表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/17

一、お小遣い稼ぎ

「ねぇ、どうして地下鉄駅に大きな鏡があるか知ってる?」

純子じゅんこが唐突に尋ねてきた。

私たちは地下鉄から降りて、プラットホームから自動改札口まで辿り着くための階段を中段まで上っているところだった。

振り返ると階段の下に畳一帖くらいの鏡が壁に設置されている。

いつも純子とお喋りに夢中になっていたから、いままでそんな鏡のことなんか気にもとめなかった。

「なにか理由があるの?」

身だしなみを整えるには、階段を上り下りする乗客の妨げになって迷惑な位置にある。

「自殺防止のためなんだって」

純子が得意気に答えた。

「鏡が役に立つの?」

答えを聞いても私は納得できず、理由を訊く。

「精神が不安定な人間が鏡に映った自分の姿を見ると、自殺を思いとどまる効果があるらしいの」

「へぇ~そうなんだ。純子はなんでも知ってるね」

感心して純子を見詰める。

「ホメないでよ」

照れくさそうな表情をしたわけでもないのに、純子の言葉から棘を感じない。

純子とは小学校からの幼馴染み。

ショートカット、目がキリツとして中性的な顔立ち。

ベージュのスクールカーディガンとチェク柄のスカートをはいてなければ、男の子と間違われるかもしれない。

性格が明るくて男女問わず、すぐに友達ができるうらやましいタイプ。

一方の私は人見知りが激しく親友と呼べるのは純子くらいで、見た目は身長が低いせいもあるのか他人からは幼く見えてしまう。

髪の長さが肩まであるので、純子より女の子っぽく見えるかもしれないけれど、自慢の材料にはならない。

地下鉄から降りた客が意外と多くて、自動改札口で足止めを食っている間、私と純子は逸れてしまった。

私は流れる人々の渦から純子を見つけ出そうと、キョロキョロしていると、突然手を握られた。

「さぁ、行こう!」

純子が笑って私を引っ張っていく。

「うん」

私からも自然と笑みがこぼれた。

純子の笑顔は小学校のあの時から変わらない。

私たちが小学校五年生のときに『友情』という遊びが流行っていた。

それはお互いが向き合って両手を握り、足を軸に遠心力を活用してグルグル回るという単純な遊び。

どちらかが手を離すまで終わりはこない。

回っていると二人のうちの片方が主導権を握り、円の中心となっていく。倒れなかった方はこれから友達として付き合うのか、それとも一生友達にならないよと倒れた方に宣言できるという絶大な権限を与えられる。子供ならではの発想が生んだ幼稚で残酷な遊び。

私は『友情』という遊びが嫌いだった。

回っていると手が痛くなるし、目も回る。

非力な私はいつも先に手を離して、お尻を床につけてしまう。

『友情』のお陰で友達は随分減った。

私があまりにもひ弱なので、面白がって誘われる回数も増えていった。

誘われる度に心は泣いていた。

休み時間にあちらこちらで『友情』が行われていた。

廊下の端を通って避けようとすると、後ろから肩をトントンと叩かれた。

「ねぇ、私と『友情』やらない?」

純子だった。

違うクラスだったけれど、運動会や学芸会で目立つ存在だったので顔と名前は知っていた。

「う、うん。いいよ」

嫌々ながら首を縦に振った。

『友情』を断ればシカトされる雰囲気が、学校中に広まっていたからだ。

「もっとガッチリ握っても大丈夫だよ」

純子に言われ、私は言われたとおり力強く握った。

相手に“痛い!”と不愉快な顔をされるのが嫌で、いままで遠慮していた。

お互い目が合うと回転をはじめ、徐々に速度を早めていく。

洗濯物の気持ちが良くわかるくらい気分が悪くなってきて、純子が握る手の力に痛みを感じてきた私は諦めモード。

数秒後に「あっ?!」と声を上げたのは私。

「手が滑っちゃった」

尻餅をついた純子が舌を出す。

「あっ、ごめん」

『友情』の初勝利が信じられず、反射的に謝ってしまった。

「これから私たちが、友達になるのかならないのか決めてね」

立ち上がった純子は私の答えを待つ。

「もちろん、友達だよ」

私は即宣言した。

「よかった。今日ね、お花持ってきて教室に飾ってあるんだ。見に来ない?」

「うん見たい。どんなお花?」

「見てからお楽しみ。さぁ、行こう!」

純子は笑顔で私を引っ張る。

お互い父親がいないという共通点もあって、すぐに仲良くなれた。学力のレベルが同等で、一緒の高校に入学。二人とも数学が嫌いで国立文型コースを選び、高校二年生になってクラスメイトになれる幸運にも恵まれた。

いま思えば純子はわざと手を離したのではないだろうか?

