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第29話「鋼鉄の職人」


【第5刻限】残り41日 5時間 ─ 刻印課題:深淵の牙を無力化せよ


---


灰色の空に、黒煙が何本も立ち上っている。


鉄を打つ音が、遠くから腹の底まで響いてくる。


レイスはこれから、大陸で最も頑固な男を口説きに行くところだった。


「ザフィルの件が片付いても、その先がありますわね」


隣でメルヴェが古い書物を閉じた。


「ザフィル問題とヴォルカン問題。同時進行は避けたいですわね」


「ああ。だから──両方に備える」


その名を口にした瞬間、脳裏にゲームの記憶が蘇った。


ヴォルカンの本拠地──ア・ザル・ガルド。"火の城塞"。


(攻略掲示板では『橋の悪夢』と呼ばれていた)


断崖絶壁の上に築かれた要塞。正面には一本道の橋しかない。その橋を渡る間、城壁から絶え間なく火矢と魔法が降り注ぐ。


攻略掲示板では「正攻法で突破した報告」は皆無だった。17回全滅して引退宣言した配信者もいた。


攻略Wikiの評価は『正攻法では攻略不可能』。唯一の攻略法は──『城壁を破壊してから突入』。


(しかも現実には"セーブ&ロード"がない)

(あの配信者と違って、私には1回しかチャンスがない)


「だから二つ必要なんだ」


レイスは窓の外を見ながら言った。


「ザフィルの無力化と──城壁を一撃で貫く兵器」


馬車が大きく揺れた。窓の外に、赤茶けた煉瓦の建物が見え始める。鉄を打つ音が、遠くから響いてきた。


---


ドワーフの鍛冶村は、山の麓に広がっていた。


空気が違う。硫黄と炭の匂いが鼻を刺し、あちこちの煙突から黒煙が立ち上っている。カンカンカン、と金属を打つ音が重なり合い、村全体が一つの巨大な工房のようだった。


レイスは馬車を降りた。足元の石畳が、地下の炉の熱で微かに温かい。


肩の上で、ファルが落ち着かなそうに身じろぎした。煤の匂いが苦手なのか、小さな鼻をひくつかせている。


「ドゥラクという鍛冶師を探している」


村の中央広場で、年配のドワーフに声をかけた。相手は手を止め、レイスの装いを見て顔を曇らせた。


「……あの変わり者か」


「知っているのか」


「村外れの工房にいるが、行っても無駄だぞ」


ドワーフは煤けた手で顎髭を撫でた。


「貴族の依頼は受けねえ。今は農具ばかり作ってる」


「なぜだ?」


「国王陛下に楯突いて追放されたような男だ」


メルヴェが小声で補足する。


「以前『依頼主と喧嘩した』と申しましたが──その依頼主が、ドワーフ王国の前国王ですわ。『手抜きを要求された』と激昂して、王宮の工房を叩き壊したとか」


(……依頼主は、国王かよ。筋金入りの頑固者だな)


