第6話 残り5分。忠誠を得られなければ存在消去──その絆は、死よりも重い
【第1刻限】残り 00:05:15 ─ 現在BP:0 / 目標BP:15
あと5分。
カップ麺が出来上がる程度の時間で、カディルと契約しなければならない。
できなければ、私は消える。
(……なんでこうなった)
勝利したのは、つい数時間前のことだ。
アテシュ軍を撃退し、捕虜220名を獲得し、黒猫運輸30名を味方につけた。
だが、勝利の余韻に浸る暇などなかった。
その瞬間から「戦後処理」という名の地獄が始まっていた。
「閣下、備蓄庫の食糧が底をつきそうです」
「閣下、捕虜の一部が『寝床が寒い』と騒いでおり……」
「閣下、井戸の水汲みが追いつきません」
「閣下、ナズ様が帳簿を持って何度もお見えになっておりますが……」
(ナズ……異母妹か。財政の話だろうけど、今はそれどころじゃない)
「後にしろ。今は手が離せん」
次々と持ち込まれるトラブルの報告。
執務机に座るレイスは、こめかみを押さえながら、うわごとのように指示を出し続けていた。
「……捕虜にはとりあえず湯を配れ。固形物は一日一食でいい」
「寝床は藁を敷け。文句がある奴は外で寝かせろ」
「水は……黒猫運輸を交代制で回せ」
(ああもう、うるさいなぁ! キャパオーバーだってば!)
内心の悲鳴とは裏腹に、口から出るのは冷静な指示だけ。
前世のデスマーチ明けのような鈍重な頭痛が、こめかみの奥で脈打つ。
そして何より。
視界の右上で点滅する赤い数字が、精神をゴリゴリと削っていく。
【残り 00:04:30】
また1分近く減った。
(やばい、やばい、やばい)
この偏頭痛も、山積みの書類も、すべて綺麗さっぱり消えてなくなる。
私の存在ごと。
(……いや、ある意味その方が幸せなのか?)
不吉な思考がよぎる。
だが、生存本能が即座に否決する。
まだ死ねない。
せっかく勝利したのだ。
この勝利の味──そして、その後に来るであろう泥のような睡眠──を味わうまでは、死んでも死にきれない。
「……閣下?」
不意に、カディルの声が近くで響いた。
顔を上げようとして──世界がぐらりと傾く。
「ッ……」
視界が暗転した。
三日間の不眠不休。慣れない乗馬。極度の緊張。
虚弱な16歳の肉体は、とっくに限界を超えていたのだ。
椅子から崩れ落ちそうになった身体を、鋼のような腕が支えた。
「閣下! しっかりなさいませ!」
鎧の冷たい感触。
革と汗の匂い。
(あ、やば……かっこ悪い……)
レイスは薄れゆく意識の中で、必死に体裁を取り繕った。
領主が倒れては、兵の士気に関わる。
なけなしの気力を振り絞り、カディルの腕を借りて立ち上がる。
「……騒ぐな。少し目眩がしただけだ」
「目眩、などと……! 顔色が土気色ですぞ! すぐに休息を……」
カディルの指摘はもっともだった。
鏡を見なくても分かる。今の自分は、連勤14日目のSEと同じ顔をしているはずだ。
「ならん」
レイスは首を横に振った。
休んでいる暇はない。
あと4分と少ししかないのだ。
「まだ終わっていない。……確かめねばならんことがある」
「確かめる? 今はそのようなことよりも、お体のほうが……」
「カディル」
レイスは騎士団長の言葉を遮り、その腕を強く掴んだ。
細く、震える指先。
だが、爪が食い込むほどの必死さがそこにはあった。
(今しかない。このタイミングで自分からクロージングかけるしかない)
意識が飛びそうだ。
だが、ここで意識を失えば──目覚めることは二度とない。
「……私に、忠誠を誓えるか」
乾いた喉を無理やり震わせ、告げた。
カディルは沈黙している。
その数秒が、永遠に感じられる。
(お願い、早く答えて!)
(あと3分しかないの!)
(ゼロになったら私、消えるんだけど。物理的にロストするんだけど!)
