表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/17

第5話 全ては計算通りだ(震え声)──弊社の福利厚生に命の保証はありません


【第1刻限】残り3日15時間 ─ 現在BP:0 / 目標BP:15


 ドォォォォォンッ!


 頭上でで轟音が響き、大地が悲鳴を上げた。


 崖上から投下された岩塊が、追撃してくるアテシュ軍の先頭を物理的に「破壊」したのだ。


(ひぃぃぃぃぃっ!)

(近い近い近い! 岩の破片、飛んできたって!)


 レイスは漆黒のコートをなびかせ、馬上で必死に手綱を握りしめていた。

 顔は蒼白で、唇は一文字に結ばれている。


 傍目には、計算通りに敵を死地へ誘い込む冷徹なる智将──その表情であった。


 だが、内実は違う。


 彼が体験しているのは人生初の「死の鬼ごっこ」だ。

 心拍数は、ブラック企業の繁忙期ですら叩き出したことのない領域へ突入していた。


「逃がすな! 臆病者の小僧を捕らえろぉぉッ!」


 後方から、品性を欠いた罵声が飛ぶ。


 赤銅色の髪。

 成金趣味の金装飾を施した赤い鎧。


 アテシュ家先鋒隊長、オルハン・アテシュ。


 完全に頭に血が上っている。

 

 わずか十騎ほどで現れたレイスが、矢一本放たずに撤退──

 もとい、優雅に「おやおや、野蛮な方々だ」と煽って逃走したからだ。


「罠だ! 隊長、深追いしてはなりません!」


 側近らしき男が叫ぶ。


 優秀な部下だ。

 だが組織において、優秀な部下ほど無能な上司の割を食うのが世の常である。


「ええい、黙れ! 敵はたったの十騎だぞ! こんな狭い谷に逃げ込んで、袋の鼠なのは奴らの方だ!」


 オルハンは忠言を一蹴し、馬に鞭を入れた。


 三百の軍勢が、雪崩のように狭い谷間へ吸い込まれていく。


(計画通り……! というか、ゲームのAI通りで助かった!)


 レイスは内心で安堵のため息をついた。


 『覇道のヴァルディア』において、アテシュ家のAI行動パターンは「挑発に弱い」「直線的」と相場が決まっている。


 学習しないモブに感謝しつつ、レイスは黒曜の森の東、「龍の顎」と呼ばれる峡谷へと駆け込んだ。


 ◇


 峡谷の最奥部。


 レイスは馬を急停止させ、ゆっくりと馬首を返す。

 十名の騎士たちも、一糸乱れぬ動きで反転した。


 狭い谷底。切り立った両側の崖。

 そして唯一の出口は、敵軍によって完全に塞がれている。


 常識的に考えれば、レイスたちこそ「袋の鼠」。

 詰みの局面であった。


「ふん、ようやく観念したか!」


 オルハンが勝ち誇った声を上げる。


 アテシュ軍三百が、獲物を追い詰めた狼のように、じりじりと包囲網を狭めてくる。


 だが、レイスは動じない。


 漆黒のコートを翻し、真紅の瞳で敵軍を睥睨した。

 その姿は追い詰められた獲物ではなく──これから害虫駆除を行う業者のそれだった。


「……ここだ」


 レイスがスッと右手を掲げる。


 細く白い指先が、しかし確固たる意志をもって振り下ろされた。

 まるでプロジェクトの「実行エンター」キーを押すかのように。


「放て」


 ヒュルルルルル……


 崖の上から火のついた矢が一本、放物線を描いて落ちていく。


 着弾地点は、レイスの前方ではない。

 オルハン軍の後方──谷の入り口付近だ。


 ボォォォォォッ!!


 散布されていた油に引火し、猛烈な炎の壁が一瞬にして立ち上がった。


 熱風が谷を駆け抜ける。

 頬を焼くような熱気。

 空気が揺らぎ、視界が歪む。


 さらに崖上から「黒猫運輸」の面々が、燃料満載の樽と火のついた丸太を次々と投下する。

 物流のプロによる、迅速かつ的確な「可燃物配送」だった。


「うわぁぁぁッ!?」

「火だ! 後ろが燃えているぞ!」

「戻れない! 戻れないぞ!」


 アテシュ軍はパニックに陥った。


 狭い一本道。

 退路は炎上。


 そして前方には──不敵に佇む「辺境伯」。


 ドンドンドンドンッ! ジャァァァァンッ!


