最近わたしの周囲が何かおかしいのだが。
ご拝読ありがとうございますっ
おかしいとは思っていた。
昔から何かを隠しているような、わたしに悟られまいとする節がある姉であったが、近頃はそれが顕著で意味不明な行動が増えていた。
何かあったのかと問いかけても何でもないと首を振るばかりで、いざ何かを話そうと真面目な顔で声を掛けてきても、一瞬戸惑うように目を泳がせて躊躇したのか口を閉じてしまう。そして誤魔化して微笑むのだ。
不審な行動の増えた姉の様子を話して、友人に相談したこともあった。
一番付き合いの深い友人が言った、恋人でも出来たのではないかという言葉に納得して、突然のことで妹に話しづらいだけなのだろうと解釈した。それならば姉が気持ちの整理をつけ、自分から話してくれるまで気長に待とうと思ったのである。
それが、こんなことだとは一体誰が想像できるだろう。
『エマ、私は魔王なんだ』
数分前にそう告げた姉の姿をわたしは胡乱げに見る。
緊張した面持ちでわたしの反応を待っているらしいそわそわとした様子は、今までと何ら変わらない姉の仕草だ。
変わらないからこそ、怪しい。
これが全く姉らしくなかったり様子が変ならば、偽物だとか洗脳されたのだとか誰かに影響されたのだとか考えることが出来るが、こうしていつもと変わらない様子で言われてしまえば姉自身がそう考え決定づけてしまったのだと確信しなくてはいけなくなる。
自分の姉がカルト宗教を立ち上げるような人間だなんて考えたくなかった。
「お姉ちゃん」
声をかけると、身体を強張らせていた姉がぴくりと反応してこちらを見る。
身体ばかりが成熟した子どものような姉を正面から見据え、わたしは口を開いた。
「自分が言っていることがどういうことか、理解してる?」
冗談にしては質が悪過ぎる話しだと、わたしは目を細めた。
魔王とは、昔から伝わる物語に登場する人類の敵である。
世界は人間と魔族に分かれ、争っていた。人間は、その魔族の中でも一番強い力を持ち、他の魔族を従えて率いる頂点の存在を魔王と呼んだ。
魔王は恐ろしく強かった。
それに対抗し、立ち向かうことが出来たのは勇者だけであったという。
人間は勇者を旗印に魔族を倒す手段を次々と生み出した。
魔族は魔王を中心に世界を蹂躙した。
二つの勢力の戦争は激化した。それは戦争に決着がついても疲弊した世界が崩壊しかねない程酷いもので、長いものだった。
けれどそんな中、結果が見え始める。
長期に渡る戦争に数を減らした人間が、種族の持つ能力に劣っていたことが原因だった。
そのまま続けば、魔族が世界を支配する形になることは絶対だっただろう。
……そう。それが実在するならば。
古くから伝わるこの話は、物語である。
誰が作ったのかも何が目的で作られたのかもわからないこの話は作りものであり、存在するものではない。何故こうして伝えられるのかも誰も知らない。
事実として有り得ないことは、歴史だって証明している。
この世界に魔族は居ないし、魔王も現れない。存在しない魔族を倒す方法なんて無いし、勇者もいない。
全て物語なのだ。
つくり話なのだ。
存在しないのだ。
それを、自分が“居る筈のないもの”だと告げる姉がどんなにおかしな発言をしているのか判るというものだろう。
それがどれだけ相手を傷つけることか姉は解っているのだろうか。冗談だと言われても、わたしは許すことが出来そうにない。
「解っているし、理解してる。エマに嫌われても仕方がないだろう……ずっと黙っていて悪かった」
睨むようにしながら涙を流すわたしに、姉はそう言った。
言いたいことが相手に伝わらないもどかしさに、臍を噛んで苛立ちを抑える。どうすれば伝わるのかわからなくて、涙だけがほろほろと零れた。
わたしは姉が突拍子もないことを言ったから怒っているわけではない。
確かに恋人であろうと思っていたわたしにとってそれは余りに突然ではあったけれど、姉が突拍子もないことは知っているし慣れている。受け入れる器量はあるつもりだ。
かといって今までずっと黙っていたことを怒っているわけでもない。
隠し事をされるのは悲しいし信用されていないのだと落ち込んでしまうこともあるけれど、全てを曝け出せる人間なんていない。打ち明けてくれたことを喜びこそすれ、こうして熱り立つ筈がないのだ。
わたしが怒っているのは、そういうことじゃない。
許すことが出来ないのはそんな内容ではない。
「っ……がぅ…」
喉の奥が締め付けられて、声を出すのを邪魔されているようだった。
言いたいことが言葉にならないだけでもいらいらするのに、声にならないとなれば固く握る拳に更に力がこもり、爪が皮膚に食い込んで血が出てくる程のことであった。
焼けつく枯れた喉に力を込めて、吐き出すようにわたしは叫ぶ。
「…違うの、……そうじゃないっ!!」
思った以上に、それは大きな声だった。
悲痛で、喉が避けてしまいそうな悲鳴混じりの言葉だった。
わたしは言う。あなたが今言ったことはわたしにとってどれだけ重大なことか、察してほしいと思う感情が暴走してしまいそうだった。
「今、ここに居る。……お姉ちゃんは、わたしの眼の前に居る。一緒に育ってきたの、いつも側にいたのっ………、例えお姉ちゃん自身でも――――――わたしのお姉ちゃんを否定しないで! いないものにしないでよっ…!!」
……
