第二十一話 『新約聖典:革命期 ~第三節~』
冬の冷気が王都を包み、雪が石畳を白く染め始めたアフェバイラ王国。
だが、王宮内の工房は、まるで春の陽気……いや、夏の熱気のように活気づいていた。
数週間が過ぎ、ベルトコンベアは土小人技術団の手で改良され、さらに滑らかな動きで材料を運び続ける。
作業台は増設され、豚鼻族と牛角族はそれぞれの役割に慣れ、笑顔で手を動かし続けた。
他にも猫車やトロッコ、さらには滑車を利用した原始的なクレーンなどができて、さらに様々なものを運べるようになった。
ちなみに力学も前世の世界と法則が違う可能性があったので、クレーンは「こんなん作れないかな」とふわっとした落書きを書いたら土小人が勝手に作ったものである。
完成した椅子、机、文房具は、王宮の倉庫に山と積まれ、商人たちの荷車がひっきりなしに訪れる。
豚鼻族の女は、休憩時間に仲間たちと焚き火を囲んでいた。
彼女の手には、初めて受け取った賃金――銀貨が握られている。
これまで、農奴として働いた報酬は、虫に食われた芋やカビが生えたパンが関の山だった。
屑野菜がつけば御の字、虫の湧いた小麦を焼いて、飢えをしのいだこともある。
だが、今、彼女の手にあるのは、家族を養える本物の金だ。
「ぶひ……これで、子供たちに温かいパンとスープを食べさせてあげられる……」
彼女の目から、涙がこぼれる。
牛角族の男が、角を揺らして笑い、彼女の肩を叩いた。
「ブモ!泣くなよ!王子は俺たちに笑ってほしいと言ってたんだ!」
工房の外では、平民の商人たちが完成品を手に、感嘆の声を上げていた。
「豚鼻族と牛角族が作っただと?信じられねえが、この椅子、なかなか頑丈だぜ。新米職人よりよっぽどマシだ!」
「文房具も、土小人の品には及ばねえけど、この値段なら文官の給料じゃなくても買っちまうな!これは売れるぜ」
商人たちは、金の匂いに敏感だ。
文官や研究者が土小人の道具を利便性で認めたように、彼らが求めるのは利益だ。
「神に見放された者」の作った品だろうが、儲かるならどうでもいい。
彼らは敬虔なフェリス教徒を自称する。
そう、いくらでも敬虔になろうとも。
自分たちが儲からせてくれるなら。
神に正しく祈りを捧げようとも。
そうしないと自分たちは損を受けてしまうのだから。
だが今、その理と祈りは逆転した。
亜人の作った品が、金を生む。
ならば、彼らは喜んで荷車を走らせる。
市場でも、工房の品は評判を呼んでいた。
王都の広場では、引っ越したばかりの平民が、豚鼻族の作った机を手に、仲間と語らう。
「見た目は粗いが、頑丈だな。作業場で使うのにちょうどいいぜ」
その隣の店では、行商人が新米商人に文房具を手渡す。
「ほら、このペン、インク壺や羽根ペンいらずだ。帳簿つけるのにいいぞ」
王都の職人街、雪に覆われた石畳の奥では、木槌とノミの音が響き合っていた。
「できたか?」
「ああ、ばっちりだ。どんどんいこう!」
工房からの需要は、市場を越え、職人たちの作業場に新たな風を吹き込んでいたのだ。
当初、職人たちは亜人の家具をバカにしていたが、その品質の良さに気づくと危機感を抱き始めた。
特に若手職人は、仕事が奪われると不満を漏らすようになった。
ベテランの高級品は住み分けできたため、そこまで影響はなかった。
だが弟子たちが作るそこそこの品の需要がなくなり、給料を賄うための仕事が減る恐れがあった。
豚鼻族や牛角族へのヘイトが芽生えかけたその時、アノンは一手を打った。
厳密には、ぶん投げされたクローニンとその見習い助手が胃をキリキリさせながら考え抜いた策だが、職人たちにとってはアノンがやってくれたという認識である。
なおクローニンと見習い助手はすでにアノンに脳が焼かれているので、尽くす喜びによりそのことには不満は一切ない。休みは欲しいけど。
工房の椅子や机は、シンプルで頑丈だが、装飾には乏しい。
そこで、若い職人たちに彫り込みや装飾、複雑な仕上げを発注したのだ。
ある作業場では、若い四腕族の職人が、豚鼻族の作った机にノミを振るう。
