第五話 『赤く染まる雪 後編』
「で、だ」
奇妙な自己紹介が終わり、夜叉も硬直から解け始めたのを見据えて、四腕の王は空いた一本の腕で頬を支えながら問いかける。
「お前は、これからどうするつもりなのだ?」
「どう、とは?」
謎掛けのようなアノンの言葉に、思わずオウム返してしまうオアド。
アノンはそんなオアドの反応に「ふむ」と何かを確かめるようにうなずき、そしてなんとなく視線を暖炉へと向わせた。
ぱちん、ぱちんと、静かに、だがはっきりと響く音に、彼はリズムを取るように、頬に添えた人差し指を動かした。そして、視線を暖炉から動かさないまま、つまらなそうに答える。
「あの子を守る……つまりは、社会から守れ、ということは、まあわかった。こちらで生活させたい、ということもな。だがな、お前がこれからどうするのか、我はまだ聞いていない。お前は言ったな。『あの子が愚鈍に生きたのなら見捨てて構わぬ』と。……おかしいではないか。まるで、そのとき、お前の存在がモニンの側には、いないかのようだ」
戦いで虚を疲れたかのごとく、つん、と夜叉の体が震えたのを、魔灯に照らされた影がアノンに伝える
「……先に言ったとおり、オレはあの子が守られると約束するなら、命だろうと何だろうと差し出す覚悟。だから……」
「オアド」
ここで、アノンは視線をオアドに戻した。
戦えば一瞬で首の骨を折られるであろう夜叉を、彼は恐れることなく縫い付けるような目で貫く。
「偽るなら、我も今後はこの話において偽りを含めるぞ」
誠実さを求めるなら、誠実であれ――。アノンは、暗にそう言い含める。
「お前が命を差し出す覚悟を持っているのは、本当だろう。だが、それが理由ではあるまい?」
「なぜ、そう思われるのか?」
「お前があの子を本当に思っていると、我は確信しているからだ」
それが前提。
そして揺らがぬ真理であると宣言するように、アノンは言う。
「ならば、お前はできうる限りあの子を守ろうとするはずだ。お前が我を信頼した、ということを疑ってるわけではない。だが、たった半刻の会話で『命より大切なものを預ける』ほどの信頼というのは築けるものなのか?」
問い詰めるのではなく、まるで同じ研究をする学徒に問いかけるように。
彼はただ純粋な疑問を、夜叉に向ける。
「おかしいのだよ、オアドよ。それほどまでに大切なのであれば、お前は我にこう頼んでいるはずなのだ。あの子を理不尽から守ってくれ。そのためならなんでもする。『その約束が守られる限り』……と」
公式の矛盾。
成立しない等号。
「あの子が守られる……そんな保証はないのだよ。現時点では。なれば自分を担保に約束を守らせるのが道理だ、にもかかわらず、お前はあの子を我に託し自分はその場にいない、という未来を前提とした願いを言った。となれば、考えられることは限られる」
与えられたXを元に、改めて解を求める
王の指が、一つ立てられる。
「一つ目は『打算』。モニンを我に預けることそのものが、何らかの目的の布石だった場合。預けるまでがモニンの価値であり、それ以後はどうでもよいということ。……まあ、我が誰がを知らずに持ちかけたのだ。それはあるまい」
一つ目の解は否定される。
「二つ目は『愚者』。我が約束を反故にする可能性をお前が考慮に入れていない場合だ。……だとすれば、そんな愚か者を一角の者だと手を握った我は、相当に人の見る目がないということになる。そして、三つ目は『妥協』。何かやらなければならないことがある場合だ。モニンの為か、お前のためかはともかく、やるべきことのため苦渋の思いでモニンから離れる。その妥協点が我だった」
二本、三本と立てられ、ようやく『≒』が見つかった。
だが、イコールではない。
「さて……本当は、三つか五つと、切りのいい数で閉めたいが、これが最後だ」
四本目の指が立った。
「『無念』。したくても、それができない。……たとえば、お前の命がもう残り少ない、とか、な」
ひらひらと、彼は親指以外が開かれた手を振りながら、オアドをにらんだ。
オアドは、一度喉を鳴らして、
「アノン殿……どこまで、気づいておられるか?」
「たいしたことはわかってはおらぬよ。ただ、シトリーがな」
「あの女人が?」
すでにこの部屋から去った彼女を思い、オアドはなんとなしにドアに顔を向ける。
驚きの顔を隠さずそんな行動をとった夜叉に、四腕の王は以外に可愛げのある男だと思いながら、表情を変えずに自分の解を伝える。
「お前の命力が、ありえない勢いで消耗している。そう言ったのだ。伝説に在るとおりであるなら……お前、『飲んだ』のだろう?」
オアドは、表情を変えない。
そして、体も動かさない。
だが、アノンは確信を持って言葉を続ける。
「夜叉の一献を」
『夜叉の一献』
夜叉族の男が常に持ちあるくと言う、酒のことである。
