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はい、私は嘘つき村の住人です

作者: 平均王子


 問題文


 あなたの目の前には二つの大きな扉がある。

 一方は希望の国へ行ける扉だ。もう一方は絶望の国へとつづく扉だ。

 一度どちらかの扉をくぐってしまえば、二度と後戻りはできない。

 あなたは絶対に希望の国への扉を選びたい。しかし、どちらが希望でどちらが絶望か、あなたには判らない。

 さて、二つの扉のあいだ、ちょうど真ん中の位置に、二人の男が立っている。彼らは、近くにある二つの村からそれぞれ一人ずつ選ばれて派遣されてきた門番だ。

 もちろん彼らは、どちらの扉をくぐれば希望の国へとたどりつけるのか知っている。そしてあなたは、一回だけ、彼らのうちのどちらか一方に質問を行うことが許されている。

 だが気をつけたまえ――彼らのうちの一人は正直村の住人であり、あなたの質問にたいして正しい答えを返してくれるが、もう一人の男は『嘘つき村』の住人だ! この村の住人は皆どんなときでも絶対に嘘しか言わず、あなたの質問に対して必ず嘘の答えを返してくる。

 残念なことに、あなたにはどちらの男が正直なのか嘘つきなのか判別することができない。


 あなたが必ず希望の国へ行くためには、どうすればいいのだろうか?






 やあ、はじめまして、と言うよりはようこそ、と言ったほうがふさわしいのだろうね――こんなタイトルの書物を手に取ったうえで中をのぞいてくれた諸君らにかけるべき言葉は。

 お察しのとおり、これから私が案内するのは嘘で塗り固められた道、これを諸君らと共に往かんとする、まあ一種の興行のようなものだと思ってくだされば結構。

 そうと知りつつも表紙を開いた諸君らの心底に在るのは、欺かれることへの覚悟(期待?)であろうか、あるいはそれを見破らんとする気概(恐怖!)であろうか。いずれにせよこの、嘘と、嘘と、あるいは嘘に、彩られた旅路へと参加する意思表明と受け取らせてもらおう……なお、受け取った以上、当方より返却することは有り得ないのであしからず。

 と、前置きはこのくらいにして、遅ればせながら自己紹介をさせて頂くとしよう。

 私は――うん、そうだね、『私は嘘つき村の住人です』。

 ははは、なに、諸君らの言いたいことは重々承知だ。これほど不審な名乗りというのも、そうはあるまい。でもまあ、まずは聞きたまえ、私がこの書を記すに当たって、いったい何を主張したかったのか。題を見たところで、いまいちピンとこないのではないかね?

 ひとことで言うならそれは、『嘘つきは怖ろしい』ということに尽きる。

 私が嘘つき村の住人などと名乗ると、よく残念そうな顔をされるのだよ。ああ、必ず嘘をつくという習性をいっつも逆手に取られて結果的に正しいことを教えてくれる人か、と。諸君らにしても、なにがしかのあなどり、私に対する軽視や楽観視があるのではないだろうか。まあ、そのことを口惜しいとか屈辱的だ、などと言うつもりはないにしても、少々とんでもないことではあると思うのだがね。嘘つきは怖ろしいのだよ。嘘つき村などという名前を見たら、本来は、一目散に逃げるべきなのだ。自分の身が惜しいのならばね。

 嘘つきは怖ろしい。このことは、いちおう頭の片隅にでも留めておいてくれたまえ。

 さて、先ほどの私の名乗りにおいて、諸君らの脳裏に湧き上がったであろう当然の疑念にお答えするとしようか。それはおそらく次のようなものであろう、すなわち、


「嘘つき村の住人だというお前の言葉は、真実なのか、それとも嘘なのか」


 以上に相違ないと思われるが、いかがであろうか。いかにも、おかしな話ではある。

 私が実際に嘘つき村の住人であるのならば、その発言「私は嘘つき村の住人です」は嘘でなければならず、結果、私は嘘つき村の住人ではないということになり、矛盾する。

 また、私の言う「私は嘘つき村の住人です」という主張が、絶対に真であるとするのならば、嘘つき村の住人であるはずの私が嘘を言っていないことになり、やはり論理不全が生じてしまう(まさか、嘘つき村という名前の村だからといって、そこの住人の全てが嘘つきである必要性は無いのではないか、などと穿った考えを持っている人はいないだろうね? 嘘つき村の住人は老若男女ひとりの例外もなく根っからの嘘つきなのだ。これは、大前提だよ)。

 つまりどう転んだとしても私の名乗りには矛盾が生じてしまい、じゃあお前は一体何者なのだ、ということになるのだが、それは、私は嘘つき村の住人だ。間違いない。

 あはは、どうかね、楽しくなってこないかね?

