第25話「勝利の代償は残業まみれ」
【第4刻限】残り2日 15時間 ─ 現在BP:120 / 目標BP:200
勝利の翌日。
レイス・カランルクは、絶望に打ちひしがれていた。
(なにこれ)
執務室の机の上には、書類の山がそびえ立っていた。
比喩ではない。文字通り、高さ1メートルを超える羊皮紙の塔が三本、レイスの視界を塞いでいる。
(いや、おかしいでしょ。昨日戦争に勝ったんだけど? 勝ったのに、なんで仕事が増えてるの?)
アテシュ・ドゥマン両家の連合軍を撃破し、二つの伯爵家を降伏させた。
歴史的大勝利である。
だが、勝利の代償は「残業」だった。
領地面積は一夜にして約3倍に膨れ上がり、それに伴って人口も激増。
食料、住居、治安、徴税、裁判、人事──すべての問題が、雪崩のように押し寄せてきた。
「お兄様ぁぁぁっ!」
ナズが執務室に飛び込んできた。
異母妹の顔は蒼白で、瞳には涙すら浮かんでいる。
「た、大変です! 備蓄が、備蓄が3日で尽きます!」
「……3日?」
「はい! 旧アテシュ領の倉庫が空っぽなんです! セリムの奴、戦費調達のために根こそぎ売り払っていたみたいで……!」
レイスは目を閉じた。
(なるほど。つまり、領民が飢えて暴動を起こす未来が見えると)
(勝った瞬間に詰むとか、なにそのクソゲー仕様)
「お兄様……どうしましょう……」
ナズが今にも泣き出しそうな顔で見上げてくる。
レイスは、深く息を吸い込んだ。
そして、冷徹な領主の仮面を被り直す。
「……あるだろ、隣に」
「え?」
「ドゥマン家とアテシュ家の貴族ども。あいつらの私財を吐き出させろ」
ナズが目を見開く。
「で、でも、それは……」
「敗戦国の文官を呼び出せ。帳簿を持ってこさせろ」
レイスの真紅の瞳が、冷たく光る。
「帳簿は嘘をつかないぞ」
◇
一時間後。
旧領主たちの「隠し財産」が、次々と暴かれていった。
【策謀の魔眼】は、弁明のすべてを赤く染め上げる。
レイスの【速読】が、膨大な帳簿の矛盾を瞬時に見抜く。
そしてナズは──まるで何かが覚醒したかのように、複雑な数字の羅列を次々と整理し、不正の証拠を突きつけていった。
逃げ場はない。
「あ、あれは私の老後の蓄えで……」
「嘘だ」
「ひぃっ!」
元ドゥマン家の文官が椅子から転げ落ちた。
レイスは表情一つ変えず、机を指で叩いた。
「兵糧3000石、金貨20000枚、塩100樽。明日の正午までに城に運び込め」
「む、無理です! そんな短期間では……」
「タジル商会と黒猫運輸をフル稼働させる。お前は場所を教えればいい」
レイスは窓の外を見た。
「できなければ、領民が飢える。飢えれば暴動が起きる。暴動が起きれば、鎮圧のために血が流れる。……その責任は、誰が負う?」
沈黙。
文官は震える手で、隠し財産の所在地を記した紙を差し出した。
「……ご、ご慈悲を」
「働けば赦す。働かなければ知らん」
レイスは紙を受け取り、ナズに渡した。
(……胃が痛い)
(前の会社で、経費の不正を追及したことがあったけど。あの時より何倍も胃が痛い)
(だって、失敗したら人が死ぬし。私も存在消去だし)
◇
その時、執務室の扉が軽くノックされた。
「失礼。お取り込み中かな?」
灰色の髪、灰色の瞳。
オスマン・キュルが、涼しい顔で立っていた。
「……キュル伯爵。アポイントメントは入っていなかったはずだが」
「おや、勝利の祝いに駆けつけた友人を追い返すのかね?」
オスマンは悪びれもせず執務室へ入ってきた。
その目が、机の上の書類の山と、蒼白な顔の文官と、レイスの顔を順番に見渡す。
「……なるほど。祝勝会どころではなさそうだ」
「見ての通りだ」
「二つの伯爵家を降し、領地を三倍に広げた英雄が、勝利の翌日に帳簿と睨めっこか」
オスマンの口元が、僅かに歪んだ。
「実に……愉快だな」
(笑ってる。こいつ絶対笑ってる)
「笑いに来たのか?」
「まさか。……いや、少しは」
オスマンは肩をすくめた。
「だが本題は別にある。アテシュの当主はどうなった?」
「セリムか。牢にぶち込んである」
「殺さなかったのか」
「殺す理由がない。生かしておけば取引材料になる」
オスマンの灰色の瞳が、一瞬だけ光を帯びた。
計算している。セリムの命の「値段」を。
「……合理的だな。私の見込み通りだ」
「褒め言葉として受け取っておく」
「そのつもりで言った」
オスマンは窓際へ歩み寄り、外を眺めた。
「領地が広がれば、仕事も増える。物流も、人事も、食料も」
「……ああ」
「だが、カランルク殿」
オスマンは振り返った。
「貴殿は生き残った。それも、私の予想より遥かに鮮やかに」
その声には、珍しく感情の色が混じっていた。
