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九州大学文藝部 2026年 新入生歓迎号

犬、居眠り

掲載日:2026/04/09

 「わたしはずっと、いつまでも、この四角い教室のなかでおしゃべりをし続けて、百歳になったとき、何か都合のいいシステムの采配で天国までエスカレーター式に昇っていくのかもしれない、と思うことがある。このめまいにも似た印象について友人に伝えると、『キミコは抜けている』と言われた。たぶん実際その通りなのだけれど、その抜けた分は、誰も知らない、床下の配管やスカートの裏地、赤くて淫らな血液のなかに静かに潜んでいる透明ななにかへの嗜好に還元されて、わたしを構成するものになっているのだと、その友人に言ってやりたいとも思う」

 どうして、文章というものは、書いた当人の思考の鋭さをそのまま伝えることがないのだろう、とカネツキミコは思った。わたしはここに書いてある内容よりたしかで、優れたことを考えていたはずなのに。わたしは明らかにもっと賢い。わたしが日本語文法に忖度するんじゃなくて、むしろあんた、どっしりと不遜に構えている手前がすり寄ってきなさいよ、と現国の教科書を睨み付けるカネツに、友人のノリが「キミコぉ」と言って泣き顔でもたれかかる。どうやら彼氏とひと悶着あったらしい。はあ、どうして私の周りには中二女子の感傷を引きずっているおバカさんしかいないの、と首を傾げるカネツキミコのうなじのなめらかさに興奮して股関に手を伸ばしかけている男がここに一人。スギヤマの頭のなかはカネツのことでいっぱい。カネツは自分に向けられた性欲の微弱な波動を感じたのか、友人の泣き言にそれは悲しかったね、と同情とへつらいの声色で相槌を打っては肩のあたりをしきりにさすっている。面倒くさい友人への意趣返しのつもりで「かわいそうに」、と言ってみると、流石に相手もその皮肉に気が付いたのか「キミコって時々胡散臭いよね」と言う。その驚きの混ざった表情が少し可愛くて、この子と付き合っているのはこの顔を見るためかもしれない、とカネツは思う。ついでに、いつものチェシャ猫みたいなキメ顔でニヤリと微笑んでみせる。

 スギヤマはといえば、突然のカネツの笑顔に骨抜きにされ、悶絶し、彼の頭の中で彼女を賛美する言葉をタイプライターで叩き続ける昭和のオフィスレディのむっちりとした太ももを大激写。女はカタカタと高速で笑い続け、それに呼応して心臓が有り得ないスピードで拍動し、股関に大量の血液を供給する。優秀な盗撮ディーラーかつカメラマンとして界隈で崇め奉られている彼も、カネツには手が出せないらしく、彼女を前にしてはペンカメラを持つ手が震え、動揺を押し隠せないので、古き良き時代の手法、すなわち目の裏に控える感光板を伝って黒い幕にそのイメージを投射する手法を使うしかなかった。彼女についての記憶はシチュエーションごとにインデックスされ、スギヤマの性的な妄想と癒着しきっていた。例えばあ行の冒頭はこんな感じ。「青空の下、校庭で一世一代の」「朝顔を合わせた瞬間にビビッと来た場合」「アナルがまる見え」「アル中になったキミコ」……。


 空想に耽っていたスギヤマの不意を衝き、単純で美しい濃淡の升目が、カラフルな絵の具で塗りたくられてゆく。「おはよー」「おうシモノ」「おうヤリマクリ」ガラガラと教室の扉が開いて、四角や三角の言葉たちが、本日もイナゴの大群のようにぴょこぴょこと飛び跳ねる。スギヤマは机に突っ伏しているふりをしているが、聞き耳は立てていて、いつどこから飛んでくるか知れない灰緑色のパラノイアに備えている。「飛んでくる」という言い方は半分間違っている、という指摘はまさにその通りだ。その灰緑の厄介なイメージは全部スギヤマの感性が作り出した仮象でしかない。だれもスギヤマに興味はない。ゴキブリもその猫背の上を面倒な障害物だと思いながら這っていくし、その鼻面をズームすれば表皮ブドウ球菌やアクネ菌が摂食器官をため息混じりに皮膚に押し付けているのが見えるだろう。もちろんそれは彼のクラスメイトも同じことで、そこにあるということは知っているが、自分たちとスギヤマとの間にそれ以上の共通項を見いだせていない様子。クラスメイトたちはスギヤマを介して、意図せずして存在の思考へと辿り着く。彼らが日頃熱狂しているあらゆる分野におけるポップさと《存在》の神妙さを両立するために唯一可能な存在についての定義とは、あらゆる存在者について等しい意味で言われるただ一つのあるだということに……。