彼の四本の腕が、複雑な花の模様を刻み、木肌に命を吹き込む。
隣では、新米職人が、牛角族の運んできた巨大な長椅子に金具を打ち付け、魔法加工の革を縫い付ける。
どちらも農奴だった豚鼻族には到底できない繊細な仕事だ。
彼の額には汗が光り、口元には笑みが浮かぶ。
「王子の工房の品、めっちゃ助かるぜ。土台がしっかりしてるから、俺の彫り込みが映えるんだよな」
作業場の主、四腕族の老職人が、髭を撫でて頷く。
「最初は亜人の作なんて鼻で笑ってたがな。この机、節目が少なく、組み立ても正確だ。彫る甲斐があるってもんだ。俺たちも負けてられねえな」
彼の手元では、豚鼻族の女たちが組み上げた机に、精巧な鳥の彫刻が浮かび上がっていた。
その机は、貴族の屋敷に納品される予定だ。
老職人の弟子が、道具を手にしながら口を開く。
「師匠、仕事が増えて嬉しいけど、亜人たちがこんな仕事できるなんて、びっくりだよ。昔は豚鼻族なんて畑仕事しかできねえと思ってたのに」
老職人が笑い、弟子の背を叩く。
「ハハッ、世の中変わるもんだ。俺も牛角族の運んでくる木材の量に驚いたぜ。あいつら、妙な道具でどデカい荷をガンガン運んで来やがる。王子の工房がなけりゃ、こんな仕事量、夢のまた夢だぜ」
作業場の外では、豚鼻族の女が、牛角族の男と荷車を押していた。
彼女の鼻が、冷たい空気で小さく鳴る。
荷車には、工房で組み上げた椅子が積まれ、職人街へと運ばれる。
通りすがりの平民が、荷車を見て手を振った。
「おい、工房の姉ちゃん!その椅子、うちの店で使ってるぜ!職人が彫り込んだやつ、客に大評判だ!」
豚鼻族の女は、鼻を鳴らし、照れくさそうに笑った。
「ぶひ……ほんと?嬉しい……!」
牛角族の男が、角を揺らして笑う。
「ブモ!俺たちの仕事、ちゃんと役に立ってる!」
作業場から顔を出した新米職人が応えた。
「お前らの椅子、素朴だけど土台がいいから、俺の装飾が引き立つんだよ!また持ってこいよ!」
豚鼻族の女の胸に、温かい誇りが広がった。
かつて、彼女たちの仕事は嘲笑の的だった。
だが、今、職人たちの手で輝く家具は、彼女たち豚鼻族の地道な作業と、牛角族の力が生んだものだ。
作業場には、次々と発注書が届き、職人たちの手は休む暇もない。
この好循環が、王都の空気を少しずつ変えていく。
豚鼻族の鼻の音も、牛角族の角の揺れも、職人街の喧騒に溶け込んでいた。
だが、その光景を遠くから暗い目で見つめる者があった。
王宮の奥、薄暗い礼拝堂。
フェリス教の法神官、黒いローブに身を包んだ男がつぶやく。
「神に見放された者たちが、こんな仕事を……そして、こんな品を使うだと?許されざることだ」
その法神官は、フェリス教の高司祭であり、教団から王国に派遣された重鎮だ。
大陸各国に散らばる同胞と同じく、教団の影響力を広げるため、王国の中枢に食い込んでいる。
彼がいらだちながら足を運ぶたび、ローブの裾が石の床を擦り、かすかな音を立てた。
貴族の一人、四腕族の男が、不満げに口を開く。
「法神官様、亜人の工房がこれほど繁盛するとは……我々の商いが圧迫されつつありますぞ」
法神官は、細い目をさらに細め、静かに答えた。
「貴族の不満は理解する。だが、フェリス教が問題とするのは金ではない。神の教えだ。豚鼻族や牛角族が、人間の仕事を奪い、平民の心を惑わす。これは神への冒涜だ」
もう一人の貴族が、額の汗を拭いながら口を挟む。
「しかし、彼らの品は安価で評判が良い。市場での需要は無視できず……」
法神官の声が、鋭く割り込んだ。
「愚かな。平民が金に目がくらみ、神の教えを忘れるなら、我々が正しい道に戻さねばならん。すでに、材料の調達を止める手はずは整えた。木材、鉄、革――すべて、我々の息のかかった商人が握っている。来年の冬、工房は止まる」
そう、商人たちは「損をするから神に祈る」のだ。
祈らざるを得ないのだ。
このフェリスの高官から「あなた達の敬虔な信仰に感謝を」と言われて終わり、銅貨一枚の得にもならないとしても、フェリスに目をつけられるという「損」はどうにもならないのだから。
貴族たちが顔を見合わせる。