敬意か、それとも警戒か。
「次の取引を楽しみにしている」
それだけ言い残し、オスマンは執務室を出て行った。
(……何しに来たんだ、あいつ)
(いや、分かってる。『値踏み』だ)
(勝者の器を、自分の目で確かめに来た)
勝利のファンファーレなど、どこにもない。
あるのは、終わらない「残業」だけだった。
◇
夜。
城の大広間では、ささやかな祝宴が開かれていた。
ささやか、といっても物資が潤沢にあるわけではない。
旧領主の隠し財産から回収した食料と、タジル商会から急遽仕入れた酒を並べただけの、質素な宴だ。
だが、兵士たちの表情は明るかった。
勝った。生き残った。それだけで、祝う理由には十分だった。
長テーブルの一角では、意外な組み合わせが酒を酌み交わしていた。
「この戦斧、見事な鍛えだな。ドワーフの銘が入っているが」
カディルが、バラカの愛用する巨大な戦斧を手に取って感心したように言った。
琥珀色の瞳が、刃紋を追うように細められる。
「ああ、親父の形見だ。俺の村が焼かれた時、これだけは守り抜いた」
バラカが低い声で答えた。
普段は荒々しい獅子の獣人だが、武器の話になると目の色が変わる。
「重量配分が独特だな。遠心力を活かした叩き割りに特化している」
「分かるか? 大抵の奴は『重すぎて使えん』としか言わねえのに」
「私も若い頃、似た設計の戦槌を使っていた。振り回すのではなく、身体ごと回転させて叩き込むのだろう?」
「おお……! さすが騎士団長殿、話が早い!」
バラカの顔が、ぱっと明るくなった。
黒い鬣が揺れ、琥珀色の瞳に親しみの光が宿る。
「よし、今度また訓練場で手合わせしようぜ! 俺の技を見せてやる!」
「望むところだ。私も貴殿の戦い方には興味がある」
二人の男が、がっしりと腕を組み合わせた。
種族の違いなど、武人同士の共感の前には何の壁にもならないらしい。
(……あれ、仲良くなってる)
レイスは上座から、その光景を眺めていた。
(武器オタク同士って、すぐ意気投合するよね。前世の会社でもそうだったな。ミリタリーマニアの先輩と後輩が、初対面で3時間くらい銃の話してたっけ……)
「お兄様、お疲れ様です!」
ナズが皿を持って駆け寄ってきた。
目を輝かせている。興奮冷めやらぬ、といった様子だ。
「お兄様、すごかったです。三千対四百で勝つなんて……私、何度も計算し直しました。でも、どう考えても勝てるはずがなかったのに」
「お前の計算が間違っていたわけじゃない。普通にやれば負けていた」
「それを勝ちに変えたのがお兄様です!」
(いや、ゲームの攻略知識があっただけなんだけど……)
そこへ、フィーネが静かに歩み寄ってきた。
銀の盆に、山盛りの唐揚げを載せている。
「閣下。お食事は召し上がりましたか?」
「……まだだな」
「でしたら、こちらを。厨房の者が、閣下のために特別に揚げたものです」
フィーネが唐揚げを差し出す。
湯気と共に、食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってきた。
「……すまんな」
「いいえ。閣下のお役に立てるなら、それが私の喜びです」
その言葉に嘘はない。
【策謀の魔眼】は、フィーネの姿を金色に映していた。
(この子、本当にいい子だな……)
(私なんかに尽くしてくれて、申し訳なくなる)
その時、レイスの肩の上で丸くなっていたファルが、ぴくりと耳を立てた。
「きゅる?」
小さな漆黒の幼龍が、金色の瞳で広間の一角を見つめている。
その視線の先には──。
「わぁっ! ちっちゃい龍だ!」
ミナが目を輝かせて駆け寄ってきた。
金茶色の髪にぴょこんと立った獅子の耳。琥珀色の瞳が、好奇心でキラキラと輝いている。
「ね、触ってもいい? ね? ね?」
小さな手が、ファルに向かって伸びる。
普段、ファルは見知らぬ者には警戒心を見せる。
だが──。
「きゅ……きゅるる」
ファルは、ミナの手に自分から頭を擦り付けた。
「わあぁっ! あったかい! ふわふわしてる!」
ミナが歓声を上げる。
ファルも気持ちよさそうに目を細め、喉を鳴らしている。
(……なにこれ、かわいい)
レイスは思わず口元を緩めた。
(マスコットと、けも耳少女のコンボ。破壊力が高すぎる)
「ミナちゃん、ファル様と仲良しになったのね」
ナズがニコニコと笑いながら、ミナの隣にしゃがみ込んだ。
「ナズお姉ちゃん! この子、すごくかわいい! お名前は?」
「ファル、っていうの。レイス閣下の大切な家族よ」
「ファル……いい名前!」
ミナがファルの背中を撫でると、ファルは翼を小さく広げて、嬉しそうに「きゅるるる」と鳴いた。
