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自由帝国の王  作者: ぐったり騎士
第三章
9/25

第七話 『愚者と賢者の狂想曲 ~序曲~ 』

久々

 コツコツと、規則正しい音がする。


 時計の針が刻むリズムと半歩ずれて起きているそれは、耳聡い兎耳族のものであれば、それが意図的に行われた「演奏」だということに気づいたかもしれない。

 単調な音は、単調であるがこその美しさを持つ。

 そのメロディの美しさにあわせるように、朗々と『祝詞』とも言うべき言葉を紡ぐのは、この部屋を支配する一人の女。

 腰まで伸びたブラウンの髪を、優雅にそして清楚に纏め上げて、その女は部屋を歩く。

 彼女の背中、服の切れ目から生える天翼族の血を引く証拠の小さく白い双翼が、指揮者の指のように僅かに揺れることが、また一層の神秘となってその空間の支配者としての存在を確かなものとしていた。


 女の控えめな双丘の前に掲げられた一冊の楽譜には、古より今に伝わる伝承が記されており、彼女はそれを素晴らしい抑揚を込めて歌い続ける。

 観客達はそれを決して聞き漏らすまいと真剣な面持ちで耳を傾けていた。



 時計の音と、彼女の靴音。そして歌声。

 三つが重なり、和音が生まれる。


 部屋の端で不意に立ち止まり、舞踏会でのそれのように、くるうりとターン。

 一瞬だけの、きゅ、とした床のこすれる音。


 だがそれも、曲を盛り上げるための一音だった。




 奏でられる英雄単にも似た物語はまさに佳境に、そして終盤へと差し掛かっている。




 誰もがその歌声に心奪われ没頭し――ているようにも思える空間ではあるが、やはりどこにでも例外はあった。

 

 単調な音は、単調であるがこその美しさを持つ、とは先ほど述べたとおりだが、その美しさは心の高揚ではなく安定へ偏ったものでもある。

 つまり――桃源郷への誘い道でもあった。

 視界がぼやけ、しかしそれを不思議に思えない、独特の浮遊感。

 まどろみに身を任せ、さあ、麗しの楽園へ、と進もうとしたそのとき、ぽすん、と誰かに頭を叩かれて、彼ははっと頭を上げた。


 見上げれば、そこには伝承を語る巫女――世間一般では「教師」と呼ばれる彼女が、手にした教科書を丸めて佇んでいた。


 慌てて目を擦りながら、「すみません」と一礼する土小人の少年に、一度だけ呆れるように嘆息した後、彼女は再び授業を再開した




「さて……こうして、長年にわたり繁栄と栄光とともに大陸全土を統治していた、アフェバイラ帝国は、ついに終焉を迎えることとなり現代私たちの世代へと続く、大陸でもっとも最初の民主国家、アフェバイラ国となりました。初代皇帝没後167年、帝国歴317年のことです。どうしても初代に比べられてしまい、普通帝王、無才王と揶揄され続けた二代目帝王コノーですが、民との話し合いの機会を何度も持ち、一切の血を流すことなく貴族院を説得し、自ら帝国制を降りた彼は、世界の史実を通して比較するなら極めて先進的かつ、寛容さと決断力があり、その治世も多くの年月にわたり良政を敷いた、5本の指に入るであろう優秀な王だったことが、最近の研究での定説となっています。また、帝王制を廃した後も、初代の総理大臣として政治に大きく貢献し、また同時に我々アフェバイラ国の象徴である『二代目自由皇』として名を残しています」



 教壇に戻り、彼女がぱちんと指を鳴らすと、微弱な魔力波を捉えた白いボードに、帝王、貴族院、国民の関係図が示された。

 少年、少女たちがそれらをノートへと記述する時間を十分に与えると、教師はゆっくりと生徒達を見回して、



「帝国の終わりを貴族院へ宣言したとき、彼が語ったとされる『時代に新たな風が来たのだ。そして我が父が民に巻いた種が、今その風によって芽吹いたのだ』という言葉は、その時の聖女の詩にも残されており、それが現在のアフェバイラ国の国歌へと繋がったことは、トリビアとして覚えておけば、ちょと自慢できるかもしれませんね。……さて、ここまでで何か質問は?」