 追い打ちをかけるように、森の奥から凄まじい数の太鼓と銅鑼の音が響き渡る。

 木々の間に、無数の「人影」が揺らめいた。


「て、敵の伏兵だ!」

「森の中に数百……いや、千はいるぞ!?」


 実際にはボズクルトたちが太鼓を乱れ打ちし、粗末なカカシを揺らしているだけだ。

 だが混乱の極みにある彼らに、冷静な査定能力はない。


(火計による混乱状態パニック付与。防御力半減、士気低下)


 レイスは燃え盛る炎の向こうで、右往左往する敵兵たちを冷ややかに見つめていた。

 真紅の瞳に、地獄の業火が映り込む。


 ゴォォォ──炎の咆哮が谷を埋め尽くす。

 馬の嘶き、兵士の絶叫、崩れ落ちる岩の轟音。

 そして、肉と油の焦げる臭い。


(……これ、私が殺したんだよね)


 炎の中で倒れていく人影。

 ゲームでは「敵HP 0」の文字列でしかなかった。


(私の命令で、人が死んでる)


 胃の腑が冷たくなる。

 モニター越しには決して伝わってこない、戦場のリアルな「質感」。


 だが、表情筋は動かさない。

 ──動かしたら、次は自分が死ぬ番だ。


 レイスは総動員した演技力で「冷酷な魔王」の仮面を維持した。


 オルハンは顔面蒼白で周囲を見回していた。

 黄土色の瞳が血走り、必死に生存ルートを検索している。


 そして──見つけた。


 崖と崖の間にできた、人が一人通れる程度の細い亀裂。


 あの脇道は、わざと「見つかりやすく」しておいたバグ技のような抜け道だ。

 そしてその先には、カディルという名のボスキャラが配置されている。


「た、隊長! どちらへ!?」

 側近の悲痛な叫びを無視し、オルハンは馬首を脇道へ向けた。


「ひ、一人で行くなど……! 隊長!」


(……釣れた)


 置き去りにされた兵士たちの絶望。

 だがオルハンは振り返ることなく、泥にまみれながら我先にと逃走した。


 その背中は、「責任逃れをして退職する上司」の姿と重なって見えた。


 ――シーン。


 主を失ったアテシュ軍の兵士たちの間に、決定的な空気が流れる。


 失望。軽蔑。そして──諦め。


 もはや戦う意思を持つ者は、一人もいなかった。


 レイスはゆっくりと馬を進め、炎と煙に巻かれた兵士たちを見下ろした。


「……アテシュの兵たちよ」


 よく通る声で告げる。

 慈悲深い領主の声か、あるいは新たな支配者の宣告か。


「貴様らの主は、貴様らを捨てて逃げた」


 誰も反論しない。

 全員が、その醜態を目撃したからだ。


「降伏せよ。……私の民になるなら、温かい食事と寝床を約束しよう」


 カラン、と乾いた音がした。


 一人の兵士が剣を捨てたのだ。


 それを合図に、次々と武器が投げ捨てられていく。


「我ら……カランルク伯爵に従います……!」


 魔族とは、そういう生き物だ。

 敗者より勝者につく。弱者より強者に従う。


 それは裏切りではなく、彼らにとっての生存戦略であり、自然の摂理である。


 皮肉なことに、この「勝てば官軍」の論理こそが、後にレイスを覇道へと押し上げる原動力となる。


 もっとも当の本人はそんなことを考える余裕もなく、ただ一つの事実コストに戦慄していた。


───


 同刻。

 脇道の出口──湿地帯。


 オルハンは泥の中を這うように進んでいた。


 鎧が重い。

 成金趣味の金装飾が、今は枷でしかない。


「た、隊長! お待ちを……!」


 背後から、護衛の兵士が追いすがってくる。

 足を滑らせ、泥に膝まで沈んだ負傷兵だ。


「お、お助けを──」


 オルハンは振り返った。


 そして──その男の背中を蹴った。


「ぐあっ……!?」


 兵士の体が泥に沈む。

 その背中を踏み台にして、オルハンは泥から足を抜いた。


「ひ、隊長……! た、助け──」


 悲痛な叫びが、ゴボゴボと泥に飲み込まれていく。


 オルハンは振り返らなかった。


(これは戦略的撤退だ。敗北ではない)


