第十五話 『優しい王子は太陽の国の夢を見る ~開眼~ 』
この章はちょっと路線をかえて、アノンによる、みんな大好き内政チート物語です!
彼が最初に疑問に思ったのは、「何かが違う」という漠然とした感覚だった。
たとえばそれは、あまりに大きく見える月であったり、満天の星空による神秘的な明るさであったり、ともすれば夜になると妙に暗いと感じる町並みや、何をやってもついてくる物足りなさだ。
だが、一番の違和感は、自分の体、そしてソレに伴う妙な感覚についてである。
自分の腕は、左右に二つずつ、四本ある。
意識すれば自在に動かせ、それぞれ独立して違う動きをさせることができる。
脳がそれらをちゃんと意識して行えることも驚きであるが、それを「当たり前」だと感じてしまうそのものが、何かの不自然さを伴わずにはいられなかった。
自分が四腕族と呼ばれる種族であることは、しっかりと認識できている。
だが、腕が二つの「人間」とは異なる存在であることは理解できていながら、自分はその「人間」であるべきではないのかと常々思っていた。
また、己を取り巻く環境もそうだ。
衣食住が十分に補償されているどころか、金銭や権力で可能なことならばたいていのことは叶ってしまうという恵まれた環境に、彼はいつも違和感を感じていた。
だからだろうか。
彼はそういった環境にたいし、子供らしからぬ「感謝」をして生きていた。
誰かからそう教えられたのではない。ただ、それは当然すべきことなのだと、自分ははじめから知っていたかのように。
大抵の貴族、王族の子供がそうであるように、普通なら自分の環境こそが「普通」であり、それより以下の存在の世界などは考えもしないものである。
もちろん、心優しく育てられた淑女などは、きっと自分の召使いはもちろんのこと、たまたま目に留まった奴隷に慈悲をかけることもあるだろ
だが、それは「愛着」であったり「憐憫」といった感情ゆえの行動である。
決して、「感謝」ではない。
礼儀的に「ありがとう」ということはあるかもしれないが、心からその存在のありがたさや行動への礼として、自分より下の立場のものに「ありがとう」といえる権力者は、きわめて少ない。
それができるのは、部下や民、庇護する者達の辛さや努力を知り、それによって自分の生活が行えているのだという、実感を得た者だけだろう。たとえば徴収した民と戦場をともにした将軍だったり、民と一緒になり開墾を手伝うような変人の領主などだ。
だが、彼は幼くてそれを自然に行った。
誰かが仕事として彼のすることを手伝えば、その者には必ず感謝の言葉を述べ、自らの失態や過ちで誰かが迷惑をこうむったのであれば、それが誰であろうと謝罪する。
教育係がやめるように言っても、彼はそれを決して曲げず、そうあり続ける。
まるで、そうしなければ自分ではないと言うかのように。
そんな彼を、そのままでよいと最高権力者であり父である国王が認めたのは、彼にとって、そしてこの国、いや大陸の未来において、非情に幸運なことであったと、後の歴史家は語っている。
彼は、異端でありながらもそういった幸運にも恵まれ、そして愛され、すくすくと成長していった。
だから、好かれた。
家族はもちろん、臣下、家来、さらにはメイド、はたまた権利が制限され差別されている亜人の召使たちにすら。
ゆえに、彼が突然の頭痛と共に倒れたときは、王宮中が不安と悲しみの嘆きに満ちた。
専属の医師が必死の治療を試みても回復の兆しが見えないと聞けば、王は、兄である王子たちは財力と権力を賭して秘薬や医師を集めようとした。
文官たちは王宮の資料を洗いざらい調べて原因を探ろうとし、武官たちは万能薬となるといわれる猛獣の肝を取りに戦いへと向かった。
メイドたちはせめてできることをと何時も以上に清掃や身の回りの世話を行い、御用達の商人たちは損得勘定抜きに――もちろんそのことでの後の覚えを期待してもいただろうが――情報を集める。
亜人たちは進んで危険な地域にある薬草を取りにでかけ、一部においては一族の秘中の秘とされる薬学の提供をも検討し始めた。
だから、だろうか。
彼がその意識を取り戻し、誰もが歓喜の涙でそれを祝福した後、彼は前にもまして誠実に、謙虚に、だが民のために大胆に生きるようになったのは。