 そこに、待ち構えていたとばかりに、一人の少女――豚鼻族と風鳥族のハーフらしい――からの手が挙がる。



「はい、先生! 自由皇の地位は貴族制度が廃された後、つまり帝王アノンの没後に出来たと思うのですが、なぜ二代目帝王コノーが、自由皇も『二代目』となっているのですか?」



 実は自らが一息を付くためだった質疑応答の呼びかけは、だが真面目で優秀な生徒達には通じなかったようだ。

 しかし、真剣に言葉を聞き、学ぼうとするものへ教えることは、労力に勝る喜びでもある。

 嬉しさの余り、はたり、と羽がはためくことを抑えることも忘れ、彼女は笑顔で答えた。



「とてもいい質問です。本当は次回の授業で話すつもりでしたが、ちょうどいいので説明しましょう。それは、初代帝王アノンの求めた『自由な価値観』こそアフェバイラ国象徴の自由皇の存在を表すものだ、というコノーの提案に基づくものです。これが元となり、アフェバイラの歴史において最初の、法律に関する市民投票として、初代自由皇をアノンとするかどうかのその賛否が、採決されました。結果、94.5%の支持を持って可決されていることが、当時の政府の記録として残されています。ここ、テストにでますからね?」


 はい!と声をそろえる生徒達。



 幾人かの生徒は「テスト」という言葉に顔をしかめたが、多くの聡い彼らは、よく考えてみればこれはテストの問題と答えを教えているようなものであることを理解してる。

 どこかの学校で、テスト問題と回答野の盗み出しというカンニング未遂事件があったらしいが、どう考えてもこういった小さな「事前告知」を集めたほうが点をとるのには効率がいいのであるからして、これは喜ばしいプレゼントだとテンションがあがるのも当然であった。


 女教師が、こほんと咳払いをして、



「さて、そろそろ時間ですね。では、最後に宿題も含めて、初代帝王アノンのちょっとしたエピソードを紹介しましょう。

 本日の講義にて説明したとおり、彼の為した様々な功績は、現代における技術、社会システムにもその一部が使われていることからも、その秀逸さはわかると思います。

 その斬新さと発想、そして何よりフェリス教の影響が強かった当時において、帝国となる前のアフェバイラ王国時代、王宮内ではさまざまな衝突があったとされています。しかし、帝王アノン――当時、第三王子でありながら国王に勝る国民から莫大な支持を得ていたため、他の王位継承者や権力者たちは、彼を容易には失脚させることは難しかったと言わざるを得ません。そういったとき、多くの場合行われるのは――」



 ここで、もったいぶるように一度言葉を区切る。、



「そう、暗殺です。事実、その計画書や陰謀を図った貴族達がやりとりした手紙などが発見されていますが、不思議なことに、暗殺そのものは一度たりとも実施されたという記録は発見されていません。未然に防がれたのだとしても、通常は粛清の記録が残されるはずなのに、です。そのときの貴族達の手紙の記述から、一説によればアノンは直接的な粛清ではなく、叛意を持つ要人達の家族の暗殺を匂わすことで、恐怖政治を強いていたのでは、というものもありますが――決定的な証拠はありません。よってこの『不可解に防がれた暗殺』については、現在でも帝王アノンの謎のひとつとされています」


 最後の締めめくりとして、彼女はにこやかうに笑う。

 ついでに、先ほど居眠りをしていた少年を、ちゃんとやるんですよ、という叱責の視線も込めて、皆にこう告げた。




「そこで、宿題として、貴方達が自分なりにその理由を考えてみてください。もちろん、正解は未だ不明なことです。だからこそ、皆さんの自由な調査と、自由な発想で、その謎に触れてみてください――」









