第22話「黄金の揚げ物と、目覚める力」
【第4刻限】残り4日 6時間 ─ 現在BP:120 / 目標BP:200
「閣下、本当に揚げ物で士気が上がるのですか?」
「侮るな。これは戦略的カロリー爆弾だ」
(脂と塩分は正義。社畜時代に学んだ真理である)
あれから二十日が過ぎた。
バラカたち獣人を領内に受け入れ、訓練と融和に費やした日々。
そして今日──決戦を四日後に控えた朝である。
(四日。たった四日で、残りBP80を積まなければ即死)
(メルヴェとバラカの契約が必須。失敗は許されない)
(……納期前の追い込み、始まりました)
カランルク城の厨房に、黄金色の湯気が充満していた。
ニンニク、ショウガ、そして醤油に似た調味料「ガルム」が混ざり合い、熱された油の香りと共に舞い上がる。
「いいか、温度が重要だ。一度目は低温でじっくり火を通し、二度目は高温でカラッと仕上げる。この『二度揚げ』こそが、衣をサクサクにする秘訣だ」
レイスは腕まくりをして、料理長たちに指示を飛ばしていた。
目の前の大鍋では、一口大に切られた鶏肉が、黄金色の油の中で踊っている。
パチパチパチ……という心地よい音。
キツネ色に揚がった肉塊が網に引き上げられるたび、厨房のスタッフたちがゴクリと喉を鳴らした。
(よし、完璧な仕上がりだ)
レイスは内心でガッツポーズをした。
この世界では、肉料理といえば「焼く」か「煮る」が主流だ。
油を大量に使う揚げ物は、コストと手間の面から一般的ではない。
だが、決戦を前に士気を高めるには、これ以上のメニューはない。
(社畜時代、金曜の夜に居酒屋で貪り食ったあの味……。疲れた体には、脂と塩分とタンパク質こそが正義なのだ!)
「盛り付けろ! 獣人たちは腹を空かせている。山盛りにしろ!」
◇
食堂は、異様な熱気に包まれていた。
新加入したバラカ率いる獣人部隊と、カディル率いる魔族兵士たちが、長テーブルを囲んでいる。
まだ互いに少し距離感があり、緊張した空気が漂っていたが──それも、料理が運ばれてくるまでのことだった。
ドンッ!
テーブルに置かれたのは、小山のように積み上げられた黄金色の肉塊。
鶏肉の唐揚げである。
「……なんだ、この茶色い塊は?」
獅子の獣人、バラカが怪訝そうに眉を寄せた。
故郷を焼かれ、命からがら逃げてきた彼らにとって、見たこともない料理は警戒の対象でしかない。
「毒など入っていない。……ほら」
レイスは自ら一つ摘み上げ、口に放り込んだ。
カリッ。
静まり返った食堂に、衣が砕ける軽快な音が響く。
サクサクの衣の中から、熱々の肉汁がジュワッと溢れ出し、スパイスの香りが爆発する。
「……美味い」
レイスが漏らした本音の一言に、バラカの妹、ミナが恐る恐る手を伸ばした。
「……いただきます」
小さな口が、熱々の肉に齧り付く。
サクッ、ジュワッ。
「……!」
ミナの猫耳がピンと立ち、瞳が輝いた。
「お兄ちゃん、これすごい! サクサクしてて、中からジュって! 魔法みたい!」
その笑顔を見て、バラカも観念したように大きな塊を口へ運んだ。
ガリッ。
「……ッ!?」
衝撃が、獅子の巨躯を貫いた。
野生の肉の臭みは消え、ニンニクとショウガの風味が食欲を暴力的に刺激する。
噛むほどに溢れる濃厚な旨味。
冷え切っていた体が、内側からカッと熱くなる。
「なんだこれ……力が、湧いてきやがる」
「獣人は代謝が高いと聞いた」
レイスがナプキンで口元を拭いながら、静かに告げる。
「戦うためにも、生きるためにも、お前たちには脂とタンパク質が必要だ。……私の領地で働く以上、腹を空かせることは許さん。遠慮なく食え」
バラカの手が止まった。
彼はレイスを見た。
ただのひ弱な領主ではない。
自分たちの生態を理解し、その上で「必要なもの」を与えてくれる。
言葉だけの慈悲ではなく、血肉となる施し。
「……あんた、いい領主だな」
バラカはニヤリと笑い、ジョッキのエールを掲げた。
「いただくぜ、大将! この恩は、戦場で返す!」
オオオオオッ!