その様子を見て、ナズの表情が柔らかくなる。
「……ミナちゃん、妹ができたみたいで嬉しいな」
「え? ナズお姉ちゃんが、ミナのお姉ちゃんになってくれるの?」
「もちろん。これからは、私がミナちゃんのお姉ちゃんよ」
ミナの獅子耳がピンと立った。
「やったぁ! お兄ちゃん! ミナ、お姉ちゃんができたよ!」
バラカが振り返り、妹の笑顔を見て、目を細めた。
「……そうか。よかったな」
その声は、戦場での咆哮とは別人のように穏やかだった。
◇
祝宴の喧騒の中、レイスは静かに杯を置いた。
みんなが笑っている。当然だ、勝ったのだから。
カディルとバラカは武器談義に花を咲かせ、ナズとミナはファルを囲んで笑い声を上げている。
フィーネは控えめに微笑みながら、給仕の手伝いをしている。
温かい光景だった。
守るべきものが、確かにここにある。
だが──。
(……私だけが、見えている)
胸の奥で、冷たい数字が点滅し続けていた。
【第4刻限】残り2日 ─ 現在BP:120 / 目標BP:200
(まだ終わってない。終わらない)
前世でもそうだった。
大型プロジェクトをリリースした翌日、上司は笑顔で言った。
「お疲れ。で、次の案件なんだけど」
(……結局、どこにいても同じか)
誰にも言えない孤独が、胸の奥で冷たく渦巻いている。
レイスは静かに席を立った。
「少し、外の空気を吸ってくる」
「お兄様?」
ナズが心配そうに見上げる。
「……疲れが溜まっているだけだ。気にするな」
そう言い残し、レイスは広間を後にした。
◇
深夜。
城の北塔、バルコニー。
レイスは一人、夜空を見上げていた。
肩の上では、ファルが小さく丸まって眠っている。
祝宴の賑やかさが嘘のように、ここは静かだった。
激務で摩耗した神経が、限界を訴えている。
頭の中は空っぽで、何も考えられない。
ただ、星々の間に浮かぶ赤い数字だけが、網膜に焼き付いていた。
【第4刻限】残り2日 ─ 現在BP:120 / 目標BP:200
(……あと80)
勝利したのに、刻限はまだ達成できていない。
戦争には勝った。領地は広がった。だが、肝心の「絆」が足りない。
(あと80ポイント。どうやって稼ぐ?)
(メルヴェは……まだ正式な契約をしていない。バラカも)
(あの二人と契約できれば、なんとか……)
だが、本当にうまくいくのか。
二人とも、一筋縄ではいかない相手だ。
(失敗したら、存在消去)
(また、終わらない「納期」に追われる日々が続く)
夜風が頬を撫でた。
冷たい風が、疲れ切った身体に染み渡っていく。
(……怖い)
認めたくないが、認めざるを得ない。
誰にも言えない恐怖が、胸の奥で蟠っている。
その時──。
「……また、見ておいでですね」
背後から、優美な声が響いた。
振り返ると、メルヴェが扇子で口元を隠して立っていた。
銀髪が月光に濡れ、紫水晶の瞳がレイスを映している。
「……何のことだ」
「いいえ。ただ、あなたが時折、何もない虚空を……まるで『死神』と会話しているような目で見つめているのが、気になりまして」
レイスは息を呑んだ。
(……この女、見えてないはずなのに)
(勘が鋭すぎる)
「不思議ですわね」
メルヴェが一歩、近づいてくる。
月光が銀髪を照らし、まるで精霊のように見える。
「あれほどの大勝を収めたというのに、あなたの目には……『焦り』しかない」
レイスは無言で彼女を見返した。
【策謀の魔眼】は反応しない。嘘ではない。
だが、真実の全てでもない。
「……何が言いたい」
「いいえ。ただ……」
メルヴェの紫の瞳が、妖しく輝いた。
「その瞳の奥に見える『何か』が、私の好奇心を刺激するのです」
彼女がさらに一歩、近づいてくる。
香りが漂ってきた。雪のように清冽で、どこか危険な匂い。
レイスは後ずさりかけて、やめた。
ここで怯えを見せれば、彼女に主導権を握られる。
「……何が望みだ、メルヴェ」
「あら。直接的ですこと」
メルヴェは扇子を閉じた。
月光の下、彼女の顔がはっきりと見える。
美しい。だが、その美しさの奥に、何かが潜んでいる。
「私は、"面白いもの"を見たいのですわ。……あなたは、それを見せてくれそうだから」
沈黙が流れた。
夜風が、二人の間を吹き抜けていく。
メルヴェの紫の瞳が、月光の下で妖しく輝く。
「──申し出がございまして、参りました」
その言葉を残し、彼女は優雅に一礼した。
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【第4刻限】残り1日 18時間 ─ 現在BP:120 / 目標BP:200
<レイスのひと言:勝利ボーナスは残業となって現れました>