「ありがとう。行ってみる」


「止めはしねえが、期待するなよ」


ドワーフは首を振り、去っていった。


---


村外れの工房は、他の建物から離れた場所にあった。


壁は煤で黒ずみ、屋根の一部は崩れかけている。だが、煙突からは煙が立ち上り、中から炉の赤い光が漏れていた。


レイスは扉を叩いた。


「帰れ」


中から、低い声が返ってきた。


扉を押し開ける。熱気が顔を打った。鉄と炭の匂いが鼻腔を満たす。


炉の前に、一人のドワーフが立っていた。


黒髪に白髪交じりの髭。赤い瞳。


人間の胸ほどしかない背丈だが、岩のような腕は人間の倍はありそうだ。


熱で焼けた肌には、無数の古傷が刻まれている。


炉の炎が、その横顔を赤く照らしていた。


「まだ何も言っていないが」


「貴族だろう。見れば分かる」


ドゥラクは振り返らなかった。


手元の鉄を火箸で掴み、水桶に突っ込む。ジュウッ、と蒸気が立ち上り、湯気が天井に広がった。


「どうせ『安く』『早く』『そこそこの品を』だろう。興味ねえ」


レイスは一歩、工房に踏み込んだ。メルヴェがその後に続く。


肩の上のファルが、炉の熱に金色の瞳を細めた。


「……魔族の貴族か」


ドゥラクが初めて振り返った。深い皺の刻まれた顔。だが、その赤い目だけは鋭く、炉の炎を映して光っていた。


視線が一瞬、レイスの肩で止まる。


「……しかも、奇妙な獣まで一緒か」


「キュルルッ!」


小さな身体を精いっぱい膨らませ、ドゥラクを睨みつけている。獣呼ばわりが気に障ったらしい。


ドゥラクは眉を上げたが、それ以上は何も言わなかった。


沈黙が落ちた。


炉の中で、炭が爆ぜる音だけが響く。赤い光が二人の間で揺れている。


レイスは何も言わなかった。ただ、持参した設計図を取り出し、作業台の上に広げた。


魔導バリスタの基本設計。魔力を動力にして矢弾を射出する対軍砲の全体図だ。


ドゥラクの目が、一瞬だけ動いた。


「……なんだ、これは」


「バリスタだ。魔力で矢を撃ち出す砲だ」


沈黙。


ドゥラクは設計図に手を触れなかった。だが、その視線は図面から離れない。


「帰れ」


「分かった」


レイスは頷いた。


「だが、これは置いていく」


もう一枚の羊皮紙を、設計図の隣に広げた。砲身の接合部と素材配合の詳細が記されている。


「興味があれば、見てくれ」


ドゥラクは何も言わなかった。


レイスは踵を返し、工房を出た。


(第一印象で本物を見せても食いつかない。まずは"餌"で能力を見極める)

(これは採用面接の基本だ)


---


翌朝。


レイスは再び、村外れの工房を訪れた。


扉を叩く前に、気づいた。中から、何かを書き込む音。


扉を開けた。


ドゥラクは作業台に向かっていた。その前には、昨日置いていった設計図。だが、羊皮紙には赤い墨で大量の書き込みがされていた。


「……来たか」


ドゥラクは振り返らずに言った。


「この設計、素人の仕事だな」


「そうか」


(知ってる。私が作ったんだから)

(前世でWordの差し込み印刷に半日潰してた人間に、兵器設計は荷が重い)


「回路の設計は悪くねえが、素材が熱に負けてる」


ドゥラクは設計図を指で叩いた。


「この合金じゃ、魔力の反動で十発持たねえ」


「で、どうする?」


沈黙。


ドゥラクは設計図を持ち上げ、レイスに突きつけた。赤い墨で、素材の配合比と鍛造法の改良案が書き込まれている。


「……これで百発は撃てるはずだ」


レイスは口元に笑みを浮かべた。


「答え合わせの時間だ」


メルヴェが、馬車から筒を持ってきた。中から、もう一枚の設計図を取り出す。


「これが完成版だ」


改良型魔導バリスタ【雷神トール】。メルヴェの冷却回路が組み込まれた、完成版の設計図だった。


ドゥラクの目が見開かれた。


設計図を手に取り、食い入るように見つめる。節くれだった指が、回路の線をなぞっていく。


「……氷結術式を冷却に応用している」


メルヴェが扇子を開き、補足した。


「私の専門ですわ。熱ロスを極限まで減らし、魔力蓄積効率を30%向上させています」


「だが、砲身の耐久は別問題だ」


ドゥラクが低く唸る。


「魔術師がいくら回路を弄っても、器が脆けりゃ意味がねえ。……ここの接合部、俺ならもっと強くできる」


突然、ドゥラクが笑い出した。


「ハッ──ハハハハハハ!」


大きな笑い声が、工房に響き渡った。炉の炎が揺れる。メルヴェが目を丸くした。


やがて、笑いが止まった。


ドゥラクの顔から、すべての表情が消えた。真顔で、レイスを見据える。


「……見せてみろ」


「何を」


「本命だ。こんなもののために、わざわざ俺を試したわけじゃねえだろう」


沈黙が落ちた。炉の炎が、二人の影を壁に投げかけている。


レイスは一歩、近づいた。


「魔力を圧縮して、光速に近い速度で射出する兵器」

「理論上は──山をも貫く」


(メルヴェに語った『雷条砲レールガン』。あの構想を、この世界の名で呼ぶなら──)


神槌砲ミョルニル──こいつを、作ってほしい」


レイスは懐から、もう一枚の羊皮紙を取り出した。作業台の上に広げる。


二本の平行なレール。その間に配置された魔力炉。複雑な冷却回路と、見たこともない絶縁構造。


ドゥラクの顔から表情が消えた。


「……こんなもん、聞いたこともねえ。常識の外だ」


「ああ」


(私もそう思う)

(これ、メルヴェに『理論上は可能ですわ』って言われたから持ってきただけで、正直よくわかってない)