回っているとき、私が苦しそうな表情をしたから、かわいそうだと感じたのかもしれない。

「じゃぁね、ミキ」

「バイバイ、純子」

互いに名前を呼び合い、純子と別れた。

築三十二年の1DKマンションに着いた私は、ため息をつく。

お母さんが帰ってくるまで一人ぼっち。

まだ夕日が差し込んでいる部屋が薄暗く感じた。

お母さんはスーパーでレジ打ちのバイト。

姉妹もいない。

家に帰ると、平凡な学校生活がまるで夢の中の出来事みたいに感じる。

現実という私生活の波に引き込まれそうになる。

着替えて夕飯を作ることにした。

月、水、金が当番日。

料理に没頭して寂しさを紛らわす。

だからいつも品数が増える。

今日はチャーハン、甘酢のかかった肉団子、中華スープとサラダ。

肉団子は既製品ではなく、豚のひき肉を練って油で揚げた手作り。

中華料理ばかりだと油っこいかな?

メニューに多少の疑問を抱きながら、せっせと料理に励んだ。

お母さんは口癖のように「揚げ物のほうが男には効果てき面なのよ。肉ジャガのうまい女は料理上手なんて迷信はもう古いの」と言って料理を教えてくれた。

揚げ物料理をこなすことで料理上手の称号をもらえ、男はイチコロだと言い張る。

「そうなの?」と言いながらエサに食いついたのは私の方で、めきめきと料理は上達した。

お母さんが帰ってくる時間ピッタリに料理が完成して、我ながら誰もほめてくれない才能に拍手を送りたい。

今日は忙しいのか帰りが遅い。

親戚の結婚式で引出物としてもらった壁掛け時計が、チッ……チッ……チッと秒針音で寂しさを駆り立てる。

チャーハンは冷めてしまって、電子レンジで温めないといけなくなった。

テレビを点けても中身がなにも入ってこない。

見ているのがバラエティーなのか、歌番組なのかもあやふや。

こういうときはケータイサイト。

2ヶ月前から私はインフィニティ・スペースというサイトの無料ホームページ作成サービスを使って、純子と共同でホムペを作った。

ホムペの名前は『ミキジュン』

ブログと掲示板での“絡み”の交流の場として作った。

素材屋さんからキティちゃんのイラストが付いた壁紙やアイコンを借りたり、文字を点滅させたりして派手に飾りつけした。

プロフィールにプリクラで撮った二人の画像を貼り付けた。

もちろん顔は手で隠している。

入口がミキとジュンの二手に別れて、それぞれのコンテンツには、ブログ、アルバム、絡み、リンク、お手紙メールを用意した。

リンクはお友達になった人のホムペのアドレスを貼ってあげて、訪問者の数を増やしてあげるのに協力している。

“お手紙”は“絡み”で交流を深めた人とメル友になるために設置したのだけれど、まだそこまで親しくなれた人はいない。

“いま料理が終わったところ。お母さんが帰ってくるまで食べられなぁ~い”