それは、必ず一人一つ持っており、その作成方法は謎。しかしその味は極上のものとされる。
だが、それを飲んで生きていけるのは、夜叉族のみ。
あまりの強さに人間や他の亜人では、血液が沸騰して死に至る、と噂される。
そして、その夜叉でさえも、寿命を縮ませ、命力を減らすと言う。
だからこそ、夜叉は末期の酒として其れを飲む――。
人々が噂する伝承だ。
だが、一部の研究者ではすでに認知されていることだが、実際は酒ではなく、夜叉族の奥歯近くにある、一本だけ左右非対称に生える牙のような歯のことだ。
これを、命力――この世界において存在が明確に確認された力であり、法則の一つ。
魔力に対する、あらゆる生命の根源の力――を込めて砕き、そこから出る血と歯を飲み込むことで、夜叉族は能力上昇や致命傷からの回復すらも可能とする、超人的へと体を作り変えるのだ。
だが、その代償として命力を急速に放出し続けることになる。
本来肉体の内なる部分に集まるそれを外部へと広げることで、爆発的な力を出力しているためだ。
さらに一度広げてしまえば、たとえ『力』への変換を止めたとしても完全にふさがることは無く、少なからずの命力がこぼれ続けることになる。
燃料を排出するバルブと配管を想像すると理解が早いかもしれない。
一気に開かれ限度を超えて消費される燃料は、確かに一時的に大きな炎を作り出すだろう。
だが、それは同時に枯渇の時期を大幅に早めることになる。
そしてあわててバルブを閉めたところで、配管があまりのエネルギーの奔出によって破損しており、火にもならず漏れ続けるのだ。
命力が尽きれば、体力、傷、病によらず、あらゆる生命はその幕を閉ざす。
それが、この世界の法則だ。
故に、それは末期の酒。
夜叉は、命を代価に勝利という美酒に酔う。
「ああ……使った。オレの命は、このままではおそらくあと10日で尽きると思われる」
「ふむ。では、可能性の三番目と四番目……妥協と無念の両方が、正解だったということか」
「アノン殿、其れは違う」
「む?」
一人納得し、四腕を組んで頷いていたアノンは、オアドの否定に繭を少しだけ動かした。
「オレは、アノン殿を信じた。もともと頭は悪いのだ。『愚者』はただ直感を信じるだけだ」
「……」
「そして、オレはもう命がない。ならば、いつかはどこかで誰かに託すことを選択しなければならない。……これは『妥協』だろう」
「ふむ」
「もう一つ、オレは夜叉族だ。……死ぬのならば、戦いで死にたい。戦場を用意できるのは、民ではない。支配者だ。ならば、アノン殿を選ぶのは、オレのための『打算』」
ここでオアドが一息ついたとき、アノンは「ほう」と相槌を打った。その顔は、にやにやと頬が緩むのを隠そうとしていない。
この掛け合いが面白くてたまらない、そんな顔だ。
「では、当然、『無念』もあるのだろうな?」
アノンの問いに、頷きで返すオアド。
「……あの子が美しく聡明に育つ姿をオレは見られぬ。それだけが『無念』だ。つまりだ、アノン殿。貴方の流儀で言うなら、4つ全てが正解なのだろう」
「っくっく。………たわけが」
夜叉を一言で切り捨てるのは、王の一言。
だが、その声の抑揚が持つのは王の威厳ではなく、悪戯好きな子供のそれだ。
「なるほど。なるほど。これで丁度切がよくなった。五つ目、『賭博』か。……何不思議そうな顔をしている、オアドよ。愚者が打算し妥協して無念を残す。それをな、人は『賭け』というのだ」
「賭けに勝ったか、オレはそれを見届けることなどできぬが、な」
楽しい談笑は終わり、アノンは「は」と笑うようにため息をつく。
「ひどい話だ。結局のところ、お前が我に差し出そうとしたものは、もはや燃えつきかけた油の壺だったわけだ」
「だが、それでもその火は、僅かな時で城をも燃やしつくせると自負している。……最後の命の炎、必要があれば如何様にもお使いくだされ」
赤き体毛の夜叉の蒼き瞳に、戦士としての炎が宿る。
その言葉には、なんら誇張もないのだろう。そして、己の命の使いどころを覚悟した、漢の目だ。
っち、とアノンは不満そうに舌打ちをする。
それは夜叉を罵ったのでも疎んだのでもない。
過去に、同じような存在を何度も見て、また、見るだけしかできなかった己をふがいなく思ってきたであろう、多くの人の上に立つ者の持つ、悔恨だ。
「一つ聞きたい。なぜ、そこまでする? ……あの子のお前への呼称。そして話を聞く限り、あの子はお前の子ではなかろう?」
「友の、最後の頼みゆえ」
「……続けろ」、
「オレの親友で、ライバルだった男だ。あの子の父親だ。……オレが、最後に見捨ててしまった男だ」
机に置かれたオアドの手に、ぐぐっと力が込められる。
「オレは誓った。くだらぬ言い伝えを信じ、モニンを殺そうとしたオレの償いと、そしてあの誇り高い男の意思を引き継ぐため。そして自らの命を削ってまでオレを救おうとしたモニンを守ると」
