す術も無く敗北した。
恐らくこの魔法は、地神の魔法を使えることによる『土の賢者』の称号を、近い将来に上書きする事になるだろう。
その名は。
土の第2上位魔法、『暴食の魔法』。
ちなみにこの暴食の魔法より先に、もう1つ風の新魔法を開発している。
こちらも師匠の話から着想を得た魔法だが、彼には通用しないだろう。
無論使ってはみるつもりだが、言ってしまえば消費魔力が極端に低いだけの、ただの攻撃魔法だ。
……だが師匠相手でも、使いようはある。
攻撃手段としてではなく、布石として使えばいいのだ。
「ついに明日だね」
「ええ」
明日の修行で、暴食の魔法は世界初披露となる。
新しい魔法の習得。
この数日は久しぶりに楽しかった。
ルルさんと2人で編み出した魔法。師匠には、どんな評価を頂けるだろう。
私達は残りの時間を作戦会議に使った。
暴食の魔法は強力だが、師匠ならば何らかの手で回避するのはあり得る。
だが私が思うに、師匠に物理的に危害を加えられるのは、この魔法しか無い。
たった1度の暴食の魔法を、より確実に師匠にぶつける。
ただそれだけの為に、全ての行動を布石にする。
師匠に教わった通り、『使える手は全て使って勝つ』のだ。
 