 ではその矛盾を解消するためにも、よろしい、私は今ここに誓いを立てることにしよう。

 すなわち、『冒頭の問題文より始まるこの文章の全体において、私は一切の虚偽を記述しない』とね。

 嘘は言うけれど、嘘は書かない、ということだ。嘘をつかなかったわけではないから、嘘つき村の住人としての矜持は痛まない。……こういう屁理屈じみた弁術を、我々はことのほか好む。これはもう避けがたく習性と言ってもいいかもしれないね。

 どうだろう、現にここまでの文章において虚偽を一切記述していない、という事実をもって、我が誓いを信じてはもらえないだろうか。なに、私の言うことなど、おっと、私の書くことなどを鵜呑みにして信じろとは言わんよ。頭から疑ってくださって大いに結構、そもそも始めから諸君らもそのつもりだったであろうし。

 つまり諸君らのなすべきは、私を信じる信じないどちらにせよ、このまま本書を読み進めることだけだ。単純にして明快。わだかまりも氷解し、さあ再び歩みを進めようかといったところで…………。




 さて、前置きが長くなってしまったけれど、いよいよ本題、冒頭の問題文に移るとしよう。多少のアレンジを加えてはいるが、基本的にはよく知られる嘘つき村問題とおなじ形をとっている。

 この手の問題をご存じない方もいるだろうから、すこし概要を説明させていただくとしよう。知っている方も、おさらいとしてお付き合い願いたい。

 あなたは希望の国に行きたい。絶望の国なんて、もちろん、ごめんこうむりたいものだ。しかし、二つの扉のどちらをくぐれば希望の国に行けるか判らず、それをあなたに教えてくれるであろう二人の門番も、どちらが正直でどちらが嘘つきなのか判らないという状況だ。

 仮に右の扉が正解の希望の国だったとしようか。このときどちらかの門番に「希望の国に続く扉は、右側の扉ですか?」と質問したとして、その正体が正直村の住人だったのなら「はい、右の扉です」と答えてくれるだろうが、もし嘘つき村の住人だったとしたら「いいえ、左の扉です」と嘘をつかれてしまうのだ。あなたは質問した相手が正直なのか嘘つきなのか判らないのだから、この質問では絶対の指針を得られないと言うことだ。

 基本的に、素直に「右の扉が~」「左の扉を行けば~」「希望の国に行くためには~」などと質問しても、嘘つきと正直では正反対の答えを返してくるのだから、駄目だということになるね。

 面白いところで、たとえばペンを手に持ち「これはペンですか?」とたずねるパターンがある。正直村の住人なら「はい、それはペンです」と答えるだろうが、嘘つき村の住人なら「いいえ、それはナンシーです」などと出鱈目な事を言うに違いない。つまり、答えがあなたにも明確に判別できる質問をおこなえば、あいてが正直か嘘つきか簡単に判るのだ。……けれども、質問は一回だけしかできないのだから、それで終わりだ。これも駄目だろう。というよりも、そのための回数制限なのだ。残念。

 では、どうすればいいのか。解答をお教えしよう。たとえばこんなふうに尋ねるといいのだ。


「あちらの門番(もう一人の門番)に『希望の国に続く扉は、右側の扉ですか?』と尋ねたら、なんと答えますか?」


 おかしな質問の仕方に思えるだろうが、これが正解なのだ。正解とされているのだ。解説しよう。ちなみに、引き続き右の扉が希望の国であるとする。

 聞いた相手が正直村の住人だったとする。この時もう一人の門番は嘘つきである。『希望の国に続く扉は、右側の扉ですか?』という質問には「いいえ、左の扉です」と答えるのだったね。それを正直村の住人はそのまま正直に言うのだから、「『いいえ、左の扉です』と言うでしょう」と答えることになる。

