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夏祭り

作者: 天城孝幸

 ――今日は7月7日、七夕だ。

 世間一般的には毎年のように訪れる七夕だろうが、俺にとっての今日は大事な日なのだ。

 そう――7月7日ではなく「今日」だ。

 社から聞こえる威勢のいい太鼓の音。屋台の店主がお客を呼び込む声。そして焼けたフランクフルトの匂いが行き交う人々の足を止めていた。

 今日は近所にある神社の夏祭りなのだ。

 俺――恭介きょうすけは神社の石鳥居の前で人を待っていた。左腕につけた腕時計、時刻を何回確認したことか……

 ちゃんと来るよね?時間までもうちょっとあるし、大丈夫だよね?

「霧谷くーん!」

 はぁ……よかった……

 たかが苗字を呼ばれただけなのに、安堵感が心の底から湧きあがってくる。

 腕を振りパタパタと駆け寄ってきた女の子。

 纏めた黒髪からするシャンプーの香り。白色に水玉模様の入った浴衣を着ている彼女はいつもより眩しく見えた。

「どうしたの? 行かないの?」

「いや、何でもないよ。行こうか。」

「うん!」

 浴衣姿の女の子とお祭りに行けるとは――

 遠くから見ているだけだった彼女。一緒に並んで歩いているだけなのに胸が騒いでくる。

 屋台の間、人ごみをかき分けるようにして進む彼女――あおいは行きたい場所があるのかドンドン前を進んで行く。

「離れないで。」

 姿が見えなくなりそうな葵にそう声を掛けたかった。

 しかし――俺の口から声は出せなかった。出しかけた右手を握り締め、惜しい気持ちで一杯になりながらポケットに突っ込む。


『1000円ね。……はい、500円のオツリ。』

 店主からすくいとお椀を貰うと、葵は浴衣の袖を捲り上げた。

「私、これでも金魚すくいが得意なんだから。」

 意気込みながら金魚の泳ぐ水槽へ、ゆっくりとすくいを入れる葵。

 大きな金魚や小さな金魚。赤いものや白いもの。様々な金魚が水槽の中ですくいから逃げるように泳ぎ回っている。

 葵は手元へと来た小さな金魚を目標に定めたらしい。じーっと金魚を目で追うと、右手のすくいを前から入れた。

「あっ!」

 残念。金魚はすくいに気づいて逃げてしまった。

「真壁さん、アミが破けてるよ?」

「ちょ、ちょっと破けただけだから!」

 大きな目をさらに広げて水槽を見つめる葵。

 今度の目標は大きい白色の出目金だ。

「やっ!」

 少し乱暴にすくいを入れた。

 が、またしてもすくいは水を切り金魚には逃げられてしまった。

「ああーん……お願い! もう一回!」

 二個目のすくいを貰うと、真剣な目で金魚を追い始めた。

「それえっ!」

 またまた逃がしてしまったらしい。

 おかしいなぁという風に首を振り、すくいが悪いのかと見つめる葵。

「真壁さん、水に浸けた後はなるべく平行に。立てちゃうと水の抵抗で破けちゃうからね。」

「えっ……えっ?」

「狙うのは水面近くにいる金魚にしよう。すくう時には頭からすくって。」

「あ……うん……」

 ちょっと口出ししてしまった。

 すくいが水面で震えているあたり、突然の教えに緊張しているらしい。

「……そんなに緊張しないで。ほら、深呼吸してごらん。」

「そ、そうね……すぅー……」

 深呼吸を一回、二回。もう一度水槽に向き合った。

 水面の近くでウロウロしている赤い金魚。

 俺は無言でそいつを指した。

「ゆっくりね。ゆっくり……」

「ゆっくり……ゆっくり……」

 俺の声に合わせるようにゆっくりとすくいを動かす。

 スッとすくいを上げると、赤い金魚がピチピチと跳ねていた。

「やった! 取れたよ霧谷君!」

「今のは上手かったね。とっても落ち着いていたし……金魚がびっくりしてるよ。」

 大喜びの葵。

 緊張が一気にほぐれ、今度は笑顔で水槽を見つめる。

