第8話 借金返済ダンジョン攻略──黒の洞窟で九頭竜(カラ・ヒュドラ)に遭遇しました
【第2刻限】残り13日12時間 ─ 現在BP:15 / 目標BP:40
(借金返済のために禁足地へ突っ込む領主って、なに?)
黒曜の森。
魔物の縄張りが重なり合う、死の迷路。
レイス・カランルクは、その闇の中を進んでいた。
頼りにしているのは、前世で5,000時間かけて叩き込んだ攻略Wikiの地図だけだ。
(実態は「借金返済のために死ぬ気で埋蔵金を掘り当てにいく」という、極めて自転車操業的な動機なんだけど)
「……レイス様。本当にこちらのルートでよろしいのですか?」
先頭を行くレイスの背に、カディルが恐る恐る声をかけた。
「問題ない。私の記憶に間違いがなければ、この先の『ねじれた古杉』を左へ。そうすれば魔物との遭遇は避けられる」
レイスは馬上で前を見据えたまま、淀みなく答える。
(……頼むから合っててくれよ、私の記憶!)
(座標までは覚えてないけど、マップの地形と特徴的な木の位置関係は頭に入ってるはずだ)
内心では冷や汗が滝のように流れていた。
だが今のレイスには、頼れるものが二つある。
前世、MMOSLG『覇道のヴァルディア』に費やした5,000時間以上のプレイ時間。
そして何より──この"詰みゲー領主"で大陸統一までやり切った廃人ゲーマーの実績だ。
(あの苦行に比べれば、この程度の道覚えなんて……いや、実戦はやっぱり怖いけど!)
「……見事です、閣下」
カディルが感嘆の息を漏らす。
実際、レイスの指示通りに進むと獰猛な魔獣との遭遇は一度もなかった。
「黒曜の森の地理まで把握しておられるとは……。やはり閣下は、我々の想像を遥かに超えた御方だ」
(いや、これWikiに載ってた「初心者向け安全採取ルート」そのまんまだから)
(まさか現実で攻略サイトの恩恵を受けることになるとは思わなかったけど)
やがて、木々の隙間から異様な気配が漂ってきた。
空気の温度が下がり、硫黄の臭いが鼻をつく。
目の前に現れたのは、巨大な黒曜石の岩盤に口を開けた闇色の空洞だった。
古代遺跡『カラ・マガラ』──通称、黒の洞窟。
「ここから先は禁足地です」
カディルが緊張した面持ちで告げる。
「伝承にある『多頭の悪魔』の巣窟……本当に進まれるのですか」
「財宝がある」
レイスは短く答えた。
「この領地を、そしてお前たちを食わせるためのな」
(借金返済のためです。あと私の命のためです)
レイスは馬を降り、カディルの左腕へ視線を落とす。
「それに、いい機会だ。お前に授けた力の程……試させてもらおう」
鈍い銀色の輝きを放つ『龍鱗の腕輪』。
第1刻限の報酬として、レイスが自分の強化(覚醒の刻印)を捨ててまで選んだ譲渡可能なアーティファクトだ。
「……承知いたしました。この身に代えても、閣下の道を切り開いてみせます」
カディルの琥珀色の瞳に、決意の炎が灯る。
(頼むよマジで! カディルだけが頼りなんだから!)
(序盤でここに来るとか、本来なら自殺行為なんだよ……!)
レイスは先頭を切って洞窟へ足を踏み入れた。
主君が先に行かねば、兵たちの恐怖心を払拭できないからだ。
もっとも、その背中がわずかに震えていたことに気づいた者はいなかった。
◇
洞窟内部は死のような静寂に包まれていた。
レイスの記憶にあるマップ情報を頼りに、一行は慎重に進む。
途中、黒曜の蛇との戦闘があったものの──
龍鱗の腕輪で強化されたカディルの剣技は凄まじく、危なげなく撃退することに成功していた。
(腕輪の効果、バッチリだ。これならいけるかもしれない)
だが、その希望的観測は最深部に到達した瞬間に打ち砕かれた。
広大な地下空洞の中央。
闇そのものが凝縮したような、巨大な影が鎮座していた。
九つの鎌首。
十八の深紅の瞳。
侵入者たちを見下ろすそれは──
『カラ・ヒュドラ』。
九頭龍とも呼ばれる、この遺跡の守護者。
息が、止まった。
喉の奥が張り付いたように乾く。視界の端が暗くなり、心臓だけが異常な速度で脈打つ。
(……これが、現実の『怪物』か)
全長は優に20メートル超。
漆黒の鱗が松明の光を呑み込み、吐き出す息は腐食性の毒を含み、地面の石を溶かしている。
「閣下、お下がりください!」
カディルが前に出て剣を構えた。
ギャオオオオオオッ!
ヒュドラの咆哮が空気を震わせる。
戦闘が始まった。
カディルが腕輪の力で加速し、ヒュドラの懐へ飛び込む。
銀閃。
一本の首が切り落とされ、ドサリと地面に落ちた。
暗赤色の血が石畳を濡らす。
「これで……!」
──だが。
切り口から黒い泡が吹き出し、次の瞬間には新たな肉が盛り上がった。
再生。
わずか数秒で、首は元通りになっていた。
「再生……! 化け物か」
カディルが歯噛みする。
(火だ! 火で焼かないと再生が止まらない!)