「魔力を一度に流せば、炉もレールも焼き切れる」

「冷却、耐熱、絶縁──すべてが足りねえ」


「だから、お前が必要だ」


沈黙。


ドゥラクは設計図から目を離さなかった。その指が、無意識に回路をなぞっている。


「……どこで使う」


「言えない」


「だろうな」


ドゥラクは設計図を置いた。だが、何も言わなかった。


「カランルクに来い」


レイスは言った。


「十分な物資と研究設備を保証する」

「もちろん──酒もだ」


ドゥラクは鼻を鳴らした。


だが、返事はなかった。その視線が、工房の奥に向けられている。


「……爺ちゃん」


小さな声がした。


工房の奥から、小さな男の子が姿を現した。見た目は5歳くらいだろうか。顔色は青白く、足取りは覚束ない。


「爺ちゃん、行ってきて」


「……馬鹿を言うな」


「でも、爺ちゃん、ずっとここにいたら──」


「黙れ」


ドゥラクの声が、工房に響いた。男の子は口を閉ざしたが、その目には涙が滲んでいた。


ドゥラクはレイスに向き直った。その声は、低く、重かった。


「……この子に馬車の長旅は無理だ。生まれつき体が弱くてな。この村には、まともな医者もいねえ」


レイスは窓の外に目をやった。


「……窓の外を見ろ」


ドゥラクが目を向けた先に、街道に停めた装甲馬車が朝日を受けて黒く光っている。


「あの馬車に乗ってみろ」


---


外に出た。メルヴェが先回りして馬車の扉を開ける。


「どうぞ」


ドゥラクは孫を抱え上げ、馬車の中に入った。


革張りの座席。窓には分厚いカーテン。そして──ほとんど揺れがない。


「……なんだ、これは」


「板バネだ。路面の振動を吸収する」


レイスは簡潔に答えた。


「長距離移動でも、体への負担は最小限だ」


男の子が目を丸くした。


「すごい……全然揺れない」


「この中にベッドを用意させる」


レイスは言った。


「この子の治療も──保証する」


(社宅、医療費補助、家族手当。……転職パッケージの全部盛りだ)


沈黙。


ドゥラクは馬車の中で、孫の頭を撫でていた。その手が、かすかに震えている。


「……卑怯な男だな」


「よく言われる」


(これで落ちなかったら、次の手はない)

(……まあ、その時はその時だ)

(社畜は常に次善策を考えて生きている)


ドゥラクは馬車から降りた。レイスの前に立ち、しばらく無言で見つめた。


やがて、口を開いた。


「……後日、行く」


「待っている」


「この馬車は置いていく。この子と来る時に使え」


ドゥラクは背を向けた。だが、数歩歩いたところで立ち止まった。


振り返らずに、言った。


「……悪くねえ兵器だ」


それだけ言って、工房に戻っていった。


メルヴェが扇子で口元を隠しながら、小さく笑った。


「素直じゃありませんわね」


「ああ。だが──乗った」


(『悪くねえ』は『最高だ』の意味だと信じたい)

(……たぶん)


レイスは別の馬車に乗り込んだ。御者に合図を送り、馬車が動き出す。


窓の外で、鍛冶村の煙突が遠ざかっていく。黒煙が、曇り空に溶けて消えた。


---


帰路は長かった。長く感じた。


(10日の不在。その間にザフィルが動いていない保証はない)


馬車の窓から、見慣れた城壁が見え始めた。


ゲジェカレ城。夕日を受けて、黒い石壁が赤く染まっている。


(ようやく戻ってきた)

(これでヴォルカン対策の布石は打てた)

(あとは、遺跡の方が──)


城門をくぐり、馬車が中庭に止まった。


扉を開けた瞬間だった。


「お兄様ぁぁぁっ!」


ナズが、顔を紅潮させて駆け寄ってきた。


「お帰りなさいませ! 大変です、大変なんです!」


「……また何かあったのか」


(この入り方、もう様式美だな……)


「バラカ殿より急報が届きました!」


ナズが息を切らしながら、羊皮紙を差し出す。


「古代神殿らしき遺跡を発見したと! 緑河を遡った先、滝の裏に隠された洞窟だそうです!」


レイスは羊皮紙を受け取った。


バラカの荒々しい筆跡で、発見の経緯が記されている。


(間に合った)


「詳しい報告は執務室で聞く。カディルとフィーネも呼べ」


「はい、お兄様!」


ナズが一歩踏み出しかけて、立ち止まった。


「あと──バラカ殿の隊から、負傷者が3名出たそうです。遺跡の入口に何か……防衛機構のようなものがあったと」


レイスの足が、一瞬止まった。


(遺跡が無防備なわけがない。ゲームでもここ、初見殺しのトラップだらけだった)


レイスは城を見上げた。夕日が沈み、空が紫色に染まっていく。


(ドゥラクは後日来る。遺跡は見つかった)

(二つの案件を同時に回す。これ、前世の年末進行と同じやつだ……)


(……しかも片方は、すでに血が出ている)


「キュウ」


肩の上で、ファルが小さく鳴いた。警戒の合図だ。


レイスは城の中へと歩き出した。休む暇はない。


---


【第5刻限】残り31日 0時間 ─ 刻印課題:深淵の牙を無力化せよ


<レイスのひと言:採用面接に10日。交通費は自腹、内定は口約束>


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