リアル感のあるひと言ブログをほぼ毎日更新していることに満足して、純子のブログを確認する。

純子はブログを更新していなかった。

二週間も放置状態。

純子のところの“絡み”には、三週間前の日付のスレッド(ひとつの話題に複数回書き込める掲示板)が一番上にきている。

ということは相手のホムペを訪問して、レス(投稿されたメッセージに返事をすること)もしていないのだろう。

あまりやる気がないのかもしれない。

二人で素材を選びながらホムペを作ったときは楽しかったのに……無理やり誘ったのは私の方だし、しょうがないよね。

放置しておくとH系の宣伝書き込みなどで荒らされるケースを見たことがある。

だから書き込みはチェックしておかないといけない。

“絡み”の掲示板でやり取りして、お友達になった人からのレスを確認する。

もちろん顔もどこに住んでいるのかも知らない相手。



【ホムペ改装したので見にきてね。

6/3  23:58  by 華菜】




【お久し振り。テストでなかなかこれなかった。ごめんね。

6/4  0:12  by ソラ】



【ブログ読んだよぉ~。

6/4  16:33  by サクラ】



【ミキちゃんの料理食べてみたぁ~い。

6/4  19:22  by あかり】



華菜ちゃんとソラちゃんは忘れたころに返信がくる相手。

メールより“絡み”のほうが、長期間返信が遅れたとしても気安くレスすることができる。

関係が希薄だということの裏返しなのかもしれない。

サクラちゃんとあかりちゃんは私がブログを更新したり、レスを返したりするとすぐに反応してくれる。

あかりちゃんはかなり前に純子のほうにもスレッドを立てていた。

プロフィールを見る限り、四人とも高校生らしいけど、本当かどうかはわからない。

書き込んでくれた人のホムペにお邪魔して“今日は疲れたぁ~”などのレスで足跡を残していく。

そして最後に先週付け加えた宣伝板を見た。

宣伝板は私のコンテンツの並びにあるけれど、パスワードや成りすまし防止のための名前を暗号化できるトリップを設置せずに、純子と共有できるようにしている。

自分が描いたイラストを見てほしいとか、絡みへの誘いが多い。

宣伝板に新しいスレッドが一件立ち上がっていた。




【宣伝させていただきます。

小学校2年生の女の子の面倒を見てくれる方を探しています。

興味のある方は下記のアドレスにメールでお返事ください。

管理人様、貴重なスペースありがとうございました。

☆▽£¢@.JP

6/4  18:02  by ヤギさんの執事】



私たちのホムペには、荒らしやいかがわしいサイトの宣伝目的は即削除すると注意書きがしてある。

普段なら怪しいと思って削除してしまうかもしれない書き込み。

私はさっきまで開け閉めしていた冷蔵庫をもう一度見にいった。

卵が二個と鶏のモモ肉、玉ネギ……角煮に使おうと思っていた豚バラもないし、野菜類もほとんどない。

料理を作り過ぎるせいもあるけれど、冷蔵庫の中は閑散としている。

でも、あと一週間はこれで持たせないといけない。

食費をお母さんに催促するのはできるだけ避けたい。

家計が苦しいのはわかっている。

お母さんはこれといった資格を持っているわけではないので、正社員として雇われるのは難しい。

レジ打ちのバイトも他の人が休んだとき、カバーして少しでも稼ごうと無理してくれている。

答えを出す前に指が勝手に動いた。

メールくらいしても損はないよね?と都合の良い理屈で自分に問いかけながら。







――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Date:6/4  20:11

To:ヤギさんの執事様

Sub:アピ(宣伝)ありがとうございます

できれば詳しい内容を教えてくれませんか?

返信はメールでお願いします。“お手紙”にいくとメルアドが自動的に貼り付けられて簡単に送信できるようになっています。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ホムペの宣伝板のレスを使って返信されると純子に見られる可能性があるので、“お手紙”の機能でメールしてもらうことにする。

悪いことをしているという認識はないけれど、どこか心が痛んだ。

後悔がじわじわと身に染みてくると、メール受信の着信音が鳴った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Date:6/4  20:24

Frm:ヤギさんの執事

Sub:メールありがとうございます

ホームページのプロフィールを拝見したところ高校生のようですね。

学校の帰りに一時間程度お嬢様の相手をしてくれるだけで良いのです。一時間八千円のお小遣いを差し上げます。履歴書などは必要ありません。尚、お嬢様はお母様を不幸な事故で亡くしたばかりで大変傷心しております。高校生くらいのお姉さんがほしいと常々申しておりましたので、ミキ様のホームページに宣伝させて頂きました。

住所と依頼主である旦那様の名前は下記のとおりです。

通うことが可能な場所にお住まいでしたら、ご熟考くださいますようお願いいたします。

良いお返事、お待ちしております。

S市岸城北五丁目三―三十一番地  依頼主 柳沼やぎぬま憲三けんぞう

――――――――――――――――――――――――――――――――――――



お嬢様、お母様、旦那様……丁寧な言葉を普段から使っていると思われるメール。

母親を不幸な事故で亡くしたという文章に心が揺さぶられた。

片親を幼い頃に失くした痛みは経験者でないとわからない。

住所も意外と近い。

どうしよう?

