第二十話 『新約聖典:革命期 ~第二節~』
アフェバイラ王国。
冬の冷気が王宮の石壁を這い、窓の外では雪が静かに降り積もる。
王宮内の工房は、しかし、異様な熱気に包まれていた。
雪が降りしきる中、豚鼻族と牛角族が集められた。
監督官の土小人の指示の下、豚鼻族は作業台の前に並び、牛角族は数人を残して工房の裏手に連れていかれる。
豚鼻族の前に置かれた作業台は、いつもと様子が違う。
これまで三人ずつ並んで作業していた長台は姿を消し、代わりに、奇妙な木の板が連なった装置が工房をS字に横断している。
車輪で繋がれた板が、まるで蛇の鱗のようにそこに並んでいた。
豚鼻族の女は、不安げにその前に立つ。
彼女の大きな鼻が、冷たい空気の中でかすかに震えている。
農奴として生きてきた彼女にとって、王子の命による仕事は未知の領域だ。
しかも、目の前の「作業台」は、まるで生き物のように動き出すかのような雰囲気がある。
もちろん、台が動くなど、そんなはずはないのに。
そのとき土小人技術団の監督官が、グループごとに作業を説明し始めた。
豚鼻族の女の属する第二班の前に立つ土小人は、短い髭を撫でながら言った。
「お前さんたちは第二班だ。今からワシがやることを、よく見て覚えな」
彼が手に取ったのは、穴の開いた長方形の木片だ。
それを、目の前の木枠に丁寧にはめていく。
「この木片、よく見ると片面に★の印がある。こっちが上になるように並べるんだ。もし、木枠に合わない大きさの木片があったら、こっちの箱に入れてくれ。わかったか?」
豚鼻族の女は、木片を手に取り、★の印を確認する。
確かに、小さな焼き印が刻まれている。
彼女は、土小人の動きを真似て、木枠に木片をはめた。
「ぶぅ……できた」
彼女の声に、他の豚鼻族も頷く。
★を上に、木枠にはめる。それだけだ。
複雑なことは覚えられない彼らにとって、この単純さはありがたい。
だが当然それだけではないだろう。星が上、星が上、といまから忘れないようにぶつぶつ言っている者もいる。
そして次にすることの指示を待った……が、土小人は何も言わずに去ろうとする。
豚鼻族の女は、慌てて土小人に声をかける。
「……あ、あの、他には?」
土小人が、髭をピクリと動かし、振り返る。
「他? お前たちはそれだけだ」
「ぶひっ?」
彼女の鼻が、驚きに鳴る。
周囲の豚鼻族もざわつき始めた。
他のグループでも、同じように戸惑いの声が上がる。
ある者は釘を打つだけ、ある者は確認するだけ。
たった一つの作業を、ただ繰り返すだけだという。
「静かに! 準備ができたら合図する。待機してな!」
監督官の声に、豚鼻族の女はシュンと俯いた。
きっと、自分たちは期待されていないのだ。
王子は優しいから、こんな簡単な作業をさせて、食料をくれる名目を作ってくれたに違いない。
それはありがたい。
だが、あの笑顔の王子に、もっと役に立ちたいという思い、そして彼の期待に応えられない情けなさが彼女の胸を締め付けた。
一方、工房の裏手に集められた牛角族も、戸惑っていた。
牛角族の男は、目の前の装置に首をかしげる。
「ブモ? これを押すだけ?」
監督官の土小人が、大きな鉄のハンドルを指さした。
まるで船の舵のような、十字型の棒だ。 ただそのサイズだけが異様に大きい。
「そうだ。二人でこのハンドルを押し続けろ。重いが、牛角族の力なら問題ないだろう。ワシが合図したら、回すスピードを合わせるんだ。お前は材木を運び、お前は斧で割ってここに入れろ。お前は木枠を運ぶ係だ。わかったな?」
牛角族の男は、ハンドルを握ってみる。
確かに重いが、二人で押せば動きそうだ。
力仕事や荷運びは、牛角族の手慣れた仕事だ。
