第19話「銀髪の流浪者」
【第4刻限】残り29日 6時間 ─ 現在BP:120 / 目標BP:200
従軍書記官の記録によると──
新暦20024年の初夏、カランルク城に一人の「流浪の探求者」が訪れた。
後に「銀髪の魔術師」として大陸全土にその名を轟かせる彼女は、閣下との一夜の語らいを経て、その深遠なる知性と王者の器に感服し、自ら客将となることを望んだという。
彼女ほどの傑物が、報酬も求めず、ただ「この方の覇道を見届けたい」と願った事実は、我らが主君のカリスマがいかに超常的であったかを物語る逸話として、長く語り継がれている。
もっとも、当の本人が考えていたのは「この人、高性能なエアコン代わりになりそうだな」ということだけであった。
伝説と真実の間には、往々にしてこのような深淵が横たわっている。
◇
夜の帳が下りた執務室は、重苦しい静寂に支配されていた。
唯一の光源は、燭台の揺らめく炎と、机の上に鎮座する「それ」が放つ、不気味な明滅だけだった。
黒曜石のような艶を持つ、巨大な卵。
フィーネとの契約時に現れた謎の報酬は、豪奢なベルベットのクッションの上で、まるで生き物のように呼吸していた。
『ドクン……』
重低音が、鼓膜ではなく腹の底に響く。
卵の表面に走る金色の幾何学模様が、心臓の拍動に合わせて明滅する。
(……改めて見ると、禍々しいな)
レイスはガラスペンを置き、眉間を揉んだ。
BP150到達によってレベルアップしたはずの【天秤の真眼】を、恐る恐る向ける。
視界がぐにゃりと歪む。
卵の輪郭から、金色の粒子が陽炎のように立ち上っていた。
(光ってる。……でも、それだけか)
期待していた文字情報は現れない。
ただ、その光の強さが「尋常ではないレア度」を示唆しているだけだ。
まるで、解析不能なエラーコードを見せられているような不安感が募る。
(ドラグノスの遺産だからな。孵化したらドラゴンが出てくるのか、それとも魔王城の自爆スイッチか……。)
(オムレツにしなくてよかった…と信じたいわ)
その時だった。
厚重な樫の扉が、控えめだが力強い音で叩かれた。
「主君。カディルです」
「入れ」
扉が開き、騎士団長カディルが入室する。
彼の表情は硬かった。歴戦の戦士だけが持つ、「警戒」の色が濃く滲んでいる。
「夜分に申し訳ありません。……来客です」
「客だと? この時間に?」
「はい。旅の学者を名乗る女性が、どうしても閣下にお目通り願いたいと。……ただの旅人ではありません。私が気配を察知する前に、既に城門の前に立っておりました」
カディルが剣の柄に置いた指を、微かに震わせている。
あの「鉄壁」のカディルを緊張させる相手。
(嫌な予感がする。深夜の訪問者にろくな奴はいない。某TVの集金か、宗教の勧誘に決まっている──)
「通せ」
レイスは短く命じ、居住まいを正した。
カディルが一礼して下がり、数瞬の後、その人物を伴って戻ってきた。
その瞬間、執務室の空気が変わった。
初夏の生温い夜気が、一瞬にして凍てつくような透明度を帯びる。
現れたのは、一人の女性だった。
月光をそのまま織り込んだような、流麗な銀髪。
知性と冷徹さを宿した、紫水晶の瞳。
身に纏う漆黒のローブは、夜空を切り取ったかのように深く、銀糸の刺繍が星々のように瞬いている。
(うわっ……!?)
レイスは反射的に目を細めた。
【天秤の真眼】が、悲鳴を上げたのだ。
眩しい。
直視できないほどの、純白の輝き。
机の上の卵が豆電球だとすれば、彼女はスタジアムの照明塔だ。
圧倒的な「強者」のオーラが、視覚情報として網膜を焼き尽くそうとしていた。
(嘘だろ……。なんでこんな序盤のエリアに、あいつがいるんだよ!)