(でも、誰がやる? 騎士たちは手一杯だ!)
(……まさか私!?)
レイスが必死に策を巡らせていた、その時。
戦況が崩れた。
再生した首の一つがカディルの死角を突き、後方にいたレイスへと狙いを定めたのだ。
「閣下ッ!」
カディルの叫びは、どこか遠くで聞こえた。
巨大な顎が開かれ、鋭利な牙が迫る。
時間が引き伸ばされたように感じた。
音が消える。視界が狭まる。
レイスは反射的に目を閉じた。
──ガギィィィンッ!
硬質な音が響き、衝撃波がレイスの髪をかき乱した。
だが、痛みは来ない。
「……え?」
恐る恐る目を開ける。
目の前には、淡い黄金色の"光の壁"があった。
ヒュドラの牙がその障壁に阻まれ、火花を散らしている。
そして──
光の内側に、一人の少女が立っていた。
薄暗い洞窟の中で、そこだけが切り取られたように明るい。
腰まで届く金髪が、松明の炎を受けて揺れている。
わずかに尖った耳。
(エルフ……?)
レイスは息を呑んだ。
なぜ、こんな場所に。
なぜ、たった一人で。
なぜ、あれほどの結界魔法を使える?
少女が振り返る。
蒼穹色の瞳が、レイスを捉えた。
深く、透明で──どこか虚ろだった。
まるで、自分がここにいる理由すら分かっていないような。
「……危ない」
鈴を転がすような、か細い声。
それでいて、芯のある響き。
「……逃げて」
少女が結界を維持したまま、細い腕を掲げ直す。
腕を振ると、光の障壁が輝きを増し、巨大なヒュドラを弾き飛ばした。
20メートル超の巨体が、まるで小石のように吹き飛ぶ。
(……は?)
レイスは目を疑った。
(いや待って、今の魔法、おかしくない?)
(上級防御魔法どころじゃない。あのヒュドラを物理的に弾いた?)
(防御と攻撃を兼ねてる……これ、最上級クラスの術式じゃ……)
少女は振り返らない。
ただ静かに、ヒュドラと対峙している。
闘いの中にあってなお乱れぬ金糸の髪。
恐怖の欠片も見せぬ、凪いだ瞳。
だが──その横顔には、どこか痛々しさがあった。
戦い慣れている。慣れすぎている。
それが、彼女にとって当たり前の日常だったかのように。
(……何者だ、この子)
ゲーム知識にない存在。
攻略Wikiにも、どのルートにも登場しなかった少女。
それが今、レイスの命を救っている。
(でも、彼女一人じゃジリ貧だ。ここで決めないと全滅する)
レイスは震える膝を叩き、覚悟を決めた。
自分の魔力は低い。
だが貴族の嗜み程度の初歩火魔法なら使える。
火力はライター程度。
だが、傷口を焼くくらいなら──十分だ。
(私がやるしかない……!)
「……カディル! 私が合図したら首を落とせ!」
腹の底から声を張り上げる。
恐怖は消えていない。
だが勝機は、確かに見えた。
「私が焼く! お前が斬って、私が焼くんだ! そうすれば再生しない!」
「承知!」
少女の防御に合わせて、カディルが跳ぶ。
腕輪の力で強化された斬撃が、ヒュドラの首を刎ね飛ばした。
「今だッ!」
レイスは前に踏み出す。
恐怖で足が竦むのを無理やりねじ伏せ、右手を突き出した。
(やるしかない、やるしかない、やるしかない──!)
「──《ファイア》!」
掌から放たれた小さな橙色の火球が、鮮血を噴き出す断面に着弾する。
ジュウウウッ!
肉の焼ける音。
傷口が黒く炭化していく。
ギャアアアアアッ!