 そう、このことに気づけばあとは簡単である。《スギヤマ》 はなんだかよくわからないが存在している。それでいいじゃないか。「仲間にいれてあげてって? わたしは道徳の話をしているんじゃないの。同じ意味でわたしたちも、〈あれ〉も存在している。たしかに春から一言も喋ってるのを見たことがないってのはちょっぴりおかしいけれど、わたしたちが電車でとなりに座ってきたオッサンの体臭や将来の不安について話しているくらいのことで、否定できるものじゃないと思うわ。あんたが語っている『優しさ』なんてものは、自分勝手な制約なのよ」スギヤマのことがこの教室で久しぶりに(前回は一次方程式の簡単な問題を解くことができなかったときに、スギヤマがどうやってこの学校に入学してきたのか、と噂になった)話題に上ったというのに、彼ときたら今度はグースカ居眠りを始めてしまった。

 夢の中で聞いたカネツキミコの言葉は彼に無垢と忘却を与え、虹色のシャボン玉でいっぱいの浴槽の中で裸身の新一の背中のくびれの魅惑的な曲線を虹彩の海にまで伸ばし、罪悪感も、妄想の叫びもない原初の男色をもたらす。なあ新一、お前って頭が良いこと以外には何の持ち合わせもないウスノロだけど、俺のションベンを浴びている時だけは輝いて見えるよ、と平次が熊のような体を大きく震わせて生きた愛の疼きを、いつもの空き地の木枯らし吹く冬空にほとばしらせる。一晩中互いの内蔵をかき混ぜ合い、抉り合いながら理解したことは、本物のファックというのは武士道に等しいということ。真剣の素振りと精神統一は観念的な男色に対応する一方、剣の道においては時として「絶対」との対決を乗り越え、自己を超越することが必要で、それはすなわち尻の穴に一物を差し入れ、ナイーヴな少年たちが、寄りかかっていたその自我を破壊しつくされ非人称の天空へと至るのと同じことだと、カネツの一抹の優しさのなかで直観したのだった。



 今日はもうお開きって感じの午後。部室棟の最上階、日当たりのいい場所に将棋部の部室はあった。外から相変わらずの夕陽が差し込んできて、一同目をすぼめる。スギヤマの性格の悪さは一流で、こういう何気ない日常の素朴な美しさをぶち壊しにしたがる。


「シモノってオナニーすんの?」


「そりゃもちろんするけど……」

 

「じゃあさ、どんなオナニーをしてるわけ? 逆立ち? とんぼ返り? シモノってあんまりエロの話をしてくれないからさ、俺たちシモノがとんでもない性癖の持ち主なんじゃないかって睨んでるの」


 シモノは困ったような顔をして、意外にも美しいその口元を恥ずかしげにほころばせて言う。


「うーん、まあ基本的に、白人の女が黒人の大男に犯される動画で抜いてるかな」


 スギヤマは甲高い声を作ってオホホと高笑いし、シモノの顔を正面から見つめながら、「やってくれるじゃないのシモノ君。今度お姉さんが相手して差し上げるから覚悟しておきなさいよ」と言って追撃の二の矢がないか考えを巡らせている。

 シモノはいつも、スギヤマに対して強く出ることができない。下ネタ談義と言えば男子高校生の主戦場であるので、その前線に連れ戻されて喜びを感じているという考察にも意味があるかもしれない。渋々という顔をしていても、心の底では今に見つかるかもしれない獲物のために動悸がとまらない。中には下ネタ中毒に罹患し、並大抵の素材では満足できず、不感症を併発する輩も見受けられるとか。彼らはこうして堂々と宣言するに至るのである、”俺には感情がない”と。実際それはその通りで、タイムラインをスクロールする手は止まらないのに、喚起される感覚は遠い惑星の砂漠に置き去りにされた航海士の無線機がキャッチする宇宙ノイズに等しい。打ち棄てられた無線機は過酷な宇宙線への耐久を経て、飢餓、自我の崩壊、薔薇族への転向を難なく乗り越え、最も過酷と言われるインターネット依存の最終段階にあるとされる中毒患者の六つの運命のうち、ただ一つの帰路を掴み取った。それは、冷笑に徹すること。どこまでも冷笑であるようなひとつの冷笑がある。それがスギヤマ。今考えてみれば、冷笑というのはひとつの道徳的なコミュニケーションの手段であり、世界が冷笑によって閉じられているという前提のもとでそれより低い事柄、つまり人間的なあらゆる習慣を冷笑に従属させ、理解可能なものにしたいという、認識への意志であった。スギヤマは冷笑の天才だった。彼は的確に敵の弱点を突くことに、なだらかな世界の表面に亀裂を走らせカオスを湧出させることに、同級生の誰よりも長けていた。スギヤマが膨れ上がった羞恥心を冷静に押さえつけて、笑いになりきらない何かを顔面に貼り付けて口を開くその時、彼の友人たちは恐れおののき、沈黙によって、預言者への忠誠を誓う。


