第7話 勝利の代償は借金まみれ──第2刻限、BP40の地獄が始まる
【第2刻限】残り 13日 21:05 ─ 現在BP:15 / 目標BP:40
従軍書記官の記録によると──
新暦20024年、春の初め。
アテシュ軍撃退の翌日、レイス・カランルク閣下は勝利の祝宴を催すことはしなかった。
多くの将兵が浮足立つ中、閣下は一人執務室に籠もり、沈黙を守り続けたという。
配下たちは囁き合った。
「閣下は一夜の栄光に酔うことなく、既に次なる布石を打っておられるのだ」と。
その禁欲的な姿勢と、未来を見通す冷徹な眼差しこそ、
弱冠16歳にして辺境を守り抜いた若き覇者の器である──そう、彼らは信じて疑わなかった。
もっとも、当の本人が真っ先に考えていたのは「二度寝したい」ということだけである。
賢者の沈黙と怠惰の沈黙は、外から見れば区別がつかない。
◇
窓から差し込む朝日の眩しさに、レイスは顔をしかめて目覚めた。
三時間の仮眠。
限界まで酷使された肉体には、瞬きするほどの短さにしか感じられない。
重い瞼をこじ開け、ぼんやりとした頭で視界の右上を確認する。
そこには、無慈悲な赤い数字が浮かんでいた。
【残り 13日 21:05】
(……は?)
昨夜、カディルと契約して第1刻限をクリアした直後、
表示は「残り14日」だったはずだ。
たった三時間寝ただけで、きっちり三時間減っている。
当たり前だが、納得はできない。
深々とため息をつきたい衝動を、必死に飲み込む。
執務机の上には、昨夜の「選択」の結果が静かに置かれていた。
鈍い銀色の光を放つ、重厚な腕輪。
表面には精緻な龍の鱗の模様が刻まれている。
『龍鱗の腕輪』
龍族の遺産の一つであり、装備者の身体能力を1.5倍に強化するアーティファクトである。
昨夜、意識が途切れる寸前。
点滅する二択のウィンドウ──
『龍鱗の腕輪(譲渡可)』か、『覚醒の刻印(譲渡不可)』か。
成長速度2倍。
聞こえはいいが、要するに「努力しろ」ということだ。
(私が剣を振っても、カディルの足元にも及ばない。なら、振れる人に渡す)
迷いはなかった。
震える指がAのアイコンに触れた瞬間、光が弾けて腕輪が実体化した──のが、昨夜の記憶の最後だ。
コン、コン。
思考を遮るように、控えめだが芯のあるノックの音が響く。
「……入れ」
短く応じると、重厚な扉が開き、一人の騎士が姿を現した。
「失礼いたします、閣下」
カディルだ。
昨夜の契約の高揚が冷めやらぬのか、入室するなり直立不動。
琥珀色の瞳が、真っ直ぐにレイスを見つめていた。
その顔には、契約を経て以前にも増した忠誠の色が宿っている。
「昨夜の忠誠、確かに受け取った。……ちょうどよい。これはその証だ」
レイスは机上の腕輪を手に取り、カディルに差し出した。
一瞬、カディルの瞳が揺らぐ。
「これは……閣下、まさか」
「龍鱗の腕輪だ。装備すれば、お前の力は今の1.5倍になる」
カディルの表情が、驚愕から畏敬へと変わっていく。
震える手で、空中の腕輪を見つめた。
「こ、このような貴重な品を……私などに……」
「私などに、ではない」
レイスは尊大に、断固とした口調で言い切る。
「お前は私の盾だ。盾が砕ければ、私は死ぬ。当然の投資だろう」
嘘ではない。
ただ、全部でもない。
本音を言えば、私のBP15はすべてカディルだ。
彼が死ねば、私も道連れ。
だから強くなってもらう。生き残ってもらう。
これは信頼じゃない。
保険だ。
カディルはその場に片膝をつき、両手で恭しく腕輪を受け取った。
「……この命に代えても、閣下をお守りいたします」
「命に代えるな。生きて守れ」
「ははっ!」
カディルが腕輪を左腕にはめる。
カチリ。
乾いた金属音と共に、腕輪が収縮した。
皮膚に吸い付くように密着し、まるで体の一部になったかのようだ。
次の瞬間──カディルの腕の血管が、青白く浮き上がった。
龍の鱗を模した模様に沿って、光が脈打つように走る。
「……っ」
カディルが息を呑んだ。
瞳孔が一瞬だけ開き、すぐに収縮する。
「これは……指先まで、力が行き渡るような」