後にその「大いなる力」を発揮した彼ではあったが、そうなるのはまだ先のこと。
そのときの彼はまだ「最下位の王位継承緒者」に過ぎなかったが、このころからのカリスマがあったからこそ、その力が発揮されたときに民は喜んで受け入れたのかもしれない。
とまれ、幼き彼は権力に傘を着せることなく、まるでごく普通の平民であるかのように、勤勉に過ごしていったのである。
こんなエピソードがある。
王子がようやく数えで10を超えたある日のこと。
とあるメイドが廊下に備えられていた花瓶を磨いていたとき、たまたま通りかかった王子にあわてて挨拶をしようとした。
その際、振り返りざまに引っ掛けたメイド服により花瓶は倒れ、甲高い音を立てて割れてしまう。
それだけであれば、まだ罰金や軽い懲罰程度で済んだであろうが、なんとそのとき割れた破片が勢い良く飛び、王子の頬と足に傷を付けてしまったのである。
慌てふためくメイドに、彼は気にするなと継げて、医師の元にいき治療を行った。
そしてそのまま部屋に戻り勉強を行っていたのだが、執事の報告によりあのメイドが独房に入れられ、炭鉱送りか、鞭打ち――たいていの場合は死亡する、実質的な死刑――とするかの王子の判断待ちであることが伝えられた。
そのとき彼は大いに動揺し、執事にすぐさま彼女を解放し、一切の懲罰なしで職場復帰させるように命じた。
だが、困ったのは連絡を受けた当時の法官たちである。
安易に今回のことを見逃してしまえば、不可抗力を装っての王族への危害を認めてしまうことにもなりかねないからだ。
そして王子も、これは自分だけの問題ではなく、他の王族、つまりは兄や父母への危害を与える前例になりうることを理解し、苦悩した。
権力のみを利用したごり押しで認めさせようとすれば、後々、それが様々な形で跳ね返ってくることも予想できる。
権力があるからこそ、それを私的に使うことの恐ろしさを、彼はすでに理解していたのである。
そこで彼が取った行動とは――
「私は、自分が倒れ伏したとき、彼女が懇親的に私の世話をしていたと聞いている。つまり、彼女に危害を加えるつもりが合ったのであれば、その時点でいくらでもできたはずだ!」
「しかし王子、それは当時そのつもりがなかっただけで、今になって理由が発生した可能性がありますぞ?」
「異議あり!そうであるというならば、まず『その理由』となる根拠を貴方が提示するべきだ。私は過去に遊びで剣の玩具を振り回し父にこぶをつけてしまったことがあったが、そのとき『はじめから危害を与える心算であった』可能性がないといえるか?国法第三条、十二項に基づき、たとえ王族であれど故意に国王を傷つけた場合、最低でも流刑であるはずだ。にも関わらず私は一切お咎めを受けていない。この場合との差異やいかに」
「そ、その件については、国法第四条二十二項より――」
「異議あり!それは二年前のフィルマック裁判での判例と矛盾する!すなわちこれは――」
以上のように。
できる限り正規の手続きを踏んでの、きわめて公式な国法裁判での彼女の擁護であった。
本来であれば、略式裁判にて建前だけの形式的なやりとりだけが行われ判決が言い渡されるはずが、王子は直属の法務官たちを集めて「法にのっとった正しい手順」を駆使し、裁判を起こしたのだ。
今回重要なのは、今後意図的な王族への危害行動に対して安易に逃れることのできる抜け穴的な凡例を作らない、ということである。
そしてまた、ただの権力による特例措置という前例を作らないということもそうだ。
だから、この方法は妙手であった。
正規の裁判で弁護機会をつくるには庶民にとっては膨大な費用が必要になるし、また起こしたところで被害者が王族であれば、勝ち目などあるわけがない。だが、今回それを行ったのは、被害者であるはずの王子本人である。
仮に誰かが同じように王族に危害を与えたとして、今回と同じような対応を取れるわけがない。
きわめて正しい手順でありながら、尚且つ実現困難な方法を取る。
それが、彼の出した結論である。
本来の被害者となったものが、被疑者を弁護するというきわめて異例のものであり、且つその弁護する彼は数えで僅か10歳というこれまた常識外のものだった。
