表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/19

第18話 言葉はいらない。ただ、居場所があればいい

【第3刻限】残り12日 5時間 ─ 現在BP:40 / 目標BP:100


 (……ここだ。ここだけが、私のサンクチュアリ)  

 

 革張りのソファに深く沈み込み、レイスは至福の溜息を漏らした。  

 

 カディルの熱血指導もない。  

 ナズの詰め寄り監査もない。  


 ゲジェカレ城北棟、通称「サボり部屋(兼・戦略研究室)」。  

 

 分厚い遮光カーテンと防音の魔術式が、外界の喧騒を完全に遮断している。  

 

 聞こえるのは、紙を捲る音だけ。


 レイスは革張りのソファに深く身を沈め、古書ダミーブックを開いていた。

 

 視線を上げれば、向かいの席にフィーネがいる。

 彼女もまた、膝の上に分厚い歴史書を広げ、静かに文字を目で追っている。


 会話はない。

 だが、息が詰まるような沈黙ではない。

 互いがそこに存在することを許容し合う、凪のような時間。


(……最高だ)


 レイスは内心で至福の溜息を漏らした。


 社畜時代、トイレの個室で味わったあの安らぎの、完全上位互換である。

 しかも暖かい紅茶付き。文明の勝利。


 カサリ。

 乾いた音がして、レイスは視線を戻した。


 フィーネが本を閉じ、膝の上で手を重ねていた。


「……レイス様」


 鈴を転がすような、しかしどこか頼りない声。

 彼女は俯いたまま、ぽつりとこぼした。


「私……本当に、ここにいてよろしいのでしょうか」


 レイスは本を閉じた。

 彼女の抱える不安は、察していた。


 記憶がなく、自分の素性も分からない。

 戦う力があるわけでも(本人はそう思っている)、商才があるわけでもない。

 利益と効率で動くこの領地において、自分は「無駄な存在」ではないか──そう、考えているのだ。


「理由を聞こうか」


「私は……何も、お役に立てていません。記憶も戻らず、ただ守っていただくだけで……」


 フィーネの声が震える。


「皆様が働いているのに、私だけがこうして、穏やかな時間を貪っています」


 きゅっと唇を噛む。

 その白く華奢な指先が、スカートの布地を強く握りしめていた。


「怖くなるのです。いつか……『不要だ』と言われるのが」


(……ああ、分かるわ)


 レイスは胸の奥で頷いた。

 試用期間中の新入社員が抱く、「自分はこの会社に必要なのか?」という焦燥感。

 あるいは、席だけ残って仕事を失った者が感じる、居場所の喪失感。


 守られている側ほど、怖い。

 何も返せない自分ほど、惨めに見える。


 だが、レイスの答えは決まっていた。


「勘違いするな」


 レイスは足を組み替え、尊大な態度を崩さずに言った。


「私は無駄を嫌うが、同時に『静寂』を愛している。だが、この城の連中は騒がしい。私一人でここに籠もれば、奴らは『閣下がまた引きこもっている』と騒ぎ立て、扉をこじ開けに来るだろう」


 フィーネが顔を上げる。

 蒼穹色の瞳が揺れている。


「だが、お前がいる。お前がここにいてくれれば、奴らは『フィーネ様と重要な研究中だ』と解釈し、遠慮する」


 レイスは冷めた茶を一口飲み、続けた。


「……つまり、お前はそこにいるだけで、私の『安息』を守る防波堤になっているのだ」


 半分は屁理屈で、半分は本音だ。

 フィーネという「高貴そうなエルフ」が同席しているだけで、カディルたちは不思議とここを神聖視し、土足で踏み込んでこない。


 正直ありがたい。

 静寂のためなら、エルフ一人くらい同席させる。むしろ常駐してほしい。


「役に立つかなど、些末なことだ。私が『いてほしい』と思っている。それ以上の理由が必要か?」


 フィーネの瞳が、大きく見開かれた。

 呼吸が止まったかのような静寂。


 レイスはテーブルの上の茶器を置き、何気ない調子で付け加えた。


「過去がないなら、これから書けばいい。白紙の帳簿の方が、書き込みがいがあるというものだ」


 その言葉が、彼女の中の何かを決壊させた。


 記憶喪失の不安。

 孤独。

 無価値感。


 それら全てを、目の前の男は「些末なこと」と切り捨て、「ここにいていい」と肯定した。


 契約を迫るわけでも、力を求めるわけでもなく。

 ただ、隣に座ることを許してくれた。


(ああ……この方は)


 フィーネの胸の奥で、熱いものが溢れ出した。


 言葉はいらない。

 誓いの言葉も、儀式もいらない。


 ただ、この人の傍にいたい。

 この静寂を、この温もりを、守りたい。


 その想いが臨界点を超えた、その瞬間──。


 カッ……!


