第十六話 『優しい王子は太陽の国の夢を見る ~覚醒~ 』
ごく普通に主人公がチートSUGEEEE!されたっていいじゃない(懇願
「法税官様、どうなさいましたか?」
王宮内に設営された総合図書室にて、机の上に置かれた書類に向かって、額に皺を寄せている四腕の文官が一人。
普段なら、利用者には必要以上には関わらないはずの司書が、思わずそんな声を彼にかけてしまったのは、彼の様子が最初に見かけた一時間前からまったく変っていなかったからだ。
司書である彼女は、仕事で悩んでいる文官たちをこの場で見ることは、決して珍しいことではない。
だが、それは囲まれた沢山の資料を前にあれやこれやと格闘する姿であったり、あまり好ましくは無いが複数人でなんらかの議論を行っているなど、そういった「動いて仕事をしている」人たちだ。
ところがどうだ。
この文官――右腕に巻いている腕章の形から判断するにかなり高位の法税官らしい彼は、最初こそ沢山の本を借り出して読みふけっていたが、今はただ一枚の書類を前にして、上下の腕を組みながらじっとそれを見つめている。
それだけなのだ。
気にならないほうがおかしいというものであろう。
「……」
だがどうやらそんな彼女の声は、彼には届かなかったらしい。
彼は、ただ変らない表情と無言のまま、相変わらずじっとその紙を見ている
司書はため息を一度だけ吐き、再び自分の持ち場の受付椅子まで戻ろうとした。
「なあ……君」
「は、ひゃい?」
不意打ちのような文官からの問いかけに、上ずった声を上げて司書は振り返った。
だが、そこにはやはり視線を机の上から動かしていない、法税官。
しかし、彼はそのまま言葉を続けた。
「ちょっと、これを見てくれないか?」
もしや彼の前には自分には見えない――というより、彼にしか見えない妄想的な誰かと会話をしているのでは、とも思ってしまったが、良く見ると「下のほうの腕」の手が、自分を手招いている。
それが自分が声をかけたことでの返答としてなのか、単にそばにいたのが自分だったのかはわからないが、まあ立場上は自分よりはるかに上の法官からの御用付けである。
邪険にするわけにもいかず、はたまたそんな「お偉いさん」がこんなに悩んでいることにも興味があり、彼女は彼の指し示す書類に目を通した。
まず気になったのは、数字の横にたまに着いている▲の記号だ。
それ以外は文字と数字なので読むだけなら問題ないが、この記号の意味がわからない。
「あの、この数字の横の変な記号はなんですか?利益、ってところの横の数字についてるんですけど」
「それは負の――いや、そうだな、それは現時点で予定より下回っている…とか、支払ったら『足りなかった金額』だと思ってくれ。それ以上の説明はあとだ。まずはそれを見て思うところを言ってくれ」
「はあ……ええと、よくわかりませんが、わかりました」
釈然としない表情のまま、彼女はまた目を目の前の紙に向ける。
「あの、なんか税収とか軍事費とかの金額が書いてあるんですけど、これって機密情報じゃないんですか?私見ても大丈夫なんですか?」
「ああ、問題ない」
「そうですか」
法税官がいいというのだから、いいのだろうと、彼女は深く考えずに納得したが、当然税収や軍事費などは機密である。
問題ないわけがない。
だが許可を得た彼女は、そのまま書類をぺらぺらとめくりながら目を通していく。
「ええと……税収入、軍事費、人件費、武器購入……ああ、多分ですけどこれ帳簿なんですね。公文書ですか? 見たこと無い形式ですけど、王宮で使う公式帳簿のとか資料って、こういうのなんですか」
「……まあ、な」
司書である彼女はもちろん文字は読めるし、一般的な店の店主が行える程度の計算もできる。
初歩ではあるが、売り上げの管理や帳簿もできなくはない。
だから、それが読めたこと事態には彼女は特に思うことはなかった。
このときは、であるが。
「ああ、軍事費の下に武器費用とか給金とか書いてあるのは、その内訳ってことなんですか。……うわっ、軍馬の飼料費用ってこんなに高いんだ。あと武器の購入費用も。なのに税収入はこれだけで――あ、利益のとこの記号はたしか、足りないって意味なんだから――……ってこれまずいですね。利益がでてないどころか、お金払えてないじゃないですか。……大丈夫なんですか、うちの国」
「……これらは実際のものではない。記述の練習用に用意した架空の項目と数値だ。だから見せてもいいといったのだよ」
「あ、そうなんですか。安心です。……そっか。てっきりうちの国の財政がものすごくまずいのかと思っちゃいましたよ」
そう。