だが、このハンドルを押す作業が、何につながるのか。
彼の角が、疑問で揺れていたその時、工房の壁に吊るされた鐘が、カランカランと鳴った。
どうやら、室内と裏手を繋ぐ合図らしい。
土小人が、壁から伸びる金属の管に耳を寄せ、何かをつぶやく。そこには誰もいないのに、あんな小声で独り言だろうか。
「よし、室内の準備も整った。作業を始めるぞ!」
工房が、一気に動き出した。
豚鼻族の女の前の木の板が、ガタゴトと動き始める。
なにか騒いでいた前のグループのほうから、先ほど教えられたとおりの木片が流れてきた。
彼女は慌ててそれを拾い上げ、★を上にして木枠にはめる。
完成した木枠を動く板の上に戻すと、それは次の豚鼻族へと運ばれていった。
「ぶひっ? これ、動いてる……!」
しかし、それがどうなるかを見届ける暇は女にはなかった。
次から次へと木片は流れてくる。
彼女は言われたことを守り、作業を続ける。
豚鼻族の男は流れてきた木枠にたいして恐る恐る木材に釘を打ち始めた。
彼の仕事は、ただ決まった個所にあるくぼみに釘をまっすぐ打つこと。それだけだ。
一つの釘を打ち終えると、次の木材がすぐに流れてくる。
複雑な手順はなく、覚えることも少ない。
最初はぎこちなかった。
釘が曲がることもあった。
だが、繰り返すうちに、彼の動きは安定していく。一度綺麗に打ち込めたら、後はそれと同じ動きをするだけ。
単純な作業は、彼らの得意とするところだった。
そうして、それぞれのグループでは、木材に釘を打つ者、革を貼る者、部品を並べる者、それを組み合わせる者が、それぞれの作業に没頭していく。
最後の豚鼻族が、組み上がった椅子を箱に詰めると、牛角族がそれを担いで倉庫へ運んでいった。
工房の裏手では、牛角族の男がハンドルを力強く押していた。
「ブモ! 一つ回しては王子のため! ブモ! 二つ回しても王子のため!」
ハンドルの回転に合わせ、板でできたベルトが動き続ける。
他の牛角族は、材木を運び、斧で割り、木枠を運ぶ。
監督官の声が響く。
「よし、みんな慣れてきたな! 牛角族、ハンドル速くしろ!」
牛角族の男が力を込めると、ベルトの速度が上がった。
そして、工房の中にいる豚鼻族たちの手も、自然と速くなる。
★の焼き印を押す。
★を上に、木枠にはめる。
釘を打つ。
チェックする。
革を張る……
そのリズムが、彼らの鼻を小さく鳴らした。
「ぶひ……これ、楽しいかも……!」
彼らの力強い動きに、工房はどんどん活気づいていった。
クローニンは、工房の隅でその光景を茫然として見つめている。
彼の隣には、アノンが立ち、四本の腕を組んで満足げに頷いていた。
これが王子があの時見ていたものか、と、彼は当時のことを改めて思い出した。
王宮の一室。
冬の冷気が窓を叩き、暖炉の火が小さく揺れる。
少年――第三王位継承者アノンは、顔を上げ、目の前の法税官に笑いかけた。
「革命、起こそうかなって」
法税官クローニンの額に、冷や汗が滲む。
彼の四本の腕が、まるで自分の首を守るように交差した。
「王子、それは……まずいです! いくら貴方でも、『革命』などと口にされると、貴族たちが謀反だと騒ぎかねません! 大臣が聞いたら、泡を吹いて倒れますぞ!」
クローニンの声は、半ば懇願だ。
彼は、アノンが「神に見放された者たち」のために力を尽くし、王国のあり方を変えようとしていることを知っている。
だが、「革命」という言葉は危険すぎる。
王家の力関係を揺るがす発言と誤解されれば、余計な派閥に火をつけかねない。
だが、アノンはいたずらっぽい笑みを崩さず、紙をとると何かを書き込み始めた。すぐに書き終わったのが、それをくるりと丸めてクローニンの胸に押し付ける。