 では聞いた相手が嘘つき村の住人だったとしたらどうだろう。この場合だともう一人の門番は正直者だね。『希望の国に続く扉は、右側の扉ですか?』という質問には、もちろん「はい、右の扉です」と答えるのだが、それをあなたに伝えるのは嘘つきの方なのだ。だから正誤を逆にして答える。すなわち「『いいえ、左の扉です』って言うとおもいますよ」……。

 なんと、両者の解答が一致したではないか。質問した相手が正直であろうと嘘つきであろうと、どちらも嘘の答えを返してくるのだ。それがわかっていれば、あなたは嘘の答えの反対、つまり右の扉を迷わずに堂々とくぐればいいのだ。その先は光あふれる希望の国だ、あなたは幸福に満ちた人生を勝ち取ることに成功したのである……!

 なぜ両方のケースにおいて嘘の答えが返ってくることになるのか、もう少し補足しよう。

『右の扉が希望の国』という事実があり、その事実を、コップに入った透明な水であると想像したまえ。この時、正直者と嘘つきは、それを通すフィルターのようなものだ。

 正直者は事実をそのまま伝える。つまり正直フィルターに透明な水を注いでも、フィルターを通してでてくる水は透明のままということである。

 しかし嘘つきはそれを裏返しにして伝える。嘘つきフィルターに注がれた水は、黒い色の水に変化してでてくるのだ。

 では、さきの正答例の場合はどうだろうか。そう、質問を受けた門番と、そうではないもう一人の門番、ふたつのフィルターを一度に通しているということに、お気づきだね。[嘘つき→正直]であろうと[正直→嘘つき]であろうと、必ず一度だけ嘘つきフィルターを通ることになり、必然、最後は黒い水となって出てくるのだ。そのため、尋ねた相手がどちらの場合でも答えが嘘になって返ってくる、と、あらかじめ知っておくことができるのである。 




 ふむ。嘘つきの怖さを知ってもらおうと、要点をまとめてはみたものの……だいぶ酷いね、これは。完全に手玉だ。この有様では、あなどられても文句は言えなさそうである。実際、これでは怖がりたくても怖がりようが無いじゃないか、と諸君らは思っているのではないだろうか。

 ふふふ、いかにも。いかにも、嘘つき村の住人は大したことはない。否、その断定は早計だ。私は次のことを指摘せねばならない、すなわち「嘘つき村の人間が、いわゆる嘘つき村問題というものを考えたのではない」ということを。

 じつを言えば、嘘つき村問題における嘘つき門番の対応は、本来の嘘つき村の住人たる私からすれば、お話にならないほど出鱈目なものに見える。たとえば詰め将棋だ。王手に対して全く関係のない駒を動かすとすればどうか。もちろんそんなものは一手詰みである。どれほど長大で、華麗な手順を要する問題であっても、即一手詰みである。何も楽しくはあるまい。

 それと同じなのだよ、上の模範解答例は。こんなものが『嘘』でなんかあるはずがない。

 考えてもみたまえ、ただ嘘をつけばいいという条件であるのならば、ほぼあらゆる発言は「あちらの門番に『希望の国に続く扉は、右側の扉ですか?』と尋ねたら、なんと答えますか?」という質問に対して嘘となるではないか。別に、「『いいえ、それはナンシーです』と答えるでしょう」でも十分に構わないのだ、嘘というだけであるのならば。

 嘘をつくという行為は、相手を騙すという目的意識をもって、すべからく行われるものである。嘘つき門番の正しい解答(正しいだって!)とされる「『いいえ、左の扉です』と言うでしょう」という発言からは、その目的意識というものが、いっさい感じられないのだ。

 我々嘘つき村の住人は機械ではない。諸君らと同じ、心のある人間なのだ。右と聞かれれば左、前と聞かれれば後ろ、反対のことを唯々諾々としゃべり返す機械などとは、どうか思わないでくれたまえ。悲しいじゃないか。

 いったい、嘘つきがなぜ嘘をつくのか、よく考えてほしいのだ。その根底にはとても恐ろしい魔物が眠っているのだよ。そう、悪意という名の魔物がね……。

 では本当の嘘つきとやらはどう答えるのか。薄々は諸君らも気づいているのではないだろうか。嘘をつく目的意識、悪意、嘘が返ってくることを前提とした質問の仕方。ヒントは十分にそろっている。お答えしよう。


「あっちの門番なら、『右の扉が希望の国に続く扉です』と答えるはずです」


 そうだ、質問者は嘘の答えが返ってくることを想定して、このような問い方をしているのだ。ゆえに彼が選ぶのは言われた方とは反対の、すなわち左の扉であらざるをえない。しかし残念、その先に待ち受けるは暗闇に覆われた絶望の国だ、彼は救いのない悔恨にまみれながら、泥沼の中で喘ぐことになるであろう……!