獣人たちが一斉に唐揚げに群がる。
魔族兵士たちも負けじと手を伸ばす。
「おい、それ俺が狙ってたやつだぞ!」
「早い者勝ちだ!」
同じ釜の飯を食う喧騒の中で、種族の壁は黄金色の衣と共に砕け散っていった。
(……よし、士気は上がった)
レイスは満足げに頷いたが、同時に胃がキリキリと痛んだ。
(でも、油の備蓄が一気に減った。この調子で食わせたら、決戦前に食糧庫が空になるぞ……)
(勝っても負けても、請求書は来る。世の常だ)
ふと、バラカと目が合った。
獅子の瞳に、もはや警戒の色はない。
代わりに宿っているのは、獣特有の「値踏み」の眼光だ。
(……契約の条件は、揃いつつある)
(飯と、差別しない態度と、強者の匂い)
(あとは、決戦で「この領主についていけば勝てる」と思わせること、か)
レイスは視線を逸らし、小さく息を吐いた。
(まずは、生き残らないとな)
◇
腹ごなしにと始まった模擬戦は、いつしか全兵士が注目する一大イベントとなっていた。
砂煙舞う訓練場の中央。
対峙するのは、巨躯の獅子バラカと、騎士団長カディル。
「手加減はいらねえぞ、騎士様」
バラカが巨大な戦斧を片手で軽々と構える。
その筋肉は鋼鉄のように隆起し、圧倒的な質量を誇示していた。
「無論だ。……だが、魔道具の力は借りん」
カディルは腕輪(身体強化の魔道具)の機能をオフにし、剣を正眼に構えた。
純粋な剣技のみで挑む構えだ。
「ッラァアアア!!」
バラカが踏み込む。
地面が陥没するほどの突進。
戦斧が風を切り裂き、カディルの頭上に振り下ろされる。
ドゴォォォォン!!
轟音。
だが、そこにカディルの姿はない。
紙一重で回避し、バラカの懐へ潜り込んでいた。
「遅い!」
カディルの剣が閃く。
鋭い刺突がバラカの脇腹を狙う。
だが、バラカは強引に体を捻り、戦斧の腹でそれを受け止めた。
キンッ! ガギィッ!
剛力と技巧。
重戦車のような一撃を、カディルが流れるような剣捌きでいなし、カウンターを放つ。
バラカの爪がカディルの頬を掠め、カディルの切っ先がバラカのたてがみを散らす。
数十合の打ち合いの末、二人は同時に距離を取った。
カディルの剣は刃こぼれし、バラカは肩で息をしている。
「……へっ、やるじゃねえか。魔族にしては頑丈だ」
「貴公こそ。岩を相手にしている気分だったぞ」
二人は顔を見合わせ、楽しげに笑った。
戦士同士にしか理解できない何かが、そこにはあったのだろう。
新参者と古参の間にあった壁は、この一戦で完全に消滅した。
◇
その熱戦を、二階のバルコニーから見下ろす二つの影があった。
レイスと、元宮廷魔術師メルヴェだ。
「……獣を手懐ける餌に、兵を鼓舞する演武。人心掌握がお上手ですね」
メルヴェが手すりに頬杖をつき、流し目でレイスを見る。
「兵士が勝手に盛り上がっているだけだ」
「ふふ。……それにしても、あなたの発想はどこから来るのです?」
メルヴェの視線が、中庭の隅に置かれた新兵器に向けられる。
「あの『複合装甲』の積層構造。硬度の違う素材を重ねて衝撃を分散させるなど、魔法理論というより物理学の極致です。それに、バリスタの『カートリッジ方式』も」
彼女の紫の瞳が、探るように光る。
「どこの国の知識です? 帝国の機密文献でも、あんな発想は見たことがありません」
「……古い文献にあっただけだ」
レイスはすまし顔で嘘をついた。
前世の戦車やライフルの知識だとは言えない。
メルヴェは「ふうん」とつまらなそうに鼻を鳴らしたが、それ以上追求はしなかった。
「まあ、出典はどうでもいいです。素材としては最高でしたから」
彼女は優雅に扇子を開いた。
「あなたの玩具、少し触っておきましたよ」
「……何をした?」
「……魔力蓄積効率を30%向上させました。回路の無駄を省き、私の氷結術式を冷却に応用することで、熱ロスを極限まで減らしています」
さらりと凄いことを言う。
30%向上といえば、燃費が劇的に改善されたことを意味する。
