第24話 激流と裏切りの泥濘──その「詰み」は、最初から計算済みです
【第4刻限】残り3日 8時間 ─ 現在BP:120 / 目標BP:200
「退け! 退けぇッ! これ以上は支えきれん!」
レイスの悲痛な号令が、渇きの川に響き渡った。
カランルク軍の前線が崩れ、蜘蛛の子を散らすように後退を始める。
それを見た敵将セリム・アテシュは、勝利を確信し、狂喜の咆哮を上げた。
「見たか! 所詮は寄せ集めの雑兵よ! 追え! 一兵たりとも逃すな!」
アテシュ・キュル連合軍3,000の波が、堰を切ったように河原の中央へと雪崩れ込む。
勝利の美酒に酔いしれる彼らは気づかない。
逃げるレイス軍が、あまりにも鮮やかな手際で、安全な高台の岩場へと駆け上がっていることに。
──入った。
完全に、射程圏内だ。
高台に到達したレイスは、マントを翻して振り返った。
その顔から「焦り」の演技が消え、冷徹な指揮官の瞳だけが残る。
「メルヴェ。──『掃除』の時間だ」
レイスが手を振り下ろした、その瞬間。
遥か頭上の崖から、乾いた発射音が轟いた。
ドォォォンッ!!
放たれた巨大な杭は、敵軍の頭上を遥かに飛び越え、さらに上流へ。
──攻略Wikiに記載されていた、「天然の岩盤ダム」。
普段は渇いたこの川も、上流では大量の地下水が堰き止められている。
杭が岩盤に突き刺さり、爆発した。
ズドォォォォン!!
岩盤が粉砕される。
直後、世界を揺るがす地響きが轟いた。
ゴオオオオオオオオッ!
上流から迫り来るのは、茶色い絶望の壁。
初夏の長雨を溜め込んだ濁流が、鉄砲水となって狭い渓谷を一気に下ってきたのだ。
「な、なんだあの音は……?」
「み、水だ! 水が来るぞぉぉッ!」
敵兵の悲鳴は、瞬く間に轟音にかき消された。
ドッ、パァァァン!!
濁流が、河原を埋め尽くす3,000の軍勢を飲み込む。
重装歩兵も、騎馬も、木の葉のように舞い上がり、押し流されていく。
それは戦争ではない。一方的な自然災害だった。
(うわぁ……)
高台からその光景を見下ろしていたレイスは、顔を引きつらせた。
(想像以上の水量なんだけど。これ、災害レベルだよ。ドン引きだよ)
(Wikiには「地形ダメージ大」って書いてあったけど、これ「即死トラップ」の間違いじゃない?)
レイスの肩に乗った白い竜ファルは、濁流を見て「キャッキャッ!」と翼をパタつかせ、無邪気に喜んでいるようだ。
主従の温度差が激しい。
◇
鉄砲水が過ぎ去るのに、時間はかからなかった。
だが、本当の地獄はここからだった。
水が引いた後の河原は、見渡す限りの底なしの泥沼と化していた。
敵軍の被害は甚大だ。およそ半数が下流まで流されたか、溺死した。
だが、屈強なアテシュ家の本隊──約1,500名は、濁流から逃れ踏みとどまっていた。
「怯むなァッ!」
泥だらけになったセリム・アテシュが、鬼の形相で吼える。
「敵はわずか400! 我らはまだ半数残っている! 踏み潰せば勝てるのだ!」
その怒号が、混乱する兵たちに殺気を吹き込む。
そうだ、まだ数では勝っている。
泥で足場が悪かろうと、数の暴力で押し切ればいい。
「殺せ! カランルクを殺せぇぇ!」
殺気立った1,500の兵が、泥を跳ね上げてレイスの本陣へ向き直る。
その時だった。
敵軍の後方──唯一の退路である下流の道に、新たな軍勢が現れた。
数は200。掲げられているのは、山猫の紋章。
「おお! 見ろ、カヤ男爵の旗だ!」
セリムの顔がパッと輝いた。
「カヤの援軍か! 遅いぞ臆病者め! だが丁度いい、今から攻撃しろ!」
敵兵たちに希望の光が差した。
前にはカランルク、後ろには味方のカヤ軍。これで勝てる。
だが──レイスの傍らに控えていたフィーネが、静かに呟いた。
「……来ましたね」
カヤ軍の先頭に立つ男──カヤ男爵は、無表情に手を振り上げた。
そして、冷酷に命じた。
「……撃てェッ!!」
ヒュンヒュンヒュンッ!