メルヴェ・ゴルゲジ。
ゲーム中盤で登場する「元宮廷魔術師」。
政治と魔法の両方に長け、そのあまりに高すぎる能力ゆえに疎まれ、都を追放された孤高の天才。
(ネームドキャラ確定演出! しかもSSR級!)
レイスは内なる悲鳴を喉の奥で押し殺し、冷徹な領主の仮面を鉄壁の厚さで貼り付けた。
動揺を見せてはならない。このクラスのキャラは、相手の「器」を一瞬で見抜く。
「……夜分に珍客だな」
レイスは尊大に背もたれに寄りかかり、真紅の瞳で彼女を射抜いた。
メルヴェは優雅な所作で一礼した。
その動き一つとっても、洗練された宮廷の空気を纏っている。
「お初にお目にかかります、カランルク辺境伯殿下。私はメルヴェ。しがない流浪の探求者にございます」
水晶のように響く、優美な声。
彼女は微笑んでいるが、その紫の瞳はレイスを値踏みしていた。
「旅の途中、この地に興味深い『風』が吹いていると感じまして。しばし、宿をお借りできればと」
「旅人だと?」
「ええ。書を求め、知を求め、西へ東へ。……少々、訳ありの身ではありますが」
彼女の言葉に、レイスの左目──【策謀の魔眼】は反応しない。嘘ではない。
だが、真実の全てでもない。
(「訳あり」ってレベルじゃないだろ。その魔力量、国家機密レベルじゃないか)
その時。
机の上の卵が、『ドクンッ!!』と大きく跳ねた。
「……おや」
メルヴェの視線が、卵に吸い寄せられる。
紫の瞳が、驚愕に見開かれた。
「それは……凄まじい魔力密度ですね。まだ殻の中だというのに、私の魔力に共鳴している」
彼女の指先から漏れる魔力と、卵の波動が干渉し合い、バチバチと小さな火花が散る。
レイスは無言で卵を手で押さえた。
熱い。カイロどころの騒ぎではない。
(魔力に反応するのか、こいつ。……やっぱり危険物じゃないか)
そこへ、本棚の一部が軋む音が響いた。
隠し扉が開く。
「お兄様、カヤ様をお連れしました」
ナズが姿を見せた。
その後ろから、茶色い外套を目深に被った小太りの男が、おずおずと入ってくる。
カヤ男爵。
近隣に領地を持つ小貴族であり、現在は宿敵・アテシュ家の支配下にある人物だ。
「……夜分に失礼いたします、辺境伯閣下」
男爵は入室するなり、ソファに座る銀髪の美女を見て硬直した。
「ひっ……!? せ、先客が……?」
極秘の会談である。第三者の存在に、男爵の顔から血の気が引いていく。
レイスは片手を挙げて制した。
「構わん。……ただの旅人だ」
メルヴェは悪びれもせず、面白そうに足を組み替えた。
まるで劇場の特等席に座った観客のように。
「お気になさらず。私は空気のようなものですから」
(空気にしては重力が重すぎるんだよ……)
レイスは内心で毒づきつつ、カヤ男爵に向き直った。
【天秤の真眼】を通して見る彼は、驚くほど「暗い」。
先ほどのメルヴェの眩耀とは対照的に、背景の壁紙と同化しそうなほど色彩が希薄だ。
これが「モブ」と「ネームド」の残酷なまでの差か。
「カヤ男爵。例の手紙の件だな」
「は、はい……! 実は、その……アテシュ家の横暴には、もう耐えられませぬ!」
男爵は床に膝をつき、脂汗を流しながら訴えた。
過重な税、理不尽な徴兵、セリムによる焼き討ちの恐怖。
それらから逃れるため、最近勢力を伸ばしているレイスに賭けたい、という申し出だった。
「どうか、我らをお味方に! 今すぐ兵200を率いて馳せ参じます! カヤ家は、今日よりカランルク家のために!」
熱弁する男爵。
だが、レイスの冷ややかな視線は変わらない。
【策謀の魔眼】が、男爵の言葉の一部を赤く染め上げていた。