「あの金魚、取れるかな?」

「やってみてごらん。浅いから取れると思うよ。」

 いつの間にか夢中になっている葵。

 捲くった袖が解け、先端が水に浸かっているのにも気づかない葵は子供っぽく見えた。

「見て見て! もう一匹取れた!」

 無邪気にはしゃぐ葵が可愛く見えて仕方ない。

 結局、葵はお椀一杯になるまで金魚すくいをしていた。

「ごめんね。つい夢中になっちゃって……」

 ようやく戻ってきた葵。

「気にしてないよ。それよりも、袖が濡れてるよ?」

「えっ? ……あっ!」

 袖に目をやり、慌ててハンカチを取り出す葵。

 右手に持っている金魚が大きく揺れた。

「ほら、金魚持っててあげるから。」

「ご、ごめん。ありがと。」

 再び右手に金魚を下げ二人並んで歩いた。

「ちょっと……綿菓子買って来てもいい?」

「ああ、いいよ。」

 笑顔を見せパタパタと屋台へと小走りしていく葵。

「真壁さんは……綿菓子好きなの?」

「このフワフワ感がたまらないんだから~」

 嬉しそうに綿菓子を頬張る葵。

 境内を進み広場に出た。

「あっ……ちょっとごめんね。」

 そう言うなりパッと離れる葵。

 どうしたのかと周囲を見ると、葵の友達の姿が見えた。

 そっか……恥ずかしいよね……

 ちょっぴり寂しく思った。


“ヒュルルル……ドーン!”

 空から花火の音が聞こえてきた。

 どうやら花火大会が始まったみたいだな。

「真壁さん、これやらない?」

 神社の奥まで来ると、俺は花火セットを取り出した。

 今日のためにわざわざ用意した花火セットだ。ロウソクとマッチもちゃんと持ってきた。

「わぁ! やるやる!」

 葵の笑顔を見てると俺も嬉しいよ。持ってきた甲斐があったな。

 ロウソクにマッチで火をつけ、ロウを溶かして数滴落とす。ロウソクを立てれば準備完了だ。

“ジャーッ!”

 花火に火をつけると、明るい光がジェットのように飛び出した。

“ドーン!”

「それでね、はじめのやつ朝飯買えなかったんだってよ。」

「あははは! 確かに購買は混むもんねー。」

 花火の音を聞きながら、二人で色々な会話を交わした。

 クラスのこと、友達のこと、自分のこと。

 葵も思い出話をしてくれたり、先日の出来事なんかを話してくれた。

 女の子と話すのは新鮮だな。友達にも言えないことを言えたり、俺の知らない女の子の事情を話してくれたりするしね。

“ジジジ……”

 最後に残った線香花火に火をつける。葵も同時に火をつけた。

「どっちが残るか勝負だからね!」

「おう!」

 そう勝負だ。

 俺はこの時間を待っていたのだ。

 二人きりで話せる最後の時間。俺の言いたいことを伝える、最初で最後の時間。

“ジジジジ……ジッ!”

「ああっ……」

 葵の玉が落ちていった。

 残念そうな顔を見せる葵。

「真壁さん……あのね……」

「ん? なあに?」

 さあ言うんだ!俺はこれを言う為にこの状況を作ったのだろう?

「俺さ……あのっ……」

 あと一息だ!

 さあ声に出すんだ!俺の意思を葵に伝えるんだ。


『好きだよ』って!


「……ごめん」

「えっ?」

「……何でも……ないや。」

 ポトリと俺の玉が落ちた。

 まるで俺の心も一緒に落ちたかのようだった。

 言えなかった。

 たった一言が。一息で言えるような言葉が。

 ……言う勇気が出なかったんだ。

“ヒュルルルル……”

「じゃあ私、これで帰るから。」

「あっ……」

「また明日ね。」

“……ドーン!”

「また……明日……」

 君にとっては明日でも、俺にとっては遠い未来になってしまったよ。

 近づいたはずの君が――また遠くへと行ってしまったな――

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