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エピローグ

手を伸ばした先に黒い影が走る。

娘の体がプラットホームへ落ち掛けた瞬間、黒い影が現れて引き戻した。

「危なかった」

なにが起こったのかよくわからず、目をパチクリさせている娘をその黒い影は抱き締めた。

地下鉄の先頭車両は規定のラインに停止。

「どうして?」

私は黒い影の正体を知り、どうしてここにいるのかを問う。

「お弁当を忘れているよ」

夫はヒヨコのアップリケがついた巾着袋を見せた。

「あぁ~よかった」

私は安堵してプラットホームにへたり込み、忘れた娘のお弁当を届けにきてくれた夫に感謝した。

「来てよかったよ」

夫は娘がケガをしてないかチェックしながら言った。

地下鉄の運転手が心配そうに窓から顔を出していたので、私と夫は深々と頭を下げた。非常ブレーキをかけられていたら大事になっていた。

「パパありがとう」

娘はやっと自分が仕出かしたことを理解したらしく、父親の存在に気づく。

「気をつけてな」

手を振る夫と別れて地下鉄に乗り込む。

娘は車のワイパーのように手を振った。

ここの地下鉄駅に鏡はもう設置されていない。長方形の白い壁が面影を残しているだけ。

あのときも夫は助けてくれた。

ミキと唖璃子ちゃんが地下鉄に轢かれたあと、プラットホームを支える柱の陰からあなたは現れた。

まるで、そのときを待っていたかのように……。

「大丈夫ですか?」

目尻から皺を伸ばして微笑むその顔を見て私は安心して眠った。

病院で目が覚めると、現実が待っていた。

地下鉄駅に残ったバラバラの死体は一人分。唖璃子ちゃんは髪の毛一本残さずにそれきり姿を消した。

私を助けてくれた男の人が証言して、ミキが向かってくる地下鉄に飛び込む様子を説明したらしく、世間的には女子高校生の投身自殺で片がついた。

その男の人は毎日のように見舞いにきて励ましてくれた。

ミキのことを聞こうとすると「嫌なことは早く忘れたほうがいい」と優しく諭してくれた。

退院したあと精神科に通っていた私の声など、誰も耳を貸さなかった。

唯一、私の話を聞いてくれたのは、その男の人だけ。

私がなんべんも「ミキは自殺したんじゃない!」と訴えても嫌な顔ひとつせずに黙って聞いてくれた。

三年後、私はその男の人と結婚して子供を産んだ。

久し振りに連絡が取れたお母さんは、結婚相手と二十四も歳が離れていることに驚いていた。それなりのお金を渡すと、弟を引き取ってちゃんと面倒を見てくれることを約束してくれた。

もしミキが生きていたら『なぜ?どうして?』と結婚を強く反対したに違いないよね。

でもね、ミキ。亜里沙ちゃんを殺してしまった罪を償うには結婚という方法しか思い浮かばなかったの。

それから冷蔵庫に入っていた遺体は、柳沼家で雇っていた運転手さん。

そのことは入院中に新聞を読んで知ったけど、夫からエピソードを聞かされた。亜里沙ちゃんが車に乗っているとき、急ブレーキをかけて鼻を痛くさせるくらい運転が荒かったらしいの。運転手さんと羊さんは前々から男女の関係だったようで、二人の間になんらかのトラブルが起きたのではというのが夫の推理。

どこまで信じていいのか私にはわからない。

夫は私が働くことを許してくれた。私が仕事で遅くなるときは娘を幼稚園に迎えにいってくれる。周りから見ればとても良い父親に見えるでしょうね。

家に帰ってくると『猫ふんじゃった』が聞こえてくる。

亜里沙ちゃんからよく聞かされた曲。

私は二階に上がり、新しく改装した鏡の部屋で自分の顔を見詰めることが時々ある。

いつまで償いを続ければいいのか……と。

そして、いつミキの復讐を果たそうか……と。

いや、復讐という棘のある言葉は適切じゃないかもしれない。

“自己犠牲なんて流行らないよ”

地下鉄に衝突する寸前の唖璃子ちゃんの言葉が、妙に耳に残っていた。

ミキは私のために……。

『友情』という遊びからはじまった私とミキの関係は、本物の友情が存在するのかなと疑うこともあった。ミキは柳沼家でお小遣い稼ぎしていたことを隠していた。腹を割って話せる関係じゃないんだと落ち込んだ。

私も……だけど……。

でも、時間が経てばミキはきっと話してくれていたと思う。少しでもミキのことを疑ってしまった自分が恥ずかしいし、情けない。

鏡を見ながらいつも私はミキに誓う。

“私もミキのために自己犠牲を払うよ”

鏡の部屋を出ると、ちょうど夫が娘の部屋のドアを開けて出てこようとするところだった。ドアにかけられている板には“アリス”のカタカナの文字。

私の言うことをなんでも受け入れてくれた夫だけど、娘のアリスという名前だけは頑として譲らなかった。夫が小さい頃、眠れない夜に『鏡の国のアリス』を母親が子守唄代わりに読んでくれたらしい。

「ピアノ、かなり上達してきたよ」

夫はピアノを弾いているアリスを自慢げに見詰める。

「きっとあなたの教え方がうまいのよ」

「そうかな」

夫は恥ずかしそうにしながら部屋のドアを閉めた。

髪を乱すように一心不乱にピアノを弾いていたアリスの手がとまった。

「お父さんは?」

「トイレかも」

「戻ってくる?」

「どうかな」

「ケータイまた忘れてるよ」

アリスはピアノの上にのっているケータイを指さした。仕事の電話が引っ切り無しにかかってくるから夫にとって手放せない必需品。ただし、アリスにピアノを教えているときは仕事のことを少しでも忘れたいらしく、マナーモードに切り替えてピアノの上に置くことが癖になっている。

そして、置き忘れることも毎度のこと。

「夕飯ができたら呼んであげるから下りてくるのよ」と言って私はアリスの部屋を出た。

もちろんアリスの「はい」という返事を耳に入れてから。

夫のケータイはガラケーで型が古く、重量感がある。

 まだ使えるし、通話とメールさえできればいいからスマホは必要ないと言っていた。

もっともらしく聞こえるけど、それは違う。

私はメールの送信ボックスを確認した。

そこにはあなたがずっと消さないままの送信した一通のメールが残されている。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Date:6/26  15:52

To:ミキ

Sub:すぐにきて!

うん、わかると思う

待ってる

――――――――――――――――――――――――――――――――――――



これはあなたがミキに送ったメール。私にもほぼ同時刻に同じ内容のメールがきたわ。

あかりちゃんの正体はあなた。

私とミキを地下鉄駅に誘き寄せたのもあなたね。

ということは、地下鉄駅の鏡の中にいる唖璃子ちゃんの存在も知っていたのかしら?

目的は亜里沙ちゃんの恨みを晴らすため?

あれから何年も経つのに、このメールを消さないということは、私に気づいてほしいのかしら?

あなたがすべての元凶であるということを……。

それとも殺されるのを待ってるの?

私が台所で夕飯の支度をはじめようとすると、夫がトイレから出てきた。

「またケータイ忘れてるわよ、憲三さん」

「すまないな」

夫はうっかりとばかりに頭を掻く。

ケータイを渡したあとの私は能面のような顔になった。

「どうしたんだ、純子?」

夫が不審そうに尋ねる。

私は後ろ手に持っている包丁を力強く握り直した。


       〈了〉


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