無数の矢が、背後からアテシュ軍に降り注ぐ。
味方だと思って背中を晒していた兵たちが、次々と倒れていく。
「な、なんだと!?」
「裏切りだ! カヤが裏切ったぞぉぉ!」
セリムの絶叫が響く。
希望は一瞬にして絶望へと反転した。
前は底なしの泥沼とレイス軍。後ろは裏切りのカヤ軍。
完全な包囲。パニックが連鎖し、軍としての統制が崩壊する。
レイスは冷ややかにそれを見下ろした。
(日和見主義のカヤ男爵なら、勝ち馬に乗るために必ず動くと思っていたよ)
(予測可能な離反は、予測不能な忠誠より管理しやすい。……人事部の基本だ)
レイスは静かに右手を挙げた。
「──掃除の時間だ。行け」
◇
合図と共に、高台の茂みが割れた。
現れたのは、不気味な黒い箱のような馬車──レイスが密かに開発させていた『装甲馬車』だ。
黒い複合装甲板に覆われたその「移動要塞」のスリットから、無数の矢が放たれる。
さらに、崖の上からはメルヴェのバリスタが火を吹く。
逃げ惑う敵を、安全圏から一方的に削り取る。
「突撃ぃッ!」
カディル率いる騎士団と、ケナン率いる鉄狼団が斜面を駆け下りる。
彼らは泥の上でも動けるよう、足元に「泥用カンジキ(木の板)」を装着していた。
重装鎧で泥に沈み、身動きの取れない敵兵など、ただの案山子だ。
「黒猫運輸は下がってろ! ここは俺たちの仕事だ!」
ケナンが叫ぶと、後方のボズクルトたちが「へいへい、物流屋は高みの見物といきますか」と肩をすくめる。
戦闘のプロたちが、泥沼の狩場で一方的な蹂躙を開始した。
◇
一方、混乱の極みにある戦場から、こっそりと抜け出そうとする影があった。
ドゥマン家当主、ケマル・ドゥマンである。
「おのれカヤめ……裏切りおって……! だが私は死なん。生き延びれば再起は……」
味方を盾にして裏道の獣道へ逃げ込む。
策士たる自分は、こんな泥沼で死ぬべきではない。
だが、その逃走ルートの先に、巨大な影が立ち塞がった。
「……よう。待ちくたびれたぜ」
ヌッと現れたのは、返り血を浴びた巨漢──バラカだった。
彼は本隊とは別ルートで、最初からケマルの首だけを狙っていたのだ。
「き、貴様は……あの村の獣人か!」
ケマルが悲鳴を上げる。腰の剣を抜こうとするが、指が震えて力が入らない。
「金だ! 金をやろう! 領地の一部もやる! だから見逃せ!」
バラカは金貨に見向きもしなかった。
ただ静かに、巨大な戦斧を担ぎ上げる。
その瞳には、かつて焼かれた故郷の炎が映っていた。
「俺の村を焼いたのは、お前の差し金だな?」
「ひっ……!」
「一族の恨み、俺の妹の涙……ここで全部、清算してもらうぜ」
銀色の閃光が走る。
ケマルの命乞いは、重い断撃音と共に永遠に断ち切られた。
◇
戦場の中央では、最後の抵抗が続いていた。
「小細工をォォォ! 貴様らには騎士の誇りがないのかァッ!」
泥濘の中、猛将セリム・アテシュは大勢の敵兵を相手に孤軍奮闘していた。
その前に、カディルが静かに歩み寄った。
「誇りはある」
カディルは泥除けの板を巧みに操り、セリムの間合いに入る。
「だが、主君の勝利はそれより重い」
「黙れェッ!」
セリムの剛剣が唸る。
だが、足場のない彼の一撃は、あまりに大振りだった。
カディルは最小限の動きでそれを逸らすと、踏み込んで剣の柄をセリムの顎に叩き込んだ。
ガゴッ。
猛将の巨体が泥の中に崩れ落ちる。
カディルは剣先をその喉元に突きつけた。
「……チェックメイトだ」
◇
夕暮れが迫る頃、戦場には静寂が戻っていた。
泥濘の上には、無数の敵兵が降伏し、武装解除されている。
カディルが捕縛したセリムを引き立て、バラカがケマルの首を無造作に掲げて戻ってきた。
その光景を見た兵士たちが、誰からともなく声を上げた。
「レイスさまー! レイスさまー!」
