表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

27/31

第27話「剣鬼、襲来」


【第5刻限】残り44日 18時間 ─ 刻印課題:深淵の牙を無力化せよ


───


「昨夜、残党狩りの部隊三十名が壊滅しました」


 ナズの声が、震えていた。


 翌朝の執務室。長机を囲むのは、レイス、ナズ、メルヴェの三人。窓から差し込む朝日が誰の顔も照らし出しているというのに、その光には温もりがない。


「生存者の証言によると、襲撃者は──たった一人」


 黒い剣を持った男。それだけで、三十人の兵が蹴散らされた。


「『深淵の牙』ザフィル・オンジュ」


 メルヴェが低く呟いた。その紫の瞳には、珍しく警戒の色が滲んでいる。彼女がこれほど緊張を見せるのは、レイスがこの領地に来て以来、初めてのことだった。


「ヴォルカン公爵の切り札。大陸有数の剣士にして、戦場の死神。噂には聞いておりましたが……まさか、これほど早く動くとは」


(あー……マジで来ちゃったか)


 レイスは胃の奥が冷えていくのを感じていた。心臓が嫌な音を立てて脈打ち、背筋を冷たい汗が伝う。


(ゲームだと中盤のボスなんだよ、あいつ。序盤のプレイヤーが遭遇したら詰みルート確定の理不尽キャラ。それが今、私の領地に来てる)


 刻印課題が発動した瞬間から、覚悟はしていた。だが、覚悟と現実は違う。三十人が一人に壊滅させられた──それは「強い」という言葉では表現しきれない、桁違いの暴力だ。


「お兄様」


 ナズの声が、緊張で高くなっている。


「カディル様に早馬を出しましょう。今すぐ戻っていただかないと……」


「駄目だ」


 レイスは首を振った。その声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。内心では悲鳴を上げているというのに、この身体は勝手に「領主」を演じてくれる。


「カディルは新領地の巡回中だ。キュル家領の兵力再編成と防衛線の確認……戻るには最低でも二日かかる」


「でも……!」


「逆だ、ナズ」


 レイスは冷たい声で遮った。内心の恐怖を、演技で押し殺す。これはもう、何十回と繰り返してきた所作だ。


「ザフィルが本気で攻めるなら、カディルがいようがいまいが結果は同じだ。むしろ、最強の騎士が不在の今、向こうがどう動くか──それを見極める方が重要だ」


(というか、カディルがいても勝てないんだよ。カディルの実力は認めてる。でも、ザフィルは『格』が違いすぎる。ゲームでも、カディルとザフィルが一騎打ちするイベントがあったけど──結果は惨敗だった)


 メルヴェが扇子の先で顎を支えた。


「殿下のお考えは?」


「まず情報だ。ザフィルは何を目的としている? 単なる先遣隊なのか、それとも──」


 その瞬間、肩の上のファルがびくりと身を固くした。


「キュ……ルルル……」


 金色の瞳が、窓の外──城門の方角を凝視している。低い唸り声は、危険を感知した時の警戒の合図だ。


 同時に、遠くから角笛の音が響いた。緊急事態を告げる、三度の連続音。


「──報告!」


 執務室の扉が蹴破られた。息を切らした伝令兵が膝をついて叫ぶ。


「城門前に……不審な男が一人! 武装しておりますが、攻撃の意思は示しておりません!」


「特徴は」


「黒髪、長身。背中に黒い大剣を背負っております。兵に問われても一言も発さず、ただ……城を見上げているだけで……」


 ナズの顔が、蒼白になった。


「お兄様……」


 レイスは、既に立ち上がっていた。


「メルヴェ、お前は残れ。バラカも呼ぶな」


 メルヴェが扇子を閉じた。


「……殿下。私ならば、あるいは──」


「駄目だ」


 レイスは短く遮った。


(メルヴェなら、やれるかもしれない。でも、あいつが本気を出したら──城が吹き飛ぶ。それに……)


(ザフィルは、本来なら味方に引き込めるキャラなんだよ。ゲームでも、条件を満たせば仲間にできた。殺すのは、最後の最後だ)