「おちつけ。私がいっているのはお前が言うような物々しいものではないよ。まずはそれを見てほしい」
クローニンは、半信半疑で受け取った紙を広げる。
そこには、見たこともない奇妙な図が描かれていた。
木の板が車輪で繋がれ、まるで蛇の鱗のように連なり、輪になって動く仕組み。
その脇には、作業台の絵と、単純な動作を繰り返す豚鼻族や牛角族の姿が、簡単な線で描かれている。
「……王子、これは?」
クローニンの声に、ためらいと好奇心が混じる。
アノンは、四本の腕を広げ、まるで舞台の役者のように大げさに身振りをつけた。
「革命っていっても、『産業革命』のことだよ」
「産業革命」
オウム返しにしたものの、その言葉の意味は正確にはわからない。
だが、アノンの口から出る言葉が、決して軽いものではないことは、彼の胃がすでに理解していた。
彼の脳裏には、過去のアノンの「思いつき」が引き起こした嵐がよぎる。
負の数の帳簿、ボールペン、シャープペン、アノン橋――どれもが、王国の常識をひっくり返し、彼の胃を締め上げた記憶だ。
彼は、震える声で尋ねる。
「王子……具体的に、どのような仕組みで?」
アノンは、図面を指さして答えた。
「牛角族は力持ちだろ? 彼らの力を動力にして、この『ベルトコンベア』を動かし、その上に材料を流す。豚鼻族は流れる材料にたいして並べる、釘を打つ、組み立てるとかだけをさせる」
まあ、ベルトコンベアの仕組みと作業の細分化の検討は土小人たちにぶん投げるけど、とアノンは苦笑い。
だがクローニンは、苦笑いどころではない。図を何度も見返し、額を押さえた。
確かに、理屈はわかる。
牛角族の持久力と豚鼻族の正確さを組み合わせれば、従来の工房の何倍もの成果を上げられるかもしれない。
だが、それはあまりにも革新的すぎる。
王国の工房は、熟練の職人や四腕族が細かな手作業で物を作り上げるのが常識だ。
こんな単純な仕組みで、大量に物を作り出すなど、誰が想像できようか。
「王子……これが実現すれば、確かに彼らの冬の仕事は確保できます。ですが、貴族や職人たちがこのように作られたものを受け入れるでしょうか? 特に、亜人たちが中心の事業となれば……」
クローニンの懸念に、アノンは肩をすくめた。
「まあ、最初は文句言う人もいるだろうね。だが、結果さえ出せば黙るさ。ほら、土小人の文具だって、最初はバカにしてた貴族たちがもはや手放せないものになっているだろう?それでも文句があるなら平民に売ればいいのさ」
その軽い口調に、クローニンはため息をつく。
だが、彼の心のどこかで、アノンの言葉に賭けてみたいという思いが芽生えていた。
何より、面白そうではないか。
まあ、文官見習いである司書の「彼女」が聞いたら虚ろな目をしそうだが、「彼女」もすでに十分に王子の「おもいつき」で脳を焼かれた側だ。
愚痴と泣き言を言いつつも、口角を曲げながら書類に向かうだろう。
クローニンは、静かに頷いた。
そして、その結果が今の目の前のこの光景である。
豚鼻族、牛角族たちが、生き生きと働き、そして次々と出来上がっていく生産物。
アノンはそれを見据えながらも、すでに次の計画に思考は移っていた。
「今回は作りが簡単な家具にしたけど、作業の細分化さえできれば、文具みたいな細かいものも作れる。あとは部品だけ作る工場とかもあっていいかもしれないその辺は技術団と相談だな」
「……王子、これは……本当に、『革命』ですな」
茫然としつつも目を輝かせるクローニンの呟きに、アノンは「でしょう?」と愉快そうに笑うのだった。
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