『心よりの忠誠を』(赤色発光)
(嘘だね。こいつは日和見だ)
(アテシュが勝てばそっちに付くし、私が勝てば私に付く。典型的なコウモリ野郎だ)
ナズが心配そうに兄を見つめる。カディルが剣呑な目で男爵を睨む。
そしてメルヴェは、優雅に紅茶を啜るふりをしながら、口元に嘲笑を浮かべていた。
ここで「嘘つきめ」と切り捨てるのは簡単だ。
だが、それでは社畜……いや、領主の仕事ではない。
「……その忠義、受け取ろう」
「おお! では、すぐに──」
「ならん」
レイスは短く遮った。
「今、貴殿が寝返ればどうなる? アテシュ家は見せしめに貴殿の領地を焼くだろう。貴殿の兵200名では、セリムの怒りを支えきれん。ただの犬死にだ」
「あ……」
「今は耐えよ。アテシュ家に従うふりをして、内部から情報を流せ。そして私が決戦の狼煙を上げた時──その時こそ、背後から突き崩せ」
レイスは真紅の瞳で男爵を射抜く。
「死に急ぐな。私は無駄な犠牲を好まない」
その言葉に、男爵は感動に打ち震えた。
涙さえ浮かべて平伏する。
「は、はいっ……! 我が身を案じてくださるとは……この御恩、必ずや!」
男爵がナズに案内され、隠し扉の向こうへ消えていく。
(本音:今来られても保護するコストが無駄。敵陣営にスパイとして置いておく方がコスパがいいし、決戦時の捨て駒……いや、予備戦力として温存したい)
(あと、コウモリ野郎は近くに置くより、敵の中にいる方が役に立つ)
隠し扉が閉まる音が響くと同時に、パン、パン、と乾いた拍手が鳴った。
「……お見事です」
メルヴェだった。
彼女は組んでいた足を解き、立ち上がった。
「あの男、本心ではまだ迷っていましたよ? 恐怖で動く人間は、恐怖で裏切る。それを分かった上で、あえて懐に入れず、敵地に戻す……」
紫の瞳が、妖しく輝く。
「『無駄な犠牲を好まない』と言いつつ、最大限に利用するおつもりだ。……合理的で、嫌いではありません」
彼女の評価が変わった。
ただの甘い領主ではなく、清濁併せ呑む「君主」として認識された瞬間だった。
「計算できる裏切りは、計算できない忠誠より扱いやすい。それだけだ」
レイスが肩をすくめた、その時──。
メルヴェの視線が、ふと窓の外へと向けられた。
夜の闇が広がる庭園の方角。
「……ネズミが一匹」
呟きは、氷柱のように冷たかった。
「え?」
レイスが反応するより早く、メルヴェが窓に向けて指を弾いた。
詠唱はない。
ただ、指揮者がタクトを振るうような、優雅な動作。
キィィィィン……!
耳鳴りのような高周波音が響き、窓の外の景色が一変した。
庭園の闇から飛び出そうとしていた「何か」。
黒い装束を纏った人影が、空中で静止したのだ。
否。
止められたのではない。
凍らされたのだ。
「凍てつけ──氷牢」
パキィィィィン!!
澄んだ破砕音が、夏の夜気を切り裂いた。
人影の周囲の空間ごと、巨大な氷の結晶が形成されていた。
蒼白く輝く氷の檻。
その中には、跳躍の姿勢のまま、驚愕に目を見開いた侵入者の姿が封じ込められている。
「なっ……!?」
カディルが剣を抜いて窓辺に駆け寄る。
レイスもまた、息を呑んでその光景を見下ろした。
ドサッ。
氷塊が重力に従って落下し、庭の芝生の上に重い音を立てて転がった。
中身は、ピクリとも動かない。
即死ではない。だが、生体活動が強制的に停止させられている。
「……誰だ?」
レイスは【天秤の真眼】を凝らした。
アテシュ家の兵ではない。その黒装束は、東方の国独特の隠密装備だ。
【種族:魔族】
【所属:???】
【状態:凍結、服毒死】
(……服毒死?)
