第26話「二つの契約、そして新たな地獄《デスマーチ》」
【第4刻限】残り1日 18時間 ─ 現在BP:120 / 目標BP:200
───
月光の下、メルヴェが言葉を続けた。
「正式に、お仕えしたい。そう申し上げに参りました」
レイスは、表情を動かさなかった。
だが、内心では激しく動揺していた。
(……来た。ついに来た)
(メルヴェ・ゴルゲジ。ゲーム中盤のエース級人材が、自分から入社を申し出てきた)
彼女は宮廷魔術師として頂点に立ちながら、その才能を疎まれて追放された天才だ。
政治と魔術の両方に長け、敵に回せば最悪、味方にすれば最強。
だが──。
(本当に信用していいのか?)
【策謀の魔眼】を通して見るメルヴェは、嘘をついていない。
だが、それは「今、この瞬間」の話だ。
彼女の真意は、まだ見えない。
「……理由を聞いても?」
「先ほど申し上げた通りですわ。あなたは、"面白いもの"を見せてくれそうだから」
メルヴェは扇子を広げ、口元を隠した。
だが、その紫の瞳は笑っていない。
「そして……」
彼女の声が、僅かに低くなった。
「あなたの瞳の奥にある『何か』が、私には見えます。虚空を見つめる時の、あの焦燥。あの渇き。──それが、どこから来るものなのか」
レイスの背筋が、ひやりとした。
「……何が言いたい」
「いいえ、何も」
メルヴェは微笑んだ。
「ただ、私は『謎』を追いかけるのが好きなのです。あなたという存在は……とても興味深い」
沈黙が流れた。
夜風が、銀髪を揺らす。
レイスは、決断を下した。
「……いいだろう」
彼女を信用できるかどうかは分からない。
だが、今はBPが必要だ。
そして何より──この女を敵に回すより、味方につけた方が遥かにマシだ。
「明日の朝、正式に契約を交わす。……謁見の間で待て」
「承知いたしました」
メルヴェは優雅に一礼した。
そして、月光の中を去っていく。
銀髪が闇に溶け、やがて気配も消えた。
残されたレイスは、深く息を吐いた。
(……味方になったのは助かる。でも、この女が「興味」で動くときが一番厄介なんだよな)
(でも、これでメルヴェのBPが手に入る。たしかゲームでは40台くらいだったはず……あとはバラカも同じくらいだったような)
(……ギリギリ、間に合うかもしれない)
夜空の星々が、無言でレイスを見下ろしていた。
◇
翌朝。謁見の間。
【第4刻限】残り1日 15時間 ─ 現在BP:120 / 目標BP:200
レイスは上座の椅子に腰掛け、二人の忠誠の誓いを受けていた。
メルヴェが跪く。
銀髪が床に流れ、絹のように光を反射した。
「レイス・カランルク辺境伯閣下。私、メルヴェ・ゴルゲジは、この身と知識のすべてを、あなたに捧げます」
彼女は顔を上げ、挑発的に微笑んだ。
「あなたの描く地獄絵図と、その瞳に宿る『見えざる焦り』……興味が尽きませんわ」
(地獄絵図って言われた。社畜の末路を見透かされてる気がする)
レイスは表情を崩さず、頷いた。
「……受け入れよう」
その瞬間。
視界の端に、システムメッセージが浮かんだ。
『条件達成を確認。対象:メルヴェ・ゴルゲジ(BP45)』
『【魂刻の絆】を発動します』
メルヴェの身体から、蒼白い光が立ち上る。
それは糸のようにレイスへと伸び、胸の奥に吸い込まれていく。
冷たく、鋭い力。氷のナイフのような感覚が、全身を駆け抜けた。
『【絆の共鳴】フリーズ(氷結魔法)を習得しました』
【天秤の真眼】が、絆の効果を数値として可視化していた。
『対象:メルヴェ・ゴルゲジ』
『魔力+15%、詠唱速度+10%』
『対象:レイス・カランルク』
『魔力+8%、魔法耐性+5%』
(へえ……天秤の真眼って、こういう使い方もできるのか)
メルヴェの紫水晶の瞳が、一瞬驚いたように見開かれた。
「……これは」
彼女は自分の手を見つめ、そこに宿る新たな力を感じ取っているようだった。
「なるほど。『絆』とは、このようなものでしたか」
その声には、珍しく純粋な興味が混じっていた。
『現在BP:165 / 目標BP:200』
(あと35……! バラカと契約できれば……!)