だが彼は優秀な法務官たちに支えられ、その裁判に堂々と、隙のない論理によって主張を訴えていく。
相手だった法務官も、メイドに叛意などないことは感情では理解しており、また本音では軽い処罰ですませたかったことも、結果につながった要因であっただろうが――王子は見事、この裁判に勝利した。
メイドは破損した壷の弁済費として一ヶ月の給料カットと反省文の提出のみという、もっとも軽い刑罰での判決となったのだ。
給料カットについても、内々に王子が彼女に私用を言いつけることでその褒章としてポケットマネーから金を渡す、ということを許可させて、賃金の埋め合わせにするという手の込みようである。
裁判に臨むにあたり、必死に国法を勉強し、くまだらけの目のまま長時間の裁判を乗り切った王子は、判決後を聞いた直後に倒れるように気を失い、そのまま夜まで眠りこけた。
またこの判決とそのときの王子のことが、独房にいたメイドに伝えられたとき、彼女はその場で泣き崩れ、王子に生涯の忠誠を誓ったという。
余談ではあるが、このときの王子の「異議あり!」という当時極めて斬新な反論の仕方が、陪審員への良い心象につながったとされている。そしてこの裁判を傍聴していた法務官たちもその影響を強く受けたらしく、その後裁判での法務官同士のやりとりでは、「異議あり!」「待った!」といった手順による弁論が実施された。
このように、王子が下々の者に対して必死の尽力を行ったというエピソードは数多く、また数々の証拠から、それが彼の人気ゆえの民草の作り話ではなく実際にあったことだということは、明記すべきだろう。
さて、そんな逸話多き幼い王子こと、アフェバイラ王国第三王位継承者、アノンであるが――
「うわあああああ! もういやぁぁぁぁぁ!」
裁判が終了したその日の夜、部屋で一人、むせび泣いていた。
まあ、様々な表現によって、周囲の彼に対する評価を記してきたが、ぶっちゃけ彼の本質を一言で書くならば
「なんで俺がかすり傷おったってくらいで、粗相したメイドが死罪とか炭鉱送りとかなのよ! 罪悪感はんぱなさ過ぎるでしょうが! 権力や地位がありすぎるとか怖すぎんだろおおおお! ちくしょおおおお!」
ごく普通の、小市民なのである。
前々から何かおかしいと感じ続けていたが、突発的に生じた頭痛で寝込んだときに見た夢で、前世であるのか誰か他人のものなのか、はたまたただの気狂いであったのか、「ここではない別のどこかを生きていた誰か」の記憶がはっきりと自分には焼きついた。
とはいったものの、今までの「四腕族」「王子」として生きてきた記憶や経験はそのままあるわけで、憑依したとかそういうのではない……と思う、多分。
生まれ変わりなどを信じていたわけではないし、こうなってしまった今だって信じていない。……のだが、感覚としてはこの焼きついた記憶は前世の記憶というのが表現としては一番妥当なように思えるし、それに「前の記憶」での価値観のほうが自分にはしっくり感じてしまうのである。
すくなくとも、あれは本当にどこかで存在している光景なんだろうなあと、あきらめ気味に受け入れるしかなかった。
考えてどうにかなるわけでもなし、その後もなるようになれと生きてきたが、「前」を自覚してしまった今ではどうしても今回の事件のようなことについて行けない自分がいた。
普段は一般ピープルとして――せいぜい会社の重役くらいに考えて過ごし、なにか起こったら、もうがむしゃらになんとかしようと奮闘するという、そんなんばっかりである。
力関係で言えばただの平民など見捨ててしまって王族としての立場に甘んじれば楽なのかもしれないが、生来――前世来の性根というべきなのか、雀百まで踊り忘れずよろしく、どうしても小市民的おひとよし根性が出てしまうのであった。
「もうやーだー!トイレ汲み取りで臭いし夜は電灯も無くて暗いしご飯は味が薄いし醤油ないし味噌ないしアイスくいてえコタツでみかん食いながら漫画読みてえアニメ見てえゲームやりてえエロゲしてえええええ亜人を虐げるとか馬鹿なのモフって癒されようよちくしょおおおおお!!」
不意に、コンコン、とノックの音。
「うむ、入れ」
