第十九話 『新約聖典:革命期 ~第一節~』
自由国アフェバイラ。
いまでこそ民主主義の平和国家であるが、かつて数百年以上前には自由帝国という異名とともに幾多の国を『侵略』、そして吸収し広大な一国となった長い歴史を持つ、大国である。
その北部、ネオルナの丘に建つフェリス神学校は、朝霧に包まれていた。
歴史ある石造りの講堂に響くのは、教師である司祭の穏やかな声。白いローブの老司祭は、20人ほどの生徒を前に、教科書を手に語る。
「かつて、我が学校の理念の根幹であるフェリス教は多数の亜人種を、聖典に記されぬゆえに『神に見放された者たち』と呼び異端としました。だが、それは誤りでした」
生徒たちは静かに頷く。
響くのはメモを取るペンの音。あとは少しの寝息だけ。
窓から差し込む光が木製の机を優しく撫でている。
司祭は続ける。
「知恵と慈しみを持つ者は、みな等しく『人・亜人』であり、フェリス様の愛を受ける家族です。我々は一時、教えを誤ったことを認めねばなりません。この真実は、フェリス教の神官となる者が必ず学ぶ礎です」
一人の生徒、牛角族の少女が角が朝陽に輝せながら手を挙げた。
「司祭様、ではなぜ聖典は亜人を記さなかったのですか?」
司祭は微笑む。
「良い質問ですね。旧約聖典は聖者フェリスの教えを聞いた人間の手で書かれたもの。旧約聖典が書かれたはるか昔、人はまだ亜人たちとの出会いが少なかった。知らぬ者であるがゆえ、記せなかっただけです。ですが、新約聖典は異なる。そこには、聖人でもある帝王アノンが過ごした時代の真実が刻まれています」
生徒たちの目が輝く。
すでに文化的な意味が強くなり、宗教的な意識が薄らいだ今、決して敬虔とはいえない生徒たちにも、聖人にして英雄である偉人アノンを好きな者は多い。
最近では大人気課金型ゲームのSSRキャラとして登場したこともあり、関連書籍が飛ぶように売れているらしい。
ちなみに司祭も当然のように課金して天井まで行ったのは秘密である。
司祭はページをめくり、声を少し高める。
「ふむ、ここまでですかな。次は『驕りの戒め』を学びます。新約聖典の一説、帝王アノンの幼少期の史実を基にした教訓です。決して高ぶらず、弱き者を尊ぶ心を学びましょう。歴史の授業にある『革命期』の話とも関係ありますよ。予習を忘れぬように」
授業が終わり、生徒たちが席を立って礼をする。
司祭は教科書と共に教鞭用のノートを閉じ、同じく礼をした。
彼が持つノートの表紙には絵が描かれている。
新約聖典にも描かれている、歴史的な絵だ。
それは、一枚の絵画のようであり、尊い聖札のようにも見えた。
色鮮やかな枠に、四腕の少年が笑う姿。背景には、豚鼻族と牛角族が手を取り合う光景。
その絵のタイトルは――
◇
アフェバイラ王国――四腕の王が治める、絶対王政の小国である。
その国に住む豚鼻族と牛角族の多くは、主に農奴として春から秋まで貴族や平民の土地を耕している。
厳密には差別されているだけで奴隷ではないが、扱いとしては似たようなものだった。
春の種まきと芽吹きにも、夏の虫との戦いも、秋の喜びの収穫も、彼らにはあまり関係がない。
豊作だろうと収入が上がるわけではないからだ。
困るのは不作の時くらいである。
豊作になっても余計に賃金をもらえることはないが、不作になればその分もらえる食料は減るからだ。
噂では土小人の待遇はかなり良くなったらしいし、彼らの希望であるアノン王子がいろいろ動いてくれているらしいが、豚鼻族と牛角族にはまだ実感できるようなことはない。
それでも、たまに現れるアノン王子との交流は嬉しかったし、「これは私事の頼みだから」と簡単な作業を頼まれては褒美として賜るお金や食べ物はありがたかった。
彼らは日の出前から日没後まで、鍬を振るい、種を蒔き、収穫を運ぶ。
だが、冬になると仕事は消えた。
冬のアフェバイラは、雪が降る。
伝説の鬼が住むという凍土ほどではないだろうが、それでも畑には霜が走り農作業は途絶えることになる。
彼らの小屋は、木と泥でできた粗末なもの。
隙間風が吹き、暖炉はない。