アノンは、「モニンを殺そうとした」というオアドの言葉にも驚いたが、それよりも気になることがあり、それを問う。
「命を削る?」
「あの子の治癒は、魔力だけではなく命力も使う。夜叉の一献ほどではないが、人の身を考えるなら、決して軽々しく使える大きさではない。そして、友との戦いに敗れたオレはモニンの治癒によって救われたのだ」
それは、幼さによって命の儚さを理解していないが故の、死というものを曖昧にしか捕らえられないが故の、現実を知らない子供の優しさから出ただけのものかもしれない。
もっとも、それはこの夜叉の男もわかっていることなのだろう。
が、そんなことは関係ないのだな、と、アノンは口に出さず理解し、ただ、嘆息したのだった。
戦いのみが全ての一族の、その中でも誇り高いであろう男、オアド。
その彼は同じく尊敬する友に負け、託され、そして自分が殺そうとした相手が命を削って救われた。
それが、全てなのだ。
「オレの話は、これで全部だ。隠してることは何も無い」
「ふむ、了解した」
アノンは、感傷には浸らない。
それで何かが変わるわけではないし、そもそもとしてオアドがそんなことを望んでいない。
今、やるべきことを、大事なことを、間違えてはならない。
彼は、王である。
「オアド、お前、我に命を預ける、と言ったな」
「うむ」
アノンは、悪魔が誘惑するような、魅惑的且つ歪んだ道楽心を含んだ笑顔をして――
「ならば……もう一つ、『賭け』をする気は無いか? チップはお前の命。そして勝利の商品も、お前の命だ」
「ぬぅ……」
大理石のような、つるつるとした岩肌の部屋で、真白いベッドに真白い肌着を付けて寝かされる、夜叉の男。
「おじちゃん……」
その彼の手をぎゅっと握り、目に涙をためる、人間種の童女。
「おじちゃん、お別れなんて、やだよ」
「そう、悲しそうな顔をするな。モニン。安心して眠れぬではないか」
「うん」
あの会合より一週間。彼らはこのアフェバイラの首都にやってきた。
今いるここはアフェバイラの王家公式の医療所の一室である。
そこで、夜叉の男、オアドは永い眠りにつこうとしている。
「きっと目覚める。何年かかるかわからぬが、きっと、だ」
「うん……」
オアドは、永い眠りにつこうとしている。だが、永遠の眠りを望んで、ではない。
「……アノン殿、シトリー殿。……この子を、お頼みする」
少し離れた場所に立つ、四腕の男と魔鬼の女。
「ああ、任せておけ。だが、甘やかしはせぬぞ?甘やかしたいのであれば、生きて戻り、お前がしろ」
「お任せください、オアド様。王は、基本的に甘やかす人なので、きっちり私が見張ります」
ジロリ、とアノンは隣の魔鬼を睨むが、すらり、と無視するあたり、いつもの光景なのだろう。
ふん、と照れくさそうにアノンは首を振り、
「オアド、オレは、お前の僅かな命なんぞいらん。お前への貸しは、お前が生きて我に役立ち返済するのだ」
「……心得た」
「そして、約束どおり、9年だ。この子がこの国での成人の年齢となる、9年は待ってやる。あの子への加護の保障は、そこまでだと思え」
「……うむ」
少女が数えで14となるそのときまで、衣食住、そして生命の保証はする。
その代価に、オアドはこの「実験」に参加する。
それが、契約であり、賭けの道具だった。
「よろしいですか?それでは、最後に確認させていただきます」
もう一人、ようやくか、と部屋の隅に立っていた白衣の男――モニンに注射しようとしていたあの医師が、全員のもとにやってくる。
「今回の実験は、仮死状態に近づけての、命脈の回復の確認です。命脈は自然回復する――その仮説の証明がテーマとなります」
あらゆる生命は生きるというそれだけで、必ず命力を消費する。
だが、それは休息によって肉体の核の核の核である命源から補充され、0にはならない。
しかし何かの拍子――たとえば血が失われたり呪いにかかったりと、大きく命力が奪われれば、補充が追いつかず死に至る。
また、命源にある命力が尽きた場合も、肉体に命力が補充されなくなり死――いわゆる老衰するのだる。
その中で、命源から肉体への配管――すなわち命脈が破損する病気が存在する。
すると、命源にはまだ命力が残っているのにもかかわらず、肉体にいきとどろかなくなったり、または命源から必要以上に命力が零れ落ちてしまう。
この両方の現象が起きているのが、『夜叉の一献』の副作用だ。
命脈は、自然回復すると言われている。
が、その回復はあまりに遅く、数十年がかりだという。……数値的に、誤差の可能性があるとしかいえない程度の結果しか出ていないのだ。
そして命脈が本当に回復するのか確認が取れぬまま、人、亜人は死んでしまう。
そこで、だ。
命力の消費を仮死によってできる限り抑え、且つその仮死の者が生き残ることについては間違いなく最高位である夜叉族の戦士ならば?