一人が、恐る恐る尋ねた。
「ですが、王子が関与している以上、事が明るみに出れば……」
法神官の唇が、冷笑に歪んだ。
「王子?所詮、第三継承者にすぎん。フェリス教の名の下に動けば、王でさえ我々に逆らえん。まして、亜人を擁する王子など、貴族院の支持は得られまい。工房が止まれば、亜人は再び農奴に戻る。それが神の定めた秩序だ」
礼拝堂の空気が、重く沈む。
蝋燭の炎が揺れ、法神官の影が壁に長く伸びた。
一年が過ぎ、工房はアフェバイラの産業の要となっていた。
豚鼻族と牛角族の手による家具や文房具は、王都を越え、近隣の村々に広がり、商人たちの荷車は常に満載だ。
彼らの賃金は上がり、小屋には暖炉が作られ、子供たちの笑顔が戻った。
平民の間では、「亜人もやるじゃないか」という声が、ささやきから日常の会話に変わりつつあった。
王都の酒場では、職人たちが工房の品を手に、語り合っていた。
「この机、最初は気乗りしなかったが、使ってみると悪くない。豚鼻族も案外やるな」
隣の席では、商人の妻が友人に自慢する。
「このペン、子供が学校で使ってるのよ。安いのに長持ちして助かるわ」
酒場の隅で、若い平民が笑いながら言う。
「牛角族の運んだ木材、めっちゃ頑丈だぜ。仕事増えて給料も上がったし、牛角族様々だな!」
そんな声が、街の隅々に広がっていく。
豚鼻族の女は、市場でそんな話を耳にし、鼻を鳴らして笑った。
彼女の胸には、初めて感じる誇りが芽生えていたのだ。
だが、その繁栄に水を差す出来事が起きる。
ある日、工房に材料が届かなくなった。
何かの事故かと思ったが、次々と取引が打ち切られていく。
そしていつしか、家具に適した木材、鉄、革、薬品――わずかな素材を除いて主要な材料の取引すべてが、途絶えた。
クローニンは、工房の責任者に詰め寄る。
「どういうことだ!材料の調達は、いつも通り手配していたはずだぞ!」
責任者の四腕族は、額の汗を拭いながら答えた。
「クローニン様、申し訳ありません……貴族院の一部と、フェリス教の高官が、調達を止めたのです。亜人の工房に材料を渡すのは『神の教えに背く』と……」
クローニンの顔が青ざめる。
彼は、すぐに王宮に戻り、アノンに報告した。
「王子、事態は深刻です。材料がなければ、工房は止まります。この冬、豚鼻族も牛角族も、仕事がなくなってしまう……!」
アノンは、四本の腕を組み、しばらく考え込んだ。
工房の外では、豚鼻族や牛角族が、一向に動かないベルトコンベアを不安げに見つめている。
彼らの笑顔が、再びこの雪空のように凍えてしまうかもしれない。
「クローニン、新しい調達ルートは見つけられそうか?」
クローニンは、羊皮紙の束を手に、頷いた。
「はい、すでに他の商人と交渉を始めました。ですが、ルートが安定するまで、少なくとも数ヶ月はかかります。この冬を乗り切るには……」
アノンは、部屋の隅に積まれたものに目をやった。
そこには、アノンの趣味のために土小人技術団が開発した「魔法紙」、接着剤、絵具が山のように積まれている。
「多色刷りはうまくいった。ウチの変態技術団に言えば、作業の簡略化もおそらくできる。家具には向かなくても、このくらいの薄い板なら作れるな……なら、あれがこうして……仕上げや専用のアイテムとかを職人街のほうに発注すれば……いけるか?」
何か小さくぶつぶつ言っていたアノンは、何かにたどり着いたのか思考の波から浮かび上がり顔を上げる。
その目には彼が新たな何かに挑戦するときの輝きが宿っている。
クローニンは、嫌な予感に胃が「くるぞ……くるぞ……!」と警告と期待を訴えるの感じながら、四本の腕を震わせてアノンの言葉を待つ。
「よし、わかった。クローニン、家具を作る材料がないなら、今あるもので何か作ればいいよな?」
「……王子、また何か無茶なことを?」
アノンは、「まあ、見てて」と笑い、魔法紙に何かを描き始めた。
彼の手により、その小さな紙片に色鮮やかな絵と文字が描き込まれていく。
手を動かし続けるその笑顔は、まるで王国に再び新たな革命の火種を灯すようだった。
 