「これは由々しき事態である!」



 怒りの声とともに石卓を叩いたのは、王宮第三級の地位を持つ法武官、『顎鬚』である。


 その名のとおり、たっぷりの顎鬚に、ぎらぎらとした野心を隠さない釣りあがった目。人間種である彼は亜人と比べてそれほど精強な肉体を持ってはいないが、それでも怒りは力に変換されたためか、硬い石卓ですら揺るがすほどであった。

 どん、と部屋に響く鈍い音は、だが強固な清音の魔法により部屋の内部にて吸収され、外に漏れることは無かった。


 然り、と。


 『顎鬚』の言葉に大きくそれに頷いたのは、彼に続く第四級の地位であり法神官の『聖老』。

 「老」と名を冠する彼であるが、それは彼のもつ老獪な思考に与えられたものであり、実際の年齢はまだ40後半といったところである。

 もっとも、50年生きれば人間種としては一般的とされるこの世界において、すでに「老」と称するには十分だともいえた。

 だがやはり、その飄々としながらも陰湿さと確かな知を感じさせる独特の雰囲気こそ、その名をあらわしたものであると、誰しもが思うだろう。


 彼は、白髪ではあるが太い眉を片方だけ持ち上げて、



「そうだ、『顎鬚』よ。ついにあの我侭王子は、『神に見放された者たち』である亜人種まで保護の対象とし、アフェバイラの民と同等の権利を与えると宣言しおった。これは看過することなど、我ら神官一同は大いなる神に祝福された子として、そしてフェリス様の遺志を継ぐ僕として、ワシはできはせぬ!」



 ぎりり、と口を噛むその姿には、彼の老獪さは見るべくもなく、ただただ焦りの表情がある。


 すでにアノンの「力」によって国内のフェリス教への帰心が薄れつつあることは、彼には度し難く、また見えない何かにフェリス教が蝕まれていくかのような恐れがあった。

 今はまだいいが、このままそれが続けばいずれフェリスの本山、フェリス法国からどのような措置がなされるかわかったものではない。また何より忌々しいことに、教会へ行われる寄付が、年々恐ろしい勢いで減っているという事実がある。

 この大陸で「神に祝福された者」である人間、そして「神に許されたものたち」である一部の亜人種たちの支配する地域において当然の国教であるフェリス教には、このアフェバイラにおいても同様に、国の国家予算より各教会へと十分な運営資金が送られている。

 だが、『浄財』にて神官たちが得られる膨大な資金がなければ、いかにして新たな家や宝石を手に入れればよいというのか。


 美しいもの、豊かなもの、芳醇なものを、我々高貴かつ正しきものこそが正しく得ることこそ、神の意思に沿うものなのにも関わらず、彼らはそれをおろそかにし、王子の「力」を求める。確かにその「力」は素晴らしいものではあったが、それこそそれは、平民や亜人ではなく我々が独占すべきものではないだろうか。


 そんな『聖老』の慟哭を感じ取ったのか、正面に座る四腕の女――『聖老』と同じく第四級の地位を持つ法税官、『監視者』が、「癖」をそのままに口を開いた。



「確かに王子の考えられたあの新しい帳簿、資産管理法……簿記だったか? それに『見放された者』である亜人の連中たちに作らせた筆記用具や紙の生産は、我々の国に利益を与えてはいる。だが、そもそも『見放された者達』がアフェバイラ王国に尽くすのは当然ではないか!追い出されずに黒パンとスープを与えてやっていることだけでも感謝するべきだろう!それを保護するだと?アノン王子の我侭に付き合い切れん!」」



 多くの四腕族が持つ、下の腕を組み、上の腕で頬を擦るという癖は、多くの四腕が行ってしまうからこそ、貴族の四腕は会議のような場所ではそれを抑える意識をする。だが今、彼女がその癖を露わにしているのはそれを露わにしてしていることは、その憤慨がどれだけのものであるか、想像に難くは無い。