見慣れない帳簿ではあったが、法税官の言った要素を加味していろいろと読み取ると、どうみてもそうなるのだ。
その数値が本当のものであれば、この法税官があれほど頭を抱えていたのも納得できるほどに。
これが嘘の数字でよかったよかった、と一人頷こうとして――また、疑問に行き着いた。
それでは何故、この四腕の文官は相も変らず眉間に皺を寄せているというのか。
「ちなみに、もしそれが真実だとしたら、財政の建て直しをするにはどうしたらいいと思う? その資料から考えられることで、だ」
「え?」
司書が疑問を口にする前に、法税官が先に質問をしてくる。
まるで自分にしゃべらせないかのようなタイミングに、一瞬声をくぐもらせた。
四腕はそんな目の前の彼女に反応らしい反応を見せないまま、相変わらずの表情で返答を待っている。
ここまできたのだから、この文官が満足するまで付き合おうと、彼女はあきらめたように再び資料に目を向けた。
「ええと……税収入があがるのが一番ですけど、それは無し、なんですよね。税率を二倍にドン!とか」
「うむ。支出を下げる方向性で考えてみてくれ」
「そうですね……見る限り軍事費の中で軍馬の飼い葉の費用がかなり高くて昨年と同じくらいかかってますけど、これ削れませんかね」
「……何故それを?」
司書が指差したその一点を見て、四腕の法税官は視線を尖らせて問いかける。
「だって、こっちの資産表とかいうのを見ると、現在の飼い葉保有量をお金に代えた数が年々増えてるじゃないですか。ということは、毎年飼い葉が余って倉庫に貯めてる量が増えてるってことですよね。じゃあ今より少なくても十分足りるのだから、買う量を減らせば購入費も減るんじゃないかと思いました。……あ、いっそのこと今たまってる飼い葉を別のところに売りつけてもいいですね」
「……続けて」
「あと、武器購入費が高いですけど、補修費はそんなにかかってないです。戦争中ならともかく、新品を買うのは減らして補修にまわしたほうが安く済むかなって思います……けど、だめでしょうか」
適当に思いつくままに言ってしまったが、ふとわれに返った彼女は、自分はとんちんかんなことを言ってはしないかと、不安になり、言葉を濁す。
だが、目の前の文官は首を振り、
「いや。着眼点はいい。飼い葉のほうについては私も同じように推測した。ただ、武器のほうはダメだな。その補修費の安さは新品を購入しているからこそ、その値で頼めているのだから」
下手に補修費用の割合を増やせば、当然今より割高になるだろうし、新兵用に支給する武具はさすがに新品である必要がある。
そう説明する法税官。
実際のところを言えば、もう少し裏がある。
たとえば王家御用達の武器購入ルートには有力貴族の権益がいろいろとかかっているし、そのルートを使うからこそ、その領地から取れる良質の鉱石が原材料として使われた武具・兵器が作られている。
良質な武具の担保、ということの利益は、かなり大きい。
このあたりの兼ね合いのさじ加減は、やはりある程度の経験が必要だろう。
「……まあ、他にもいろいろ理由があってな。難しいだろう」
「あー、そうなんですか。やっぱり私くらいの頭で考えたものじゃ、うまくいきませんね」
彼女は笑いながらそう言った。
そんな彼女に、法税官は同じように笑うでもなく、ただ一言、問いかける。
「……君は、アフェバイラ王立アカデミーの特級生かなにかかね?」
「へ……?」
彼女の間の抜けた返答は、自嘲めいた笑いに目の前の文官が賛同しなかったことに対してではない。。
質問された内容が、あまりに突拍子も無いものであったからだ。
「えええ? ち、違いますよ。もちろん王立のスクールは出てますけれど」
司書――文官の法官士になるには、基本的に王国が認めた学校を卒業する必要があり、それは確かに彼女が勉学において、そして財力においてエリートであるという証ではある。
平民の多くがそうであるように、農耕、狩猟で生計を立てる村では、働くことが難しくなった老人や一部のフェリス教の神官、尼が読み書きと数の数え方を教える程度で、店を営んでいれば自分の商う商品の売買価格の勘定ができる、くらいのものだ
さすがに王都などでは買い物が生活において必須であるため、買い物程度の計算はできるものが多数であるが、やはり、その程度でしかない。
そのため、王立の学校に入学できるとなれば、私塾や家庭教師による学問を受けていた貴族、豪商の子となる。
彼女は下級貴族ではあったが、そこそこ裕福だったこともあり、国内にいくつかある王立スクールに入ることができた。
だが――