もしかしたら、命脈の回復が命力の枯渇を上回るかもしれない。
そしてもしそうなったのであれば、それは「命脈は自然回復する」という実証が得られることになる。
これは、医学会におおきな進歩をもたらすだろう。
だが、これは何の保証も無い賭けだ。
全てが未知数のため、計算による可能性の算出も精度的な意味をあまり持たない。
つまり、戦士としての誇りある死を果たせぬまま、ただ死ぬことも十分にあるだろう。
だが、オアドはこの道を選んだ。
「これもまた、命を掛けた戦いだ」と。
ゆっくりと、注射がなされる。
「う……むぐっ……」
「おじちゃん!」
苦しげな声。
徐々に、オアドの意識が薄くなる。全てが、白い闇に近づいていく。
魔力と薬物のその混合剤は、仮死を引き起こす――とされている。
されている、だ。
保証は無い。
……これは、オアドには伝えていない実験の一つであった。
「ぐ……ぬ……………」
「睡眠状態に入ったものと思われます。脈拍、命力の波動、安定しました」
医師の言葉に、アノンは頷く。
「大丈夫だ、モニン」
アノンは、モニンの肩を叩いた
「おじちゃん……」
「いくぞ、モニン。……お前には、やるべきことが、山ほどある」
約束は、守る。
だが、生きるために必要なのは、加護ではない。
本人の努力だ。
その為に、すべきことはいくらでもあった。
アノンは、動かないモニンの肩への力を強めようとして――
「……王。今は……」
シトリーに止められた。
「あの、ね?」
ぽつり、と言葉を漏らす、モニン。
だが、その体は人形のように動かない。
「みんなね、そういうの」
その瞳も、動かない。
ただ、オアドの顔を見つめている。
「ママも、パパも、『大丈夫』って。絶対に、戻ってくるって」
部屋に、少女の言葉だけが、音として響く。
たとえ王であっても侵せない、神聖な祝詞のように。
「でも……ね。帰ってこないの。ママは、土の中でお休みしてて。パパも、雪の中にもぐっちゃって。帰ってこないの」
祝詞をあげる巫女はそこで振り返り、この部屋に入ってから初めて、オアド以外の顔を見る。
「おじちゃんは……起きるよね?」
アノンと、シトリーのその顔を。
「モニンちゃん!」
思わずモニンを抱きしめたシトリー。
大丈夫、などという安っぽい言葉は、この聡い少女には意味を持たない。
「ふぇ……ふぇええええええええええっ……」
「泣きなさい……今は、何も考えず……オアドさんのことだけを思って、泣きなさい……!」
「うえぇぇぇぇぇん!」
部屋を立つのは、王と医師。
そして――王はため息をつく。
「本当に、外道だな、我は」
「察します」
「……すまぬ」
アノンは、一度だけ立ち止まり、そのまま振り返る。
閉した扉の向こうで、モニンの声だけが聞こえている。
「そうだ、今はまだ、泣いておけ。どうせ、泣く暇も無いほどの、苦痛と疲弊が、お前を待っている」
ぐっ、と、握り締めた4つの手。
爪が食い込んで、なおそれは強くなる。
そして、その一つから、ぽたり、ぽたりと赤い鮮血が滴り落ちた。
白い床に広がる赤。
赤。
赤。
それはまるで、赤く染まる雪のように見えた。
「モニン……ああ、俺の至宝の若芽よ。……先に言ってなさい。おじちゃんのいうことを、よく訊くのだよ?」
「うん……おじちゃんのいうこと、訊く。パパは?」
「後から行くよ。だから、元気に、いい子にしてるんだよ?」
後悔の過去
「王?」
「モニンを……災厄の魔女を、公開断罪する。それにより、我らは亜人と手をとりつつも、フェリスの教えに従順であるというアピールになる」
悪意の進む現在
「そんな……裏切ったのか!アノン!」
「何を言う。モニンの成人まで、たしかに守った。……その後はしらんよ」
希望なき未来
全てがつながり――そして、真実という名の絶望がやってくる。
次回 『赤く染まる雪 終幕』
お楽しみに