 部屋中が、純白の光に包まれた。


「──っ!?」


 レイスが腕で顔を覆う。


 カーテンの隙間から差し込む陽光ではない。

 もっと根源的な、魂から発せられる輝き。


 空気が一瞬で変わる。

 無音のはずの部屋が、低い鐘のような振動で満たされる。

 肌の表面が、熱くも冷たくもない“圧”を感じた。


 システムウィンドウが、視界の中央に強制割り込みしてくる。


『条件達成を確認。対象:フィーネ・エトワール(BP80)』


(エトワール……?)


 レイスの思考が一瞬、停止した。

 記憶喪失の少女。

 名無しだと思っていた彼女に、姓があったのか。


 しかも「エトワール」。

 星を意味するその名は、そのエルフにふさわしい響きを持っていた。


(待って。この名前……どこかで)


 前世でプレイしたゲームの記憶を手繰る。

 だが、靄がかかったように焦点が合わない。


(重要NPCだったか? イベント名? いや、もっと……根幹に関わる何か……)


 喉元まで出かかった記憶が、するりと逃げていく。

 背筋を、冷たいものが這い上がった。


(……駄目だ、思い出せない)


 レイスは奥歯を噛みしめた。

 嫌な予感だけが、胸の底に澱のように沈殿する。


(今は、目の前のことに集中しろ)


 強引に思考を切り替える。


(それより──80BP!?)


 カディルが15。ナズが25。

 歴戦の騎士団長の、五倍以上。


(ゲームバランス、崩壊してない?)


『【魂刻の絆】を発動します』


 光の奔流が、レイスの体内に流れ込んでくる。

 それはカディルのような猛々しさとも、ナズのような繊細さとも違う。

 もっと古く、深く、強大な──大河のような魔力の流れ。


『【絆の共鳴】バリア(結界)を習得しました』


(バリア……! 防御スキル!)


 混乱の中にも、レイスの社畜脳は冷静にメリットを計算した。

 貧弱なレイスにとって、自衛手段は喉から手が出るほど欲しい。

 これは最高の「福利厚生」だ。


 だが、異変はそれで終わらなかった。


『【魂刻の絆】特殊効果を発動します』


 光が収まった瞬間──フィーネの掌の上に、何かが出現した。


 手のひらに収まるほどの、漆黒の卵。

 表面には金色の紋様が浮かび、微かに脈動している。


「これは……?」


「分かりません。でも……渡さなきゃいけない気がして」


 フィーネが差し出した卵を受け取ると、奇妙な温もりが伝わってきた。

 まるで生き物の心臓を握っているように、ぴくりと脈が触れる。


『特別報酬:????の卵を獲得しました』


(……なに、このボーナスドロップ。ゲームにこんなイベントあったっけ?)


 直後、脳内にファンファーレが鳴り響き、新たなウィンドウが開く。


『BP80を獲得』

『現在BP:120 / 目標BP:100 ─ 第3刻限、達成』


 ドクン、と心臓が跳ねた。


(達成……! 生き延びた……!)


 安堵が全身を駆け巡る。

 だが、システムは立ち止まることを許さない。


『第3刻限達成。報酬を選択してください』


【選択A】統率の王笏(指揮下の連携効率+30%)

【選択B】天秤の真眼(物品・人物の本質を見抜く/成長型)


(統率の王笏か、天秤の真眼か……)


 レイスは一瞬だけ迷い、そして決断した。


(情報は力だ。わけのわからない卵に、名前のある記憶喪失者。……知らなきゃ、怖くて動けない!)


 レイスは迷わず【選択B】を選んだ。


『報酬:天秤の真眼を獲得しました』


 ズキリ、と。

 第2刻限で『策謀の魔眼』を宿した左目とは逆に、今度は右目に熱い痛みが走った。

 脳神経に新たな回路が焼き付けられるような感覚。


 レイスは片目を開け、視界に浮かぶ情報を追った。


 まずは、手の中の卵。


【品質:???】

【名称:???】

【状態:脈動】

【価値:測定不能】


(……は?)