「それと、着弾時の魔法発動プロセスも書き換えました。以前は衝撃で作動していましたが、接触と同時に魔力を強制解放するように安定化させています。不発弾はゼロです」
(有能すぎる……。元帝国の宮廷魔術師、その肩書は伊達じゃないってことか)
(しかもこの人、嬉々として仕事増やすタイプだ……前職にいた「残業大好き」な先輩と同じオーラがする……)
だが、彼女の卓越した理論を聞いているうちに、ゲーマーとしての知識──いや、前世のSFや科学雑誌で得た「ある兵器」の構想が脳裏をよぎった。
「……メルヴェ。その冷却技術と、雷の魔力制御があれば、『雷条砲』も実現可能ではないか?」
「レールガン? 聞き慣れない言葉ですね」
メルヴェが小首をかしげる。
レイスは手すりに身を乗り出し、身振り手振りで説明を始めた。
「原理は単純だ。金属のレールを二本、平行に敷く。その間に鉄の矢を置いて――雷の魔力を"瞬間的に"流し込む」
「……それで?」
「爆発は要らない。流した雷そのものが、矢を前に叩き出す推進力になる。火薬じゃなく、"雷で撃つ投射器"だ」
メルヴェは一拍、目を瞬いた。
だが次の瞬間――紫水晶の瞳が、獣のように鋭く光る。
「……電流が走れば、磁場が生まれる。磁場と電流が反発して、矢が滑るように加速する……っ」
彼女は空中に見えない式を書き殴るように指を走らせた。
「魔力を"爆発"ではなく、運動エネルギーに変換する発想……美しい。危険で、最高です」
(ほら出た。この笑顔。完全に仕事中毒の顔)
「実現できそうか?」
レイスの問いに、メルヴェは即答しなかった。
視線を落とし、指先で顎をなぞる。
計算する者の沈黙。
「……私だけでは不可能ですわ」
静かな断言だった。
「理屈は組めても、器が耐えません。魔力を一度に流せば、炉もレールも焼き切れる」
「冷却、耐熱、絶縁――すべてが足りない。要するに、"私の魔術"だけでは完成しない」
そして、薄い笑みを浮かべる。
「優秀な鍛冶師が必要です。常識の合金ではなく、"世界にまだない素材"を作れる者」
「さらに、魔力炉を設計できる術者。魔術師ではなく、"魔力を機械に落とし込める技術者"」
言い終えると、彼女は口を閉じた。
――ただ、じっと。
紫水晶の瞳が、レイスの真紅の瞳を捕らえたまま離さない。
値踏みではない。
拒絶でもない。
まるで、彼がその"答え"をどう出すのかを待っているかのように。
沈黙が落ちた。
(……課題が見えた。鍛冶師と魔力炉技術者。その二つを揃えれば、勝機がある)
(問題は、この戦争を生き延びてからだ)
(人材確保は次の四半期の課題にしよう……生きてればだけど)
「分かった。この戦が終わったら、人材を探す」
レイスは静かにそう答えた。
◇
一刻ほど経った頃。
日が傾きかけた中庭の片隅で、フィーネが弓を構えていた。
その傍らには、指導役のメルヴェが立っている。
少し離れた場所で、レイスは腕を組んで二人を見守っていた。
メルヴェが、フィーネの手首に触れながら言った。
「これは呪いにも偽装されていますが、その本質は高度な『封印』です。古代魔法による、何重ものロックが掛かっています」
「封印……ですか?」
フィーネが不安げに揺れる瞳を向ける。
「ええ。無理に解こうとすれば、あなたの精神が崩壊しかねない。今の私でも解呪は不可能です」
フィーネが落胆し、肩を落とす。
だが、メルヴェは悪戯っぽく微笑んだ。
「ですが、正面突破が無理なら、裏道を通せばいい。……魔力回路に少しだけ『バイパス』を作りました。記憶の封印には触れず、あなたの魔力だけを外部に出力できるように」
「バイパス……?」
「ええ。本来の太い水路は塞がれたままですが、脇に細い管を通しました。ただし、忘れないでください。これはあくまで『抜け穴』。あなたの本質的な魔力の、ほんの一滴が漏れ出ているに過ぎません」
「……はい。やってみます」
フィーネはおずおずと頷き、的を見据えて弓を引き絞った。
彼女の細い指先に、魔力が集束する。
フォォォン……!