本気で思い悩んでいると、玄関のドアが開いた。

「ただいま」

「お、おかえり」

私は後ろ手にケータイを隠す。

「おぉ~今日は中華で攻めてきたかぁ~おいしそう」

お母さんは着替えをすませず、さっそく食事をはじめようとする。

「チャーハンが温まるであと四十秒」

「はぁ~い」

お母さんは小学生みたいな返事をして待つ。

童顔で歳のわりに若く見られるお母さんの顔や体系は私へ見事に遺伝したけれど、社交的な性格は受け継がれなかった。

おっちょこちょいで、危なっかしいところは似なくてよかったと思う。

お母さんは中年のサラリーマン風の人にナンパされそうになったとか、ケラケラ笑いながら今日の出来事を話して、二人だけの食卓を明るくしてくれた。

「あぁ~おいしかった。今日は私が洗うわ」

食べ終わるとお母さんが食器類を片付けようとする。

「いいよ、私がやる」

「たまには……ね」

お母さんが年甲斐もなくウインクして私を遮る。

なにか魂胆があるなと思いながらテレビを見ていると、洗い物を終えたお母さんが私の向かい側に正座した。

「実はね……」

相手ができて、再婚を打ち明けられるのかと思った私は内心ドキドキした。

「ミキ、ごめん。今月ピンチなんだ」

お母さんは両手を合わせて謝る。

「いいよ、気にしないで」

笑顔が引きつらないように注意してお母さんを気遣った。

「ありがとう、ミキ」

と言って、お母さんは私に抱きつく。

ハグすればなんでも水に流してくれると思っているお母さんだけれど、抵抗することはできない。

同級生のように接してくれるお母さんが、私は大好きだ。

でも、これで今月のお小遣いがもらえなくなったことが確定した。

「お母さん、明日は何時頃帰ってくるの?」

お風呂に入ろうとしていたお母さんに私は尋ねた。

「今日よりは早いと思うけど……七時半になっちゃうかな」

「わかった」

お母さんがお風呂に入っているとき、私はヤギさんの執事にメールを打った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Date:6/4  21:49

To:ヤギさんの執事様

Sub:よろしくお願いします

返信ありがとうございます。

興味があるお話ですので、ぜひ娘さんのお世話をしたいのですが、面接時間などがあればご連絡ください

――――――――――――――――――――――――――――――――――――



折り返しのメールは三分後に届いた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Date:6/4  21:52

Frm:ヤギさんの執事

Sub:了解しました

形式的な面接などは考えていませんでしたが、少しばかりお話しはさせていただきたいと思っております。明日学校の帰りに訪ねてくだされば幸いです。

お待ちしております。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――


明日?

ずいぶん急な展開になってきたと思った。

大丈夫……かな?

一抹の不安がよぎる。

平凡な高校生活が、明日からガラリと変わってしまう気がした。

純子に相談することも考えたけれど、怪しい宣伝にお金で釣られたと思われるが嫌だった。

しばらく黙っていよう。

午後十一時を過ぎた頃、純子におやすみメールを送って一日が終わる。

送信すると純子は必ず返信してくれる。

今日は珍しく純子の方からメールしてきてくれた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Date:6/4  23:12

Frm:ジュン

Sub:おやすみ

ホムペの宣伝のところに変な書き込みがあったから削除しといたよ

H系だったらメールしちゃったかも(笑)

あっ、それから今日地下鉄駅にある鏡の話をしたでしょ

あの話には続きがあるのだ

フフフ……

おやすみミキ

――――――――――――――――――――――――――――――――――――



更新はしてなくてもホムペをチェックしてくれていることに私は感激した。

すぐに返信する。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Date:6/4  23:16

To:純子

Sub:Re おやすみ

えぇ~続きってなに?

気になるぅ~

明日話してね

それから書き込みの削除サンキュ~

おやすみ純子

――――――――――――――――――――――――――――――――――――


宣伝板のことはお礼をする程度にして、ボロを出さないようにした。

いま思うとあのとき打ち明けていれば、あんなことにはならなかったんだね。

私って本当に馬鹿だ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