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十二、秘密

次の日の朝、純子には新たなケガが増えていた。

頭に包帯を巻いている。

「ど、どうしたの?」

動揺しながら訊く。

「躓いたときに頭も打ったみたい。朝起きたら頭が痛くって……」

純子の言葉は言い訳じみていた。

昨日は頭にケガの痕なんてなかったし、頭が痛いという仕種もしていない。時間が経ってから痛みがぶり返すことはないとはいえないけれど。

「病院に行ったほうがいいよ」

反応を確かめるために、私は純子の腕を引っ張る。

「大丈夫、ほっとけばそのうち治るから。お金ももったいないしね」

純子は私の手を軽く振り解く。

「でも頭のケガはちゃんと診てもらっ……」

「心配してくれてありがとう」

私が喋り終わらないうちに、純子が言葉をかぶせる。

「本当に大丈夫なの?」

心配でたまらなくて念を押す。

「足はだいぶ回復してきたんだ。無理をすれば走れるし」

純子は腿を高く上げて走る真似をした。

私はその姿を痛々しく見守った。純子がやせ我慢しているようにしか見えない。

学校でもいつものように振舞おうとしていたけれど、繰り出す笑顔には黒い影が走っていて精彩がない。

その黒い影の正体がなにかわかれば、力になってあげられるかもしれないのに……。

問い詰めれば純子は意固地になるだけ。自分の弱みを絶対に人に見せない。私にはない強さを持っているそんな純子に憧れるんだけれど、こういうときはかえって厄介だ。

帰宅してからも純子のことが気がかり。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Date:6/25  23:05

To:ジュン

Sub:おやすみ

今日の高橋先生の授業最悪だったね。黒板に黙々と字を書いていくだけで、無言なんだもん

途中でかなり眠くなってきたよ

――――――――――――――――――――――――――――――――――――



おやすみメールで退屈だった授業のことを持ち出して愚痴ってみた。

純子からは無反応のメールが送られてくる。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Date:6/25  23:18

Frm:ジュン

Sub:Reおやすみ

なんか今日も疲れたぁ~

おやすみミキ

――――――――――――――――――――――――――――――――――――



おやっ?と思って昨夜のおやすみメールを確認してみた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Date:6/24  23:13

Frm:ジュン

Sub:Reおやすみ

今日は疲れたぁ~

おやすみミキ

――――――――――――――――――――――――――――――――――――



ほとんど昨日のコピー文。“なんか”を付け加えて今日“は”を今日“も”に変えただけ。メールは送られてきているのだから邪険にされていないと思いたいけれど、感情がこもってない。

学校にいるときよりも、家に帰ってからの純子になにかしらの変化が起っている。現時点で可能性があるのは家庭内の問題。お母さんとなにかトラブルがあって、二日連続でケガをしたとなれば異常事態だ。

力になってあげたいという気持ちが高まっても自分になにができるのかと考えると、みなぎっていたはずの鋭気が急速にしぼんでしまう。

そうだ!純子の家にまた遊びに行きたいと言えば、そのときの反応でなにかわかるかも。拒否されれば家庭内で何かが起きているのは確実。だからといって純子のお母さんが子供に虐待するイメージは湧かない。何度か顔を合わせたことがあって、子育ては苦手でもふくよかな丸顔は感じが良く“暴力”とは無縁の人に見えた。

布団の中でいろいろ模索していると、枕元のケータイからお知らせメールの着信音が鳴った。

寝ているお母さんに背を向けてチェックする。



【そうなんですか?

バイトは地獄です。

6/25  23:56  by あかり】



一日遅れの返信。地球の裏側からの衛星生中継のようで間が抜けている。慰めの言葉をかけてあげるべきだと思ったけれど、なんとなくすぐにレスの催促を求める返信がくるような気がする。