「――――それで、ボクの所に逃げてきたんだ?」
事の顛末を途切れながらも細々と説明し終えると、おもしろそうに頬杖をつきながらライリーはそう言った。
全然おもしろくない、と拗ねるようにぶすくれたわたしは顔を隠すように、占領した彼女のベットの上で布団に顔を埋める。
ライリーの言う通りだった。わたしは、逃げてきたのだ。
姉に叫ぶように言葉を叩きつけた後、わたしの激高に驚いたのか目を見開く姉が見つめてくることが堪らなく苦痛だった。
いたたまれなくなって、少し距離を置きたくなって、こうして友人である彼女の家に、夜中にも関わらず転がり込んだのである。
ノックを聞いて扉を開けるなり『喧嘩した』と憔悴した様子で告げたわたしは、相当扱いに困る相手だったに違いない。それでも文句言わず家にあげて、落ち着いたのを見計らって説明を求めたライリーには感謝すべきなのだろう。
……するべき、なのだろう。
内心好奇心で聞かれ、おもしろい話で片付けられたことが不満だが。大いに不満だが、一応感謝せねばなるまい。親しき仲にも礼儀ありと言うし。……結局のところ、当事者でもない彼女にとっては他人ごとなのだから。
わたしと違って、自分が魔王だと言い出したと聞いてもたいしたことでは無いのだろう。過敏に反応しすぎただけなのだ、わたしが。
自己嫌悪に包まれながらため息をつくわたしに、ライリーは言い聞かせるように告げる。
「ボクが言うのも何だけど、お姉さんはそんなつもりで言ったんじゃ無いと思うよ。いない存在とか、作り物の物語とか、そういうの。……エマも理解はしているんだろう?」
こくり。とひとつ頷くことで応えた。
解ってはいる。
けれど、衝動的に許すことが出来ないのだ。不思議だけど、許容できない。腹が立つ。
自分という存在を、産まれてきた生を無駄にされているようで。
「…………何か、嫌なんだよ」
わたしは大切に思っているのに、必要だと思っているのに、自分をいらないものだと相手が言っているもどかしい感覚。
すれ違って、思いが通じない苛立ち。
そういうものが気持ち悪くて、指に力を込める。握りこむように力を加えられた布団は皺を寄せていた。
わたしの答えを聞いて沈黙したライリーは、何も言わず静かにわたしの頭を撫でる。
布団に顔を埋めたわたしには相手の顔を見ることは出来ないが、雰囲気というのだろうか、彼女が微笑んでいるような、泣いているような、そんな気がした。
「もう寝な。ボクは明日の準備もあるしまだ起きとくけど、ボクのベットそのまま使ってていいから」
「うー……、うん」
ぐずるように呻きながら返事をして、もそもそと手足を動かしながら布団の間に身体を滑り込ませる。仕方のないやつだと言わんばかりのライリーの表情を仰向けになった拍子に目撃してしまい、むすっと口角を下げた。少し恥ずかしくなって掛けている布を鼻先まで引っ張り上げる。
くすくすと笑う彼女は同じ十代だとは思えない自然さで子どもを宥めるようにわたしの頭を撫でると、「おやすみ、エマ」と囁きながら母親が我が子にするように、優しく額に口付けた。
「…………おやすみ」
部屋を明るくしていた蝋燭の火を吹き消して明日の仕込みであろうか、部屋を出て行く彼女を見送りながら、わたしは額を指で擦る。
友人のこういう自然な動作で行われる行動に、毎度彼女は本当にわたしより二つ歳上なだけの若者かと疑っていた。実は若作りな子持ちとか、歳の離れた妹でもいるんじゃなかろうか。とはいってもそんなことを実際彼女に聞くつもりはないし、二年前にたった一人でこの村に来た事情というものを考えてみれば、聞ける筈のないものであったが。
ライリーも姉と似通って、何かを隠しているような人であったことを今更ながらに思い出す。でも結局のところ何を隠されていても二人を嫌いになることは無いのだろうと思ってしまえば、随分と気が楽になったような気がした。
一瞬だけ戸惑って、口を開く。
「おやすみなさい、お姉ちゃん」
誰にも聞かれないようにほんの小さな声でそう言って、静かに目を閉じた。普段から規則正しい生活を心がけるわたしには、眠気に飲み込まれるのは直ぐだった。
……
親しい友が寝入ったのを確認し、金色の髪を指でいじりながら窓辺に凭れて少女は囁く。
脳裏に浮かぶのは、自分とは対極な深い黒髪とこちらを睨むオニキスの瞳。その奥に隠された、遠い昔から変わることのない憎悪にも似た敵対の意思。絶対に変わることのないそれさえも、妹の前だけでは曝け出すことがない。
「“いないものにしないで”か、………そう言ってくれるような相手だと確かに、嬉しくて執着しちゃうよね」
自分にも彼女にも近い銀の色を持つ友人の言葉を思い出して月を見上げながら、眩しそうに目を細めた。そして何かを思い出すように、懐かしむように、噛み締めるように目を閉じる。
薄っすらと、瞼を揺らして眼を開いた。金の睫毛に縁取られた蒼い瞳が、ぼんやりと薄明かりの中で光っているように見える。
「――――――ねぇ、魔王?」
ライリー・ショーンと今生では名付けられた少女は、機嫌の良さそうなどこか怪しい笑みを浮かべて、開いていた窓のカーテンを閉めた。
こんな物語はどうだろう、と思いつきで綴ったものです。
ネタばらしのような部分はこれの大分後になりますので、本当に一つの物語の一部分ですが楽しんでいただけたなら幸いです^^