 ……ふふふ、解っている、解っているとも。諸君らの言いたいことは、例によってしっかりと把握しているから安心したまえ。

 

「嘘つき村の住人が、嘘を言わずに本当のことを言う。馬鹿な、完全なルール違反だ、許されるはずがない!」


 おっしゃることは、ごもっとも。じつを言えば嘘つき村というのは、ルールや決まり事といったものには、ことのほか厳しいところなのだ。意外だろう? 皆が皆、好き勝手に放言してはばからないような、そんなイメージだったのではないかな?

 嘘はゲームのようなものだ、と言っておこう。詰め将棋が、必ず最長の手数になるように打つことを求められているように。ルールが定められているのならば、我々嘘つき村の住人は必ず遵守すべきものとしてそれを認識する。そうでないと、せっかくの悪意が薄まってしまって面白くない。

 問題文において、「この村(嘘つき村)の住人は皆どんなときでも絶対に嘘しか言わ」ないと明言されている以上、嘘つきの門番が真実をそのまま告げることは明確なルール違反であると言える。嘘偽りを含まない発言をおこなうことは、我が村の名誉にかけても、してはならないのだ。

 しかしである。しかし、よく考えてみてくれたまえ。正直門番の答えを、嘘つき門番がその通りに告げるというこの対応のしかただ。そこにいっさいの虚偽がふくまれていないと、諸君らは本当に感じられるのかね? そこにどんな嘘偽りも介在していないと、本心から言いきることが可能なのかね?

 ただしいと思った方の扉をくぐり、しかし実際には絶望の国に放り込まれるに至って、「やられた、自分は嘘つき門番に一杯食わされたのだ」と思わないでいられるだろうか?

 そう、嘘は、実は存在しているのだ。

 嘘つき村の住人である門番が、この時だけは正直者のフリをしているのである。自分を偽り、他人のフリをする……成り済まし、あるいは身分詐称。どうしてこれが嘘でないと言えるだろうか。

 そして、なぜ私がこちらの嘘を推すのかといえば、こちらの嘘がきちんと悪意にもとづいているからなのである。

 どのような悪意か。もちろん、希望の国に行きたがっている相手を、絶望の国に叩き込むという悪意である。

 くどいが、悪意なのだ。

 この世でもっとも有名な嘘つきといえば、例えばかのオオカミ少年の名があがるだろうが、彼の「オオカミが来たぞ!」という嘘もまた、だまされた村人が慌てふためくさまを見て面白がる、という悪意にもとづいたものであったはずだ。

 嘘つきが恐ろしいと言ったのは、言葉をいつわり態度をいつわり、相手を最悪へと導こうとする、まさにこの悪意的習性、それに他ならない。

 単純に、聞かれたことに嘘をつけば、もちろん嘘つきだ。しかし、本当のことを述べたとしても、自身の立場を偽ったことになり、やはり嘘つきだ。

 どちらにするかは、悪意の向くまま……といったところか。正直者には決してまねできないこの自由さ加減を、どうして我々は愛さずにいられよう。人間は自由を求める生き物である。などと立派なセリフを、きっと、どこかの偉人が言っていたのではなかろうか。確証はないけれどね。

 ……しかしどうだろう。ここまでの主張は本当に正しいのだろうか。問題文をあらためて読み返してみよう。そこにはこう記されている。

 ――この村の住人(嘘つき村の住人)は皆どんなときでも絶対に嘘しか言わず、あなたの質問に対して必ず嘘の答えを返してくる――

 あなたの質問に対して、と、こう明記されている。当然だね。たずねてもいない昨日の夕食のメニューについての嘘などを聞かされては、はなから問題として成立のしようがない。ということは、[疑問1] 私が自信満々で推薦した『自分の立場を偽る』という返答も、質問者からすれば全くの無関係、そんなことは当方の知ったことではない、ちゃんとこちらの質問に対しての嘘を言え、ということになる。