今夜の悩みの種はひとつだけにしたい。

あかりちゃんにレスは返さなかった。

睡眠時間が削られても、純子のためなら平気だ。

白々と夜が明けてきても私は眠れず、起きたとき寝不足で頭が重かった。でも、疲労感には自己満足さえ覚えた。

純子のために私はこれだけ悩んでいるという満足感。

しかし、その想いは通じなかった。

交差点で待っていても純子がなかなか来ない。ザワザワッと嫌な胸騒ぎがする。

バスに乗り遅れないギリギリまで待ってからケータイをかけたが、出てくれない。

急いで純子の家に向かう。

角を曲がるたび、走ってくる純子と衝突してほしいと祈った。

純子の家まであともう少しという距離まで近づくとケータイが鳴り、細長いサブディスプレイに“純子”という着信LEDの文字が点滅する。

「もしもし、純子?」

私は素早くケータイを耳に当てて純子の声を待つ。

「ごめん、今日学校休むね」

純子の声は消え入りそうなくらい小さかった。

「どうしたの?なにがあったの?」

風邪だとか単純な病名を告げられて切られるのを避けるために、強い口調で尋ねた。

しばしの沈黙のあと「大丈夫、本当に大丈夫だから……」と私を納得させるには程遠い答えが返ってきた。

「心配だからこれから純子の家に行くよ。近くまで来てるから」

私は走りながら純子に語りかける。

「明日はちゃんと学校に行くから……だから、来ないで」

拒絶され、私の足がとまる。語尾には涙声が混じっていた。

「わかった」

私は心の中とは正反対の返事をしてケータイを切り、再び走り出す。

純子の家の前で、ナップサックとランドセルを組み合わせたような通学鞄を重そうに背負う男の子の姿を発見した。

「勇人君!」

私は大声で勇人君を振り向かせる。

あっ!と、ビックリした顔をして私を見詰める勇人君は、前回会ったときよりちょっと痩せたかなという印象を受けた。

「お姉ちゃん大丈夫?」

「う、うん」

歯切れの悪い返事をして勇人君が俯く。丸刈りで吊り上がった一重瞼が特徴的な悪戯っ子の顔だったのにいまは無気力。

「お姉ちゃん、毎日のようにケガしてるでしょ?なにがあったの?」

私が再度尋ねると、勇人君は首を横に振った。

「お願い、なにか話してくれないかな?」

私は勇人君の肩を両手で掴んで軽く揺らした。

「なにも話してくれないんだ。本当だよ」

見上げる勇人君の眼差しは瞬きすることなく、嘘がないように思える。

「昨日家に帰ってきてからケガは増えてなかった?」

「昨日は新しいケガはなかったよ」という勇人君の表情はさらに沈む。純子のケガが家庭内に暗い影を落としているのは間違いない。

「お母さんは?」

親ならば子供のケガを見過ごすわけがなく、それなりに対処してくれているはずだった。

「若い男の人とどこかに出かけて、月に一度くらいしか帰ってこない」

「そんな……」

勇人君の言葉を聞いて私は愕然とした。純子は重大な悩みを一人で抱え、だれにも相談できないでいたのだ。

「いま話したこと、お姉ちゃんに言わないでね」

純子に口止めされているらしく、勇人君がすがるような目をして言う。

「わかった」

約束して学校に行く勇人君と別れ、純子の家の前に立った。

先にノックすると鍵を掛けられる可能性があるので、玄関のドアノブを捻ってみる。

残念ながら来ることを読まれていたのか、ドアノブは回らない。

「純子!純子!!」

ドンドンと近所迷惑なほど強いノックをして呼びかけた。

「……ミキ……ごめん……」

スススゥーとドアが擦れる音とともに純子の声が聞こえた。

玄関のドアにもたれて泣き崩れる純子の様子が、私には手に取るようにわかった。

「純子が入れてくれるまで、私ここから離れないよ」

私は玄関のドアに背中をつけて膝を抱えた。純子の体温を少しでも感じたかった。

持久戦を宣言して間もなく、純子が口を開いた。

「お願い、今日中にちゃんと決着をつけるからミキは学校に行って。遅刻しちゃうよ」

電話のときとは違う気遣いをみせる純子のお願いは、それだけ問題が深刻なことを意味している。

「私は頼りないけど、悩みを聞いてあげることぐらいはできるよ」

私は立ち上がってドアに口を近づけて訴えた。

「明日になればすべて話せるようになるから。だからお願い、信用して」

「ドアを開けて顔くらい見せてくれないの?」

私は質問したあとですぐに失敗に気づいた。質問には自分が安心したいという身勝手な要素が含まれている。

「とにかく今日は……駄目」

純子の頑なな姿勢は崩れそうもない。人の心が簡単に変らないことを思い知らされた気がした。

「純子、明日はちゃんと会って話そうね」

「うん、約束する」

後ろ髪を引かれる思いだった。何度も振り返りながら純子が顔を出してこっちを見てないか確認した。

バスだと完全に遅刻してしまうため、私は久し振りに地下鉄駅に足を運んだ。

悪夢くらいでうろたえているようじゃ純子を助けることなんかできない。絶対に悪夢を見ないという根拠のない自信と、呪縛から解き放たれたいという願望もあった。

自動改札口から階段を下りた私は鏡の前に立った。映っている自分の姿を見て罵倒したくなった。

しばらく鏡と睨めっこしていると、あることに気づく。

鏡の左隅下に『柳沼合金製作所 寄贈』と箔押しした小さい金文字がある。

柳沼……亜里沙ちゃんの家と関係あるんじゃないだろうか?

ケータイをウェブサイトに繋ぎ、『柳沼合金製作所』を検索して会社のホームページに辿り着く。かなりの大企業で年間売上、資本金は億単位。鏡、ガラス玉、路面標識、凸面鏡、交通信号灯、フェンス、道路鋲など幅広く製造業をこなし、中国の福建省に工場があるらしい。

そして、社長のご挨拶というページでは顔写真が貼られていた。

亜里沙ちゃんのお父さんの部屋で見たフォトフレームの男の人だ。

ひいおじいさんが会社を設立して、亜里沙ちゃんのお父さんが三代目として引き継いでいるようだ。

背中に冷たいものが流れた。

『柳沼合金製作所』で作られた鏡と、悪夢になんの因果関係があるのかはわからない。

でも、私の頭の中で強い警告音が発せられた。

“ミキのケガが感染したのかも”……純子の言葉が唐突に蘇る。

まさか純子も?!

私は階段を駆け上がり、純子の家に再び向かった。

ケータイでかけたが「ただいま電話に出ることができません……」という愛想のない女性の声が流れ、私はピーッという発信音のあとに「純子、すぐにかけてきて!」と伝言を残した。

純子が言った“お願い、今日中にちゃんと決着をつけるから……”の“決着”とは、どういう意味があるんだろう?

私は馬鹿だ。純子はちゃんと隠れたメッセージを伝えてくれていたのに、それに気づいてあげられなかった。

純子の家のドアをさっきよりも激しく叩いて呼んでも反応はなし。

裏に周っても窓から人影は見つけられなかった。

まさか柳沼家に……。

否応の無い不安に押しつぶされそうになった。

私がしつこく迫ったせいで、純子は早まった決断をしてしまったんじゃないだろうか?

私は疫病神だ。

なにかしようとすれば負の連鎖を起こしてしまう。

羊さんから宣伝板へお小遣い稼ぎの誘いがあって、変な書き込みがあったからと削除したのは純子。

だから、見て、読んで、お金に困っていた純子が興味を示さないほうがおかしい。

もっと早く気づくべきだった。

家に戻って日記に挟んでいた茶封筒の束を抜いて、タクシーを呼んだ。


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