貴族の倉庫には穀物が溢れるが、農奴に等しい彼らに分け与えられるのは、わずかな賃金と腐りかけの芋やカビたパンだけだ。
豚鼻族は、家族を養うため、貴族の屋敷でわずかな仕事を求める。薪割りや糞の掃除、馬小屋の世話。
だが、需要は少ない。
彼らの大きな鼻と汗だくの姿は、衛兵の笑いものだ。報酬は一日の労働で一人がやっと生きれるほどしかない。
そうなれば子供のいる一家は皆が空腹で眠るだけだ。
ある豚鼻族の女は、息子の咳を聞きながら、やるせなさで凍る床に何度も膝をついた。
牛角族は、力仕事を頼まれるが、それも限られる。
雪かきや荷運びを終えれば、後は無用。巨体ゆえに食う量は多く、人間、四腕の者からの目は冷たい。
牛角族の男は、娘を背に乗せ、村の外れで薪を集める。角が木に引っかかり、折れそうになる。
衛兵が叫ぶ。
「角付きめ、食うだけ食って何の益になるのだ!」
と。
男はうつむき、泣いている娘の手を握る。子供の指は冷たい。それをこすって温めては、また仕事を探しに町を歩いた。
ある集落では、豚鼻、牛角族の追放の噂が広がる。
貴族の会議で、「冬に無駄飯食いは要らぬ」と声が上がったといのだ。
農奴の小屋は、夜ごとに静かになる。笑顔は消え、希望は凍る。
豚鼻族の女が呟く。
「…春まで、持つかなあ…」
牛角族の男は、空を見上げる。
「力はあるだ……でも、働く場所がないだ」
村の外、焚火の光が揺れている。
そして、遠くでその光を見つめている一行がいた。
手に握る羊皮紙には、彼ら「神に見放された者たち」のことが詳細に書かれていた。
「そうですか……やはりまだまだうまくはいかないですか」
「土小人の待遇はよくなり、周囲の意識も変わりつつあります。しかし、もともと土小人は職人としての立場もあり、そこまでひどい目にはあっていませんでした。ですが農奴に近い扱いだった種族は……」
アノンは、調査させた農奴たちの苦しみを聞き、行動を起こす。
冬の仕事が少ないと知り、工房で彼らを雇うよう命じた。
土小人技術団は相変わらずモノづくりに忙しい。それだけアノンがいろいろやっているということでもあるのだが。
彼らは新しいものを作りたがりはするが、すでに完成されたものをたくさん作ることはあまり好まない。
もちろんアノンが頼めば頑張ってはくれるだろう。
実際、一時期に文官たちにくばる文房具を大量に作るためにお願いしたことはある。
そのとき彼らは「ヒャッハー」と対応はしてくれたが、「ヒャッハー!」ではなかった。
「ヒャッハー」と「ヒャッハー!」
似てはいても雰囲気は全然違い、なんだか申し訳なくなったのでアノンはできるだけ量産依頼はさけることにした。
そのため、人間や四腕の平民が働く量産工場ではまだまだ人手がいるのである。
彼は目の前の、信頼する法税官である「先生」にそう伝え、手配を任せた。
丸投げともいう。
ただ法税官のクローニンはそれを嫌そうな顔一つなく受け入れる。
ぶっちゃけこのくらいならいつもの仕事の範疇なので、大した問題ではないのだ。
それよりも問題は、今目の前で仕える王子であり可愛い教え子でもあるアノンが、土小人と研究に没頭しているモノのほうが問題である。
「……あの、ところで王子……今は何をされてるので?」
「んー? 版画?」
「……版画にしては、いろいろ顔料の種類が多いようですが。それに同じような木版が何枚も……?」
普通版画は黒か、もしくは赤茶のものが一般的だ。
なのにそこには10では聞かないだけの顔料がある。
絵の本体となる木版もなぜか何枚もある
そんなにたくさんの色違いをつくるのだろうか。
「多色刷りに挑戦中なんだ」
「多色刷り」
聞いたことがない刷りだ。
ただなんとなく意味は分かる。
わかりたくないがわかる。
「絵画とまではいかないけどね。デフォルメした絵ならだいぶいい感じに行けそうなんだ」
「王子はそういいますけど絵画を描いたように色彩豊かな版画が刷れるんでさあ!法税官殿!これはすごいですぜ!」
「すごいんですか」
すごいらしい。
そりゃすごいだろう。
そんなのができたら一種の芸術が大量に作れるということだ。
これはもう技術の革命ではないか!
本当にできるならば!