 貴様はどうだ、と横を向いた『監視者』は、さきほどから黙っている、『鼠の耳』へと発言を促した。


 この中で、もっとも「表」での位が高い、第二級の法務官であり、情報収集にたけるそのずんぐりとした男、『鼠の耳』。

 だが同時に思慮深く、それゆえこの四人の中では日和見主義とされる『鼠の耳』は、柔和そうな笑顔を崩すことなくだが確かな威厳と胆力を持って、自分の考えを述べる。



「うむ。だが、陛下はすでにアノン第三王子を後継者として選ぶことに決定された。……平民からの、そしてフェリスの教えをないがしろにするあの貴族院たちからの人気は絶大だぞ? 失脚させようにもその材料が無さ過ぎる。……些細なことを大きくすることもできなくはないが、今までの実績がある以上、生半可なものでは……」


「わかっている!」



 再び、『顎鬚』による石卓を叩く音。



「だからこその、このワシらの集う『賢しき隠者の会』が開かれているのだろうが」


「第一王子も、第二王子も……すでに第三王子の傀儡に近かろう。……まったく、この国はどうなるというのだ」



 続く、『聖老』、『監視者』。



 しばし、無言の時間が流れる。


 風が無いにもかかわらず、ゆらり、ゆらりと飾台の蝋燭がはためく度、彼らの影を大きく揺らす。

 影が重なり合うようにして部屋の壁に写し出されたそれが、時折4人が5人へと見えるのは、気のせいだったろうか。



「……いっそのこと……アノン王子には『お隠れ』に鳴っていただくことは出来ぬかな?」



 唐突な聖老の言葉に、空気が「怒」から「驚」へと変わった。


「本気、であるか?」


「なにっ?」


「……」



 『顎鬚』『監視者』『鼠の耳』の三人の反応を、『聖老』は愉しむように見回して、


「いやいや、ワシはただアノン王子の身を案じているだけだとも。なにしろいつどんなご不幸が起こるやも知れぬ。そのための『看取り人』を用意してはおいて、損は無かろう?」


 ごくり、と誰のものともわからない、つばを飲み込む音が、部屋に響く。



 看取り人。


 王族がその命を散らす際、最後の言葉を聞くための専属の法務官である。

 その最後の言葉は、遺言と同列の命令として、拝聴される。

 そのため、見取り人の言葉が勅命と同様となることもあり、王家にとって公私共に最も信頼に足るものが選ばれるのが一般的だ。

 たとえどんな拷問を受けようと、愛する者の命が駆けられようと、王の言葉を正しく伝える者――在る意味では狂人ともいえる存在、看取人。

 もちろん、そんな存在の『看取り人』を買収、屈服させることは、鉄壁の城を落とすより難しいだろう。

 だが、それを王ではなく他のものが用意すること――つまり、



「『影」なる看取り人、か……その者は?」


「うむ。赤の三番、ここへ」



 『顎鬚』の言葉に返すように、聖老が合図するとまるで霞から実態が浮かび上がるように現れたのは、一人の女。


 赤い――


 それが、聖老を以外の三人が最初に思ったことである。


 ゆらり、ゆらりと揺れる朱色の髪は、燭台の炎の揺らめきに溶け、同化するかのようだった。

 鋭い猛禽類の目と嗅覚を持ち、猫の素早さと、音を立てず歩くその能力は、暗殺者としては天性の才を持つ――隼描族。ピンとはった頭上の耳と、やはり赤毛で染まった尻尾が、その確かな証であった。


 一度はっきりと認識してなお、そこにいる存在が幻のように三人は思う。



「我ら、アフェバイラ王国フェリス教が、古より用いる『影』の部分よ。『神に見放されたもの』である亜人に、大いなる慈悲を持つ我らはその価値を正しく教え込んでおる。我らの『モノ』であるということに喜びを持つ、ワシの可愛い愛玩動物よ」



 下劣な顔の『聖老』に、そういう意味かと見下そうとした『監視者』であったが、確か聖老は病気にて「槍が折れた」と聞いている。ということはまあ、つまりはそのとおり本当にただの愛玩動物であるとも取れる。