「王立アカデミーを卒業してたら、そもそもここで司書やらないで、法務官になってますよう」
そう。
「王立アカデミー」となれば話は違う。
入学資格は平民以上且つ犯罪歴が無いこと、そして筆記試験に合格すること、と、とても広く開かれているが、その入学試験の難易度はまさに王国トップの名にふさわしいものだ。
王立のスクールでトップの者達が、何度も受けてようやく合格ができるというものである。
一発合格ともなれば、数年に一度あるかないかといったところだ。
そのうえ、卒業するのにも数々の試験と研究成果の評価に合格する必要があり、ここで挫折するものもそう珍しくない。
ゆえに、この卒業資格が法官の中のトップ、法務官の資格となるのである。
だからこそ、そんな王立アカデミーに入れるのは、子供のころから英才教育がほどこされるような、大きな貴族の子息ばかりであった。
さらに特級生となれば、それだけで天才の証明と評していい。
ゆえに、特級生となったものには様々な権限と褒章が王宮から与えられる。
卒業までの学費、研究費の全額免除。在学中における第五級法務官と同等の権力と棒給。武器型マジックアイテムの所持の許可など。
もはや司書の彼女においては、想像も着かない世界である。
「……まあ、それはそうだな。君が特級生になれるわけがないか」
聞くまでも無いか、と四腕は頷く。
あまりといえばあまりの言い方だが、正直、高すぎる評価と比較されたためかまったく怒りもわいてこない。
だから、彼女は純粋に疑問を問いかける。
「ええ……でも、どうしてそんなことを?」
そう、それがさっぱりわからない。
なぜこの法税官は、そんな勘違い――いや、むしろわかった上で質問していたようだったが――をしたのだろうか。
「……では君は、見たことも無い形式で書かれたただの文字と数字を軽く見ただけで、それが王国の管理する収支の帳簿であることを把握し、且つそこから財政状況と問題点、そのための対応策を提案できるほど、才があるということかね。普通のスクール卒業生、の君が、だ」
「いやですね、そんなわけ――……あれ?」
そう言いかけて――彼女は初めて、自分が先ほど行ったことのおかしさに気づいた。
「え、だって……ほ、ほら、解決策といっても、結局見当違いの意見でしたし――」
「飼い葉費用については同じ意見だ、といったはずだ。それに、武器の件についても、今のままでは実現が難しいというだけで、案としては十分なものだった」
そのとおり、彼女の案を実現させるためには問題があるが、逆に言えば、問題さえ解決すればやれる、ということでもある。
もちろん、実際にやってみたら補修の場合破損率が増えて破棄される武具が増え、結果的に損をする、など別の問題がわかる可能性もあるが、それはそういう結果が出て情報となってから考えるべきものだ。
「だって、すごくわかり易かったですよ、この表。たしかに私、帳簿とかつけられますけど、あれって基本的に見る人が見ないとわからないものなのに。まあ、確かに記号がついてるときは『足りない数字』っていうのは奇妙な感覚でしたけど」
「……うむ、そうだな」
「あの、これって、王宮で使ってる公式の帳簿、じゃないんですか?」
「……王子だ」
え、と。
本日何度目になるのかわからない、不可解な答えに呆けてしまった自分の声。
「このまえ、王子の勉強として君の言う『わかる人じゃないとわからない』形式の文書の書き方を教えて、架空の宿題を出していたのだが――これが出てきた」
「はい?」
「そのとき私は、わけのわからない記号を使ったりして横着しないでください、とたしなめたのだが――王子の言うところの『マイナス』という記号を受け入れてしまったら、とたんにこの書面が頭にストンと入ってきたのだよ。君が言ったような、この数値上で推測できる問題点や、改善点なども、な」
司書は愕然とした。
つまり、このとんでもなくわかり易い文書形式は、王宮内で研磨されて洗練されたものではなく――つい最近、王子が作り上げたものということだ。
固まったままでいる彼女を見て、ようやく同志を得たと口元を曲げた法税官。
「確かに『マイナス』、『負の数』という新しい概念の受け入れは浸透させるのが大変かもしれないが、それが理解できたとき、とたんに化ける。……わかるか。この形式の最大の利点はな、文字が読めて数字の大小が理解できるものなら、誰でもその財の状況が把握できる、ということだ」
読み手は計算ができなくてもいい。
『計算が正しい』という前提さえあれば、それだけで状況把握ができる書式。