自身の拳を握りしめる。
ギチリ、と革手袋が軋む音。
「身体の芯から、熱い何かが湧き上がってきます。……これほどの宝を、私に」
カディルの声が震えた。
「レイス様。必ずやこの力、閣下のために振るいます。たとえ地獄の底であろうと、私の剣は主君の道を切り開くと誓います」
「それでいい。存分に使え」
レイスは鷹揚に頷いてみせた。
内心で安堵する。
これで次の戦闘の生存率は上がった。たぶん。
コン、コン。
再び扉がノックされる。
「お兄様、お約束の時間です。入ってもよろしいでしょうか」
鈴を転がすような、しかしどこか切羽詰まった少女の声。
レイスとカディルが同時に扉の方を向いた。
昨夜、ナズに「明日の朝一番で」と約束させられたのだ。
彼女にとっては死活問題なのだろう。
「……入れ」
扉が開き、一人の少女が姿を現した。
艶やかな黒檀色の髪に、夜空のような紺色のドレス。
深紫の瞳が、不安げにレイスを見つめる。
異母妹、ナズ・カランルク。14歳。
その華奢な腕には、昨夜と同じ──いや、付箋が増えたように見える分厚い帳簿が抱えられていた。
「お兄様……少しはお休みになれましたか。昨夜はお顔の色が……」
「大事ない。少し疲れただけだ」
三日間不眠不休で働いて、死ぬ気で戦って、即死回避した直後だ。
「少し」ってレベルじゃない。
だが、妹の前で弱音は吐けない。
ナズの瞳が、ほっと和らぐ。
だが、視線が帳簿へ落ちるとすぐに表情が曇った。
「……あの。お兄様。昨夜の続きなのですが……」
彼女は帳簿を胸に抱きしめたまま、言いよどむ。
「やはり、どう計算し直しても……このままでは……」
昨夜の悲鳴が脳内でリフレインする。
『このままでは、一ヶ月で財政が破綻します!』
「……見せてみろ」
覚悟を決めて手を伸ばす。
ナズがおずおずと差し出した帳簿を開く。
そこには、地獄が広がっていた。
『今月の収支報告書』
収入:金貨120枚(税収80、その他40)
支出:金貨890枚
レイスは眉間を押さえた。
7倍以上の赤字。
内訳を見る。
戦費、金貨200枚。城壁の修繕費、150枚。負傷者の治療費、80枚。
そして──
捕虜・投降者の食費:金貨300枚(月額)
黒猫運輸への報酬:金貨160枚(未払い分含む)
指先が冷たくなっていく。
勝ったのに。
勝ったご褒美がこれだ。
(前の会社で見た「黒字倒産」ってやつだ。売上はあるのに、キャッシュが回らなくて死ぬ)
いや、違う。あれより酷い。
あっちは黒字だった。こっちは最初から赤字だ。
しかも失敗したら、経理部長が泡を吹くだけでは済まない。
領民が飢える。兵が逃げる。
そして私は──存在ごと消される。
「お兄様……」
ナズが悲痛な顔で俯く。
「申し訳ありません。私がもっと上手くやりくりしていれば……」
「お前のせいではない」
帳簿から顔を上げ、異母妹を見る。
華奢な肩が、重荷に押し潰されそうに縮こまっていた。
この領地は、父の代から慢性的な赤字だった。
それを維持してきたのがナズだ。
不要な調度品を売り払い、食費を切り詰め、
時には自分のドレスすら仕立て直して、破綻寸前の領地を支えてきた。
ゲームだとナズは「守られヒロイン枠」と言われていた。
とんでもない。
うちの会社なら「あの子がいないと回らない」と囁かれる、影の功労者タイプだ。
だが、そんな彼女のやりくりも、
今回の勝利による負担増で限界を迎えていた。
「顔を上げろ、ナズ」
レイスは尊大な口調で告げる。
内心の焦りは、鉄仮面の下に隠して。
「お前の管理は完璧だ。責める必要はない」
「ですが……このままでは、数ヶ月以内に領地は……」
「金なら、作る」
ナズが深紫の瞳を丸くした。
「作る、とは……?」
レイスは立ち上がり、窓際へ歩み寄る。
窓の外、北の方角には鬱蒼とした森が広がっていた。
『黒曜の森』。
漆黒の木々が茂る、魔物の領域。
昨日までは戦場だったその場所が、
今のレイスには別の意味で見えていた。
(埋蔵金。ゲームで何度も掘り当てた、あの財宝)
脳内で攻略Wikiを検索する。