メルヴェが立ち上がり、優雅に一礼した。
次に、バラカが前に出た。
巨躯の獅子の獣人。黒い鬣が揺れ、琥珀色の瞳がレイスを見つめている。
「俺は……」
バラカは言葉を探すように、一度口を閉じた。
そして、背後に控える妹をちらりと見た。
ミナは不安そうにバラカの外套を握っている。
その隣には、ナズが優しく手を添えていた。
「……難しいことは分からねえ」
バラカは、真っ直ぐにレイスを見た。
「だが、あんたは約束を守った。俺の妹を、仲間を救ってくれた」
獣人にとって、「群れ」は命より重い。
それを守った者には、命で返す。それが掟だ。
彼は片膝をつき、拳を床に押し当てた。
地面が揺れるほどの、重い音。
その振動が、レイスの椅子まで伝わってくる。
「俺の命は、あんたのもんだ。好きに使え」
その言葉に、嘘の色はない。
【策謀の魔眼】に映るバラカの姿は、まばゆいほどの金色に輝いていた。
「……その命、預かる」
レイスが答えた瞬間──。
『条件達成を確認。対象:バラカ・チュマ(BP40)』
『【魂刻の絆】を発動します』
今度は、灼熱の力が流れ込んでくる。
荒々しく、獰猛で、だが不思議と温かい。
まるで焚き火の傍にいるような、力強い熱が全身を満たしていく。
『【絆の共鳴】ヘイスト(身体加速)を習得しました』
『対象:バラカ・チュマ』
『筋力+20%、耐久力+15%』
『対象:レイス・カランルク』
『敏捷+10%、反射速度+8%』
バラカの巨躯が、一瞬だけ赤い光に包まれた。
立ち上がった彼は、自分の拳を握り締め、驚いたように目を見張る。
「……なんだ、これは。力が……みなぎってやがる」
レイスも、自分の身体の変化を感じ取っていた。
メルヴェからの冷たい力と、バラカからの熱い力。
二つの絆が重なり合い、身体の奥底で渦を巻いている。
指先まで神経が研ぎ澄まされている。
視界が鮮明になり、周囲の動きがわずかに遅く見える。
(……これが、二人分の絆効果が重なった状態か)
試しに、椅子の肘掛けを軽く叩いてみる。
指が、自分の意思より速く動いた。
(すごい。身体が軽い。……これなら、少しは戦えるかもしれない)
『現在BP:205 / 目標BP:200』
『──第4刻限、達成』
視界の端で、赤い数字が緑に変わった。
(やった……! ギリギリ間に合った……!)
(月末の売上目標、達成。……これで今月は生き延びた)
だが、安堵に浸る暇はない。
二人の契約が終わると、視界に新たなメッセージが浮かんだ。
『第4刻限達成報酬を選択してください』
【選択A】龍王の鎧(鋼鉄の加護)
物理・魔法ダメージを大幅軽減。譲渡可。
【選択B】先見の瞳
短期未来を断片的に予知。譲渡不可。
レイスは、一瞬だけ迷った。
(予知能力か……)
危険を事前に察知できれば、死を避けられる確率は上がる。
だが──。
肩の上で丸くなっているファルが、くぅ、と小さく鳴いた。
(……ファルがいる)
この小さな幼龍は、危険を感知する能力を持っている。
予知と感知、方向性は違うが、機能は似ている。
(それに、私が避けるより、前線の誰かを不沈艦にした方が生存率が上がる)
カディルの顔が浮かんだ。
いや、バラカでもいい。前線で戦う者を守る方が、全体の生存率は上がる。
「選択A。龍王の鎧」
『選択を確定。【龍王の鎧】を獲得しました』
レイスの手の中に、黒曜石のように光る小さな宝珠が現れた。
握ると、確かな重みと温もりを感じる。
これを装備者に渡せば、鎧としての効果が発動する。
(誰に渡すかは……もう少し考えよう)
レイスは宝珠を懐にしまった。
◇
束の間の平穏。
しかし、それは長くは続かなかった。
執務室に戻ったレイスの視界に、新たなシステムメッセージが浮かんだ。
『第5刻限を開始します』
『刻印課題:深淵の牙を無力化せよ』
【第5刻限】残り45日 0時間 ─ 刻印課題:深淵の牙を無力化せよ
レイスは、目を疑った。
(……は?)