 さらに言えばそもそもの話として、[疑問2] 嘘つき門番と正直門番のどちらに質問を行うか、その確立は半々である。どれだけ私が息巻いて悪意だ何だと訴えたところで、確実に相手を絶望の国へと追いやることなど出来はしないではないか……。




 オオカミ少年の話だがね、実はあの話のオチは、元々違った形をしていたのだよ。

 幾度も嘘をつき続けて信用を失い、本当に狼の群れが来たときに信じてもらえず飼っていた羊を全部喰べられてしまったオオカミ少年。

 いやいや、常識的に考えて、どうして少年の飼っている羊だけをわざわざ狙って喰らわねばならないのだ。村人達は彼の言うことを信用せず、その時に限っては何の防備も用意していなかったのだ。ならば獲物はよりどりみどり、他の村人の飼っている家畜はもちろんのこと、それどころか村人たち自身でさえも、狼にとっては格好の………………。

 まあ、これ以上はよしておこうか。ご婦人がたも読んでおられようし。ただ、そういう元々のオチというか話の結末がだね、あまりにもひどいだろうと。嘘をつき続けられた村人たちが少年を信用しなくなっていったのは当たり前のことなのに、どうして彼らまでが悲惨な目にあうのかと。こういったいきさつで、今の形に収まったそうだ。それにともない、この話が示す教訓も、嘘をつくとその反動は自分に返ってくるから止しましょう、といった比較的差しさわりのないものになってしまった。


 違うだろう?


 たかが年端もいかない少年の、しごく簡易な嘘の繰り返しだけで、ひとつの集落が壊滅に追い込まれてしまう。そういう嘘の持つ恐ろしさこそが、このオオカミ少年というお話が本当に我々に伝えたかったことではあるまいか。




 やはり嘘とは、この上もなく恐ろしいものなのだよ。嘘つきもまたしかり。

 

[疑問1] 嘘は質問に対して行われなければならない。問われたことに掛からない嘘はルール違反。

[疑問2] 50%の確立でしか、嘘つき門番に質問が来ないので、相手を確実にだますことは不可能。


 先の疑問点をまとめてみた。漠然と考えてみても、これは両者ともになかなかの難題であると思われる。

 [疑問1]は、私の主張(嘘つき門番という立場を偽る)に対する正面からの反論であり、これが解決できないと主張そのものが瓦解してしまう。

 [疑問2]は、これに答えることは必須ではないだろうが、しかし嘘つきの怖さを伝えるという本書の意義がいちじるしく低下しかねない。ともすれば、こちらのほうがより深刻か。

 だが、あえて言おう。解は出せる。 50%を100%にできると。それが、嘘つき村なのだと。

 我々は機械ではなく、心のある人間だといった。人間と人間の会話は、相手の心を推し測りつつ行われるものであることは、何年か人間生活をやっていればわかるというものだ。

 例えば道行く人が「この道をまっすぐ行けば駅に着きますか?」とたずねてきたとする。その時、事実と異なるからといって、「いいえ、ちがいます」とだけ答えてスタスタと去って行ったのでは、あまりにも機械的かつ心無い所業というほかはない。

 その人が聞きたいことは、『この道を直進すれば駅にたどり着くかどうか』という純粋な疑義への返答ではない。『駅への行き方』をきいているのだ。「駅なら、ひとつ先の角を左に折れた先にありますよ」と、こんなふうな受け答えこそが、最も自然な応対というものである。

 同様に冒頭の問題を考えてもらいたい。この問題における質問者の心を慮るのならば、これはもう「ははあ、この人はきっと希望の国に行きたいのだな」、という解釈しかないではないか。質問者は、『希望の国への行き方』をたずねているのだ。