「シモノはその動画のどこがいいと思ってるわけ? なんというか、ステレオタイプすぎて、正直俺はドン引きしてるよ。シモノってもっと純情な奴だと思ってた」


 別にシモノは、白人の女が黒人に犯される動画に欲情しないというわけではなかった。もちろん、ヘテロの男たちが〈ママ〉を欲望するような仕方で、女性器の奇妙な形に執着するわけでもないし、胸にぶら下がる二つの脂肪の塊に挟まれていると豆粒程の小さな視床下部から幸せホルモンが溢れて止まらなくなる、というわけでもなかった。柔らかい組織と粘膜でできたか弱い器官を、まるで鉄を鍛えるための金床みたいに無造作に扱って、鋼を延ばして折り曲げて叩く作業を寡黙に繰り返す黒曜石の彫刻のような男の肩の盛り上がりに、硬い尻の肉に、押しつぶされてみたい、とは思っていたけれど。そういうわけで,彼らはシモノの快楽のギャラリーの最前列に並んでいた。自分が色白で女性的な顔立ちをしていることも後押しして、身体を曲げて喘ぐ白人の女たちに感情移入することも容易かった。シークバーが画面の端にぶつかって停止し、ピンク色のロゴマークが液晶の中央で開け放たれた窓のように微かに揺れている。

 そして、彼女がまたやってくる。「やっほー、シモノ君。別に、きみにはわからなくていいのよ、女の子の身体のこのやわらかさを。〈ママ〉を強姦したいという思いに引き裂かれて、泣きながらマスをかいたことのない、きみには、ね。(もしかすると、君は、〈パパ〉と一つになりたいなんて考えているんじゃないかな、そんな欲望は、間違っているし、今すぐ捨ててしまった方がいい。)今のグズグズを先延ばしにしていると、将来、すね毛がボーボーのオカマになって、落書きだらけの公衆便所で汚いおケツを吸って日銭を稼ぐ生活を続けることになるということを、よく考えたほうがいいわ」シモノは自らのアイデンティティの危機に関連して時々登場するこの女のことをカネツキミコと瓜二つの外見で想像していた。カネツキミコがいつも教室で振りまいている不敵な笑みは、不透明な思考の塊を貫き、それを透明化してしまうレーザーであり、可視光を超越したスペクトルからすべてを理解し、あの奇妙に誠実さの強調された意味深長な笑みを浮かべてまたこちらを伺うのである。カネツは数学がよくできるという噂は、シモノのなかで彼女がレーザーであることの重要な根拠となっていた。自分のように数学を愛することのできる人間には、ある種の純粋さがあるというのがシモノの信仰であり、以上のようなカネツについての理解は彼女への思慕と嫉妬が、協調しようとしてできた腫瘍のようなものなのかもしれなかった。

 彼の心のなかは、外界との接触によって生じたこのようなしこりでいっぱいで、その無数の不気味な肉の塊は彼を不安に陥れ、事あるごとに彼を脅かし、たとえばスギヤマのような無神経な人間が気付きもせずに踏み抜いてゆく選択肢の分岐とそれについての馬鹿げた予期について提言し、ナンセンスで陰鬱な行動を強制した。時に、さながら詩人のように、石ころや山、木などの自然物を妬み、憂鬱な気持ちになることもあったので手に負えない。「お前たちはいいよな、人間として生きる苦しみを知らずにいるんだから。いいか、恋ってのはカビた灰皿の遁走曲(フーガ)みたいなもんでさ、レシートも吸い殻も陰毛も、何もかもがごちゃ混ぜになってんの。でもその中で、竪琴の崇高な音色だけがピンと背筋を伸ばしてて、それにキスしなきゃならんってわけ」

 しかし、スギヤマという人間は、自分の抱いているような暗い感情とは縁がないのではないかとシモノは思う。あるいは、それらを一手に引き受けたせいで、すでに壊れてしまっているのか。なにもかもが薄っぺらくて、繊細さの欠片もないバカだけれど、少なくとも彼にはあらゆる深刻さを拒否するだけの不真面目さがある。スギヤマはシーシュポスをせせら笑う。あまりに脆くて、すぐに破裂してしまいそうな泡立ちの数々。ひょっとすると彼は、どうかその張りつめた薄膜を破らないでと哀願している幼い子供なのではないだろうか? 漫画のなかの、水の上をすいすいと歩く忍者に憧れているだけの小さな夢想家なのでは?