黒曜の森の最奥部。地下に広がる古代遺跡。
通称「カラ・マガラ」──黒の洞窟。
龍族時代の遺産、莫大な財宝が眠る場所。
ただし、推奨レベルは中盤以降。
Wiki提示版には『序盤は死ぬから行くな』と赤字で書かれていた。
普通にやったら死ぬ。
でも、トラップ位置は知っている。ボスの弱点も知っている。
それに──
レイスはカディルの左腕に光る腕輪を見やった。
身体能力1.5倍。
あれがあれば、戦闘力は一気に跳ね上がる。
(賭けだ。でも、座して死ぬよりマシ)
「カディル」
騎士団長の名を呼ぶ。
「明朝、北へ向かう。精鋭を5名選べ。人選はお前に任せる」
カディルの表情が引き締まる。
「北……閣下、まさか」
「カラ・マガラだ。黒曜の森の奥の古代遺跡。そこに、この領地を救う財宝が眠っている」
その名を聞いた瞬間、カディルとナズの顔色が同時に変わった。
「正気ですか」
カディルが声を荒らげる。
「あそこは魔物の巣窟です。カラ・ヒュドラが……閣下、お体が……!」
「お兄様、駄目です! カラ・ヒュドラは正規の騎士団でも敵わない怪物だと……!」
知っている。
序盤パーティで行くと全滅確定」と攻略Wikiに書いてあった。
カラ・ヒュドラ。首を落としても瞬時に再生する悪夢の多頭蛇。
「……それと、もう一つ。お兄様」
ナズが躊躇いがちに続けた。
「黒曜の森で、異変が起きているという報告が……」
「異変?」
「はい。森の魔物が、いつもより凶暴化しているそうです。三日前から猟師が二人、森から戻っていません」
レイスの背筋を、嫌な予感が走る。
ゲームでは『季節イベント』で魔物が強化されることがあった。
今がその時期だとしたら──推奨レベルがさらに上がっている可能性がある。
だが、選択肢はない。
座して借金死するか、リスクを取って財宝を狙うか。
どちらを選んでも、失敗すれば死ぬ。
(……ガチャと同じだ。引かなきゃ当たらない。でも引いたら爆死するかもしれない)
違う。ガチャなら課金すればいい。
こっちはリセマラも課金もできない。一発勝負だ。
レイスは二人を見据え、静かに、だが断固として告げた。
「勝算はある」
そしてカディルの左腕を指差した。
「その腕輪の力、試してみたいと思わないか?」
カディルが息を呑む。
琥珀色の瞳に、理解の光が灯った。
「……主君は、最初からこのために……?」
違う。
正直、カディルが死なないための保険だった。
結果的にこうなっただけだ。
でも、そういうことにしておいた方がいい。
「覇王」は常に先を読んでいなければならない。
たとえそれが、後付けの理由であっても。
レイスは答えず、不敵に微笑む。
内心のビビリは、鉄壁のポーカーフェイスで覆い隠した。
「明朝、日の出と共に出発する。……ナズ、留守を頼む」
「お兄様……」
ナズの深紫の瞳が揺れる。
不安と、それでも兄を信じたい気持ちがせめぎ合っているのが分かる。
やがて彼女は意を決したように、深く頭を下げた。
「……ご武運を、お祈りしています」
その言葉に、レイスは小さく頷いた。
大丈夫。攻略Wikiは熟読済みだ。
弱点は首の根元。火で焼けば再生しない。
……たぶん大丈夫。きっと大丈夫。
自分に言い聞かせるように、何度も心の中で繰り返す。
窓の外では、黒曜の森が黒々と広がっている。
その奥に眠る怪物が、口を開けて待っているようだった。
だが。
ふと、視界の端に映った数字が、レイスの思考を止めた。
【残り 13日 12:00】
三時間前より、さらに9時間が過ぎている。
書類仕事と会話だけで、半日近くが消えていた。
時間が足りない。
金も足りない。
そして、行方不明の猟師二人。
一体、何が待っている──?
レイス・カランルクの、終わりのないデスマーチは、まだ序章に過ぎなかった。
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【第2刻限】残り 13日 12:00 ─ 現在BP:15 / 目標BP:40
<レイスのひと言:納期も予算も足りないのに、追加案件が来た>