 まあ、どちらにしろ些細なことか、と『監視者』は考えるのを辞めた。



「亜人にお優しい殿下だ。亜人に看取られることも本望だろうて。なあ?赤の三番」


「はっ。ご命令あれば、すぐにでも『お隠れ』いただけるよう、準備は整えております」



 愛玩動物の言葉に、満足げにうなずく聖老。


 不適に笑い、どうかね? と三人を見やる。



「……これは明確な王家への反逆だぞ。わかっておるのか?」


 『顎鬚』のあっけに取られたような声にも、『聖老』は楽しそうに応える。


「わかっている、ああわかっているとも!だが、このまま我が国が堕落するのをそのままにしておいて良いはずが無い。それを防ぐことこそ、ワシら家臣の真の忠義といえるのではないか?」


「む……」



 それをもし『異界の知識』を持つアノンが聴いていたのならば、「まさしく正しいテロリストの思想だ」と一蹴したことだろう。

 だが、フェリスという面からの自らの正当性を肯定するそれは、『顎鬚』にはとても甘い正論に思えた。



「だが……判明したら、死罪……で済めばよい。一族全体が粛清にされても不思議ではない。私は正義のためになら命など惜しくは無いが、まだ幼き娘まで、家族までは巻き込むことは躊躇わざるを得ない」



 意外にも子煩悩である『監視者』の言葉に同調するように『鼠の耳』が声を上げる。



「もう一つ……噂だがアノン王子の手足となっている『闇の近衛』がいると聞く。……我らのように賢き隠者として潜まぬ、愚かにも反発を露わにした法務官たちの家族が不審な死を迎えていた件は、そのせいではないかとも言われておるぞ」


「はっ!」


 『聖老』の嘲笑。


 『鼠の耳』の持つ情報網は、確かに広く、そして頼りにはなる。

 多数の情報は物事を多方面から見ることで、真実を浮かび上がらせることに役に立つからだ。

 だが、同時に多すぎる情報は、その精査においては逆に非常に障害となりうることも、『聖老』は知っている。



「不審な死が続いたこと、『闇の近衛』という『噂』があったことは本当だろうて。そこは『鼠の耳』を疑っておらぬ。だか暗殺? 家族を人質? あの『お優しい』王子が、か?『見放された者達』の直訴ですら僅かな懲役刑で許し、あまつさえその直訴内容を吟味するあの『甘い』王子が、か?」



 三人が、ううむ、と唸る。


 確かに、発覚した場合、当事者である自分達は死罪の上、「当家」の財産没収は免れない。

 だが、家内や息子、娘へその罪がかかることは、まず無いというのはあのアノンの性格からして間違いないだろう。

 また、分与済みの私財ですら、おそらく没収されない算段が高い。


 ならば、賭ける価値はあるのではないか、と考えたのだ。

 すなわち彼らは、自分たちの命をチップにするくらいには、焦っていたし、恐れていたし、そして歪みながらも国を思っていたのである。


 また、ここであえて宣言しておくのなら、アノンは決して『甘い』施政者ではないし、現代地球において言われるような聖人君子でもない。

 必要があれば、例えばより多い犠牲が生まれるのであれば、一部の民を見捨てる決断を苦悩はしてもすぐさま取れるし、真に憎き者であれば復讐のためだけに拷問した上での生かさず殺さずの極刑だって行うこともあるだろう。

 罪を憎んで人を……などという、真理を含みながらもある意味では本末転倒な考え方をよしともしない。


 だが――だが、だ。


 例えば直訴が許されない理由を、異界の知識と、この世界で学んだ帝王学からも理解している。

 しかし彼が解するのは「政治としての理屈」であって「文化としての理屈」ではなかった。


 一言で言ってしまえば彼は、どこかの青い星の、どこかの極東の島国ではほとんどの者がそうであるような、「極めて善良且つ俗物な普通の小心者」だったのだ。


 自分が我慢できる程度の労力で、目に見える誰かが大きく救われるならそうしてあげたいし、できうるのなら面倒は出来るだけ少なくした上で沢山の人を救いたいし、ついでといえば民から愛され賞賛されたいのである。