 頬杖をついて窓の外を眺めるシモノをつつきながら、おもむろにスマホを取り出したスギヤマはポップアップが喧しく飛び跳ねるウェブページを開いて動画を再生してみせた。

「おいシモノ、これ見ろよ」

 枯葉が絨毯のように積み重なる森の中、後ろ手に縛られた白人の男が疲労した顔で地面に横たわっている。ああ、こいつは前に見たことがある、とシモノは思った。部長のタルミが送ってきた「葬送のフリーレン」の反応動画にいたひときわ大きな声で喜ぶ白人のもじゃもじゃヘアのオタクじゃないか、とまで思考が先走った所で、思い直す。いや、彼がグロ系のまとめサイトに動画を投稿するわけがないだろう。背景にもう一人、さらに若く見える白人の男が増え、手にした大きなジャックナイフを振りかざす動きを繰り返しながらシモノの知らない言葉を、宛所のない怒りと共にレンズにぶつけている。


「僕こういうの苦手なんだけど」


「これは大丈夫なやつだから安心してくれ。ひぐらしみたいな感じで人は死ぬけど元気は出るタイプの動画だよ。北条沙都子が梨花ちゃんの腹を鋤でかき混ぜるシーンあったじゃん、あれみたいな感じ、いや、あれよりさっぱりとしてるかもな」


 「ひぐらしのなく頃に」は人が死にまくるし元気はでねえよ、と小さくツッコミを入れていると、手を縛られた白人の黒縁のメガネが地面に叩き付けられた。ああ、やっぱり、あいつだ。(いや、そんなことありえないのだけれど、)あいつ、殺されるんだ、今から、死ぬんだ。

 ナイフを持った細身の青年は、苛立たしげに横倒しになった身体をしきりに蹴り付けた後、顔を曇らせ、ナイフを投げ捨てると、倒木の脇からベレッタを取り出した。その重い銃身を見て、パーマの男は震え始め、懇願するように泣き始める。その声は、日本のアニメを熱く語っていたあの彼の声だった。パーマの彼は瞼を硬く閉じて、地底から響く音に身を任せようとするが、霧が濃く立ち込めた森は姿の見えない動物たちの鳴き声を混ぜ合わせ、重たく、脂ぎった、不快な反響に仕立て上げ、彼の慰安を求める意思を拒絶する。人間の残忍さというのは、被害者と加害者のこの特殊な結託のうちにあるのだよ。ほら見てみなさい。横たわる男のあの怯えた顔は、いきり立つ青年のものでもある。この極限の状況でさえ、人間は希望を持つことを止められない。彼は心のどこかで、安らかに会話ができるかもしれないと期待して、青年の顔の向こうに傷ついた自我と、誰かに見捨てられた過去を幻覚し、温かいスープと心温まる物語さえあれば分かり合えるのかもしれない、などと夢想していた。もし現世で分かり合えなくても、最後の審判の後でなら……。しかし、日常的な理解が定義できるのはおままごとの範囲に過ぎない。人間の顔など、わたしたちの注意を逸らすためのデコイでしかないのだ……。数分後に訪れる死の直観は、この無彩色の絶望と共に訪れ、予期せぬ優美さでくるりと一回転し、尻尾の鱗を鈍く光らせて消える。

 シモノは顔を背けるべきだと思った。こんなの見ても何にもならないって。スギヤマの訳の分からない趣味に付き合う必要はないんだ。けれど、それを見ないことは許されなかった。彼自身も、ベレッタの銃身を、その鉄の筒がこれから生み出すことになる轟音と破壊を見たことがあり、知っているから。撃鉄を落とし、雷管を叩いたのは、他ならぬ君なのだよ。

 小さな画面には、焦げた骨とともに開花した男の顔面が映し出されていた。


 抜け出してって 抜け出してって


 悲しすぎる運命から


 あなたは奈落の花じゃない


 そんな場所で


 咲かないで 咲かないで


 からめとられて行かないで


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