矢の先端に、螺旋を描く緑色の風と、赤い炎が灯った。
物理的な矢ではない。
魔力で形成されたエネルギーの矢だ。
「いけっ……!」
ヒュンッ!
放たれた矢は、風を纏って加速し、的を貫通すると同時に爆発した。
ボォォォォン!!
訓練用の木人が、一瞬で炎に包まれる。
威力は高いが、封印のせいか制御はまだ不安定だ。
「次は防御です。……基礎的な魔力障壁は展開できますか?」
「はい。でも、私のバリアは薄くて……すぐに割れてしまって……」
フィーネが意識を集中すると、体の前に淡い光の膜が現れた。
だが、それはシャボン玉のように頼りなく、小石が当たっただけで消えてしまいそうだ。
「それで十分です。その障壁に、『氷』の属性を上乗せなさい。薄い膜を、硬い氷でコーティングするイメージです」
「氷で、コーティング……」
フィーネが目を閉じ、イメージを重ねる。
パキパキパキ……という音と共に、光の膜が凍りつき、厚みを増していく。
数秒後には、彼女の周囲にダイヤモンドダストを纏った、堅牢な【氷結の障壁】が完成していた。
「すごい……! これなら、割れません!」
フィーネが自分の手を見つめ、高揚した声を上げる。
「私……これなら、戦えます。守られるだけじゃなく、誰かを守れます!」
フィーネがレイスの方を向き、泣きそうな笑顔を見せた。
ただの迷子の少女ではない。
魔弓手フィーネの誕生だった。
だが、メルヴェの表情は厳しい。
「威力は申し分ありません。ですが……」
彼女は的の残骸を指差した。
狙った中心から、かなりずれた位置が焼け焦げている。
「精度がまだ安定しませんわね。封印のせいで魔力の流れが乱れている。……慣れるまで、毎日の訓練が必要です」
「は、はい……! 頑張ります!」
フィーネが拳を握りしめる。
(即戦力とはいかないか。でも、伸びしろがある)
(新人研修は時間がかかる。まあ、それは仕方ない)
◇
夜。執務室。
レイスの元に、偵察に出ていた「黒猫運輸」の早馬が到着した。
「報告! アテシュ・キュル連合軍、国境を突破! その数およそ3,000! カヤディビ渓谷へ向かっています!」
ついに来た。
レイスは立ち上がり、マントを翻した。
「ナズ。幹部全員を会議室に集めろ。最終的な戦略会議だ」
「はい、お兄様!」
ナズが駆け出そうとした、その時だった。
ふと、彼女が執務机の上のクッションを見て、足を止めた。
「あっ……!」
「どうした?」
「お兄様! この卵、今少し動きました!」
レイスが振り返る。
黒曜石のような卵が、豪奢なクッションの上で、確かに揺れていた。
ドクン。
心臓の鼓動のような音が、部屋の空気を震わせる。
卵の表面に走る金色の紋様が、かつてないほど強く明滅している。
「……生まれるのか。このタイミングで」
レイスはごくりと唾を飲み込んだ。
戦争の幕開けと、新たな命の誕生。
3,000の敵兵が迫る中、この卵から何が生まれるのか。
それが救いとなるのか、さらなる厄介事となるのか──。
(……まあ、どっちにしても仕事は増えるんだろうな)
答えを知るのは、まだ先のことだった。
【第4刻限】残り3日 21時間 ─ 現在BP:120 / 目標BP:200
<レイスのひと言:唐揚げは正義(異論は認めない)>