 思わず眉間に皺が寄る。


(未知アイテムは伏せられる仕様かよ! そこだけ妙にリアルだな!)

(鑑定レベルが足りません、ってやつ!?)


 フィーネに視線を移す。

 だが、彼女を見ても何も表示されない。


(人物の情報は……まだ見えないのか)

(「成長型」だから、今は物品が先だな)


 レイスは痛む右目を瞬かせ、恐る恐る視線をずらした。


 テーブルの上に置かれた、飲みかけのティーカップ。

 ただ見つめるだけでは何も起こらない。

 何の変哲もない、ただの食器だ。


(……よかった。常時発動型じゃない。見たいと『念じた』時だけ見えるタイプか)


 常時、視界が文字だらけになる最悪の事態は避けられたようだ。


 レイスは小さく息を吐き、改めてカップを見据えた。

 意識を集中し、その情報を「知りたい」と強く念じる。


 瞬間──カップの輪郭が薄く光り、その傍らに半透明のウィンドウがポップアップした。


【名称:量産品の白磁カップ】

【材質:粘土、釉薬】

【状態:冷めた紅茶(残り30ml)】

【価値:銅貨3枚】


「おお……」


 レイスの口から、感嘆の声が漏れた。


(見える……! 見えるぞ!)

(材質から中身の量まで、完全なデータとして表示されてる!)


 それは前世で慣れ親しんだゲームのUIそのものであり、同時に、この世界には存在しないはずの「デジタルな情報」の輝きだった。

 アナログな羊皮紙と羽ペンの生活に疲れ果てていたレイスにとって、その整然としたフォントの羅列は、久しぶりに見る「文明」だった。


(すごい。これだよ、私が求めていたのは。このシステム感……!)


 地味な機能かもしれない。

 だが、不確定要素だらけの異世界で「確かな情報」が見えるという事実。

 それだけで、レイスには十分すぎる恩恵だった。


 フィーネが不思議そうにレイスを見つめていた。

 彼女には、システムウィンドウは見えていない。

 ただ、レイスが何かを受け取り、何かを選んだことだけは感じ取ったのだろう。


「フィーネ」


「はい……?」


「分かったぞ。お前の名前だ」


 レイスは、システムが表示した文字列をそのまま告げた。


「フィーネ・エトワール。……それが、お前の真の名だ」


「エトワール……」


 フィーネがその言葉を反芻する。

 彼女の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

 それが自分の名であると、魂が理解したかのように。


「……ありがとう、ございます」


 震える声。

 だが、その瞳には、もう迷いはなかった。


 その時、無慈悲なシステム音声が鳴り響いた。


『第4刻限、開始』


【第4刻限】残り30日 0時間 ─ 現在BP:120 / 目標BP:200


(ひゃ、ひゃくにじゅう…… 目標200……?)


 レイスの思考が凍りついた。


(あと80BP……30日で80BP……!?)

(……いや、待って。今の私、達成できたのって“偶然”だよね?)


 直後、現実も彼を追い詰めにかかった。


 ドンドンドンドンッ!


 静寂を守っていたはずの扉が、乱暴に叩かれた。


「お兄様! ここにいらしたのですね! 隠れても無駄です!」


 ナズの鋭い声。


「閣下! 剣の稽古の時間ですぞ! サボ……いえ、戦略的休息は終わりです!」


 カディルの暑苦しい声。


 バリバリ、と扉の結界が物理的に解体されていく音がする。

 サボり部屋の場所が特定されたのだ。


「あ……」


 フィーネがビクリと肩を震わせる。


 レイスは、目の前の「黒い卵」を慌ててコートの中に隠した。

 これを見られたら、説明に三日はかかる。

 そして確実に「なぜそんな物を抱えてるのです!」とナズに詰められる。


「……行くぞ、フィーネ」


 レイスは立ち上がり、幽鬼のような顔で言った。


「静寂は死んだ。……現実に帰る時間だ」


 ガチャリと扉が開く。

 そこには、書類の山を抱えた妹と、木剣を構えた騎士団長が、鬼のような笑顔で立っていた。


 第3刻限、達成。

 だが、レイス・カランルクの安息の日々は、まだまだ遠い。


 懐の中の卵が、ドクン、と大きく脈打った気がした。


---


【第4刻限】残り30日 0時間 ─ 現在BP:120 / 目標BP:200


<レイスのひと言:サボり部屋が託児所になりそうな予感>



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