外面では威厳ある沈黙を保ち、内心では絶叫してのたうち回っている。
これが、悪夢のような7日間の果てに辿り着いた「答え合わせ」の瞬間だった。
カディルがゆっくりと口を開く。
琥珀色の瞳が揺らいだ。
「閣下……」
言葉を詰まらせたその瞳には、深い畏敬と、隠しきれない動揺が滲んでいる。
(何その顔。……泣きそう? いや、私の方が泣きたいんだけど)
だが、レイスは理解していた。
目の前の騎士は、この7日間のすべてを見ていたのだ。
黒狼団との戦い。
浄化の魔道具。
アテシュ軍との決戦。
そして今、立っていることさえ辛い体を押してなお「忠誠」を問うている。
(……頼むから、早く返事して。あと2分切ったよ!?)
「……愚問でございました」
カディルは静かに言い、支えていた手を離した。
そして、その場に片膝をつく。
兜を脱ぎ、脇に抱える。
短髪が露わになり、古傷のある精悍な顔が、真っ直ぐにレイスを見上げた。
「貴方様が、そこまでして守ろうとするこの領地……そして我々の命。もはや、迷いはありませぬ」
カディルは腰の剣を抜き、刃を両手で捧げ持つ。
騎士における最上級の服従の礼。
「我が剣、我が命。全てを、閣下にお預けします」
「どうか、この剣を……お使いください。我が主よ」
その瞬間。
レイスの視界が、眩い光に包まれた。
『条件達成を確認。対象:カディル・デミルチ』
『【魂刻の絆】を発動します』
温かい奔流が、胸に流れ込んでくる。
それは単なる魔力ではない。他者の「生命」そのものが、魂の回路を通じて繋がった感覚。
『BP15を獲得』
『現在BP:15 / 目標BP:15 ─ 第1刻限、達成』
(……っ! き、来たぁぁぁぁぁッ!)
レイスは内心で絶叫した。
歓喜のあまり、貧血で再び倒れそうになるのを必死でこらえる。
さらに、システムメッセージが続く。
\*\*『【絆の共鳴】ガード(防御強化)を習得しました』\*\*
(ガード……うん、知ってた。カディルだもんね。地味!)
(ビームとか出ないの!? まあ、死にたくない私には一番合ってるか……)
内心でツッコミを入れつつ、レイスは震える手でカディルの剣に触れた。
ひやりとした鉄の感触。これが契約の証だ。
(……また一人、嘘をつく相手が増えた)
ふと、そんな思考がよぎる。
カディルは「レイス・カランルク」に忠誠を誓った。
中身が前世の日本人OLだとは知らずに。
私の正体を知ったら、この人はどんな顔をするだろう。
(……考えるな。今は、生き延びたことを喜べ)
レイスは暗い感情を振り払い、言葉を紡いだ。
「……受け取った。カディル。その忠誠に報いよう」
「ははっ!」
カディルが深く頭を下げる。
その背中が、以前より一回り大きく、頼もしく見えた。
◇
刻限達成のファンファーレ(脳内のみ)が鳴り止むと同時に、新たなウィンドウが浮かび上がった。
\*\*『刻限報酬を選択してください』\*\*
目の前に、二つのアイコンが提示される。
【選択A】龍鱗の腕輪(譲渡可能)
効果:装備者の身体能力を1.5倍に強化する。
【選択B】覚醒の刻印(譲渡不可)
効果:自身の潜在能力を解放し、成長速度を2倍にする。
(……究極の二択、ってやつね)
Aを選べば、カディルに渡して「今」の戦力を上げられる。
私の盾が強くなれば、生存率は上がる。
Bを選べば、この貧弱な身体も少しはマシになるかもしれない。
長期的には、私自身が強くならなければ──
(いや、待って。成長速度2倍とか言われても、筋トレする元気ないし)
Aに傾きかけた思考。
だが、すぐに別の考えが浮かぶ。
(でも、この先もっと強い敵が出てくる。私自身の成長に投資した方が……)
(いやいや、今を生き延びなきゃ未来もないでしょ)
(でも筋トレ嫌だし)
(いや、それは理由になってない)
頭の中で、元OLの理性と本能が激しく議論を交わしている。
「……閣下?」
カディルの怪訝そうな声が聞こえた。
虚空を見つめたまま固まるレイス──傍目には、深い思索に沈んでいるように見えただろう。
(ああもう、決められない! どっちもメリットあるし!)