 よって、上記[疑問1]の『質問』とは『希望の国への行き方』に等しいということになり、つまり『希望の国への行き方』を偽ればいいということになる。

 だから、右ではなく左の扉だと言うんじゃないのか……否、相手の立場になって考えるのだったね。質問者は、門番の返答の逆をえらぼうと、このような質問をしている。そして彼は希望の国へ行きたい。なればこそ私が右の扉を示唆することによって、彼は絶望の国へと歩かされるのだ。本来の解答例が、結果的に『希望の国への行き方』を偽り切れないのも、相手の心への配慮、その欠如が原因である。げに美しきは、人と人との思いやりだね。


 では[疑問2]はどうか。正直村から来ている門番。彼の存在は、たとえ質問者の心をどれほど推し量ったとしても、決して消えたりはしてくれない。

 ならば、諸君らにたずねよう。もしも彼が私と同じ嘘つきだとしたら……どうだろうね?

 もしそうなら、必ず相手を絶望の国に送り出すことも可能であると、言えるのではないだろうか?

 いったい何を言っているのかだって? もちろん先に述べた50%を100%にする方法のことだよ。正直門番なんて最初からいなかったと、こう言っているのだ。

 ああ、ルールだったね。ちゃんと問題文に書いてあるとも、正直村と嘘つき村からひとりずつ。ちゃんと書かれてあるとも。

 しかし、諸君らは不思議に思わなかっただろうか。


『必ず嘘をつく、嘘つき村の住人』


 何度も本書に現れるこの言葉。

 考えてもみたまえ。いったい、私たちのような嘘つきたちが集まって村をつくるとしてだよ? さて、どんな名前をつけようかとなった時に、そう、絶対につけてはならない名前があるはずだ。

 言うまでもないが、『嘘つき村』。この名前だけは絶対にない。

 だって本当のことを言ってしまっているのだから。

 嘘つきばかりが住んでいる嘘つき村なんて、この世にあるはずがないのだよ。もちろん正直者が住んでいるわけでもない。かといって、誰も住んでいないのなら、それは村とは呼ばない。

 嘘つき村なんて、どう考えても存在し得るはずがないのだ。

 ということは、冒頭の問題文は本来有り得るはずのないものを文章内に組み込んでしまっていることになる。つまりは、嘘をついているということになるのだ。

『審判とグルというのは、最も恐ろしい罠のひとつである』、というのは、とある賢者の言葉だが、本当にそのとおりだね。

「嘘つき村」という単語はそれ自体が矛盾した存在であり、その単語を用いてつづられた文章は結局のところ、嘘である。冒頭の問題文も、本来なら無条件に信頼されるべきなのであろうが、かほどに明白な矛盾を内包している以上、正直村の人間が書いたものではありえないのだ。嘘つき村の人間によって記述されたものだ、と考えたほうが妥当である。

 [疑問2]の答えだが、もう、言葉を尽くす必要も無いだろう。「絶対に嘘しか言わ」ないという、しばりすらも、嘘なのだ。もはや何でもいい。たとえば、門番が二人とも嘘つき村の人間だった、でいいのだ。いやそれどころか、どちらの扉をくぐっても絶望の国ということすらも……ふふふ、あり得るということだよ。

「嘘つき村などという名前を見たら、本来は、一目散に逃げるべきなのだ」という言葉の意味も、これでわかっていただけたことだろう。



 ――さてさて。長かった旅路も、どうやら終点へと到着したようだ。

 ここまでお付き合いしていただけた諸君らに、心からの感謝を。

 嘘の恐ろしさを、しかしまた楽しさを、感じていただけただろうか。もし興味を持っていただけたのならば、嘘つき村の門戸は常に開かれていることを、ここに伝えておこう。

 それでは最後に、本書を締めくくる最もふさわしい言葉を、ここに記そう。……まあ、諸君らの予測しているとおりのことだよ。すなわち――


『本書に記されていることは、すべて嘘である』


 そうとも、ぜんぶ嘘さ。嘘つき村問題の解決方法は、従来のやり方が十二分にただしいものだし、それに悪意? とんでもない。嘘つき村は、みんなあべこべのことを言いはするけれど、いたって気のいい者たちばかりだよ。近くに来られた折にはぜひともお立ち寄り願いたい。必ずや諸君らを歓迎すること、お約束しよう。

 ははは。では、本当に最後だ。いつか、あいまみえんことを願いつつ、ここに筆を置くことにする。


 ――嘘つき村の住人より すべての人に誠実を――


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