当然、加算、減算という計算の基礎ができるものであれば、その数値の正当性までが判別できる。
そしてこれは、財政だけでなく様々な管理において、応用が利く書き方だ。
そして底に使われている、新たな『足りない数』という概念。
四腕の法税官は確信する。
これは、間違いなく、帳簿や算術の点で大きな進歩が起きると。
だが、同時に様々なところで混乱が起こることも確信する。
今までの常識とまったく異なる形式で、しかもまったく新しい計算学上の概念が追加されるのだ。
今いる文官たちにそれらを浸透させるのも様々な労力、時間、金が必要となるだろう。
さらにスクール、アカデミーにもそれを教えるカリキュラムだって必要になる。
当然、理解されないうちは反発だって大いに違いない。
だが、その恩恵がわかっている以上、やらないという選択肢は存在しないのだ。
幸運にも、そして不幸にも自分は最初に関わってしまった。
なら、自分が血反吐を吐くぐらい、たいしたことではないではないか。
「ふふふ……今私は、喜びで胃が痛い、という世にも珍しい感動と苦痛を味わっているのだよ」
意識の革命が起きるぞ、と。
その、地獄から出てくるような法税官の笑い声に、司書は頬からひやりとした汗が流れるのを感じていた。
末席とはいえ王宮に勤める文官である彼女には、目の前の法税官の言う言葉が、決して誇張でもなんでもないことを、理解したのである。
そして、その『革命』の片鱗に触れてしまった今、彼女にはつい先ほどまで普通に見ていた書類が、まるで『悪魔の契約書』に見えたのであった。
ちなみに、その『悪魔の契約書』の裏側には、『先生ありがとうございました!』という文字と共に、今まで診たことがないようなデフォルメがされた、法税官の似顔絵が書かれていた。
さて、そのころ王子はというと――
「王子! 王子から聞いた『中からインクが滲み出てくるペン』の試作品ですけど、どうでしょう?」
「うむ、最初のひとつとしてはなかなかだと思うが、まだ実用にはいたらないかな」
お抱えの技術職人たちのいる工房にて、頼んでいた『筆記用具』の試作品を確認していた。
王宮ではなく、『アノン』の私的な権限と財によって勝手に集めた職人たちで、人間だけでなく亜人――『神に見放されたもの』問わず、優秀な者達だけで揃えられている。
まだ差別が当然とされていた時代であり、アノンも立場があったため亜人たちの給料は正規のものより遥かに安かったが、それでも『他』に比べれば破格といっていい金額が渡されている。
また、金額が少ない分、『神に見放された者達』を相手にしても誠意と礼節を持って対峙しており、彼らからのアノンに対する評価は、全体的に高い。
なにより、アノン自体は給与やその他権利についてもできるだけ「人」と同じように扱おうとしていることを、立場上明確に口にはしておらずとも、皆なんとなくわかっていたからこその、その評価である。
そんな一人であり、「神に見放された者」である土小人族の銀細工職人は、試作品に対するアノンの評価にがっかりした表情を隠さず、だが意欲的な目でアノンに質問をする。
「そうですかい……ちなみに、どこがいけないので?」
「もう少し出てくるインクの量が少なくする必要があると思う」
「やっぱりそこですかい。まあ、あっしらも自分で使ってそう思いましたからな。そこは次回までに改善させていただきましょう」
ところで、と。
彼は一度、そう言葉をおいて、
「……で、王子。そりゃ何書いてるんですかそれ」
肩を落とした土小人がふとみれば、アノンは工房にあった図面作成用の定規を使い、妙な図形を書いている。
はじめは何かの設計図かとも思ったが、それにしてはぐねぐねと折れ曲がったり、なにやら柱のようなものが並んでいたりと、儀式で使うような文様のように見える。
土小人にそう聞かれて、アノンは手を止めないまま「ああ」と生返事をして、、
「せっかくなので、試し書きに、折れ線グラフとか棒グラフで推移表書いてる。年度ごとに同じようなこと書くのって面倒くさいから。三日後の学習のときに教師に見てもらおうと思ってな」
と、土小人にはまったく意味不明の言葉を返した。
(前の財務諸表、なんか受けがわるかったけど、グラフも一緒につければ先生わかってくれるかなー)
そんな、果てしなく軽いことを考えながら。
アノン王子直属の家庭教師を務める、四腕の法税官――胃の痛みが加速し、血反吐というか実際に吐血するまで――あと、三日。
次回
第十七話 『優しい王子は太陽の国の夢を見る ~始動~ 』
王子だってチーレム目指したい。主人公だもの。
だが出番はきっとあまり無い(確信)