 その内心は、口にしなかった。


「ザフィルはヴォルカンの剣だ」


 レイスの声は、鋼のように硬かった。


「あいつが見たものは、全てヴォルカンに報告される。お前もバラカも、まだヴォルカンに顔が割れていない。ここで晒すわけにはいかん」


 メルヴェの紫の瞳が、レイスを見つめた。何かを察したように、静かに頷く。


「……承知いたしました」


 ナズが唇を噛んだ。震える手を、必死に握りしめている。


「フィーネ」


 廊下に控えていたエルフの少女に、短く声をかけた。


「ついてこい」


「……はい」


 フィーネが静かに歩み寄る。その手には、既に淡い魔力の光が灯っていた。


「お兄様……!」


「ナズ、バラカには『待機』と伝えろ。何があっても、城門には出るな」


 振り返らず、レイスは執務室を後にした。


───


 城門前。晩秋の風が、石畳を撫でていく。


 城門を守る兵士たちは、弓を構えながらも一歩も動けずにいた。いや、動けないのだ。目の前に立つ男から発せられる「何か」が、本能的に彼らを縛りつけている。


 黒い髪。黒い外套。そして、背中に負った漆黒の大剣。


 男は無言で城を見上げていた。殺気はない。敵意もない。だが、その存在そのものが「脅威」だった。野獣の前に立たされた小動物のように、兵士たちの足が震えている。


「何者だ! 名乗れ!」


 門番の隊長が、声を絞り出すように叫んだ。男は、ゆっくりと視線を下ろした。黒い瞳が、隊長を捉える。


 ただ、それだけのことだった。それだけのことで──隊長の膝が、がくりと折れた。


「ひ……っ」


 声にならない悲鳴。歴戦の兵士が、見つめられただけで戦意を喪失する。それが、「深淵の牙」ザフィル・オンジュという男だった。


 城門が、ゆっくりと開いた。兵の列が左右に割れ、その中央を一人の男が歩いてきた。


 真紅の瞳。漆黒のコート。風に揺れる黒髪。


 レイス・カランルク。若き辺境伯が、剣鬼の前に立った。


 沈黙。二人の視線が、交差した。


 ザフィルの瞳が、レイスを射抜いた。


 殺気ではない。品定めだ。獲物の値打ちを測る、捕食者の眼。


 レイスは、動かなかった。


 膝が震えている。喉が乾いている。だが──逸らさない。一ミリも、視線を逸らさなかった。


 ザフィルが、初めて口を開いた。


「お前が、レイスか」


「そうだ」


 その声は、震えていなかった。


 短いやり取り。だが、その数秒の間に──何かが起きていた。


 周囲の兵士たちには、理解できなかった。二人は、ただ見つめ合っていただけだ。言葉はほとんど交わされていない。なのに、ザフィルの口元が、わずかに歪んだ。


 それは──笑みだった。


「……退屈だ」


 低い声が響く。


「だが──お前は、少しは楽しませてくれそうだな」


 黒い外套が翻る。剣鬼は背を向けた。


「次は本気で遊んでやる。──準備しとけ」


 剣を抜くこともなく、そのまま歩き去っていく。


 誰も、声を発せなかった。兵士たちは何が起きたのか分からないまま、呆然と立ち尽くしている。やがて黒い影は街道の向こうに消え、ようやく誰かが息を吐き出した。


───


 執務室に戻ったレイスは、椅子に深く沈み込んだ。全身から、どっと冷や汗が噴き出す。


「……はぁ~っ……」


 ようやく、本音の溜息が漏れた。


(死ぬかと思った。心臓が口から出るかと思った。あの目で見られた瞬間、足が震えて動けなくなりそうだった)