ヒュドラが苦悶の絶叫を上げた。
焼かれた断面は炭化し、新たな首は生えてこない。
「効いています! このまま押し切ります!」
そこからは、死闘だった。
少女の絶対的な防御。
カディルの圧倒的な攻撃力。
そして隙を突いて必死に放たれる、レイスの小さな火魔法。
三位一体の連携が、九つの首を次々と沈黙させていく。
最後の一本がカディルの剣で断ち切られ、レイスがその傷口を焼き尽くした時。
巨体は地響きを立てて崩れ落ちた。
「……終わった、か」
レイスはその場にへたり込みそうになるのを、気力だけで堪えた。
魔力切れ寸前の倦怠感が全身を襲う。膝が震える。
拳を開くと、爪の跡がくっきりと残っていた。
(は、はぁ~っ……死ぬかと思った……)
(いや実際、死にかけたんだけど。二回も)
深く息を吐き出してから、ふらりと倒れかけた金髪の少女のもとへ歩み寄る。
「……助かった。礼を言う」
レイスが声をかけると、少女はぼんやりとした瞳で見上げてきた。
汗一つかいていない白い肌。
戦闘の後とは思えぬ、乱れのない髪。
だが、その蒼穹色の瞳の奥には──迷子の子供のような、心細さが揺れていた。
強大な力を持っているのに、どこか頼りない。
まるで、自分の居場所を探しているような。
「お前は……何者だ? なぜこんなところにいる」
少女は首を小さく傾げる。
「私は……フィーネ。それだけは、覚えている」
レイスが次の問いを口にする前に、少女は続けた。
「……分からない。気づいたら、ここにいた」
記憶喪失。
レイスは彼女の様子を観察する。
ゲーム知識にないキャラクター。
当然、BPなど分かるはずもない。
(契約が可能かどうか……完全にガチャだ)
(でも、あのバリアは本物。今の我が軍には喉から手が出るほど欲しい戦力)
そして何より──
(この子、放っておいたら死ぬな)
記憶がない。行く当てもない。
こんな危険な場所に一人でいた理由すら分からない。
それでも、レイスを守るために立ち塞がった。
(……なんか、ほっとけないんだよな)
レイスは決断した。
手を差し出す。
「行く当てがないなら、私の城に来い」
フィーネと呼ばれた少女の蒼穹色の瞳が、わずかに揺れた。
迷うように視線を彷徨わせた後、そっとレイスの手を取る。
その手は氷のように冷たかった。
「……ありがとう」
フィーネの声は、まだどこか虚ろだった。
だが、その瞳には──ほんの微かに、光が灯ったように見えた。
(記憶喪失……本当にそれだけか?)
レイスは彼女の蒼穹色の瞳を見つめた。
深い。深すぎて、底が見えない。
(この子が本当に信頼できるかも、まだ分からない)
(ゲームに存在しないキャラクター。それは最大の不確定要素だ)
(焦るな。まずは、彼女を知ることからだ)
レイスはフィーネの手を放し、ゆっくりと歩き出した。
◇
ヒュドラの背後にあった宝物庫には、予想通りの──いや予想以上の財宝が眠っていた。
古代の金貨が山のように積まれ、宝石が燭台の光を受けて虹色に輝く。
そして貴重な黒曜石の原石。
「閣下……! これだけの量があれば……!」
カディルが震える声で言う。
レイスは冷静に、頭の中で電卓を叩いた。
(……借金の完済には全然足りない。桁が一つ違う)
(でも、当面の返済分と運転資金にはなる。半年……いや、上手く回せば一年は延命できる)
根本的な解決には至っていない。
だが、即死は回避した。
(一歩ずつ。一歩ずつだ)
(自転車操業でも、止まったら死ぬ。漕ぎ続けろ、私)
自転車操業のペダルを漕ぎ続けるための燃料は確保できたのだ。
「帰還する。負傷者を運べ」
レイスは短く命じ、出口へと向かった。
視界の隅に、赤い数字が浮かぶ。
【残り12日00:15】
借金問題は一時的に棚上げできた。
だが刻限は待ってくれない。
次はBP稼ぎだ。
目標まで、あと25ポイント。
(次は……ナズか)
異母妹。
血は繋がっている。
だが、あの子の目は──何を考えているのか、読めない。
そして、もう一つの不確定要素。
レイスは、隊列の後方を歩くフィーネを振り返った。
金髪が、洞窟の出口から差し込む光を受けて揺れている。
その表情は相変わらず読めない。
(ゲームに存在しないキャラクター)
(あの魔法の強さは本物。でも、それ以外は何も分からない)
(……まあ、焦っても仕方ない。様子を見よう)
◇
城に戻ると、レイスは真っ先にフィーネを医務室へ運ばせた。
「閣下、お連れの方は……」
城の医師シファが、若草色の瞳でフィーネを診察する。
脈を取り、瞳孔を確認し、魔力の流れを探るように額に手を当てた。
やがて、彼女は首を横に振った。
「これは……病ではありません」
「病ではない?」
「おそらく、呪いか封印の類かと」
シファの声には、困惑と無力感が滲んでいた。
「記憶を封じる術式が、彼女の魂に直接刻まれています。……申し訳ございません、閣下。私の手に負える領域ではありません」
(やっぱりか……)
レイスは内心でため息をついた。
(ゲームに存在しないキャラクター)
(あの魔法の強さは本物。でも、それ以外は何も分からない)
(……まあ、焦っても仕方ない。様子を見よう)
答えは、まだ出ない。
「分かった。引き続き体調だけは看てやってくれ」
「承知いたしました」
フィーネは静かに眠っていた。
金色の髪が白いシーツに広がり、まるで絵画のように美しい──が、その正体は闇の中だ。
誰が、何のために、彼女の記憶を封じたのか。
そして──なぜ、あの遺跡に「置かれていた」のか。
その答えを知る者は、まだこの世界のどこにもいない。
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【第2刻限】残り12日0時間 ─ 現在BP:15 / 目標BP:40
<レイスのひと言:攻略Wikiは正義。でも、Wikiに載ってない美少女が一番怖い>