できちゃうんだろうなあ……
「うん、期待しててください!」
会議や公式の場では見せない、王子の年相応の柔らかい口調。
それだけ自分たちには心を開いてくれているということであり、クローニンは嬉しく思うが――
「そっかぁ……すごいのかぁ……」
それは、またなんか自分の仕事が増えるということなんだろうな。
王子といると、毎日が新しい世界との遭遇であり――そして、胃痛の日々なのだ。
まあ今は期待のアシスタントがいるのでだいぶ楽ではあるが。
「――!?」
その時、王宮内総合図書室で寒気を覚える司書がいたらしい。
クローニンは額に汗をかいていた。
量産工房に仕事のない豚鼻族、牛角族を集め、工場の責任者が彼らに道具の使い方や組み立てを教えていた。
作業台には、木枠、鉄釘、革紐などが並ぶ。
四腕の監督が、設計図を広げる。
豚鼻族は、熱心に取り組んだ。
我らのためを思って仕事をくれたアノン王子に恩を返すのだ、と。
だが、物覚えが悪かった。
設計図の線、手順を追うが、ほとんど頭に入らない。
ある女は、釘打ちを続けるが、部品を付ける向きを間違える。
別の男は、部品の数を忘れ、組みあがったものがバラバラになってしまう。
汗が床に滴る。
クローニンは声を抑える。
「もう一度だ。右に嵌める。順番を覚えなさい」
その女はうつむいて鼻を鳴らして泣いた。
「ぶひ...すみません…頭、悪くて…」
牛角族も、王子に恥をかかせまいと、力を発揮しようとした。
彼らは作業の手順を覚えることはできた。
だが、とてつもなく不器用だった。
男が木枠を運ぶが、力加減を誤り、板を割る。別の女は、印刷機のレバーを握りすぎ、軸を曲げる。角が揺れ、床を叩く。
「ブモ...力、強すぎた…すまねえ…」
監督の四腕が首を振る。
「クローニン様、無理ですよ。豚鼻はトロい、牛角は雑。技術職の亜人は土小人だけでいい」
クローニンは工房の隅で、壊れた歯車を見つめる。
そのとき、豚鼻族や牛角族を雇うと聞いて、とある貴族が訪れ、彼らを笑った。
「農奴に道具だと? 神の加護なき者は、畑以外何もできん。アノン王子の道楽も困ったものだ」
大好きな王子を馬鹿にされ、豚鼻族と牛角族は憤ったが、事実なので何も言い返せなかった。
夜、クローニンは王宮に戻った。
アノンは、版画の試作用紙を手に、顔を上げる。
「クローニン、工房はどうだ? 順調か?」
私的な場ではなく公式な事業の報告であるため、アノンの言葉は王子としてのものとなっている。
クローニンは首を振る。声は静かだ。
「王子…申し訳ありません。彼らの雇用、失敗でした」
アノンは羊皮紙を置いた。
「失敗か……理由は?」
クローニンは目を閉じる。
「豚鼻族は、複雑な手順を覚えられません。牛角族は、細かい作業が苦手。工房は…彼らには難しすぎました。私も、なんとか彼らを助けないのですが、これでは……」
やりきれないようなクローニンの言葉に、アノンは静かに問いただす。
「……クローニン、君にはいままでいろいろ調査をしてもらい、彼らを見てきてもらったはずだ。彼らのいいところ、教えてくれ」
クローニンは考える。
彼の脳裏に、農作業を黙々とこなす豚鼻族、そして力をふるう牛角族の姿がよぎった。
「豚鼻族は…単純な作業なら、驚くほど正確です。同じことを何時間でも、ストレスなく続けられる。手順が少なければ、ミスもほぼない」
アノンは頷く。
「なるほど。それは素晴らしい。牛角族は?」
「牛角族は、力持ちで、長時間動けます。重い荷でも、疲れを知らず運べます。よって荷運びの仕事ならありますが、冬ごもり時期ではその仕事も……」
「……なら、あれ、かな」
しばしの間、目をつむって何かを考えていた王子は、何かを決心したようにそう呟く。
「王子、あれとはなんですか?」
「ああ、大したことはない。……少し早いけど――」
「けど?」
急に砕けた言い方になった王子に、少し驚きつつクローニンが問う。
アノンは王子としての顔から、いたずら好きの子供の笑顔になって、一言、こうつづけた。
「革命、起こそうかなって」
次回はまだ更新は未定ですが、オチはいちおう考えてあります。
新作も随時更新していくので、よろしくお願いします。
星と魔法の交易路 ~ボロアパートから始まる異世界間貿易~
https://ncode.syosetu.com/n0727kf/