 だが、表面上は──揺らがなかった。社会人十年で培った「ハッタリ力」の総決算である。もっとも、本人は二度とやりたくないと思っているが。


「お兄様! ご無事で……!」


 ナズが駆け寄ってきた。涙目でレイスの手を握りしめる。


「無事も何も、会話しただけだ」


「でも、あの化け物と直接対峙して……!」


 そこへ、執務室の扉が開いた。バラカが大股で入ってくる。


「閣下! ご無事で……!」


 琥珀色の瞳が、安堵と怒りで揺れている。獅子の獣人の巨躯が、悔しさに震えていた。


「あの野郎、俺たちの仲間を三十人も殺しやがって……! なんで俺を出してくれなかったんですか!」


「出しても無駄だからだ」


 レイスは冷静に答えた。


「ザフィルは剣では斬れない」


 バラカの表情が、固まった。


「……どういう意味ですか」


「そのままの意味だ」


 レイスはそれ以上、説明しなかった。バラカの拳が震えた。


「じゃあ、カディル様でも……」


「同じだ。剣士では、あいつには勝てない」


 沈黙が落ちた。窓際で控えていたメルヴェが、扇子を閉じた。


「……殿下。それが事実なら──わたくしがやります」


 バラカが目を見開く。


「メルヴェ……?」


「魔術師ですもの。剣で斬れないなら、別の手段を使えばいい」


 メルヴェの紫の瞳が、冷たく光った。


「氷漬けにするなり、凍らせて砕くなり。方法はいくらでもありますわ」


「だが、駄目だ」


 レイスは首を振った。


「さっき言った通りだ。切り札は、最後まで見せない」


 バラカが歯を食いしばった。悔しそうに、だが反論はしなかった。戦士だからこそ、その理屈は分かる。メルヴェも静かに頷いた。


「承知いたしました」


 それ以上、追及はしなかった。メルヴェが紅茶を用意しながら、話題を変えた。


「殿下。お話を聞かせていただけますか。あの男……ザフィル・オンジュは、何を言っていましたの?」


「ほとんど何も言っていない」


 レイスは答えた。


「俺の名を確認して、『退屈だが、お前は少しは楽しませてくれそうだ』──それだけだ」


 沈黙が落ちた。ナズが首を傾げる。


「……それだけ、ですか?」


「それだけだ」


「でも、あの男は昨夜、三十人を殺して……今日、城まで来て……それで、何もせずに帰った?」


「ああ」


 メルヴェが扇子を開いた。


「……理解に苦しみますわね。『楽しませてくれそうだ』とは、どういう意味でしょう」


「推測でいいか」


 レイスが言った。


「確証はない。だが、あの男の行動には──いくつかの仮説が立てられる」


 全員の視線が、レイスに集まった。


「まず、ザフィルは一人で来た」


「……それが何か?」


 バラカが首を傾げる。


「本気でこの領地を滅ぼす気なら、一人では来ない」


 レイスは淡々と続けた。


「いくらザフィルが強くても、城を落とすには兵がいる。補給線がいる。占領後の統治も考えなければならない。それなのに、単身で乗り込んできた」


 メルヴェの目が、わずかに見開かれた。


「……つまり、ヴォルカン公爵の正式な命令ではない、と?」


「おそらくな」


 レイスは頷いた。


「ヴォルカンが本気でこちらを潰すなら、ザフィルに軍を預けて送り込むはずだ。それをしていないということは──あの男は、独断で動いている可能性が高い」


 ナズが眉をひそめた。


「でも、お兄様。それなら……なぜ?」


「退屈を紛らわす何かが欲しいんだ」


 レイスは断言した。


「ザフィルは戦闘狂だ。噂では『退屈を何より嫌う男』だと聞いた」


 言い直す。ゲーム知識をそのまま出すわけにはいかない。


「弱い相手を潰しても、あの男は満足しない。獲物が足掻き、苦しみ、それでも立ち向かってくる──その過程を楽しみたいんだ」


 バラカが低く唸った。


「……つまり、閣下を『獲物』として見ている、と?」


「そういうことだ」


 レイスは頷いた。だが、それ以上は語らなかった。対策は、これから考える。今はまだ、情報が足りない。


───


 この日の出来事は、当然ながらヴォルカン公爵の耳にも届くことになる。


 剣鬼が「楽しませてくれそうだ」と言った──その報告を受けた公爵が何を思ったかは、後世の歴史家にも知る術がない。


 ただ一つ、確かなことがある。


 公爵は密偵に、ある指示を下した。


「ザフィルの動向を見張れ。あの男が何をするか──逐一報告せよ」


 カランルク領ではなく、己の剣を監視させる。それがヴォルカン公爵という男だった。


 若き辺境伯は、まだそれを知らない。


───


【第5刻限】残り44日 12時間 ─ 刻印課題:深淵の牙を無力化せよ


<レイスのひと言:クレーマー対応、難易度SSRです>


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