「失礼いたします」
王子の返答により、入室してくる執事。
「王子、明日の学習のスケジュールについてですが」
「ああ、この国の産業と農業の分布、そして国税と資産の計算と記述について学びたいと思う。その専門の家庭教師を呼んでほしい
「御意」
「ああ、それから今日までの裁判手続きの補佐、ありがとう。お前にもいろいろ無理を言ってしまったな」
「いえ、そのお言葉こそ私の喜びですから。我々のことを想っていただける王子に仕えることができて、本当に、心から幸せに思いますぞ」
バタン、と。
退出した執事と、扉が完全に閉まったことを確認して、大きくため息。
「……あああああ……なんだよう……みんなあんな風に一生懸命俺に尽くしてくれてんのに自分だけ怠けられないじゃんかよう」
やはり、どこかの島国民族的メンタルでは、他が一生懸命なのに自分が怠けるというのは、往々にしてし辛いらしい。
止めとばかりに、「前」は休みなどろくに無い、「毎日が日曜日すなわち24時間働ける状態」な職業だったことも要因なのか、基本的にワーカホリックになる。
ゆえに、楽はしたいくせに、やることがないと不安になるのだ。
具体的にはペンもって何か描いていたい。
それに「休む」のと「休み」は似ていているようでまったく違う。
彼にとって「休み」というのは「することがない状態」や「体調管理として体を癒す時間」ではなく、「やらなくちゃいけないたくさんのこと」があるからこそ、無理をして取ったうえでだらけながら遊ぶものだからである。
「……それに、遊ぼうにも娯楽がなあ……」
そう。
他の国に比べて豊かであるとは思うが、全体的に娯楽らしい娯楽がないのである。
歌劇や演奏会など、まったくないわけではないのだが、高尚な趣味など小市民の自分にはどうしても受け付けなかった。
せめてものストレス解消にと、今回の裁判で「逆転無罪ごっこ」をしてしまったが、そのくらいは許してほしいものである。
「まあ、とりあえずは明日の勉強がんばるか……だけどこの国の帳簿とかって記載がまだるっこしいんだよな……貸借対照表と損益計算書でも書いて、ごまかすか。あのほうが楽だし。マイナス記号とかとりあえず『あっち』にあわせて……」
損益計算書、貸借対照表。
それぞれ「前の世界」においては一般的に使用されていた財務諸表である。
複式簿記と呼ばれる手法において、非常に重要となる表で、業務の内容やバックボーンなどを知らなくても、現状の資産、負債、収支の状態などが誰からもわかるように記述されているものだ。
ここでとある事実を明記しておこう。
アフェバイラどころか「この大陸」、おそらくは「この世界」の算術において、「負の数」などどこにも存在していない。
一応そういった概念に近いものは、ほんとうにごく一部の算術家が漠然と持ってはいたが、まだ「数式」としてですら表すことはできていなかった。解がマイナスとなる式は、「成立せず」として扱われていた時代である。
にもかかわらず、彼は一足飛び……どころか、「前の世界」でいえば数学史として1000年以上の飛躍による、「負の数の表記と帳簿として実用する」という形でそれを表そうとしている。
文化の発展とか改革とか歴史上の大発明であるとか、そんなことはいっさい考えなていない。
楽がしたいというただその理由のみで。
「……あー、そういやペンとか筆記用具も書き辛いんだよな。マシなのが羽ペンだし。そのわりに製紙技術は微妙に発展してるとかありがたいけどわけわからんわ。文字ならともかく絵を描こうとしたらペンも紙ももうちょっとマシなのにならないとなあ……。よし、ちょっと職人にボールペンとかGペンみたいなのとか作れないか聞いてみよう」
アノン王子、その「大いなる力」は未だ発揮されず。
だが、本人の自覚のないところから、アフェバイラの歴史的革命の第一歩が始まるまで、あと半日。
内政チート物語です(キリッ
……アレ?
アノン「そうだ!あっちの世界の知識で内政とか技術チートしてSUGEEEEE!って言われよう! 『王子すごい!ステキ、抱いて!』 『さすが王子ですわ!ステキ、抱いて!』……これね!」
次回 『小さな王子は太陽の国の夢を見る ~覚醒~』
かもしれない。