まさにガチャの確定演出で「どの10連から開けるか」で悩む時と同じ。
いや、それよりタチが悪い。選ばなかった方は永久に失われるのだ。
(とりあえず保留で──)
そう思った瞬間だった。
ピロン♪
軽快な通知音と共に、無慈悲な赤い文字が視界を埋め尽くす。
『第2刻限、開始』
【第2刻限】残り14日0時間 ─ 現在BP:15 / 目標BP:40
「……は?」
レイスの目が点になった。
(え、待って。報酬まだ選んでないんだけど)
慌ててウィンドウを確認する。
報酬選択のアイコンは──まだそこにあった。消えていない。
『報酬選択期限:第2刻限終了まで』
(あ、選択は持ち越しできるのね……よかった……いや、よくない!)
問題は報酬ではなかった。
(40……?)
(今、15だよ? あと25ポイント?)
カディル一人落とすのに、死ぬ思いで7日間かかったのだ。
それを、あと二人分?
しかも借金まみれの状態で?
「……閣下? いかがなさいました?」
「……いや。なんでもない」
レイスは乾いた笑い声を漏らした。
「ただ、神という名のクライアントを、少しばかり呪っていただけだ」
(報酬を選ばせる前に次のタスクを積んでくる上司《神》は、コンプラ的に完全にアウトだと思います)
どうやらこのブラック企業《異世界》には、有給休暇も代休も存在しないらしい。
「……カディル。下がってよい。私は少し休む」
「はっ! ……あ、閣下。最後に一つ報告が」
「なんだ」
「先ほど、ナズ様がまた帳簿を持ってお見えになりました。今度は血相を変えておいでで……」
嫌な予感が背筋を走った。
(さっき追い返したのに、また来たのか。よほど切羽詰まってるな……)
「……何と言っていた」
「『お兄様に緊急でお話があります』と──」
バタンッ!
カディルの言葉が終わる前に、執務室の扉が勢いよく開け放たれる。
「お兄様!」
紺色のドレスを纏った少女が、深紫の瞳を潤ませて駆け込んできた。
黒檀色の髪が乱れ、普段は気品に満ちた顔が今は真っ青だ。
異母妹、ナズ・カランルク。
「ナズ、どうした」
「お兄様、これを見てください!」
ナズは分厚い帳簿をレイスの前に突きつけた。
その頁には、赤い数字がびっしりと並んでいる。
「捕虜の食費、宿営の費用、黒猫運輸への報酬、負傷者の治療費……」
ナズの声が震える。
「このままでは一ヶ月で財政が破綻します! お兄様の勝利で領地は救われましたが、その勝利の代償で領地が滅びます!」
(……知ってた)
レイスは天を仰いだ。
勝利の代償は、即座に請求書となってやってくるらしい。
「……分かった。明日、対策を考える」
「明日ではありません! 今すぐ──」
「ナズ」
レイスは妹の肩に、そっと手を置いた。
その手が微かに震えていることに、ナズは気づいただろうか。
「今の私は、まともに数字を見られる状態じゃない。……頼むから、明日まで待ってくれ」
ナズが息を呑む気配がした。
改めて兄の顔を見たのだろう。土気色の肌。血走った目。立っているのがやっとの身体。
「……お兄様」
深紫の瞳に、心配の色が浮かぶ。
「分かりました。でも、明日の朝一番で必ず」
「……ああ。約束する」
ナズが去った後、レイスは崩れるように椅子に座り込んだ。
(勝利した。カディルと契約できた。第1刻限もクリアした)
(でも、次の納期は14日後で、目標は40ポイントで、財政は破綻寸前で……)
視界の端で、新たなカウントダウンが無慈悲に時を刻んでいる。
そして、まだ選択していない報酬のアイコンが、ちらちらと点滅し続けていた。
(……とりあえず寝よう。寝て起きたら、きっと何か思いつく)
後世の歴史家は、この夜を「覇王の試練の始まり」と記すだろう。
だが当の本人の頭にあったのは、ただ一つ。
──帰りたい。
帰る場所など、もうどこにもないのだが。
レイス・カランルクの終わりのないデスマーチは、まだ始まったばかりだった。
──そして翌朝。
ナズが持ってきた帳簿の数字は、レイスの想像を遥かに超えていた。
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【第2刻限】残り14日 0時間 ─ 現在BP:15 / 目標BP:40
<レイスのひと言:納期が終わったら納期が始まった>