 そう己に言い聞かせながら、湿地の向こうへと消えていく。


 その光景を──脇道の入り口から出てきたカディルと数名の騎士が、目撃していた。


「……追撃しますか」


 部下の一人が問う。


 カディルは無言で首を横に振った。

 その琥珀色の瞳には、怒りではなく──深い軽蔑だけが浮かんでいた。


「あのような男を追う価値もない」


 泥に沈んでいく兵士の手が、最後にピクリと動いた。

 それきり、動かなくなった。


「……全員、降伏を受け入れろ」


 呆然とする敵兵に、カディルは静かに命じた。


「あれを見て、アテシュに忠誠をまだ誓うのか」


───


 一夜明けて──


 ゲジェカレ城、執務室。


 戦闘はカランルク軍の完勝で幕を閉じた。

 こちらの死者はゼロ。アテシュ軍は壊滅。


 三百のうち、80名が炎に飲まれるか逃亡。

 残りの220名が、投降か編入を選んだ。


 だがレイスの表情は、敗戦国の将軍のように沈んでいた。


「閣下、大勝利でございます!」


 カディルが興奮気味に入ってくる。


 しかしレイスは、机の上に積み上げられた報告書を睨みつけたまま動かない。


「……カディル。捕虜と編入希望者、合わせて何人だ?」


「はっ。編入希望者が120名、捕虜が100名。合計220名であります!」


「…………」


 レイスは天を仰いだ。


 深く、重い、魂のため息。


(人口1200人の貧乏領地に、いきなり220人の失業者が流入って……)

(食糧はどうする。寝床は。給金は)


 リソースが枯渇している我が領で、これだけの人数を養えるわけがない。


 勝利の代償として、レイスは「財政破綻」という、アテシュ軍より遥かに恐ろしい強敵と対峙することになったのである。


「……それと、閣下。オルハン・アテシュの件ですが」


 カディルが声を落として続けた。

 その表情が、汚物を見るように歪む。


「脇道の出口で待ち伏せておりましたが……護衛数名を犠牲にした後、奴は湿地帯へ逃げ込みました」


「……見たのか」


「はい。奴は……泥に足を取られた負傷兵を踏み台にして、自分だけ逃げおおせました」


(……やっぱり、あの通りだったか)


 レイスは眉をひそめた。


 ゲームではテキスト一行で済まされる「逃亡」だが、解像度が上がるとここまで醜悪になるのか。


「踏み台にされた兵は?」


「泥に沈みました。……あの光景を見た者たちは、全員が心から降伏を選びました。あのような男に忠誠を捧げる価値はない、と」


 皮肉な話だ。

 敵将の卑劣さが、こちらのヘッドハンティングを成功させたわけである。


「……オルハンの行方は?」


「アテシュ領へ逃げ帰ったものと思われます。追跡は困難でした」


「構わん。放っておけ」


 レイスは書類にサインをしながら、淡々と答えた。


「生かしておいた方が、敵の内部崩壊を招く。……本家のセリムは、従弟の無様な敗北報告を聞いて激怒するだろうからな」


 もっともらしい理由をつけたが、本音はただ一つ。


(これ以上追いかけるのが面倒くさい)


(はぁ~っ……勝っても地獄、負けても地獄かよ)


 レイスは視界の端の数字を確認した。


【第1刻限】残り2日12時間 ─ 現在BP:0 / 目標BP:15


 勝利した。名声も上がった。

 人員も増えた(増えすぎた)。


 だが肝心のBPは、まだ「0」のままである。


(カディル……そろそろ契約書にサインしてくれないかな)

(好感度はカンストしてるはずなのに、なんでイベント発生しないの?)


 魂刻の絆は、相手が「自由意思」で忠誠を誓わなければ成立しない。

 こちらから「契約お願いします!」と土下座してもダメなのだ。

 実にユーザーフレンドリーではない仕様である。


 その夜。


 レイスは寝付けなかった。


 目を閉じると、炎の向こうで逃げ惑う兵士たちの姿が浮かぶ。

 積み上げられた請求書の山。

 そして、泥に沈んでいく兵士の手。


(……これが、戦争か)


 ゲームでは、クリックひとつで終わる作業だったのに。


 現実の戦争は、勝者にも敗者にも、等しく「請求書」を送ってくるらしい。


 窓の外では、月が静かに輝いていた。

 まるで、明日のさらなるトラブルを予言するかのように。


---


【第1刻限】残り2日12時間 ─ 現在BP:0 / 目標BP:15


<レイスのひと言:M&A(合併・買収)成功。ただし負債付き>


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