 だから、この社会における身分制度の重要性や必要性、それにあるべき支配者としてのとるべき態度を理解しながらも、一方で「一生懸命に生きる者の誠意ある態度」に弱い。

 自分たちが善良だと思って好き勝手に人を害するものたちより、たとえそれが悪とされても、誰かを害する以外の手段で必死に訴える者に応えたいと思うのは、それほど不思議なことではないだろう。


 だがそれゆえ、この世界の支配者弓の常識において、それらは異質として浮き彫りとなってしまった。

 にもかかわらず反発が少ないのは、彼の「力」の恩恵を受けるものが多いためだろう。



 考え込む三人に、『聖老』に苛立ちが募り始めたとき、『鼠の耳』が顔を上げた。



「なるほど。その決意とやるだけの価値を、確かに私も感じはした。だが、どちらにしろ今は待て。準備が整っているのは判った。しかしまだ事を急くのはまずい。情報はまだ集めるべきだ」



 同じく、『監視者』が「そうだ」、と述べた。


「幸い、まだ『見放された者達』の保護案は、正式な議題となる前の段階。議題にあがったとしても、それが通るかどうかはまだ不明だ。それらの状況を見て動いたほうが良いのではないか?」


「左様、まだ健闘の余地があるにもかかわらず、敵方の情報もなしに武力侵攻をするのは、戦略としても愚作だ」


 最後に『顎鬚』が意見を述べ、視線は再び『聖老』へと戻る。



 『聖老』は考える。


 なるほど、確かにどれも一考の余地がある。

 できる限り万全を尽くしたいのは、自分も同じ思いだった。


 不安があるとすれば、自体が急速に動くことで対応が間に合わなくなることと、この『賢しき隠者の会』の中から心変わりするものが現れないかという点だ。 

 しかし、それはここで事を急ぐリスクに比べて、はるかに小さいものであると思える。



「『聖老』よ。本日我々が議会を持てる時間もそろそろ終焉が迫ってきている。どうだろう。ここはいったん『お隠れ』頂くのはしばらく様子を見るとし、それまではそこの赤の三号とやらに、殿下を『影から見守らせる』というのは。そして定期報告させれば、私の眷属たちの耳と合わせ、さらに情報が集まり、最適な行動が選べるのではないか」



 『鼠の耳』の言葉はある種の統括者としての命令としての力も込められたものであったが、絶対ではない。

 しかしながら、その提案を受け入れることに特別な反意も無い以上、同意しても良いと思われた。



「うむ……残り二人はどうだ」


 結論は出ていても考えるそぶりを止めぬまま、二人に問う。



「我に異議なし」


「私もだ。賛同しよう」



 『顎鬚』『監視者』の同意。

 ならばもう、議論を重ねる必要は無いだろう。



「……よかろう。わしも賛成だ」



 そして、その日行われた最後の議会――非公式ではあるが――は閉幕となった。

 全員が椅子から立ち上がるのを見届け、『聖老』は己の僕へ命じる。



「では、行くが良い、『影なる見取り人』よ。殿下のいかなる挙動も見逃さぬよう、『お守り』し、情報を得るのだ!」


「は!」






 こうして、部屋にいた4人と1匹は、部屋を出るときには入ってきたときと同じように、再び四人となり――

 また、己の本来なすべき場所へと、散っていく。


 『顎鬚』『聖老』『監視官』『鼠の耳』はその名が消え、本来のモノへと戻っていく。








 部屋に残されたのは、炎が消えたはずの燭台のみ。


 だが、まるで空気中を炎が歩いているかのように、ゆらゆらと揺れる赤い何かがそこにはあった。



 ゆらゆら、ゆらゆら。

 狂気にも似た熱い炎が、蝋燭に点されることも無く、そこで笑っていた。


 ゆらゆら、ゆーらゆらと。

 これから起こる惨劇は、いったい「どちら」に降り注ぐのかと、ただただ楽しそうに笑っていた。




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