「我らが王! 勝利の王!」
3,000の大軍を、わずか400で壊滅させた奇跡。
自然すら味方につける、悪魔的なまでの知略。
彼らの眼差しは、もはや一介の領主に向けるものではない。
絶対的な力を持つ支配者──「魔王」への、灼けつくような崇拝だった。
◇
レイスは馬上で歓声を受けながら、内心で冷や汗を流していた。
(……勝った。勝ってしまった)
二人の伯爵を排除し、カヤ家を取り込んだ。
この地域のパワーバランスは完全に崩壊した。
もう、「片田舎の領主」には戻れない。ヴォルカン公爵に喧嘩を売ったも同然だ。
(逃げ場がない。昇進したら業務量が増えるやつだ、これ)
その時。
ファルがレイスの肩からふわりと飛び立った。
小さな白い翼が夕陽に透け、金色の瞳がきらりと光る。
──そしてファルは、まっすぐにフィーネの腕の中へと飛び込んだ。
「キュルル……」
フィーネが優しくファルを抱き留める。
その瞬間、胸の奥に微かな熱が走った。
絆の伝心。
ファルを媒介にして、レイスの感情の断片がフィーネに流れ込んでくる。
それは──怖れだった。
震えていた。
あの堂々たる姿勢で、あの冷徹な眼差しで、勝利宣言を行おうとしている主君は……その内側で、ずっと震えていたのだ。
(元OLだもんね)
「……レイス様」
フィーネは静かに馬を寄せ、レイスの傍らに並んだ。
蒼穹色の瞳が、真っ直ぐにレイスを見つめる。
「何だ」
「お召し物の替え、ご用意しております」
「……は?」
レイスが怪訝な顔をする。
フィーネは懐から、きれいに畳まれた布の包みを取り出した。
「出陣前に、ナズ様から渡されました。『兄上は絶対に泥だらけになるから』と」
(……うちの妹、有能すぎない?)
(いや、というか私の行動パターン読まれすぎでは?)
内心でツッコミを入れながらも、レイスはふっと肩の力を抜いた。
フィーネの存在が、張り詰めていた緊張を少しだけ緩めてくれる。
「……気が利くな」
「ナズ様は、お見通しのようです」
フィーネの唇に、かすかな笑みが浮かんだ。
だが、その蒼穹色の瞳の奥には、かすかな温もりが宿っていた。
◇
レイスは覚悟を決めた(ふりをした)。
夕日に染まる赤黒い戦場を見渡し、震える手をマントの下に隠して宣言する。
「聞け、カランルクの勇者たちよ!我々は、アテシュ、ドゥマンの両領地を接収する!」
よく通る声が、戦場を支配する。
「これより、我らが版図を拡大する。──我について来い」
ウォーッ!!
地を揺るがすほどの歓声が上がった。
その熱狂の中で。
返り血を浴びたバラカは、満足げにレイスの背中を見つめていた。
崖の上のメルヴェは、扇子で口元を隠し、熱っぽい瞳でその光景を眺めていた。
彼らの中に、確かな意思が芽生えた瞬間だった。
──そして。
レイスの傍らに控えるフィーネは、静かに胸に手を当てていた。
絆の伝心を通じて感じた、主君の孤独な重圧。
外には決して見せない、内なる震え。
──この方は、一人で全てを背負っている。
フィーネは静かに唇を噛んだ。
私には、何ができるだろう。
答えはまだ出ない。
だが、フィーネの蒼穹色の瞳には、これまでにない光が宿っていた。
それは──守りたいという、静かな決意だった。
◇
夕日が戦場を赤く染め上げる。
魔王と呼ばれる男の傍らには、白い竜と、黄金の髪のエルフがいた。
歴史的勝利を収めた「覇者」。
だがその内心は──。
(メルヴェはなんで崖の上からこっち見てニヤニヤしてるの? 怖いんだけど)
(……そして、ヴォルカン公爵の耳にも、もう届いているんだろうな)
歴史的勝利の裏で、魔王の悩みは尽きなかった。
【第4刻限】残り3日 6時間 ─ 現在BP:120 / 目標BP:200
<レイスのひと言:泥沼の案件は得意です(汗)>