「死んでいますね」
メルヴェが淡々と言った。
「捕らえられる前に、奥歯の毒を噛んだのでしょう。……訓練された『影』です。アテシュ家のものではありませんね」
彼女の言葉通り、氷の中の忍びは、既に事切れていた。
レイスの背筋に、冷たいものが走る。
アテシュ家との戦いの裏で、別の勢力が動いている。
ゲームのシナリオにはなかった展開だ。世界が、自分の知っている筋書きから外れ始めている。
だが、それ以上に驚異的なのは──。
(カディルさえ気づかなかった隠密を、話しながら感知して、一瞬で無力化したのか?)
窓の外では、蒼い氷塊が月光を浴びて、ダイヤモンドダストのようにキラキラと輝いていた。
(ちょっと涼しくなったな…)
美しく、そして致命的な光景。
これが、宮廷魔術師の実力。
メルヴェは氷像にはもう興味がないらしく、くるりと振り返った。
銀髪がふわりと舞う。
「掃除は済ませましたわ、閣下」
彼女は悪戯っぽく微笑み、上目遣いにレイスを見た。
「宿代代わりには、十分でしょう?」
レイスは引きつりそうになる頬を必死に抑えた。
これは「お願い」ではない。
これだけの力を見せつけた上で、「私を使いこなせるか?」と問うているのだ。
断ればどうなるか。
あの氷の中に、自分が入ることになるかもしれない。
それに──この規格外の戦力は、喉から手が出るほど欲しい。
未知の敵が動き出した今、彼女の魔力と知識は、何物にも代えがたい切り札になる。
レイスは尊大に頷き、緊張する指を机の下で握り潰した。
「……よかろう。掃除の手際は悪くない」
内心の悲鳴を飲み込み、レイスは最強(で最恐)の魔術師を迎え入れることを決めた。
「歓迎しよう、メルヴェ殿。……ただし、城内での温度設定は控えめにな。初夏でも暖房費がかさむ」
メルヴェはきょとんとして、それから、くすりと楽しげに笑った。
「ふふ……承知いたしました。レイス閣下」
レイスは、その笑みを“勝利”だと勘違いしないように努めながら、
卓上の小さな呼び鈴に指を伸ばした。
チリン──。
乾いた音が鳴ると同時に、扉の外で気配が跳ねる。
「失礼いたします、閣下」
侍女が入ってくる。
深夜の執務室に、異様な銀髪の客。状況を理解した瞬間、彼女の顔色が一瞬で白くなる。
だが、レイスは平然と命じた。
“怯えている”と思われたら、その時点で負けだからだ。
「客間を一つ用意しろ。西棟──空いている部屋でいい。寝具は新しいものを」
「は、はいっ……! ただちに!」
侍女が逃げるように下がる。
メルヴェは、その一連を眺めながら愉快そうに目を細めた。
「倹約家でいらっしゃるのですね。……嫌いではありませんわ」
「無駄を嫌うだけだ」
レイスがそっけなく返すと、メルヴェは楽しげに肩を揺らして礼をした。
「では、今宵はお言葉に甘えさせていただきます。レイス閣下」
銀髪がふわりと舞う。
彼女はくるりと踵を返し、執務室の扉へ向かった。
──その瞬間。
燭台の炎が、彼女の紫の瞳に吸い込まれる。
きらり。
宝石が光ったような一瞬の閃き。
だが、それは照り返しではない。
“獲物を見つけた捕食者”の光だった。
レイスは、喉の奥がひやりとするのを感じた。
扉が静かに閉まる。
そして、廊下へ溶けるように消える直前。
メルヴェは小さく、誰にも聞こえない声で囁いた。
「『器』は悪くない。……さて、彼が『予言』の王たり得るか。
特等席で見せてもらいましょうか」
銀髪の魔女の気配は、夜の闇へと溶けていった。
【第4刻限】残り29日 2時間 ─ 現在BP:120 / 目標BP:200
<レイスのひと言:高性能エアコン(自律型・破壊兵器付き)導入しました>