(ちょっと待って。これ、レイドボスじゃない?)
(ヴォルカン公爵の懐刀。ゲーム後半の中ボス。あの「深淵の牙」?)
今までの刻限は「BP○○を達成せよ」という数値目標だった。
だが今回は違う。
具体的な「敵」の名前が、課題として提示されている。
(無力化……殺せとは言ってない。捕縛でもいいのか? 調略でも?)
いずれにせよ、あの化け物と対峙しなければならないことだけは確かだ。
(45日で、あのザフィルを……?)
第4刻限を達成したばかりだというのに、もう次の「納期」が始まっている。
しかも今度は、数値目標ではなく「ボス討伐クエスト」だ。
(……運営、難易度調整ミスってない?)
その時。
肩の上のファルが、不意に身を固くした。
「きゅ……る……」
金色の瞳が、窓の外──北の方角をじっと見つめている。
低い唸り声。
危険を感知した時の、警戒の合図だ。
(……ファル? 何か来る?)
レイスの背筋が、ひやりとした。
その直後。
バンッ!
執務室の扉が勢いよく開け放たれた。
「お兄様ぁぁぁっ!」
ナズが、顔面蒼白で飛び込んでくる。
その後ろには、同じく青ざめたボズクルトの姿。
(……また来たか、この展開)
「……また何かあったのか」
「『また』って何ですか! 毎回ちゃんと大変なんですよ!」
「知ってる。で、今度は何だ」
(前世で読んだラノベ、毎回こういう終わり方してたな)
(まさか自分がそれを体験する側になるとは思わなかった)
ナズが息を整え、震える声で告げた。
「残党狩りに出ていた部隊が……壊滅しました」
レイスの心臓が、一拍止まった。
「……壊滅?」
ボズクルトが一歩前に出た。
歴戦の元盗賊団頭目が、目に見えて怯えている。
「俺の部下が見たんです……たった一人に、三十人がやられた」
その声が震える。
「黒い剣を持った男に……」
ナズが、その名を告げた。
「『深淵の牙』……!」
レイスの血の気が、一瞬で引いた。
(ザフィル……!?)
(もう来たのか!? 刻限が始まったばかりなのに!?)
(いや……刻印課題に名指しされた瞬間、向こうも動き出したってこと?)
(これ、偶然じゃない。システムが「さあ戦え」って言ってる……!)
窓の外で、黒い風が吹いた気がした。
ファルが、低く唸り続けている。
(……やっぱりこうなるのか)
(クリアしても、クリアしても、次の地獄が来る)
(しかも今度は、数値目標じゃなくてボス戦)
(これが、詰みゲーってやつか)
新たな「納期」が、死神の顔でレイスを見下ろしている。
───
後世の歴史家は、この日の二つの契約について次のように記している。
「銀氷の魔女」メルヴェ・ゴルゲジ。
彼女は生涯において、ただ一人の主にのみ忠誠を誓った。
その知略は常にレイス・カランルクのために用いられ、彼に敵対する者には一切の容赦がなかった。
味方には慈悲深く、敵には冷酷。
その二面性ゆえに、彼女は「氷の仮面」と呼ばれ、恐れられた。
だが、彼女自身がなぜレイスを選んだのかについては、生涯、多くを語らなかったという。
ただ一度だけ、こう漏らしたことがある。
「あの方の瞳の奥には、誰にも見えない『何か』があった。それが私を惹きつけた。……ただ、それだけのこと」
───
【第5刻限】残り44日 18時間 ─ 刻印課題:深淵の牙を無力化せよ
<レイスのひと言:クリア報酬は、次のデスマーチでした>




